メニューイン

2014年09月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤にはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲と、フルトヴェングラーのレパートリーとしては大変に珍しいバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァイオリンはいずれもメニューインであるが、これまた素晴らしい名演奏を披露している。

メニューインは、フルトヴェングラーとの共演が終わった後は、これといった名演は遺しているとは必ずしも言えないので、本演奏の録音当時がベストフォームにあったのではないかとも考えられる。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、4大ヴァイオリン協奏曲の中でも、チャイコフスキーと同様に音楽内容の深みよりは旋律の美しさが売りの作品である。

したがって、音楽の表層を美しく装っただけの演奏でも十分に魅力のある演奏を成し遂げることは可能であるが、さすがにフルトヴェングラーはそのような薄味の演奏は行っていない。

荘重なインテンポで楽曲の心眼を抉り出していくような奥行きのある演奏は、深沈とした情感を湛えていて実に感動的であり、スケールも雄大だ。

メニューインのヴァイオリンも、表面上の美麗さに拘泥することなく、情感の豊かさと気品の高さを湛えているのが素晴らしい。

バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番も名演だ。

バルトークは巷間「現代のベートーヴェン」と称されているが、フルトヴェングラーの同曲へのアプローチは、ベートーヴェンの楽曲に接する時と何ら変わりがない。

ヴァイオリンだけでなく、オーケストラ演奏にも超絶的な技量が求められる楽曲であるが、フルトヴェングラーは同曲でも徹底した内容重視。

音楽の内容の精神的な深みを徹底的に追求しようという姿勢は健在であり、楽曲の核心に鋭く切り込んでいこうとする凄みのある演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分だ。

メニューインのヴァイオリンもフルトヴェングラーの指揮に一歩も引けを取っていない。

バルトークも生前、メニューインのヴァイオリン演奏を高く評価していたということであり、メニューインもバルトークの音楽に私淑していたとのことであるが、本演奏でも、卓越した技量をベースとしつつ、楽曲への深い理解と愛着に根差した濃密で彫りの深い演奏を披露しているのが素晴らしい。

両演奏ともに1950年代のスタジオ録音であることもあって、今般のSACD化による高音質化の効果には大変目覚ましいものがあり、これまでの既発CDとはそもそも次元の異なる鮮明な音質に生まれ変わった。

メニューインのヴァイオリンの弓使いまで聴こえる鮮明さはほとんど驚異的ですらある。

このような名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:48コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第5番は、新たに発見されたメタル・マスターよりリマスタリングを行っているとのことである。

録音は、1937年のスタジオ録音であるが、確かに、これまでの既発売のCDとは次元の異なる良好な音質に生まれ変わったと言える。

フルトヴェングラーの「第5」の名演としては、1947年の復帰後のコンサートの3日目のライヴ録音(DG)が超名演として知られているが、これはシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化されて、それによって音質の抜本的な改善がみられたところである。

復帰初日のライヴ録音も一昨年、アウディーテからきわめて鮮明な音質で発売されたことから、今後はDG盤とアウディーテ盤が決定盤との評価が確立するものと考えられる。

これに次ぐ名演とされているのが、昨年1月にEMIからSACD盤が発売されたが、1954年のスタジオ録音ということになる。

ドラマティックな1947年盤に対して、こちらは荘重なインテンポを基調とする奥行きのある演奏ではあるが、フルトヴェングラーの芸術の懐の深さをあらわすものとして、この3強の地位は今後ともいささかも揺るぎがないと考えられる。

そして、この3強に続く名演が、1943年のライヴ録音(既にドリームライフによりSACD化)と本盤の1937年のスタジオ録音ということになるのではないだろうか。

フルトヴェングラーの全盛期は1930年代と主張される識者の方も多数おられるところであり、本演奏においても、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏がいかに重厚で深みのあるものであったのかがよく理解できるところだ。

既発CDの音質がきわめて劣悪であったことから、前述の3強や1943年盤の後塵を拝していた名演が、今般のSACD化によって再び脚光を浴びることになることが大いに期待されるところだ。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、メニューインと組んでルツェルン祝祭管弦楽団を指揮したスタジオ録音であるが、一般的にメニューインとの演奏で名演とされているのは1953年のスタジオ録音盤(同様に今回SACD化)の方である。

