ムター

2015年04月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤は、ヴァイオリン奏者、アンネ=ゾフィー・ムターとピアニスト、ランバート・オーキスが1996年2月ミュンヘンのガスタイク・フィルハーモニーにおいて、3夜にわたって行われたリサイタルのライヴ・レコーディング盤で、ムター・モーツァルト・プロジェクト最後の1組となったものだ。

ピアノ三重奏曲集は物足りない演奏であったが、協奏曲全集と双璧の充実したソナタ全16曲の演奏。

かつてのベルリン・リサイタル盤のK.304やベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集での過渡的であまりにも作為的なテンポや音色造りは一掃されて、ここでの自然で確信に満ちた演奏は風格さえ漂い、ムターの持ち味である美しい音色とボウイングはもちろん素晴らしい。

ピアノのオーキスもロマン派以降の作品ではピアニストとしての魅力や音色に不満を感じるが、もともとフォルテピアノを得意とする人だけにここでは水を得た魚のようだ。

ムターの場合カラヤン時代とカラヤン以降の時代に分けられるが、本盤に収められた演奏に関しては1人の女性ヴァイオリニストとしての表現力に目覚めたムターの感受性の世界と言えよう。

かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになったところである。

カラヤンから脱皮して1人のアーティストとしての饒舌な節回しがムターらしさになっており、こんなに心に響くモーツァルトの音はムターならである。

ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。

一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築に努めているようにも感じられるところだ。

もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、当時のムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。

本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げている。

それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられるところだ。

加えて、卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。

また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はないところだ。

このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であると言えるところであり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

モーツァルトのヴァイオリン・ソナタの録音の中でも、グリュミオー盤、ゴールドベルク盤に次ぐ素晴らしい演奏と言えるだろう。

音質は1996年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものと評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:50コメント(0)トラックバック(0) 

2015年02月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



現代屈指の名ヴァイオリニストとして活躍を続けるアンネ=ゾフィー・ムターの、若干14歳(1978年時)で録音したデビュー盤。

ムターのヴァイオリンの響きがのびのびして気持ちよく、天才少女のデビュー作にありがちな才気煥発ぶりを見せつけられるという感じはなく、年齢やデビュー作であることに関係なく、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲の最高級の演奏が聴ける1枚だ。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は、最近では小編成やピリオド楽器による演奏が主流となり、本盤のような大オーケストラが演奏することは殆ど稀になりつつある。

若書きで、モーツァルトとしては、他の楽曲に比べると魅力が一段劣るだけに、クレーメルなどによる斬新なアプローチならともかく、矮小化したアプローチでは、楽曲の魅力がますます減じてしまう。

その意味では、このカラヤン盤は素晴らしく、大柄で厚みのあるのが特徴。

カラヤン特有のまろやかで優雅なレガートと、その圧倒的な統率力によって鍛え抜かれたベルリン・フィルの極上の音色が、モーツァルトの若書きのヴァイオリン協奏曲の魅力を引き出すことに大いに貢献している。

ムターは当時14歳であったが、カラヤンの指導の下、とても少女とは言えないような年不相応の大人の演奏を行っており、彼女の豊かな才能を感じさせている。

この時からすでに貫禄十分で、年齢からは想像できないほど安定し、かつ艶やかで、最近の録音に比べるとやや慎重な表現かもしれないが、年齢不相応の風格はやはり驚くべきことであり、張りのある音色は今と変わりない。

当時のムターの演奏は、ロマン派的ではなく、むしろバロックに近い弾むような弾き方をしている。

それが、素直で丁寧な演奏と相俟って、1音1音の粒立ちを際立たせ、他に類を見ない逸品に仕上がっている。

第3番は独奏・伴奏ともやや重厚すぎるかもしれないが、第5番はムターも含めた独奏と、曲想にふさわしい立派な伴奏ともども最上の出来であろう。

ムターは、最近になって小編成のオーケストラによって全集を録音したが、それもムターの個性がより一層深まり、その意味においては名演と言っても良いのかもしれないが、本盤のような高貴かつ優美な魅力には乏しいと言わざるを得ない。

最近のムターは、濃厚というよりも、くど過ぎる表現をしているが、このモーツァルトを録音した頃は、主張と抑制のバランスがとれていて、モーツァルトの持つ、純粋さをそのまま、素直に表現した好演である。

