ベルク

2019年09月08日


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1960年代、ジュリアード弦楽四重奏団によるアルバン・ベルクの『抒情組曲』がレコードになった時、これを超える演奏は今後もまず出ないだろうと評論家と称する人々は言った。

しかし、70年代に入って、ラサール弦楽四重奏団によるレコードを聴いた時も、アルバン・ベルク弦楽四重奏団によるレコードを聴いた時も、人は知らぬ間に同じように呟いた。

そして80年代末、アルディッティ弦楽四重奏団の『抒情組曲』のレコードを聴いて、人は、今度こそもう後のない演奏だと宣言したくなる誘惑に駆られた。

確かにコンテンンポラリー音楽の演奏を専門とし、鮮烈な技術と鋭敏なセンスを特質とするアルディッティ弦楽四重奏団が、20世紀音楽の原点の1つというべき新ウィーン楽派の音楽において優れた成果を出さないわけがない。

アルディッティ弦楽四重奏団による『抒情組曲』の演奏(作品3の弦楽四重奏曲も収められている)の充実ぶりからは、この曲が大規模な弦楽オーケストラのために(その3つの楽章が)編曲され、演奏されることなどそうして必要なのかと思えるほどの強度とニュアンスが伝わってくる。

彼らの、音の動きを精確に客観的に醒めた目で見据えようとするクールな姿勢が、楽章によっては(例えば本来なら最も白熱する第5楽章プレスト・デリランド)やや冷たさを感じさせないこともないが、逆に第3楽章アレグロ・ミステリオーソなどでは圧倒的な効果を発揮する。

それは、例えば、ラサール弦楽四重奏団によるこの曲の第3楽章アレグロ・ミステリオーソの演奏が、ペンデレツキの第1番の弦楽四重奏曲に30年も先立ってこの曲が存在していたことを印象づけるものであったり、ジュリアード弦楽四重奏団の演奏が、この曲の初演(1927年)から10年後に完成されるシェーンベルクの第4番の弦楽四重奏曲のリズムの構成や楽器法を改めて想起させるものであったりするような、その新しさ、その未来を明示してみせるのとは違い、その曲の過去を照射する。

それは、単に、『抒情組曲』という名をもたらしたとされるツェムリンスキーの『抒情交響曲』の一節やワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の一節が過去の作品の引用として明瞭に聴き取れるように注意深く演奏されているからではない。

ベルクがいわゆる12音技法を用いて(とはいえ全体としては調性的な技法も用いている)書いた2番目の曲であるこの『抒情組曲』には、もう1つの過去があることが知られるようになった。

そのことはベルクの弟子でもあったアドルノやベルクの伝記作家カーナーが既に予感していたことでもあったが、この曲はベルクとその愛人ハンナ・フックス=ロベッティンの悲劇的な関係を作曲家自身が様々な方法で刻み込んだ作品であることが具体的に確かめられるようになったのだ。

例えばベルク音象徴A(イ音)とB(変ロ音)、ハンナの音象徴H(ロ音)とF(へ音)がこの曲の様々な分節構造を決定していて、ほとんど強迫的につきまとっていることが指摘されている。

アルディッティの演奏は、この事実を踏まえ、この4つの音が作り出す(和声的旋法的な)関係をきわめて緻密なアンサンブルを通して特権化し、いわば登場人物をめぐるライトモティーフの断片のごとく演出してみせる。

聴き手は、アルディッティとともに、30分余りのこの曲のなかで、めくるめく展開する6場からなる声なきオペラを体験することになる。

その後90年代初めに再録音したアルバン・ベルク弦楽四重奏団の熱い演奏などとは対照的だが、これもまたベルクの一面を衝いた見事なアプローチの1つと言えるだろう。

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2019年08月27日


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ディミトリ・ミトロプーロス(1896-60)のことを、クラシック界の高僧(モンク)と呼ぶ人がいる。

有名な指揮者でありながら、彼の私生活を知る人は非常に少ないこと、彼の演奏は死後20年余り経って初めて録音で世界で知られるようになったなど、指揮していた事実を除けばほとんど隠遁っぽい生活を送っていたという。

快楽を忌み嫌う、生活が質素である、芸術に厳しい、生涯独身である、純粋に音楽的に冷静で完璧な演奏といった点で、彼に太刀打ちできるのは、グレン・グールドぐらいだろうか。

「私はギリシャ人なので、何でも参考になる」という謙虚さなど、ギリシャ正教が音楽に対してもっと寛容であったなら聖職者になっていたに違いない。

ミトロプーロスの実演に接した人たちは、ときおり「神のようなミトロプーロス」という言葉を発していたと聞いたことがあるし、とにかく人間的に魅力的な素晴らしい人だったらしい。

そしてむろん音楽家としても、周知のように20世紀を代表する指揮者の一人に数えられる傑出した存在だった。

コンサート、オペラ、そして現代音楽の演奏に、第2次世界大戦前から戦中、戦後にかけて、大きな業績を残したミトロプーロスだが、残念ながら録音が少ない。

アルバン・ベルクの『ヴォツェック』は、その数少ないCBSの正規録音だが、もともとコンサート形式で行なわれた上演のライヴで、ニューヨーク・フィルの団員たちの年金の基金を得るためのものだったが、ミトロプーロスは全幕暗譜で演奏し、その恐るべき記憶力で語り草になっている。

この『ヴォツェック』の全曲演奏は、すぐに録音レコード化され、一番早い商業録音(LP盤)となった。

『ヴォツェック』は、1930年にベルリンでエーリヒ・クライバーの指揮により初演が行なわれた5年後にアメリカで同じくクライバーの指揮により「ヴォツェックの3つの断章」と題されて部分的に初演されたが、このアメリカ初演をしたのもニューヨーク・フィルであった。

ミトロプーロスの現代音楽の演奏にはいくらかの演奏家や指揮者にありがちな「私は、今難しい現代音楽を演奏している」といったしゃちほこばった構えが全くない。

この自然さは確かに彼がモーツァルトのスコアと同じように現代音楽を振れる(=暗譜できる)こともあるが、それ以上に彼の演奏はその現代作品の内包する(流行であった演奏スタイルではなく)時代の雰囲気を正確に映し出していることにある。