しかしながら、今般のSACD化によって見違えるような良好な音質に生まれ変わっており、1953年盤にも比肩し得る名演であることが証明された意義は極めて大きい。

メニューインについては、とある某有名評論家を筆頭に芳しからざる酷評がなされているが、フルトヴェングラーの下で演奏する際には、気品溢れる芸術的な演奏を披露していると言っても過言ではあるまい。

それにしても、メニューインのヴァイオリンの弓使いまで聴こえる今般のSACD化による高音質化の威力は殆ど驚異的ですらある。

ブラームスのハイドンの主題による変奏曲は、1952年のライヴ録音だけに、今般のSACD化による音質向上効果には著しいものがあり、実演ならではのフルトヴェングラーのドラマティックな表現をも加味すれば、フルトヴェングラーによる同曲の演奏の中では最高の名演と高く評価したい。

ワーグナーの2曲は、いずれも1948〜1949年にかけてのスタジオ録音であるが、こちらもSACD化によって素晴らしい音質に蘇った。

いずれも定評ある懐の深い名演であるが、特に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」におけるフラグスタートの名唱が鮮明に響くのには大変驚いたところであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第だ。

なお、本盤に収められたハイドンの主題による変奏曲は、第1弾のブラームスの交響曲第1番(TOGE−11006)と同じ日のコンサートの際の演奏であるにもかかわらず、当該盤には本演奏ではなく1949年のスタジオ録音の方が収められていた。

フルトヴェングラーの実演での凄さに鑑みれば、同一のコンサートの演目は可能な限り同じCDに収めるのがベストであり、このようなカップリングには若干の疑問を感じることをこの場を借りて指摘しておきたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:09コメント(0)トラックバック(0) 

2014年05月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、フルトヴェングラーとしてはわりにおとなしい、どちらかといえば地味な造型だが、響き自体はまことに立派で風格があり、内に秘められた過剰さを伴わぬ気迫が見事である。

しかし、これがベルリン・フィルだったら、いっそうこくのある表現になったことは疑いを入れない。

メニューインはフルトヴェングラーを心から尊敬しているヴァイオリニストだが、確かに指揮者への傾倒がにじみ出ており、まことに純情、真摯である。

やや線は細いが心がいっぱいにこもって、しかも粘りすぎず、表現上の特徴こそ今一歩とはいえ、フルトヴェングラーともども、音楽が豊かに湧き上がってくることを買いたい。

シューマンの「第4」は有名なドイツ・グラモフォンの録音の3ヶ月後、ルツェルン音楽祭で指揮したライヴ。

ライヴにこそ本領を発揮すると言われたフルトヴェングラーの特質が如実に捉えられるもので、ほの暗いロマンに彩られた、生命力みなぎる名演。

完璧無類のグラモフォン盤の後に聴いても引けを取らない名演だ。

なんといってもライヴの音がして、音に命がこもっているのである。

晩年のフルトヴェングラーだけに実演だからといって踏みはずすことなくベルリン・フィル盤の良さをそのまま保ちつつ、やはり気迫が違うのだ。

第1楽章の出もそうだし、フィナーレ冒頭の弦の刻みの生きていること、主部の第1主題の語りかけなど、ベルリン・フィル盤を上まわる。

ベルリン・フィル盤はSACDされ高音質になったため、録音が同レヴェルなら、筆者はこのルツェルン盤の方を採りたいくらいである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:57コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と二重協奏曲が収められているが、いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

ヴァイオン協奏曲は、メニューインがヴァイオリンをつとめているが、フルトヴェングラーの没後の凋落ぶりに鑑みれば、とても信じられないような素晴らしい演奏を披露している。

メニューインは、本盤の録音の頃がベストフォームにあったと言えるのかもしれない。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、4大ヴァイオリン協奏曲の中でもオーケストラが特に分厚いことで知られており、オーケストラ演奏が薄っぺらだとそもそもどうにもならない。

フルトヴェングラーの場合は、そのようなことはいささかも心配ご無用で、本演奏においても、粘ったような進行や重厚さが際立っており、楽曲の核心に向かって鋭く切り込んでいくような彫りの深さも健在だ。

オーケストラは、いつものベルリン・フィルやウィーン・フィルではなく、ルツェルン祝祭管弦楽団ではあるが、フルトヴェングラーの統率の下、持ち得る能力を最大限に発揮した最高のパフォーマンスを示しており、重厚さにおいても前述の両オーケストラと比較してもいささかも引けを取るものではない。

