メジューエワ

2015年07月21日


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2012年はドビュッシーの生誕150年であったが、それを記念した素晴らしい名盤が登場した。

我が国を拠点として活動し、現在、最も輝いているピアニストの1人でもあるイリーナ・メジューエワは、2010年のショパン・イヤー、そして2011年のリスト・イヤーにおいても、極めて優れた名盤の数々を世に送り出したところであるが、今般のドビュッシーのピアノ作品集も、新たなレパートリーに挑戦した意欲作で、我々クラシック音楽ファンの期待をいささかも裏切ることがない高水準の名演であると言えるだろう。

本盤には、ドビュッシーのピアノ曲中の最高傑作との誉れ高い前奏曲集を軸として、ベルガマスク組曲、2つのアラベスク、版画、喜びの島など、著名な作品の全てが収められており、ドビュッシーのピアノ作品集として必要十分な内容となっている点も評価し得るところだ。

それにしても、メジューエワの演奏は素晴らしい。

ショパンのピアノ曲の一連の演奏やリストのピアノ作品集も名演であったが、本盤のドビュッシーのピアノ作品集の演奏は、更にグレードアップした見事な名演奏を聴かせてくれている。

透明感に満ちた音色、明瞭なフレージング、巧みなペダリングによる色彩の変化など、細部のモチーフに新しい意味を見いだしながら重層的に楽曲を構築してゆく手法は、まさにメジューエワならではの卓抜さと言えるところであり、斬新であると同時にどこか懐かしさを感じさせる不思議なドビュッシーに仕上がっている。

1音1音をいささかも揺るがせにしない骨太のピアノタッチは健在であるが、ゴツゴツした印象を聴き手に与えることは全くなく、音楽はあくまでも自然体で優雅に流れていくというのがメジューエワのピアノ演奏の真骨頂であり最大の美質。

もちろん、優雅に流れていくからと言って内容空虚であるということはなく、透明感に満ちた音色、明瞭なフレージング、巧みなペダリングによる色彩の変化などを駆使した細部に至るまでの入念な表情づけも過不足なく行われており、スコア・リーディングの確かさ、そして厳正さを大いに感じさせるのもいい。

技量においても卓越したものがあるが、技巧臭などは薬にしたくもなく、ドビュッシーの音楽の魅力を聴き手に伝えることのみに腐心している真摯な姿勢が素晴らしい。

フランス系のピアニストのように、フランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいで勝負する演奏ではないが、演奏全体に漂う風格と格調の高さは、女流ピアニストの範疇を超えた威容さえ感じさせると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤のメジューエワによる演奏は、2012年に発売された、ドビュッシーの生誕150年を記念して発売されたピアノ作品集の中でも最右翼に掲げられるべき名演であると同時に、これまでの古今東西のピアニストによるドビュッシーのピアノ作品集の中でもトップの座を争う至高の名演と高く評価したい。

そして、本盤も音質が素晴らしい。

富山県魚津市の新川文化ホールの豊かな残響を生かした高音質録音は、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

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2015年07月17日


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若くして「巨匠の風格を備えつつある」と、ここ数年の演奏がきわめて高い評価を獲得しているロシア出身の実力派メジューエワ。

メジューエワと言えば、最近ではシューベルトのピアノ・ソナタ全集の録音に取り組んでいるところであり、タイミング的にもそろそろその第4弾の登場と思っていたところであるが、2011年のリスト生誕200年を記念してのリストのピアノ作品集の登場とは、メジューエワの芸風やこれまでのレパートリーからしても大変意外であったと言わざるを得ない。

というのも、2010年のショパンイヤーでは、ショパンの作品の数々の名演を聴かせてくれたこともあって、メジューエワにリスト弾きのイメージを見出すことがいささか困難であると言えるからである。

したがって、本盤を聴く前は、一抹の不安を抱かずにはいられなかったところであるが、聴き終えて深い感銘を覚えたところだ。

メジューエワによる本演奏は、一聴すると地味な装いをしているところであるが、聴き進めていくうちに、じわじわと感動が深まっていくような趣きのある演奏と言えるのではないだろうか。

派手さや華麗さなどとは無縁であるが、どこをとっても豊かな情感と独特のニュアンスに満ち溢れており、いわゆるヴィルトゥオーゾ性を全面に打ち出した一般的なリストのピアノ曲の演奏様式とは、一味もふた味も異なった性格を有していると言っても過言ではあるまい。

各楽曲の造型、とりわけ大曲でもあるピアノ・ソナタロ短調の造型の堅固さは、女流ピアニスト離れした重厚さを兼ね備えていると言えるところであり、強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまで、持ち前の桁外れの表現力を駆使して、同曲の魅力を完璧に音化し尽くしているとさえ言えるだろう。

