シャイー

2017年03月14日


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ミラノ・スカラ座はイタリア・オペラの殿堂として200年以上に亘って多くの名作の初演を果たしてきた。

このディスクに収録された序曲、前奏曲及び間奏曲を含むオペラは、レオンカヴァッロの2作品を除いた総てがスカラ座で日の目を見た作品になる。

その殆んどが親しみ易いメロディーとシンプルで明快な和声から成り立っていて、曲によっては馬鹿馬鹿しいほどあっけらかんとしている。

後はカンタービレを縦横に歌わせながら劇的な対比をつけて如何に舞台の雰囲気を高めるかにかかっている典型的なイタリアン・スタイルを踏襲しているので曲自体に深い意味合いを求めることはできないが、歌手達を引き立てるための気の利いたアクセントと言ったところだろう。

しかしイタリアのオペラ作曲家達は劇場という虚構の空間の中でこそ最大限の効果を発揮させる劇場感覚に長けていたことは確かだ。

またこうした短い管弦楽曲を効果的に演奏するには、気前の良い表現とオーケストラをその気にさせるカリスマ的煽動が不可欠になることは言うまでもない。

このアルバムはゲヴァントハウスから故郷に戻ったシャイーの、これから取り組むであろうイタリア・オペラへの軽妙洒脱な指揮法を披露したサンプラー的な1枚だ。

歴代のスカラ座音楽監督を見てみると、トスカニーニ、セラフィン、デ・サーバタ、ジュリーニ、アバド、ムーティ、バレンボイムという錚々たる指揮者がオペラやバレエなどの上演を支えてきたが、今年2017年からはシャイーが就任して奇しくも再びイタリア人の手に委ねられることになった。

現在のスカラ座フィルハーモニー管弦楽団は、それまで劇場附属のオーケストラだった彼らがアバドの提言によって1982年に独立し、オフシーズンに自主的な運営でコンサート活動を行うようになったものである。

とはいえ、それ以前から彼らはワーグナーの楽劇のイタリア初演などでお国物以外の作品にも精通していて、イタリアのオペラ劇場の中でも最もインターナショナルな感覚を持ったオーケストラだったために、古典から現代に至るドイツ、フランス系作品の幅広いレパートリーも受け継いでいる。

ドイツのオーケストラに比べればいくらか線が細く、分厚いサウンドよりも明るく屈託のない表現を得意としていて、このアルバムでも彼らの水を得た魚のような開放的で力強い表現を聴くことができる。

17ページほどのライナー・ノーツには収録曲目と録音データの他に英、仏、独、伊語による簡易な楽曲解説が掲載されている。

音質は極めて鮮明。

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2016年11月29日


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メシアン(Olivier Messiaen 1908-1992)はフランスの作曲家で、最近まで現代音楽の代名詞のような作曲家であった。

現代では、もう少しロマン派よりの立ち位置を与えられることもあるが、ブーレーズ(Pierre Boulez 1925-)、シュトゥックハウゼン(Karlheinz Stockhausen 1928-2007)とともに第2次大戦後の現代音楽の潮流を作った象徴的音楽家。

本盤は、メシアンの代表作の1つであり、20世紀の記念碑と言うべきトゥーランガリラ交響曲(フランス語: La Turangal'la-Symphonie)を収録している。

リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953 -)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるメシアンが亡くなった年の録音で、ピアノにティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)、オンド・マルトノ奏者を原田節が担当している。

インドの異教的世界観にインスポレーションを得た作曲家は、主として鳥のさえずりのモティーフを奏でるピアノと艶っぽい響きが特徴のオンド・マルトノを独奏楽器として扱い、打楽器と金管を増強した3管編成のオーケストラで、「忘我の喜悦をもたらす愛」を歌い上げる極彩色の音絵巻を作り上げた。

メシアン自身の解説によれば、トゥーランガリラは仏典などに用いられるサンスクリット語(梵語)で、愛の歌を意味すると同時に、歓び・時・リズム・生と死への賛歌でもあるという。

