内田 光子

2015年08月22日


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内田光子の円熟を感じさせる素晴らしい名演の登場だ。

内田光子と言えば、今や我が国にとどまらず、世界でも指折りの女流ピアニストと言えるが、今から30年ほど前は、ジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団をバックとしてスタジオ録音を行ったモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の演奏で知られる存在であった。

これら一連の録音は現在でも十分に通用するクオリティの高い名演であるが、内田光子はそうした当時の高評価に安住することなく研鑽に努め、シューベルトのピアノ・ソナタ集やベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集などの数々の歴史的な超名演を経て、現在の確固たる地位を築き上げてきたと言えるだろう。

そうした現代最高の女流ピアニストの1人となった内田光子が、数年前からクリーヴランド管弦楽団の弾き振りによって開始したチクルスが、まさに満を持して再録音に挑むことになるモーツァルトのピアノ協奏曲集である。

既に、第1弾(第20番&第27番)、第2弾(第23番&第24番)、第3弾(第9番&第21番)が登場しており、本盤は新チクルスの第4弾(第18番&第19番)ということになる。

第1弾、第2弾、第3弾ともに至高の超名演であったが、本盤の演奏もそれらに優るとも劣らない凄い超名演だ。

かつてのジェフリー・テイトと組んで演奏した旧盤とは比較にならないような高みに達しているとも言えるだろう。

それにしても、モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は、これまでの様々なピアニストの演奏にあったであろうか。

繊細な抒情に加えて、ここぞという時の力強さにもいささかの不足はないが、それでいて、時折見られる効果的な間の取り方は、殆ど名人芸の域に達しており、これは、内田光子としても、前録音から26年を経て漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

モーツァルトの楽曲は、ピアノ協奏曲に限らないが、一聴すると典雅で美しい旋律に時として憂いに満ちた寂しげなフレーズが盛り込まれているが、そうした箇所における表現が内田光子の場合は絶妙なのである。

各旋律における表情付けの意味深さは鬼気迫るものがあり、諸説はあると思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲の本質のベールが内田光子によってこそはじめて脱がれたとも言ってもいいのではないか。

これら両曲の演奏の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的と評しても過言ではあるまい。

モーツァルトのピアノ協奏曲に旋律の美しさ、聴きやすさ、親しみやすさのみを求める聴き手には全くお薦めできない演奏とも言えるが、モーツァルトのピアノ協奏曲を何度も繰り返し聴いてきた聴き手には、これらの楽曲の本質をあらためて認識させてくれる演奏であり、その意味では玄人向けの演奏とも言えるだろう。

本演奏は内田光子の弾き振りであるが、クリーヴランド管弦楽団も、内田光子の繊細なピアノに符合した、実に内容豊かでコクのある演奏をしているのが素晴らしい。

テイト盤はとにかくピアノとオーケストラが流れるように一体化した完璧な美しさと粒立ちの良いピアノの美しい音が際立っていたが、今回のクリーヴランド盤は各パートの演奏に個性と持ち味がしっかりと前に出ていて、自由闊達なピアノとの対話が面白い。

弦の各声部のディテールもしっかり聴かせ音楽がより鮮やかになり、またライヴなのでカデンツァ部分のさらに彫りの深い表現が絶品で、弱音と無音部分の息遣いが素晴らしい。

弾き振りのライヴ録音なので仕方がないのだが、当然内田の集中も分散されてるわけで、以前の流れるような美しさや速いパッセージでの丁寧なタッチが失われたのが少々残念だが、弾き振りならではのリズミックな縦の線を強調し各パートの生き生きとした表現がよりモーツァルトらしく思われた。

いずれにしても、本盤の演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲演奏の真の理想像の具現化と言っても過言ではない、至高の超名演と高く評価したい。

ピアノとの相性抜群のSHM−CDによる鮮明な高音質も、本名演に華を添えることになっており、高く評価すべきものと考える。

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2015年03月19日


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内田光子は近年クリーヴランド管弦楽団を弾き振りして、モーツァルトのピアノ協奏曲の再録音を進めているところであり、きわめて高い評価を得ているが、内田のモーツァルト弾きとしての名声を決定づけたのが、30年ほど前にジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団と共演した、この全集であった。