かつてカラヤンと共演したことのあるクリスティアン・フェラス、ゲーザ・アンダなど、その後のレコーリングが途絶えたソリストも多いことから、彼は「ソリスト潰し」と揶揄されているが、今のムターの活躍ぶりをみると決してそうではなく、彼の眼が間違っていなかったことを証明できるのではないだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:35コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたヴィヴァルディの協奏曲集「四季」は、ムターにとっては2度目の録音ということになる。

前回の録音は本盤から15年前の1984年のものであり、帝王カラヤン&ウィーン・フィルをバックにしたものであった。

ムターがカラヤンの赤いセーターを羽織った衝撃的なジャケットや、カラヤンにとってのEMIへの最後の録音という何かと話題の多いものではあったが、演奏自体は終始カラヤンのペースに乗ったものであり、名演ではあるもののムターの個性が全面的に発揮されたものとは言い難い面があったと言わざるを得ない。

これに対して、本演奏はムターによる弾き振りによるものであり、バックも17名の若手奏者で構成されるトロンハイム・ソロイスツであることから、まさにムターの個性が全面的に発揮された演奏ということが可能である。

そして演奏は、いかにもムターならではの個性的な演奏であると言えるだろう。

ムターは、持ち前の卓越した技量をベースとしつつ、変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化などを駆使して、彫琢の限りを尽くした演奏を行っている。

各楽章の描き分けも大胆に行っているし、わざと旋律を途切れがちに弾いて見せたり、消え入りそうな最弱音を駆使したり、はたまた粘ったような奏法を垣間見せたりするなど、その表現力の幅の広さは桁外れの凄さである。

ムターは、このように自由奔放とも言えるような演奏を行っているのであるが、いささかも格調の高さが損なわれることなく、どこをとっても瑞々しいまでの情感が宿っているのは、ムターの類稀なる音楽性の豊かさの賜物であると考えられる。

いずれにしても、本演奏は、チョン・キョンファやヤンセンなどの若手女流ヴァイオリニストによる名演とも十分に互角に渡り合えるだけの素晴らしい名演と高く評価したい。

タルティーニのヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトリル」も、このようなムターの個性全開の素晴らしい名演だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:27コメント(0)トラックバック(0) 

2014年11月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められた演奏については、かつてマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が発売されており、十分に満足できる高音質であったが、本盤はその更に上を行く究極の高音質SACDと言える。

マルチチャンネルが付いていないにもかかわらず、これほどの豊かな音場の拡がりを感じさせるというのは驚き以外の何物ではなく、あらためて、シングルレイヤーSACD&SHM−CD仕様の威力を思い知った次第である。

ムターのヴァイオリンの細かい弓使いの1つ1つがクリアに再現されるというのは、殆ど驚異的ですらある。

演奏も素晴らしい名演。

本演奏は1992年であるが、これはムターがカラヤンのくびきから解き放たれ、現代を代表する大ヴァイオリニストへの道程を着実に歩み始めた時期のものだ。

要は、ムターが漸くその個性と才能を発揮し始めた時期の録音であり、ここにはムターの卓越した技量と個性が満ち溢れた素晴らしい名演の数々が収められている。

ツィゴイネルワイゼンにおいては、同曲特有の民族色を全面に打ち出し、決して上品ぶったりすることなく、これ以上は求めえないような土俗的な音を出している。

このような演奏をすると、単なる場末のサーカスのような下品な演奏に陥ってしまう危険性もあるが、ムターの場合はいささかも高踏的な芸術性を失わないのが素晴らしい。

伝説曲や悪魔のトリル、タイスの瞑想曲、子守歌の情感豊かな演奏も美しさの極みであるし、ツィガーヌにおける緩急自在の表現力の桁外れの幅の広さには舌を巻くばかりだ。

カルメン幻想曲に至っては、卓越した技量と民族色豊かな表現力が高い次元でマッチングした稀有の超名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0) 

2014年11月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、カラヤンが秘蔵っ子であったムターとともにスタジオ録音を行った演奏だ。