複雑極まるポリ・リズムと想像を絶する多くの音を駆使して書き上げられた全10楽章から成るこの大作は、1980年代半ばから録音される機会が増え、サロネン(85年)、チョン(90年)、ヤノフスキ(92年)、シャイー(同)の各盤が続いていて、若手の優れた指揮者がこの大作に挑んできた。

この曲もついにオーケストラのレパートリーに加えられるときを迎えて、初演の独奏者であるロリオ姉妹以外の演奏家による録音も増え、作品の普遍性を裏付けている。

楽器の中では特にピアノとオンド・マルトノ(Ondes Martenot)が重要な役割を担っていて、ガムラン的な奏法を求められるピアノは、同時にメシアンの諸作品で暗示的に登場する「小鳥のさえずり」を表現している。

また電気楽器の一種であるオンド・マルトノが独特の音色により、全曲に不可思議な効果を与えている。

さて、このディスクを聴いて第一に思うのが、シャイーのこの音楽への素晴らしい「適性」である。

このメシアンも、例えばこの録音以前で評判の高かった小澤の録音と比べると、ややテンポは速めをとることが多いのだが、そうであって、初めて何か音楽を俯瞰できるような感触を得るように思えて、その印象を、一言で「適性」と表現してみた。

シャイーはコンセルトヘボウ管弦楽団のバランスのいい響きによって、ドラマティックな、振幅の大きい音楽づくりをみせている。

ベリオの《シンフォニア》などで現代作品にも快演を聴かせたシャイーだが、ここでも持ち前の研ぎ澄まされた音への執着をあらわにしながら、同時に恰幅のよい音楽を作っている。

オーケストラの個々の楽器が際立ち、雄弁に歌っているのが特徴で、ことに木管の表情の豊かさは古今の演奏のなかでピカ一である。

前半、第1〜5楽章の高揚、第6楽章「愛の眠りの園」で静まるものの、第7〜10楽章で再び盛り上がってゆく。

その間ずっと緊張を持続させたシャイーの力量、そしてこの曲をいわゆる狷饅造文渋絏山抬瓩ら解放した彼の力量は、並外れて大きく、この曲に必要な神秘感も不足していない。

ティボーデと原田の好演もポイントで、演奏至難なピアノであるが、オーケストラの打楽器陣と調和して、適切なスケーリングを維持しており、技巧的にも問題がない。

原田はこの交響曲に欠かせないスペシャリストであり、オンド・マルトノは適度な下品にならない不気味さ、そこにやや悲しい感情が宿されているのが美しい印象につながる。

ソリストが若返って、音の変化がより鋭角になった感があり、特にオンド・マルトノの膨らみのある音色が、かなり明瞭に感じられる。

シャイーの演奏からは情熱の要素は多く感じられないだろうし、韜晦や晦渋とは無縁で、熱狂的な陶酔からはやや距離があるかもしれないが、そのバランス感覚こそ、この人の最大の美点に他ならない。

この作品で、これだけオーケストラの客観的な美しさを確立できる人というのは、そうはいないはずだ。

デッカの素晴らしい録音技術と相俟って、いまなお同曲の代表的録音として推すのをためらわないアルバムだ。

特筆すべきは、ピアノと打楽器系の抜けの良い音質で、ガムラン的効果を狙った複雑な打楽器のテクスチャーが、見事に立体的に浮かび上がってくる。

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2015年08月14日


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2013年にヴェルディとワーグナーという、どちらも劇音楽の大家でありながら一方は人間の喜怒哀楽を、そして他方は神々の世界を執拗に描いた音楽史上対照的な2人の作曲家の生誕200周年記念を迎えたことで、既に複数のレーベルからオペラ全集を始めとするセット物がリリースされている。

既に60歳を越えたリッカルド・シャイーがヴェルディ・イヤーに因んでスカラ座フィルハーモニー管弦楽団を振ったこのセッションはその先鞭をつけたものだ。

様式化された番号性オペラに則って、ひたすら声を響かせることによって究極の人間ドラマをものしたヴェルディの作品では、序曲や前奏曲はあくまでも劇的な雰囲気を演出する手段であって、ライトモティーフを始めとするワーグナーの複雑な心理手法とは異なる、より視覚に訴えた劇場空間でこそ効果を発揮するものだ。

