スヴェトラーノフ

2016年03月07日


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チャイコフスキーのバレエ音楽には、アンセルメやデュトワによる洗練された色彩美を誇る名演や、プレヴィン、ボニングによる英国ロイヤル・バレエの流れを汲む名演、そしてロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどによるロシア風の民族色溢れる名演などがあまた存在しているが、このスヴェトラーノフによる演奏は、前述のロシア風のあくの強い民族的な流れを最も感じさせる超個性的な名演と言うことができよう。

ラフマニノフの交響曲全集とともにスヴェトラーノフが遺した最高傑作の呼び声もある同アルバムは、今でもチャイコフスキーのバレエ音楽の最上演奏のひとつとして高く評価されている。

また再評価され高い人気を誇るスヴェトラーノフ・ファン必聴のアルバムであり、ロシア国立交響楽団のまさにロシアの広大な大地を彷彿させる咆哮サウンドは現在世界のどのオーケストラも出すことのできない強靭なサウンドである。

チャイコフスキーの3大バレエ音楽は、言うまでもなく以前からきわめて人気のある作品である。

そして、“バレエ音楽の神様”と評されたアンセルメやドラティの名演を始めとして、前述の様々な指揮者によって《白鳥の湖》《眠れる森の美女》《くるみ割り人形》の名盤がいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィン&ロンドン交響楽団が最も万人向けな誰にでも安心して薦めることのできる名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きなチャイコフスキーの3大バレエの演奏は、本BOXに収められたスヴェトラーノフによるいかにもロシア的なあくの強い演奏である。

本BOXに収められた諸曲の演奏は、おそらくはそれぞれの諸曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

何よりも真実味に富んだ音楽的な感興があり、しかも全体の設計に無理がなく、平衡感の強い造形で、各パートも細部までよく練られ、明晰な音楽が生まれている。

この決然とした表現はロシアの血の表明であり、聴き手を説得せずにはおかない本場物のよさがある。

バレエのダンサーからすると、このあくの強い演奏は踊るのに不向きとの声も聞かれそうだが、長編の交響詩風の演奏は他のどの指揮者よりも説得力があり、聴いた後の充足感には比類のないものがある。

まるで重量物が大きく弾む様を思い浮かばせるが、スヴェトラーノフとロシア国立交響楽団によるこうしたロシア的特質は、豪壮雄大なロシアのオーケストラの音楽の特徴を今に伝える貴重な存在と言えよう。

金管にロシア風の強烈さがあるのは当然だが、ここまで洗練された感覚美を感じさせるのはロシアのオケではあまり例がない。

いずれにしても、ロジェストヴェンスキー、フェドセーエフ、ゲルギエフなどのロシア系の民族色の強い演奏の系譜の中では、このスヴェトラーノフの演奏はその最右翼に位置する破格の名演として高く評価したいと考える。

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2015年06月01日


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これは世紀の珍盤として有名なものだ。

かつて多くのスヴェトラーノフ・ファン、オーケストラ・ファンが待ち望んでいた、ヤフー・オークションで5万円で取り引きされたという恐るべき演奏である。

その後、輸入盤として異常なベストセラーを記録しただけに、本演奏は既に伝説化している感があるが、改めて聴いてみても、スヴェトラーノフならではの重厚でパワフルに押し切るという重量級の凄い演奏だ。

何しろ、多少の乱れなど気にせず突き進むエネルギー感といい、ここまでやるかという思い切って野蛮な表現といい、耳をつんざくような轟音といい、誰もが驚く強烈なライヴ録音なのである。

良くも悪くもスヴェトラーノフの強烈な体臭が最大限に押し出されており、謎の邪教徒秘密儀式といった猟奇的な雰囲気と、爆弾が次々に炸裂するような迫力は類を見ない。

《ローマの噴水》は、まず「夜明けのジュリアの谷の噴水」の繊細で情感豊かな音楽に魅了されるが、次の「昼のトレヴィの噴水」の凄まじい大音響は、あたかもあたり一面が大洪水になったかのような圧巻の迫力だ。

《ローマの松》も、「ボルジア荘の松」のゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽からしてユニークであるが、凄いのは「アッピア街道の松」。

あたかも旧ソヴィエト軍の示威進軍のような圧巻の迫力を誇っており、アッピア街道を踊り狂いて渡っていくかのようであり、特に終結部のいつ終わるとも知れない強引さには、完全にノックアウトされてしまった。

実に13秒間(!)に及ぶ最後の和音が終わった後のブラヴォーも1980年当時のモスクワでのコンサートとしては異例の強烈さである。

《ローマの祭り》は、まさにスヴェトラーノフの独壇場で、唸る低弦といい、どろどろしたブラスの咆哮といい、スピーカーの前がお祭り騒ぎになるのは間違いない。

「チルチェンセス」はゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽であるが、猛獣の唸り声を模した金管楽器の咆哮は凄まじいの一言であり、阿鼻叫喚の世界を構築する。

「五十年祭」のテンポはさらに遅く、トゥッティにおけるトランペットの耳をつんざくような音色は強烈そのもの。

超スローテンポと相俟って、あたかも巨大な壁画を思わせるような壮大な音響世界の構築に成功している。

「主顕祭」はスヴェトラーノフ節全開で、すべての楽器を力の限り咆哮させており、狂喜乱舞とも言うべき圧倒的な熱狂の下に全曲を締めくくっている。

いずれにせよ、作曲家の発想をここまで露わにした演奏も他になく、過去の『ローマ三部作』の名演とは一味もふた味も異なる異色の演奏とは言えるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の名演に一歩も引けを取っていない。

『ローマ三部作』を初めて聴く人にはお薦めできないが、日常に飽き足りない人、何か強力な刺激を求めている人にはこのCDは最適と言えるだろう。

スヴェトラーノフの個性的な指揮の下、ソヴィエト国立交響楽団がロシア臭芬々たる爆演を披露している点も高く評価したい。

フランス印象派音楽の亜流と見なされがちなレスピーギをこんなふうに演奏できるのかという衝撃と同時に、なるほどスヴェトラーノフは特に晩年各地のオーケストラに客演していたが、ここまで凄まじい演奏は手兵以外とはできないであろうことは容易に推測できる。

リマスタリング・エンジニアには天才イアン・ジョーンズを迎え、万全を期しての復刻されたとのことで、その音質も鮮明、文句のつけようのない素晴らしさだ。

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2015年05月21日


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1995年10月2-7日 モスクワ放送局第5スタジオにて収録。