イギリスを中心に活動していた内田が、長年弾きこんできたレパートリーだけあって、まさに自信に満ちた演奏だ。

いずれも自然体で、音楽的で、上質で、熟し切った音楽性満点のモーツァルトで、内田のタッチのまろやかな響きが、細かい表情と結びついて音色が変化すると同時に、解釈に明快な意志を反映させ、演奏の細部にこだわる危険から救っている。

その根底にあるのは内田の豊かな自発性であり、繊細な感情の展開でも演奏は決して弱々しくならない。

「クレンペラーの再来」とまで言われていたテイトが、伴奏指揮をおこなっているのも聴きもので、充実した気力に基づきながら、細かい神経が行き届いており、イギリス室内管弦楽団もそれに敏感に反応している。

内田は、シンフォニックで格調の高いテイトの伴奏に乗って、造型的な美しさを存分に引き出し、一本強い芯の通った、感動的な音楽をつくりあげている。

内田のタッチは透徹したもので、きらきらときらめき、モーツァルトの気品高い音楽をリアルに再現している。

そして内田のモーツァルトは享楽的な要素が一切なく、きわめて集中度の高い求心的なものである。

真摯な作品への取り組みが表立ち、遊びの精神などかけらもないが、それだけにモーツァルトの天才性が、リアルに浮かび上がってくる。

やや聴き手に集中を要求するというしんどい面も確かにあるが、これだけ内面に踏み込んだ解釈はちょっとない。

その意味で特に第24番が素晴らしい名演で、内田の真摯なアプローチが奏功した、典型的な例と言えよう。

ほの暗い情熱を秘めたモーツァルトの怨念が、そびらに迫ってくるような迫力は格別である。

そして第2楽章と両端楽章のコントラストも鮮やかで、その均衡は実に天才的というほかはない。

第25番も内田らしい緊密な構成と、流麗な歌の精神が生かされた好例で、古典的な格調の高い演奏が味わえる。

第27番も推薦に値する。

磨き抜かれた美しいタッチ、それにどこまでも透明な濁りのない音色、これらはモーツァルトの晩年のピアノ曲には、不可欠の要素であるからだ。

内田の演奏はきわめて真摯なもので、贅沢を言えばもう少し遊び心が欲しいとも思うが、これだけ見事に演奏されていれば、文句のつけようもあるまい。

だが第26番「戴冠式」にはより華やかさと天国的な愉悦感があればと、ないものねだりもしたくもなる。

テイト指揮イギリス室内管弦楽団も素晴らしいバックをつけており、特に第23番はオーケストラとピアノの密着度が高く、交響的とも言える充実した響きを実現させて見事である。

テイトはモーツァルトの音楽の生き生きしたエネルギーを充分にとらえているが、常に自然な流れの中に導入しているため、エネルギーに押し流されることがない。

内田は表情を抑えても、その下に流れる感情の動きは常に自由であるために演奏が平板にならない。

つまり抑えようとしても抑えきれない自発性が、彼女の演奏に生命を与えているのであり、したがってどんなフレーズにも常に細かい表情があり、それにふさわしい音色を生み出しているのである。

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2014年02月06日


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内田光子と言えば、今や我が国にとどまらず、世界でも指折りの女流ピアニストと言えるが、今から30年ほど前は、ジェフリー・テイト&イギリス室内管弦楽団をバックとしてスタジオ録音を行ったモーツァルトの一連のピアノ協奏曲の演奏で知られる存在であった。

これら一連の録音は現在でも十分に通用するクオリティの高い名演であるが、内田光子はそうした当時の高評価に安住することなく研鑽に努め、シューベルトのピアノ・ソナタ集やベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ集などの数々の歴史的な超名演を経て、現在の確固たる地位を築き上げてきたと言えるだろう。

そうした現代最高の女流ピアニストの一人となった内田光子が、数年前からクリーヴランド管弦楽団の弾き振りによって開始したチクルスが、まさに満を持して再録音に挑むことになるモーツァルトのピアノ協奏曲集である。

既に、第1弾(第20番&第27番)、第2弾(第23番&第24番)が登場しており、本盤は新チクルスの第3弾(第9番&第21番)ということになる。

第1弾、第2弾ともに至高の超名演であったが、本盤の演奏もそれらに優るとも劣らない凄い超名演だ。

かつてのジェフリー・テイトと組んで演奏した旧盤とは比較にならないような高みに達しているとも言えるだろう。

それにしても、モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は、これまでの様々なピアニストの演奏にあったであろうか。