当時、いまだハイティーンであったムターに対して、カラヤンは同曲を弾きこなせるようになったら録音しようと宿題を出したとのことである。

しかしながら、懸命の練習の結果、同曲を弾きこなせるようになったムターであったが、その演奏をカラヤンに認めてもらえずに、もう一度宿題を課せられたとのことである。

それだけに、本演奏には、ムターが若いながらも一生懸命に練習を積み重ね、カラヤンとしても漸くその演奏を認めるまでに至った成果が刻み込まれていると言えるだろう。

カラヤンは、協奏曲録音においては、とかくフェラスやワイセンベルクなどとの演奏のように、ソリストがカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏の一部に溶け込んでしまう傾向も散見されるところだ。

しかしながら、ムターとの演奏では、もちろん基本的にはカラヤンのペースに則った演奏ではあるが、ムターの才能と将来性を最大限に引き立てようとの配慮さえ見られる。

カラヤンの伝記を著したリチャード・オズボーン氏が、モーツァルトの協奏曲の演奏の項で、「高速のスポーツカーに乗った可愛い娘を追いかけて、曲がりくねった慣れない田舎道を飛ばす」と記しているが、本盤のベートーヴェンの協奏曲の演奏も、まさにそのような趣きを感じさせる名演である。

本盤の演奏におけるムターのヴァイオリンは、いつものムターのように骨太の音楽づくりではなく、むしろ線の細さを感じさせるきらいもないわけではないが、それでも、トゥッティにおける力強さや強靭な気迫、そしてとりわけ緩徐楽章における伸びやかでスケールの大きい歌い回しなど、随所にムターの美質を感じることが可能だ。

ムターの個性が全開の演奏ということであれば、マズア&ニューヨーク・フィルとの演奏(2002年)の方を採るべきであるが、オーケストラ演奏の重厚さや巧さなどといった点を総合的に勘案すれば、本演奏の方を断然上位に掲げたいと考える。

カラヤン&ベルリン・フィルは、本演奏の当時はまさにこの黄金コンビが最後の輝きを見せた時期でもあったが、それだけに重厚にして華麗ないわゆるカラヤンサウンドを駆使した圧倒的な音のドラマは本演奏においても健在であり、ムターのヴァイオリンをしっかりと下支えしているのが素晴らしい。

録音は、リマスタリングが施されたこともあって、比較的良好な音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:54コメント(0)トラックバック(0) 

2014年10月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本セットには、ムターとオーキスが1998年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音(ライヴ録音)を収められている。

かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになったところである。

ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。

一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築に努めているようにも感じられるところだ。

もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。

本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げている。

それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられるところだ。

加えて、卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。

また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はないところだ。

このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であると言えるところであり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は1998年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:04コメント(0)トラックバック(0) 

2014年03月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



巨匠カラヤンは2つの『四季』を遺したが、これは2度目のもの。

名門ウィーン・フィルの同曲の録音も珍しく、大きな話題となった1984年録音盤である。

ムター(Vn)との新盤では、オケがウィーン・フィルということもあって、弦の響きが美しい上に、表情が優雅で洗練されている。

優美で清新な演奏で、ムターの若々しい独奏にウィーン・フィルの鮮やかな音色が同調している。

カラヤン一流の示威的なムードがないのも印象的で、自然体の演奏に若さが加わり、名曲の真価を伝えている。

カラヤンは、全体を通して弦を壮麗に響かせるが、その中からムターのソロがすっきりと浮かび上がる。

これはまったくカラヤン好みで、ソフィスティケートされた演奏の極致である。

女流ムターのソロも音が引き締まって、美しく流麗なヴァイオリンも魅力的で、洗練された優美なヴィヴァルディとなった。

ムターの若々しさと晩年の最も円熟したカラヤンの演奏がうまく絡み合っているいい作品で、イ・ムジチ以上の評価を与えても良い最高のレコーディングと言えよう。

ムターの『四季』には後年のトロンヘイム・ソロイスツとの共演によるものがあるが、それに比べて彼女の個性はかなり抑えられた演奏である。

全面にカラヤン&ウィーン・フィルのゴージャスな響きが押し出されている。

それはイ・ムジチのような安心して聴いていられる模範的なものから、アーノンクールのような挑発的な演奏とも違う堂々たるな響きである。

ムターの艶めかしい個性を発揮した「四季」が聴きたければトロンヘイム・ソロイスツとの盤をお薦めするが、今となっては時代遅れなバロック解釈をしたウィーン・フィルの豪華絢爛な演奏に耳を傾けてみるのもいいかもしれない。

