モントゥー

2017年06月10日


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プラガ・ディジタルスからのジェニュイン・ステレオ・ラブ・シリーズの新譜で、リムスキー=コルサコフの作品3曲が収録されている。

ピエール・モントゥー&ロンドン交響楽団の『シェエラザード』が目当てで買ったが、他の2曲の室内楽も機知に富んだ作曲家のアイデアと才能を示していて予想以上に楽しめるアルバムになっている。

弦楽のための六重奏曲及びピアノと管楽器のための五重奏曲はライナー・ノーツによればどちらもリムスキー=コルサコフがロシア音楽協会のコンクールのために提出した作品で、優勝は逸したが音楽性の豊かさと若々しい意欲的な作風に魅力がある。

前者は屋外で演奏する気の利いたセレナードのような清涼感があり、弦楽トリオをふたつ組み合わせる斬新な発想と第2楽章フガートではバッハの名前B、A、C、Hの4つの音を使った手の込んだ二重フーガ、第3楽章はイタリアの軽快な民族舞踏タランテッラ、更に第4楽章ではスラヴの抒情をクロスリズムの伴奏の上に歌わせるというかなり凝った作品だ。

演奏者はコチアン四重奏団にヨセフ・クルソニュのヴィオラとミハル・カニュカのチェロが加わる編成で、明快かつ溌剌とした推進力が見事な演奏だ。

一方後者は一種のサンプラーで、このCDの収録時間がトータル82分15秒とかなり詰め込んでいるにしても、第2楽章だけなのが惜しまれる。

プラハ木管五重奏団のメンバーにピアノのイヴァン・クランスキーが協演していて、管楽アンサンブルはどことなく垢抜けない音色だがスラヴの土の薫りをイメージさせるローカル色が聴きどころだろう。

モントゥー&ロンドン交響楽団の『シェエラザード』は1957年の良く知られたデッカ音源で、初期のステレオ録音だが新規のリマスタリング効果で分離状態の良い鮮明な音質が再現されていてノイズも殆んどなくなっている。

寓話「アラビアン・ナイト」の世界を説明的ではなく、音のみによって十分に描いた巨匠の腹芸のような含蓄の多い名演で、色彩豊かに、しかしナチュラルに表現している。

曲中4回に亘って登場するヴァイオリン・ソロによるシェエラザードのテーマはアイルランドの名手ヒュー・マクガイヤーの妖艶というよりは、むしろ清楚で可憐な表現に好感が持てる。

この作品はヴァイオリンの他にもフルート、オーボエ、コーラングレー、クラリネット、ファゴットやチェロなどのソロも大活躍する華麗なオーケストレーションに仕上げられているが、モントゥーのテンポは快速で、部分的な拘泥を避けてストレートな物語性を描き出し、クライマックスでのブラス・セクションの惜しみない咆哮も効果的だ。

この辺りにも彼の多くの新作初演の経験から鍛えられたスコアへの鋭利な洞察力が示されている。

レギュラー・フォーマットだが古いCDと聴き比べると見違えるような音質の向上が特筆される。

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2017年01月01日


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1958年にピエール・モントゥーがウィーン・フィルを振ったベルリオーズの『幻想』は先ずその音質の鮮明さに驚かされる。

また音響の拡がりや残響も理想的に捉えられている英デッカのステレオ黎明期の名録音のひとつだ。

音楽的に言えばモントゥーのこの曲への綿密な音楽設計が際立っていて、これ見よがしの演出を避けて純粋に音楽的な要素のみを彫琢したシャープな造詣に特徴がある。

ベルリオーズには形式感が厳然と存在していて、その中でのストーリーがあたかも映像を見るように次々に進んでいく表現が秀逸だ。

またこうした手法をウィーン・フィルにも徹底させていて、彼らも格調高い音色と巧みなアンサンブルで指揮者の要求に良く応えている。

第2楽章の優美だが次第に鼓動が高まって戦慄を呼び起こすようなワルツや、第4楽章「断頭台への行進」での金管楽器に抑制を効かせた、しかしウィーン・フィルの底力を見せる余裕を持った凄みにかえって迫力が感じられる。

終楽章の荘重な鐘の響き、フーガとグレゴリオ聖歌の旋律が重なり合うクライマックスも、あくまでも俗っぽいおぞましさからは離れた高踏的な解釈での演奏が好ましい。

モントゥーは同曲を4回録音していて、名盤と言われたサンフランシスコ響との2回目の録音に比べると表情が抑制され、オーケストラも色彩も地味なものとなっている。

そうした面では多少特色に乏しい印象もあるのだが、演奏に巨匠的な風格が漂っているのは言うまでもない。

白熱的な演奏スタイルではないが、この曲を得意としたモントゥー独自のアイデアが光る名演と言えるところであり、やはり、あらゆる『幻想』の中で注目すべき1枚だろう。

一方カップリングされたディミトリ・ミトロプーロス指揮、ニューヨーク・フィルにエレノア・ステーバーのソプラノ・ソロが加わる『夏の宵』は、指揮者の精緻でありながら官能的なオーケストラに乗って、ステーバーの艶やかな歌唱が映える演奏だ。

ミトロプーロスの頭脳的プレイは流石だが、この録音では第1曲の「ヴィラネル」が抜けて5曲のみの収録になる。

ライナー・ノーツによればこの曲がメゾ・ソプラノの響きにはそぐわないために省かれたと書かれているが、ステーバーは歴としたソプラノなので、曲趣と歌手の声質の統一を図るために指揮者自身が除外したのかも知れない。

1953年最初期のステレオ録音らしく、分離状態はそれほど良くないが音質は良好で、リマスタリングの効果もあってノイズの極めて少ない、しかも充分な音量で鑑賞することが可能だ。

現在プラガ・ディジタルスからリリースされている歴史的録音のSACD化シリーズの1枚で、ステレオ・アナログ・オリジナル・ソースからのDSDバイ・チャンネル・リマスタードとの記載がある。

当時のオープン・リール磁気テープへの録音及びその保存状態が良かったためか、SACD化の成功例に数えられる。

尚ライナー・ノーツは15ページで、演奏者及び曲目の紹介が英、仏語で、そして歌曲集『夏の宵』については仏語の歌詞が掲載されている。

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2016年05月29日


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1958年録音のブラームスのヴァイオリン協奏曲は過去にXRCDヴァージョンでもリリースされて、その鮮烈な演奏と臨場感溢れる音質で名盤の誉れの高いものだが、ブラームスに造詣が深かったモントゥーの豊かで変化に富んだダイナミズムに絶妙に呼応するロンドン交響楽団の底力も特筆される。