だからこのようなアンソロジーは下手にいじるより、彼の指揮のようにストレートに表現するのが理想的だ。

そのあたりはさすがにイタリアのマエストロの面目躍如で、オーケストラを人が呼吸するように歌わせながら、流れを止めない推進力と屈託のない明るい音色を極力活かしている。

リリカルなものとしては『椿姫』第1幕への前奏曲、ドラマティックな表現としては『運命の力』序曲が聴きどころだが、このCDには普段あまり聴くことのない『海賊』や『ジョヴァンナ・ダルコ(ジャンヌ・ダルク)』そして『イェルサレム』などからもピックアップされているところにシャイーの一工夫が見られる。

名門スカラ座フィルハーモニー管弦楽団はアバドによって1982年に正式に組織されたオーケストラだが、その母体は1778年に劇場と同時に設立された専属のミラノ・スカラ座管弦楽団としての伝統を持っていて、トスカニーニやデ・サーバタなどの指揮者による名演も数多く残している。

彼らの演奏の白眉は何と言ってもオペラやバレエを始めとする舞台芸術作品だが、アバド以来国際的なトゥルネーに出てベートーヴェンやマーラーなどのシンフォニック・レパートリーも披露している。

リッカルド・シャイーとは既に1995年のセッションでロッシーニ序曲集をやはりデッカからリリースしていて彼らの久々の協演になる。

今回のアルバムでも言えることだが、オーケストラはいくらか線の細い明るい音色を持っていて、決して重苦しくならない柔軟で解放的な響きが特徴だ。

2012年の録音で音質、臨場感共に極めて良好。

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2014年10月19日


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イタリアが誇るジャズとクラシックのトップ2共演がついに実現し、ガーシュウィンの演奏に新風を吹き込んだ異色の名演だ。

シャイーは、この録音当時、手兵ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とともに、バッハ、シューマン、メンデルスゾーンなどのドイツ音楽の演奏を主として行っており、その結果は、現時点においては玉石混交と言ったところである。

しかし本盤では、得意ジャンルの音楽であるせいか、久々にその本領を発揮、まさに水を得た魚のような生命力溢れるノリノリの指揮ぶりが見事である。

イタリア・ジャズ界の逸材でもあるステファノ・ボラーニのピアノがこれまた素晴らしい。

その卓越した技量とセンス満点の音楽性には抗し難い魅力があり、クラシック音楽とジャズ音楽の境界線にあるガーシュウィンの音楽を精緻に、そして情感豊かに描き出すとともに、軽快にしてリズミカルな躍動感にも際立ったものがある。

同国人であることもあり、シャイーとボラーニの息はぴったりであり、両者の火花が散るようなドラマティックな局面においても、豊かな音楽性と愉悦性をいささかも失わないのは驚異の至芸である。

自由奔放なボラーニのピアノを、シャイーが歌心満載の伴奏でサポートしている。

そして、この両者を下支えするのがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の好パフォーマンスだ。

いぶし銀の重厚な音色を基調とするこのオーケストラとガーシュウィンは、本来的には水と油の関係にあるとも言えるが、シャイーによる薫陶もあって、光彩陸離たる色彩感豊かな演奏を繰り広げるとともに、とかく軽妙浮薄な演奏に陥りがちなガーシュウィンの音楽に適度な潤いと深みを付加し、従来のガーシュウィンの演奏とは一味もふた味も違う清新な新鮮味を加えることに成功した点を忘れてはならない。

特に「ラプソディ・イン・ブルー」はジャズ・バンド・バージョンで、バッハのお膝元ライプツィヒの名門オケとは思えない、グルーヴ感溢れる演奏。

シャイーが就任してから、ゲヴァントハウスの何が変わったかというと、リズム感ではないだろうか。

現代音楽を得意とし、複雑なリズムの現代曲を演奏させることも多いシャイーのもとで、リズムのキレやアンサンブルが一層研ぎ澄まされたように感じる。

録音も鮮明で素晴らしい。

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2013年05月21日


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イタリア人指揮者ではアバドやシノーポリとともにマーラーの交響曲を積極的に採り上げてきたシャイーであるが、本盤に収められたマーラーの交響曲全集は、1986年から2004年というほぼ20年という長い歳月をかけて完成されたものである。

