マゼール

2015年10月07日


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1975年のセッションで、この時代の『ポーギーとベス』では屈指の名録音であることに異議を唱えるつもりはない。

ホワイトやミッチェルを始めとする芸達者な歌手陣も彼らの持ち味を良く出しているし、マゼールの優れた統率の下にクリーヴランド管弦楽団も色彩感豊かな音響やジャズのリズム感を巧みに取り入れたガーシュウィンの斬新なオーケストレーションを、手に取るように楽しませてくれる。

歌手達も歌だけでなく、セリフの部分も見事にこなしているのだが、この演奏に弱点があるとすれば、それは音楽的に高尚に解釈され過ぎてしまったことであろう。

それによってこのドラマの持っている荒削りだが、「なまず横丁」に生きる黒人達の貧しくもしたたかな生き様や、人間の性(さが)によって起こされる犯罪への危機などが、すっかり払拭されてしまった印象が残ることではないだろうか。

確かにオペラをCDで聴く場合、鑑賞者側にそれぞれの場面をイメージするファンタジーが求められるが、この演奏を聴く限りではどん底のスラム街を想起することに多少の無理がある。

何故なら逆説的な言い方かもしれないが、マゼールによってクラシックの範疇に属するオペラとして几帳面に整理し尽くされた格調高い音楽には羽目を外した遊びも混沌もないからだ。

こうした作品にはオペラとしての完璧さよりも、むしろ芝居としての演出を前面に出すことの方が優先されるべきだろう。

この作品が後のミュージカルの先鞭をつけているのが偶然ではないように、そこにはガーシュウィンの求めた人間臭さや卑近さがもっとあっていい筈だ。

個人的には『ポーギーとべス』の初演指揮者アレクサンダー・スモーレンスがレオンタイン・プライスやウィリアム・ワーフィールド達を引き連れて4年間のツアーを行った際の1952年のベルリン・ライヴが忘れられない1組になっている。

プライス若き日の驚異的にパワフルな歌唱もさることながら、ひとつひとつのシーンが目に浮かぶような真実味が感じられる演奏だからだ。

オーケストラのリアス・ウンターハルトゥング管弦楽団は精緻ではないが乗りに乗った快演で、音質がマゼール盤に比べればかなり貧しいモノラル録音であるにも拘らず、そこから聴こえてくる音楽にはガーシュウィンの意図した作品の野太さと、指揮者の強い共感と表現への一致がみられる。

また1963年に主役の2人を再び迎えたスキッチ・ヘンダーソン指揮、RCAビクター管弦楽団のステレオ・セッション録音の抜粋盤も捨て難い魅力を持っている。

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2015年09月07日


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クラシック音楽史上最高の黄金コンビとも謳われたカラヤン&ベルリン・フィルも、1982年のザビーネ・マイヤー事件を契機として、修復不可能にまでその関係が悪化した。

加えて、カラヤンの健康状態も悪化の一途を辿ったことから、1980年代半ばには、公然とポストカラヤンについて論じられるようになった。

カラヤンは、ベルリン・フィルを事実上見限り、活動の軸足をウィーン・フィルに徐々に移していったことから、ベルリン・フィルとしてもカラヤンに対する敵対意識、そしてカラヤンなしでもこれだけの演奏が出来るのだということをカラヤン、そして多くの聴衆に見せつけてやろうという意識が芽生えていたとも言えるところである。

したがって、1982年のザビーネ・マイヤー事件以降からカラヤンの没後までのベルリン・フィルの演奏は、とりわけポストカラヤンの候補とも目された指揮者の下での演奏は、途轍もない名演を成し遂げることが多かった。

そのような演奏の1つが、本盤に収められたマゼール&ベルリン・フィルによるラフマニノフの交響曲第2番(1982年)である。

マゼールは、先輩格のジュリーニやライバルのアバド、ムーティ、ハイティンク、小澤などと同様にポストカラヤンの候補と目された指揮者の1人であり、そうしたマゼールとベルリン・フィルがこの時期に録音した演奏がそもそも悪かろうはずがない。

もちろんマゼールは独特の感覚と表現で鬼才と称された才能豊かな指揮者ではあったが、当時の実力を遥かに超える途轍もない名演に仕上がっていると高く評価したい。

仮にマゼールが、本人の希望どおりベルリン・フィルの芸術監督に就任していれば、ベルリン・フィルとの間で歴史的な名盤を数多く作り上げた可能性も十分にあったと言える。

しかしながら、運命はマゼールに味方をしなかった。

芸術監督の選に漏れたマゼールは、衝撃のあまりベルリン・フィルとの決別を決意、ドイツ国内での指揮さえも当初は拒否したが、その後数年でバイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任、指揮者人生最大の挫折を克服した後、1999年になって漸くベルリン・フィルの指揮台にも復帰した。

いずれにしても、このコンビによるブルックナーの交響曲第7番のスタジオ録音(1987年)、アバドとのヤナーチェクのシンフォニエッタのスタジオ録音(1987年)、ムーティとのブルックナーの交響曲第4番のスタジオ録音(1986年)、小澤とのチャイコフスキーの交響曲第4番(1988年)など、当時のベルリン・フィルの演奏は殆ど神業的であったとさえ言えるところだ。

それはさておき、本演奏は素晴らしく個性的であると同時に、ラフマニノフにしか書けなかった叙情性に富んだ旋律を、実に魅力的に表している。

晩年には円熟の指揮芸術を聴かせてくれたマゼールであるが、本演奏の当時は壮年期にあたり、生命力に満ち溢れた迫力満点の熱演を展開していたところである。

ところが、本演奏は、むしろ後年のマゼールの演奏を思わせるような懐の深さや落ち着きが感じられるところであり、あたかも円熟の巨匠指揮者が指揮を行っているような大人(たいじん)の至芸を感じさせると言えるだろう。

ベルリン・フィルの重量感溢れる渾身の演奏もそれを助長しており、演奏全体としては、同曲最高の超名演とも呼び声の高いプレヴィン&ロンドン響(1973年)にも比肩し得るほどのハイレベルの演奏に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

前述のブルックナーの交響曲第7番と同様に、当時のマゼールとしては突然変異的な至高の超名演と言えるところであり、その後マゼールがラフマニノフの交響曲を2度と再録音をしなかった理由が分かろうというものである。

いずれにしても、カップリングされたヴォカリーズともども、本盤の演奏は、マゼール&ベルリン・フィルのこの時だからこそ成し得た至高の超名演と高く評価したい。

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2015年08月20日


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1992年夏に惜しくも事故で亡くなったウィーン・フィルの名コンサート・マスター、ヘッツェルの記念アルバム。

1984年のザルツブルク・フェスティバルのライヴで、やや解像度に欠けるが歴としたステレオ・デジタル録音。

ヘッツェルは衝撃的なアタックは避け、いつもの彼の流儀に従って実に流麗な曲作りを試みている。

迫力で押しまくる演奏ではないので、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番としては意外な印象を受けるかも知れないが、聴き込んでいくに従ってその味わいの深さが堪能できる。

ヘッツェルの演奏を聴くと作曲家が取り入れた民族色が見事に普遍的な音楽に昇華されていることにも納得できるし、第1楽章後半のカデンツァや終楽章の超絶技巧も、これ見よがしの押し付けがましいものではなく、あくまでも洗練された音楽性に則った技巧が冴えている。

また第2楽章のヴァリエーションでの高貴とも言えるカンタービレの美しさも、ヴァイオリンを歌わせる楽器と心得ていたヘッツェルならではの表現だ。

一方モーツァルトのディヴェルティメントは1983年の同音楽祭のもので、気さくな雰囲気の中に演奏者自身が楽しんでいるのが目に浮かぶような、まさにウィーン室内ならではの持ち味が出色の演奏だ。

ヘッツェルが遺した録音は、ウィーン・フィルやウィーン室内のコンサート・マスターとしてはかなりの量にのぼるが、純粋なソリストとしてはそれほど多くない。

勿論彼が1992年に不慮の事故死を遂げなければ、計画されていたモーツァルトとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集も完成していたであろう。

バルトークに関しては特別な愛着を持っていたためか、このライヴの後も1991年にアダム・フィッシャーとのセッションで全2曲のヴァイオリン協奏曲をニンバス・レーベルに録音している。