古今の大ピアニストたちが個性豊かな名演を刻んできたこの傑作ソナタに真っ向から挑み、正攻法の解釈で作品の素晴らしさを伝えてくれる。

例によって、1音1音を蔑ろにすることなく、曲想を精緻に、そして情感豊かに描き出して行くという正攻法のアプローチを軸としてはいるが、メジューエワの詩情に満ちた卓越した芸術性が付加されることによって、リストのピアノ曲が、単なる卓越した技量の品評会的な浅薄な作品ではなく、むしろロマン派を代表する偉大な芸術作品であることをあらためて認知させることに成功したと言ってもいいのではないだろうか。

「悲しみのゴンドラ」第2番や「暗い雲」の底知れぬ深みは、メジューエワの芸術家としての偉大さの証左と言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤の演奏は、メジューエワの卓越した芸術性を証明するとともに、今後の更なる発展を大いに予見させるのに十分な素晴らしい超名演であると高く評価したい。

音質は、「愛の夢」及び「カンツォーネとタランテラ」を除くすべての楽曲がDSDレコーディングとなっており、メジューエワの透徹したピアノタッチが鮮明に再現される申し分のないものとなっている。

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2015年06月14日


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これまで多くの聴者によって支持を集めているメジューエワによるシューベルトのピアノ作品集もついに第3弾の登場となった。

曲目も、最後の3つのピアノ・ソナタのうちの第20番、そして同じイ長調のピアノ・ソナタとして有名な逸品である第13番、そして楽興の時などの有名な小品集も収められており、まさに第3弾の名に相応しいラインナップを誇っていると言えるだろう。

それにしても、演奏は素晴らしい。

いや、それどころか期待以上の見事さと言っても過言ではあるまい。

本盤の演奏においても、メジューエワの基本的なアプローチは、第1弾や第2弾の演奏と基本的には変わっていないと言える。

メジューエワは、スコアに記されたすべての音符の1つ1つをいささかも揺るがせにすることなく、旋律線を明瞭にくっきりと描き出していくというスタンスで演奏に臨んでいる。

それでいて、いささかも単調に陥るということはなく、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広い。

全体の造型は非常に堅固であるが、音楽は滔々と流れるとともに、優美な気品の高さ、格調の高さをいささかも失うことがないのがメジューエワの最大の美質である。

そして、細部に至るまでニュアンスは豊かであり、その内容の濃さはメジューエワの類稀なる豊かな音楽性の証左と言えるだろう。

シューベルトのピアノ曲は、もちろん最後の3つのソナタの一角を構成する第20番はもちろんのことであるが、その他の楽曲についても、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名旋律の端々には寂寥感や死の影のようなものが刻印されているが、メジューエワによる本演奏は、かかる寂寥感や死の影の描出においてもいささかの不足もなく、前述のような気高くも優美なピアニズム、確固たる造型美なども相俟って、まさに珠玉の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

第1弾及び第2弾の際のレビューにおいても記したところであるが、これほどの名演を聴くと、メジューエワの類稀なる才能をあらためて感じるとともに、今後の更なる成長・発展を大いに期待できるところだ。

今後、メジューエワがどのようなスケジュールでシューベルトのピアノ作品集の録音を進めていくのかはよくわからないが、第4弾以降にも大いに期待したいと考える。

特に、シューベルトのみならず、あらゆるピアノ・ソナタの中でも最高峰の傑作とされる最後の3つのソナタのうち、本盤の登場によって第19番及び第20番の2曲の録音が揃ったことになるが、第21番において、メジューエワがどのような演奏を成し遂げるのか、実に興味深いと言えるところだ。

音質についてもメジューエワのピアノタッチが鮮明に捉えられており、素晴らしい高音質であると評価したい。

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2015年06月12日


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メジューエワによるシューベルトのピアノ作品集の第2弾の登場だ。

前回は最晩年のピアノ・ソナタ第19番と晩年のピアノソナタ第18番を軸とした構成であったが、今回は中期の傑作であるピアノ・ソナタ第14番とさすらい人幻想曲を軸に、晩年の傑作である4つの即興曲、3つのピアノ曲などをカップリングした構成となっている。

前回の第1弾が圧倒的な名演であっただけに、大いに期待して聴いたところであるが、本盤の演奏もそうした期待をいささかも裏切ることがない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

本演奏においても、メジューエワの基本的なアプローチは前回と変わっていないと言える。

要は、1音1音を揺るがせにすることなく、旋律線を明瞭にくっきりと描き出していくというスタンスで演奏に臨んでいるが、いささかも単調に陥るということはなく、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広いと言える。