これだけの歳月をかけているだけに、第1弾の第10番と掉尾を飾る第9番では、シャイーの芸風も相当に変容していると言えなくもないが、基本的なアプローチ自体はさしたる変更がないのではないかとも考えられる。

シャイーのマーラーは、例えばバーンスタインやテンシュテットのようなドラマティックの極みとも言うべき激情型の演奏を行うというものではない。

さりとて、シノーポリのように楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした明晰な演奏を行っているわけでもない。

また、ブーレーズのように徹底した精緻さに拘った演奏を行っているわけでもない。

では、どの指揮者のマーラーに近いかというと、これには様々な意見があるようであるが、基本的なアプローチとしては、ティルソン・トーマスやマーツァルのように、オーケストラを無理なくバランス良く鳴らし、マーラーの作曲した数々の旋律を実に明瞭に美しく響かせるべく腐心していると言えるのではないだろうか。

これに、ベルリン・フィルの芸術監督に就任する前のアバドのマーラーの特徴でもあった、豊かな歌謡性と気迫溢れる圧倒的な生命力が付加され、まさに豊かな色彩感と歌謡性、そして力感が漲った生命力を兼ね備えた明瞭で光彩陸離たるマーラー演奏の構築に成功したと言っても過言ではあるまい。

加えて、シャイーの演奏は、ベルリン放送交響楽団と録音した第10番を除いては、すべての交響曲がロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団との録音であり、しかも録音会場は、豊麗な響きで誉れ高いコンセルトヘボウ・ホールである。

そして、英デッカによる極上の高音質録音も相俟って、各楽器セクションが鮮明に分離するとともに、他の指揮者による演奏では殆ど聴き取れないような音型を聴き取ることができるのも、本全集の大きなメリットであると考えられる。

本全集には交響曲「大地の歌」や主要な歌曲集が含まれていないのは残念ではあるが、他方、交響曲第10番はアダージョだけでなく、最新のクック版使用による全曲版を使用しており、収録曲については一長一短があると言えるのかもしれない。

いずれにしても、本全集は、マーラーの交響曲の華麗なるオーケストレーションの醍醐味を、SACDによらない通常盤(とは言っても、「第3」及び「第9」はマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD化がなされている)によって現在望み得る最高の鮮明な音質で味わうことができるという意味においては素晴らしい名全集と高く評価したい。

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2012年09月12日


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2005年9月2日、ライプツィヒ、新ゲヴァントハウスでのライヴ録音。

このディスクに収録されたメンデルスゾーンはいずれもオリジナル・エディションを採用という非常に興味深い演奏内容。

固めに引き締まったトランペットのサウンドが印象的な『真夏の夜の夢』序曲も聴きものだが、何といっても注目は交響曲と言える。

第1楽章冒頭の格調高い金管に、どっしりと腰を落とした弦の旋律、ハーモニーは絶品で、続く第2楽章では特に管楽器のコラールが極上の響きを醸し出す。

第2部となる第4楽章以降のカンタータにおける荘厳で、柔軟性にも富んだ合唱は何とも魅力的で、ここにおける至福の響きは録音の少ないこの第2番における新たな名盤の誕生を印象付けている。

メンデルスゾーンの「第2」は傑作であるにもかかわらず、独唱や合唱が入ることや、1時間近くも演奏に要することもあって、録音点数がきわめて少ない楽曲である。

そのような中で、シャイーが、本盤で2度目の録音を行ったというのは、メンデルスゾーンへの深い愛着と、知る人ぞ知る傑作への理解を示す証左と言うべきであろう。

前回の録音と異なるのは、初版を用いたことであるが、メンデルスゾーンにゆかりの深いライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマスターに就任後の初のコンサート・ライヴということもあり、作曲者への深い愛着をべースとした、熱気に満ち溢れた渾身の名演に仕上がっている。