スヴェトラーノフが1990年代にセッション・レコーディングを行なったラフマニノフ交響曲&管弦楽曲全集が再リリースされた。

スヴェトラーノフが遺した最高傑作の呼び声もある同アルバムは、今でもラフマニノフの最上演奏のひとつとして高く評価されている。

また再評価され高い人気を誇るスヴェトラーノフ・ファン必聴のアルバムであり、ロシア国立交響楽団のまさにロシアの広大な大地を彷彿させる咆哮サウンドは現在世界のどのオーケストラも出すことのできない強靭なサウンドである。

ラフマニノフの交響曲や管弦楽曲は、近年ではきわめて人気のある作品である。

そして、プレヴィンやアシュケナージ、マゼール、エド・デ・ワールト、デュトワ、ヤンソンスなど、様々な指揮者によって管弦楽曲等を含めた交響曲全集がいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィンの全集が随一の名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きなラフマニノフの交響曲等の全集は、本盤に収められたスヴェトラーノフによる最後の全集である。

本盤に収められた諸曲の演奏は、おそらくはそれぞれの諸曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

このようにどの曲も凄まじいまでの強靭な迫力と熱き情感に満ち溢れているのであるが、一例を掲げると有名な交響曲第2番の第3楽章。

スヴェトラーノフは、本楽章を17分という途轍もなく遅いテンポで、ラフマニノフによる最美の名旋律を渾身の力を込めて徹底的に歌い抜いている。

その濃厚の極みとも言うべき熱き情感のこもった歌い方は、いささかの冗長さも感じさせることなく、いつまでもその音楽に浸っていたいと思わせるほどの極上の美しさを湛えている。

スヴェトラーノフは、1960年代にも、ロシア国立交響楽団の前身であるソヴィエト国立交響楽団を指揮してラフマニノフの交響曲全集をスタジオ録音しており、それらも名演の名には値すると思うが、演奏全体の完成度や彫りの深さといった点において、本盤に収められた諸曲の演奏には到底敵し得ないと考える。

いずれにしても、スヴェトラーノフによる本全集は、例えば音楽之友社発行の「名曲名盤300選」などにおいては、評価の遡上にすら掲げられることがないものであると言える。

しかしながら、スヴェトラーノフによる本盤に収められた諸曲の演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力と濃密な内容を誇っていると言えるところであり、筆者としては、かのプレヴィンによる全集にも比肩する名全集と高く評価したいと考える。

もっとも、音質について言えば、本盤でも全く問題ないのであるが、一例を挙げればノイマンの各種の録音がエクストンからSACD化されて再発売されたという実績に鑑みれば、今後、スヴェトラーノフによる一連の録音も、エクストンによってSACD化することは可能なのではないだろうか。

少なくとも本盤に収められた諸曲の演奏は、スヴェトラーノフによる至高の超名演でもあり、可能であれば、今後SACD化を図るなど更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2015年03月12日


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旧ソ連の巨匠指揮者エフゲニ・スヴェトラーノフが、1988年というチェリビダッケが鍛えに鍛えた全盛時代のミュンヘン・フィルに客演したワーグナー・アーベント(恐らくこれが唯一の共演)・ライヴ。

スヴェトラーノフとチェリビダッケ支配下のミュンヘン・フィル、そしてワーグナー、いずれの組み合わせも、固定観念では発想しがたく、実現した経緯も半分イベント的な意図だったかもしれない。

しかし、その結果、高い次元でスタンダードさと開放的な力強さのバランスが取れた名演が生まれた。

最もドイツ的なオーケストラによる力の漲った鳴りっぷりのいいワーグナーの名演、と言ってもいいかもしれない。

シルキーで透明な弦楽合奏の美音、マッシヴな金管の咆哮、アンサンブルの精緻は滅多に耳にすることのできない逸品であり、しっとりとした落ち着きと極大な包容力を誇る魅力たっぷりの名演集である。

チェリビダッケ全盛期のオーケストラから、スヴェトラーノフらしい重厚かつ情感あふれる個性的なトーンを引き出し、それが、ワーグナーの音楽に見事にマッチしているのはさすがという他はない。

それは、逆にこのコンビだったからこそ誕生し得たものであり、いつもとは異なり、自国の音楽をストレスフリーで楽しんでいる楽員の活き活きとした表情が見えるかのようなワーグナーなのである。

正直な話、同じオーケストラをチェリビダッケが指揮したワーグナー集のCDをはるかに上回る。

特に「マイスタージンガー」第3幕前奏曲と「ローエングリン」第1幕前奏曲は絶品。

最初の「マイスタージンガー」第1幕前奏曲はやや雑然としているが、2曲目の第3幕前奏曲以後は、この指揮者とオーケストラが意外なほどに調和しているさまが見て取れる。

これは、すでに老いを自覚し、雑念や欲から逃れようとする主人公がもの思いに耽る場面で奏される音楽である。

オペラ全体の中でもっとも深みのある音楽のひとつとされているけれど、ここでのスヴェトラーノフのように感情豊かに奏でた例は空前絶後ではないか。

おそらく劇場では難しいであろうほどのゆっくりしたテンポで、ひとりの男の胸に去来するもの、すなわち自分は去らねばならないと知った人間の悲しみをじっくりと描き出す。

豊満な音色の弦楽器は時にすすり泣くようにも聴こえるし、2分過ぎからなど、まさしく溜め息そのものような音楽だ。

ヴァイオリンやフルートのあまりにも澄んだ響きは、さすがにチェリビダッケとともに繰り返しブルックナーを演奏し続けてきた楽団ならではの美しさである。

続く「ローエングリン」第1幕前奏曲も息をのむような美しさで、陶酔的だ。

単に音響的に美しいというだけではない。

醜悪なこの世界を逃れて、美しい世界に憧れる強い気持がどうしようもなく切々と示されているのである。

筆者はこの「ローエングリン」第1幕前奏曲ほど、現実の世界に絶望し、別世界を夢想してそれに殉じようとするロマン主義芸術家たちの悲惨と栄光と誇りを表現したものはないと思っているが、スヴェトラーノフが奏でたのはまさしくそのような音楽だ。

