ツィマーマン
2022年12月24日
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これは素晴らしい名演だ。
本盤にはリストによるピアノ協奏曲第1番及び第2番、そして「死の舞踏」が収められているが、このうちピアノ協奏曲第1番及び第2番についてはリヒテルとコンドラシン&ロンドン交響楽団による超名演(1961年)や、同曲第1番についてはアルゲリッチとアバド&ロンドン交響楽団による超名演(1968年)にも肉薄する至高の超名演と高く評価したい。
本盤の演奏におけるツィマーマンのピアノは、卓越した技量をベースとしつつ、持ち前の透明感溢れる美しいタッチで、曲想を濃密に描き出していくというものだ。
したがって、リストによる楽曲だけに、とかく人間業を超えたテクニックのみが際立ってしまいがちではある。
ツィマーマンのピアノ演奏の場合は、そうしたテクニックよりも楽曲の持つ美しさが大きくクローズアップされているのが素晴らしい。
その意味では、リストのピアノ協奏曲が含有する根源的な美しさをはじめて表現し得た演奏と言っても過言ではない。
こうした点に、楽曲への研究が人並み外れて熱心で、技量だけでなく、音楽の内容の深みを徹底して追求していこうとするツィマーマンのピアノ演奏の奥行きの深さの真骨頂があると言えるだろう。
「死の舞踏」では、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅の広さを駆使して、同曲に散りばめられた“怒りの日”の各変奏曲を巧みに描き分けており、ピアノ協奏曲にも比肩し得るような気宇壮大な演奏に仕立て上げているのが見事である。
このようなツィマーマンの圧倒的なピアニズムをしっかりと下支えしているのが、小澤&ボストン交響楽団による名演奏である。
このツィマーマンと小澤という組み合わせは、最近ではラフマニノフのピアノ協奏曲第1番及び第2番(1997年、2000年)においても名演を聴かせてくれている。
本演奏は当該演奏の10年前のものであり、その先駆けとなったものであるが、本演奏においても既にそうした両者の息の合った名コンビぶりの萌芽が存在していると言えるだろう。
小澤も、ツィマーマンのピアノ演奏に触発されたことも多分にあるとは思うが、トゥッティに向けて畳み掛けていくような強靭な気迫といい、重厚な迫力といい、まさに申し分のない名指揮ぶりである。
そして、ボストン交響楽団も、そうした小澤の名タクトの下、持ち得る実力を十二分に発揮した迫真の名演奏を展開していると言っても過言ではあるまい。
音質はCD盤で十分に満足できるデジタル録音であったが、SHM-CD化でより鮮明になり、ツィマーマン、そして小澤による至高の超名演を、高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2022年09月09日
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本DVDには、ショパンと同じポーランド生まれの類稀な才能を持ったピアニスト、クリスティアン・ツィマーマンと卓越したテクニックで独特の情感を創り出す天才指揮者、レナード・バーンスタインの共演が収録されている。
第1番は1984年、第2番は1985年の録音であり、ツィマーマンが30歳間近、バーンスタインが急逝する5年前の作品となるが、素晴らしい名演と高く評価したい。
バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。
このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、途轍もない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。
具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。
本盤の演奏とほぼ同時期に、バーンスタインはウィーン・フィルとともにブラームスの交響曲全集をライヴ録音(1981〜1982年)しており、当該演奏もどちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されるところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっている。
一方、本盤の演奏においても、基本的には交響曲全集の場合と同様であり、いかにもバーンスタインの晩年の芸風が色濃く反映された演奏に仕上がっている。