モーツァルトの楽曲は、ピアノ協奏曲に限らないが、一聴すると典雅で美しい旋律に時として憂いに満ちた寂しげなフレーズが盛り込まれているが、そうした箇所における表現が内田光子の場合は絶妙なのである。

各旋律における表情付けの意味深さは鬼気迫るものがあり、諸説はあると思うが、モーツァルトのピアノ協奏曲の本質のベールが内田光子によってこそはじめて脱がれたとも言ってもいいのではないか。

これら両曲の演奏の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的と評しても過言ではあるまい。

モーツァルトのピアノ協奏曲に旋律の美しさ、聴きやすさ、親しみやすさのみを求める聴き手には全くおすすめできない演奏とも言えるが、モーツァルトのピアノ協奏曲を何度も繰り返し聴いてきた聴き手には、これらの楽曲の本質をあらためて認識させてくれる演奏であり、その意味では玄人向けの演奏とも言えるだろう。

いずれにしても、本盤の演奏は、モーツァルトのピアノ協奏曲演奏の真の理想像の具現化と言っても過言ではない、至高の超名演と高く評価したい。

音質は、2012年のスタジオ録音であり、加えてピアノ曲との相性抜群のSHM−CDだけに、十分に満足できるものと言える。

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2014年02月02日


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内田光子は、モーツァルトの旧ピアノ協奏曲全集によって、その確固たる地位を確立したが、本盤は、その20年後の待望の新録音である。

自己を厳しく律する内田としては、旧全集の出来が素晴らしかっただけに、再録音には相当に慎重であったと思われ、新しいモーツァルト解釈への確信が得られるのに、必然的に20年の歳月がかかったということなのだろう。

それだけに、新録音では、旧録音とは異なり、特にK491の全般やK488の第2楽章で顕著であるが、万感の思いを込めた情感溢れる濃厚な弾きぶりが際立っている。

また、軽快なK488の第1楽章や第3楽章では、澄み切った抒情に満ち溢れており、内田のモーツァルトの解釈が、旧盤に比してより深まった印象を強く受けた。

テイト盤はとにかくピアノとオーケストラが流れるように一体化した完璧な美しさと粒立ちの良いピアノの美しい音が際立っていたが、今回のクリーヴランド盤は各パートの演奏に個性と持ち味がしっかりと前に出ていて、自由闊達なピアノとの対話が面白い。

弦の各声部のディテールもしっかり聴かせ音楽がより鮮やかになった。

またライヴなのでカデンツァ部分のさらに彫りの深い表現が絶品。

弱音と無音部分の息遣いが素晴らしい。

弾き振りのライヴ録音なので仕方がないのだが、当然内田の集中も分散されてるわけで、以前の流れるような美しさや速いパッセージでの丁寧なタッチが失われたのが少々残念だが、弾き振りならではのリズミックな縦の線を強調し各パートの生き生きとした表現がよりモーツァルトらしく思われた。

もちろん、旧盤の価値が新盤の登場によって減じるということはいささかもないと思われるが、新盤には、旧盤にはない奥深さがあるという点において、旧盤と並んで高く評価される名演であると考える。

SHM−CD仕様により、内田のタッチをより鮮明に聴くことができる点も素晴らしい。

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2014年01月30日


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ロンドンを拠点に活動しているピアニスト、内田光子2枚目のシューマン・アルバムの登場だ。

曲目は『ダヴィッド同盟舞曲集』と『幻想曲』というシューマン・ファンに人気のプログラムで、近年、いっそうの深化を遂げた内田光子ならではの高度な演奏を聴くことができる。

いかにも近年の内田光子ならではの深みのある名演だ。

シューマンのピアノ曲は、いずれも名作揃いだとは思うが、同時代のショパンなどとは異なり、アプローチの仕方によってはやたら理屈っぽい演奏になりがちである。

いずれも詩情に満ち溢れた作品ではあるのだが、組曲やソナタなど、比較的規模の大きい作品が多いだけに、全体の統一性など、どうしてもそれに捕われて、詩情を失ってしまいがちなことがその要因と言えるのかもしれない。