それは彼の父親がハンガリー人だったからかもしれない。

いずれにせよ、このCDではウィーン・フィルが強力にバックアップしているのが特徴だ。

マゼールもこのオーケストラとは良好な関係にあった時期のもので、彼の鮮やかな棒捌きも聴き所のひとつだ。

またヘッツェルをコンサート・マスターに迎えていたウィーン・フィルの余裕さえも感じさせる。

この時代には彼だけでなく、クラリネットのプリンツ、フルートのシュルツそしてホルンのヘーグナーなど際立った演奏家が首席奏者に名を連ねていた頃で、ウィーン・フィルにとっても幸福なピリオドだったと言える。

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2015年07月15日


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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、古今のチェロ協奏曲の中でも最高峰に聳え、最も愛聴される作品として知られている。

ヨーヨー・マはこれまでこの大作を2度録音しており、本作は、1986年にマゼール指揮ベルリン・フィルと共演した第1回目の録音で(第2回目は1996年、マズア指揮ニューヨーク・フィルと録音)、みずみずしいチェロ、強靭な響きの管弦楽が織りなす充実のハーモニーが絶賛された名盤である。

同曲の代表盤としては、今もなおロストロポーヴィチのチェロ、カラヤン指揮ベルリン・フィルの1968年盤を掲げる人も多いであろう。

しかし1度聴くとその無類の迫力に圧倒されるが、まさにこれはライヴ的な名演なのであり、繰り返し聴くCDとしては、聴くたびに段々と飽きてしまうのも事実だろう。

その点ヨーヨー・マのチェロ、マゼール指揮ベルリン・フィルは、マのソロが実にリラックスしていて、しかもスケールも大きく、この難曲を少しも難しくなく聴かせるのは、さすがというかいかにも現代人らしい実力であり、脱帽である。

マは、既に大家としての名声を博しているが、1955年生まれと意外なほど若い。

マのドヴォルザークは、彼の抜群のテクニックと楽譜の深い読みによって、他のチェリストでは到底到達できないような高みに達している。

マは、驚異的なテクニックを発揮しながらも音楽の品格を失わず、完璧なまでのドヴォルザークを描き出している。

リズム処理の素晴らしい演奏で、マは、どんなに複雑に入り組んだ曲想になっても、驚嘆すべきテクニックで楽々とひきあげており、全体に遅めのテンポでゆったりと流し、スケールの大きな表現となっていて見事だ。

マゼールの指揮も巧みで、全体に遅めのテンポでオーケストラをフルに鳴らし、充分に響かせ、力強く演奏している。

凝りに凝った語り口の巧みなマゼール指揮のオケが、冒頭の長い序奏部から存在感があり、これでは独奏者の影が薄くなってしまわないのか?と心配になるが、マが負けずと多彩多弁なチェロを繰り広げ、表情の豊かさでは、おもしろさ随一の快演だ。

マの演奏はフレージングが滑らかで、技術の限界をまったく感じさせず、のびやかな情感が明るい雰囲気を生み出している。

第1楽章の冒頭からして、マは、実にきっぱりとしたフレージング、テンポ、リズムで音楽を開始しながら、3小節目のfzで急に粘るようなテヌート奏法となり、多彩な表現力を示す。

気持ちを十分に込めながらそれでいて品格を失っておらず、たとえば、第1楽章の第2主題(6分11秒から)や第2楽章の出だし(0分40秒から)、さらには10分56秒からは、すべてppかpの指示があるが、マは、弱音を保ちながらも高らかに歌い上げる。

弱音に気持ちを込めていきながらも、音を解放していくなどということは、超絶的なテクニックに裏打ちされた深い音楽理解によってはじめて可能となる。

第3楽章のラスト(12分25秒から41秒)において、マは信じられないようなスケールの大きなクレッシェンドを、他のチェリストの倍の時間をかけて行なうが、こんな芸当はマにしかできない。

小品の2曲も好演で、「ロンド」の洒落たリズムと節まわしが素晴らしく、「森の静けさ」では厚いカンタービレと音楽が楽しめる。

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2015年07月05日


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本作は、ロリン・マゼールがディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとユリア・ヴァラディ夫妻を迎えてベルリン・フィルと録音したアルバムで、アレクサンダー・ツェムリンスキーの代表作、《叙情交響曲》を一躍有名にしたデジタル初期(1981年録音)の名盤。

《叙情交響曲》は、シェーンベルクの師で、マーラーとも親交のあったツェムリンスキーの傑作である。

ツェムリンスキーに対する関心と認識は、かなり最近のことと言ってもよいであろう。

それは、後期ロマン派やシェーンベルクをはじめとする新ウィーン楽派への関心の副産物というのは言い過ぎであろうが、シェーンベルクの師であり義兄であるという認識は大きい。

そのツェムリンスキーの1923年の《叙情交響曲》は、その代表作でもあり、最近はいくつかの録音もあるが、これは世界初録音であった。

インドの詩人タゴールの独語訳テキストに、男女2名の独唱、大編成のオーケストラ。

明らかにマーラーの《大地の歌》を意識した内容であるが、生と死をモチーフとした《大地の歌》に比べ、こちらは男女の愛欲を濃厚に歌い上げている。

このツェムリンスキーの《叙情交響曲》は、1922年から23年という「新音楽」の誕生の時期にあえて《大地の歌》へのオマージュとして書かれたわけで、明らかに時代の潮流に逆らっていた。

官能を主題とした点では、スクリャービンの《法悦の詩》に通じるところがあり、全般に暗く濃厚なロマン派の音楽で、時には甘美に、または激しく愛を歌っている。

しかし、エロティシズムと神秘主義の間を揺れ動くその官能的な内容と壮大な交響楽的構成には、耽美的な後期ロマン派の遅れた成果という以上の魅力が備わっている。

特に調性語法の幅や、アリオーゾからシュプレッヒゲザングまでの声楽様式の幅など、実にドラマティックだ。

マゼールとベルリン・フィル、ヴァラディとフィッシャー=ディースカウという最上の顔合わせが得られた結果、その登場はツェムリンスキーへの理解を急速に強めたとさえ言える。

マゼールは決して音楽に溺れることなく、この大曲をまとめあげ、フィッシャー=ディースカウ、ヴァラディの独唱陣とベルリン・フィルもマゼールと息の合ったところを見せている。

豪奢で官能的な前奏曲の響きは、まごうことないベルリン・フィルの響きであり、この冒頭の歴史絵巻を思わせるような雰囲気が見事に全体に一貫しており、この雰囲気の持続はツェムリンスキーの要求通りと言えよう。

流麗なマゼールの解釈もすぐれているが、特に生と死を幻想的に気品をもって歌い上げた王子役のフィッシャー=ディースカウの歌唱は、タゴールの原詩の精神をよく伝えていて、バリトンの「英雄」的力感、ドラマティックな表現力と知的解釈の深さも印象的だ。

フィッシャー=ディースカウの薫陶を受けたであろうユリア・ヴァラディの旨さも特筆できるものである。

《大地の歌》との関連はともかくとしても、このロマン的な美しく魅惑的な世界は一聴に値しよう。

ウイーンの楽壇で指揮者、作曲家として高く評価されていましたツェムリンスキーは、ユダヤ系の出自のためにナチスの台頭後、シェーンベルクとともにアメリカに逃れた。

しかし、シェーンベルクが富と名声に包まれてロスで暮らしたのに対し、ツェムリンスキーは注目されることなく病気と貧苦に苦しんだ挙句、ニューヨークで斃死してしまった。

1980年代にようやく注目され、これはその一環として録音されたもので、時代の波に巻き込まれ、不当に評価された音楽家を発掘した意味でも貴重な1枚である。

この演奏を通して、いよいよツェムリンスキーの夢と現実の世界に魅せられていく人も多いはずだ。

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2015年06月23日


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ロリン・マゼールは、まさしく音楽の才人であった。

全身これ音楽というか、簡単なものから複雑なものにいたるまで、ありとあらゆる音符が彼の体内に入り、完全に消化されている状態というか、とにかく音楽のことならいくところ可ならざるはなかった。