両曲の第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始には殆ど閉口させられるが、その後も極めて遅いテンポ、ゲネラルパウゼの多用、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などが駆使されており、これ以上は考えられないような濃密な音楽が構築されている。
したがって、いわゆるドイツ正統派のブラームス演奏とは百八十度異なる異色の演奏であり、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされているとさえ言えるだろう。
まさに、バーンスタインの体臭が芬々としている演奏と言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるところだ。
もっとも、本盤の演奏では、ツィマーマンのピアノが清新さに満ち溢れた名演奏を展開していることから、バーンスタインの体臭芬々たる濃厚な演奏が若干なりとも中和されていると言えるところであり、交響曲全集ほどの違和感を感じさせることがないと言える。
ツィマーマンのピアノ演奏については、若さ溢れる演奏でありながら、卓越した技術と音楽性がブレンドされ、既にヴィルトゥオーゾとしての風格が出始めている演奏だ。
これをバーンスタインがさらに昇華させており、ひとつの芸術作品としての存在感を示している。
ツィマーマンの若い頃の演奏を改めて観て感じたが、彼の音楽性はブレていないように思われる。
それは、ツィマーマンが音楽に対して真摯にそして一切の妥協を許さず向き合っている証拠である。
今なお進化し続けているのは、ツィマーマンの根幹にこれが存在するからなのだろう。
そして、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が、演奏全体に独特の潤いを与えているのを忘れてはならないところだ。
いずれにしても、以上の点を総合的に勘案すれば、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2017年11月13日
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ポーランド生まれのピアニスト、クリスティアン・ツィマーマンは今年60歳の大家として相応しい円熟期を迎えている。
今回ニュー・リリースされたアルバムのプログラムはシューベルト最晩年の2曲のピアノ・ソナタというのも象徴的だ。
作曲家が死の2ヵ月ほど前に作曲した3曲のソナタはことさら華やかな演奏効果もないので、テクニックだけで弾ける作品ではない。
またそれぞれが長大な曲で、野心などとは無縁の天上的な清澄な美しさがあると同時に、緩徐楽章には沈潜した逃れようのない諦観が潜んでいる。
それゆえ演奏家としての成熟した哲学や主張がなければ、走馬燈のように続く楽想がともすれば散漫な印象を与えかねないが、ツィマーマンの作品の本質を捉えた骨太でシンプルだがロマンティックできめ細かな精彩に富んだ解釈には曲を飽きさせない実力と説得力が示されている。
第21番変ロ長調のソナタを寂寥感と慟哭で最もドラマティックに表現したのはリヒテルだったが、ツィマーマンのそれはシューベルトの素朴な人柄に寄り添った真摯な演奏と言うべきだろうか。
2016年に新潟県柏崎市文化会館アルフォーレでセッション録音されたもので、音響学にも一家言持つツィマーマンらしくピアノのサウンドとその広がりを明瞭に捉えた音質も秀逸。
デジパックに挿入されたライナー・ノーツにはロンドンのクラシック音楽ライター、ジェシカ・デュシェンのインタビューに応える形でツィマーマンのシューベルトのソナタについての所感や使用楽器、また録音会場となった柏崎市のアルフォーレの音響についても語っている。
ツィマーマンの演奏を最後に聴いたのは3年前になる。
ドレスデンのゼンパーオーパーでのコンサートの一晩だったが、ブロムシュテット指揮、シュターツカペレ・ドレスデンとの協演で、彼が弾いた曲目はブラームスのピアノ協奏曲第1番のみだったが、ブロムシュテットの繊細なアプローチによって統率された渋めの音色のオーケストラに支えられた、彼の悠揚迫らぬ堂々たる表現と恰幅の良いピアニズムに感心した記憶がある。
今回のシューベルトの2曲のソナタは彼の久々のソロ・アルバムで、決して派手な選曲ではないが期待したとおりの充実感がある。
ウィーンにはシューベルトが1828年に31歳でその生涯を閉じた兄の家が記念館として遺されている。
そこに変ロ長調のソナタの自筆譜のコピーが展示してあるが、楽譜には少しの乱れもなく、ひとつひとつの音符が淡々と几帳面に書き込まれているのは感動的だ。