シャイーならではのカンタービレの美しさ,鋭敏なリズム感を背景とした熱狂的な興奮があり、いかにも現代的でシャープな感覚で貫かれた演奏だと思う。

特に終曲で改訂版と違い、悲劇性が次第に強まる中でも力強く、最終的に輝かしく終わるこの演奏は聴く者に豊かな感銘を与えてくれるだろう。

独唱陣や合唱も見事な出来であり、本名演に華を添える結果になっている。

カップリングの「真夏の夜の夢」序曲も、初版を用いることで、シャイーのメンデルスゾーンへの並々ならぬ愛着を感じるが、演奏も、繊細さと力強さを兼ね備えた名演に仕上がっている。

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2012年09月06日


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2009年1月22日-23日 ライプツィヒ、ゲヴァントハウスでのデジタル(ライヴ)録音。

2009年はメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1947)の生誕200年であり、いくつかの企画モノが発売されたが、中でもこれは注目盤。

メンデルスゾーンのオーケストラ作品は交響曲第5番「宗教改革」を除けば全てに異稿の存在が有り、愛好家の悩みの種になっている。

メンデルスゾーンは優美で、哀愁に満ち溢れた美しいメロディを生み出す作曲家であるというのが定評であるが、本盤はそうした印象を覆すのに十分な一枚だ。

それは、「スコットランド」のロンドン稿の使用などに見られるように、できるだけ初稿を選択したことにあると思われる。

「スコットランド」は、特に第1楽章や第4楽章など、相当に荒削りな箇所が散見されるが、シャイーは、それをオブラートに包んだりすることなく、あくまでも正攻法のアプローチを行うことによって、メンデルスゾーンの初稿に如実に表れていた荒ぶる感情の高まりや激しさをダイレクトに聴き手に伝えてくれる。

したがって、ライヴならではの熱気と相まって、やや音に濁りが見られるなど、いささかやり過ぎが懸念されるきらいがないとは言えないが、全体としては、メンデルスゾーンをこよなく愛したシャイーならではの佳演と評価することができよう。

「ヘブリディーズ諸島」も、ローマ稿を採用するなど、「スコットランド」と同様の性格の佳演だ。

他にも、ピアノ協奏曲第3番など、知られざる曲が併録されており、本盤の価値をより一層高めることに貢献している。

ライプツィヒに移ってからのシャイーの仕事にはレコード会社の思惑と指揮者の趣味が一致しているのか、演奏・録音ともに優秀なディスクが次々と発売されている。

メンデルスゾーンの作品には異稿が多く、改訂版が必ずしも「改正」になってはいない処に特徴があるので、それを理解した上でこのCDを購入されれば、この盤の価値がどれほど貴重であるかがお分かり頂けると思う。

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2011年10月11日


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0番から9番まで、スコアを丁寧に再現した模範的演奏。

シャイーのブルックナーは、色彩的で入念に歌いこまれた美しい演奏揃い。

名門オーケストラ、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したもの(2・4・5・6・8・9)はもちろん、ベルリン放送交響楽団を指揮したもの(0・1・3・7)も、デッカの優れた録音技術もあって、サウンド・クオリティの高さはかなりのもの。

コンセルトヘボウ管の輝かしい音色と、ベルリン放送響のやや渋く力強い音色とが、各々充分に発揮されていて飽きない。

単なる歌に終始することなく、構成素材のひとつひとつに濃やかに配慮した非常に優れた演奏であり録音であると言えるだろう。

デッカ特有の細部までシャープな音響が、作品の音素材の豊富さに完璧に対応しており、各パートがきちんと識別できる透明度の高さとトゥッティの迫力というふたつのポイントを難なくクリア。