しかしながら、内田光子にはそのような心配は御無用。

全体として、前述のように曲の本質を深彫していくような深遠な表現を心がけてはいるが、シューマン特有の詩情豊かさにもいささかの不足はない。

特に、『ダヴィッド同盟舞曲集』にような作品集では、各曲の性格を巧みに描き分け、緩急自在のテンポを駆使して、これ以上は求められないような高次元の表現を成し遂げている。

『幻想曲ハ長調』は、まさに内田光子の独壇場。

これほど深みがあって、しかも情感豊かな演奏は、今や大ピアニストとなった内田光子にしかできない至高・至純の境地に達している。

本盤は、内田光子にとっても、15年ぶりのシューマンとのことであるが、他のシューマンのピアノ曲も、内田光子の演奏で是非とも聴きたいものだ。

シューマンの『ダヴィッド同盟舞曲集』、『幻想曲』と英グラモフォン誌の記者ジェイムス・ジョリーとの対談という形で、時折ピアノを弾きながらシューマンについて約29分にわたって熱く語ったインタビューも収録している。

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2014年01月28日


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シューベルトは、交響曲などのオーケストラ曲のジャンルにも傑作を遺しているが、どちらかと言えば、歌曲やピアノ曲、室内楽曲の方により傑作が多いと言えるのではないか。

このうち、歌曲についてはここで言及するまでもないが、ピアノ曲についても、ピアノ・ソナタを軸として即興曲や楽興の時など膨大な作品を遺している。

ピアノ・ソナタについては、ベートーヴェンの32曲にもわたるピアノ・ソナタがあまりにも偉大であるため、それに続く独墺系の作曲家はかかるベートーヴェンの作品を意識したせいか、シューマンやブラームスなど、ピアノ・ソナタについてはわずかの作品しか遺していない。

その例外がシューベルトであるが、シューベルトのピアノ・ソナタは、ベートーヴェンのそれとはまるで異なった独特の性格を有している。

シューベルトのピアノ・ソナタには、ベートーヴェンのピアノ・ソナタのいくつかの諸曲において顕著な苦悩から歓喜へと言った人生の闘争のようなドラマティックな要素など全くない。

それどころか、各楽曲における旋律は、ウィーン風の抒情に満ち溢れた美しさが支配している。

もっとも、一聴するとそうしたウィーン風の抒情に彩られた各旋律の端々には、人生への寂寥感や絶望感などが込められている。

とりわけ、最晩年の3曲のピアノ・ソナタ(第19〜21番)については、そうした人生への寂寥感や絶望感がさらに深く刻み込まれており、その内容の奥行きの深さ、深遠さにおいては、ベートーヴェンの最晩年の3つのソナタ(第30〜31番)やブルックナーの後期の交響曲(第7〜9番)にも比肩し得る崇高さを湛えている。

もちろん、これらの3曲のピアノ・ソナタにおいても、その表層は前述のようなウィーン風の抒情に彩られた美しい旋律が満ち溢れており、スコアの音符を精緻に音化しただけでもそれなりに美しい演奏になるが、そのような演奏では、これらの楽曲に込められた奥深い内容を描出することは不可能である。

その意味では、内田光子による楽曲の内容の精神的な深みを徹底して追求するというアプローチは本演奏でも見事に功を奏しており、本盤に収められたシューベルトのピアノ・ソナタのうち第15番以降の諸曲や、2つの即興曲集、そして3つの小品については、これらの各楽曲の様々なピアニストによる演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演に仕上がっていると高く評価したい。

とりわけ、最晩年の3曲のソナタの深みは尋常ならざるものがあり、本演奏を聴く際には相当の心構えがないと聴き通すこと自体が困難な峻厳さを湛えている。

他方、ピアノ・ソナタの中でも第14番以前の諸曲、そして楽興の時や6つのドイツ舞曲については、もちろん名演の名には値する立派な演奏であるが、いささか演奏自体が若干重々しくなってしまったきらいがあり、内田光子のアプローチには必ずしも符号しているとは言い難い作品なのかもしれない。

いずれにしても、本作品集全体としては、極めて優れた名演集と高く評価したい。

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2013年05月20日


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内田光子の円熟を感じさせる素晴らしい名演の登場だ。

約20年ほど前にも、内田はモーツァルトのピアノ協奏曲全集をジェフリー・テイトと組んで録音しており、それは内田光子の名声を確固たるものとする名演であったが、本盤が登場するに及んで、すっかりと影に隠れてしまった。

