シェリング

2016年11月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



これまでにリリースされたこの曲集の録音の中でも最もシンプルな響きで格調が高く、逆説的な言い方をすれば、演奏者ではなく純粋に音楽そのものを聴きたい人を強く惹きつけて止まない魅力を持っている。

既に製造中止になって久しかったCDなので今回の復活を大いに歓迎したい。

シェリングとヴァルヒャという一期一会の協演の中で、彼ら自身もその緊張感を感じ取っていたに違いない。

ヴァルヒャが他の演奏家と共演している珍しいディスクとして注目すべき全集で、事実ヴァルヒャにとってシェリングが唯一無二の協演者になった。

これは、伴奏者にヴァルヒャを起用しているだけあって、シェリングの流麗な美音が際立っていて、ロマン的な傾向の強いものになっており、実に熱っぽく、まるで2人の奏者の間に火花の飛び交うような、気迫のこもった演奏を繰り広げている。

総体的に速めのテンポだが、ヴァイオリンの音色は、艶やかさとふくらみがあり、チェンバロも実に落ち着いている。

速い楽章では、シェリングがリードしているかのようにも思えるが、緩徐楽章は柔軟でロマンティック、2人の呼吸はぴったりと合っている。

厳格なバッハを好む人には反発を感じるかもしれないが、胸にもたれることがないので、目くじらをたてることもあるまい。

ここでのヴァルヒャはシェリングを立て、彼との協調を重んじた演奏ぶりで、ヴァルヒャにこんな一面があろうとは思わなかった。

この2人はバッハの音楽の再現に忠実に奉仕するために不必要と思われるあらゆる要素を省いている。

演奏に全く隙がなく、お互いの響きを音価の最後まで聴き逃さず、全身全霊を込めてバッハの対位法を紡ぎ出していく演奏は、ある意味では聴き手を選んでしまうかも知れないが、その真摯な姿勢に心を打たれるのも事実だ。

ヴァルヒャはバッハの総ての鍵盤楽器のための作品と、鍵盤楽器が加わる曲目をくまなく暗譜していたにも拘らず、この曲集以外のアンサンブルや協奏曲などの録音は一切遺していない。

それは全く残念なことだが、唯一のデュエットに示した彼の取り組みは驚くべき厳格さを示している。

端的に言えばシェリングがヴァルヒャに妥協したのでもなければ、またその逆でもない。

互いに全神経を集中して、張り詰めた琴線を奏でるような稀に見る協調と緊張感の持続で全曲が貫かれていて、そこには汲めども尽きないほどの深遠なバッハの世界が開けている。

この組み合わせでの演奏は本盤でしか聴くことができないが、この2人の巨匠の演奏には、しみじみとした精神的な深さがあり、バッハの音楽の本質をよくつかんでいる。

尚現在廃盤の憂き目に遭っている、ヴァルヒャがヒストリカル・チェンバロを弾いたもうひとつのサンプルになる1974年の2回目の『平均律』全曲も是非復活して欲しい音源だ。

1969年の録音で、2人の使用楽器については明記されていないが、シェリングがこの時期に弾いていたのはグァルネリ・デル・ジェズで、この演奏も例外ではないだろう。

一方ヴァルヒャは楽器の響きからして、彼がそれ以前の多くの録音に用いたユルゲン・アンマーのモダン・チェンバロではなく、おそらくルッカース系のヒストリカル・チェンバロを修復したオリジナル楽器と思われる。

演奏形態からすればシェリングのそれは当然モダン奏法で、またピッチもa'=440Hzが採用されているので、その点では2人の奏法に隔たりがあるのは事実だが、バッハを生涯の課題とした彼らがそうした領域を遥かに超越したところで堅牢無比なデュエットを成り立たせたと言えないだろうか。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:53コメント(0)トラックバック(0) 

2016年11月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835-1880)とカロル・シマノフスキ(1882-1937)はどちらもポーランドの作曲家で、オーケストラはバンベルク交響楽団だが、実質的には同郷のヴァイオリニスト、ヘンリク・シェリングと指揮者ヤン・クレンツが祖国の作曲家に捧げたヴァイオリン協奏曲集という趣向になっている。