シェリングのヴァイオリンはその後の2回の再録音(ドラティ1962年、ハイティンク1974年)では聴けない、突き進むような情熱に支配されていて、人後に落ちない完璧なテクニックもさることながら、彼の潔癖ともいえるクリアーな音色と怜悧な音楽性も堪能できる。

彼はまたアンサンブルの分野でも優れた録音を少なからず遺している。

ルービンシュタイン、フルニエと組んで同じくRCAに入れたブラームス、シューベルト及びシューマンの一連のピアノ・トリオの他にもグラモフォンにはケンプ、フルニエとのベートーヴェンのピアノ・トリオ集がやはり傑出したサンプルと言えるだろう。

ここに組み込まれたブラームスのホルン三重奏曲はジョゼフ・エガーのホルン、ヴィクター・バビンのピアノで、シェリングが管楽器と行ったアンサンブルでは殆んど唯一の貴重な録音ではあるが、エガーのソロがいくらか不安定でそれほど魅力がなく、また音量がフォルテになると再生し切れない音源上の問題もある。

1959年のシャルル・ミュンシュ、ボストン交響楽団とのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、オーケストラの機動力を駆使した速めのテンポで通した推進力が全曲を貫いている。

中でも終楽章のたたみかけるようなフィナーレは圧巻だ。

シェリングのソロは細やかなニュアンスの変化や余裕を持った多彩な音楽性の表出では、後のハイティンクやメータとの協演に一歩譲るが、この演奏からはブラームスの協奏曲に相通じる漲るような覇気が伝わってくる。

穏やかな第1楽章のカデンツァや第2楽章においても甘美というより、弛緩のない緊張感の持続で歌い切る凛としたカンタービレが特徴的だ。

同じく1959年のワルター・ヘンドル、シカゴ交響楽団とのラロのスペイン交響曲では、名手サラサーテの演奏を前提にしたラテン的な熱狂とは一線を画した、シェリング特有のキレの良い高踏的ロマンティシズムが聴きどころだろう。

彼は5つの楽章のそれぞれの構成と様式に則って堅実にまとめているが、第4楽章アンダンテでも決して耽美的な美しさではなく、あくまでも交響曲の中のひとつのエレメントとして捉えている。

惜しむらくはヘンドルの指揮が閃きに乏しいいくらか凡庸な印象があり、シカゴ響の実力が縦横に発揮されているとは言えないことだ。

特に新しいリマスタリングの表示はないが音質は1950年代後半の初期ステレオ録音としては、前述のホルン三重奏曲を除いて極めて良好で、ブラームスのXRCDには及ばないとしても充分満足のいく音響が再現されている。

尚ライナー・ノーツには廉価盤の宿命と言うべきCD初出時の焼き直しの日本語解説が掲載されている。

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2016年05月22日


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ユニヴァーサル・イタリーからの新譜になり、ピエール・モントゥーのデッカ、フィリップス、ウェストミンスターの音源を20枚のCDにまとめたもの。

モントゥーは80歳を過ぎてからベートーヴェンの交響曲全曲を始めとするかなり充実したレパートリーをデッカとフィリップスに録音している。

協演のオーケストラは彼が1961年から64年に亡くなるまで首席指揮者だったロンドン交響楽団の他にウィーン・フィル、コンセルトヘボウ及びパリ音楽院管弦楽団で、最も古い1956年の『火の鳥』と『ペトルーシュカ』も歴としたステレオ録音なので臨場感にも不足しない鮮明な音質で鑑賞できるのが嬉しい。

特に後者は若き日のジュリアス・カッチェンがピアノ・パートを弾いていて、夭折した彼の貴重な記録でもある。

2014年にRCAからモントゥーのコンプリート・セットがリリースされたが、このユニヴァーサル音源はその補巻として彼の晩年の至芸を堪能させてくれる。

ただしこちらはコンプリートではなく、例えば1958年のウィーン・フィルとのベルリオーズの『幻想』やメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』などは含まれていない。

尚ウィーン・ゾフィエンザールでの『幻想』のセッション録音は現在オーストラリア・エロクエンスのレギュラー盤かプラガ・ディジタルスからのSACD盤での選択肢がある。

モントゥーはアメリカに活動の本拠地を移すまで、ディアギレフ率いるバレエ・リュスの専属指揮者だったことから、ストラヴィンスキーの『春の祭典』『ペトルーシュカ』ラヴェルの『ダフニスとクロエ』を始めとする多くの創作バレエの初演を振った。

言ってみればこうした叩き上げの豊富な経験によって彼の新時代の音楽に対する極めて洗練された感性とそれを指揮する極意が培われたに違いない。

中でも『春祭』は当時のパリ上流階級を中心とする観客のブーイングの嵐と劇場の大混乱によって上演は中断せざるを得なかったが、モントゥーの予言どおりその後この曲はバレエのみならずオーケストラのレパートリーとしても完全に定着した。

当時としては前衛以外の何物でもなかった最先端の音楽に取り組み、その芸術的価値を信じて疑わなかった彼の先見の明には脱帽せざるを得ない。

ここに長いキャリアを積んだ晩年のモントゥーによるストラヴィンスキーの3大バレエがパリ音楽院管弦楽団との演奏で収録されているのは象徴的だ。

34ページほどのライナー・ノーツには収録曲の詳細なデータ及びラジオのクラシック番組でお馴染みのルーカ・チャンマルーギのエッセイが英、伊語で掲載されている。

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2016年04月17日


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モントゥーが1956年にローマ・オペラ座で行ったセッションで、歌手達の伝統的な歌唱法をある程度許容してイタリア・オペラの醍醐味を損なうことなく、全体を隙なくまとめてみせた手腕は流石だ。

モントゥーのオペラ全曲盤は、彼の経歴からすれば意外なくらい少なく、しかもこのセッションでは彼が得意としたフランスものや20世紀のロシア物ではなく、ベル・カントの牙城ヴェルディを採り上げているのが更に興味深いが、イタリアのマエストロと聴き違えるくらい声の魅力を活かし、簡潔にドラマを描く力量に改めて感心させられた。