ついに感極まったように金管楽器群が圧倒的な音響の大伽藍を築きあげるとき、そこに鳴っているのはまさにひとつの精神である。

先の曲と同じくこの曲でも、時間が完全に止まっているのではないかという不思議な印象を受ける。

まさに心にしみいるような音楽だ。

ただ美しいだけ、迫力があるだけでなく、深い音楽を聴きたいのであれば、昨今これに優るものはないかもしれない。

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2014年09月18日


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凄い演奏が登場した。

ヴァイトブリックレーベルから発売されているスヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による一連のライヴ録音はいずれも凄い演奏揃いであるが、本盤のブラームスの交響曲全集もそれら既発の演奏に優るとも劣らないような豪演と言えるであろう。

スヴェトラーノフによるブラームスの交響曲全集と言えば、かつての手兵であるソヴィエト国立交響楽団とともに行ったライヴ録音(1981年)がいの一番に思い浮かぶ。

旧ソヴィエト連邦時代のオーケストラによる演奏であること、そしていまだ円熟には程遠いスヴェトラーノフ壮年期の演奏であったこともあり、ロシア色濃厚な演奏に仕上がっていた。

これに対して、本全集の演奏は、意外にも、その様相はドイツ正統派の演奏とも言うべきオーソドックスなアプローチに徹しているとも言える。

スヴェトラーノフが、例えばラフマニノフなどの交響曲などにおいて行うような超スローテンポの演奏など薬にしたくもなく、中庸というよりはむしろ若干速めのテンポで曲想を進行(特に、交響曲第1番)させていると言えるところだ。

旧全集よりも約5年程度しか経っていないにもかかわらず、その演奏の性格がかなり異なっているとも言えるが、これは、オーケストラが手兵のソヴィエト国立交響楽団ではなかったことも影響していると言えるのかもしれない。

それでも、各交響曲の演奏の細部をよく聴くと、必ずしもオーソドックス一辺倒の演奏になっていないというのはいかにもスヴェトラーノフならではのものと言える。

トゥッティにおける途轍もない強靭な迫力、猛烈なアッチェレランド、緩徐楽章における心を込め抜いた濃密な歌い方、そして、何と言ってもスヴェトラーノフならではのいつ果てることのないフェルマータの強調など、個性的な解釈にも事欠かないと言えるところだ。

もっとも、そうした個性的な解釈を随所に施しつつも、演奏全体の造型をいささかも弛緩させることにはならず、ドイツ音楽としての演奏様式の伝統、言い換えれば、いわゆるブラームスの交響曲らしさを逸脱することになっていないのが素晴らしい。

これは、スヴェトラーノフが、得意のロシア音楽のみならず、独墺系の音楽についても深い理解を有していたことの証左ではないかとも考えられるところだ。

そして、スヴェトラーノフのオーソドックスな中にも随所に個性的な解釈を施した独特の指揮の下、一糸乱れぬアンサンブルを示しつつ見事な名演奏を展開したスウェーデン放送交響楽団の好パフォーマンスにも大きな拍手を送りたい。

いずれにしても、筆者としては、本盤のブラームスの交響曲全集は、スヴェトラーノフによるブラームスの各交響曲の演奏の代表的な名演で構成される素晴らしい名全集と高く評価したいと考える。

音質も、1980年代のライヴ録音ではあるが、最新録音とさほど遜色がないような十分に満足できる良好なものと評価したい。

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2014年07月28日


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凄い演奏だ。

まさに超個性的なガーシュウィンと言える。

ジャズ音楽とクラシック音楽の境界線上にあるとされるガーシュウィンの楽曲の演奏に際しては、そうした音楽の性格を考慮して、軽快なリズム感を重視した爽快にして明瞭な演奏が多い。

最晩年になって、テンポが異様に遅くなり濃厚で大仰な演奏を行うようになったバーンスタインでさえ、ガーシュウィンの演奏に際しては、そうした爽快にして明瞭な演奏を心掛けていたと言えるだろう。

ところが、スヴェトラーノフはそのような一般的な演奏様式など完全無視。

本盤に収められたいずれの楽曲においても、途轍もない超スローテンポで濃厚さの極みとも言うべき豪演を展開している。

そのあまりの超スローテンポぶりは、他の指揮者による演奏であればCD1枚に収まるものが、本盤ではCD2枚になっていることにもあらわれていると言えるのではないだろうか。

そして、重低音においては大地が地鳴りするようなド迫力に満ち溢れているし、トゥッティにおける強靭な豪快さは、我々の聴き手の度肝を抜くのに十分な壮絶さだ。

また、ガーシュウィン特有の軽快なリズム感も、あたかも巨象が進軍するかのような重々しさが支配しており、ガーシュウィンの音楽というよりは、スヴェトラーノフが得意とするロシア音楽を演奏しているような趣きさえ感じさせると言えるだろう。

ガーシュウィンが随所に散りばめた美しい旋律の数々についても、スヴェトラーノフは、これ以上は求め得ないような熱き心を込めて濃密に歌い抜いている。

いずれにしても、本演奏は、他の指揮者によるガーシュウィンの演奏とはひと味もふた味も異なっているが、聴き終えた後の充足感においてはいささかも引けを取っていないと評価したい。

ピアノ協奏曲ヘ調においては、アメリカ出身のピアニストであるジェフリー・シーゲルが起用されているが、濃厚で超スローテンポのスヴェトラーノフの指揮と歩調を合わせて、重厚にして美しさに満ち溢れたピアニズムを展開しているのが素晴らしい。

そして、スヴェトラーノフの強烈にして濃厚な指揮の下、最高のパフォーマンスを発揮したスウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演奏にも大きな拍手を送りたい。

なお、録音については1996年のライヴ録音であり、十分に満足できる良好な高音質であると高く評価したい。

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2014年07月02日


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決定的な超名演の登場だ。

筆者がレビューを行うCDについては、一部を除いて、皆さんに是非とも聴いていただきたいという気持ちで記述しているが、本盤についてはその気持ちは百倍。

ラフマニノフの交響曲第2番を愛する者であれば、必聴の超名演盤であると考えるところだ。

スヴェトラーノフは同曲を十八番としており、これまで発売されているCDを録音年順に並べると、最初の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたソヴィエト国立交響楽団との演奏(1963年)、次いで、ソヴィエト国立交響楽団とのライヴ録音による演奏(1978年)、そして、2度目の交響曲全集の一環としてスタジオ録音されたロシア国立交響楽団との演奏(1995年)、晩年の来日時のNHK交響楽団とのライヴ録音による演奏(2000年)が存在しており、加えて、筆者は未聴でCDも所有していないが、ボリショイ劇場管弦楽団との演奏も存在しているとのことである。