とは言っても双方が早くからインターナショナルな感覚を身に付けた音楽家であるために、他に引けを取らない情熱的な演奏には違いないが、偏狭な意味でのナショナリズムの高揚というよりは、むしろ2人の作曲家の普遍的な価値を洗練された様式で示したサンプルとしての意義があると思う。

特にシェリングは欧米のあらゆる音楽的な趣味を習得した上で、そのどれにも囚われない独自の奏法を確立していて、そのために時折個性に乏しいヴァイオリニストのように言われることがあるが、スタイルに逃げ道を探さない真摯な姿勢が彼らしいところではないだろうか。

筆者は所謂「本場の演奏」という表現が嫌いだけれども、こと固有のリズム感に関しては認めざるを得ない時がある。

ポーランド出身のシェリングが自国の2人の作曲家のコンチェルトを演奏したこのアルバムなどはまさにそれで、もうリズムだけでも酔わされる。

ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調は後期ロマン派特有の耽美的な抒情性を持った曲想と名技主義を披露する華麗なテクニックが駆使されているために、古今の名立たるヴァイオリニストのレパートリーとして欠かせない曲目になっている。

殊に第2楽章『ロマンス』でシェリングは恣意的なポルタメントをかけたりテンポを必要以上に動かすことなく、怜悧なボウイングのコントロールによって歌いきっていて、またメランコリーの表出にも不足していない。

終楽章『ジプシー風』には民俗的なテーマが挿入されているが、クレンツが支えるオーケストラに乗ったシェリングの緊張感に満ちたソロがやはりポーランド人の血を感じさせる。

一方シマノフスキの方は曲の最後の和音がイ長調のトニックだが曲中では殆んど調性から離れた作品になっていて、20世紀の新しい作品にも果敢に挑戦したシェリングの知性的な演奏が際立っている。

無伴奏の曲では他の追随を許さなかった彼らしい中間部の決然としたカデンツァやクレンツ&バンベルク響の創り上げる斬新な音響も聴きどころだろう。

音源はフィリップスで、いずれも1972年のセッション録音になりキレの良い音質が特徴だ。

尚このCDはリイシューされた日本盤で、見開きのみのリーフレット式のライナー・ノーツが付いているが、既に製造中止の憂き目に遭っているのが残念だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 01:16コメント(0)トラックバック(0) 

2016年06月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングとしては2回目の録音になるが、1回目のルービンシュタインと組んだヴァイオリン・ソナタ集はRCAに録音した第5番『春』、第8番及び第9番『クロイツェル』の3曲のみで、音質の面で劣っていることは否めないが演奏の質の高さからすれば彼らが全集を完成させなかったのが惜しまれる。

シェリングは生涯に亘ってコンサートのプログラムからベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタを外すことがなかった。

それだけに彼が長いキャリアを通じて常に磨き上げてきた、決して借り物ではない徹底した解釈と独自に開拓した奏法を、晩年イングリット・ヘブラーとの唯一の全曲盤で世に問うことになった。

1970年代後半のシェリングは、流石にルービンシュタインの胸を借りた若い頃の覇気はなくなり、テンポも比較的ゆったりと構えているが、緊張感が失われているわけではない。

むしろマイナス面を微塵も出さない几帳面さと格調の高さでは、ひとつの模範的なアンサンブルではないだろうか。

シェリングは音楽から多彩な可能性を引き出すのではなく、よりシンプルに収斂していく方向性を持っている。

だから『春』においても甘美な音色で魅了するタイプではないが、ベートーヴェンの音楽構成を真摯に辿りながら彫りの深い造形と端正な様式感を抑制された表現で感知させていると言えるだろう。

他に逃げ道を探すことのない正攻法の音楽作りには当然ながらそれだけの厳しさがあって、鑑賞する側にもそれを受け入れるだけの準備が要求される。

個人的には彼らのポリシーが最良に発揮されているのが第10番ト長調だと思うが、例えば『クロイツェル』でもことさら大曲ぶって演奏することはなく、また往々にして戦闘的になりがちな急速部分では協調性を決して失わないように注意深く合わせて、自然に滲み出てくるような2人の円熟期の至芸を披露している。

しかもウィーンのピアニスト、ヘブラーと組むことによって、その厳格さが程良く中和されバランスのとれたエレガントな雰囲気が醸し出されていることも事実だ。

勿論ヘブラーの変化に富んだ細やかなサポートも聴き逃せないが、彼女も主張すべきところでは堂々たる大家の風格をみせている。

1978年から翌79年にかけてスイスで収録されたもので、ロゴはデッカになっているが、フィリップス音源のキレの良いシャープな音質と録音時の音量レベルが高いのが特徴だ。