歌手の抜擢もかなり堅実で、主役のヴィオレッタにはコロラトゥーラ・ソプラノではなく、リリコ・スピントのカルテリを使って、主人公の意志の強さと物語としての筋道を明確にしている。

輪郭のはっきりした美声で高音にも恵まれていた彼女は、こうした性格的な役柄には充分に実力を発揮している。

一方アルフレード・ジェルモンには当時既にマリア・カラスと同オペラで場数を踏んで、1953年からはニューヨークのメトロポリタンにも登場していたヴァレッティを使っている。

彼の声はテノーレ・ディ・グラーツィア、つまり優雅なテノールとして分類されていて、決して声量で圧倒するタイプではないが恩師スキーパ譲りの無理のない理知的な歌唱が、一途な青年アルフレードの性格を良く描き出している。

そして彼の父ジョルジュ・ジェルモン役のウォーレンだが、彼は対照的に大音声を誇ったバリトンでいくらか癖のある歌い回しがスタイリッシュで面白みもあるが、モントゥーは要所要所でしっかりと制御している。

『椿姫』ではオーケストラの聴きどころに第1幕及び第3幕への前奏曲がある。

それぞれが劇中に出てくるモチーフを繋いだ短いオーケストラル・ワークだが、ここにもモントゥー特有のオーケストラへの巧みな采配と曲想に対するデリカシーが横溢している。

特に終幕のそれはしばしば聴かれる病的な脆弱さや安っぽい感傷を避け、ヴェルディの様式を重視して中庸のテンポと明朗な響きを堅持している。

ローマ・オペラ座管弦楽団はスカラ座ほどネーム・バリューはないにしても、かつてはマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』やプッチーニの『トスカ』を初演した伝統を持っていて、オペラにその本領を発揮するオーケストラだけあって、響きは薄いが融通の利く柔軟性でモントゥーの指揮に良く呼応している。

先頃リリースされたRCAへのコンプリート・レコーディングスに加わっていたものと同一のリマスター音源を使っているために、モノラル録音ながら音量レベルが上がり、充分に鮮明な音質で鑑賞できる。

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2016年01月27日


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オーストラリア・エロクエンスからのリリースになる、ピエール・モントゥー晩年のデッカとフィリップス音源のベートーヴェン交響曲全集。

1957年から1962年にかけてウィーン・フィル、ロンドン交響楽団及びコンセルトヘボウと行った良好なステレオ・セッション録音だがリマスタリングされて更に鮮明な音質で蘇っている。

1950年代の録音は音響がややデッドだが分離状態は良く、その後のものはホールの潤沢な残響も捉えられていて、ごく僅かなヒス・ノイズは無視できる程度だ。

レギュラー・フォーマットの6枚のCDに、交響曲の他に『フィデリオ』『エグモント』『シュテファン王』の3曲の序曲と交響曲第9番の第1、第2、第3楽章のリハーサル、更に交響曲第3番については1957年のウィーン・フィル並びに1962年のコンセルトヘボウとの2種類が収録されている。

ベートーヴェン以外の作曲家の作品では1曲だけ、フランスの国歌『ラ・マルセイエーズ』がベートーヴェンのリハーサルに続く形でご愛嬌に入っている。

旧式のジュエル・ケースに6枚のCDが収納されていて、その外側を簡易なカートン・ボックスがカバーしており、ライナー・ノーツは英語のみで10ページ。

モントゥーのベートーヴェンはロマン派の残照がまだ色濃く残っていた時代の音楽家としては驚くほど明朗で、極端な解釈や恣意的な表現を避け、常に整然とした構造を示して聴き手に分かり易い音楽を心掛けているように思える。

しかし決して即物的ではなく、彼の人間味溢れる音楽が常に格調の高さを保ち、パッショネイトでヒューマンな温もりと大らかな歌心にも溢れている。

また、モントゥーのベートーヴェンの響きは極めてドイツ的で、この演奏を聴くと、演奏家の出自(民族性)と演奏傾向とが安直に結び付くものではないことが痛感される。

特にモントゥーの最後の録音となった「第5」は、同曲の数えきれないほどの録音の中での白眉と言える至高の名演で、聴くほどにその堂々とした風格と気品の高さにひきつけられる。

何よりも全体に際立って感興の豊かなことが目立ち、溌剌と躍動する充実感が音楽を激しく燃焼させている。

「第2」「第4」も優れた成果を見せており、いずれもリズム感がよく、とりわけ両端楽章は勢いがあって輝かしく、「第7」もユニークだが独自の味わいを持っている。

一方、「第3」「第6」のような長めの作品では演奏のノリが今ひとつだが、これはモントゥーとウィーン・フィルとの相性があまり良くなかったことが考えられる。

その点、コンセルトヘボウとの「第3」は感動的名演で、特に第1楽章は堂々とした威容で驚くほどの生命力を表しており、ベートーヴェンの意志的な芸術を感得させる。

第2楽章の深い内面性とオーケストラの色調の美しさ、第3楽章の純音楽的な表情、終楽章のよく練り上げられた各変奏の味わいなど、随所でモントゥーの豊かな芸術が示されている。

それにしても、モントゥーがフルトヴェングラーよりも10歳余り年上だったことを考えると、彼がその当時台頭しつつあったモダンな演奏スタイルの先駆を切っていた指揮者の1人だったことがよく理解できるところだ。

こうした彼の芸風は当時リアルタイムで生み出されていた『春の祭典』を始めとする20世紀の作品の初演を数多く手掛けたことによって切磋琢磨されたものだろう。

その音楽作りの一端をCD6の貴重なリハーサルの記録で窺い知ることができる。

かなり酷いフランス訛りの英語で、アンサンブルの乱れがちなロンドン交響楽団のそれぞれのパートをまとめていく一見ユーモラスな稽古風景が興味深い。

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2015年11月15日


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このディスクに収録された曲目はオープン・リール磁気テープに録音されたデッカの音源だが、プラガ・ディジタルスの新シリーズで現在続々とリリースされているDSDリマスタリングによるSACD化された歴史的名演のひとつだ。