しかしその筆致から晩年のシューベルトの恐ろしいほどの寂寥感が伝わってきたことも記憶に新しい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2013年12月16日
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本盤には、バーンスタインがツィマーマンと組んでライヴ録音したブラームスのピアノ協奏曲第2番が収められているが、素晴らしい名演と高く評価したい。
バーンスタインは、かつてニューヨーク・フィルの音楽監督の時代には、いかにもヤンキー気質の爽快な演奏の数々を成し遂げていたが、ヨーロッパに拠点を移した後、とりわけ1980年代に入ってからは、テンポは異常に遅くなるとともに、濃厚でなおかつ大仰な演奏をするようになった。
このような芸風に何故に変貌したのかはよくわからないところであるが、かかる芸風に適合する楽曲とそうでない楽曲があり、とてつもない名演を成し遂げるかと思えば、とても一流指揮者による演奏とは思えないような凡演も数多く生み出されることになってしまったところだ。
具体的には、マーラーの交響曲・歌曲やシューマンの交響曲・協奏曲などにおいては比類のない名演を成し遂げる反面、その他の作曲家による楽曲については、疑問符を付けざるを得ないような演奏が目白押しであったように思われる。
本盤の演奏とほぼ同時期に、バーンスタインはウィーン・フィルとともにブラームスの交響曲全集をライヴ録音(1981〜1982年)しており、当該演奏もどちらかと言えば疑問符を付けざるを得ない点も散見されるところであるが、ウィーン・フィルの懐の深い音色が演奏を浅薄なものに陥るのを避けるための大きな防波堤になり、少なくとも佳演との評価は可能な演奏に仕上がっている。
一方、本盤の演奏においても、基本的には交響曲全集の場合と同様であり、いかにもバーンスタインの晩年の芸風が色濃く反映された演奏に仕上がっている。
第1楽章冒頭の超スローテンポによる開始には殆ど閉口させられるが、その後も極めて遅いテンポ、ゲネラルパウゼの多用、粘ったような曲想の進行、濃厚さの極みとも言うべき表情過多な表現などが駆使されており、これ以上は考えられないような濃密な音楽が構築されている。
したがって、いわゆるドイツ正統派のブラームス演奏とは百八十度異なる異色の演奏であり、バーンスタインがマーラーの交響曲の演奏で垣間見せるヒューマニティ溢れる熱き心で満たされているとさえ言えるだろう。
まさに、バーンスタインの体臭が芬々としている演奏と言えるところであり、これは好き嫌いが明確に分かれる演奏であるとも言えるところだ。
もっとも、本盤の演奏では、ツィマーマンのピアノが清新さに満ち溢れた名演奏を展開していることから、バーンスタインの体臭芬々たる濃厚な演奏が若干なりとも中和されていると言えるところであり、交響曲全集ほどの違和感を感じさせることがないと言える。
そして、ウィーン・フィルによる懐の深い美演が、演奏全体に独特の潤いを与えているのを忘れてはならないところだ。
いずれにしても、以上の点を総合的に勘案すれば、本盤の演奏を名演と評価するのにいささかも躊躇するものではない。
音質は、本従来盤でも十分に満足できるものであるが、先般発売されたSHM−CD盤は、若干ではあるが音質が鮮明になるとともに、音場が幅広くなったように思われる。
バーンスタイン、そしてツィマーマンによる素晴らしい名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。
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2011年08月04日
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ラフマニノフはツィマーマンの初録音。
センスのよくないピアニストの手にかかると、まるで甘味が多すぎて辟易とすることもあるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だが、ここにおけるツィマーマンのピアノを聴いて甘すぎると感じるような聴き手は多分ほとんどいないだろう。
もちろんここに甘味がないわけではない。必要な分だけは、しっかりと用意されている。
だが、少しも過剰になっていない。
すべては並々ならぬツィマーマンの自覚に裏づけられた強靭な音によって描き出されていく。
ここではラフマニノフの音楽固有の情感も、空中に霧散していくのではなく、大地にしっかりと刻印されているかのようだ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、旋律が実に甘く切ないものであり、どうしてもそうした表面上の美しさの方に心が奪われてしまいがちであるが、ツィマーマンのピアノは、もちろん美しさにおいてもいささかも欠けているところはないものの、あたかもベートーヴェンのピアノ協奏曲に接する時のような深沈とした深みやドラマティックな要素を兼ね備えているのが素晴らしい。