以前リリースされた全曲集では10曲のヴァイオリン・ソナタの他にハイティンク指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるベートーヴェンのヴァイオリンとオーケストラのための『ロマンス』ヘ長調及び同ト長調をカップリングしていたが、今回のセットではこの2曲が省かれている。

いずれにしても廃盤になって久しかったCDの廉価盤化での復活を歓迎したい。

フィリップスにはシェリング、ヘブラーの顔合わせでモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集も都合4枚分の音源があり、こちらもまとまったリイシュー盤を期待したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:18コメント(0)トラックバック(0) 

2016年05月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1958年録音のブラームスのヴァイオリン協奏曲は過去にXRCDヴァージョンでもリリースされて、その鮮烈な演奏と臨場感溢れる音質で名盤の誉れの高いものだが、ブラームスに造詣が深かったモントゥーの豊かで変化に富んだダイナミズムに絶妙に呼応するロンドン交響楽団の底力も特筆される。

シェリングのヴァイオリンはその後の2回の再録音(ドラティ1962年、ハイティンク1974年)では聴けない、突き進むような情熱に支配されていて、人後に落ちない完璧なテクニックもさることながら、彼の潔癖ともいえるクリアーな音色と怜悧な音楽性も堪能できる。

彼はまたアンサンブルの分野でも優れた録音を少なからず遺している。

ルービンシュタイン、フルニエと組んで同じくRCAに入れたブラームス、シューベルト及びシューマンの一連のピアノ・トリオの他にもグラモフォンにはケンプ、フルニエとのベートーヴェンのピアノ・トリオ集がやはり傑出したサンプルと言えるだろう。

ここに組み込まれたブラームスのホルン三重奏曲はジョゼフ・エガーのホルン、ヴィクター・バビンのピアノで、シェリングが管楽器と行ったアンサンブルでは殆んど唯一の貴重な録音ではあるが、エガーのソロがいくらか不安定でそれほど魅力がなく、また音量がフォルテになると再生し切れない音源上の問題もある。

1959年のシャルル・ミュンシュ、ボストン交響楽団とのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、オーケストラの機動力を駆使した速めのテンポで通した推進力が全曲を貫いている。

中でも終楽章のたたみかけるようなフィナーレは圧巻だ。

シェリングのソロは細やかなニュアンスの変化や余裕を持った多彩な音楽性の表出では、後のハイティンクやメータとの協演に一歩譲るが、この演奏からはブラームスの協奏曲に相通じる漲るような覇気が伝わってくる。

穏やかな第1楽章のカデンツァや第2楽章においても甘美というより、弛緩のない緊張感の持続で歌い切る凛としたカンタービレが特徴的だ。

同じく1959年のワルター・ヘンドル、シカゴ交響楽団とのラロのスペイン交響曲では、名手サラサーテの演奏を前提にしたラテン的な熱狂とは一線を画した、シェリング特有のキレの良い高踏的ロマンティシズムが聴きどころだろう。

彼は5つの楽章のそれぞれの構成と様式に則って堅実にまとめているが、第4楽章アンダンテでも決して耽美的な美しさではなく、あくまでも交響曲の中のひとつのエレメントとして捉えている。

惜しむらくはヘンドルの指揮が閃きに乏しいいくらか凡庸な印象があり、シカゴ響の実力が縦横に発揮されているとは言えないことだ。

特に新しいリマスタリングの表示はないが音質は1950年代後半の初期ステレオ録音としては、前述のホルン三重奏曲を除いて極めて良好で、ブラームスのXRCDには及ばないとしても充分満足のいく音響が再現されている。

尚ライナー・ノーツには廉価盤の宿命と言うべきCD初出時の焼き直しの日本語解説が掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0) 

2015年09月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベルナルト・ハイティンク指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団がソリストにシェリングとシュタルケルを迎えたブラームスの協奏曲集で、『ヴァイオリン協奏曲ニ長調』が1973年、『ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調』が70年の録音になる。