ちなみにこの録音では、カラヤン自身が2台のチェンバロのうちのひとつを担当している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:14コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、カラヤンの死の1年前のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音である。

そもそもカラヤンによるライヴ録音というのが極めて珍しい存在であるのだが、それだけカラヤンも本演奏の出来に自信を持っていたことの証左ではないかとも考えられるところだ。

それにしても、1960年代から1970年代にかけてのカラヤン全盛時代の演奏に慣れた耳からすると、カラヤンの芸風のあまりの変わりようにはおよそ信じ難い気がするほどである。

本演奏には、手兵ベルリン・フィルを統率して、重厚で華麗ないわゆるカラヤンサウンドを駆使して圧倒的な音のドラマを構築していたかつてのカラヤンの姿はどこにも見られない。

ここには、自我を極力抑制し、ただただ楽曲の魅力を素直に引き出して、音楽のみを語らせていこうという真摯な姿勢だけが存在している。

これは、カラヤンの肉体的な衰えによるものなのか、それとも、カラヤン自身の芸風が大きく変化したのかはよくわからないが、ゆったりとしたテンポの中に、カラヤンがこれまでの波乱に満ちた生涯を顧みるような趣きさえ感じられるところであり、ここにはカラヤンが最晩年になって漸く到達し得た至高・至純の境地、そして枯淡とも言うべき境地が存在している。

このような崇高なカラヤンを指揮台に頂いて、ウィーン・フィルも持ち得る実力を最大限に発揮した、圧倒的な名演奏を展開しているのが素晴らしい。

ベルリン・フィルとほぼ決裂状態にあった傷心のカラヤンを、ウィーン・フィルがあたたかく包み込むような名演奏と言っても過言ではあるまい。

そして、ムターのヴァイオリンは実に個性的だ。

ハイティーンの頃に、カラヤン&ベルリン・フィルとともに、ベートーヴェンやメンデルスゾーン、ブラームスなどのヴァイオリン協奏曲を演奏した時とは別人のようであり、例によっていささかも線の細さを感じさせない骨太の演奏をベースとしつつ、随所にロシア風の土俗的とも言うべき思い切った表情づけを行うなど、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした超個性的な演奏を展開している。

かつてのカラヤンであれば、このような自由奔放な演奏を許容したかどうかはわからないが、本演奏においては、むしろ、ムターの順調な成長をあたたかく、滋味豊かに見守るような指揮を行っているとも感じられるところだ。

いずれにしても、カラヤンとその秘蔵っ子ムターの共演はこれが最後になったところであり、その意味でも本演奏は、このコンビによる掉尾を飾るに相応しい至高の超名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:32コメント(0)トラックバック(0) 

2013年11月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる15年ぶり2度目の録音になる。

最初の録音は、最晩年のカラヤン、そしてウィーン・フィルとの演奏(1988年ライヴ)であった。

当該演奏においても、ムターは決してカラヤンの言いなりになっていたわけではなく、むしろ、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を展開していた。

したがって、当該演奏については、巨匠カラヤンによる枯淡の境地をも感じさせる味わい深い名演奏とも相俟って、現在においても燦然と輝く名演である。

これに対して、本演奏は、ムターの個性がさらに深まったと言っても過言ではあるまい。

ムターのヴァイオリンは、いささかも線の細さを感じさせない骨太の音楽づくりが際立っているが、これによって、同曲の演奏に必要不可欠な強靭な迫力や豊麗さが過不足なく表現し尽くされている。

そして、同曲の特徴でもあるロシア風の民族色豊かな美しい旋律の数々を、ムターは格調の高さをいささかも不足することなく濃密に歌い抜いており、その妖艶な美しさには聴き手を酔わせるほどの抗し難い魅力に満ち溢れている。

また、粘ったような奏法や、土俗的とでも言うべき思い切った表情づけを、いささかの格調の高さを失うことなく随所において行っており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした演奏を展開している。