とかく前時代的であるとかロシアの哀愁誘う作曲家であるなどと、いささか通俗的と過小評価されているラフマニノフによるピアノ協奏曲を、それこそベートーヴェンのピアノ協奏曲にも比肩し得る大芸術作品の域にまで引き上げたと言っても過言ではあるまい。
そのことは、もちろん、併録された第1番の協奏曲にもあて嵌る。
最近は大病を患って健康状態に大きな不安を抱えている小澤ではあるが、本演奏ではパワー全開であり、情感の豊かさにおいても力強い生命力においても申し分がない。
ボストン交響楽団も美しさの極みとも言うべき名演奏を繰り広げており、重量感溢れる迫力においてもいささかも欠けるところがない。
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2011年06月29日
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「ショパン・コンクール」といえば、コンクール中のコンクールとでもいうべき格の高さを誇っている。
すべてのピアニストが、一度は意識をするコンクールといえよう。
5年に一度おこなわれるこのビッグ・イヴェントに、ツィマーマンはわずか18歳で優勝を飾ってしまった。
ポーランドのサーブジェで1956年に生まれた彼は、早くからピアノに独自の才能を発揮。
1975年におこなわれたショパン・コンクールでは、史上最年少で優勝するという快挙をなしとげた。
その後、すぐに演奏活動に入り、レコーディングも活発におこなうようになる。
来日もして、わが国のファンの耳と目にも強い印象をあたえた。
ツィマーマンはポーランド出身であり、しかも、ショパン・コンクールで世に出てきているので、ショパンを得意としているのは当然としても、それだけで彼が満足しているわけではない。
彼はモーツァルトやシューマン、ブラームスなどに対しても、きわめて意欲的に取り組んでいる。
ショパンを含めて、その演奏内容は、たんなる星菫派のような抒情の吐露に終わってしまうことなく、構成力のある堂々とした性格だ。
そのたくましい存在感を秘めた音楽性は、今後さらに大きく成長していくことであろう。
ひと頃は若さのシンボルのような存在であった彼も髭などをたくわえ、外見もグッと貫禄を増してきているようだ。
現在、最も注目すべきピアニストの一人である。
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2011年04月18日
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このドビュッシーは、いわゆるフランス的な演奏とはその本質を異にしているが、いかにもツィマーマンらしい十分に吟味された精妙にして精巧な表現が見事な内容になっている。
彼の入念で高度な読譜力は、緻密にコントロールされたテクニックやクリスタルで美しいタッチを得て、その表現の意図をほとんどパーフェクトにレアリゼする結果をもたらしており、それは、これが構成的で頭脳的な演奏であることをも印象づけている。
音楽的なバランス感覚に秀でたツィマーマンらしい、響きの美しさが注目されるが、それは巧みなペダリングを伴って、音色に幅広い濃淡を与えるとともに、まるで水面に墨を落としたような音の広がりを実現させている。
一方、時間と空間に対する個性的な解釈も明らかにされており、全体に余裕のあるペースで弾き進めながらも、緩急の対照が強く浮き彫りにされている。
第1巻で言えば〈西風が見たもの〉と〈沈める寺〉とが好対照。
ニュアンス、というと淡い、何かとらえ難いものに思えてしまうけれど、ツィマーマンがドビュッシーの音楽で追求しているニュアンスは、もっと確固としていて、硬く、はっきりそれと聴きとれる。
同時にツィマーマンは、シャープな切れ味を、故意に捨て去ろうとしている。
ミケランジェリが行った方向とは、まったく違っているわけだ。
曖昧さを拒否する一方、すべてをあからさまにすることをも拒否して、ツィマーマンの《前奏曲集》は、難しい場所に立ち、そこで詩情をつくり出す。
思えば理智的な美学と感覚的な美意識の、両方からはさまれたあやうい場所にいたのは、ツィマーマンだけではなかった。
ドビュッシー自身もまた……。
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2011年01月09日