一般的に1970年代のシェリングは精彩を欠いた杓子定規の演奏をするようにみられているのは残念だ。

彼はブラームスに関しては3回のセッションを残していて、確かにモントゥー、ドラティ盤に比べると覇気は影を潜めているが、音楽の精緻な仕上がりと余裕のある表現、そして思索的な深みは明らかにこちらに分がある。

ここでのシェリングは一切の虚飾を捨て去ったようなシンプルだが、ある種の達観した演奏が特徴だろう。

禁欲的な音による真摯な表現であり、熾烈なまでの一途さに打たれる。

またハイティンク&コンセルトヘボウの演奏も格調高く立派なもので、ゆとりのある堂々たる進行が素晴らしい。

ここでのハイティンクの指揮の巧みさはひときわ顕著で、コンセルトヘボウを注意深く制御してブラームスのオーケストレーションの手法を充分に聴かせてくれる。

彼らの音色は鮮やかというより、むしろシックな趣を持っていて、両方の曲について言えることだが、ハイティンクのバランスと調和に長けたセンスがソロを巧妙に支えるだけでなく、充実した管弦楽のパートを持った曲としての魅力も欠いていない。

一方二重協奏曲では、何よりも2人のソリストの合わせ技が傑出していて感動的で、ヴィルトゥオーゾ臭を出さず、室内楽風のアンサンブルを生かそうとしている。

第1楽章でのシュタルケルの決して恣意的にならない、それでいて堂々たるチェロの響きがこの曲の性格を決定的にしているように思われる。

また第2楽章でのユニゾンで弾かれるメロディーは奏法の呼吸がぴったり合わないと直ぐに露呈してしまう。

そこには音楽的な直感を働かせて弾いている2人の姿が思い浮かぶ。

彼らのような大家が細心の注意を払って奏でる一糸乱れぬデュエットは、この曲の中でも最も美しい部分で、シェリングの誠実さとシュタルケルの内面的な渋さがにじみ出た演奏だ。

終楽章のテーマはややおどけた感じだが、緊張感を緩めずに次第に気分を高揚させていくハイティンクの指揮ぶりも特筆される。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:36コメント(0)トラックバック(0) 

2015年08月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングのやや硬質の音色と端正な音楽作りに加えて、1950年代の彼特有の覇気に貫かれた奏法が堪能できる1枚としてお薦めしたい。

シェリングがルービンシュタインとの歴史的邂逅を果たしたのが1954年で、それ以降シェリングはインターナショナルな演奏活動とその録音を再開することになる。

第1回目のバッハの『無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ』全曲録音を行ったのが1955年で、当CDもナルディーニとヴュータンの協奏曲は同年の放送用ライヴになるので、この頃既にシェリングの飾り気を排した真摯な演奏スタイルはほぼ完成の域に達していたことが理解できる。

尚後半のラヴェルの『ツィガーヌ』及びシューマンの協奏曲は2年後の1957年のセッションで総てがモノラル録音だが、いずれも保存状態の極めて良好な音源で鮮明な音質で鑑賞できるのが幸いだ。

指揮は全曲ともハンス・ロスバウト、オーケストラはSWR放送交響楽団になる。

ラヴェルの『ツィガーヌ』に関しては個人的に他に2種類の演奏を聴いたが、どれも一長一短あって理想的なものが残されていないのが残念だ。

放送用録画のヤノープロとのピアノ伴奏版は音質がいまひとつだし、ヴァン・レモーテル、モンテカルロとのオーケストラ版は音質では最も優れているにも拘らず、オーケストラがシェリングのソロについていけないという難点がある。

一方当CDではロスバウトがSWRをしっかりまとめて高い演奏水準に引き上げているが、モノラル録音なのでラヴェルの華麗なオーケストレーションを鑑賞するには限界が感じられる。

ヴュータンの協奏曲はヴァイオリンのヴィルトゥオーシティを活かして書かれてあるが、律儀なシェリングの演奏はロマンティックな甘美さよりも構成力に優った演奏と言えるだろう。

逆にシューマンの作曲法は表面に技巧が突出するのを避けるかのように内省的だ。

しかしこうした曲種こそシェリングの得意とするレパートリーで、張り詰めた緊張感の持続が内側に向かって収斂していくような演奏が如何にも彼らしい。

ただしこの曲に関してはドラティ、ロンドン交響楽団による更に良好なステレオ録音がマーキュリーのリヴィング・プレゼンスとして復活している。

ドイツ・ヘンスラーからのヒストリカル・レコーディングのひとつだが、このシリーズは音源の質とその保存状態が概ね良好で、彼らのアーカイヴからの意外な演奏の発掘が注目される。