指揮者のアプローチから言えば、このオペラ最初の全曲盤であるミトロプーロス盤の方が、定評あるベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ盤より遥かに共感は深い。

なぜならベームによる『ヴォツェック』解釈は、基本的には彼が成功したシュトラウスの『サロメ』や『エレクトラ』のドイツ象徴主義ないしは新ロマン派風の青白いペシミズムと沈鬱さの表出に似ていて、ミトロプーロスが生み出す音楽のような途轍もない迫真さ、肝心要の赤裸々な悲しい人間の性(さが)の注視や、社会の汚点を怒りをもって凝視するような人間性に発する眼差しを欠いているからである。

それにアプローチだけでなくミトロプーロスとベームとを比べた場合、20世紀を語るにあたってのその存在の歴史的意義には、雲泥の差があると筆者は思っている。

ミトロプーロスは最後のヴォツェックの死よりもマリーの死の部分を強調する。

第3幕第2場で、血のついたナイフのような赤い月が上り、h音のティンパニの連打の中ヴォツェックがマリーを刺すシーンは、ハインリッヒ・ホルライザー指揮による1963年日本公演のライヴ録音の比ではなく、その後のh音による長いクレッシェンドもブーレーズの1966年の録音以上の緊張感である。

ヴォツェックが「死んだ!」と言う後の最初のh音によるクレッシェンドで一端音楽を切り捨て、2度目のh音の強奏からなだれ込むように居酒屋のシーンにもっていくことで、ミトロプーロスは、作品の大きな盛り上がりをここに作り出している。

前述のように『ヴォツェック』の最初の全曲録音(1951年)だが、同曲演奏史に残る貴重な演奏記録、感動的名演である。

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2019年07月10日


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20世紀ドイツを代表するメゾ・ソプラノ歌手、ブリギッテ・ファスベンダーの歌曲、宗教音楽、オペラ、オペレッタの録音からのベスト・セレクション。

この8枚組のセットでは今月3日に80歳になったファスベンダーの1960年代初頭から90年代まで幅広い年代の歌を楽しめるもので、彼女の歌唱芸術を一通り鑑賞できるのが魅力だ。

ブリギッテはドイツの往年の名バリトン、ヴィリ・ドムグラーフ=ファスベンダーの娘で、父親譲りの美声と彼自身の指導によって声楽の基礎を習得した。

彼女の声質は輪郭のはっきりした、やや暗めの音色を持つメゾ・ソプラノで、その響きから言えば先輩クリスタ・ルートヴィヒより開放的で、時に羽目を外したパッショネイトな歌唱は特に舞台芸術、つまりオペラやミュージカルの世界でも高い人気を博した。

また声だけでなく彼女はボーイッシュなスタイルと性格を持っていたことから、『薔薇の騎士』のオクタヴィアンや『こうもり』のオルロフスキー侯爵などで当たり役を取っていた。

ドイツ・リートでもシューベルトの『冬の旅』、シューマンの『詩人の恋』やマーラーの『さすらう若人の歌』など、男声により適しているとされる歌曲集にも挑戦し、絶唱を聴かせている。

尚オペラのシーンについては全曲盤からのピックアップだが、実際の舞台の映像をご覧になりたい方は、グラモフォンからリリースされたカルロス・クライバーのDVDセットで彼女の抜きん出た演技を堪能できる。

彼女は現代音楽にも造詣が深く、このセットでもシェーンベルク、ミヨー、ベルクの作品で独自の強い感性と声楽的に高度なテクニックを駆使した斬新な解釈を披露している。

特に7枚目に抜粋で収められたベルクのオペラ『ルル』での同性愛者ゲシュヴィッツ伯爵令嬢は強烈な個性が炸裂した役柄だ。

この録音は1991年にパリのテアトル・デュ・シャトレで上演された、ジェフリー・テイト指揮、フランス国立管弦楽団によるチェルハ校訂3幕版のデジタル・ライヴだが、ファスベンダーは主役ルルを演じるパトリシア・ワイズ以上の凄みを聴かせている。

この公演ではまた、老シゴルヒを最晩年のハンス・ホッターが演じているのも興味深い。

性格的な表現を得意とし、数々の名唱を聴かせてきたファスベンダーの歌は、どれも表情が豊かである。

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2019年05月15日


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カラヤンが1970年代前半に録音した『新ヴィーン楽派管弦楽曲集』は、全てカラヤンによる唯一のセッションで、各作品のイメージを一挙に刷新した演奏は、センセーショナルな趣があった。

これを機に、それまで現代音楽という枠の中に閉じ込められていた同作品群が、一般のコンサートやレコードのプログラムとして市民権を得、普及していったように思われる。

一種の市場開放の原動力となった、いわくつきのアルバムと言っても過言ではないだろう。

カラヤンにとってやや異色のレパートリーとも言えるこのアルバムは、彼が60歳代の半ばに、ベルリン・フィルの超高性能を総動員してレコーディングしたもの。

1972年から1974年にかけて行なわれた録音は、カラヤンにとっても絶好の時期を選んでのものと考えられる。

シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンの不協和音や楽想をどのように処理するのかという疑念など杞憂であるかのように、演奏の完成度は高く、しかも美しい。

ある意味でポピュラー名曲とは対極にある20世紀(主として)作品を前に、こういうものだって完璧にできるのだという得意顔が目に浮かびそうだ。

ともあれ彼の演奏リストに、最高の完成度をもって加わることで、新ヴィーン楽派の音楽をにわかに古典のごとく錯覚させてしまうあたりがカラヤンの凄いところ。

何と言っても、カラヤンの美学がここでも徹頭徹尾貫かれているのが魅力で、ベルリン・フィルの潜在的な能力を導き出し、尚且つ今まで聴いたことのないような音響世界を創造していく。

アンサンブルは一糸の乱れもなく精緻に整えられ、細部まで透けて見えるがごとく鮮明な造型で描出される。

そして音楽の底流に流れるリリシズムを表層まで吸い上げ、満面に行き渡らせる。

こうしたカラヤンの完璧主義と美意識によって、同作品群のイメージはリフレッシュされたのである。

単に分析的に演奏するのではなく、個々の音楽のもつ、時代の香りをも明らかにして、陰影に富んだ演奏をきかせている。

濃厚なロマンティシズムを湛えた後期ロマン派風のシェーンベルクの《ペレアスとメリザンド》や《浄夜》など、甘美なリリシズムのしたたり落ちるような場面がことのほか美しい。