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ツィマーマンの初のリストで、小澤&ボストン響ともこれが初の共演であった。
第1番のツィマーマンの演奏は、アルゲリッチにほとんど遜色がない。
情熱的という点では一歩を譲るかもしれないが、彼の特質とされる音色の美しさは、数多いこの曲のCD中でも最高といっていいだろうし、その明るい響きから生ずる現代風叙情性は、この協奏曲に新しい光を当てたものということもできる。
ツィマーマンは、美しく張りつめたタッチを生かしてスケール大きな演奏を展開するとともに、ニュアンスゆたかな弱音の表現によって作品の細部まで澄んだ光を通している。
小澤の指揮ともども、さらに陰りのあるロマンもほしいが、気宇爽やかに充実している。
第1番ではソロもオーケストラも力強いし、その演奏は気迫にあふれている。
ツィマーマンのタッチは音色が明るく、透徹した響きをもっており、それは最初のアレグロ・マエストーソの優美な第2主題のひめやかな情感を反映させる。
第2番でのツィマーマンのソロも魅力的で、アルペッジョのひとつとっても繊細な表情で弾いていて、神秘的な雰囲気さえ出している。
ここでも小澤&ボストン響の見事なサポートが光っている。小澤の指揮は爽やか、かつスマートだ。
リヒテルやフランソワがともに個性的な演奏を聴かせたのに対し、ツィマーマンはピアニストとしての使命を冷静にとらえた上でのリストを再現している。
それは、ピアノという楽器がもつ限りない可能性と美しい表現力を積極的に打ち出した演奏であり、実に率直な演奏の喜びにあふれている。
決して作品の前に立ちはだかることをせず、リストそのものの世界へと自然に導く演奏であり、救いと憩いが感じられる。
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2011年01月08日
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おそらくは譜面に忠実なアプローチにより、堅実に構築されている一方、デュナーミクの幅広さがきわ立つ豪快な演奏であり、ピアニスティックな傑作にふさわしい高い演奏効果がもたらされている。
また、強奏にあっても響きは濁っておらず、音色に対するツィマーマンの繊細な感覚がうかがえる。
さらに、このリスト作品に秘められた内省的な側面ないし瞑想性についても、ツィマーマンは、奥深いところまで追求している。
ツィマーマンのすばらしいテクニックと澄んだ輝きと絶妙なニュアンスをそなえた音が最高度に生かされているとともに、作品に対する深い読みが少しの逡巡も、また誇張もなく示されている。
スリリングであるとともに、これほど美しく生き生きと安定した《ロ短調ソナタ》の演奏も珍しいだろう。
真っ正面からリストの全体像に挑みながら、道を踏みはずさないのがツィマーマンだ。
堂々たる構築性に突き進むのではなく、情念のおもむくまま、ロマン的な世界に没入するのでもない。
確かに、どこかの方向に焦点を合わせ、走ってしまうのもリストの音楽の魅力を引き出すことにはなるはずだが、あれもこれも求め、どちらも得てしまうツィマーマンに舌を巻く。
ピアノという楽器の威力を存分に示し、幅の広い演奏をつくりながら、一方で溺れんばかりにロマン的情感に浸る。
それでいながら、どこか覚めていて、調和をとる。
至極まっとうに聴こえるリストなのだが、同時に見事に成功した離れ業なのではないだろうか。
4曲の小品も傾聴に値する。
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2010年10月22日
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この演奏に接した聴き手は、あるいはこれがベートーヴェンとしては綺麗で抒情的すぎるという印象を受けるかもしれない。
しかし、不純物を取り除いたツィマーマンの表現は、作品に秘められた美のイデアに個性的で独自のアプローチを試み、ユニークな成果を収める結果をもたらしているのである。
第1、第2、第4が出色であるが、最初の2曲でしばしば窺われるリリックで繊細な表情の冴えは、やはり絶品である。
第1番と第2番はツィマーマンの弾き振りによる演奏。
第1番はウィーン・フィルの響きの美しさと相俟って全体に豊かなカンタービレが漂う演奏。
ツィマーマンのタッチもきわめて自然、誇張や無用の自己主張は私に常に抵抗を覚えさせるので、できる限り自然体の歌心によって描出される演奏を推す。
第2番は何よりもピアノの音色美にまいってしまう。
録音も極上だが、ツィマーマンのテクニックも音楽自体も透徹し切っているのだ。