このCDはSWRが保管するオリジナル・テープからディジタル・リマスタリングされたもので、6ページほどのライナー・ノーツには独、英語によるシェリングの簡易なキャリアの他に録音データの詳細が記載されているのもドイツのレーベルらしい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:49コメント(0)トラックバック(0) 

2015年08月11日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



今から半世紀以上も前の音源なので初CD化された時にはシェリングのヴァイオリンの貧弱な音質に不満が残ったが、今回ソニー・クラシカル・オリジナルスの1枚として新しいマスタリングが施されて、音質に艶やかな広がりとスケール感が加わり、それまでの精緻だがこじんまりとした演奏のイメージが払拭され、本来あるべき音響空間に改善されたことを評価したい。

ケース裏面には22UV SUPER CDの表示があり、マスタリングのテクニックに疎い筆者には技術的な説明をする能力がないのだが、耳に聴こえてくる音質は明らかに違う。

平たく言えばSACDに一歩近付いたという印象がある。

一方彼らの演奏の質の高さでは当時から言い尽くされているとおりだ。

シェリングは巨匠ルービンシュタインの胸を借りる立場だっただろうし、実際このデュエットの主導権を握っているのはルービンシュタインの方だが、シェリングの極めて柔軟な、しかも絶妙なコントロールを効かせたボウイングは模範的だ。

この2人の演奏にはアンサンブルの喜びとともに厳格なまでの合わせ技が感じられ、その中に音楽的な洗練を極めたベートーヴェンが聴こえてくる。

例えば大曲『クロイツェル』では決してあでやかな演奏ではないにしても、内部から彼らの音楽性が湧き上がってくるような明快さと強い説得力がある。

ルービンシュタインはこの頃既に新即物主義的なスタイルを示していて、名人芸を前面に出すような伴奏はしていないが、それがここでは功を奏している。

確かにこの作品はどちらにとっても高度なテクニックを要求される難曲には違いないが、それはヴァイオリンとピアノの対決ではなく、あくまでも2つの楽器の協調性から生まれる、隙のない彫琢されたアンサンブルの究極の姿である筈だ。

ソナタ第5番『春』の第3楽章のシンコペーションを活かしたとびっきり快活でリズミカルな表現や、第8番終楽章の無窮動的な躍動感などは、彼らが如何に音楽の基本をわきまえているかの証明だろう。

ルービンシュタインはメキシコの大学でヴァイオリン教師をしていた同郷のシェリングを再び楽壇に復帰させることを強く望み、またそのための援助を惜しまなかった。

その後のシェリングのキャリアを見れば、巨匠の目に狂いはなかったわけだが、そのきっかけとなったのはルービンシュタインが彼の弾くバッハの『無伴奏』を聴いた時だったようだ。

シェリングはその後イングリット・ヘブラーとベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を完成させているが、より引き締まった楽想を練り上げているルービンシュタインとのセッションが、この選集のみに終わってしまったのは如何にも残念だ。

尚第9番『クロイツェル』及び第5番『春』が1958年、第8番が61年の録音で、カバー・ジャケットは初出時LPのオリジナル・デザインを採用している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:36コメント(0)トラックバック(0) 

2015年08月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



当時のFM東京の音源は2002年に初出の際、レギュラー・フォーマットのCD2枚組でリリースされた。

これは本当に凄いバッハで、初めて聴いた時、筆者はシェリングの傑出した表現力とそれを支える万全なテクニック、そしてその鮮烈な音質に驚いたものだが、その後リイシュー盤を出しながらもこれらのCDは既に廃盤の憂き目に遭っている。

今回のSACD化では音場の広がりとそこから醸し出される空気感がより立体的な音像を提供しているのが特徴と言えるだろう。

尚前回余白に収められていたシェリング自身の語りによるバッハ演奏のためのヴァイオリン奏法や解釈についてのコメントは省略されている。

本番に強かったシェリングはスタジオ録音の他にも多くのライヴで名演を残しているが、中でも最も音質に恵まれているのは間違いなくこのSACDだろう。

当日のプログラムは彼の生涯の課題とも言うべきバッハの作品のみを取り上げた興味深いもので、完璧主義者のシェリングらしく演奏は精緻でバッハの音楽構成と様式感を明瞭に再現しながらも、ライヴ特有の高揚感と熱気が間近に感じられる。