これを聴いての第一印象は、オーケストラのそれぞれの楽器の音像が明瞭に感知されることと、ホールの空気感を伝える音響空間も極めて立体的で、この時代のセッションとしては驚異的に鮮明な音質が再現されていることだ。

勿論古いアナログ録音なのでテープ・ヒスは聞こえるが、広めの空間で再生するのであれば煩わしさは全く感じられない。

この企画の成功例のひとつと言えるだろう。

ピエール・モントゥーの指揮は、同じフランスものを指揮してもミュンシュのような作品にのめり込むような白熱感とは一線を画した、シックでしかも精緻なオーケストレーションを手に取るように聴かせてくれる。

この作品集ではモントゥーのオリジナリティーに富んだ解釈だけでなく、冷静とも思えるきめ細かい几帳面な指示と、フランスの指揮者特有の大らかなセンスが共存していて、ラヴェルの管弦楽法の面白みを堪能させてくれる。

そうしたモントゥーの勤勉さはここに収められた『ダフニスとクロエ』を始めとする多くの新作の初演を彼自身が果たしていることからも立証されている。

またモントゥーの手兵だったロンドン交響楽団は、フランスのオーケストラに較べればやや醒めた感じがするが、その統率された機動力の素晴らしさも聴きどころになっている。

ラヴェルらしい、細密画のように明朗な『スペイン狂詩曲』、目の前にイメージを喚起させるような天上的な美しさの『亡き王女のためのパヴァーヌ』や、色彩感と幻想に満ちた超自然的な『ダフニスとクロエ』のいずれもが名演の名に恥じない音楽的な質の高さを示していて、モントゥーの実力が歴然としたセッションのひとつだ。

最初の2曲が1961年、『ダフニス』が1959年にそれぞれロンドンで録音されている。

1959年および1961年ということでモントゥーの比較的晩年の演奏であるが、旋律のデュナーミクの施し方も実に息が長く、自然。

ロンドン交響楽団の、見事に融け合う管楽器の音色、そしてモントゥーが引きだす弦楽器の高貴な音色も素晴らしい。

尚このアルバムと全く同じ内容のCDがデッカからもオリジナルス・シリーズとしてリリースされているが、音質的にはこちらに軍配が上がる。

ライナー・ノーツは11ページほどで、曲目及びモントゥーについての簡易な解説が英、仏語で掲載されている。

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2015年09月12日


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ピエール・モントゥー没後50周年記念としてまとめられた、彼のRCAに遺された全録音を網羅したCD40枚のセットで、注目すべきは彼がサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者だった1935年から1953年にかけてのセッションで、このセットでは半数を超えるCD1−21及びCD25の計22枚がそれに当てられている。

古いモノラル音源で、中にはLP盤からの板起こしもあるが、破綻のないまずまずの音質で蘇っているのは評価したい。

モントゥーはディアギレフ主催のバレエ・リュス専属時代に当時新進気鋭の作曲家の作品の初演を多く手がけている。

ストラヴィンスキーの『春の祭典』『ペトルーシュカ』、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』、ドビュッシーの『遊戯』などがそれで、更にその後もリムスキー=コルサコフのオペラ『金鶏』のアメリカ初演やプロコフィエフの交響曲第3番の世界初演も果たしている。

『春の祭典』に関しては1945年のサンフランシスコ盤と1951年のボストン盤の2種類が収録されていて、どちらもモノラルだがモントゥーのオリジナリティーが示された、また現在の『春祭』の原点としても聴き逃せない演奏だろう。

録音技術的にもRCAは早くからアメリカでライバル会社と鎬を削っていただけに逸早くステレオ録音を導入したが、ここではCD26ドリーブの『コッペリア』から「プレリュードとマズルカ」が1953年のRCAでは初のステレオ化で、CD27のドビュッシーの『海』もやはり部分的ではあるが1954年のステレオ録音になる。

いずれもややテープ・ヒスが入るが、分離状態の良い本格的なステレオで、ボストン交響楽団を振った記念碑的セッションと言える。

その後の録音は既にリリースされている2巻のリヴィング・ステレオに組み込まれた、演奏は勿論音質的にも名盤として認められているもので、1958年のシェリング、ロンドン交響楽団とのブラームスのヴァイオリン協奏曲、また同年のコーガン、ボストン交響楽団とのハチャトゥリァンのヴァイオリン協奏曲、1959年のボストン交響楽団とのストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』、1961年にシカゴ交響楽団を振ったフランクの交響曲及び1955年から1959年にかけてボストン交響楽団と行った一連のチャイコフスキー後期の交響曲集、第4番から第6番までの総てが入っている。

初出盤も含めてかなり手の込んだリマスタリング及び編集が特徴で、ライナー・ノーツも109ページのハード・カバー・コレクション仕様で資料としても充実しているし、ボックス・サイズもかなり大きめでしっかりした装丁がされている。

通常のいわゆるバジェット盤よりやや価格が高めなのはそうした理由だろう。

尚最後のボーナスCDには1955年モントゥー80歳の時のインタビューが収録されている。

モントゥーの演奏は他にもデッカなどの大手メーカーの正式なセッションから海賊盤的なライヴに至るまでさまざまなCDが入手可能だが、RCA音源はモントゥーに欠かすことができない系統的な演奏集であると共に、オーディオ発展史を辿る貴重なサンプルでもある。

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2015年06月23日


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ピエール・モントゥー(1875-1964)は、往年の名指揮者の中で、わが国を訪れた数少ない巨匠の1人である。

モントゥーは、1963年4月、大阪フェスティヴァルの3回の演奏会でロンドン交響楽団を指揮した。

これは幸運と言うべきだが、演奏会が大阪だけで、多くの音楽愛好家を口惜しがらせたという。

ただ筆者は1度だけモントゥーの指揮をテレビで見たことがある。

もう20年以上も前だが、モントゥーはシカゴ交響楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲(第1番か第8番)を演奏した。

それはテレビ映画だったが、長いバトンを振って悠然と指揮するモントゥーの姿からは、風雪に耐えた大樹を思わせる毅然とした態度と、温和で暖かい人間性が滲み出ていて、今も懐かしく思い出される。

その印象はレコードで聴くモントゥーの演奏の魅力を裏づけるものであった。

交響曲であれ、バレエ音楽であれ、歌劇であれ、あるいは協奏曲や歌曲のパートナーとしてであれ、モントゥーは、作品と聴き手の仲介者の立場に徹し、決して自己顕示的でない。