全体の造型は非常に堅固であるが、音楽は滔々と流れるとともに、優美な気品の高さをいささかも失うことがないのがメジューエワの最大の美質である。

そして、細部に至るまでニュアンスは豊かであり、その内容の濃さはメジューエワの類稀なる豊かな音楽性の証左と言えるだろう。

また、本盤に収められた各楽曲は、晩年の傑作である4つの即興曲や3つのピアノ曲は別格として、その他の楽曲についても、晩年の楽曲ほどではないものの、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名旋律の端々には寂寥感や死の影のようなものが刻印されているが、メジューエワによる本演奏は、かかる寂寥感や死の影の描出においてもいささかの不足もなく、前述のような気高くも優美なピアニズム、確固たる造型美なども相俟って、まさに珠玉の名演に仕上がっていると言っても過言ではあるまい。

重厚堅固な構築性と自発的即興性がバランスよく結びついた弾きっぷりは、メジューエワの一層の進化・深化を物語るものであると言えよう。

これほどの名演を聴くと、メジューエワの類稀なる才能をあらためて感じるとともに、今後の更なる成長・発展を大いに期待できるところだ。

今後予定されているメジューエワのシューベルトのピアノ作品集第3弾にも大いに期待したいと考える。

音質についてもメジューエワのピアノタッチが鮮明に捉えられており、素晴らしい高音質であると評価したい。

とりわけ、DSD録音がなされたさすらい人幻想曲などが収められた2枚目のCDについては極上の高音質録音であり、今後可能であればSACDで聴きたいところだ。

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2015年06月10日


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メジューエワが、ショパンやシューマンなどの数々の録音に引き続いて、シューベルトのピアノ作品集に着手した時期の録音だ。

素晴らしい活躍を続けるロシア出身の実力派メジューエワは、本盤においても、曲想を精緻に描き出していくという基本的なアプローチは変わっていない。

1音1音を揺るがせにすることなく、旋律線を明瞭にくっきりと描き出していく。

ピアノ・ソナタ第18番の第2楽章などにおける強靭な打鍵も女流ピアニスト離れした力強さが漲っているとも言える。

この演奏を聴くとシューベルトは歌の作曲家であると同時にリズムの作曲家でもあることを思い知らされる。

したがって、全体の造型は非常に堅固であるが、音楽は滔々と流れるとともに、優美な気品の高さをいささかも失うことがない。

そして、細部に至るまでニュアンスは豊かであり、その内容の濃さはメジューエワの類稀なる豊かな音楽性の証左と言えるだろう。

また、シューベルトの作品には、ウィーン風の抒情に満ち溢れた名旋律の数々が聴かれるが、その背後には寂寥感や死の影のようなものが刻印されており、これをどの程度表現できるかに演奏の成否がかかっている。

メジューエワは、繊細優美で愉悦感に溢れる音楽づくりは言うまでもなく、シューベルトの音楽のもうひとつの要素である寂寥感や死の影をそこはかとなく表出してゆく。

とりわけ、最晩年のピアノ・ソナタ(第19〜21番)の底知れぬ深みは、ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタにも比肩し得るほどの高峰にあるが、これを巧みに表現し得た深みのある名演として、内田光子盤が掲げられる。

メジューエワによる第19番は、年功から言ってさすがに内田光子の域に達しているとは言えないが、それでも、寂寥感や死の影の描出にはいささかの不足もなく、前述のような気高くも優美なピアニズム、確固たる造型美などを総合的に鑑みれば、内田光子盤にも肉薄する名演と高く評価したい。

確固たる造型に支えられた線の太さと、千万変化するタッチを駆使した玄妙な表現が一体化した恐るべきシューベルトで、ここに収められているどの曲も、傑作であることを、深く納得させてくれる演奏だ。

録音もメジューエワのピアノタッチが鮮明に捉えられており、素晴らしい高音質である。

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2015年01月05日


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ショパンの超有名曲を中心にカップリングされた好企画CDであるが、いずれもメジューエワの特徴が表れた素晴らしい名演だ。

メジューエワは、本盤に収められた諸曲の大半を、既に録音しているが、本盤は、そうした既録音を抜粋したものではない。

いずれも、本CDのために新たに録音したものであるのがミソなのである。

既CDとの違いは、ボーナストラックとして収められた3曲を除いて、表面上はさほど感じられないが、ショパンの名だたる楽曲を録音した上での録音だけに、ここには、いつものメジューエワ以上に、自信と風格に満ち溢れた音楽である。

それにしても、メジューエワのショパンには、どうして、このように堂々たる風格が備わっているのであろうか。

メジューエワの、1音たりとも揺るがせにしない丁寧とも言えるピアニズムがそうさせているとも言えるが、筆者としては、それだけではなく、ショパンへの深い愛着と理解があるのではないかと考えている。

本盤の大半は、いわゆる有名曲であるが、こうした風格があり、なおかつ深みのある音楽は、通俗名曲集などといった次元をはるかに超えた高みに達している。

きわめて自然な息遣いをもってショパンならではの「詩情」と「憂愁」を情感豊かに表出する、しなやかで強靭なピアニズム、ここに「ショパンの魂を語り継ぐ真のショパン弾き」メジューエワの真価がある。