二重協奏曲は、ウィーン・フィルの首席奏者をソリストに起用して演奏したものであるが、これまた素晴らしい名演と評価したい。

ブラームスが最晩年に作曲した協奏曲だけに、フルトヴェングラーのような深遠なアプローチは見事に功を奏しており、孤独な年老いた独身男性の寂寥感を抉り出すような凄みのある演奏に仕上がっている。

ボスコフスキーのヴァイオリンやブラベッツのチェロもウィーン・フィルと一体となってフルトヴェングラーによる崇高な音楽の醸成に奉仕しているのが素晴らしい。

また、この当時のウィーン・フィルの音色に顕著に存在した独特の音色が、演奏全体に適度な潤いとあたたかみを付加している点も忘れてはならない。

録音は、ヴァイオリン協奏曲が1949年とやや古いが、今般のSACD化によって見違えるような素晴らしい音質に生まれ変わった。

特に、ヴァイオリンやチェロの弓使いまでが鮮明に聴こえるのは、録音年代を考えると殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、このような歴史的な名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:06コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤にはフルトヴェングラーがメニューインを起用してスタジオ録音を行ったベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と、ロマンス第1番及び第2番が収められているが、いずれも素晴らしい至高の超名演と高く評価したい。

ヴァイオリン協奏曲については、今般の一連のシリーズにおいて同時にSACD化された、ルツェルン祝祭管弦楽団と1947年にスタジオ録音した演奏もあり、そちらも素晴らしい名演で今般のSACD化によって更にそのグレードを上げたところである。

両演奏の優劣の比較は困難を極めるところであるが、録音が本演奏の方が良好であることや、オーケストラの力量においてもフィルハーモニア管弦楽団の方が数段上であることを考慮に入れれば、筆者としては本演奏の方をわずかに上位に置きたいと考える。

本演奏におけるフルトヴェングラーの指揮は例によってスケールの雄大な巨匠風そのものだ。

先を決して急ぐことはない荘重なインテンポで楽想を進めていくが、常に音符の背後にある音楽の精神的な深みを追求しようという姿勢には不動のものがあり、楽曲の核心を鋭く抉り出していくような彫りの深さには際立ったものがある。

フルトヴェングラーによる奥行きのある指揮に対して、メニューインのヴァイオリンも一歩も引けを取っていない。

メニューインは、フルトヴェングラーの死後はクレンペラーとの共演も含め、さほどの名演を遺しているとは言い難いので、この時がベストフォームとも言えるのかもしれないが、卓越した技量を駆使しつつ、情感の豊かさや気品の高さをいささかも失うことがなく、いささかも隙間風の吹かない濃密な演奏を展開しているのが素晴らしい。

併録の「ロマンス」第1番及び第2番は、フルトヴェングラーならではの濃厚なロマンティシズムを味わうことが可能な名演だ。

本演奏におけるうねるような人間味溢れる濃厚さは、他の指揮者だと大仰に聴こえてしまう危険性もあるが、フルトヴェングラーの場合はいささかもそのような危険性に陥ることはない。

それどころか、深沈とした奥行きを感じさせるというのは、フルトヴェングラーだけに可能な圧巻の至芸と言える。

録音は、1953年のスタジオ録音であり、フルトヴェングラーの録音としては比較的恵まれているとも言えるが、今般のSACD化によって見違えるような素晴らしい音質に生まれ変わった。

メニューインのヴァイオリンの弓使いまで聴こえるのは殆ど信じ難いほどであり、このような歴史的な名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができるのを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0) 

2013年10月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは徹頭徹尾、クレンペラーの至芸を味わうべきCDである。