要は、既に5種の録音が存在していたところであり、これらに、6種目の録音として本盤が加わったということになる。

筆者としては、これまで1995年盤と2000年盤がスヴェトラーノフによる同曲の双璧とも言うべき最高峰の超名演と考えてきたところであるが、本演奏は、それら両超名演に冠絶する名演で、超の前にいくつ超をつけても足りないほどの途轍もない決定的超名演と言っても過言ではあるまい。

第1楽章冒頭の低弦による幾分ソフトな開始からしてただならぬ雰囲気が漂う。

その後は、スヴェトラーノフならではの重厚かつ粘着質な音楽が構築されていく。

それにしても、これほどロシア悠久の広大な大地を思わせるようなスケール雄大で、なおかつ濃厚な味わいの演奏は他に類例を見ないと言えるのではないだろうか。

ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた魅力的な旋律の数々を、スヴェトラーノフはこれ以上は求め得ないほどの濃厚さで徹底して歌い抜いており、そのあまりの美しさには涙なしには聴けないほどだ。

ここぞという時のブラスセクションの咆哮やティンパニの轟きわたる雷鳴のような響かせ方は、人間業を超えた強靭な迫力を有している。

こうした演奏の特徴は、1995年盤や2000年盤においても顕著に聴かれたところであるが、本演奏には、それら両演奏には聴かれないような気迫や強靭な生命力が随所に漲っており、とりわけ終楽章の誰よりも快速のテンポによる畳み掛けていくような迫力満点の進行にはもはや戦慄を覚えるほど。

そして終結部の猛烈なアッチェレランドの壮絶なド迫力。

聴き終えた後の充足感は、筆舌には尽くし難いものであり、本盤にも記録されているが、演奏終了後の聴衆の大熱狂も当然のことであると思われるところだ。

いずれにしても、本演奏は、ラフマニノフの交響曲第2番を十八番としたスヴェトラーノフによる6種の演奏の中の最高峰の名演であり、そして、諸説はあると思うが、筆者としては、同曲の様々な指揮者による多種多彩な名演に冠絶する決定的な超名演と高く評価したいと考えている。

カップリングのバーンスタインの「キャンディード」序曲も、バーンスタインによる自作自演盤以上に濃厚な味わいを有した迫力満点の超名演だ。

音質は、基本的に良好で鮮明であるものの、トゥッティにおいて若干音割れがするのが残念ではあるが、本盤の価値を損ねるほどのものではないことを指摘しておきたい。

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2014年03月02日


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凄い演奏だ。

スヴェトラーノフは、サン・サーンスの交響曲第3番を得意としており、かつての手兵であったソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)とともに1982年にスタジオ録音を行っている。

当該演奏も途轍もない豪演であったが、本盤の演奏はそれから16年後のものであり、さらに輪をかけて凄まじいまでの巨大な演奏と言うことができるだろう。

大抵の演奏の場合は、約35分程度を要する同曲の演奏に、スヴェトラーノフは40分を超えるというスローテンポで演奏しており、まさに尋常ならざるゆったりとしたテンポで演奏を行っている。

オルガンを含む豪壮華麗なオーケストレーションで知られる同曲であるが、スヴェトラーノフは各楽器セクションに力の及ぶ限り強奏させており、その重厚にして強靭な響きは、あたかもロシアの広大な悠久の大地を思わせるほどであり、同曲がフランス音楽であることを忘れさせてしまうほどだ。

とりわけ、楽曲の終結部におけるド迫力は、再生装置が破壊されてしまうかと思うほどの凄まじいもので、おそらくは数ある同曲の演奏の中でも、最も強大なスケールを有した豪演であると評しても過言ではあるまい。

前述のように、本演奏はフランス音楽というよりはロシア音楽を思わせるような強靭さ、強大さを兼ね備えており、同曲にフランス風のエスプリや洒落た味わいを求める聴き手からすれば、疑問符がつく演奏と言えるのかもしれない。

しかしながら、聴き終えた後の充足感においては、同曲の数ある名演にも比肩し得ると言えるところであり、筆者としては、本演奏をスヴェトラーノフならではの超個性的な名演と評価するのにいささかの躊躇をするものではない。

カップリングには、ルーセンベリのバレエ組曲「街のオルフェウス」が収められている。

ルーセンベリは、スウェーデンの近現代の作曲家であるが、近現代の作曲家と思えないような親しみやすい旋律に彩られた佳曲を数多く作曲した知る人ぞ知る作曲家である。

同曲も1938年の作品と思えないような美しい旋律が満載の名曲であるが、スヴェトラーノフは、各場面毎の描き分けを巧みに行った、まさに聴かせ上手の名演奏を展開しており、知られざる名曲に光を当てるものとして高い評価が与えられるべき素晴らしい名演と言えよう。

スウェーデン放送交響楽団も、スヴェトラーノフの超個性的な指揮にしっかりと付いていっており、両演奏ともに最高のパフォーマンスを発揮しているものと評価したい。

音質は、1998年及び1983年のライヴ録音であるが、いずれも遜色のない優れた高音質である。

いずれにしても、かかる高音質のCDは、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団の名コンビぶりを鮮明な音質で窺い知ることが可能なものとして大いに歓迎したい。

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2014年02月19日


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濃厚な情念が大爆発した第6番の凄まじい演奏をはじめ興味深い演奏が揃った全集である。

マーラーならではのオーヴァー・アクション的要素が、スヴェトラーノフの場合、まさにツボにはまった状態でサウンドに結実しており、そのブラス・セクションと打楽器セクションの織り成す嵐のような轟然とした大音響には誰もが圧倒されること請け合いだ。

特に前述の第6番は強烈で、個性的な演奏の揃ったスヴェトラーノフのディスクの中でも随一と言ってよいその思い切ったド迫力ぶりは、極端な演奏の多いこの巨匠のディスコグラフィの中にあっても最高峰と言いたくなる激しさにあふれかえっており、作品の志向するカタストローフの表現という点でも文句なしの暴れ放題。

その音の凶暴さには、スヴェトラーノフがロシア国立交響楽団を指揮したときにのみ立ちあらわれるアウラのようなものすら感じられ、改めてこのコンビのグレートな力技に感謝したくなる。