しかし、それはモントゥーの解釈が没個性的であることを意味せず、むしろ節度を保った演奏の中で彼の個性は輝きを放っているのである。

モントゥーは1942年にアメリカ合衆国の国籍をとったが、元来はパリに生まれたユダヤ系のフランス人で、音楽教育をパリ音楽院で受けている。

従って一般にはフランスの音楽家と考えられているが、多くの同僚と違って、モントゥーの演奏から洒落た感覚とか粋なニュアンスが第一に感じられることはない。

モントゥーの演奏は洗練されているが、本質的に健康で豊かな感情に満ち、しかもそれに押し流されない「良識」(フランス人の最も好きな言葉だが)をそなえている。

モントゥーの意志の強さとエネルギーは、頼まれたら否と言えない性質、衰退の極にあるオーケストラの再建、新しいオーケストラの訓練、若い指揮者の育成……に遺憾なく発揮されている。

ストラヴィンスキーの《春の祭典》の初演で騒ぎにもめげず最後まで演奏を続けた闘志にもそれは感じられる。

モントゥーの業績の中でも特筆すべきは、1919年からの5年間、クーセヴィツキーの前任者としてボストン響を再建した立役者であることだ。

ドイツ人ムックの後任であったから、ムック派の関係者の一部から猛烈な妨害工作があり、楽員を45名も入れ替えねばならないなど苦労を背負ったが、辛抱強くやり遂げた。

続くクーセヴィツキー時代、ボストン響から、その功労を無視され続けたモントゥーだったが、1951年、ミュンシュの情愛のこもった招聘に応え、再びボストン響の指揮台に立った。

モントゥーとボストン響の美しい再縁を取り持ったミュンシュに感謝したい。

このように見て来ると、同じような道を歩んだミュンシュと比較するが、演奏に示した解釈はかなり対照的である。

しかし、筆者にはその根底に2人を結ぶ共通のパイプがあるように思えてならない。

それはフランス人の持っている人生を肯定的に考える性格、明晰な知性、鋭い直感であり、ゴール人以来の男性的な率直さ、暖かさである。

さらに付け加えるとすれば、2人の演奏が「老い」を感じさせなかったことである。

特にモントゥーは亡くなる直前まで演奏会と録音を続けたから、それはいっそうはっきりする。

「巨匠」と呼ばれる指揮者も多かれ少なかれ「老い」を感じさせるものだが、モントゥーにはその気配が全くなかった。

モントゥーの演奏は常に構成がしっかりしていてテンポは弛緩することなく、リズムの歯切れが良いこともあって常に若々しく、爽やかであった。

この活力が何処から来たものか筆者にはわからないが、このような芸術家の存在は私たちを幸福にしてくれるのではないだろうか。

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2015年06月13日


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モントゥーのドビュッシーやラヴェルは素晴らしい。

柔らかい音色感は、生粋のフランス人でなければ表現できない。

当盤の収録曲の録音時には80歳半ばだったモントゥーであるが、熱烈なラヴコールを受けて、首席指揮者に就任したロンドン響から、気品に満ちた響きと芳醇な詩情を引き出すことに成功。

どちらかというと、軽い、さわやかな響きをもったオーケストラから、こういう音を引き出したモントゥーの力量は偉大である。

オーケストラを完全に自分の楽器にしているのだ。

ここに立ちのぼってくる香りは紛う方なくフランスのもの。

自然体の魅力にあふれ、とりわけ、《映像》の「イベリア」で顕著なように、聴き手の心の皺をのばすように、音楽が豊かに息づいているのが好ましい。

「イベリア」の音の輝きと、作為のない音楽的表現は驚くべきで、「夜のかおり」の官能的な夜の空気のつくりかたなど絶妙である。

その明るい陽ざしと手応えを同時に感じさせてくれる芸風は、実に得難いものであると思う。

全体に一つ一つの音とその動き、そしてそれが生み出す響きに深い質感と温もりがあって、それが素敵な芳香を撒き散らしながら、エレガントでしかも芯の通ったドビュッシー像を作り上げている。

《牧神の午後への前奏曲》に漲る夢幻的な詩情も見事である。

ドビュッシーの音楽本来の格調の高さと自然体の魅力に再度目を向ける意味でも、また同時にこの前奏曲のもつフランス的な感性の原点に立ち帰る意味でも、モントゥーの《牧神》をここで確認しておきたい思いである。

ふくよかな官能性と静謐な香気、自然でいて気品とニュアンスに富んだこうした演奏こそが、この作品に底流する美しい夢幻的な詩情を余すところなく描きあげるものではないだろうか。

巨匠モントゥー晩年の熟成の境地が万遍なくにじみ溢れている名演であり、やはりひとつの忘れ難い記録として掲げなければならないディスクであろう。

その音楽づくりを通じて、このフランス出身の長老指揮者が、人生と音楽を愉しむことを知っていたことを、如実に感じ取ることができるディスクになっている。

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2015年06月04日


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モントゥーによるチャイコフスキーの3大交響曲の演奏は、ほぼ同時期に録音されたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの歴史的な超名演(1960年)と比較すると、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

このうち、交響曲第6番「悲愴」については、ムラヴィンスキーの演奏があまりにも凄い超絶的な名演であるために、他の演奏は不利な立場に置かれていると言わざるを得ないが、筆者としては、ムラヴィンスキーの超名演は別格として、それに次ぐ名演としては、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)と本演奏(1955年)を掲げたいと考えている。

このうち、カラヤンの演奏は、ベルリン・フィルの卓越した技量を駆使したオーケストラ演奏の極致と言うべきもので、これにライヴ録音を思わせるようなドラマティックな要素が付加された圧倒的な音のドラマであったと言える。

これに対して、モントゥーによる本演奏は、同曲にこめられた、運命に翻弄される作曲者の苦悩や絶望感、そして生への憧憬などを徹底的に追求するとともに、それを音化することに成功した彫りの深い演奏に仕上がっている。

極論すれば、カラヤンの演奏が音のドラマであるのに対して、本演奏は人間のドラマといった趣きがあるとも言えるところである。

全体としては、ムラヴィンスキーの演奏と同様に、速めのテンポによる引き締まった造型が印象的であるが、かかる堅固な造型の中において、モントゥーは、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、とてもスタジオ録音とは思えないような壮絶の極みとも言える劇的な演奏を展開している。