それほどまでに、内田光子のこの約20年にも及ぶ道程は、きわめて意義深いものであったと言える。

モーツァルトの傷つきやすい繊細な抒情を、これほどまでに意味深く演奏した例は過去にあったであろうか。

第20番など、何気なく開始されるのに、聴き進むに及んで、音楽の内面から浮かび上がってくるモーツァルト渾身の魂の響きは、あまりにも繊細にして優美であり、涙なしでは聴けないほど感動的だ。

内田光子の弾き振りであるが、クリーヴランド管弦楽団も、内田光子の繊細なピアノに符合した、実に内容豊かでコクのある演奏をしているのが素晴らしい。

第27番も素晴らしい超名演。

モーツァルトの畢生の名作を、これ以上は求め得ないような透徹した表現で弾き抜いている。

繊細な抒情に加えて、ここぞという時の力強さにもいささかの不足はないが、それでいて、時折見られる効果的な間の取り方は、殆ど名人芸の域に達しており、これは、内田光子としても、前録音から約20年を経て漸く到達し得た至高・至純の境地と言えるだろう。

ピアノとの相性抜群のSHM−CDによる鮮明な高音質も、本名演に華を添えることになっており、高く評価すべきものと考える。

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2013年01月08日


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いかにも近年の内田光子ならではの深みのある名演だ。

シューマンのピアノ曲は、いずれも名作揃いだとは思うが、同時代のショパンなどとは異なり、アプローチの仕方によってはやたら理屈っぽい演奏になりがちである。

いずれも詩情に満ち溢れた作品ではあるのだが、組曲やソナタなど、比較的規模の大きい作品が多いだけに、全体の統一性など、どうしてもそれに捕われて、詩情を失ってしまいがちなことがその要因と言えるのかもしれない。

しかしながら、内田光子にはそのような心配は御無用。

全体として、前述のように曲の本質を深彫していくような深遠な表現を心がけてはいるが、シューマン特有の詩情豊かさにもいささかの不足はない。

特に、「ダヴィッド同盟舞曲集」にような作品集では、各曲の性格を巧みに描き分け、緩急自在のテンポを駆使して、これ以上は求められないような高次元の表現を成し遂げている。

「幻想曲ハ長調」は、まさに内田光子の独壇場。

これほど深みがあって、しかも情感豊かな演奏は、今や大ピアニストとなった内田光子にしかできない至高・至純の境地に達していると言える。

本盤は、内田光子にとっても、15年ぶりのシューマンとのことであるが、他のシューマンのピアノ曲も、内田光子の演奏で是非とも聴きたいものだ。

ここで辛口の一言を言わせてもらいたい。

いつぞやのグラミー賞が発表された時、日本では「ビーズの松本」だけ。

ニューヨークタイムズやロイター通信よく見てみなさい。

どこも「Mitsuko Uchida」ですよ。

日本のマスコミは無教養、大衆も無知下品、芸術とは無縁の人達といえよう。

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2011年01月01日


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内田光子のシューベルトは、モーツァルトと共に彼女の定評あるレパートリーとなっている。

ソナタ第21番をメインとするこのシューベルト・アルバムは、内田自身の所有するピアノを、ウィーンのムジークフェラインザールに持ち込んでの録音である。

理想の響きを探求し、音作りに打ち込んだ彼女の演奏では、音色のひとつひとつが輝きを放つが、特に弱奏の繊細な美しさは印象的である。

そして彼女は、作品と親密に対話しつつ、この長大な変ロ長調のソナタ独特の息の長い旋律線を、丹念に紡いでいる。

さらに、まるで言葉を発しているかのような叙情的な語り口で弾き進め、音楽の流れのなかに自身の感情の起伏を融合させてゆく。

この演奏を聴いていると、シューベルトが歌曲にのみ本領を発揮した叙情作家という通説に疑問を抱かざるをえなくなる。

悪夢と祈りのあいだを往復しながら果てしなく広がって行く深遠な音のドラマの世界は、ベートーヴェン後期のソナタにも比肩する。

弱音や休止符の持つ説得力でこの内田を越えるピアニストは現在ほかになさそうだ。

リヒテルの同曲の録音もこれに似た訴えがあったが、音質があまり良くなく、CDではそれが音になっていない。

内田の場合は録音が優秀で、このシューベルトの最後のソナタを収めた1枚、とりわけ安らぎと祈りに満ちた第1楽章の最初の主題の比類のない出し方を目の前で弾いているようにとらえた録音スタッフにも脱帽。