作品に込められた内的葛藤と、日々の心象風景を見事に描き切り、ショパンにとって極めて大切な各々特有のリズムを、闊達な躍動感と万感胸に迫るような哀感を携えて織り上げるのである。

それは作品が誕生してから経過した200年近くの時空を打ち消し、その作品が今生まれたばかりのような新鮮さと情熱、そして生き生きとした生命力をもって我々の前に示してくれるのである。

イリーナ・メジューエワこそ、ショパンの魂を後世に語り継ぐ真のショパン弾きである。

筆者が特に感動したのは「幻想即興曲」。

これほど崩して弾いているのに、全体の造型がいささかも崩れることがないのは、殆ど驚異ですらある。

ボーナストラックの3曲は、メジューエワのライヴ録音を記録した貴重なもので、特に、「黒鍵」の千変万化のピアニズムには大いに酔いしれた。

24bit+96kHz Digital録音も、鮮明で素晴らしい。

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これまで、ショパンの数々の名演を成し遂げたメジューエワであるが、本盤は、それらとほぼ同時期にスタジオ録音されたシューマンの主要作品が収められている。

いずれも素晴らしい名演と高く評価したい。

シューマンのピアノ曲の演奏に際しては、スコアに記された音符を追うだけでは不十分であり、その背後にある心象風景やファンタジーの世界を巧く表現しないと、ひどく退屈で理屈っぽい演奏に陥る危険性が高く、とても一筋縄ではいかない。

メジューエワは、ショパンの名演で行ったアプローチと同様に、1音1音を蔑ろにせず、旋律線を明瞭にくっきりと描き出すことにつとめている。

それ故に、音楽全体の造型は、女流ピアニスト離れした堅固なものとなっている。

一般的に扱いにくいと言われるシューマンの音楽であるが、メジューエワの手にかかると、すべてが過不足なく自然に表現されるのが素晴らしいところである。

シューマン独特の幻想や憧憬、苦悩、恍惚、狂気といった複雑に錯綜した要素を、かくあるべきものとして再創造してゆくさまは圧巻だ。

メジューエワはいくつもの語り口を使いわけながら、シューマンが愛したドイツ・ロマン派の作家さながらにメルヘンを繰り広げていく。

ニュアンスに富んだ細部の表現ひとつひとつが鮮やかな情景を喚起しながら、全体として大きなストーリーを感じさせる点で比類がない。

また、子供の情景の第6曲「一大事」やクライレスリアーナの冒頭、ノヴェレッテヘ長調などにおける強靭な打鍵は圧巻の迫力を誇っている。

それでいて、音楽は淀みなく流れるとともに、細部に至るまでニュアンスが豊か、総体として、気品の高い馥郁たる演奏に仕上がっているのが素晴らしい。

シューマンの音楽の命であるファンタジーの飛翔や憧憬、苦悩なども巧みに演出しており、演奏内容の彫りの深さにおいてもいささかの不足はない。

とりわけ、最晩年の傑作である暁の歌における、シューマンの絶望感に苛まれた心の病巣を鋭く抉り出した奥行きのある演奏には凄みさえ感じさせる。

ライナー・ノーツにおいて、國重氏が、本盤のメジューエワの演奏を指して、「このシューマンの世界はもはや『文学的』ではない。まさに『詩』である。」と記されておられるが、これは誠に当を得た至言と言えるだろう。

録音も、メジューエワのピアノタッチが鮮明に再現されており、申し分のない音質となっている。

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素晴らしい名演だ。

2006年のスケルツォ全集を皮切りとして、ショパンの様々な楽曲の録音に取り組んできたメジューエワが、ピアノ・ソナタ第3番に引き続いて、ピアノ・ソナタ第2番を録音することになった。

これは、絶えざる深化を遂げ続ける俊英ピアニストが真摯に作品と向き合い、作品の深奥にひそむ作曲家の声にひたすら耳を傾けることによってのみ可能となった迫真の芸術表現であり、まさに気宇壮大といった表現が相応しいスケール雄大な名演だ。

それにしても何という堂々たる風格溢れるピアニズムであろうか。

メジューエワのピアニズムの特徴として、ショパンがスコアに記した音符を1音たりとも蔑ろにしない丁寧さがあるが、このピアノ・ソナタでも、決して音楽の流れが停滞することはない。

実に優美に、なおかつ自然に流れるのだが、その仰ぎ見るような威容は、威風堂々と言った表現が符合する。

第3楽章のショパンの精神の深淵を覗き込むような深みのある表現も凄いの一言であるし、終楽章の、他のピアニストならば、曖昧模糊な表現になってしまいがちの音楽も、メジューエワならではのアプローチで、旋律線を極力くっきりと描き出しているのが素晴らしい。