これらの作品でシェーンベルクを身近に引き寄せたかと思うと、ベルクのドラマティックな大作《管弦楽のための3つの小品》や《抒情組曲からの3つの楽章》では、白熱した演奏で有無を言わせず固有の世界に引きずり込んでしまう。

圧巻はヴェーベルンで、これほど美しく鳴り響くヴェーベルンは未だになく、《パッサカリア》の情熱、そして《交響曲》の深淵さ等々、筆舌に尽くし難い。

その中でも、本格的な十二音技法によるヴェーベルンの《交響曲》は、カラヤンの真価を見極める恰好の試金石と目されよう。

彼は、いわゆる現代音楽を専門とする演奏家とは全く違ったイメージに同作品を塗り替えてしまったからだ。

音色を艶やかに磨き、テクスチュアを清廉に立ち上がらせ、叙情的な雰囲気さえ漂わせる。

この演奏によって同作品が身近な存在になったことは疑いない。

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2019年05月02日


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ルドルフ・コーリッシュは、オタカール・シェフチークの下でヴァイオリンの修練を積んだオーストリア出身のヴァイオリニスト。

シェーンベルクから作曲の指導を受けたのが縁となって、シェーンベルクの私的演奏協会にプレイヤーとして参加するようになった。

彼が弦楽四重奏団を結成したのは、シェーンベルクの助言あってのことだった。

はじめウィーン弦楽四重奏団と名乗って演奏活動をしていたが、1927年に人事を一新し、コーリッシュ弦楽四重奏団として活動を継続する。

コーリッシュ弦楽四重奏団は、シェーンベルクの縁から、新ウィーン楽派の作曲家の作品を数多く手がけ、中でもアルバン・ベルクの『抒情組曲』の初演は、コーリッシュ弦楽四重奏団の大手柄だった。

新ウィーン楽派の作曲家の作品を多数手がけた業績から、コーリッシュ弦楽四重奏団は、現代音楽のスペシャリストと見做され、バルトークから弦楽四重奏曲の初演を依頼されるまでになった。

この「ルドルフ・コーリッシュを称えて」というCD6枚組は、そうした現代音楽のスペシャリストとしてのコーリッシュに焦点を当てた選曲になっている。

なお、このCD集では、プロ・アルテ弦楽四重奏団という名義の使われた録音が存在するが、この弦楽四重奏団は、アルフォンス・オンヌーらの団体の衣鉢を継いだものである。

オンヌーが1940年に戦死してしまったため、この団体は一旦解散を余儀なくされている。

一方、アメリカに渡ってきたコーリッシュは、自分の弦楽四重奏団を維持できなくなり、1942年頃に解散してしまっていた。

師匠のシェーンベルクの肝入りで1943年にウィスコンシン大学に就職したコーリッシュは、かつての自分の弦楽四重奏団の第2ヴァイオリニストや、ウィスコンシンに在住していた旧プロ・アルテ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者らに声をかけ、プロ・アルテ弦楽四重奏団を再結成したのだった。

その後、コーリッシュの努力によって、このプロ・アルテ弦楽四重奏団はウィスコンシン大学の常設団体となり、メンバーを変えながら、今日も演奏活動を続けている。

このCD集には、シェーンベルクの弦楽四重奏曲の全曲がコーリッシュ弦楽四重奏団のメンバーで演奏されている。

まさに彼の演奏こそシェーンベルクの精神そのものと言ってよく、その感じはギーレン等に継承され、ひとつの伝統を築いている。

そのうちの弦楽四重奏曲第3番では、上述のプロ・アルテ弦楽四重奏団のメンバーとの録音が収録されており、コーリッシュ弦楽四重奏団とプロ・アルテ弦楽四重奏団の演奏スタイルの違いを比較できるようになっている。

コーリッシュ弦楽四重奏団での演奏は、活動の本拠だったウィーンの文化の影響があり、プロ・アルテ弦楽四重奏団のものと比べると、幾分もっちりとした演奏のように聴こえるだろう。

プロ・アルテ弦楽四重奏団の演奏は、コーリッシュ四重奏団のものと比べて機能面でスタイリッシュになり、より明晰な演奏ができるようになっている。

ベルクの『抒情組曲』は、そうした機能面での恩恵にあずかり、非常に見通しのよい演奏が実現している。

バルトークの弦楽四重奏曲第5番など、プロ・アルテ弦楽四重奏団の確信に満ちた解釈で、大変聴き栄えがする。

ほとんどのCDは、室内楽奏者としてのコーリッシュに光が当てられているが、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲やヴァイオリンとピアノのための幻想曲、バルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタなど、独奏者としてのコーリッシュの演奏も多少含まれている。

情感に溺れない理知的なアプローチは、バルトークのヴァイオリン・ソナタに込められた激情を掬い取っていないと言われるかもしれない。

ひたすらクールに弾き込むその演奏は、シェーンベルク譲りの楽曲分析の成果であり、激情に身を任せることを許さない、コーリッシュの強い意志の表れである。

シェーンベルクの協奏曲でも、盟友のルネ・レイボヴィッツのサポートを受け、ひたすら冷静にソロ・パートを弾き抜き、曲のフォルムを鮮明に描き出している。

グンナー・ヨハンセンと共演した幻想曲は、シェーンベルクの音楽をしっかりと咀嚼し、明快に聴き手に伝えようという使命感を感じる。

ヨハンセンはフェルッチョ・ブゾーニ門下のエゴン・ペトリや、フランツ・リスト門下のフレデリック・ラモンド、エトヴィン・フィッシャーらの薫陶を受けたデンマーク出身のピアニスト兼作曲家。

演奏家としてのヨハンセンは、1920年代からアメリカに遠征して、バロック時代の作品から同時代の作品までを広く紹介し、1940年代からは、アメリカの大学を回って、ベートーヴェンやブラームスといった、ドイツの音楽を積極的に演奏していた。

ウィスコンシン大学でもしばしばリサイタルや教授活動を行っていたヨハンセンにとって、コーリッシュは親しい同僚であった。

お互い知り尽くしたもの同士ならではの親密さを持ちながら、演奏解釈に一家言を持つもの同士ならではの丁々発止の仕掛け合いが面白く、シェーンベルクの音楽に生命の息吹をしっかりと吹き込んでいる。