ソロ・ヴァイオリンやハープの美しさも印象に残るし、低弦やホルン・セクションの深々とした響き、重量感のあるティンパニも立派だ。

シャイーの演奏は陰影に富んで素晴らしいのだが、マーラー全集と比べてコンセルトヘボウが同じオーケストラと思えないくらい良い音を出している。

一度聴くと、地味な印象で、薄曇の空に、日の光が蠢いている、といった感じだが、数回聴きこむうち、それは劇的に変化する。

この世のものと思えない、オーロラの光となり、燦然と輝きだす。 

シャイーの大見得を切らない指揮が、その景色を邪魔しない。

これこそがブルックナーの音楽だ、と感じられる。

聴きなれたはずの曲の随所でこんな良いフレーズがあったかと思わせ、次はと期待し聴き入っているうちに曲が終わってしまうという最高の演奏であった。

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2011年04月08日


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この2つの演奏は、ライヴ録音の魅力をいっぱいにたたえている。

アルゲリッチ特有の、難しいパッセージになるとキュッとテンポを上げるクセはここでも健在で、聴いているほうは手に汗をにぎってしまう。

それでいて、ロマンティックなところは徹底して歌うのがたまらない。

両曲ともフィナーレのド迫力はたいへんすばらしい。

ラフマニノフを弾いてスケールの大きさで男性ピアニストに少しも引けを取らない女流といえば、現在のところ、アルゲリッチにとどめを刺す。

ラフマニノフでもこの女流、"か弱さ"とか"か細さ"といったものとは全く無縁である。

しかもこの女流は、背伸びしてラフマニノフに挑戦しているのでは決してない。

ただ見せかけの豪快さを追っているにすぎないピアニストの演奏は、音も濁り、勢いは失われているものだが、このライヴはそうでない。

きめ細かい清楚な響きを生み出す一方で、スケール大きく豪放に歌い上げてゆく。

圧巻は第3楽章。達者な技巧と晴朗でモダンな感覚の共存が、なんとも快く、見事。

チャイコフスキーは、この天才女流の、いやが上にも燃え立った、生々しい息遣いを伝えて余すところがない。

音楽は絶えずピチピチと飛び跳ねており、リズムは閃き、敏感なセンスは満点、フレーズはバネのようにしなり、ルバートの訴えやものすごいアッチェレランド、魔術をみるような音の弾き分けなど、音楽の意味をつぎつぎと解明してゆく創造力が最高だ。

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2010年12月19日


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名作中の名作、ではあるけれど、《リゴレット》はヴェルディの若々しい活力がふんだんに注がれたオペラであると、シャイー指揮の演奏は強く感じさせてくれる。

じっくり、丁寧に聴かせるというより、たとえここをゆっくりと聴きたいと思っていても、かまわず走り抜けてゆく演奏だ。

聴く者はまっすぐこのオペラの世界へ入っていける。

シャイーのヴェルディ・オペラ録音はまだ多くはないが、このオペラを作曲したときのヴェルディとほぼ同じ年齢という特別の共感もあって、劇的な力と情熱の表現がひときわ魅力的だ。

シャイーはどっしりと落ち着いた歩みの中に、自由で伸びやかな音楽表現を展開し、単によく整った若々しい活気と生気に満ちた演奏というだけではなく、ドラマと音楽の中から湧き上がってくる力とエネルギーをしっかり捉え、それを大きな劇場空間に解放している。

ボローニャ市立歌劇場のオケの響きとアンサンブルは以前よりずっと整備されてシャイーの意図に敏感に反応している。

歌手陣もよくそろっているが、中ではヌッチのリゴレットが、大変表情豊かでいちばん聴き応えがある。

やがて名人芸を披露するようになるヌッチが、まだ若く、ずっとストレートにリゴレットを歌っているのも、この演奏の長所と考えるべきだろう。

一方、パヴァロッティのマントヴァ公は、絶好調の時期に歌われた良さがある。

くせのあるアンダーソンのジルダは人によって好き嫌いが出るはず。

いずれにせよ、名人たちを集めて豪華に、という路線よりも、適材適所を考慮してのキャスティングとなっていて、これがシャイーの指揮に沿った、駆け抜ける《リゴレット》の悲劇表現に役立っている。

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2010年09月24日


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ショスタコーヴィチはジャズの語法で《ジャズ組曲》や《ピアノ協奏曲》を作曲しているが、ジャズは若きショスタコーヴィチの創作意欲を大いに刺激したようである。