併録の小品もいずれ劣らぬ名演であるが、とりわけ、冒頭の華麗なる大円舞曲が超名演。

ここには、ピアノ・ソナタと同様の壮大なスケール感とともに、女流ピアニストならではの繊細な詩情、そして、大輪のひまわりのような華麗さが備わっている。

ワルツや即興曲での得も言われぬ優美な情感と、ポロネーズやソナタでの強靭なタッチの驚くべきコントラスト。

その香り立つ気品、限りない郷愁と憧憬は、まさに恐るべき音楽的感興を湛えたショパンと言えよう。

一層の深みとスケールを獲得したその演奏は、もはや堂々たる風格すら漂わせていると言っても過言ではあるまい。

2010年3月、4月、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明であり、素晴らしいの一言。

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2015年01月02日


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メジューエワが満を持して臨んだショパンのピアノ・ソナタである。

メジューエワは、数年前からショパンに集中的に取り組んできたが、これまでの録音はいずれも小品。

そのいずれもが驚くべき名演であったが、それ故に、ピアノ・ソナタの録音への期待が大いに高まっていた。

本盤は、そうした期待を裏切ることがない素晴らしい名演である。

この後に録音されたピアノ・ソナタ第2番ともども、メジューエワが、ショパンの大作にも見事な名演を成し遂げることを立派に証明することになった。

それにしても、何という風格のある音楽であろうか。

ショパンのピアノ・ソナタ第3番は、もともとスケールの大きい音楽であるが、メジューエワも、そうした楽曲の特色を十分に踏まえた実に気宇壮大な名演を成し遂げたと言える。

1音たりとも揺るがせにしないアプローチはいつもながらであり、その強靭な打鍵と、繊細な詩情のマッチングも見事である。

同じロシアのピアニスト、エデルマンの名演が先般発売され、筆者も、当該演奏を最高の名演と評価したが、メジューエワの演奏も、エデルマンの名演に肉薄する至高の名演と評価しても良いのではないかと考える。

併録の小品もいずれも名演であるが、特に、幻想曲が、いかにもメジューエワならではのスケール雄大な超名演。

このディスクには、ショパンの真実が詰まっているのみならず、イリーナ・メジューエワという稀代のピアニストによる、ひとつの芸術の極致が示されている。

まさに「全身全霊を込めた」という表現が相応しい、風格さえ漂わせるスケールの大きな演奏は、ロシア最高のショパン弾きでもあったゲンリヒ・ネイガウスの教えがその弟子たち(T. グートマン→V. トロップ)を経てメジューエワに脈々と受け継がれていることを見事に証明している。

ロシア・ピアニズムの伝統の重みを感じさせる1枚、「ショパン弾き」としてのメジューエワの面目躍如たるアルバムである。

2010年3月、4月、新川文化ホール(富山県魚津市)の於ける録音であるが、音質も鮮明で素晴らしい。

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メジューエワのショパンは、いずれも素晴らしい名演揃いであるが、このプレリュード集も素晴らしい。

何よりも、このプレリュード集では、その表現力の幅広さを思い知らされた。

メジューエワのアプローチは、ゆったりとしたテンポにより、旋律線を明晰に描き出していくという、ある意味ではオーソドックスなもの。

ただ、メジューエワの場合は、抒情にかまけた曖昧さはいささかもなく、ショパンがスコアに記した音符の1つ1つをいささかも蔑ろにすることがない。

それ故に、メジューエワのショパンには、威風堂々たる立派な風格が備わることになる。

それでいて、音楽は実に優美に流れ、ショパン演奏に不可欠の繊細な詩情にもいささかの不足もない。

これは、ショパン演奏に必要な要素をすべて兼ね備えているということであるが、そうした上で、曲想がめまぐるしく変化するプレリュード集を、巧みに弾き分けているのだ。

演奏が悪かろうはすがないではないか。

卓越した技量も素晴らしいが、メジューエワの場合は、あくまでもショパンの楽曲の魅力を表現することが大事であるという基本姿勢であり、卓越した技量だけが目立つなどということがないのはさすがである。

有名な第15番などにおいて、とても若手のピアニストとは思えないような深みのある表現を行うなど、メジューエワのスコアリーディングの鋭さ、ショパンへの深い理解も大いに感じさせられるのも素晴らしい。

磨き抜かれたタッチの美しさや繊細極まりない感受性、躍動に満ちた生命力は言うに及ばず、エモーショナルな激情と深々とした沈潜は限りないコントラストを生み出しながらショパン特有のイマジネーションを膨らませてくれる。

どちらかというと淡々とした歩みの中に、計り知れないロマンティシズムとファンタジーが余すところなく語り尽くされており、ときには濃密な詩情やしなやかな官能にむせ返るほどでもある。

そして何よりメジューエワは弁証法的唯物論のごとく、ショパン音楽の核心を見事なまでに描いて比類ない。

19世紀から続くショパン演奏の伝統の重みを感じさせながらも、新鮮な感性が随所に光る秀演で、「ショパン弾き」としてのメジューエワの面目躍如たるアルバムとも言えよう。