本CD集の最後にシューベルトの八重奏曲を収録しているが、コーリッシュは現代音楽を重視するあまり、過去の作品を軽んじるようなことをしなかったということを示している。

コーリッシュ弦楽四重奏団の時代には、シェーンベルクから、モーツァルトやシューベルトといった、過去の名作もしっかり演奏するようにと助言されていたのである。

過去の作品を演奏するコーリッシュの至芸が申し訳程度にしか収録されていないのは、「コーリッシュを称えて」と銘打つには、いささかアイテム不足な気もする。

しかし、現代音楽の積極的紹介者としての側面を強く打ち出すことによって、コーリッシュの一側面を鮮やかに描き出した点は、高く評価したい。

録音は古いが、新ウィーン楽派やその周辺の音楽の受容を知る上では、貴重かつ重要な資料であろう。

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2018年01月30日


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カール・ベーム(1894-1981)のドイツ・グラモフォン音源の中からオペラ及び声楽曲を集大成した70枚のセットで、オペラ23曲中ヘンデルの『ジュリオ・チェーザレ』のみがハイライトでその他はセッションとライヴからの全曲盤になる。

しかもCD68のメトロポリタン歌劇場ガラ・コンサートでのただ1曲のヴェルディを除いて総てが独墺系作曲家の作品群で、その意味でも彼の真骨頂とも言える演奏が一同に会しているのが圧巻だ。

収録作品をパノラミックに概観すると声楽曲はベートーヴェン:『ミサ・ソレムニス』(1955年モノラル録音及び74年ステレオ録音の2種) ハイドン:オラトリオ『四季』(1967年ステレオ録音) マーラー:1)『亡き子を偲ぶ歌』 2)『リュッケルト歌曲集』バリトン/ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(以上1963年ステレオ録音) ブラームス:『アルト・ラプソディー』コントラルト/クリスタ・ルートヴィヒ(1976年ステレオ録音) モーツァルト:『レクイエム』(1971年ステレオ録音)

一方オペラはベートーヴェン:『フィデリオ』(1969年ステレオ録音) ベルク:1)『ヴォツェック』(1965年ステレオ録音) 2)『ルル』(1968年ステレオ録音) ヘンデル:『ジュリオ・チェーザレ』ハイライト(1960年ステレオ録音) モーツァルト:1)『イドメネオ』(1977年ステレオ録音) 2)『後宮からの逃走』(1973年ステレオ録音) 3)『フィガロの結婚』(1968年ステレオ録音) 4)『ドン・ジョヴァンニ』(1967年及び77年ステレオ録音の2種) 5)『コシ・ファン・トゥッテ』(1974年ステレオ録音) 6)『魔笛』(1964年ステレオ録音) 7)『劇場支配人』(1973年ステレオ録音) 8)『皇帝ティトの慈悲』(1979年ステレオ録音) R.シュトラウス:1)『サロメ』(1970年ハンブルク・ステレオ・ライヴ) 2)『エレクトラ』(1960年ステレオ録音) 3)『ばらの騎士』(1958年ステレオ録音及び1969ザルツブルク・ステレオ・ライヴの2種) 4)『ナクソスのアリアドネ』(1944年ウィーン・モノラル・ライヴ、1954ザルツブルク・モノラル・ライヴ及び1969年ステレオ録音の3種) 5)『影のない女』(1977年ウィーン・ステレオ・ライヴ) 6)『アラベラ』(1947年ザルツブルク・モノラル・ライヴ) 7)『無口な女』(1959年ザルツブルク・モノラル・ライヴ) 8)『ダフネ』(1964年ウィーン・ステレオ・ライヴ) 9)『カプリッチョ』(1971年ステレオ録音) ワーグナー:1)『さまよえるオランダ人』(1971年バイロイト・ステレオ・ライヴ) 2)『トリスタンとイゾルデ』(1966年バイロイト・ステレオ・ライヴ)

こうしたラインナップを見るとベームの凄さを改めて実感できる。

ワーグナーは、バイロイトで『指環』をふくめ破格の名演を多く紡ぎだしたが、本集ではそれはごく一部にとどめている。

また、モーツァルトとベートーヴェンでも抜群の成果ながら、ここはテイストの違いもあって競合盤も多い。

しかし、R.シュトラウス、ベルクでは作曲家からの信認をえていたベームの「君臨」はまさに独壇場で、そこを集中的に収録しているのが本集の最大の特色だろう。

尚CD68の後半からCD70までは1960年から73年に行われたベームへのインタビュー集で、モーツァルト、R.シュトラウス、ウィーン・フィルについての所感や自身のキャリアへの回想録になる。

縦20.4X横20.5X高さ14.5cmの大型カートン・ボックスで、内側に更に4つのラックに分けてそれぞれのディスクがオリジナル・デザイン・ジャケットに収納されている。

ブックレットは19X19cmで143ページの単行本仕様。

殆んどがトラック・リストに費やされていて歌詞対訳もないが、リチャード・オズボーンの書き下ろしエッセイの日本語訳を掲載。

幾つかのスナップの中ではリハーサル風景の数葉とリヒャルト・シュトラウスと共にデッキチェアを並べて寛ぐ写真が印象的。

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2016年07月25日


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ベームがベルリン・ドイツ・オペラを指揮した『ヴォツェック』(1965年スタジオ録音)、『ルル』(1968年ライヴ録音)は、今も忘れ難い古典的名盤で、別項に掲げたブーレーズ盤と双璧をなし、現在でも本盤の価値は未だに減じてはいない。

厳しい表現を覆う青白いペシミズムや沈鬱なムードは、表現主義が栄える一歩手前の象徴主義的新ロマン主義の世界に近いけれども、ドラマティックな展開の中に、時代背景をよく描き出し、ベルクの音楽の美しさと力が確固とした表現となって再現された演奏である。