不純物のまったく見られない切れ味の鋭さに驚かされる一方、艶やかさと即興性にも欠けておらず、単なるメカニックな演奏ではない。
第3番はツィマーマンの器の大きさを改めて印象づけられた演奏で、表情ゆたかで起伏にとんだバーンスタインとウィーン・フィルに対して、少しも肩張ることなく自分の音楽を健やかに貫いている。
明快な表現と端正で深く澄んだ歌をいきいきとたたえた演奏は、まことに志が高い。
第4番は作品をとらえる眼差しの鋭さと演奏家がもつ人間的味わいの豊かさに心奪われるズシリと重い名演。
ツィマーマンのピアノは音の結晶体ともいうべき輝きと美しさを誇り、バーンスタインの指揮は作品への限りない愛情を裏付けとした奥深さがあり、聴き入らせる。
第5番「皇帝」は巨匠ならではのスケール感と壮麗さを誇りながら、初々しい抒情のひらめきも併せ持った稀有の名演。
ツィマーマンのピアノは高潔なる気品と熱い生命の躍動感を一貫させ、バーンスタイン=ウィーン・フィルが伝統の重みとふくよかさでそれを包み込んでいる。
全体的に、一見すると感興のままに、なんて演奏とは無縁みたいなツィマーマンが、実はバーンスタインと共通した音楽の性格をもっているのが明らか。
音はあくまで硬質な響きを保ち、スタイルも、ぎりぎりまで達しながら崩れないツィマーマンのピアノはすばらしく、そのピアノと絡み合い、煽り立て、いわばどんどん火をくべる役を果たすバーンスタイン指揮のウィーン・フィルとぴったり。
ライヴもので大成功も大失敗もあるバーンスタインの、1989年ライヴのこれは、大成功のほうに属する。
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2010年09月09日
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ブラームスはツィマーマンの2度目の録音であり、その演奏は音も表現も一段と密度高く磨かれている。
ツィマーマンは「思索と研鑽の人」と称されるだけに、同曲についても徹底的に研究を重ねたのだと考えられる。
同曲はブラームスの青雲の志を描いた作品であるが、ツィマーマンはそうした疾風怒濤期にも相当する若きブラームスの心の葛藤のようなものを鋭く抉り出し、奥行きのある演奏を行っているのが素晴らしい。
また、技量においても卓越したものがあるとともに、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現の幅は桁外れに幅広く、スケールも雄渾の極みであり、情感の豊かさにおいてもいささかの不足もない。
1音1音まで確かな意志が通った演奏は、まことに彫りが深く、スケールが大きいし、こまやかに磨かれた表現と音彩の美しさも傑出している。
まさに、技量においても内容の深みにおいても完璧なピアニズムを展開していると言えるところであり、ツィマーマンとしても会心の名演奏と言えるのではないだろうか。
若々しい情熱とリリシズムにとんだ前作の演奏も魅力的であるが、どちらかというと、バーンスタインに合わせた感があったのに対して、ここでのツィマーマンは、揺るぎない自信をもって存分に自分の演奏を展開している。
ラトルもベルリン・フィルを存分にドライヴして、いきいきと劇性ゆたかな演奏を築くとともに、細部まで曖昧さを残すことなく鋭敏にソロと呼応している。
注目の顔合わせにふさわしい新鮮な名演である。
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2010年08月17日
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新盤とは別人のような、若き日のツィマーマンの初々しい情感に満たされた演奏だ。
第2番が名演。
ツィマーマンはショパンを完全に自分のものにしており、作品の情感、リリシズム、ロマンティシズムを細部まで感じぬいている。
それは上等で匂うような音楽性、デリケートで柔軟な感性に裏打ちされたものだ。
それに高雅な香りと気品にみちているのがすてきだ。
この作品が書かれたときの、ショパンの年齢に近かったころのツィマーマンの録音だけに、若々しく純粋な感性で音楽をつくりあげている。
ことに、初恋の気持ちをあらわしたともいわれる、幻想曲ふうの第2楽章は絶品だ。
第1番はきわめて繊細なタッチで優美に表現しているのが魅力だ。
その音だけ聴いていると、あたかも女性が弾いているような感じで、しなやかで甘く、この作品の抒情的な流れを、ごく自然に歌わせているところにひかれる。
特に第2楽章がよく、病的な青白いロマンの一種独特な雰囲気がたちこめている。
ジュリーニの棒もうまく、立派である。