実演に接した人の話のよると、シェリングのヴァイオリンの美音が冴え、バッハにしては甘美すぎるのではないかという印象があったらしいが、この録音ではそういう感じはまったくなく、しなやかで明るく、洗練された雰囲気を漂わせた親しみやすいバッハになっている。

スケールも一段と大きく、シェリング得意の美音で、実に厳しく清澄で、豊麗、流麗なバッハを聴かせてくれる。

厳格一点ばりのバッハではなく、厳格さのなかにヒューマンな感情があり、そこが人々が支持するゆえんであろう。

シェリング気迫と円熟の至芸であり、その一点一画もゆるがせにしない音楽の作り方は、一貫した力に満ちた真に辛口の音楽とでも言えるところであり、レコード並みの完璧さでありながらライヴならではの感興の盛り上がりに聴き手は息もつくことができない。

無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番も冒頭から終曲まで異常な求心力で演奏される。

中でも終曲シャコンヌは、音楽的に全く隙のない構成力とそれを余すところなく聴かせる表現の巧みさ、そして緊張感の持続が最後の一音まで貫かれていて、最後の一音が消えると、この世ならざる感動に満たされ、演奏が終わった時に聴衆が息を呑む一瞬が印象的だ。

このシャコンヌを聴くと、シェリングが作品のひとつひとつの音のもつ意味というものを、いかに考えているかがよくわかる。

2曲のソナタのピアノ・パートは彼としばしば共演したマイケル・イサドーアで、控えめながら端正で確実な演奏が好ましい。

このようなライヴが、かつて日本で存在したことにも感謝したい。

また、シングルレイヤーによるSACD化により音質も大変良くなり、従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

シェリングのヴァイオリンの弓使いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、まるでシェリングが顔前にいるかのようなリアリティさえ感じられ、あらためてSACDの潜在能力を思い知った次第だ。

いずれにしても、1976年の日本での偉大なコンサートがこのような最上の音質で聴けることを大いに喜びたい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:45コメント(0)トラックバック(0) 

2015年07月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



このセットはモーツァルト没後200周年記念として1990年にフィリップスから刊行された全180枚のCDからなる『ザ・コンプリート・モーツァルト・エディション』の第8巻「ヴァイオリン協奏曲集」及び第9巻「管楽器のための協奏曲集」として組み込まれていたもので、後に割り当てられていたCD9枚を合体させた形で再販されたが、これは更にそのリイシュー盤として独立させたものになる。

多少古いセッションだが、それぞれが既に評判の高かった名演集で録音状態も極めて良好なので、入門者や新しいモーツァルト・ファンにも充分受け入れられる優れたサンプルとしてお薦めしたい。

またオリジナルのコンプリート・エディションの方は限定盤だったために現在プレミアム価格が付いており、入手困難な状況なのでコレクションとしての価値も持ち合わせている。

シェリングのソロによるヴァイオリン協奏曲は独奏用が6曲、ジェラール・プレとの『2つのヴァイオリンのためのコンチェルトーネハ長調』及び2曲の『ロンド』と『アダージョホ長調』がアレクサンダー・ギブソン指揮、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の協演で収められている。

モーツァルトのヴァイオリン協奏曲は偽作も含めると都合7曲存在するが、ここでは完全な偽作とされている第6番変ホ長調は除外して、偽作の疑いのある第7番ニ長調は採り上げている。

シェリングの清澄で潔癖とも言える音楽作りが真摯にモーツァルトの美感を伝えてくれる演奏だ。

またCD4にはアカデミア室内のコンサート・ミストレスだったアイオナ・ブラウンと今井信子のソロ、アカデミア室内との『ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調』及び『ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための協奏交響曲イ長調』の復元版も収録されている。