その他の作品も、すべてスヴェトラーノフ流儀に解釈されたユニークなアプローチが面白く、気品やバランスといった西側的な価値観など一顧だにしない潔さがファンには堪らない。

このように爆演の印象が強いスヴェトラーノフであるが、そればかりをこの全集に求めている人は肩透かしを喰うだろう。

テンポもそれぞれの楽器の音の出し方も最高であり、とりわけ土臭いこのオケがいい味を出している(特に管の荒々しさや粘り)。

しんみりと聴かせるところも完璧にスヴェトラーノフ流で、ラフマニノフの交響曲に通じるものがあり、面白い。

ありきたりでなく非凡で完成度の高い演奏で、理論的よりも直感的マーラーの一篇と言えよう。

マーラーの演奏は色々な演奏者によるものを聴いてきたが、ロシアの指揮者のマーラーでは、コンドラシンよりも円熟味があると言えるところであり、さらに素晴らしい出来だと思う。

そしてこのマーラー・シリーズの白眉は何と言っても第10番のアダージョ。

これこそ真実のマーラーの音楽であり、かつスヴェトラーノフ以外の何物でもない。

しっとりした弦楽器が美しく、その32分に及ぶ感動はほかに類を知らない。

これまでの演奏でマーラーに何かが足りないと感じていた人は一聴の価値ありで、こんな表現方法もあったのかと思わず驚くマーラーの交響曲全集である。

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2014年02月18日


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ラフマニノフの交響曲第2番は、近年ではきわめて人気のある作品である。

そして、プレヴィンやアシュケナージ、マゼール、エド・デ・ワールト、デュトワ、ヤンソンスなど、様々な指揮者によって同曲のCDがいくつも誕生するに至っている。

これらはいずれも素晴らしい名演であり、客観的な視点で評価すると、プレヴィンの新盤が随一の名演との評価に値すると思われるが、好き嫌いで言うと、筆者が最も好きな同曲の演奏は、本盤に収められたスヴェトラーノフによる録音である。

本盤に収められた演奏は、おそらくは同曲の演奏史上でも最もロシア的な民族色の濃い個性的な演奏と言えるのではないだろうか。

トゥッティにおける咆哮する金管楽器群の強靭な響き、あたりの空気が震撼するかのような低弦の重々しい響き、雷鳴のように轟くティンパニ、木管楽器やホルンの情感のこもった美しい響きなどが一体となり、これ以上は求め得ないようなロシア風の民族色に満ち溢れた濃厚な音楽の構築に成功している。

その迫力は圧倒的な重量感を誇っており、あたかも悠久のロシアの広大な大地を思わせるような桁外れのスケールの雄大さを誇っている。

このように凄まじいまでの強靭な迫力と熱き情感に満ち溢れているのであるが、一例を掲げると有名な第3楽章。

スヴェトラーノフは、本楽章を17分という途轍もなく遅いテンポで、ラフマニノフによる最美の名旋律を渾身の力を込めて徹底的に歌い抜いている。

その濃厚の極みとも言うべき熱き情感のこもった歌い方は、いささかの冗長さも感じさせることなく、いつまでもその音楽に浸っていたいと思わせるほどの極上の美しさを湛えている。

スヴェトラーノフは、1960年代にも、ロシア国立交響楽団の前身であるソヴィエト国立交響楽団を指揮して同曲をスタジオ録音しており、それも名演の名には値すると思うが、演奏全体の完成度や彫りの深さと言った点において、本盤に収められた演奏には到底敵し得ないと考える。

いずれにしても、スヴェトラーノフによる当該名演は、一般的には評価の遡上にすら掲げられることがないものであると言える。

しかしながら、スヴェトラーノフによる本盤の演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧倒的な迫力と濃密な内容を誇っていると言えるところであり、筆者としては、かのプレヴィンの新盤にも比肩する名演と高く評価したいと考える。

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2013年11月20日


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凄い演奏だ。

スヴェトラーノフの『ローマ三部作』と言えば、爆演とも評されたソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)との1980年盤があり、それは、スヴェトラーノフならではの重厚でパワフルに押し切るという重量級の演奏であった。

当該盤の約20年後の本演奏においては、そうした重量級の芸風を保ちつつも、テンポがよりゆったりとしたものとなるとともに、表現力の幅が非常に広くなり、音楽全体のスケールが雄大になった点を高く評価したい。

《ローマの噴水》は、「夜明けのジュリアの谷の噴水」の繊細で情感豊かな音楽を聴いていると、スヴェトラーノフも最晩年になって大人しくなったのではないかと思ってしまいがちであるが、「昼のトレヴィの噴水」でそうした思いは早速撤回を余儀なくされる。

ここでの凄まじい大音響は、あたかもあたり一面が大洪水になったかのような圧巻の迫力だ。

《ローマの祭り》は、まさにスヴェトラーノフの独壇場。

「チルチェンセス」はゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽であるが、猛獣の唸り声を模した金管楽器の咆哮は凄まじいの一言。

他の指揮者による演奏では、終結部において猛烈なアッチェレランドをかけるのが常であるが、スヴェトラーノフは堂々たるインテンポで大音響を炸裂させ、阿鼻叫喚の世界を構築する。

「五十年祭」のテンポはさらに遅く、トゥッティにおけるトランペットの耳をつんざくような音色は強烈そのもの。

超スローテンポと相俟って、あたかも巨大な壁画を思わせるような壮大な音響世界の構築に成功している。

「主顕祭」は、スヴェトラーノフ節全開。

堂々たるゆったりとしたインテンポで、すべての楽器を力の限り咆哮させており、狂喜乱舞とも言うべき圧倒的な熱狂の下に全曲を締めくくっている。

《ローマの松》も、「ボルジア荘の松」のゆったりとしたテンポによる粘着質の音楽からしてユニークであるが、凄いのは「アッピア街道の松」。

あたかも旧ソヴィエト軍の示威進軍のような圧巻の迫力を誇っており、特に終結部のいつ終わるとも知れない強引さには、完全にノックアウトされてしまった。

いずれにせよ、本演奏は、過去の『ローマ三部作』の名演とは一味もふた味も異なる異色の演奏とは言えるが、聴き終えた後の充足感においては、過去の名演に一歩も引けを取っていない。