2009年10月14〜15日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明で文句なし。

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2015年01月01日


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メジューエワのショパンは実に素晴らしい。

2006年のスケルツォ以降、ショパンを集中的に録音しているが、いずれ劣らぬ名演と高く評価したい。

そんな「ショパン弾き」としての実力が高く評価されているメジューエワが、いよいよ満を持して「エチュード集」に挑戦した。

優れたテクニックと豊かな音色のパレットを駆使したその演奏は、現代的なセンスに溢れると同時に何かしら古雅な味わいも併せ持つという極めてユニークなもので、ショパン演奏の伝統に新たなページが開かれたことを予感させるアルバムの誕生とも言えよう。

メジューエワのタッチは実に堂々としてしかも宝石にように輝いている。

ショパンが記したスコアのすべての音符を1音たりとも蔑にしないアプローチは、メジューエワのショパンに威風堂々たる風格を与えているが、それでいて、音楽の流れはごく自然に流れ、女流ピアニストならではの繊細な詩情にいささかの不足もない。

要は、我々聴き手がショパン演奏に望むすべての要素を兼ね備えているということであり、彼女の年齢を考える時、これはまさに驚異的と言えるだろう。

本盤のエチュード、冒頭の第1曲からして、大輪のひまわりのような華のある珠玉の音楽が展開される。

第3曲の別れの曲の、後ろ髪を引かれるような絶妙な弾き方も見事であるし、第5曲の黒鍵の、1音1音が生き物のように息づいている生命力溢れる演奏は圧巻の迫力。

第12曲の革命の超絶的な技巧には完全にノックアウトされるし、作品25の第10番以降の諸曲の幾分陰影の濃い、それでいて詩情溢れる美演は、筆舌には尽くしがたい素晴らしさだ。

メジューエワの弾く芳醇な抒情と切ないほどの哀しみが神韻縹渺たるショパンの真実を伝えている。

メジューエワは、エチュードそれぞれの課題を充分に把握し、その上で計り知れない情感を湧き上がらせている。

滑舌の良いひとつひとつの音はそれ自体で生命力を有し、自然なフレージングや淀みない音楽的流れは作品の持つ濃密な小宇宙を最大限に引き出しているのだ。

メジューエワは、まだまだ若いが、今後の前途洋々たる豊かな将来性を感じさせる1枚と言える。

2009年7月&9月、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける96kHzハイ・サンプリング+ワンポイント録音も鮮明かつナチュラルなサウンドで実に素晴らしい。

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2014年12月29日


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メジューエワのショパン・アルバムとしては通算4枚目となる今作は、《幻想ポロネーズ》と《英雄ポロネーズ》をメインに晩年の傑作マズルカ(作品59)や初期の隠れた名曲「ロンド(作品16)」などを配した好プログラムである。

伝統に裏打ちされた深い読みと共感がかくも深遠なるショパンを生み出した凄い名演だ。

そもそも本CDに収録された楽曲の組み合わせが素晴らしい。

ポロネーズ、マズルカ、ワルツ、前奏曲、エチュードといった、ショパンの主要な作品からの抜粋を中心としたカップリングであるが、必ずしも有名曲だけを組み合わせているわけではない。

単なる人気取りの有名曲集に陥っていない点は、メジューエワのショパンへの深い拘りと理解の賜物であると考える。

メジューエワらしい繊細かつ大胆なタッチ、薫り高い詩情、堅牢な造型、堂々たるスケール感などの魅力に溢れた秀演。

五感を研ぎ澄ませてこのアルバムに収められた音楽を聴いて欲しい。

ショパン→ミクリ→ミハウォスキ→ゲンリヒ・ネイガウス→テオドール・グートマン→トロップ→メジューエワ。

ショパンから数えて7代目の弟子となるメジューエワの元で今、ショパンの血統が脈々と息づいていることにきっと気付かれるに違いない。

ライナーノーツの解説には、メジューエワを「思考するピアニスト」と評していたが、これはなかなかの至言である。

メジューエワは、ショパンがスコアに記した音符の1つ1つを丁寧に、そして風格豊かに弾き抜いて行く。

この1音たりとも蔑にしないアプローチは、ショパンの各曲の旋律線を実にくっきりと明瞭に描き出すことに大きく貢献する。

こうした堂々たるピアニズムについては、ある意味では、「思考するピアニスト」との見方もあり得るのではないかと思うからである。

ただ、重要なのは、メジューエワは、理屈が先に立つピアニストではないという点だ。

音楽は実に優美に流れるし、女流ピアニストならではの繊細な詩情においてもいささかの不足もない。

要は、非常に幅の広い表現力を身につけているということである。

このような素晴らしい大芸術家が、我が国を拠点に活動しているというのは何という幸せであろうか。

明晰な論理と深い情感を持って献身的に作品と対峙するその姿は、新しい時代のショパン弾きとして、そしてロシア・ピアニズムの名門ネイガウス流派の継承者の1人として面目躍如たるものがあると言えよう。