CD5からの管楽器奏者達は当時一世を風靡したスター・プレイヤーが名を連ねている。

2曲の『フルート協奏曲』と『アンダンテハ長調』はいずれもイレーナ・グラフェナウアーのソロ、そして彼女にマリア・グラーフのハープが加わる『フルートとハープのための協奏曲ハ長調』、カール・ライスターによる『クラリネット協奏曲イ長調』、クラウス・トゥーネマンの『ファゴット協奏曲変ロ長調』、ペーター・ダムによる4曲の『ホルン協奏曲』と『ロンド変ホ長調』、ハインツ・ホリガーの『オーボエ協奏曲ハ長調』で、オーケストラは総てネヴィル・マリナー指揮、アカデミー室内管弦楽団がサポートしている。

中でもライスターのクラリネットは白眉で、精緻で全く隙のないテクニックに彼特有の清冽な音楽性が冴え渡る演奏だ。

尚ペーター・ダムは『ホルン協奏曲』全曲を1974年にブロムシュテット&シュターツカペレ・ドレスデンとも録音しているが、こちらは1988年の2回目のセッションで、より古典的で室内楽的なスタイルを持っている。

最後の2枚に入っている4つの管楽器のための協奏交響曲については、オーレル・ニコレのフルートとヘルマン・バウマンのホルンが加わる復元版と、現在残されているオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのソロ楽器群による従来版の2種類が演奏されている。

パリ滞在中のモーツァルトによって作曲されたと推定されるソロ楽器はフルート、オーボエ、ファゴット、ホルンで、ここではアメリカの音楽学者ロバート・レヴィンがオーボエの替わりにフルートを入れ、クラリネットのパートをオーボエに移した復元版を採用している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:53コメント(0)トラックバック(0) 

2015年05月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1955年秋、モントルー音楽祭での実演録音で、シューリヒト絶頂期の姿が刻み込まれている貴重なディスク。

ハイドンの第104番「ロンドン」はロマンティックな表情が濃厚で、レア発売当時からその個性的な解釈が話題となったもので、星の数ほどあるハイドンのディスク中、間違いなく最上級を狙う演奏である。

少なくとも、筆者はハイドンと言わず、自分の知る全レコード中でもトップ10に入れたいほど愛好しており、聴いていて、こんなに幸せを感じるレコードは、それほど多くはない。

シューリヒトは、後年のモーツァルトの交響曲やブルックナーの交響曲第8番や第9番の名演から、颯爽としたインテンポを基調とする巨匠とのイメージがあるが、特に本盤に収められたハイドンの第104番は、そうしたイメージを覆すのに十分な、緩急自在の絶妙のテンポの変化を基調とする超名演だ。

ハイドンは、第1楽章の荘厳な序奏に引き続く主部の堂々たる歩み。

第2楽章は一転中庸のテンポとなるが、中間部はテンポを絶妙に変化させ、ハイドンの抒情豊かな名旋律を格調高く歌いあげている。

第3楽章は最強奏で開始するが、一瞬のゲネラルパウゼや中間部のややためらいがちなヴァイオリンの入り方の何という巧みさ。

終楽章はいつもの颯爽としたシューリヒトであるが、時折見せるテンポの変化も実に効果的だ。

どんなにロマンティックに歌っても清潔感を失うことがなく、ベートーヴェンの「田園」でも聴かせた「超レガート奏法」は、まったく浮き世を超越している。

シューマンの「第2」も、やや音質が落ちるものの、ハイドンと同様に、緩急自在のテンポを基調とした名演を繰り広げている。

第1楽章は、睡眠薬による白日夢のような序奏に始まるが、シューリヒトは我々を否応なしにシューマンの錯綜した精神の森へと誘う。

トランペットの調べが遠い叫び声のように響き、音楽は幾重にも重なった心の闇の中を進むのだが、シューリヒトの往く道は常に明るく照らされている。

第2楽章も精神的な闘争だが、まるで妖精たちの森へ迷い込んだような趣があり、第3楽章の歌もシューリヒト一流のロマンの衣裳を纏い、実に陶酔的である。

フィナーレは、心に悩みを抱きながら無理に笑っているような、ベートーヴェン的な勝利とは無縁の音楽であるが、シューリヒトは、シューマンの晦渋さを明快な音楽に翻訳して、我々を愉しませてくれるのである。

シューリヒトが素晴らしいのは、ハイドンにしてもシューマンにしても、テンポにいかなる変化を加えても、全体の造型にいささかの狂いもなく、しかも音楽の格調高さを失わないことであり、これこそがシューリヒトをしてドイツ音楽の正統派の巨匠として認知される所以なのだと思われる。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリングの独奏に合わせたせいか、テンポの変化は幾分控え目であるが、双方の渋い芸風がブラームスの楽曲に見事にコラボ。