録音は1966年であり、大器晩成型の巨匠クレンペラーがいよいよその本領を発揮し、持ち前のスケール雄大な超名演の数々を成し遂げていた時期のものである。

本盤に収められたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏も素晴らしい超名演だ。

冒頭から悠揚迫らぬゆったりとしたテンポで曲想を精緻に、そして格調の高さを失うことなく描き出して行く。

クレンペラーは各楽器を力強く演奏させており、いささかも隙間風が吹かない重厚な音楽が紡ぎ出されている。

木管楽器をやや強めに演奏させるのは、いかにもクレンペラーならではのものであるが無機的になることはなく、どこをとっても彫りの深さが健在である。

全体の造型はきわめて堅固であるが、スケールは極大であり、悠揚迫らぬ重量感溢れる音楽が構築されている。

このような立派で仰ぎ見るような威容を誇る堂々たる音楽は、聴き手の居住まいを正さずにはいられないほどである。

このような偉大な演奏を聴いていると、近年のベートーヴェンの演奏において主流となりつつある、古楽器奏法やピリオド楽器による小編成のオーケストラによる軽妙浮薄な演奏など、実に小賢しく感じてしまう。

それくらい、本盤の演奏は、巨木のような大芸術作品と言うことができる。

こうしたクレンペラーの指揮に対して、メニューインの演奏はいささか個性に乏しいとも言えるだろう。

同曲を、メニューインはフルトヴェングラーとともに録音しているが(1947年及び1953年)、その頃がメニューインの全盛期であり、本盤の演奏の時には、既にかつて面影は殆ど消え失せていると言ってもいいのではないかとさえ思われるところだ。

それでも、クレンペラーの偉大な芸術の奉仕者としては、それなりに立派な演奏を行っているとも言えるところであり、クレンペラーによる本名演の価値を損なうということにはなっていない点を強調しておきたい。

いずれにしても、本盤の演奏は、巨匠クレンペラーの偉大な芸術を味わうことができる素晴らしい名演と高く評価したい。

音質については、1966年のスタジオ録音であり、従来CD盤では今一つ冴えない音質であったが、数年前に発売されたリマスタリング盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなった。

しかしながら、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

とりわけ、メニューインのヴァイオリンの弓使いが鮮明に聴こえるのは殆ど驚異的ですらある。

いずれにしても、クレンペラーによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:32コメント(0)トラックバック(0) 

2012年02月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



戦前から戦争直後の1950年頃まで(即ち、SPレコード全盛の時代)、大家・中堅・新進を問わず、およそレコード評論家と名のつく人のほとんどが、ユーディ・メニューインの未来像をフリッツ・クライスラーに次ぐ20世紀のヴァイオリン界の帝王として描いた。

ヴァイオリニストとしてのみならず、音楽家としても20世紀屈指の存在であったジョルジュ・エネスコすらも、「メニューインの師=育ての親」としてのみ知られていた時代が長く続いたのである。

ハイフェッツに優るとも劣らない演奏技術と、バッハの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(全6曲)》の録音を20歳そこそこの青年時代に完成してしまったというレコード界空前の偉業を目の前にすれば、未来の帝王の姿をこのアメリカ生まれ、凛々しくも童顔の少年に想い描かない方がどうかしていたと言っていいだろう。

「メニューイン神話」はそういう次元の、しかも超弩級の実例であった。

生まれながらの資質だけでパガニーニ、サラサーテの難曲を煙の如く弾き去ってしまう天才少年の後ろ姿に、世間の評判とは裏腹の「ヴァイオリニストとしての将来性はない。もう手遅れだ」と痛烈な烙印を押したのは巨匠イザイである。

師として彼にヨーロッパ音楽の伝統を伝授したエネスコもブッシュも、メニューイン坊やの天与の資質に目をくらまされて、彼がヴァイオリンという楽器を生涯の友とするために不可欠な職人的基礎訓練(例えば音階とアルペジオ奏法の完璧な習得)を欠いているということに気付かなかった。

同じユダヤ系でも、ハイフェッツやミルシテインなどのロシア学派(レオポルド・アウアー門下)は、生涯にわたり「世紀のヴァイオリニスト」として栄光を保ち続けた。

メニューインの名は、壮年期以後、大戦直後のフルトヴェングラー擁護論や、社会活動、教育活動によって世人の敬愛を蒐めることになる。

余りにも才能に恵まれ過ぎたが故に基礎訓練を怠り、負債(ツケ)を壮年期以降払い続けなければならなくなったこの偉大な人物の心中は如何ばかりであったか…、だが、そのことを彼自身は終生口にしなかった。

彼が恐るべき天才少年であった頃の録音を聴けば、いまどきの才能とは質を異にしていたぐらいのことは誰にも判る。

だからその時代の復刻盤を讃歌(オマージュ)として掲げる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:28コメント(0)トラックバック(0) 