2008年5月14〜16日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於ける録音も鮮明で文句なし。

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ここ数年の充実した演奏・録音活動が着実な評価を得ているロシアのピアニスト、イリーナ・メジューエワの威風堂々たる素晴らしい名演だ。

ゲンリヒ・ネイガウス→テオドール・グートマン→ウラジーミル・トロップ→そしてメジューエワと受け継がれてきたロシア・ピアニズムならではの繊細霊妙なタッチが生み出す馥郁たる詩情。

虚飾を排し、ひたすら作品の本質に迫る真摯な精神性に貫かれた強靭なピアニズムは、作品そのものの魅力を存分に引き出すことに成功している。

スケルツォ全集のレビューにも記したが、メジューエワは、ショパンがスコアに記した音符のすべてを、1音たりとも蔑にせず、完璧に弾き抜いている。

要は、メジューエワのショパンには曖昧模糊なところが全くない。

それ故に、旋律線が実にくっきりと明瞭に描き出されることになる。

だからと言って、音楽の流れが損なわれることはなく、陰影の乏しい演奏ということにもなっていない。

それどころか、メジューエワの卓越した表現力が、こうしたピアニズムを見事にカバーし、女流ピアニストならではの繊細な詩情も相俟って、珠玉の芸術に仕立て上げるという途轍もない、離れ業とも言うべき至芸を示している。

このような風格のある堂々たるショパンは、他にもあまり類例を見ないものであるが、メジューエワは、まさに、21世紀の新しいショパン像を確立したとさえ言えるだろう。

メジューエワは間の取り方とその空間への音のしのばせ方が本当に絶妙で、特にバラードに対しては最高の効果を発揮している。

この巧さは現役ピアニストでは随一と言えるところであり、彼女は技巧を前面に出すタイプではないのだが、これらは寸分の狂いもないタッチと完璧なペダルコントロールがあって初めてなせる業であり、圧倒的な表現の深さを支えているのは、こうした超高等テクニックなのだと改めて感心した次第である。

このような素晴らしいピアニストが、我が国を拠点として活動していることに感慨を覚える。

収められた楽曲はいずれ劣らぬ名演揃いであるが、特に、感動したのは舟歌で、メジューエワは、この曲の切ないほどの哀しみ、希望と不安、絶望と憧憬を歌っている。

この陰影のはっきりした楽曲は、前述のようなメジューエワのアプローチに見事に符合する作品であり、おそらくは、同曲の過去の様々な名演の中でもトップの座を争う名演と高く評価したい。

録音は、2006年6月22〜23日、新川文化ホール(富山県魚津市)に於けるもので、音質も鮮明で実に素晴らしい。

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本盤は、メジューエワ一連のショパンの録音の中では最も古い録音であるが、メジューエワのショパンへのアプローチは基本的に後の録音と変わることはなく、深みとスケールのある、聴けば聴く程に凄い、実に聴き応えのする素晴らしい名演だ。

このアルバムは、ショパンのスケルツォがどんなにスケールの大きい作品であるかを改めて教えてくれる。

メジューエワは、ショパンがスコアに記したすべての音符を1音たりとも蔑にせず、1音1音を丁寧に、そして確信を持って弾き抜いている。

メジューエワは、その鮮やかな音色と大胆なアゴーギクによってリズムやフレーズを屹立させ、作品の細部に至るまで性格を明確にしていくのだ。

それ故に、旋律線が実にくっきりと明瞭に描き出されることになる。

こうしたアプローチは、音楽の流れを損なってしまう危険性もあるのだが、メジューエワの場合、そのようなことは全くなく、音楽も実に美しく自然に流れるのである。

まさに、風格のある堂々たるピアニズムであるが、それでいて、女流ピアニストならではの繊細な詩情にもいささかの不足がない。

要は、我々聴き手がショパン演奏に望むすべての要素を兼ね備えた驚くべき名演ということができよう。

聴き手の魂を揺さぶり、完全燃焼するメジューエワ渾身の演奏は、聴き手を強く作品世界に巻き込んでいくに違いない。

本盤に収められたスケルツォ、そして即興曲や夜想曲のいずれも名演であるが、スケルツォの収録順を番号順にせず、有名な第2番を冒頭においた点においても、メジューエワの同曲への拘りと深い理解を感じさせる。

巧みに配された即興曲と夜想曲はくつろぎのひとときだ。

やはりメジューエワは、「21世紀最高の女流ピアニスト」との呼び声も高いだけあって、そんじょそこらのピアニストとは一線を画す桁違いの実力を持っていると言わざるを得ない。