バレンボイムも同様だ。

マゼールといい、バレンボイムといい、この種の才人は日本には存在しない。

クラシック音楽の伝統の長い西欧だけに生まれるタイプで、単なる小器用な職人とはまるで違うのである。

彼らがリハーサルをしたり、ピアノを弾いたり、楽譜を読んだりしている現場を見たら、おそらく人間業とは思えないだろう。

イタリアの教会の門外不出の秘曲を、ただ1度聴いただけで暗譜してしまったモーツァルトに近い才能が、彼らにはあるような気がする。

もっともマゼールはあまりにも才能がありすぎるため、他の音楽家がまったく信用できなかったという噂もまことしやかに伝えられている。

名門ウィーン・フィルでさえ、マゼールにとっては子供同然で、4拍子のやさしい曲でさえ、きちんと4つに振ってから音を出させていたという。

それでは、彼らの音楽が感動的かというと、必ずしもそうではなかった。マゼールはとくにそうだ。

マゼールは、いつの時代においても先端に位置するような「売れっ子」だったので、当然のことながらレコードの数も多い。

1950年代に始まった彼の録音歴は、60年代、70年代、80年代、90年代、そして2000年代へと、旺盛に持続されてきている。

その量的な意味でのムラのようなものは、ほとんどといっていいほど、ない。

しかしながら、マゼールの夥しい数のディスコグラフィを、その内容面からみると、ずいぶんムラのようなものがあることに気がつく。

すぐれた演奏、注目すべきものが、ほとんど初期の録音に偏ってしまっているのだ。

同曲異演盤をいくつか比較しても、それらは例外なく初期のもののほうがすぐれている。しかもかなりの差をつけて…。

特に、マゼールが得意としたチャイコフスキーの交響曲に関しては、後年のクリーヴランド管弦楽団との録音よりも、キャリア初期のウィーン・フィルとの録音の方が断然聴き応えがある。

ここには独特の表現で物議を醸すこともあった、曲想の核心へと大胆に踏み込むキャリア初期のマゼールの特徴が深く刻まれている。

演奏というひとつの再現行為に烈しく燃焼している若き日のマゼールの姿がここにある。

音楽と真正面から対峙することを望むリスナーには必聴の録音であるとさえ言えるであろう。

ところで、マゼールにとっての指揮者人生最大の挫折は、ポストカラヤン争いの本命を自負していたベルリン・フィルの後継者に選ばれなかったことであった。

運命はマゼールに味方をしなかった。

芸術監督の選に漏れたマゼールは、衝撃のあまりベルリン・フィルとの決別を決意。

ドイツ国内での指揮さえも当初は拒否したが、その後数年で、バイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任。

さらに、1999年になって漸くベルリン・フィルの指揮台にも復帰したが、その後強烈に印象に残る演奏・録音を筆者は記憶していない。

こうしたことは、マゼールという指揮者を考えるうえでの興味深い点であり、同時に、彼の悲劇的な点でもあったのだ。

改めて、心より哀悼の念を表したい。

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2015年06月17日


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世界的な指揮者として活躍したロリン・マゼールが、肺炎の合併症のため、米バージニア州の自宅で7月13日に84歳で死去した。

筆者にとってマゼールと言えば、1987年にウィーン・フィルとの来日公演で受けた感銘がとても大きく脳裏に刻みこまれている。

百戦錬磨のウィーン・フィルの楽団員を子供のように扱うかのごとく統率し、圧倒的な才能を示していたマゼール。

マゼールの業績と録音については、筆者もレビューを書いているので、そちらを参考にしていただきたい。

ご冥福を心よりお祈り致します。

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2015年06月09日


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「第7」はマゼールとウィーン・フィルの美質と威力を最大限に発揮し、それをマイクが見事に捉えた名レコードである。

同曲はドヴォルザークの全交響曲の内でも、その恩師ブラームスの影響が最も大きく開花した傑作で、その後の「第8」「第9」に見られる民族的抒情性が抑制され、構築的な、よく書き込まれた作品となっている。

マゼール&ウィーン・フィル盤は、この曲のそうした側面を見事に引き出した名演。

特に第1楽章での、流麗なフレーズと、とつとつとしたブラームス的な後ろから押し上げる音型との対比は鮮やか。

冒頭からマゼールの表現は極めて繊細で、細かい部分まで磨き抜かれており、いつものマゼール調だな、と思う間もなく、分厚いホルンの強奏がすばらしいメリハリの効果を伴いつつ登場するに及んで、これがマゼールとウィーン・フィルの協同作業であることを思い知るのである。

マゼールはクリーヴランド管弦楽団を振るときとウィーン・フィルを振るときでは明らかに音楽作りが違うのだが、この「第7」の場合は特にそうで、テンポも急がず、じっくり運んでおり、全体の音色感の味の濃さはウィーン・フィル以外の何者でもない。

こくのある金管、感受性ゆたかな木管群、そしてしなやかで上品な弦楽器、このような最上等のオケを前にしたマゼールは、ちょっとしたルバートにいつもの彼からは考えられない懐かしい情感を漂わせるのだ。

緩徐楽章に入るとウィーン・フィルの音色美はいよいよ勝利を収め、マゼールのキメの細かな表情づけがウィーン・フィルののびやかな音色と相俟って美しい。

ボヘミアの森の雰囲気満点なウィンナ・ホルン、純粋なみずみずしさの限りを尽くすヴァイオリン、牧童の吹く笛のようなオーボエ、チャーミングなフルート、そのいずれもが大変な耳の御馳走となる。

そして何よりも奏者ひとりひとりが身体に持っている歌! それは指揮者マゼールを超えて聴く者の胸を打つのである。

スケルツォからフィナーレにかけては、オケの威力とマゼールの棒の冴えが一体となって、管弦楽演奏の醍醐味を満喫させてくれる。

マゼールの表現の細かさは、スケルツォ冒頭のセカンド・ヴァイオリンの生かし方ひとつ、ファースト・ヴァイオリンの敏感、強烈なクレッシェンド、デクレッシェンドひとつをとっても明らかだが、ウィーン・フィルも水を得た魚のように力を増し、フォルティッシモの鳴り切り方は天下一品だ。

最高の充実感を誇り、決してうるさくなく、そしてギクシャクした情熱を繰り返しぶつける終楽章まで、一貫してブラームスの「第3」を思わせるような濃厚な演奏に徹して成功している。

しかもフィナーレに入ると弦もティンパニも精神を燃えたぎらせて、少しも綺麗事でない迫力を鳴り響かせる。

これでこそドヴォルザークは生きるのであり、その点では往年のケルテスとの《新世界より》以来ではあるまいか。

そしてこのようなトゥッティの分厚さの中を泳ぐ木管ソロたちの魔法の魅惑、チェロやヴィオラの訴え、特にフィナーレ冒頭の何というチェロのエスプレッシーヴォ!

それらをまとめるマゼールの表現もさらに巨匠性を加え、語りかけるようなテンポの動きを与えながら全曲のクライマックスに到達するのである。

一見個性的だが、筆者に「第7」の魅力を知らしめてくれた名録音であり、この曲の本質をよく捉えた唯一無二の超名演と評しても過言ではあるまい。

併録されている「第8」については、他にもセル、カラヤン、クーベリックなどによる名演盤が競合しており、必ずしもマゼール盤が随一の名演とは言えない。

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2015年04月19日


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マゼールが今から約15年前に、当時の手兵バイエルン放送交響楽団とともに集中的に取り組んだブルックナーチクルスのコンサート記録である。

本全集が廉価で手に入ることも考慮に入れれば、後述のようにすべてを名演と評価するには躊躇せざるを得ないが、全体としては水準の高い演奏で構成された全集と評価してもいいのではないかと考える。

マゼール指揮によるブルックナーの交響曲と言えば、1974年に録音されたウィーン・フィルとの「第5」(英デッカ)、1988年に録音されたベルリン・フィルとの「第7」及び「第8」(ともにEMI)が念頭に浮かぶ。

「第5」については、マゼールが若さ故の力強い生命力と超絶的な才能を武器に、前衛的とも言えるような鋭いアプローチによる演奏を繰り広げていた1960年代のマゼールの芸風の残滓が随所に感じられるなど、ブルックナー演奏としてはやや異色の印象が拭えなかった。

他方、「第7」及び「第8」については素晴らしい名演で、特に、「第7」については、故小石忠男先生がレコード芸術誌において、「マゼールに一体何が起こったのか」とさえ言わしめたほどの成熟した超名演であった。