スヴェトラーノフの個性的な指揮の下、スウェーデン放送交響楽団も一糸乱れぬアンサンブルで最高のパフォーマンスを示している点も高く評価したい。

録音も鮮明で文句のつけようのない素晴らしさだ。

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2013年06月25日


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同時発売のドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が、あまりにもスヴェトラーノフ節全開の超個性的な演奏であったことから、本盤に収められたシューベルトの交響曲第8番「未完成」、そして、第9番「ザ・グレート」の演奏についても、鑑賞する前は相当に身構えて臨んだところであるが、これが意外にもまともな演奏なのだ。

そのように評しては、大指揮者であるスヴェトラーノフに対していささか失礼と言えるのかもしれないが、本演奏を、指揮者の名を伏して聴いたとしても、スヴェトラーノフの指揮と当てる人は殆どいないのではないだろうか。

もちろん、第9番「ザ・グレート」の第1楽章終結部などに、スヴェトラーノフならではの個性を感じることも可能ではあるが、それも許容されるレベルでの解釈であり、両曲ともに、大家の指揮による名演奏と言えるだろう。

まさに、一昔前の独墺系の大指揮者による演奏に限りなく近い性格を有していると言っても過言ではあるまい。

これだけの立派な演奏をすることができる指揮者であるからこそ、スヴェトラーノフは真に偉大な存在であり、多くの音楽ファンの崇敬を集められる存在なのであると考えられるところだ。

シューベルトの交響曲第8番「未完成」は、LP時代にも録音を遺しているようであるが、筆者は未聴。

したがって、筆者としては、初めて聴くスヴェトラーノフのシューベルトであるが、深沈とした味わいの中にも、シューベルトの楽曲の生命線とも言うべき寂寥感溢れる抒情に満ち溢れており、いい意味で剛柔のバランスのとれた見事な名演であると高く評価したい。

他方、交響曲第9番「ザ・グレート」は、スヴェトラーノフによる唯一の録音ということになるが、ゆったりとしたテンポによるスケールの雄大な音楽の構えの中で、同曲特有の美しい旋律の数々を格調高く歌い上げ、これ以上は求め得ないような気宇壮大な超名演を成し遂げるのに成功している。

同曲は、演奏自体がなかなかに困難な楽曲であると言えるが、スヴェトラーノフによる名演奏は十分に説得力があるものと言えるところであり、スヴェトラーノフが、ロシア系の音楽のみのスペシャリストにとどまらず、クラシック音楽の王道とも言うべき独墺系の音楽にも見事な名演奏を聴かせることができる大指揮者であったことがよく理解できるところだ。

大指揮者スヴェトラーノフの統率の下、スウェーデン放送交響楽団も最高のパフォーマンスを発揮していると言えるところであり、交響曲第9番「ザ・グレート」の演奏終了後、指揮者を讃えるファンファーレが鳴り響くという点にも、スヴェトラーノフとスウェーデン放送交響楽団の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。

音質も素晴らしく、今から約20年以上前のライヴ録音ではあるが、現在でも十分に通用する素晴らしい音質であり、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演が鮮明に再現されるのが見事である。

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凄まじい演奏だ。

ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」に、チェコの民族色豊かな抒情性などを期待する聴き手には、全くおすすめできない演奏であるとさえ言える。

いや、それどころか、殆どの指揮者がこのような演奏をすること自体が許されない雰囲気があるが、怪演という名の個性的な名演を数多く成し遂げてきた大指揮者スヴェトラーノフだけに許される演奏であると言えるのかもしれない。

しかしながら、それにしても凄い。

もちろん、スヴェトラーノフの指揮であり、しかも、ロシア国立交響楽団との豪演を聴いているだけに、聴く前から十分に覚悟して本演奏を聴いたのだが、冒頭から完全に圧倒されてしまった。

ブラスセクションの咆哮のとてつもないド迫力、地響きがするようなティンパニの凄まじいまでの強靭さ、うなりをあげる低弦の迫力など、よくぞここまで思い切った演奏をさせるものだとほとほと感心してしまった。

テンポの振幅は激しく、アッチェレランドなども随所に施してはいるが、演奏全体のスケールはこれ以上は考えられないような雄大なもの。

同曲は、新世界であるアメリカ合衆国からのお土産便りのような意味合いを有しているが、スヴェトラーノフによる本演奏は、あたかもロシアの悠久の広大な大地を思わせるものであり、同曲の演奏としては他のどの指揮者の演奏よりも濃厚で特異な性格を有するもの。

まさに尋常ならざる演奏とさえ言えるのではないだろうか。

とりわけ、終楽章終結部の強烈な最強奏という超個性的な解釈には、完全にノックアウトされてしまった。

しかしながら、聴き終えた後の充足感については、これまた尋常ならざるものがあり、これだけ聴き手を満足させてくれれば文句は言えまい。

もちろん、前述のように、チェコの民族色豊かな抒情性を同曲に希求する聴き手には全くおすすめできないが、同曲を何度も繰り返し聴き込んだ聴き手には、むしろ新鮮ささえ感じさせるとも言えるところであり、聴き終えた後の充足感などを総合的に考慮すれば、筆者としては、本演奏をスヴェトラーノフならではの超個性的な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

併録のスラヴ舞曲第3番も、交響曲第9番「新世界より」と同様に濃厚の極みと言うべき超個性的な名演だ。

これまた、スヴェトラーノフが演奏すると、チェコの舞曲というよりはロシアの舞曲になっているとも言えるが、演奏全体の濃密さや聴き終えた後の充足感は、他のどの指揮者による同曲の演奏にもいささかも劣っていない。

スウェーデン放送交響楽団も、こうしたスヴェトラーノフの個性的な指揮に、アンサンブルを殆ど乱すことなくしっかりとついていっており、見事な名演奏を繰り広げている点についても高く評価したい。

音質も素晴らしく、今から約30年前のライヴ録音ではあるが、現在でも十分に通用する素晴らしい音質であり、スヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団による同曲の超個性的な名演が鮮明に再現されるのが見事である。

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2013年06月07日


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スヴェトラーノフの若き日の圧倒的な名演の登場だ。

いまだショスタコーヴィチが存命の時代であり、なおかつ旧ソヴィエト連邦が存在していた時代。

しかも、東西冷戦下で、旧ソヴィエト軍を中核としたワルシャワ条約機構軍がチェコの民主化を阻止するために、チェコ全土を占領化に置くといういわゆる「プラハの春」が勃発した日の翌日の演奏である。