2012年02月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1956-57年にロンドン、アビー・ロード・スタジオで録音された、メニューインのバッハ「無伴奏」の決定盤。

今日の進んだ技術的なマスターという点からすると、メニューインのこの演奏はいくぶん野暮ったく聴こえるかもしれない。

展開の仕方も全体の構築も、ところどころ穴が開いたようで心許なさが拭えない。

しかし全体は火を吹くような情熱のほとばしりと、ヒューマンな高い志にみなぎり、聴き手の心を熱くする。

メニューインは演奏会場でエンタテインメントのために演奏しているのではない。

いわば窓から今にも身を投げようとしている人間を説得しようとする、そんな懸命さを印象づける。

今日ではそんな接し方は煩わしく、余計なお節介だという向きが増えてきているかもしれない。

しかし、そこにヒューマンな共感の最後の絆があることもたしかだ。

技のキレなどでは、1930年代の旧録音にはかなわないが、清澄な音色と真摯な表現には打たれる。

1950年代後半のモノラル録音だが質は高く、ソロ楽器だけだからステレオでないハンディを感じない。

廃盤にせず、カタログにずっと残してもらいたい録音だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:54コメント(0)トラックバック(0) 

2010年11月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



メニューイン/フルトヴェングラーのコンビが残した名演の一つ。

現代音楽の録音がまるでないフルトヴェングラーだが、現代音楽の良き理解者であったことは意外に知られておらず、それにどうアプローチしているかを垣間見ることのできる演奏だ。

フルトヴェングラーの強い集中力は音楽に充実感をもたらし、メニューインも彼に触発されて意欲にあふれた演奏を展開している。

もっともバルトークの作品は古典的な均整ある構成を示しているため、料理はそれほど難しくはなかったのだろう。

フルトヴェングラー特有の有機的な展開がみごとにきまり、緊張をはらんだピアニッシモと、迫力ある豪快なフォルティッシモとのダイナミックな対比はすべてツボにはまり、どこを切っても血の吹き出るはち切れんばかりの活力に満ちている。

メニューインのソロも一音たりとも弛緩することなく、張りのあるフレージングでオーケストラと対等に拮抗し、指揮者とともに、聴き手を興奮のるつぼに引き込む。

アメリカではフルトヴェングラーを戦犯扱いにしていたころ、いち早く門戸解放したのがイギリスである。

敢然と不遇なフルトヴェングラーを擁護したメニューインの気魄は衰えを見せず、両者の共感が聴き手を感動させずにはおかない。

モノながら、この当時のフィルハーモニアは名人揃いで老巨匠のタクトに鋭敏な反応を示している。

気迫と人間味にあふれ、今もって色褪せぬ演奏だ。

無伴奏ヴァイオリン・ソナタは、作曲者をして、「私の死後も、作品はあなたのようにしか演奏されないだろう」と唸らせた、メニューインの名演である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:32コメント(0)トラックバック(0) 

2010年10月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これは1970年のベートーヴェン生誕200年を記念して行われた録音である。

古きよき時代の名演だ。

シゲティとかシェリング、あるいはハイフェッツやオイストラフ等々の巨匠たちの盤も捨てがたいのだが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの演奏で一つの頂点を築き上げているケンプとの二重奏ということで、トータルとして素晴らしい音楽感興の高まりがある。

全体的に遅めのテンポをとって、じっくりと作品に対決しているかのようだ。

確かに、現代の若手俊英たちが極めて精度の高いテクニックでピッチに微塵の乱れも見せずに弾ききるのとは違い、ところどころにピッチの決まりきっていない音もあるが、その音楽表情には、豊かな演奏体験と人間的な成長を経なければ達することのできないような深い味わいがある。

細かいことをいえば、アンサンブルにキズがないわけではないが、50代半ばのメニューインと70代半ばのケンプが織りなすベートーヴェンは、腕だけに頼りがちな若い演奏家にはない、人間的なぬくもりのあるうるおいを感じさせる。