ジャズの精神に乗っかると自然に作品が陽光の光を帯びてくるから、聴き手もすぐに楽しくなってくる。

しかもこれはオーケストラのための作品なのだが、いささかも重く、大げさにならないし、確かにオーケストラ・ジャズという魅力的な音楽が存在する、そんな実感に浸らせてくれる。

若き作曲家のアイディアと遊び心の賜というべきであろう。

28歳のときに書かれた《ピアノ協奏曲》もその心は20世紀のディヴェルティメントだし、余白に添えられた《二人でお茶を》は無邪気に遊ぶ青年の笑顔すら感じさせて心憎い。

シャイーが名門コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して録音しているが、あの風格を誇る名門オーケストラが実に柔軟に、また可愛らしくショスタコーヴィチ作品を再現して、秀逸この上ない。

名門オーケストラをこんな遊び心を持つオーケストラに変えてしまったあたりに、シャイーの素晴らしさを再認識させる魅力あふれるアルバムである。

クラシックとは思えないカジュアルな作品。ショスタコーヴィチのもう一つの顔を知って嬉しくなる。

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2010年03月31日


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シャイーのレコード第3作で、初のブルックナーだった。

若手だったシャイー指揮ベルリン放送響が、しがらみから解放された新鮮な解釈で、この上なく魅力的になっている。

ノヴァーク版による第7番は、意外に成功している例が少ないが、これは若きシャイーが、曲の抒情性をうまく引き出した成功例。

シャイーのブルックナーは、いわゆるドイツ=オーストリアの伝統とはやや異なった様式感覚に支えられている。

明るく華麗な音彩が、ブルックナーとは異色の演奏と感じさせる。

ややプッチーニ的なリリシズムだが、押しつけがましさはなく、テンポ設定も自然なほう。

宗教的な要素に決別して、純音楽的に再現したのが魅力である。

音楽は情熱的であり、メリハリが鮮明だ。しかし弱音のデリケートな美しさが随所に示されており、シャイーの感性の鋭さをうかがわせる。

ブルックナーの旋律がこれほど朗々と、そして美しく歌わせた演奏というのも、ちょっと見当たらないだろう。

全曲を通してテンポに無理がなく、シャイーが素直にブルックナーに対しているのがよくわかる。

実にフレッシュで、明るさと開放感に溢れ、それらが適切にコントロールされているため、かつて新鮮な感動を受けたトスカニーニのベートーヴェンやドヴォルザークなどを想起させる。

この演奏は異文化の接触にも似たさわやかな緊張によって、聴き手を魅惑せずにはおかない。

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2010年03月11日


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シャイーのマーラーの初録音で、内的燃焼度の高さと緻密な構成力を併せ持つ名演として特筆される成果を見せている。

シャイーの真価を見せた録音で、敢えてクック版で全曲を演奏した必然性すら実感させる。

マーラーがこめた内的メッセージに鋭い光をあてた演奏であり、純度の高い表現に心洗われる。

晩年のマーラーの暗鬱さを耽美の世界におきかえた感もあるが、シャイーはそこに知的な透明感をプラスし、鮮明に旋律を歌わせみずみずしい。

第1楽章は特にその感が強く、各楽器を緻密に処理し、マーラー独自の書法を明晰に表現している。

第2楽章も純粋そのもの。

第3楽章のプルガトリオは表情の彫りが深く、第2スケルツォと終曲も二元的要素をよく理解した表現。

光と影の交錯する名演で、全曲に聴く蒸せかえるような熱気もシャイーならではのものだが、品位は失われることなく、知的興奮に誘う。

ベルリン放送交響楽団の水準もきわめて高い。

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2009年12月16日


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シャイーのマーラーは、メンゲルベルクが世界最初の"マーラー・オケ"として完成させたコンセルトヘボウ管の伝統を再検証し、そこに現代的な観点からの切り口や、しなやかなフレージングを取り入れたもの。