当時の西側諸国からすれば、こうした東側諸国、とりわけ旧ソヴィエト連邦による軍事行動は許し難い暴挙であり、旧ソヴィエト連邦への敵対意識が否応なしに高まっていたことは想像に難くないところだ。

そのような中で、旧ソヴィエト連邦の指揮者であるスヴェトラーノフとソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)が、当時、旧ソヴィエト連邦政府に忠実な作曲家であると西側諸国では誤解されていたショスタコーヴィチの交響曲第10番を、ロンドンで演奏するということは、当時の西側諸国の旧ソヴィエト連邦への悪感情を考えると、ある意味では実に無謀な行為であったとも言える。

実際に、コンサートは抗議の声で騒然となり一時は演奏を中断せざるを得なくなったとのことであり、本盤においても冒頭の何小節かが何人かの聴衆の抗議の声で聴き取れなくなるなど、当時の厳しい状況が生々しく記録されている。

しかしながら、そうした厳しい状況の中でもめげることなく、最後まで演奏を行ったスヴェトラーノフ、そしてソヴィエト国立交響楽団の不屈の精神力にまずは拍手を送るべきであろう。

そして演奏も素晴らしい。

さすがに、本演奏には、後年のスヴェトラーノフの演奏のようなスケールの大きさは存在していないが、前述のような逆境を演奏に最大限に生かしたとも言えるような、圧倒的な生命力や強靭な気迫が演奏全体に漲っている。

ショスタコーヴィチと同時代を生き、そして例えて言えば現在の北朝鮮のようなとんでもない共産党独裁国家であった旧ソヴィエト連邦下に生きていたスヴェトラーノフとしても、同曲に込められた独裁者スターリンへの怒り、粛清への恐怖と粛清された者への鎮魂などのあらゆるメッセージに深く共感していたはずであり、そうしたものを十分に汲み取った彫りの深い凄みのある表現が、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っていると考えられるところだ。

もちろん、ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる超名演(1976年)ほどの深みには達しているとは言い難いが、39歳の若きスヴェトラーノフが、前述のような逆境を乗り越えて、これだけの凄みのある豪演を成し遂げたことを高く評価したい。

演奏終了後の圧倒的な熱狂は、冒頭の抗議の罵声を含めて考えると、いかに本演奏が当日の聴衆に深い感銘を与えたのかがよく理解できるところだ。

併録のチャイコフスキーやR・コルサコフの楽曲も、スヴェトラーノフならではの強靭な迫力とメランコリックな抒情が相俟った素晴らしい名演だ。

音質は、1960年代のライヴ録音、しかもモノラル録音ということもあって、音場が今一つ広がらない(特に、交響曲第10番の第1楽章)のが残念ではあるが、アンビエント・マスタリングによってかなり聴きやすい音質になっている点を評価したい。

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2013年05月28日


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ショーソンの交響曲変ロ長調がとてつもない超名演だ。

フランスのロマン派の有名交響曲と言えば、ベルリオーズの幻想交響曲、フランクの交響曲、そしてサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」のいわゆる3大交響曲を指すというのが一般的な見方だ。

ショーソンの交響曲変ロ長調は、これら3大交響曲と比較すると現在でもなお知る人ぞ知る存在に甘んじていると言えるが、フランクの交響曲ニ短調に倣って循環形式を採用するとともに、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいに満ち溢れた旋律が全体に散りばめられており、3大交響曲にも優るとも劣らない魅力作なのではないだろうか。

もっとも、本盤が登場するまでは、同曲の録音はフランス系の指揮者に限られていたところであるが、ついに、フランス系以外の指揮者、それも大指揮者スヴェトラーノフによるライヴ録音が今般登場したのは、同曲をより幅広く認知させるという意味において、大変に意義深いことであると考えられる。

それにしても凄い演奏だ。

同曲の他の指揮者による演奏では、その演奏時間は概ね約30分程度であるが、スヴェトラーノフは何と約40分もの時間を掛けて演奏している。

それだけに、冒頭からスヴェトラーノフならではの濃厚にして重厚な音塊が炸裂している。

重低音は殆ど地鳴りがするほどの迫力であるし、同曲特有の美しい旋律も、これ以上は求め得ないような熱き心を込めて濃密に歌い抜いている。

ショーソンの交響曲というよりは、スヴェトラーノフが得意とするラフマニノフやスクリャービンの交響曲を演奏しているような趣きがあり、いわゆるフランス風のエスプリ漂う他の指揮者による同曲の演奏とは一味もふた味も異なっているが、聴き終えた後の充足感においてはいささかも引けを取っていない。

スヴェトラーノフにとって本演奏は、客演指揮者として数々の演奏を行ってきたスウェーデン放送交響楽団との最後の共演になったとのことであるが、本演奏こそは、まさにスヴェトラーノフ&スウェーデン放送交響楽団という名コンビの掉尾を飾るのに相応しい至高の超名演と高く評価したい。

一方、フランクの交響曲ニ短調は、ショーソンよりも20年以上も前の録音であり、テンポ自体も常識的な範囲に収まっている。

もっとも、トゥッティにおける迫力満点の強靭な豪快さや、各旋律の濃厚な歌い方など、スヴェトラーノフの個性を随所に聴くことが可能であり、この指揮者ならではの個性的な名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。

また、両曲ともに、スヴェトラーノフの強烈にして濃厚な指揮の下、最高のパフォーマンスを発揮したスウェーデン放送交響楽団による素晴らしい名演奏にも大きな拍手を送りたい。

なお、録音については、その年代が20年以上も異なるライヴ録音どうしが収められているが、いずれも十分に満足できる良好な音質であると言えるところであり、音質面においても全く問題がないと言える。

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2013年04月26日


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これは素晴らしい名演だ。

ロシア人の指揮者によるブルックナーと言えば、ロジェストヴェンスキーによる全集や、「第7」〜「第9」の録音を遺したムラヴィンスキー盤、そして当時の手兵ソヴィエト国立交響楽団(現ロシア国立交響楽団)と「第8」を録音したスヴェトラーノフによる1981年盤(ライナーノーツによると、「第9」の終楽章のスタジオ録音などがあるようであるが、未聴)が思い浮かぶ程度。