作品としてのリアリティならびにドラマトゥルギーの見事さは、むしろ当盤の方に強く現れていると言ってよい。

『ヴォツェック』はミトロプーロスによる初録音や、1963年のホルライザーによるライヴ録音と比較してみると、改めて、このベーム盤の見事さが理解できる。

ベームは厳格極まりないアンサンブルの緻密さを目指しながらも、ベルクの音楽の美しさと、各場面の心理的描写の綾を見事に描いている。

そしてベームは、このオペラの現代性や構成上の特質を殊更に強調しようとはせず、あたかもR.シュトラウスのオペラの延長上で捉えているかにみえる。

このアプローチの中から、巧まずして作品の緊密な書法と緊迫感溢れる音楽特性が鋭利に抉り出される。

こうしたベームの厳しい音楽作り、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の原色的な音の肌触りと抜群のうまさ、フィッシャー=ディースカウやシュトルツェらの自在な役作りの面白さの魅力は、永遠の生命を持っている。

F=ディースカウ演じるヴォツェックはかなり特異で、“疎外された人間”のイメージとは隔たりがあるにせよ、精妙きわまりない歌唱を聴かせており、緻密な、しかも鋭い心理の襞の描出は素晴らしく、やはり超一流である。

主人公の心理の想像を越えた起伏、その激しいゆれをその歌声は克明に綴っていき、「我ら貧しきものたち」の悲劇はこの歌唱のなかでまさに劇的に進展していくと言ってもよいだろう。

更にリアーによる迫真のマリー役、シュトルツェ入神の大尉役、ヴンダーリヒのアンドレス役、ともに大きな聴きどころであり、その存在感と説得力は今も色褪せておらず、最高のキャスティングを生かしきったベームの演出力には凄味すら感じる。

チェルハ3幕完成版が話題を呼んでいる現在も尚、ベームの『ルル』はこの作品の代表盤であろう。

歌手陣の充実はもとより、ベームとベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団の強靭でしかも豊穣な曲運びには感嘆させられる。

ベームの姿勢はあくまで峻厳だが、その根本姿勢に現代音楽への気負いは皆無で、むしろ古典的と言おうか、従来の調性オペラへのアプローチと変わることのない行き方を貫いている感があり、それゆえこの十二音オペラが、少しも十二音的でなく聴こえる。

もちろんベルク後期、調性と十二音列の融和への志向はとみに著しいが、かといってベームは甘美なロマンに微塵も溺れはせず、自然体の構築の中から、作品の複雑な楽曲構成を浮かび上がらせる演奏だ。

ここで『ルル』は過去と決別した20世紀の異様なオペラではなく、伝統の上に立つ傑作として演奏されているが、それがまた凄い。

ただし、ライヴ録音ゆえか、必ずしもベームとしては万全のものとは言えず、もっと時間をかけた丹念な演奏をスタジオ録音して欲しかったと惜しまれる。

とはいえ冷たく妖艶なリアーと、完璧なまでの語り口のF=ディースカウなどの歌手陣の熱演は、まさに壮観そのものだ。

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2015年06月15日


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初出の時は、新ウィーン楽派の3人の作曲家の弦楽四重奏作品を集成、世界各国のレコード賞を総なめにしたアルバムであったが、本セットは、これらの作曲家の作風の先輩格にあたるツェムリンスキーの作品も併録し、集大成した画期的な全集。

シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン、ツェムリンスキーの楽譜を謙虚に見つめ、その本質を明快なアプローチでクリアーに描き切った、ラサール弦楽四重奏団一世一代の記念碑的名演。

弦楽四重奏といえばドイツ、オーストリアが中心といった通念を壊し、弦楽四重奏演奏に新たな地平を開いたのがアメリカの四重奏団であった。

中でもラサール四重奏団は、メンバーのうち3人がヨーロッパに出自をもちながらジュリアードで学び、その緻密なアンサンブルと幅広い音楽性によって、ヨーロッパの若い弦楽四重奏団にも大きな影響を与えた。

そうしたヨーロッパから持ち込まれた音楽伝統が、アメリカの現代的感覚で磨きをかけられることによって生まれたユニークな音楽性こそ、このクヮルテットの持つ際立った特色である。

豊かで正確な見識と、目を見張るばかりの高度なテクニックに支えられた、音楽に対するあの積極的で誠実な姿勢が生み出されてきたものと想像される。

彼らはベートーヴェンやロマン派の音楽にも大きな成果を挙げたが、最も得意としたのは20世紀音楽であり、新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲全曲を収めたこの集成盤は、彼らの精密な合奏能力や音楽性の高さが集約されたものとして、20世紀弦楽四重奏演奏の金字塔の1つとなっている。

ラサール四重奏団は、これらの作品を謙虚に受け止め、それを余裕のあるテクニックで的確に表現し尽している。

そして、客観的にそれぞれの作品の性格を描くことにより、4人の作曲家の作風の違いを明らかにするとともに、シェーンベルクの場合など作風の変遷も明確に演奏に反映することに成功している。

また、どの曲をとってもきわめて音楽的であるところが素晴らしい。

この演奏を通して、新ウィーン楽派の作品が決して頭で聴くものではなく、耳と身体全体に喜びを与えてくれることを教えられた人も少なくないだろう。

こういう共感ができるのも、このラサール四重奏団の演奏に「血の流れ」が感じられるからかもしれない。

もちろん演奏の密度はきわめて高く、適度の緊張感が聴き手の注意をそらさない。

なんでも、メンバーの各人が楽譜を筆写して演奏に臨んだらしく、なるほど、一聴すると無機的にも見える音の並びを見事に生き生きと、つややかに表現できている。

これらの作品解釈のひとつの規範となる演奏だ。

また、ここでは、マーラーとベルクの狭間に位置し、新ウィーン楽派に大きな影響を与えた作曲家、ツェムリンスキーの弦楽四重奏曲全集について指摘しておかねばならない。

新ウィーン楽派の音楽に傾倒していたラサール四重奏団にとって、その栄光を称えるためには、その楽派の先駆的存在であったツェムリンスキーは、必然的にとりあげなければならない作曲家だったに違いない。

このラサールによってひき起こされたツェムリンスキー再発見運動は、新ウィーン楽派の音楽をより深く理解するうえで極めて意義深い材料を提供してくれたことになる。

演奏は、ツェムリンスキーのもつ表現主義的緊迫感を明晰に表現し、そのルネッサンスに先駆をつけた名録音。

このツェムリンスキーを演じても、ラサール本来の曖昧さのない美意識はますます冴え渡っており、彼らが弦楽四重奏の世界で実践した演奏美学は、1980年代の演奏史に大きな足跡を残すこととなった。

新ウィーン楽派の音楽に心から共鳴し、それに暖かい血を通わせた名演として、演奏史に永遠に輝く記念碑となろう。

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2014年07月12日


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このケーゲル盤の演奏は、オーケストラの表出する熾烈なまでの音響的インパクトが素晴らしく、このオペラならではの破滅的なまでに強烈きわまる音楽の醍醐味を存分に満喫することのできる名演だ。

古典作品の構造引用を睨みながらも、表現主義的なエネルギーを強烈に引き出した凄い演奏であり、「ヴォツェック」の決定盤はこのCDなのではないだろうか?