おそらくは、現在でも、この演奏を指揮者名を伏して聴いた多くの聴き手の中で、指揮者がマゼールと言い当てる者は殆どいないのではないか。

このような同曲演奏史上においても上位にランキングされる超名演が、現在では、国内盤は廃盤で、輸入盤でさえも入手難というのは大変残念な事態であると考えている。

録音当時はカラヤンの最晩年であり、ポストカラヤン争いの本命を自負していたマゼールと、カラヤンへの対抗意識も多分にあったと思うが、ポストカラヤンの候補者と目される指揮者とは鬼気迫る名演を繰り広げていたベルリン・フィルとの絶妙な組み合わせが、途轍もない超名演を生み出す原動力になったのではないかと考えられる。

「第8」も、「第7」ほどではないもののレベルの高い名演であり、仮にマゼールが、本人の希望どおりベルリン・フィルの芸術監督に就任していれば、ベルリン・フィルとの間で歴史的な名全集を作り上げた可能性も十分にあったと言える。

しかしながら、運命はマゼールに味方をしなかった。

芸術監督の選に漏れたマゼールは、衝撃のあまりベルリン・フィルとの決別を決意。

ドイツ国内での指揮さえも当初は拒否したが、その後数年で、バイエルン放送交響楽団の音楽監督に就任。

さらに、1999年になって漸くベルリン・フィルの指揮台にも復帰した。

要は、本全集は、マゼールが指揮者人生最大の挫折を克服し、漸くベルリン・フィルに復帰したのとほぼ同時期に録音がなされたということである。

本全集録音の数年前からは、ヴァントがベルリン・フィルとの間で、ブルックナーの交響曲の神がかり的な超名演の数々を繰り広げており、マゼールとしても、ベルリン・フィルとは和解はしたものの、かかる成功を相当に意識せざるを得なかったのではないかと考えられる。

そうしたマゼールのいささか屈折した思いが、文句がない名演がある反面で、一部の交響曲には、意欲が空回りした恣意的な解釈が散見されるというやや残念な結果に繋がっている。

文句のつけようがない名演は、「第0」「第1」「第2」の3曲であり、第3番以降になるとやや肩に力が入った力みが垣間見える。

特に、「第5」及び「第7」は、テンポを大幅に変化させるなど、いささか芝居がかった恣意的な表現が際立っており、前述した過去の演奏に遠く及ばない凡演に陥ってしまっているのは大変残念だ。

しかしながら、全集総体としては、水準の高い演奏が揃っており、破格の廉価盤であることを鑑みれば、十分に推薦に値するBOXであると考えられる。

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2015年02月19日


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非常にユニークで魅力あふれる全集。

ベルグルンドやヴァンスカの全集に親しんでいる人も、是非一度耳にしていただきたい。

マゼールは、演奏様式をたびたび変えてきた指揮者であるが、1960年代のマゼールは、現代的で尖鋭的なアプローチと、曲の本質に切り込んでいく前進性が見事にマッチングして、個性的な名演を数多く残してきた。

もちろん、曲によってはやり過ぎのものもあるが、特に、ウィーン・フィルやベルリン・フィルと組んだものは、オーケストラの力量もあって、名演が生まれる可能性が非常に高かった。

その一例が、マゼール&ウィーン・フィルによるシベリウスの交響曲全集で、基本的に熱烈と言ってよいほど込められたメッセージが熱い。

素朴な原産地直系の自然体演奏とは、一線を画す、というよりも対極にあるのが当盤のアプローチで、北欧のひんやり感とか、寒々とした雰囲気とは隔絶している。

ここに聴かれるのは「北欧の繊細な情景」ではなくて、地の底から突き上げるようなエネルギッシュな和音であり、色彩感あふれる管弦楽法である。

マゼールの指揮により、シベリウスの音楽がチャイコフスキーやブルックナーの延長線上にあることが改めて良く分かる。

きつく堅く締め上げられたようなフォルムに、ウィーン・フィルの緊迫サウンドが刺激たっぷりの音彩を付加した、少々やり過ぎなくらい強烈な印象を与える個性派名演と言えよう。

粗野なまでの迫力で押してくる演奏で、ここまでウィーン・フィルを手玉にとるマゼールは凄いとも言える。

あのウィーン・フィルを使って、ここまで自分の思いを表現しているマゼールの手腕は大したものだ。

北欧風という意味では、かなり異なった性格の演奏であるが、楽曲の本質にぐいぐいと迫っていく鋭いアプローチが見事であり、シベリウスの交響曲の我々が通常の演奏ではなかなか知りえない側面に光を当てた異色の名演ということができる。

北欧的な冷え切った空気感を感じさせる本場物のオーケストラによる演奏も良いが、こういう情熱のほとばしる熱血的で激しく燃えたぎった演奏もたまには聴きたい。

後年に、マゼールはピッツバーク交響楽団と全集を録音しているが、とても、このウィーン・フィルとの全集の水準には達していない。

いずれの交響曲も一聴の価値のある名演揃いであるが、特に、「第1」が超名演で、マゼールの底知れない異様な才能がヒシヒシと伝わってきて身震いする。

録音は、英デッカならではの鮮明なもので、アナログ的な、温もりをもった音像で現在主流のデジタル的なシャープな音像とは違うが、オーケストラの立体分離がよい優秀録音だと思う。

シベリウス交響曲のベスト盤かと聞かれると答えるのに躊躇するが、楽しめるCDであることは間違いない。

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2014年12月16日


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本盤に収められたバルトークのピアノ協奏曲第2番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番という、弾きこなすのに難渋するきわめて難しい協奏曲どうしの組み合わせであるが、これらのスタジオ録音は、当時の鉄のカーテンの向こう側の盟主国であった旧ソヴィエト連邦から忽然とあらわれた偉大なピアニスト、リヒテルが様々な西欧の大手レコード会社に録音を開始した上げ潮の頃の演奏である。

指揮者は、当時、鬼才とも称されたマゼール。

当時のマゼールは、切れ味鋭いアプローチで現代的とも言うべき数々の演奏を行っており、その強烈な個性が芸術性の範疇にギリギリおさまるという、ある種のスリリングな演奏を展開していたところである。

マゼールに対して厳しい批評を行っている音楽評論家も、この時期のマゼールの演奏に対しては高く評価するほどの芸術性に裏打ちされた超個性的な演奏を行っていたとも言えるところだ。

そして、こうした上げ潮にのったリヒテルと鬼才マゼールの組み合わせが、両曲の演奏史上、稀に見るような超個性的な名演を成し遂げるのに繋がったと言えるのではないだろうか。

バルトーク及びプロコフィエフの両協奏曲ともに前述のように難曲で知られているが、リヒテルは超絶的な技量と持ち味である強靭な打鍵を駆使して、両曲の複雑な曲想を見事に紐解いている。

それでいて、力任せの一本調子にはいささかも陥ることなく、両曲に込められた民族色溢れる旋律の数々を、格調の高さを損なうことなく情感豊かに歌い抜いているのも素晴らしい。

そして、演奏全体のスケールの雄大さは、ロシアの悠久の大地を思わせるような威容を誇っていると言えるところであり、これぞまさしくリヒテルの本演奏におけるピアニズムの最大の美質と言っても過言ではあるまい。

こうした圧倒的なリヒテルのピアノ演奏に対して、鬼才マゼールも決して引けを取っていない。

もちろん、協奏曲であることから、同時期の交響曲や管弦楽曲の演奏などと比較すると抑制はされているが、それでもオーケストラ演奏のみの箇所においては、マゼールならではの切れ味鋭い個性的解釈を聴くことが可能である。

そして、そうした随所における個性的な演奏が、両曲の演奏において不可欠の前衛性や凄味を付加することに繋がり、両曲演奏史上でも稀にみるような名演奏に寄与することになったものと言えるところだ。

いずれにしても、本盤の演奏は、リヒテルとマゼールという個性的な天才どうしが、時には協調し、そして時には火花を散らし合って競奏し合うことによって成し得た圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、1969〜1970年のスタジオ録音であるが、リマスタリングがなされたことによって、従来CD盤でも比較的満足できる音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、リヒテルとマゼール指揮のパリ管弦楽団、ロンドン交響楽団の演奏が明瞭に分離して聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、このような圧倒的な名演を、現在望み得る超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月12日


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リヒテルとマゼールは、バルトークのピアノ協奏曲第2番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第5番という近現代を代表する両ピアノ協奏曲において圧倒的な名演を成し遂げたが、本盤に収められたブラームスのピアノ協奏曲第2番というロマン派を代表する名作においても見事な演奏を行っている。