このヴェテラン2人は、二重奏ソナタということで必要以上に対抗対峙することはない。

それぞれの役割と作品全体のコンセプトの中で捉えられた自然な音楽高揚を心がけているのである。

2つの楽器のコントラストとバランスの見事さが品位の高い音楽を作る。

「クロイツェル」は風格を感じさせる演奏だ。

ヴァイオリンもピアノも、やや動きが重いが、昨今の若い演奏家のスピードだけを重んじるような演奏に不満の向きには、花も実もある演奏として受け入れやすいかもしれない。

「春」ではおおらかな歌が聴かれる。

ここでも軽快さが乏しいのは否定できないが、円熟の表情がその不満を和らげてくれる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:39コメント(0)トラックバック(0) 

2009年07月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ブラームスは録音が古く(1949年)、音の状態はあまりよくないが、歴史的な名演奏として価値が高いものである。

フルトヴェングラーと厚い友情で結ばれたメニューインの、ひたむきにひきあげる気合いの入ったソロも素晴らしいが、巨匠フルトヴェングラーの雄渾なバックも、感動的だ。

メニューインのヴァイオリンはこの大指揮者への傾倒がにじみ出ており、真摯にして純情、やや線は細いが心がいっぱいにこもって、しかも粘りすぎていない。

オーケストラともども音楽が豊かに湧き上がってくる。

フルトヴェングラーは造形は地味だが、響き自体はまことに立派で風格があり、内に秘められて過剰を見せぬ気迫が見事である。

オーケストラが鳴り出した時、一瞬、私は異常な衝撃を受けた。この時、ブラームスの真の音を聴いたような気がしたからである。

その音には重厚でうっすらと暗い、あの灰色のハンブルクの空があった。

こうした素晴らしいバックは、ほかのどの演奏にもない。

そのせいか、メニューインのヴァイオリンも、ことのほか激情的で、旋律を心ゆくまで歌わせている。

メンデルスゾーンも決して最良の音ではないが、1952年の歴史的名盤。

戦後の混乱も収まり、ようやく新しい時代の明かりが見え始めた頃の録音だが、メニューイン=フルトヴェングラー/ベルリン・フィルによる演奏は、時代が背負ってきた重みを嫌がうえにも実感させる深刻さがある。

感覚的喜びに我を忘れるゆとりはなく、大地に両足をしっかりと据えて自身の内面を見据えた情熱と気迫が一貫している。

36歳のメニューインと最晩年の巨匠による奇跡の演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:19コメント(0)トラックバック(0) 

2009年07月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



録音は古いが、LP時代にきわめつきの名演といわれていたものである。

ベートーヴェンは完全にフルトヴェングラー中心の演奏である。

ベートーヴェンの音楽に深く傾倒していたフルトヴェングラーの、スケールの大きな熱演に圧倒される。

メニューインは、極端にいうとその中で安心してその解釈にひたっているといった感じである。

メニューインは、やわらかな音色で、フルトヴェングラーの巧みな棒さばきによくこたえて、感動的な音楽をつくりあげている。

メニューインのヴァイオリンは、身も心も音楽に打ち込み、細かいデリケートな音で真摯であたたかい愛情を込めて弾いている。

フルトヴェングラーは心静かに、沈み込むような味でソロを包んでおり、曲想の変化をよく捉えた演奏をしている。

メンデルスゾーンでは、少しメニューインも自己主張していて、暖かい音色と、この時期の彼としては無難なテクニックで優しい表情でひき進む。

フルトヴェングラーは、柄の大きいシンフォニックな表現で、メニューインをすっぽり包み込んでいる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 05:32コメント(0)トラックバック(0) 

2008年05月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



どの曲も味の濃い表情と音色で訴えかける名演だ。

これほど雄弁に粘りを感じさせる、人間味たっぷりなメニューインも珍しい。

そこには赤裸々な生々しさがあり、振幅の大きいフレージングがあり、深い温かさと聴く者の体を包み込むような心の歌がある。

楽器も充分に鳴り切っており、終始100パーセントの表現が聴かれる。

メニューインは、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番を最も得意なレパートリーのひとつとしており、フルトヴェングラーの指揮による録音も名演だったが、これはさらに12年後の録音だけに、彼の円熟した、内面的に深い表現が魅力となっている。

ヴァイオリン協奏曲第1番のメニューインの演奏は、外面的な派手さをねらわず、やや淡白ともいえる表現で、じっくりと音楽の内面を深く掘り下げながら、曲のもつ詩情を表出している。

ドラティのバックも秀逸で、その卓抜な棒は素晴らしい。

バルトークの民族色を越えた、より普遍的な情熱がここにはある。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