第2楽章のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方にも、格調の高さが支配しており、高踏的な美しさを誇っているのは、モントゥーだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

モントゥーは、生前、チャイコフスキーの音楽に個人的な悲痛を盛り込む演奏を好んでいなかった。

「音楽の中にすべてが存在するというのに、なぜ個人の悩みなどをひけらかそうとするのか。私はチャイコフスキーの音楽に書かれているままに演奏する。それでまさしく充分なのだ」

この言葉に、モントゥーの芸術の核心があり、チャイコフスキーをベートーヴェンやブラームスに置き換えれば、そのままあの素晴らしい演奏になるのだ。

本演奏も、「悲愴」という曲に伴いがちな感傷主義を全く破った演奏で、この曲に我々が感じているような泥臭さを全くとり去って、きれいに晒したような演奏である。

そういう意味で、非常に品のいい演奏であり、その品のよさも、オーケストラが非常にうまいので、外面的にならない。

旋律もよく歌っているし、ダイナミズムも充分にあり、劇的効果がよく出ている。

モントゥーの確かな統率の下、圧倒的な名演奏を繰り広げているボストン交響楽団にも、大きな拍手を送りたい。

録音は、従来盤が50年以上前のものということもあってややデッドで音場が広がらないという問題があったが、数年前に発売されたSHM−CD盤によって、比較的良好な音質に改善されたと言える。

しかしながら、本SACD盤はさらに鮮度の高い音質に生まれ変わっており、50年以上も前の録音とはとても思えないような高音質に大変驚かされた。

いずれにしても、モントゥーによる至高の超名演をSACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年12月10日


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素晴らしい名演だ。

同曲演奏史上でもトップの座を争う名演として高く評価したい。

モントゥーは、若き日に生前のブラームスと会ったことがあることもあり、フランス人指揮者でありながら、こよなくブラームスを愛していたことで知られている。

「第2」については、本盤以外にもウィーン・フィルとのスタジオ録音(1959年)があり、「第3」については2種(COA(ターラ)及びBBC(BBCレジェンド))、「第1」についてはCOA盤が発売されている。

「第4」については、筆者は入手しておらず未聴であるが、既発売のCDのいずれもが名演である。

しかしながら、本盤の「第2」は、これらの名演とは別次元の超名演と言える。

89歳で世を去るまで現役として活躍を続けた20世紀を代表するフランスの大指揮者モントゥーが晩年になってロンドン交響楽団を指揮した、彼の偉大な風格が刻印された淀みなく流れるいぶし銀のような演奏である。

自らの死を2年後に控えたこともあるが、ここには、人生の辛酸を舐め尽くした巨匠だけが表現し得る風格と、至高・至純の美しさに満ち溢れている。

当盤は昔から評価が高い演奏であるが、力まかせの演奏ではなく、ごく自然体でありながら指揮者の意図が隅々まで浸透した素晴らしい演奏と言える。

必要以上に大袈裟にならず、それでいて十分な迫力もあり、別録音のウィーン・フィル盤と同様のテンポ設定でありながら、より自分の主張したい演奏に仕上がっていて申し分がない。

第1楽章など、提示部の繰り返しを行うなど、決して前に進んでいかない音楽であるが、それが決していやではないのは、モントゥーの深みのある音楽性の賜物と言える。

終楽章の堂々たる進軍は、あたりを振り払うような威容に満ち満ちており、これぞ大人(たいじん)の至芸と言えるだろう。

併録の2つの序曲も、制度設計がしっかりした風格のある素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年03月17日


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モントゥーは1950年代後半に、ボストン交響楽団とのコンビでチャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行なっており、それらはいずれもこの名指揮者の品格ある音楽性を存分に味わえる出来ばえだが、なかでも第5番の出来が素晴らしかった。

当盤はそのスタジオ録音と同日に行われたライヴ録音(1958年)であるが、モントゥーの数多い名盤中でも最右翼に位置するもののひとつだし、第5交響曲のディスクの中でも屈指のものと言えるだろう。

ここにはどんなドラマも及ばないほどの、人間の真実の恐れと苦悩がある。

ムラヴィンスキーのような純音楽的な再現ではないが、モントゥーはチャイコフスキーをほとんどベートーヴェンの域にまで引き上げたのである。

両端楽章はぶっきら棒と言って良いほど飾り気のない表現だが、ボストン交響楽団の充実した硬質な響きがモントゥーの芯の強い明快な音楽と合致し、少しの曖昧さもない名演を生み出した。

モントゥーはこのシンフォニーをロマンティックで幻想的なものとせず、現実的なそれとして指揮しているのだ。

中間の2つの楽章も個性的で、別にことさら大仰な身ぶり、手ぶりをしているわけではないのだが、至極当たり前の語り口がいつしか驚くほど底力のある表現力を身につけるまでに発展していく様が、何とも素晴らしい。

エレガントであらゆる音が生きて語りかけるワルツ楽章も良いが、それ以上にユニークなのは第2楽章である。

こんなに言いたいことがはっきりした、雄弁に物語る表現も珍しい。

全楽章にわたって、木管の音を抑えず、くっきりと奏し、金管のうめきをかえって明るい音色で強奏させ、音楽を確実に意味づける点も素晴らしい。

所謂チャイコフスキー的なアプローチとは違うが、音楽が完全にモントゥーのものと化し、芸術的に真実な自己表現として鳴り響いた名演と絶賛したい。

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2014年03月16日


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モントゥーによるチャイコフスキーの3大交響曲の演奏は、ほぼ同時期に録音されたムラヴィンスキー&レニングラード・フィルの歴史的な超名演(1960年)と比較すると、知る人ぞ知る存在に甘んじていると言わざるを得ない。

このうち、交響曲第4番については、ムラヴィンスキーの演奏があまりにも凄い超絶的な名演であるために、他の演奏は不利な立場に置かれていると言わざるを得ないが、筆者としては、ムラヴィンスキーの名演は別格として、それに次ぐ名演としては、カラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1971年)と本演奏を掲げたいと考えている。

このうち、カラヤンの演奏は、ベルリン・フィルの卓越した技量を駆使したオーケストラ演奏の極致と言うべきもので、これにライヴ録音を思わせるようなドラマティックな要素が付加された圧倒的な音のドラマであった。