このように、音楽のスケールは一段と大きくなるとともに、表情づけなども格段に濃厚になってきており、これはムターの円熟の至芸と言ってもいいのではないだろうか。

このような超個性的なムターのヴァイオリンを下支えしているのが、夫君であるプレヴィンとウィーン・フィルであるが、ムターのヴァイオリンを巧みに引き立てるとともに、聴かせどころのツボを心得た名演奏を展開しているのが素晴らしい。

他方、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲はプレヴィンの十八番であり、何度も録音を繰り返してきた楽曲ではあるが、現代音楽にしては親しみやすい旋律に満ち溢れた同曲を、ムターは格調の高さを保ちつつ、濃厚なロマンティシズムに満ち溢れた情感豊かな名演奏を展開しているのが素晴らしい。

録音は本従来盤でも十分に満足できる音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:54コメント(0)トラックバック(0) 

2013年09月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤に収められたベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、ムターによる約20年ぶりの2度目の録音である。

最初の録音は、ムターがいまだハイティーンの時代の演奏(1979年)であり、バックは、ムターのパトロンでもあったカラヤン、そしてオーケストラはベルリン・フィルという超豪華な布陣によるものであった。

当該演奏は素晴らしい名演として現在においても燦然と輝いてはいるものの、演奏の主導権はカラヤン&ベルリン・フィルが終始握っており、ムターはその土俵の上で懸命に演奏しているという印象が拭えないところだ。

もちろん、ムターも精一杯の渾身の演奏を行ってはいるのだが、いまだハイティーンということもあって、その個性を全面的に発揮するまでには至らず、いささか線の細さを感じさせずにはいられなかったとも言える。

したがって、旧演奏はムターの個性というよりはむしろカラヤン&ベルリン・フィルによる重厚な演奏がトレードマークの名演と言えるが、これに対して、本演奏は、旧演奏から約20年の歳月を経て円熟の境地に達しつつあるムターが、その個性を全面的に発揮させた演奏と言えるのではないだろうか。

本演奏においては、旧演奏においていささか気になった線の細さなどはいささかも感じられず、近年のムターならではの骨太の力強い演奏を聴くことが可能である。

例によって、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げてはいるが、それでいて格調の高さをいささかも失うことがないのはムターの類稀なる豊かな音楽性と円熟の賜物である。

卓越した技量においても申し分がないところであるが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。

こうしたムターの円熟のヴァイオリン演奏を下支えしているのがマズア&ニューヨーク・フィルであるが、さすがにカラヤン&ベルリン・フィルと比較すると、重厚さや技量においていささか分が悪いのは否めないところだ。

もっとも、楽曲が重厚な分厚い演奏を必要とするブラームスのヴァイオリン協奏曲ではなくベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲ということもあり、必ずしも不満を感じさせるというほどではなく、むしろムターのヴァイオリン演奏を引き立てるという意味においては、過不足のない名演奏を行っていると言えなくもない。

いずれにしても、本演奏はムターの円熟の個性的な名演奏を存分に味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

併録のヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番&第2番も、ヴァイオリン協奏曲と同様のアプローチによる素晴らしい名演だ。

音質は2002年のスタジオ録音ということもあって十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:53コメント(0)トラックバック(0) 

2013年06月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、ムターとオーキスが1998年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音(ライヴ録音)から有名な2曲を抜粋したものである。

かつては巨匠カラヤンの指導の下、10代でデビューしたムターは、カラヤン&ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、1989年にカラヤンが鬼籍に入った後の1990年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになった。

ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。

一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築につとめているようにも感じられる。

もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。

本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げている。

それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられる。

加えて、卓越した技量においても申し分がないが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。

また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はない。

このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。

音質は1998年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:18コメント(0)トラックバック(0) 

2012年11月15日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ムターの約30年ぶりの再録音である。

前回は、ワイセンベルクと組んだ録音であったが、今回は、ベートーヴェンやモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集の録音でも息のあった名コンビぶりを発揮しているオーキスとの組み合わせである。

ライナー・ノーツによると、ブラームスのヴァイオリン・ソナタについては、オーキスともども20年に渡って演奏をしつつ研究を重ねてきたとのことであるが、その意味では、今般の録音は、20年もの長きに渡った両者による研鑽の到達点というべきものであると言えよう。