どう聴いても声楽台詞付き器楽曲のように聴こえるこの歌劇の最も精力にあふれた演奏。

ケーゲル&ライプツィヒ放送響の奏でるオーケストラの響きは、尋常ではない緊迫感を感じさせるものがある。

ケーゲルは冷静時代の東独という目立たない所で活動していたので、ついぞ脚光を浴びることはなかったが、これから大いに再評価されて欲しいものだ。

アバドやバレンボイムを凌駕する圧倒的情報量、鋭すぎるフレージング。

ブーレーズはこの曲を見事に整理したが、ケーゲルはより複雑に、怪奇に、カオスに、まさに今そこにある危機的状態を感じさせるものがある。

この音と音の壮絶なせめぎ合いを破綻させないのだから、やはりこの指揮者の力量は凄い。

これまでに聴いたアバドやバレンボイムの演奏が中途半端で生ぬるい演奏に聴こえるほどホットで、聴いていて耳が火傷しそうなほど熱い最高の「ヴォツェック」である。

冷徹なブーレーズ盤の対極にある演奏と言えるところであり、鋭利な刃物のような切れ味で、耽美的なところもあって、マーラーのようなシニカルなところもありながら、ショスタコーヴィチのような光と影のコントラストを感じさせるところもある。

「パルジファル」全曲やヒンデミットの管弦楽曲も凄かったが、この「ヴォツェック」はこのオペラの心眼に斬り込んでゆくような更なる凄みがある。

ここでのライプツィヒ放送響の最盛期におけるアンサンブルは充実を極めていて、あたかも狂気と耽美とが紙一重で共存するような、ギリギリの領域で音楽が進展し、その強烈ぶりに聴いていて惹き込まれてしまう。

言うなればシナリオの絶望感を、演奏の狂気感が超えていて、完全にとり憑かれている、という感じであろうか。

歌手陣も秀逸で、ライヴ録音ならではの緊張感があり、貫禄充分なアダムの主役を筆頭に、テンション高い歌手陣の頑張りも実演ならでは。

「三大性格テノールコンサート」の1人に入れてもいい、ハウプトマン役のヒースターマンの歌唱は最初から強烈。

マリー役のシュレーターは、ベーレンスやマイヤーよりは弱いかもしれないが、街の片隅に生きる「小市民」のマリー、どこにでもいるような「あばずれ女」のマリーとしてはイメージとして適合している。

どのキャストもまさに迫真の演技で、聴いているうちに自己の精神までも分裂してしまうんではないか、という恐怖感に苛まれてしまう程の凄演だ。

1973年のライヴ録音であるが鑑賞上で何ら問題の無い高音質なのもうれしいところだ。

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2014年03月12日


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2007年のヴッパータール響の初日本公演時にモーツァルトのピアノ協奏曲を弾き振りし、そのあまりに表情豊かな演奏で観客を驚かせた上岡が、満を持して発表するピアノ・ソロ・アルバム。

ヴッパータール交響楽団との数々の名演で、今や時の指揮者となっている上岡であるが、何と、ピアノ独奏曲を録音したのは大変な驚きである。

しかも、曲目が、内容の深さで知られるシューベルトのピアノソナタ第21番とはさらに驚いた。

このような深みのある楽曲を、自らのピアニストとしてのデビュー曲に選ぶとは、上岡としてもよほど自信があるのだろう。

同曲は、その内容の深さとともに、その後のブルックナーや、さらには新ウィーン楽派に繋がっていくような斬新な響きに満ち溢れているが、カップリング曲として、アルバン・ベルクのピアノ・ソナタを選択した点にも、上岡の同曲への深い理解を感じさせる。

演奏は、ゆったりとしたテンポによる思い入れたっぷりのものであり、これは、上岡が、ヴッパータール交響楽団とともに演奏した数々の交響曲などと共通するアプローチと言える。

第3楽章などでは若干の明るさ、軽快さも感じさせるが、全体としては、暗い音調が支配しており、同曲をここまで深刻に演奏した例は、これまでもなかったのではあるまいか。

したがって、同曲に、ウィーン風の典雅さを期待する聴き手には、相当な批判もされようが、シューベルトの最晩年の心の深層を抉り出すという厳しいアプローチは、同曲の真の魅力を引き出そうという真摯な姿勢として、高く評価すべきものと考える。

録音は、マルチチャンネル付きのSACDであるが、上岡による暗い音調もあって、イマイチ効果を発揮していないと感じた。

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2011年12月24日


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《ヴォツェック》演奏史上に大きな足跡を残した名盤。

ブーレーズの怜悧な眼光によって解き明かされたビュヒナーとベルクによる心理世界は、一点の曖昧さも残さず、人間存在の根底に迫ってくる。

明晰な分析に基づき、ベルクのスコアを緻密かつ克明に再現する。

鋭敏な表現で線の錯綜をくまなく表出するオーケストラは、当ディスクの最大の魅力。

切れ味鋭いアプローチでこの作品の前衛的な側面に強い光をあてる。

シュトラウスのマリーも、この表現に合致し、主役のベリーをはじめとする歌手たちの名唱が、ブーレーズの描く管弦楽の荒涼たる世界の上で、苦渋に満ちた人間存在への深い問いかけを行っているのである。

正直なところ現在の筆者は、《ヴォツェック》よりも数段《ルル》の方を好むが、ベルクの音楽に接しはじめた当時、《ヴォツェック》の持つ求心的なドラマトゥルギーや構成の明晰さと堅固さ、無駄なく切り詰められたフォルム等に幾度となく驚かされたものである。