これに対して、モントゥーによる本演奏は、同曲にこめられた、運命に翻弄される作曲者の苦悩や絶望感、そして生への憧憬などを徹底的に追求するとともに、それを音化することに成功した彫りの深い演奏に仕上がっている。

極論すれば、カラヤンの演奏が音のドラマであるのに対して、本演奏は人間のドラマといった趣きがあるとも言えるところである。

全体としては、ムラヴィンスキーの演奏と同様に、速めのテンポ(ムラヴィンスキーより快速の39分で全体を駆け抜けている)による引き締まった造型が印象的であるが、かかる堅固な造型の中において、モントゥーは、細部に至るまで彫琢の限りを尽くしたドラマティックな演奏を展開している。

トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と力強い生命力は、圧倒的な迫力を誇っており、とてもスタジオ録音とは思えないような壮絶の極みとも言える劇的な演奏を展開している。

第2楽章のロシア風のメランコリックな抒情の歌い方にも、格調の高さが支配しており、高踏的な美しさを誇っているのは、モントゥーだけに可能な圧巻の至芸であると言えるだろう。

モントゥーの確かな統率の下、圧倒的な名演奏を繰り広げているボストン交響楽団にも、大きな拍手を送りたい。

また、サンフランシスコ交響楽団とのR.シュトラウスの『死と変容』に関しても、フルトヴェングラーに匹敵する指揮ぶりを刻印し、リアルな凄絶さと、とろけるような幻想美を併せ持った見事な演奏だ。

録音は、従来盤が50年以上前のものということもあってややデッドで音場が広がらないという問題があったが、数年前に発売されたSHM−CD盤によって、良好な音質に改善され、マスター・クォリティに限りなく近づいた。

いずれにしても、モントゥーによる至高の超名演をSHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2011年12月01日


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モントゥーは1950年代後半に、ボストン響とのコンビでチャイコフスキーの後期3大交響曲の録音を行なっており、それらはいずれもこの名指揮者の品格ある音楽性を存分に味わえる出来ばえだが、第5番に関してはロンドン響との1963年ウィーン芸術週間のライヴ録音が音質も優れている上、モントゥーの永遠の青春性と共感しきったロンドン響の瑞々しくもコクのあるアンサンブルがまことに素晴らしい。

モントゥーの数多い名盤の中でも最右翼に位置するもののひとつだし、第5交響曲のディスクの中でもムラヴィンスキーの1960年盤と並んで屈指のものといえるだろう。

モントゥーは1875年生まれであるから、このとき88歳! 死の前年とは思えない、若い生命力と力強い構成力で聴く者を圧倒する。

別にことさら大仰な身ぶり、手ぶりをしているわけではないのだが、至極当たり前の語り口がいつしか驚くほど底力のある表現力を身につけるまでに発展していく様が、何とも素晴らしい。

音も構成もどこまでも透明で淀みがなく、ロンドン響も大きな共感と献身をもって巨匠の棒に応えている。

ワルツ楽章に聴くエレガントさも、モントゥーならではのもの。

モントゥーは、生前、チャイコフスキーの音楽に、個人的な悲痛を盛り込む演奏を好んでいなかった。

「音楽の中にすべてが存在するというのに、なぜ個人の悩みなどひけらかそうとするのか。私はチャイコフスキーの音楽を書かれているままに演奏する。それでまさしく充分なのだ」

この言葉に、モントゥー芸術の核心がある。

チャイコフスキーを、ベートーヴェンやブラームスに置き換えれば、そのままあの素晴らしい演奏になるのだ。

幸せなチャイコフスキーである。

ムラヴィンスキーが一直線に天に駆け上がるとき、モントゥーは多くの同胞を抱きかかえながら微笑み、レニングラード・フィルがアンサンブルを鋼鉄に鍛え上げるとき、ロンドン響は心を響き合わせる歓びを謳歌する。

どちらも、それぞれの流儀を究めており、優劣の問題ではなくなる。

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2011年05月10日


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ピエール・モントゥー(1875-1964)は、最晩年まで録音活動を続けたので、幸いなことにステレオ録音が多い。

フランスの指揮者にシベリウスとは珍しいレパートリーだが、1959年、ロンドン響とのセッションも立派なステレオで残ったのがうれしい。

大家の風格は、第1楽章の冒頭から明らかだ。柔らかな弦合奏による序奏に続き、木管で第1主題が出る。力まず、流麗に旋律を歌い込むなかに、ヒューマンな温かみと聴き手を包み込む優しさが広がる。

この曲が内包する、どこか懐かしさに満ちた滋味あふれる世界に、たっぷりと浸らせてくれる。

そんな美点は、聴きどころの第3、4楽章にも共通して表れる。

スケルツォ楽章の中間部に、木管などで出る牧歌的な旋律の、そっと胸に迫るいじらしさ。アタッカで最終楽章へと続く部分の盛り上げも、自然体のまま、慈しむかのように山を築く展開が何とも好ましい。

続いて出る終楽章の第1主題は、時によってやたら速くて元気が良すぎたり、力み返っている場合がある。そんな演奏を聴かされるたび、私は少なからぬ失望を味わう。

そして思い起こすのが、懐が深いモントゥー爺の、悠揚迫らぬ棒さばきである。

全体的にやや速めのすっきりしたテンポ設定と、明るめの響きは、必要以上に演奏が重くなることを避けており、ラテン的な感性もうかがわせる。

シベリウス作品の演奏でよく言われる、北欧風の男性的な要素には、少々欠けるかもしれない。

また今日的な耳で聴けば、アンサンブルの精度などに難点を見つけることは容易だろう。

だが、そうしたマイナスを加味した上でなお、私はこの老大家晩年の逸品を、愛聴盤として示すことに、何のためらいもない。

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2009年06月09日


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晩年のモントゥーがウィーン・フィルと残した録音はどれも素晴らしい。練習嫌いのウィーン・フィルのメンバーは、ときにモントゥーの長く、執拗な稽古にブツブツ不平を言いながらも、自分たちより遥かに年長の指揮者への敬愛を最上のパフォーマンスで表現した。