モダンのピアニストのなかでもとりわけ鋭敏な和声感覚によって、連綿とした歌とともにうつろいゆく音色の変化をしっかりととらえている。

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2010年12月10日


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近年の円熟ぶりが特筆される内田光子から贈られた宝石のようなシューベルト。

愛用のスタインウェイをシューベルトと内田自身にとって思い出深いウィーンの、それもムジークフェライン大ホールに持ち込んでの録音。

ピアノの音の純粋な美しさ、心の襞に寄り添うような自然な情緒表現が素晴らしい。

シューベルトの後期のピアノ曲群は、梅毒に罹患後、死への歩みを進めていく作曲者の見た憧れと絶望が、悲しいほどの美しさを湛えつつ描かれている。

このシューベルトの音楽の持つ"魔"と"深淵"を、内田光子はまったく奇を衒うことなく描き出している。

時に伝統的な語法に従い(作品90の1)、時に大胆に自己の発見と主張を押し出し(作品90の4)つつ、内田光子はシューベルトの"真実"を新鮮にわれわれに提示してくれる。

作品に向けられる眼差しが予想を超える緻密さと繊細さをもち、それが演奏のあらゆる細部に反映されて動かし難い説得力となっている。

作品はここまで推敲され、演奏はここまで妥協なく磨き上げられなくてはならぬのかと頭が下がる。

しかし内田光子が傑出しているのは、そうした推敲の痕跡を見せるのではなく、こうして到達された頂きが限りなく大らかで自然な点だろう。

結果としての演奏は不思議なほど伸びやかで、愛すべき歌の心にあふれており、シューベルトならではのロマンティシズムに陶酔する至福を約束する。

聴き手も詩人にする演奏といってもよいだろう。

近年の最も優れた演奏。

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2009年05月19日


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内田光子がこの2曲をきわめて集中度の高い演奏で、素晴らしい録音を残している。

モーツァルトのピアノ・ソナタや協奏曲に取り組んでいた内田が、新たにショパンに取り組んだ最初の録音である。

内田はモーツァルトの演奏で世界的な定評をもつが、ショパンでも非凡な名手であるのが確認された。

ロマンティックな情緒は充分だが、ムードに流されない意志の強さがあり、ソナタとしての構成感をはっきりと打ち出しているのは、彼女が並のピアニストでない証拠である。

実に入念にひきこんだ演奏で、その落ち着きと、楽譜の読みの深さには心をひかれる。

音色的にも洗練を極め、和音においても決して汚い音を発しない。そして様式的な描き分けも充分で、きわめて知的な解析を得たショパンである。

内田はモーツァルト演奏でも示したように、独自の新鮮なショパン解釈をはっきりと提示している。

作品、あるいは楽章をまとめて全体としてのドラマを作るというより、それぞれの箇所に秘められた音楽的情報を綿密に解明していくという基本的な方法論は、このショパンでも明らかである。

これは、いわば伝統的ショパンにおいてつきまとう、一種のムードとでもいうべきものを払拭し、的確に今日の眼と耳でとらえたショパンだ。

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少女時代にヨーロッパに渡り、現在もロンドンを中心に活躍している内田は、きわめて国際的な感覚を身につけたピアニストで、海外での評価もすこぶる高い。

すでにモーツァルトのスペシャリストとして知られており、ピアノ・ソナタ全集とピアノ協奏曲全集を完成している。

内田は魅力あるモーツァルトを聴かせる、世界に通用する"モーツァルト弾き"だ。

内田はニュアンスに富んだ美しい響きを武器に、たんに優美な再現を目指したのではなく、モーツァルトの無邪気な笑顔の下に隠された哀しみも合わせて捉え、それによってしみじみとした味わいを生み出す。