両曲ともドイツ風の充実し切った響きによる立派さが際立っている。
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2009年07月05日
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グリーグは過去のどの録音よりも素晴らしい。
ツィマーマンのピアノは、カラヤンの示唆もあったのか第1楽章冒頭から壮大、大柄であり、非常に遅いテンポでルバートを効かせつつ音楽を開始する。
第2楽章も各部を感じきって弾いており、不自然さも全くない。
カラヤンの指揮も完全なドイツ後期ロマン派調で、北欧のリリシズムとはやや異質だがスタイルとしては最高。
グリーグはライプツィヒでシューマンやメンデルスゾーンの音楽の様式を学び、それらを下敷きにこの曲を作曲しているが、この演奏には、そうしたドイツ音楽の演奏を思わせるような性格が濃厚にあらわれている。
かなりカラヤン・ペースの演奏ではあるが、その若々しくロマンティックな表現には魅せられる。
シューマンは両者ともやや大人しい。
この作品の抒情的な性格を、きわめて知的な目でとらえた演奏で、実にこまやかなタッチとペダリングによる、明澄な音色をもった、高雅な表現をおこなっている。
老練なカラヤンの棒と、みずみずしいツィマーマンの感性が、美しくとけあった名演だ。
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2009年01月22日
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クリスティアン・ツィマーマンは史上最年少の18歳で1975年のショパン・コンクールに優勝し、一躍その名を知られたポーランドのピアニスト。
ツィマーマンのピアノは高度に磨かれたテクニックとロマンティックな抒情性にあふれた表情の美しさが魅力といえる。
これが初めてのシューベルトであるツィマーマンの演奏は、1曲ごとによく磨きがかけられており、みずみずしい歌にあふれたロマンティックな情感とともに劇的な性格も陰影豊かな音で鮮明に表現していて深い余韻を残す。
D.899の4曲は性格的小品として、D.935の4曲はソナタのような趣を生かして表現しており、シューベルト晩年の作といわれる8曲の《即興曲》に対する深い理解を感じさせる演奏である。
鮮やかなテクニック、明快なタッチ、やわらかい色調の音、豊かな情感、ふくよかな歌を通して、心こまやかに豊かな楽想を紡ぎだしている。
タッチの明快さと豊かな張りは、さすがに第一級のアーティストで、それが身ぶりの大きさへと向かうのではなく、音楽をできるだけきめ細かく表現しようという、細心さの方へ向かっているのがツィマーマンらしい。
シューベルトとしては意外なほどアクセントの利いた、メリハリの豊かなフレーズもあって、ツィマーマンのはっきりとしたシューベルト観がうかがえるのも興味深い。
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2009年01月21日
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1975年、18歳のときに、ショパン・コンクールで優勝して注目を集めたツィマーマンは、作品を自己のレパートリーとして定着させるまでにも、また録音に際しても、かなり慎重な態度を貫き、常に自己を見失わない姿勢を保ってきた。
このディスクは彼にとって9年ぶりのショパン・ソロ・アルバムだった。いかにも力を入れこんだ感じのホットな演奏が聴ける。
ツィマーマンの比較的新しい録音のバラード集は、これまでよりいっそう表現の幅が増し、奥行きが広くなったと思う。
本当にじっくり腰を落ち着けて演奏していると同時に一つ一つの楽想を思い切り表現しており、それが音楽の大きな流れを生み出している。
ツィマーマンは細部を緻密に仕上げながら、作品のロマンティシズムやそれぞれの《バラード》の持つ物語性に対する解釈を明らかにしている。
いずれも実に緻密で、しかも音楽の自然な流れよりも細部へのこだわりを優先させているとさえ感じられる演奏だ。
ツィマーマンは細部を再検証することで、新しい表現を生み出そうというのだろう。
そのようにあつかわれた細部は、すべてキラリと光を放つ。
そして、スリリングな場面を散りばめたドラマティックな展開を見せて聴かせどころを作り、聴き手の感情に鋭く訴える。
現代的なマニエリスティックな演奏ともとれるが、滲み出る豊かな才能が実感されるし、響きの作り方の美しさにも息を呑む思いがする。
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2008年12月16日