「驚愕」は、第1楽章序奏から、雅な木管の調べが美しい。長い稽古の甲斐もあって、アンサンブルは当時のウィーン・フィルとしてはもっとも整然としており、テンポやリズムも颯爽としていて気持ち良い。それでいて、機械的に鳴らされる音符はただのひとつもなく、つねに音楽的感興に溢れている。

第2楽章も実に丁寧な仕上げであるが、「驚愕」の渾名の由来となったトゥッティの強奏&強打でのユーモア感覚も極上である。

相変わらず典雅なメヌエットを経て、フィナーレにおけるただならぬ精神的高揚感はいったい何なのか。

聴衆のいないスタジオに、突如、指揮者とオーケストラに何か不可思議な力が舞い降りたのような奇跡の瞬間がマイクに納められたことを天に感謝したい。

一方、弦のしとやかな美しさという点では、「時計」も負けていない。第2楽章に滲み出る哀感にモントゥーの偉大な人生の年輪を感ぜずにはおれないのである。

メヌエットにおけるフルートの風に吹かれたような詩情もウィーン・フィルの美点をとことん導き出した好例だろう。

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2009年02月06日


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巨匠モントゥー晩年の感動的な名演で、モントゥーのベートーヴェンで、真っ先に挙げたいものだ。

特に第1楽章は堂々とした威容で驚くほどの生命力を表しており、ベートーヴェンの意志的な芸術を感得させる。

第2楽章の深い内面性とオーケストラの色調の美しさ、第3楽章の純音楽的な表情、終楽章のよく練り上げられた各変奏の味わいなど、随所でモントゥーのゆたかな芸術が示されている。

「わしは、ワインガルトナーよりベートーヴェンを信じる」と言って、第1楽章コーダのトランペットにようテーマの補強を行わないなど、作曲者やスコアに対する態度が、実に謙虚で誠実だ。

この録音のためのリハーサル風景がレコードになっているが、「葬送行進曲」冒頭の付点リズムを、何度も何度もやり直させていたのが印象に残る。

相手も世界最高水準のオーケストラであり、リズムそのものが間違っているわけではない。

我々には、最初に弾いたリズムでも十分に聴こえるのだが、そのニュアンスや、微妙な呼吸が理想の形を見せるまでに反復練習を行う、というのがモントゥーのやり方なのである。

その結果、隅から隅まで、一点の曖昧さもない、明快この上ない演奏が誕生した。

さらには、限りなくスコア通りのアプローチながらも、自ずとモントゥーの暖かな人間性と深い教養や知性が、演奏から滲み出てくるのだから堪らない。

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2008年05月08日


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モントゥーがシカゴ交響楽団を指揮してのフランクの交響曲の録音はその演奏の最高のものとされているひとつだが、彼の着実でしかも音楽を細かくとらえた指揮はフランクの感覚と精神とを自然な統一をもってみごとに再現している。

シカゴ交響楽団の演奏技術はよく、また明瞭で分離のよい録音も、歴史的とはいい切ってしまえない魅力をもっている。

のびのびとして気持ちよく聴けるフランクである。

ボストン交響楽団との「ペトルーシュカ」は名演として尊ばれていたパリ音楽院管弦楽団を振った旧盤に劣らぬ立派な演奏である。

演奏のスタイルも旧盤と同じで、テンポも発想も変わりはない。

オーケストラは旧盤より、このボストン交響楽団との方がいっそう緊密で音色も鮮やかである。

全体におっとりとしているところは、いかにもモントゥーらしく、演出臭のある演奏を聴きつけていると物足りないかもしれないが、譜面をみながら聴くと、その正確さに驚く。

*付記、モントゥー<ペトルーシュカ>初演(1911年、パリ・シャトレー劇場)

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「巨匠」と呼ばれる指揮者は多かれ少なかれ「老い」を感じさせるものだが、モントゥーにはその気配が全くなかった。

なんとのどかで雰囲気が豊かなブラームスだろうか。

ブラームスが夏の休暇を静かに送ったペルチャッハの高原の爽やかな空気が漂ってくるようである。

モントゥーはこの交響曲がブラームスの田園交響曲と呼ばれるその情趣に浸って指揮している。

少しもいかめしくなく、柔らかなリズムと温かな旋律の表情からは老熟したモントゥーの人間性がじかに感じられる。

またここで聴かれるブラームスはなんと柔らかい表情に終始していることだろう。

例えば第1楽章第2主題のヴィオラとチェロが歌い出す旋律は、しなやかなリズム感に裏打ちされたスタッカート、レガートの意味をこの上なく恍惚と表現しつくしている。

またあらゆる箇所で、声部がくっきりとした輪郭を描き、截然と分離しながらも、音楽的には精妙に融けあっているのも見事。

モントゥーの演奏は常に構成がしっかりしていてテンポは弛緩することなく、リズムの歯切れが良いこともあって常に若々しく、爽やかであった。

ここにブラームス表現の一つの極致を見出せる。

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2008年01月04日


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フランス音楽に定評のあったモントゥー最晩年の貴重な遺産である。

モントゥーは「ダフニスとクロエ」を初演するなど、ラヴェルと親交が深くその演奏を得意としていた。

この演奏にはそうした彼の実力がいかんなく発揮されている。

柔らかい音色感は、生粋のフランス人でなければ表現できない。

どちらかというと、軽い、さわやかな響きをもったオーケストラから、こういう音を引き出したモントゥーの力は偉大である。

オーケストラを完全に自分の楽器にしているのだ。一体に淡白な表現だが、一つ一つの音に実に細かな神経を配っている。

演奏は輝きを抑えて、高雅な芳香がそっと漂うような「亡き王女のためのパヴァーヌ」など、大変美しく品格が高い。

特に「マ・メールロワ」が秀逸で、あたかも掌中の珠を慈しむかのように入念に練りあげながら、表情豊かに描きあげていて、実に見事な演奏だ。

これほど高雅な詩情にあふれた表現はめったにない。

人生のすべてを知りつくした老人が、童心に帰っておとぎの世界で遊んでいる、といった感じの演奏だ。

「ボレロ」もモントゥーらしい品格ある表現が魅力的で、噛んで含めるように一つ一つの繰り返しを丹念に磨きあげている。

「スペイン狂詩曲」には、もっと鮮やかな色彩と躍動があってもよいと思われるが、やはり静かに瞑想すべき味わいに富んでいる。

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