そのような点から漲る両者の自信は、第2番と第1番を逆転させるという、収録された曲順のこだわりにも表れている。

そして、ムターのヴァイオリンも、前回の録音とは段違いの円熟ぶりを示している。

演奏は一言でいえばロマンティック。

つまり、出だしからテンポや強弱の変化がかなりはっきりとつけられ、特に緩徐楽章において顕著である。

前回の録音では、弱冠20歳という年齢もあって勢いに任せたようなところも見られたが、今回の演奏では、勢いに任せて上滑りしてしまうような箇所はいささかもない。

ムターの特徴であるスケール雄大な大らかさは感じられるものの、決して大味になることなく、ブラームスならではの渋みのある抒情も、心を込めた豊かな音楽性を湛えて巧みに表現している。

オーキスのピアノも、ムターのヴァイオリンに見事に合わせており、特に、第2番の第2楽章の両者の自由闊達とも言うべき掛け合いは、このコンビの好調ぶりを表す素晴らしさだ。

いずれにしても、本盤は、ブラームスのヴァイオリン・ソナタの古今東西の名演の座に加わる資格を十分に有する名演と高く評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:53コメント(0)トラックバック(0) 

この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



最近のムターの録音・録画物としては出色のものである。

ムターは、1980年にカラヤン&ベルリン・フィルとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を録音しているので、本盤は約30年ぶりの録音ということになる。

演奏は、約30年前の旧録音が、終始カラヤンのペースで演奏されたというイメージがあったが、本盤は、ムターの個性が全開の円熟の名演であると評価したい。

有り余る演奏の中、あらためてこのポピュラーな曲にビロードのような色と艶を吹き込んだ演奏である。

ムターならではの大らかさの中にも、繊細な抒情に満ち溢れている。

バックは、マズア&ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団。

マズアの指揮は、ベートーヴェンや特にブラームスの協奏曲では、いかにも薄味の伴奏と言った趣きであった(オケはニューヨーク・フィルであったが)が、本盤では、楽曲がメンデルスゾーンの協奏曲だけに、そのような問題点はいささかも感じられなかった。

まさに、ムターとマズアの楽曲への思いが通じ合った会心の名演と言っても過言ではなく、更に、メンデルスゾーンゆかりのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のいぶし銀の音色が、演奏に重厚さを添えることになっている点を忘れてはならないだろう。

室内楽も今まで意識して聴いたことがなかったが、素晴らしい曲でこれを世に広めたムターとプレヴィンに敬意を表する。

ピアノ三重奏曲やヴァイオリン・ソナタは、プレヴィンやハレルとともに、実に息の合った名演奏を繰り広げており、特に、ピアノ三重奏曲の終楽章の地響きがするような重厚なド迫力には、完全にノックアウトされてしまった。

ボーナストラックの「春の歌」は、ムター&プレヴィンの仲睦まじさに思わず微笑んでしまうような名演奏であり、名演揃いの本盤の締めくくりに相応しい温かみを湛えている。

なぜか誤解する人もいるが、ムターは現代最高のヴァイオリニストの一人であることには間違いはない。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:39コメント(0)トラックバック(0) 

2012年10月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アンネ=ゾフィー・ムターが1976年13歳の時にカラヤンのオーデションを受けこの曲の録音が1979年9月。

これが弱冠16歳の少女の演奏とは思えないほど堂々としたものだ。

カラヤンの協奏曲録音には、ロストロポーヴィチやリヒテルなどとの競奏的な名演もあるが、フェラスやワイセンベルクなどとの演奏のように、ソリストがカラヤン&ベルリン・フィルの一部に溶け込んでしまう傾向も散見される。

本盤も若いムターとの共演でもあり、そのような懸念があったが、それは杞憂だった。

それどころか、カラヤンは極力自我をおさえ、ムターの才能と将来性を最大限に引き立てようとの配慮さえ見られる。

演奏は第1楽章が特にすばらしい。

ムターは遅めのテンポで、自分の考えを細部まで推し進める。

特に随所に見せるノン・ヴィブラートでの弱音の効果の大胆さに驚かされる。

カラヤンの指揮は時に重すぎる感じを与えることがあるが、非常にスケールが大きい。

第2楽章以下もムターは、潤いのある音で優美に演奏している。

彼女の個性は単なる知的な解釈とかテクニックの冴えというよりも、人間性と結びついたもののようだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:46コメント(0)トラックバック(0) 