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ショパンの没後150周年を記念して、ツィマーマンが自ら組織したオーケストラとの演奏である。
ヨーロッパとアメリカの40都市をツアーしたこのプロジェクトで、ツィマーマンは「19世紀風にロマンティックなショパン」を目指したと語ったそうだが、その演奏は、まことにユニークである。
強靭な意志がこめられた第1番第1楽章冒頭を聴いただけで、尋常ならざる演奏であることがわかるだろう。
指揮も兼ねたツィマーマンは、存分にオーケストラをドライヴし、驚くほど大きくテンポを動かして、ロマンティックな歌をうたいつくしてゆく。
通常は20分前後の第1楽章に23分30秒もかけているが、そのロマンティックな表現や大胆なテンポの変化にもかかわらず、演奏が少しも大時代がかったり、重く淀んだ澱を残すことがないのは、作品に対するツィマーマンの透徹した読みと志の高さ故だろう。
ポーランド全土から選抜されたオーケストラの若きメンバーたちの共感ゆたかで、しなやかな集中力に富んだ反応も見事である。
ツィマーマンは、この曲を3回録音していたが、今回の演奏は、細部の表現がいっそう彫り深く磨かれており、エネルギー感ゆたかな録音とあいまって充実したスケールと底力を加えているし、磨きぬかれたタッチでしなやかに歌われた澄んだ表現がそこに何とも美しい陰翳と清浄感を添えている。
曲に一部手を加えていることには賛否があるだろうが、これほど刺激的な名演もないだろう。
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2008年03月29日
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ツィマーマンはブラームスのピアノ協奏曲第1番をラトルと再録音しているが、筆者はバーンスタインとの旧盤を採りたい。
オーケストラが全くすばらしい。
第1楽章の何という濃厚な生々しさだろう。
第2楽章のピアニッシモも効いているし、フィナーレではウィーン・フィルの柔らかい情感や優美な魅力を最大限に発揮する。
ツィマーマンのピアノも訴える力は強く、第1楽章の終わりや第2楽章などは、当時26歳の青年の演奏としては絶賛に値する。
ブラームスの哀しい独り言やかきくどき、青白い寂しさを充分に表現し得ている。
ツィマーマンの磨き抜かれたタッチは、1つ1つのフレーズを明確なアーティキュレーションではっきりと浮かび上がらせる。
解釈はブラームスのロマンティシズムを生かしながら現代風の明晰な知性を感じさせるもので、遅めのテンポと相まって演奏に落ち着きを与えている。
バーンスタインとウィーン・フィルも圧巻で、強い緊張感と持続力を維持しながら、オーケストラから美しい響きと広がりを引き出している。
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2007年11月08日
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11月18日(日)に横浜みなとみらいであるコンサートに友人から呼はれている。ギドン・クレーメルがまたやってくるのだ。そして今度の曲目はシュニトケやピアソラではなく、ブラームスとフランクのヴァイオリン・ソナタである。
しかも、ピアノはクリスティアン・ツィマーマン!これは期待が高まる。ひょっとしたら今年来日した演奏会の中で最も聴きものではないか。このライヴの感想については後のブログで述べる予定。お楽しみに。
久し振りの上京だ。朝一の飛行機で羽田空港に向かう。そして、大学時代フルトヴェングラー研究会のメンバーの友人宅で観賞会をした後、コンサート会場へ。終了後は中華街で語り合うつもりだ。
ここでその二人の推薦盤をあげておきたい。
まずクレーメルは現代音楽ではなく、ブラームスのコンチェルト。それも複数あるなかのバーンスタインと共演したものだ。
クレーメルはここでもきわめて感性が鋭く繊細であり、知的な音楽づくりが聴きもの。すこぶる現代的なセンスにあふれているところがよい。情熱的なバーンスタインと不思議に溶け合っている。ことにヴァイオリンとオーケストラがわたりあう第3楽章はすごい(特に冒頭)。
ツィマーマンはショパンのコンチェルトが大胆きわまりない濃厚な表現によって話題になったが、ここではもっと若い頃カラヤンと共演したグリーグのコンチェルトを推したい。その若々しくロマンティックな表現には魅せられる。
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