打鍵の正確さ、自然なルバート、歌い回しの巧さも、どれをとっても超一級品で、特に歌い回しに関しては、決してわざとらしくなく人の感情を大いに揺さぶりかけてくるものがあり、その巧さはルービンシュタインすら上回っていると言えるかもしれない。

2002年11月26〜27日、富山県魚津市新川文化ホールに於ける録音であるが、音質も申し分のない鮮明さだ。

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2014年12月28日


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メジューエワの演奏を今回初めて聴いたが、これは実に素晴らしい名演だ。

何が素晴らしいかというと、様々な点を掲げることができるが、いい意味で女流ピアニスト離れした堂々たるピアニズムを披露している点を先ずは掲げたい。

冒頭の嬰ハ短調からして、他のピアニストとはまるで異なる。

とにかく、旋律線が実に明瞭でくっきりとしている。

この遺作となる同曲には、抒情的、内省的な演奏を心がけるあまり、曖昧模糊とした演奏が多い中で、メジューエワの確固たる造型の構築力が際立つ。

要は、メジューエワは、ショパンのノクターンに対して、ベートーヴェンのピアノ・ソナタなどと同様のアプローチを心がけているのだ。

これは、作品9以下のすべての楽曲にも言えるところであり、いずれの楽曲も、堂々たるピアニズム、1音1音をゆるがせにしない確固たる造型美によって、風格のある偉大な芸術作品の構築に成功したと言える。

ノクターンを陳腐なサロン音楽などと蔑視する一部の見解をあざ笑うかのような快挙と言える。

前述のように、これは女流ピアニスト離れした至芸とも言えるが、それでいて、ショパン特有の繊細な抒情においてもいささかも不足はなく、こうした点は、まさに女流ピアニストならではのアドバンテージと言えるだろう。

ショパン作品の演奏に相応しい繊細さと優美さ、そして強靭さとスケールの大きさを兼ね備えつつ、作品55-2や作品62など後期作品におけるむせ返るような濃密なロマン性と得も言われぬ儚さの表出も聴きどころのひとつ。

磨き抜かれた精妙なタッチと移ろいゆく色彩、確固たる造型と芳醇な情熱が、「この世のものならぬ絶美のショパン」を生み出している。

冒頭と最後に、遺作となる嬰ハ短調とハ短調のノクターンを配しているのも、メジューエワのノクターンへの深い拘りと愛着を感じさせる。

いずれにしても、本盤のノクターンは、堂々たる風格溢れるピアニズム、卓越した技量に裏打ちされた力強い打鍵、厳しく構築された造型、そして、ショパンの心の深淵を追求するかの如き深みのある繊細な抒情など、我々聴き手が望むすべての要素を兼ね備えた驚くべき名演と高く評価したい。

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2014年05月31日


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1988年のジルベスター・コンサートの模様を収録したDVD。

図らずもこれがカラヤンが指揮したベルリン・フィルの最後のコンサートになってしまった。

収録曲はプロコフィエフの交響曲第1番とチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番である。

特にチャイコフスキーは当時17歳のキーシンとの競演。

1988年の年末にキーシンのプロデューサーがカラヤンにキーシンのピアノの録音を送り、この人に会ってみないか?と提議した。

カラヤンは演奏を聴き、即OKサイン。

当時キーシンはその事実にかなり当惑したと言う。

キーシンがベルリンに到着し、カラヤンの前でショパンの幻想曲を披露した。

カラヤンは終了後、彼を抱き、キスした後、涙を流したと言う。

1988年のこのライヴの後、ロシアに戻るキーシンと母親にカラヤンはこう言った。

「天才だ!」と。

1975年版のような強弱の極みや、1961年版のような力む場面もない。

これはカラヤンの白鳥の歌となった。

何とも自然さの中に佇む巨人の老いた疲れと今だ健在の実力とが飛び交うそんな感動を呼ぶ。

同情ではなく、純芸術的に最上の歌と成っているのだ。

強弱の表し方は確かにカラヤンのもので、気薄な感じがするが、マイナスと働いていないところがさすがに帝王カラヤンだと思う。

それが妙に冷たく同時に輝かしい響きがするのだ。

悠然と指揮するカラヤンと、若さに満ちあふれ力一杯ピアノを演奏するキーシンのコントラストがクラシック界の世代交代を象徴しているようにも見えた。

確かに、この日のカラヤンは指揮台まで一人で歩くことすらままならず、指揮の動きも決してダイナミックとは言えない。

しかし、ベルリン・フィルはカラヤンの微妙な手の動きに合わせ、正確にかつ叙情豊かに旋律を奏でていく。

生演奏での中継も1988年大晦日に見たが、感動的で素晴らしかった。

カラヤンとベルリン・フィルの長年の共演を締めくくるのに相応しい演奏である。

まだご覧になってない人には、一見一聴の価値ありとして強力に推薦したい。

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