2012年03月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



カラヤン初のモーツァルトのヴァイオリン協奏曲。

アンネ=ゾフィー・ムターは、1978年2月にカラヤンの指揮でベルリン・フィルの定期演奏会に出演し、モーツァルトの協奏曲を演奏したが、この録音はそれと同じ時期に行われた、ムターのレコードへのデビュー盤である。

この時、まだ14歳の少女であったが、ムターはなかなかよく弾いており、その年齢とは思えない見事な演奏といえる。

充分に響き切った音質ばかりではなく、音楽自体が実にのびのびとしていて内的な大きさを感じさせる。

変にこぢんまりとまとまったりはせずに、内面から流れ出る音楽を実に素直に全面に押し出している。

だからとてもナイーヴで、新鮮に感じられ、聴いていて快い。

ちょっと杓子定規の弾き方をした箇所があるにもかかわらず、音を作っていく作業は徹底している。

それに、この演奏の、背筋をピンと伸ばしての歌は本当に魅力的だ。

特に両曲の緩徐楽章では表現力が深く、美しい音色で表情豊かに弾きあげている。

ムターの豊かな天分が感じられる録音で、いまでもムターの最もよい演奏のひとつだと思っている。

カラヤンも実に深沈たるバックをつけて、ベルリン・フィルも絶妙な演奏を行っている。

なお、この時には1755年製のガリアーノを使用している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:36コメント(0)トラックバック(0) 

2011年01月07日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ムターのシベリウスはきわめて濃厚な表現で妖艶とも言える演奏である。

これは彼女が自らの演奏スタイルを切り開き新たな地平を見いだしたころの演奏で、実に能動的でドラマティックな仕上がりである。

ムターのネメつけるごとく噴き出す情のコワさと作品が内包する"女の肉体性"のようなものが共振して、なにやらたじろいでしまうほど激しく濃く情緒に絡みついて迫りくるシベリウス。

この曲の大自然の美しさや人々の純粋なエネルギーといった要素をさらに豊かに脚色し、あたかもドイツ後期ロマン派のような深い抒情的世界をつくりだしている。

多くの人が聴き慣れている曲の、コンサートで大拍手を受けるタイプの演奏とはまさに正反対のところにあるのがこれだ。

力を入れちゃいけない、泣いちゃいけない、というムターのヴァイオリンは、あくまで美しく、時には冷たい。

それだけじゃなくプレヴィン指揮のオーケストラがムターの方向をさらに先へと進ませようとしているんじゃないか、と思えるくらい。

つまり意欲とか覇気がない。

でも、聴いているうちに、聴き慣れたシベリウスでなく、こちらのシベリウスのほうがずっと自然な美しさを持っているんじゃないかという気になってくる。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、落ち着いて味わうべき曲である。

興奮せず、静かに聴く音楽の良さもある。

プレヴィンの没入しないエモーションも情景として就かず離れぬ肉声のモノローグ。

ドレスデン国立管のやや湿った響きもムターの演奏には最適である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:51コメント(0)トラックバック(0) 

2010年06月08日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ムターが17歳の時の録音である。

メンデルスゾーンが出色の演奏。

ムターの感受性にみちたニュアンス豊かな音色と弾き方、感情の起伏の大きいカデンツァ、強弱・緩急の変化が自在で極めてスケールの大きな演奏である。

カラヤンの指揮も壮大で厚みがある。

ブルッフも好演。

特に冒頭のカデンツァを、ムターは力強く、高い集中力をもって説得力のある演奏を聴かせる。

"ヴァイオリンの女王"と呼ばれる現在の彼女ならば、さらに自分の表現を徹底して、スケール豊かな演奏を聴かせてくれるだろうが、ここでのムターも真摯に作品に対して、自分の力を存分かつのびやかに発揮している。

若々しい集中力にとんだ演奏は、とても17歳の少女の演奏とは思えないほど充実しているし、繊細に心を傾けたみずみずしい歌と抒情がなんとも美しく、魅力的である。

カラヤンもいかにも硬軟巧みに、ムターのソロを生かしている。

ベートーヴェンやブラームス、チャイコフスキーなどを再録音しているムターが、この協奏曲をまだ取り上げてないのも、そうした魅力故ではないだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:45コメント(0)トラックバック(0) 