これらのスタジオ録音は、当時の鉄のカーテンの向こう側の盟主国であった旧ソヴィエト連邦から忽然とあらわれた偉大なピアニスト、リヒテルが様々な西欧の大手レコード会社に録音を開始した上げ潮の頃の演奏である。

指揮者は、当時、鬼才とも称されたマゼール。

当時のマゼールは、切れ味鋭いアプローチで現代的とも言うべき数々の演奏を行っており、その強烈な個性が芸術性の範疇にギリギリおさまるという、ある種のスリリングな演奏を展開していたところである。

マゼールに対して厳しい批評を行っている音楽評論家も、この時期のマゼールの演奏に対しては高く評価するほどの芸術性に裏打ちされた超個性的な演奏を行っていたとも言えるところだ。

そして、こうした上げ潮にのったリヒテルと鬼才マゼールの組み合わせによって、どれほど個性的な演奏が生み出されるか期待するクラシック音楽ファンも多いと思うが、これが意外にも正攻法のオーソドックスとも言うべき演奏を展開している。

リヒテルは超絶的な技量と持ち味である強靭な打鍵を駆使しつつも、非常にゆったりしたテンポで曲想を精緻かつ濃密に描き出している。

力任せの一本調子にはいささかも陥ることなく、両曲に込められたブラームスの枯淡の境地とも言うべき美しい旋律の数々を、格調の高さを損なうことなく情感豊かに歌い抜いているのも素晴らしい。

そして、演奏全体のスケールの雄大さは、ロシアの悠久の大地を思わせるような威容を誇っていると言えるところであり、これぞまさしくリヒテルの本演奏におけるピアニズムの最大の美質と言っても過言ではあるまい。

こうした圧倒的なリヒテルのピアノ演奏に対して、鬼才マゼールの合わせ方も見事。

同曲は、ピアノ独奏付きの交響曲とも称されるほどにオーケストラ演奏が分厚く作曲されており、オーケストラ演奏のみの箇所も多いが、マゼールは自我を徹底して抑制し、この当時のマゼールには珍しいほど、音楽そのものを語らせる演奏に徹していると言えるところだ。

このようにマゼールが、リヒテルのピアノ演奏に合わせることによって、同曲演奏史上でも最もスケール雄大な名演に繋がっていることになったものと思われる。

いずれにしても、本盤の演奏は、リヒテルとマゼールという個性的な天才どうしが成し得た圧倒的な名演と高く評価したい。

音質は、1969年のスタジオ録音であるが、リマスタリングがなされたことによって、従来CD盤でも比較的満足できる音質である。

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2014年09月07日


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桁外れのレパートリーの広さと膨大な数のレコーディングを誇るマゼールであるが、本盤に収められたマーラーの交響曲全集は、マゼールによる唯一のものである。

マゼールほどその芸風を変化させた指揮者は、ワルターなど殆ど少ないと言えるが、本盤の録音当時のマゼールは、1960年代の前衛的で先鋭な演奏を繰り広げていたマゼールが1970年代から1980年代初頭のいわば中だるみの時期を経て、ベルリン・フィルの次期芸術監督を狙って再び野心的な演奏を繰り広げ始めた時期に相当する。

この時期のマゼールの演奏のすべてが素晴らしいとは言い難いが、それでもベルリン・フィルと録音したブルックナーの交響曲第7番や第8番など、今なおその価値をいささかも失うことのない素晴らしい名演の数々を生み出していたのも事実である。

本全集のメリットは、何と言っても全曲ともにオーケストラにウィーン・フィルを起用したことであろう。

個別の交響曲をウィーン・フィルと録音した例はそれまでにも何度もあったが、全曲に渡ってウィーン・フィルを起用した全集は本盤が初めてであり、その後も現在に至るまで皆無であると言える(DVD作品としてバーンスタインの全集があるが、第2番はロンドン響、大地の歌はイスラエル・フィルであった)。

いずれにしても、ウィーン・フィルならではの極上の美音が演奏全体を支配しており、これを聴くだけでも本全集の価値は高いと言えるのではないかと考えられる。

そして、マゼールのアプローチであるが、テンポが実にゆったりしているのに大変驚かされる。

バーンスタインやテンシュテットのようにドラマティックな劇場型演奏ではなく、むしろ曲想を丁寧に掘り下げて描き出していくという趣きがある。

しかしながら、随所に、いかにもマゼールならではの仕掛けが施されており、前述の中だるみの時期の演奏に時として聴かれたある種のあざとさが感じられないわけではないところだ。

もっとも、ウィーン・フィルの懐の深い美演が、そのようなあざとさを感じさせる箇所を解きほぐし、演奏全体として格調の高さを損なっていないというのが素晴らしい。

その意味では、ウィーン・フィルに始まって、ウィーン・フィルで終わるという演奏と言えるのかもしれない。

したがって、本全集をファーストチョイスとしてお薦めするというのはいささか気が引けるが、ある程度マーラーの交響曲を聴き込んだ熟達した聴き手には、マーラーの交響曲の違った魅力を発見することが可能な演奏として、一聴の価値のある全集と言えるのではないかと考える。

また、本全集に交響曲「大地の歌」が含まれておらず、マゼールは本全集に併せて録音を行わなかったようである。

マゼールは、その後、バイエルン放送響と同曲を録音(1999〜2000年)しているが、演奏はイマイチであることから、せめて本全集に併せてウィーン・フィルと録音しておけば、もう少しいい演奏を行うことが可能であったのではないかとも考えられるところであり、大変残念な気がするところだ。

録音は、1980年代のスタジオ録音であり、従来盤でも十分に通用する素晴らしい音質である。

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2014年02月26日


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これは知る人ぞ知る名演の代表格であると言える。

マゼールは、現在では高齢であることもあり、かつてのように聴き手を驚かすような演奏を行うことはすっかりと影を潜めつつあるが、1960年代から1970年代の前半にかけては、当時としては切れ味鋭い先鋭的な解釈を示すことが多かった。

楽曲によっては、いささかやり過ぎの感も否めず、そうした演奏に関してはあざとささえ感じさせるきらいもあったが、ツボにはまった時には、途轍もない超名演を成し遂げることもあった。

1970年代も後半になると、そうしたマゼールの鬼才とも言うべき性格が薄れ、やや面白みのない演奏に終始するようになってしまうのであるが、それでもベルリン・フィルの芸術監督を目指して意欲的な演奏を行っていた1980年代後半には、とてもマゼールとは思えないような円熟の名演を繰り広げる(例えば、ブルックナーの交響曲第7番)など、これまでの事績を考えると、マゼールこそは、やはり現代を代表する大指揮者の一人と言えるのであろう。

本盤に収められたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、マゼールがいまだ鬼才としての才能を発揮していた1974年に、ロシアの名ヴァイオリニストであるコーガンと組んでスタジオ録音を行ったものである。

当時のマゼールにはおよそ想定し難いような選曲であるが、これが実に素晴らしい演奏なのだ。

聴き手を驚かすような超個性的な演奏の数々を成し遂げていたこの当時のマゼールとは思えないような、徹底して自我を抑えたロマンティックの極みとも言えるような円熟の指揮ぶりであり、マゼールという指揮者がいかに潜在能力の高い指揮者であるのかが窺えるところだ。

おそらく、この演奏を指揮者を伏して聴いた場合、マゼールであると答えられる聴き手は殆どいないのではないだろうか。

両曲ともに美しいメロディ満載の協奏曲であるが、それらの名旋律の数々を、コーガンとともに徹底して歌い抜いているが、それでいて格調の高さを失うことなく、どこをとっても高踏的な美を失うことがない。

まさに、両曲演奏の理想像の具現化とも言えるところだ。

コーガンのヴァイオリン演奏も、鉄壁のテクニックをベースにしつつ、内容の豊かさを失うことがない申し分のないものであり、マゼールの円熟の指揮ぶりと相俟って、珠玉の名演奏と評しても過言ではあるまい。

いずれにしても、本演奏は、両曲の理想的な名演として高く評価したいと考える。

そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義がある。

いずれにしても、コーガン、そしてマゼール&ベルリン放送交響楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2012年08月26日


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本盤が録音された1981年といえば、マゼールがクリーヴランド管弦楽団の首席指揮者の最後の時期で、これからウィーン国立歌劇場総監督に就任という、最も上げ潮の時期であった。