作品のすみずみまで鋭敏かつ緻密な読みが行き渡った新鮮なマーラーである。

イタリア人らしく、歌に癖がなく、オーケストラを自然に歌わせているのも美点。

シャイーの演奏は形式や構成など、表面的には伝統的なものへの回帰を思わせながら、マーラーの交響曲を特徴づける対立的なものが複雑に組み合わされた作品の特徴を鮮明に表現している。

対位法的な書法などにも鋭い眼がゆきとどき、ホルンなど管楽器のソロの強調やかなり濃い表情など、交響曲という形式に盛り込まれた劇的な要素を強く印象づける表現主義的とも言える演奏だ。

シャイーがしなやかな感性と絶妙なコントロールで描き、ドライヴした演奏は、細部まで生き生きと洗練された表現と熱く清新な歌にみちており、コンセルトヘボウの暖かく流麗な響きと色彩が、繊細にして明快な表現をいっそうニュアンス美しく、味わいの深いものにしている。

湧き出る清水のように透明で、しかも、細部を熟練工がするように練り直して、丁寧に仕上げたせいか、むしろ安定した演奏に仕上がっている。

そのスケールの大きな造形と、深々とした奥行き感は近年の充実ぶりを示すものだ。

シャイーならではの知情のバランスのよい、晴朗で達意の名演と言うべきだろう。

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2009年09月02日


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チャイ5は、シャイー指揮ウィーン・フィルが、最も一般にお薦めできるだろう。

極めて若々しく、ウィーン・フィルを力一杯鳴らした演奏である。

イタリア人らしく艶やかなカンタービレに鋭いアクセントを打ち込んでゆく表現が基本になっているが、シャイーの演奏はそればかりではなく柔軟性に富み、激しい感興を表しているのが興味深い。

この録音当時シャイーは、弱冠27歳の若武者で、はち切れんばかりの若さに溢れていた。

だがシャイーの指揮するウィーン・フィルは、若さからくる弱点とか未熟さは少しもなく、完全にアダルトな名演を成し遂げている。

その意味で、若きケルテスが同じウィーン・フィルを振った名盤、「新世界より」の録音以来の快挙といえるかもしれない。

「シャイー恐るべし」との強烈な印象を植え付けた、記念碑的な演奏だったのである。

交響的なスケールは大きく、オーケストラを構成的によくまとめて、しかもイタリア人らしくチャイコフスキーの旋律を朗々と歌わせている。

この曲の魅力をストレートに表現した、わかりやすい演奏として万人に薦めたい名録音である。

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2009年05月31日


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ボレットのピアノが素晴らしい名人芸で、なんとも魅力的な演奏を聴かせる。絢爛豪華な名人芸が、聴く人を魅了しないはずもない。

ボレットは19世紀からのピアノ・ヴィルトゥオーゾの伝統を今日に伝える巨匠で、完璧な技巧とスケールの大きさはもちろんだが、彼の演奏には老いを知らぬ若々しさがあり、爽やかでクールな抒情が限りなく魅力的だ。

ロマンティックな味付けの濃い、表情豊かな表現がボレットの身上で、シャイーのきびきびしたバックを得て、より一層若やいだ演奏になっているのがいい。

名人芸の継承者でありながら、少しも音楽が老け込んでいないのが、ボレットの偉大さであり素晴らしさである。

その演奏には独特のきらめきや、老いた色事師が昔の恋を思い出しながら回想するような粋な趣があり、特にタッチの微妙なニュアンスは、凡手の及びもつかない境地であろう。

両曲ともボレットの資質が充分に出ており、特にグリーグが美しい。

第1楽章の冒頭の鮮明な音色に早くも彼の個性が強く表れている。

テンポは全体に遅めで、1つ1つの音の余韻を味わうように歌わせ、それが強烈なフォルテとのエネルギーの対照を作りつつ、スケールの大きい名演を生んでいる。

シューマンも遅めのテンポで、ロマンティシズムを生き生きと再現しており、フィナーレが特に名演である。

そして第2楽章のノスタルジックな溜め息、第3楽章でパッと花開く効果は、ボレットならではのヴェテランぶりである。

シャイーも好サポート。ボレットの解釈に、よく付けていて拮抗的な効果を上げている。

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