これが魅力あるモーツァルトになったゆえんだ。

音色は透明を極め、しかも形式的にもしっかりと整えられ、古典的な格調の高い見事な名演になっている。

いわゆる異国趣味を前面に押し出すこともなく、きわめて集中度の強い厳しい筆致のモーツァルトとさえいえる。

モーツァルトのソナタの多彩さを知ることができるのも、この全集のメリットでもあろう。

内田のモーツァルトは、享楽的な気分で聴けないのが、特徴でもあり好悪の分かれるポイントだろうが、これだけ愉悦感にあふれた音楽をつくることができれば、立派だ。

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2008年12月12日


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ドビュッシーの書いたピアノ独奏用のための最後の作品。

彼はこの曲の最後に「ショパンの思い出のために」ということばを記している。このことからも、いかに彼がショパンの音楽を敬愛していたかがよくわかるであろう。

曲は2集からできており、各集には6曲ずつが入っている。

この練習曲には、作品に知的にアプローチする能力、知的解釈と音楽的感性を一体化させる能力、そしてそれをリアリゼーションする演奏技術と造形力における完璧性など、今日のピアニストに要求されるすべてのものがある。

内田光子の演奏はそうした要素を完全に満たした、実に素晴らしいものだ。

彼女の各曲に対する見事なまでの的確な解釈は、それぞれの曲の個性を2倍にも3倍にも強く聴き手に理解させる。

内田の演奏には、常に彼女の感性と知性によって洗い直された"新しい美"の発見がある。

このドビュッシーの練習曲をいささか難解で不得手な聴き手をも納得させ、魅了してしまうだけの濃い内容を持っている演奏である。

知に流れず、理に走らず、情に流されない。

知性・理性・感性(感受)のいずれもが、絶妙なバランスで融合し合い、それを集中力に満ちた技術が、見事に音化している。

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2008年07月21日


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内田光子といえば、まずこの全集が代名詞のごとく浮かび上がる。一躍モーツァルトのスペシャリストとしての真価と国際的な名声をかち得た記念碑的なアルバムといってよいだろう。

彼女はこの録音に6年の歳月を費やしているが、ブレンデル盤の15年に比べればはるかに短く、演奏スタイルにも一貫性がある。

そのためか全集としてのまとまり、ひいては彼女の揺るぎないモーツァルト観が強く打ち出された印象となっている。

内田のモーツァルトには、鋭い感性で切り込んでいき、ついには核心を探りあてていくような直截に肌で感じられる感覚的な楽しみがある。

テイト&イギリス室内管弦楽団が、そうした彼女の"生きた"アプローチを尊重しつつ、打てば響くように反応し、さらに増幅して弾くところにいまひとつの妙所がある。

両者の蜜月時代を思わせる表裏一体化した解釈とアンサンブルは、各曲の持ち味を自然発生的に滲み出させており、それはほぼ全曲にわたってムラなく達成されているところが素晴らしい。

第20番以降の8曲は、いずれも玲瓏としたピアノの音質と、隙のない緻密な彫琢によって、それぞれの魅力を十分にしぼりとった非の打ちどころのない名演。

それに劣らず、前半の見落とされがちな作品の一つ一つからは、自然に息するように生彩に富んだ表現が浮かび上がってくる。

彼女自身の手になるカデンツァも、ケレンがなく絶妙である。

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2008年02月24日


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1823年頃から自覚症状を示し始めたシューベルト不治の病《梅毒》は、シューベルトの音楽に、絶望的な此岸と、手の届かない幸福への憧れという彼岸の両面を刻み始める。

実生活の不幸や苦悩は、シューベルトにあっては音楽に昇華されることなく、私小説の如くに、むしろ作品の中へと吐露されていくこととなる。

かつてのロマンティックなシューベルト像(それは、例えばベルテのオペレッタ「シューベルトの恋」や映画「未完成交響楽」によって描かれたシューベルト)に基づいたシューベルトの後期解釈は、時代の進歩とともに過去のものとなりつつある。

内田の弾く、この不気味なまでに傷つきやすい魂は、この2曲の真の姿である。

内田光子は、目下シューベルト弾きとして、世界でも指折りの存在に駆け登ったと言えるのではないだろうか。

「レリーク」と「幻想」ソナタ2曲も、恐ろしく完成度の高い立派な演奏である。

隅々まで濃密な表情でびっしりと埋めつくされ、およそ一瞬たりともテンションの緩むことがない。

「レリーク」のとりわけ第2楽章が、絶品といえる素晴らしい出来だ。

さらに欲を言うなら、どこかにもう少し、ほっと息を抜けるようなリラックスした歌の柔らかく漂うシーンがあってもよいと思うのだが、さながら匠の手になる手の込んだ工芸品のような、見事なまでの仕上がりには、つくづく驚嘆した。

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