その大きな原因はまさにこのブーレーズ盤の先鋭なアプローチにあった。

現在再度聴いても、際だって説得力のある鮮烈な演奏である。

スコアの隅々まで精巧に読み解き、独自の急進的センスによって徹底的な彫琢を加えた《ヴォツェック》ディスクであり続けている。

刺激と知性に満ちた《ヴォツェック》解釈の金字塔である。

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2010年12月16日


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ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲が生み出されたのは、1931年のことであった。

それを現代のヴィルトゥオーゾ、パールマンが小澤=ボストン響とレコーディングしたのは1978年のことである。

その50年にも近い時間の経過が、作品の位置と評価を変えてきたのも事実であろう。

特に、このパールマンの演奏を聴くと、その音楽があまりにも平易に、しかも実に多彩な音色とともにその魅力を明らかにしているのに驚かされる。

それは、パールマン自身の音楽的な志向が、決してこの作品と距離をおいたところにないということを思わせており、明るくスケルツァンドな性格がや近代的な抒情性が、シャープな語法の中に自然に生きている。

すばらしいテクニックの持ち主であるパールマンに、このような技巧的な曲を演奏させると、その実力を万全に発揮する。

フレッシュな感覚にあふれているのも魅力で、小澤の指揮も、ぴたりとツボを心得た練達ぶりを見せている。

カップリングされたベルクのヴァイオリン協奏曲も熱演だ。

パールマンの冴えたテクニックと、すこぶるあたたかで、ニュアンスの豊かな音色にひかれる演奏である。

パールマンは、卓抜な技と美麗な音をしなやかに生かして、作品への熱い思いとロマンに存分な表現を与えている。

柔軟かつ明快で、ヒューマンな味わいもこの名手ならではの魅力で、小澤のセンシティヴな指揮ともども、作品の魅力をくっきりと琢磨している。

ことに、ベルクの音楽の一面である、濃厚なロマンティシズムを強く表出しており、その情感豊かな表現は感動的だ。

小澤の棒も、のびのびとしていてすばらしい。

「ツィガーヌ」でのパールマンは、ヴァイオリンを存分に歌わせ、その名人芸をたっぷりと披露しており、聴いていて楽しい。

メータのバックもうまい。

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2010年09月25日


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シノーポリは、極端なコントラストをつけるのが好きだった。黒か白みたいな音楽作りだった。それがうまくいくときもあるが、底が割れてしまうときもある。トスカニーニにしろ、イタリアの音楽家にはそのような強い傾向が見られることがままある。

だとすると、中間色を豊富に持つシュターツカペレ・ドレスデンとの相性はどうなるのか?

心配ない。オーケストラは、シノーポリがどう棒を振り回しても、動じなかったのだ。あくまでオーケストラの表現力主導の音楽になる。

それで、彼らの《抒情組曲》《ヴォツェック》断章、《ルル》組曲。

とにかくオーケストラ自体の力に脱帽する。

ぞっとするような艶っぽい、そして不安げで重苦しい響きを立てている。

《ヴォツェック》断章をこれほどの密度と洗練で演奏した例は、これとカルロス・lクライバーの海賊盤(Melodram)くらいだろう。

とりわけ3つめの楽章の繊細きわまりない音色の饗宴には降参だ。クライバーだとヴェズリモ的にワッと行くのだが、ドレスデンだと控え気味である。

だが、その抑制のなんたる気持ち悪さ。頭の部分もだが、ヴォツェックが溺れたあと、2分20秒過ぎからの妖しくうねる美しさ。

そして《ルル》組曲の第1曲も同様で、足下から冷気がジワジワのぼってくるようだ。

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2009年12月17日


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1936年5月1日に行われたベルク追悼コンサートにおけるライヴ録音。

やや貧しい録音ではあるが、歴史的記録としてだけでなく演奏の共感の深さで他に代えがたい魅力をもった盤である。

委嘱者であり初演者でもあったクラスナーが、ロンドンでの作曲者の追悼演奏会で、作曲者と同門のヴェーベルンの指揮で演奏した際の録音である。

この協奏曲の初演者クラスナーのヴァイオリンは音に艶があり、その解釈はきわめて意欲的で強弱の幅が広く、従って感情の昂揚と沈潜の対照がはっきりと浮かびあがってくる。

ヴェーベルンの指揮も起伏が大きく、同時に細かいパッセージに神経を使っており、演奏の緊張感が充分に伝わってくる。

ともかく完璧主義者であったヴェーベルンは、バルセロナでの世界初演時にもオケの指導を行なったのだが、リハーサルを重ねながらも本番前に降りてしまった。

その責任感の深さと理念の高さは、この演奏にはっきりと聴き取ることができる。

指揮者ヴェーベルンの力量を知るうえでも貴重な内容だ。

加えて、当時の巨匠たちに名作を書かせたクラスナーの情熱もここに味わえる。

「抒情組曲」のガリミール弦楽四重奏団の演奏は、柔らかい響きと洗練された感覚が作品にすっきりした雰囲気を与えている。

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2008年09月29日


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周知のように当オペラは2幕のみの未完の作品だが、これはウィーンの作曲家ツェルハによる完成形3幕版での唯一の録音である。

1979年にブーレーズ指揮、シェロー演出でパリ・オペラ座で初演され、大評判となった。これはその同一キャストによる録音である。

ブーレーズの一分の隙もない統率のもとで、オーケストラもすべての歌手達も見事なアンサンブルを聴かせている。

しかも、彼の指揮は単に精確なきびしさだけに留まらず、舞台上のドラマとしての起伏や多彩な効果の点で、一段と豊かな表現を示すようになった。

また、パリ・オペラ座のオーケストラのもつ透明でデリケートな音色感の多様さが、ベルクの音楽の精妙なディティールをよりいっそう明瞭に語り出している点も、特徴のひとつである。

このまがまがしくも魅力的なオペラの音楽を素晴らしく雄弁に演奏していて見事だ。

ルル役のストラータス、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢役のミントンをはじめとする歌手たちの気迫がものすごい。