2010年02月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



アンネ=ゾフィー・ムター(25歳)が、ブルーノ・ジュランナ(55歳)、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(61歳)といった2人のヴィルトゥオーゾに支えられ、初めて室内楽録音に本格的に取り組んだアルバム。

2人の大家と新進女流による演奏である。

1988年、パリでの録音。

ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという旋律楽器によるトリオ編成は、それぞれに洗練された感性と高度な技術が要求される表現形態だが、ここに聴く弦楽トリオはアンサンブルの難しさを克服している。

ここでの聴きものは作品9の3曲で、ベートーヴェンの音楽の要求に応えて、3人があたかもソロを受け持っているかのように、それぞれが力感をこめた柄の大きい演奏を繰り広げている。

作品9の3曲の、これほど見事な演奏は聴いたことがない。

このトリオは、弦楽三重奏のアンサンブルの難しさを見事に克服している。

透明度の高い響きの中で、3声部の動きと絡み具合が目に見えるように浮かび上がり、第3番第1楽章など非常に深い音楽内容の堂々たる音楽だ。

ベートーヴェンの《弦楽三重奏曲》の最高傑作群を、情熱と深みと繊細さを兼ねそなえた透明度の高い響きでのびのびと歌い弾んでおり、スケールの大きな音楽を作り上げて、見事なアンサンブルを聴かせている。

ときには室内楽的演奏からはみ出し荒々しく感じられることもあるが、スケールと音楽の容量の大きさはさすがである。

これまであまり重要視されなかった作品だが、この演奏により再評価されるのではないだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:40コメント(0)トラックバック(0) 

2008年08月21日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。

 

ソロ、オケ、指揮すべてが優れているすばらしい演奏。

協奏曲の醍醐味を実感させると同時に、何よりもブラームスの音楽自体の美しさ、魅力、内容の深さを最大限に表出しえている。

その意味で、ムターの凄まじい緊張感をもって登場する第1楽章が最も感銘深い。

カラヤンの指揮も立派の一語。旋律の歌わせ方にも独特のニュアンスがあり、彼の音楽性のベストが表れている。

ヴァイオリンのフェラス、ピアノのベルマンとアンダなど、カラヤンが発掘し、彼が可愛がったソリストたちは不思議なことにその後泣かず飛ばずになってしまった。

そのため、カラヤンには"ソリスト潰し"という異名さえ与えられたのである。

そのカラヤンが最後に手塩をかけたのが、当時10代前半のムターだった。

カラヤンはムターを頻繁に起用し、演奏会はむろんのこと、主要な協奏曲も次々と録音していった。

しかし、さしものカラヤンもかつてのことが頭をよぎったのか、「私のあやつり人形にならぬように」と、ある時期以降は意図的に共演数を減らした。

これは両者の蜜月時代の傑作。ガッシリとした伴奏に乗って、強く逞しく輝かしく独奏が歌う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:16コメント(0)トラックバック(0) 

2008年05月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



メンデルスゾーンが出色の演奏。

ムターの感受性にみちたニュアンス豊かな音色と弾き方、感情の起伏の大きいカデンツァ、強弱・緩急の変化が自在で極めてスケールの大きな演奏である。

カラヤンの指揮も壮大で厚みがある。

チャイコフスキーはザルツブルグ音楽祭におけるライヴ録音。

ムターは冒頭の導入旋律を感情の大きな起伏と強い集中力をもって弾いている。その後に第1主題を豊かな音としなやかなボウイングで提示し、彼女の強靭な意志を印象づける。

カラヤンのサポートも効果的だ。ムターを引き立てながら、弦の柔らかい響きを持続させ、リズムのアクセントも柔らかく、常にしなやかな流動感を保っている。

そのためにムターは思い切って自己の解釈を生かしている。


13歳のときにカラヤンに見出され、スター奏者への道を歩んだムターは、カラヤンのことを次のように語っている。

「彼はとても『ナイス』な先生で、伴奏者です。……権威的なところはまったくありませんでした。解釈に関しても決して押しつけることをせず、逆に作品に対する独自の視点をもつことができるよう、洞察力と熟練を身につけることの手助けをしてくれるのです」

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 23:11コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