これまで聴いてきた『惑星』の中でも、これこそ「決定的名演」といえるくらい素晴らしい。

この曲はまさにマゼール向きの曲であり、いろいろ他のディスクも聴いたが、やはりこれを上回る響きと色彩と迫力と構成感を持ったものはなかった。

まさにステレオを聴く醍醐味にあふれた素晴らしい演奏であり録音だと思う。

本当はクリーヴランド管と演奏しても悪くはなかったのだが、ここでは「人生で一番決定的な演奏を残そう」という思いからフランス国立管を起用したのは好判断だと感じた。

冒頭の「火星」から、金管や打楽器による除々に迫りくる緊迫した音色、「金星」では一変してホルンやヴァイオリンのソロによる静まりかえったような雰囲気はとても冴えている。

他の曲もテーマによってカムフラージュするオケとマゼールの指揮さばきは、聴く者を捉えて離さないといった性質を持っているように感じ得た。

マゼールのように、演奏スタイルがコロコロ変わる指揮者は、ワルターなど少数であるが、この時期のマゼールは、新しい解釈をしようという意欲が旺盛。

したがって、演奏によってはそれが空回りし、いささかやり過ぎの印象を与えるものもあるが、この『惑星』については、そうした表現意欲と楽曲の曲想が見事にマッチした名演になっている。

「火星」や「天王星」の終結部のように大見得を切る解釈や、「木星」の中間部の猛烈なアッチェレランドのように、いかにもこの時期のマゼールならではの意欲的な解釈も散見されるが、造型についてはいささかの弛緩もすることなく、統御が困難と言われるフランスのオーケストラを卓越した統率力でコントロールし、全体として個性的な名演を成し遂げた点を高く評価したい。

併録の「3つのオレンジへの恋」は、『ロミオとジュリエット』全曲でも名演を成し遂げ、プロコフィエフを得意としたマゼールならではの名演だ。

歯切れ良いリズムと豊かな表現づけが、バレエの明るい雰囲気を生き生きと伝えている。

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2012年08月25日


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マゼールはオーケストラを音楽的に煽り立て、聴き手を興奮させるのが巧みな、いわば"演出"に長けた指揮者といっていいだろう。

それが彼の音楽的共感の反映なのか、それとも職業的経験がなせる業なのか、判断しかねるけれど、多分両々相俟ってそうなるのではないか。

ただしここでのマゼールは、オーケストラを煽るのではなく、その自発性を引き出そうとしているかのよう。

名門集団は煽らずとも音楽的成果を上げ得ると確信していたからに違いない。

従って演奏全体には、いつもの彼より悠揚とした感じが漂っているような気がする。

フランス風のエスプリでもなければ、ラヴェルのスペイン趣味も聴かれない、鬼才マゼールの独壇場!

しかし一度聴いたらもう二度と忘れられないマゼール&ウィーン・フィルのラヴェル。

全曲通して、悪夢を見ているような濃厚さが強烈そのもので、これは、鬼才マゼールならではの個性的なラヴェルである。

もっとも《ラ・ヴァルス》と《ボレロ》は、いつものマゼールだ。

ただ、ウィーン・フィルのどこまでも美しく繊細で、なおかつ最強奏になっても決して気品を失わない演奏が、本盤の演奏を過激なものとしてしまう寸前で止める結果になっていると言える。

したがって、いわゆる名演というのには躊躇するが、ひと味もふた味も違う個性的なラヴェルを味わえるという意味では、一聴の価値が十分にあるものと考える。

ラヴェルの曲に落ちた黒い影を異常なまでにえぐり出した面白い1枚である。

SHM-CD化によって、相当な音質改善が図られているように感じた。

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2012年01月10日


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1974年3月25〜28日、ウィーン、ゾフィエンザールにおけるステレオ録音。

デッカならではの優秀録音による傑作。

驚異的なオーケストラ統率能力を誇るマゼールが、ウィーン・フィルの豊麗サウンドを完璧に生かした素晴らしい演奏で、ゾフィエンザールの優れた音響もあって各楽器の表情が実に豊か。

もちろんトゥッティの迫力もかなりのもので、終楽章コーダではウィーン・フィルがその実力をフルに発揮。

一方、長大なアダージョでの美しい響きも聴きもので、改めてこのオーケストラとデッカの相性の良さが実感できる。

ウィーン・フィルの楽員たちが「ここぞ!」と本気を出す姿を見てみたい曲は多々あるけれど、ブルックナーの《第5》の、それもフィナーレなんか最右翼だ。

2管編成のオーケストラが文字通りの総力戦を強いられる、対位法の大伽藍。

円熟期のベームや、晩年のカラヤンがこのシンフォニーをウィーンで吹き込まなかったのは残念でならない(最後のコラールなんか、いい音がしたであろう)。

意外と面白く聴けるのは、ウィーン・フィルが指揮者の棒の交通整理をやんわりと受けとめる体質を色濃くとどめていた1970年代に、マゼールと果たした録音だ。

この作品の緻密な構成を、しっかりととらえた演奏である。

終楽章の中核をなすフーガの、寄せては返す波のような(ffとppのパッセージが交替したりする)ダイナミックスの処理が実に手際よく、しかし音楽は決して矮小化せず、豊かな内実を保つ。

これがもし他の楽団だったら、才気に走った棒の交通整理ぶりが、多分鼻についたはず。

ただし、マゼールの指揮は、ブルックナーの音楽としては、洗練されすぎている感じで、もう少し、沈潜した宗教的な気分が欲しかった。

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2011年11月07日


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1990〜92年に録音された本盤は、1970〜2000年代を通して作られたマゼールのディスク中、出色の出来ばえを持つものである。

というか1950〜60年代には数多くの名盤を作りながらその後はなぜか凡打の山を築いているマゼールが、わずかにかつての栄光と無縁ではないことを想起させてくれる演奏内容だ。

ここに聴くシベリウスは、単に表面上の帳尻を合わせて、あとは"落としどころ"を心得た上で、スマートに仕上げるというような演奏(最近のマゼールには、こうした内容が多い)ではなく、意欲的な取り組み方で、その踏み込みは深くて鋭い。

シベリウス特有の音構造をよく体得した演奏で、楽想の渋い、重厚な響きがよく表されている。

格調正しい表現で、オーケストラをたっぷりと鳴らしながら、粘ることがなく、そのなかに豊かな抒情と憧憬感があり、地味ではあるがスケールの大きい演奏である。

ここにマゼールの進境が現れており、造形はマゼールらしくきりりと引き締められているが、音楽的にはまったく気負いがなく自然だ。

ことに印象的なのは第4番で、第1楽章冒頭の暗く冷たく重い響きのなかから幻想的な弦楽部主題が湧き上がり、夜明けの曙光のような金管のコラールが現れるあたりの音楽作りは圧倒的だ。

第2楽章のオーボエの背景にある弦の響きも北欧情緒を彷彿させる。

終楽章の弦楽部の彫琢は実に見事だ。

ピッツバーグ響との緊張した関係もスリリングで好ましい結果を引き出している。

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2011年09月15日


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今回の全集に収録された音源は、1999年の1月から3月にかけてミュンヘンにあるガスタイクのフィルハーモニーで行われたブルックナーの交響曲全曲演奏会をバイエルン放送がライヴ・レコーディングしたもの。

ブルックナーの交響曲をわずか3カ月で全曲(10曲)演奏し録音して発表するというのは、かつてはまったく考えられなかったことで驚いてしまう。

それでいて、全集総体としては水準の高い演奏が揃っている。

やると思えばなんでもやってしまう才人マゼールだから成し得たのであろう。

短期間のうちに収録されたため、音の傾向に統一感があるのも大きな長所となっている。

マゼールは1993年から2003年までの期間、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者を務めており、幅広いレパートリーの多彩な演奏でミュンヘンの聴衆を大いに沸かせていた。

当時のマゼールが大作交響曲を指揮したときの芸風は、細部表現を大切にしながらもスケールの大きな造形を志向したもので、そうしたアプローチはブルックナーやマーラーには大変ふさわしいものであった。

所謂インテンポのブルックナーではなく、かなり緩急の起伏が激しい。

すべてのシンフォニーを名演と評価するには躊躇せざるを得ないが、全体としては水準の高い演奏で構成された全集と評価してもいいのではないかと考える。
 
聴衆の賛否など気にせずに、いずれの曲も期待を裏切らない癖の強い演奏を展開し、しかも一定の説得力をちゃんと確保しているのだから大したものだ。

マゼールは、2012年には、ブルックナー演奏に伝統があるミュンヘン・フィルの芸術監督に就任する予定である。

3年間限定とのことであるが、本チクルスが短期間で集中して行われたことや、昨年末に我が国でベートーヴェンの交響曲全曲演奏を行った事実に鑑みれば、ミュンヘン・フィルとともに新チクルスを成し遂げる可能性は十分にあると考える。

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2011年08月10日


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ピアノの打楽器的な扱いや、断片的な旋律、さらに超人的なテクニックをエネルギッシュに盛り込んだバルトークのピアノ協奏曲第2番は、屈指の難曲として名高い。

リヒテルは難解な書物をわかりやすく咀嚼するかのように、きわめて音楽的にこれを処理してしまう。

怖いまでの音楽性とピアニズム!