そしてなにより、ベルクの音楽が持つ異様な力に圧倒される。

現代ものを難しいと敬遠している向きにもお薦めしたいディスクだ。

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2008年07月30日


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アルバン・ベルク弦楽四重奏団が1990年代にリリースされた録音では、どれでも彼らは、緻密で切れ込みの鋭い鮮烈さに、柔軟な響きと人間感情をまるで音に移し替えたようなロマン性を加え、比類のない内面的精神の深さを引き出しているが、これら2曲でもそれが最高に生かされている。

特に「抒情組曲」はまさに空前絶後ともいえるような演奏で、それぞれの音語法は、すでに完全に彼ら自身の言葉と化しており、ベルクの音楽、それを実現する音、それを引き出してくる彼らの鮮やかな技術、その背後にあるメンバー個々の精神などがまさに一体となり、それらの間に寸分の隙も感じられない。

全編がまさに息をもつかせぬ緊迫感に支配されているが、例えば第5楽章の身の毛もよだつほどの凄まじい劇的表出力は、音楽を以て音楽を超えたといっても良いほどの核心を衝いたものである。

また続く第6楽章でも、その表現の内実の豊かさは、まるで彼らがベルクの化身と化したような錯覚さえ覚えるほどである。

もちろん作品3も劣らぬ名演で、彼らが20世紀作品の演奏にこだわってきた集約が示されているといっても良い。

この演奏で聴くと、ベルクは難解どころか、彼の言わんとすることが手に取るようにわかるのだから演奏の力とは恐ろしいものだ。

超の字を冠したいほどの名演奏である。

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2008年06月02日


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ベルクの「ヴォツェック」は音楽史上初めて無調で作曲されたオペラで、20世紀になって書かれた最もすぐれたオペラの一つに数えられる作品である。

1986年からウィーン国立歌劇場の音楽監督をつとめていたアバドと同歌劇場の初のオペラ録音で、87年6月に行われて絶賛を博した上演のライヴ録音である。

この2年後、89年のウィーン国立歌劇場の日本公演でもアバドはこの作品を採り上げ、見事な舞台を聴かせていた。

ベルクの音楽のもつ多彩な響きを実に巧みに表出した見事な演奏で、現代曲をよく採り上げているアバドとしても、最高の演奏の一つといえるだろう。

アバドの、緻密でしかも即興性もあり、すこぶる表情と色彩に富んだ指揮がダイナミックな好録音によって迫力を倍増、異様なまでの生々しさとなって迫る。

独唱陣も粒が揃っており、このオペラの強烈なドラマを万全に表現している。

マリー役のベーレンスは、歌唱至難なスコアを正確に、しかも豊かな感情を盛り込みながら歌っており、至難な役どころを完璧に歌いきっていて素晴らしい。

さらに見事なのはツェドニクの大尉で、実に多彩な声の色を駆使しながら、役の俗物性をさらけ出し、また鬼気迫る表現も生み出している。

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2008年05月02日


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ベートーヴェンでのクレーメルの音色はこの上なく艶やかで、時には耽美的であり、そのフレージングは極めてなよやか、かつ自在、それらが最高のテクニックの裏づけを伴って最も敏感でデリケートな表現を生む。

ベートーヴェンの精神的な深さを抉るよりは、聴く者の感覚をくすぐる演奏といえよう。

マリナーの伴奏はオーソドックスで真摯な指揮ぶり。

ベルクは生誕100年を記念しての録音。

クレーメル、デイヴィス共に初のベルクだった。

クレーメルの引き締まった音は、厳しい精神と結びついて演奏に粛然とした雰囲気をもたらす。

しかし、その響きは決して刺激的なものではなく、すっきりとしたスタイルを保ちつつ表情は豊かである。

ベルクの音楽がもつ性格とよくマッチした演奏といえよう。

ことに少女マノンの苦悩と死を描いたといわれる、第2楽章の表現が絶品で、悲劇的な内容を深々と表現しているところがすばらしい。

デイヴィスの指揮も同様に引き締まった音でしなやかに演奏し、音楽に美しさを与えている。

すべてのパートが明快で、フォルテの響きも決して重くならない。

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2008年04月26日


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シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンといった、新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を収録したラサール四重奏団の画期的な全集。世界各国の芸術大賞を総なめにした録音であることでも有名。

これらの作曲家のすこぶる特異な内容をもつ芸術の奥行きをとらえた稀有の名演である。

どの曲も緊張感を持ち、しかも作品が要求する多様な技巧を尖鋭をきわめた正確さで音にしながら、たんに精密な表現ということでなく、音楽を全身で受けとめ、演奏する楽しみや喜びさえも生々しく伝えてくる見事な演奏だ。

つまり、作品のもつ精緻な表現を前面に押し出した演奏ではなく、人間的な感情の温かさ、豊かさを感じさせる演奏となっているところに魅力を感じる。

この演奏により、新ウィーン楽派の音楽が頭デッカチの曲なのではなく、身体と心で聴くものだと認識させられた。

そしてこの3人の作曲家の相互の差異や、作曲家個人の内部での様式の変化といったものを、この優れた演奏を通じて具体的に知らせてくれる。

おそらくは作曲者も予期しなかったようなスコアの再現ぶりで、聴く者を魅惑する。

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2007年11月15日


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シェーンベルクの登場した背景が19世紀末ウィーンであることは言うまでもないが、もっと広い視野で後期ロマン派の終焉を彼に見る方が適当だ。「グレの歌」の成立にはワーグナーの存在を考えないわけにはいかない。

彼の直接の先輩や同僚、つまりマーラーやツェムリンスキーとの関連も当然大きい。特にマーラーは終始シェーンベルクの強力な支持者であった。彼の助力なくして、ほとんど独学のシェーンベルクがあのような軌跡をたどることはできなかったのではなかろうか。

シェーンベルクは表現主義の時期以後多数の生徒を持った。中でも単に生徒にとどまらずアルバン・ベルクとアントン・ウェーベルンの存在は非常に大きい。最後のドイツロマン派作曲家としてのベルクの作品は、2つのオペラ「ヴォツェック」「ルル」や遺作の「ヴァイオリン協奏曲」等がよく知られている。

またシェーンベルクをなかばリードしていた先駆的な生徒、ウェーベルンの作品は、初期、中期の表現主義から後期の徹底してシンプルな12音の作品まで、筆舌に尽くせない鋭い感性に貫かれており、更に第二次大戦後の現代音楽の出発点になっていた。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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