それ以外にもあるのかもしれないが、マーラーとは異なり、ブルックナーとはあまり縁があるとは言えないのではないか。

これらロシア人の指揮者による演奏の中では、私見ではあるが、ムラヴィンスキーの演奏のみが名演の名に値すると言えるものの、それ以外は、スヴェトラーノフ盤も含め、面白くはあるが今一つの演奏であると考えている。

ところが、本盤は、1981年盤(第8)における、力で押し切っていくようなタイプの演奏とは別人のような成熟した演奏を聴かせてくれているのが素晴らしい。

ゆったりとしたインテンポによる、いわゆる粘着質の演奏ではあるが、例えば、本CDと同時発売されたローマ3部作のような大仰な印象は全く受けない(ローマ3部作ではそうした大仰さがプラスに働いているが)。

また、スヴェトラーノフは金管楽器を最強奏させているが、いささかも無機的には陥ることはなく、弦楽器なども重量感溢れる実に深みのある音色を出している。

まさに、同じスタイルによる名演であるジュリーニ&ウィーン・フィル盤にも比肩するスケール雄大で重厚な名演と高く評価したい。

これは、スヴェトラーノフによる指揮の力も大きいとは思うが、それ以上に、最高のパフォーマンスを持ってスヴェトラーノフの巨大とも言える音楽を描出したスウェーデン放送交響楽団の力量によるところも大きいと考える。

録音も素晴らしい高音質であり、このような名演を鮮明な音質で味わえることを大いに喜びたい。

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2012年09月20日


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スヴェトラーノフがミュンヘン・フィルに客演した貴重な演奏会の記録。

大変な名演の登場だ。

壮大なスケール感と精緻なアンサンブルが両立した、稀有なワーグナー演奏と言える。

菅も弦も素晴らしい音を出していて、力強さと優美さが両立している。

チェリビダッケ時代のミュンヘン・フィルの実力は言わずもがなで、《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕前奏曲からして、音の塊が横綱の体当たりのように迫ってくる。

響きの深さと力量が並はずれているのだ。

勿論、《ジークフリート牧歌》などにみられる穏やかな曲調も、ミュンヘン・フィルならではのシルキーな弦の美質が生かされているし、《トリスタンとイゾルデ゙》「前奏曲と愛の死」における官能美も特筆される。

いずれも素晴らしい演奏で、スヴェトラーノフが持つ感性が十二分に発揮された名演集だ。

チェリビダッケ全盛期のオーケストラから、スヴェトラーノフらしい重厚かつ情感あふれる個性的なトーンを引き出し、それが、ワーグナーの音楽に見事にマッチしているのはさすがという他はない。

このCDで気に食わないのはライナーノートの某評論家の解説。

なぜ、ワーグナーに数々の名演を残したカラヤンと比較する必要があるのか。

カラヤンの演奏をなんらの根拠も示さずに浅薄と決めつける一方的な偏向的解説。

海外盤なので、いかにも某評論家の海外への売名行為が見え見えで、せっかくの名演に水を差す結果になっている。

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2012年09月02日


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『死の島』は、冒頭から低弦が凄まじい唸り声をあげる。

ラフマニノフの重厚で重心の低いオーケストレーションを、これでもかというくらい圧倒的な重量感で歌い抜いている。

他方、繊細な抒情にもいささかの不足もなく、BBC交響楽団が、あたかもロシアのオーケストラのような音色を出しているのも、スヴェトラーノフの類いまれなる統率力の賜物ということができるだろう。

メインの『展覧会の絵』は、1970年代にソヴィエト国立管弦楽団と録音した演奏も、いかにもスヴェトラーノフならではの重厚な名演であったが、本盤に収められた演奏は、当該名演に、更にライヴならではの熱気も付加された超名演ということができる。

しかもロシア・ソ連のオケのような刺々しい質感ではなく、ある種の品格をも備えている点、スヴェトラーノフ指揮のディスクの中でも特異な位置にあると言えよう。

スヴェトラーノフは、各プロムナードの主題をやや速めに演奏して、組曲を構成する各曲の主旋律をややテンポを緩やかにして演奏することにより、各曲の性格の描き分けを効果的に行っている。

こうした演奏は、円熟を通り越して老獪ささえ感じる至芸だと思うが、特に、「ビドロ」の踏みしめるような重厚な歩みなどは実に印象的。

「キエフの大門」は、打楽器の最強奏と相まって、空前にして絶後のド迫力を示している。

特に終結部は、天を差すが如き長大な“スヴェトラーノフ・クレッシェンド”(16秒!!)には鳥肌立つこと間違いなしである。

終了後の熱狂的な拍手もむべなるかなと思われる。

録音も1999年のものだけに、非常に鮮明であり、スヴェトラーノフの至芸を高音質で味わうことが出来ることを大いに喜びたい。

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2009年03月24日


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チャイコフスキーの生誕150年を記念した、1990年6月、スヴェトラーノフとロシア(ソヴィエト)国立交響楽団のコンビが来日した時のライヴ録音である。

一般にロシアの音楽家というのは、骨太で豪快な表現をおこなう人が多いが、スヴェトラーノフは、むしろ肩の力を抜いて、抒情性を大切にした演奏をおこなっており、そこに強く惹かれる。

何よりも真実味に富んだ音楽的な感興があり、しかも全体の設計に無理がない。

平衡感の強い造形で、各パートも細部までよく練られ、明晰な音楽が生まれている。

金管にロシア風の強烈さがあるのは当然だが、ここまで洗練された感覚美を感じさせるのはロシアのオケではあまり例がない。

この決然とした表現はロシアの血の表明であり、聴き手を説得せずにはおかない本場物のよさがある。

まるで重量物が大きく弾む様を思い浮かばせるが、スヴェトラーノフとロシア(ソヴィエト)国立交響楽団によるこうしたロシア的特質は、豪壮雄大なロシアのオーケストラの音楽の特徴を今に伝える貴重な存在といえよう。

いわばスマートさのない素朴な表現だが、それが民族主義的なこの作品にふさわしい。

クライマックスはやはり第4楽章で、ここでは鋭さが表面化されない動感と堅固な構成力が、堂々とした表現を作っている。

このライヴの頃からは、スヴェトラーノフの指揮もかつての猛烈型から多少抑制された表現へ変貌してきたが、持ち前の重厚で豊かな叙情に富む音楽はさらに個性的魅力が増したようだ。

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