シャープなリズム感、そしていかなる至難なパッセージも恐ろしくクリアに立ち上がらせる技巧、さらには攻撃的ともいえる表現の鮮烈さ等々、実にスリリングなシーンが連続する。

幽玄この上ない第2楽章と、エキサイティングな両端楽章との対比がすばらしい。

この演奏を基準にヴィルトゥオーゾを設定すれば、クリアするピアニストなど一握りにも満たないだろう。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第5番は、技術的には難曲だけれど、内容的には平明といえば平明、奥がありそうといえば奥がありそうで、その性格づけはなかなか難しい。

こうした曲をリヒテルが演奏すると、その圧倒的ともいえるようなグランド・マナーによって、きわめてスケール雄大に、しかも内容も濃く描き上げてしまう。

高度なテクニックを背景にして、雄弁きわまりない演奏が出来上がっている。

聴き終わると、密度の濃い演奏にふれたという充溢感が満ちてくる感じだ。

さすがリヒテルというところなのだろう。

また、ここでは指揮者マゼールも負けてはいない。

メリハリを強調した音楽づくりで、独奏者と堂々四つに組んでいる。

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2010年12月23日


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ミラノ・スカラ座の1985~86年のシーズンのオープニングに上演された際に、ほぼ同じ顔ぶれでスタジオ録音されたもの。

久しぶりに《アイーダ》の真価を存分に堪能させてくれる名演だ。

劇としての醍醐味と歌手陣の均衡、オケの充実が聴きものになっている。

まず、イタリア屈指のアイーダ歌い、キアーラが素晴らしい。

単に声の威力にまかせた歌の誇示ではなく、聴き手を優しく包み込んでしまう独特の魅力は、フレーニを除いては他に比肩するものを見出すのが難しい。

このキアーラと多彩な表現力をもつディミトローヴァという充実の女声陣に、ラダメスの名唱を聴かせるパヴァロッティ、ヌッチ、ブルチュラーゼ、ローニというベスト・メンバーによる熱演を、マゼールは、意欲あふれる指揮ぶりで、見事に統率し、悲劇的緊張と気迫にみちた、密度の高い音楽ドラマを生み出している。

歌手陣もマゼールの棒によく応えており、愛と憎しみが織りなすドラマを、オケと人声が一体となって浮かびあがらせている。

とくにパヴァロッティのラダメスの端正な歌いぶりは風格のある堂々としたものだ。

全体の聴き応えの点で先ず特筆すべきものであろうが、これほど充実した《アイーダ》はめったに聴けない。

いろいろな意味で《アイーダ》の演奏にはそれぞれの時代のイタリア・オペラ界の総力が結集されるとすれば、これは1980年代と90年代を代表する《アイーダ》と言ってよい。

キアーラのアイーダもまさにそれ。ディミトローヴァの両声具有的アムネリスもいい。

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2010年12月21日


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ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団を率いてマゼールが1970年につくった名盤。

若き日のマゼールの、意表をつくオーケストラのバランスや自由なテンポ・ルバートの妙が、痛快な面白さを与えてくれる。

主役にモッフォを起用していることからも明らかなように、これはいわゆる典型的な《カルメン》の演奏ではない。

だから泰西名画風の名演を期待すると裏切られるかもしれない。

だがここにおけるドラマの大胆な力たるや、尋常一様のものではない。

歌手陣もマゼールの破天荒な解釈にふさわしい名手達で、モッフォの妖艶なカルメンは、卑俗に堕する一歩手前で踏み止まった絶妙な味わいを聴かせるし、ドン・ホセのコレッリも抜群の存在感を示す。

エスカミーリョのカプッチッリは堂々たる美声の威力で男性的魅力にあふれた闘牛士像をつくり出している。

ところで、美貌を誇ったアンナ・モッフォだが、ディスク面でみると、とくにこれといったものはそれほど多くはない。

その中にあって、際立った存在が当《カルメン》盤であろう。

ここにおけるモッフォのカルメンは、指揮者マゼールがつくり出す音楽の中で、たいそううまく生かされている。

というか、彼女の声のなさ、表現が単調になりがちといった弱点が、巧みにカヴァーされている、といったほうがよいのかもしれない。

マゼールの音楽づくりによって、モッフォのカルメンが充分に血肉化している。

それにしても、ここに聴くマゼールの《カルメン》は、なんと大胆でスリリングなのだろうか。

その切り口の鋭さたるや、まさに天下一品である。

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2010年05月17日


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今でこそこの曲の全曲盤は、複数のCDがカタログに載っているが、1970年代の初頭という時代には、このマゼール盤が唯一だったのだ。

そして現在でも全曲としては、最もスタンダードな存在といえる。

劇的な演出と演奏力の充実で、彼の最も良い面を聴き取ることが出来る。

そしてこれはマゼールが、クリーヴランド管弦楽団の音楽監督になって、最初に録音されたナンバーにもかかわらず、彼は既にこのオケを完全に掌握し、意のままに導きながら、彼独自の音を創り上げている。

やや都会的に整いすぎていて、肌ざわりの冷たい演奏となっているが、オーケストラの技術的なうまさと、その華麗な色どりは抜群である。

そのリズムの扱い方、語り口の巧さはマゼールならではのものだ。

この時代の彼の芸風をストレートに伝えた、ディピカルな演奏に数えられていい。

その魅力はスリムに引き締まった表情、柔軟で鋭いリズム、それにクールなリリシズムに尽きるだろう。

有名なバルコニーの情景や、愛の踊りの場面などの、ロマンティックなムードにあふれた描写は秀逸で、マゼールの巧妙な棒さばきに、心を奪われてしまう。

これはマゼール会心の演奏といってよい。

同じ時期に録音したガーシュウィンの《ポーギーとベス》とともに、代表的傑作といえる。

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2010年03月28日


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1960年代(一部1950年代後半も入るが)のマゼールは、主に英デッカ、ドイツ・グラモフォンに録音を残しているが、それらはほとんど例外なくといっていいほど、どれも素晴らしい。

現在の彼が、たとえどれほど指揮のテクニックが向上し、貫録が増したとしても、真に芸術的な創作者として、彼は1960年代の彼を凌駕しきれないでいる。

そのことは、たとえば2種類ある彼のシベリウスの交響曲録音を比較してみれば、自ずと明らかといえよう。

1960年代に録音された本盤は、対象に向かって鋭く深く踏み込んでいこうとする気迫が、実に凄い。

マゼールは、シベリウスの心理的深みへと鋭く分け入った緻密で怜悧な演奏で、そこに近代人の閉塞的状況からの脱出口を見いだそうとする感動的名演。

すべてが強い上昇志向をもっていた1960年代という時代の精神と、正しく照応している。

マゼールとしては初期の演奏であるだけに、若々しい気概で率直な音楽を聴かせるのが興味深く、全曲を裸身のシベリウスというべき演奏で一貫している。

壮麗なオケの響きを絶えず押しとどめながら内面の葛藤を抉り出すマゼールの演奏の異常な緊張は、この曲から北欧の自然や、作曲された時代の背景にあるフィンランド独立運動への熱い共感を聴き取ろうとする人たちの反撥にもあった。

ウィーン・フィルの技術と合奏力に助けられた感もあるが、第1,2番の熱気あふれる表現はやはり当時の若々しいマゼールのものだ。

他の曲は精緻な演奏で作品のありのままの姿を表出しているといえるが、半面生硬に感じるところもある。

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2009年11月10日


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マゼールとウィーン・フィルによる全集の完成セット。

ウィーン・フィル時代のマゼールのひとつの頂点を築いた演奏といっていい。

ウィーン・フィルの素晴らしさを存分に堪能できるアルバムで、このコンビの充実ぶりを物語る最良の演奏である。

演奏は知的かつ入念・率直で、作品によっては構成の強靭さが印象に残る。

マゼールは、いつもながら細部にわたって十全の目配りで捉え、いささかの隙もみられない。

多様多彩な変化を、がっちりと押さえていく構成力、造形力はマゼールの最も得意とするところ。

変化に富んだテンポの揺れが、心理的に衝撃を与えたり、微妙な刺激を与えたりする。

その過半数はスコアに記されていないような変動だが、マゼールの手にかかると作曲者自らがそう考えて発想されたように聴こえるから不思議だ。

マゼールとしては、珍しいほど感傷的な音楽を作っている。

いささか人工臭もあるが、それはマーラーの本質にも関係していることである。

グロテスクになることを避け、ほどほどの表現強調で止めている演奏が多い今日、マゼールのアプローチは大胆を極め、グロテスクの中から、マーラーの人間性を、ある種の世紀末的デフォルメを含めつつ、明確に表現している。

刺激的な全集、これでマーラーへの関心がいっそうそそられる感じだ。

ショルティなどとは対極的な解釈といえる。

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2009年06月13日


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マゼールは、いつの時代においても先端に位置するような「売れっ子」なので、当然のことながらレコードの数も多い。

1950年代に始まった彼の録音歴は、60年代、70年代、80年代、90年代、そして2000年代へと、旺盛に持続されてきている。

その量的な意味でのムラのようなものは、ほとんどといっていいほど、ない。

しかしながら、マゼールの夥しい数のディスコグラフィを、その内容面からみると、ずいぶんムラのようなものがあることに気がつく。

すぐれた演奏、注目すべきものが、ほとんど初期の録音に偏ってしまっているのだ。

同曲異演盤をいくつか比較しても、それらは例外なく初期のもののほうがすぐれている。しかもかなりの差をつけて…。

こうしたことは、マゼールという指揮者を考えるうえでの興味深い点であり、同時に、彼の悲劇的な点でもあるのだけれど、そのような状況にあって、最近の録音のなかにも、初期のものに匹敵するようなすぐれた演奏内容をもっているものが、まったくないわけではない。すぐれたものがちらほらある。

たとえば、このベルリン・フィルとのブルックナー第8交響曲など、その代表的な1枚といえよう。

この演奏内容は、以前のマゼールのように大胆に曲の核心に踏み込んだという性格ではないけれど、全体を的確に見通し、随所に強靭な手応えをもつ表情をほどこしていった、隙のない出来映えである。

この録音は1989年に録音された。ときあたかも、ベルリン・フィルにおける「ポスト・カラヤン」が真剣に問題になっていた時期である。

そして、マゼールは自他ともに認める「ポスト・カラヤン」の最有力候補のひとりであった(それはアバドが選ばれていくようになるのは、既に周知の通り)。

こうしたマゼールによる暫くぶりの充実した演奏を聴くと、もしベルリン・フィルを彼が手に入れていたら、と改めて思わざるをえなくなってしまう。

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2009年04月04日


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同曲の初のステレオ全曲盤だった。

マゼールはこの作品をオペレッタでもミュージカルでもなく、ジャズ・ドラマやブラック・ブルース、あるいはプリ・ソウルのいずれでもなく、あくまでもオペラとして、古今のオペラの傑作に捧げるのと同じ配慮と献身をもって演奏している。

ガーシュウィンが活用している様々な素材や手法が周到にいかされているだけでなく、深い愛着と思い入れが加わって、演奏全体に一種の熱っぽい迫力さえ感じられる。

マゼールの棒があまりにも洗練されすぎているのと、ポーギーとベスを歌うホワイトとミッチェル以下、黒人ばかりのキャストでありながら、いずれも、やや型にはまった感じで、黒人的な体臭に欠けているのが残念だが、全体を骨太に、手際よくまとめているところがよい。

マゼールの手にかかると、この作品の随所にあらわれる「サマータイム」や「ベスよ、お前はおれのもの」といったポピュラー・ソングとなっているナンバーが、きわめて格調高く聴こえてくるから不思議だ。

マゼール指揮の演奏が圧倒的なことに変わりは無く、こうした通常のコンサートで指揮しない曲で示されるマゼールの鋭い洞察力と身に備わった劇的な構成を音で表す力量は凄い。

当時は無名だったキャストも主役2人を始めとして後に活躍している名前が多いことも注目される。

録音も含めてオペラの製作に歴史と経験を持つデッカならではの総合的な完成度の高さは、この曲を初めて聴く人にも必ず楽しめる配慮にあふれている。

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2008年11月02日


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「第7」はドヴォルザークの全交響曲の中でも、その恩師ブラームスの影響が最も大きく開花した傑作で、その後の「第8」「第9」に見られる民族的抒情性が抑制され、構築的な、よく書き込まれた作品となっている。

マゼール/ウィーン・フィル盤は、この曲のそうした側面を見事に引き出した名演。

特に第1楽章での、流麗なフレーズと、とつとつとしたブラームス的な後ろから押し上げる音型との対比は鮮やか。

中間楽章は、キメの細かな表情づけがウィーン・フィルののびやかな音色と相まって美しい。

そしてギクシャクした情熱を繰り返しぶつける終楽章まで、一貫してブラームスの「第3」を思わせるような濃厚な演奏に徹して成功している。

一見個性的だが、この曲の本質をよくとらえた名演だ。

マゼールはウィーン・フィルの美音を最大限尊重しつつ、知的な計算によってオーケストラをよく鳴らし、加えて起伏感もうまく表出している。

「新世界より」では、全体はさらりとした表情で速めのテンポで進行するが、勘所では実にニュアンス豊かに、気品高く音楽を歌わせ、リズムの抑揚の変化も自然で、いずれの面でも過不足がない。

マゼールならではの知・情・意のバランス良好な充実した演奏。

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2008年06月15日


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ベルリン・フィルのテラークへの初録音で、その録音は特筆すべき見事さである。

全4夜、14時間かかるこの超大作を、わずか70分に縮めた一大交響詩としているのがこのディスクの特色で、ただ単に聴きどころを集めた多くのハイライト盤にはない価値がある。

物語の流れにそって音楽を選びだしたもので、通常の「指環」の管弦楽曲集とは異なり、各作品からかなり細かい部分も採りだして、よりストーリーを重視した独自の構成をとっている。

マゼールの指揮は、ストーリーにそった、極めて精密な設計の行き届いたもので、切れ味のよい棒で丹念に描いており、ことにフィナーレの盛り上げ方の素晴らしさは、抜群だ。

マゼールはベルリン・フィルのもつ機能をシャープな感覚で生かし、輝かしく磨かれた響きと極めて幅広いダイナミックス、そして雄大なスケールで演奏している。

「ワルキューレ」や「神々のたそがれ」など、ひとつひとつのシーンが眼前に浮かんでくるようだ。

特に「ジークフリートの死と葬送行進曲」から「ブリュンヒルデの自己犠牲」にかけては圧巻で、息を呑むような素晴らしさだ。

マゼールは、まさに自分自身を出し切って、ワーグナーと勝負している。

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2007年12月03日


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以上、簡単に解説したが、曲に対する理解をより深めてくれる録音として、マゼール指揮ウィーン・フィルの演奏をあげたい。オケや合唱が極めて美しい。

その作品の巨大さの前にいつもひるみがちになるが、マーラー最大の傑作は第9番や「大地の歌」ではなく、この第8番ではないかと思っていた時期があった。

ここにはマーラーが人生を肯定的に捉えた輝かしい歓喜の調べがあり、音楽が諦観の表出ではなく、生きる希望の証ともいえる瞬間を聴き手にも与え得ることを実証した感動があると思ったからである。

第2部の最後「悔い改める方々よ」以降を耳にして覚える心の充実感は、まさに音楽を聴いて体感する最高の喜びであり、永遠の宝というしかないものである。

しかし、私の考えは変わった。やはり第9番が最高傑作であると。それは「霊感」の差だ。もっと言えば「意外性と必然性の一致、内容のシリアスさと技法的創意の一致」という点で、第9番はマーラーの創作の頂点をなしているのである。

マゼールはウィーン・フィルとマーラー交響曲全集を作るという快挙をやってのけたが、最高の演奏はこの第8番である。

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