シェリングの熾烈なまでの一途さと禁欲的な真摯さに打たれるし、格調高くぐいぐいと音楽を推進させる指揮者とあまりにも見事な独奏者のやりとりが、実に厳しく、そして美しい。

これこそ、ブラームスを聴く醍醐味と言える名演だ。

放送局音源だけに音質も優秀であり、レア当時より鮮明な音質でこれらの名演が充分堪能できるのがとても嬉しい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:36コメント(0)トラックバック(0) 

2014年12月27日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ポーランドに生まれ、10代半ばにヨーロッパの音楽都市にあいついでデビューしたシェリングは、パリに本拠を置く間にも、1935年にワルシャワでワルターの指揮によってベートーヴェンの協奏曲で大成功を収めるなど、この作品に早くから深いアプローチをみせていた。

その後の彼が、作曲ばかりか哲学や美学にも研鑽を積み、知的な音楽家としてユニークなキャリアも経たことはよく知られている。

1942年にメキシコに渡り、人道主義、社会奉仕的な精神をもって国際的な活動を重ねた彼の音楽にある高潔さや気品の高さ、厳しい造型と確かな様式感といった特質は、相通ずる面をもつS=イッセルシュテットとの間に美しく昇華している。

シェリングの数ある録音の中でも特にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は優れており、音楽性も高く、この曲のもつ美しさや魅力をたっぷりと味わえる。

シェリングのヴァイオリンはあらゆる意味で模範的と言えよう。

アクが強くなく、真摯な感情がこもっているので、曲の美しさや魅力がまっすぐに伝わってくる。

最も抵抗なく音楽の立派さ、美しさに浸れる名演だ。

とにかくシェリングはヴァイオリニストの存在をまったく忘れさせて、われわれを曲自体に結び付けることによって、音楽自体をたのしめるのである。

それを支えるのが、S=イッセルシュテットで、ハーモニーが立体的で立派さに打たれる。

シンフォニックな立体感は他のすべての指揮者を上回り、それでいて構えた硬さは皆無だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:27コメント(0)トラックバック(0) 

2014年09月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングとクレンペラーという夢の共演が実現したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の登場だ。

1957年秋のベートーヴェン・ツィクルス(その素晴らしい演奏の模様は「第9」やアラウとの協奏曲で聴くことが出来る)に続いて、クレンペラーが指揮をした1959年のベートーヴェン・フェスティヴァル(1958年はクレンペラーの生死に関わるといわれた大火傷によってベイヌムが指揮をとった)におけるコンサートのライヴ録音である。

クレンペラーはこの年、全8回のコンサートを指揮、全9曲の交響曲のほか、序曲や3曲のピアノ協奏曲(独奏はアンソニー・ディ・ボナヴェントゥラ)が演奏されたが、シェリングをソリストに迎えたヴァイオリン協奏曲の演奏は、中でもひときわ高い感銘を聴衆に与えた。

「これほどの力強さ、輝かしさ、たくましさをもって、この作品に取り組めるヴァイオリニストが現在何人いるだろうか」と、当時のデイリー・テレグラフ紙も絶賛していた。

実際、ここでのシェリングは彼独特の構成感と艶やかな音色、そして何よりもその貴族的ともいえる優雅さで全曲を圧倒し、聴き手を最後まで釘付けにしている。

さらに、クレンペラーのサポートが凄く、彼は1966年にメニューインとともにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をEMIに録音しているが、何度もリハーサルや実演を重ねたにもかかわらず、本人にとって決して満足のいく出来栄えではなかったようだ。

また、1957年のツィクルスの際にも、トッシー・スピヴァコフスキーのソロで同曲を演奏しており、レコーディングの要望もあったようだが、クレンペラーはそれを拒否。

クレンペラーのベートーヴェンのスコアに対する妥協のない厳しい姿勢を完全に理解することは、並大抵のヴァイオリニストにとっては至難の業なのかもしれない(当時41歳のシェリングはそんなクレンペラーの高い要求に応える演奏を成し遂げていると言える)。

前述したように、この1959年はクレンペラーが前年に致命傷ともいえる大火傷から不死鳥のごとく復活し、偉大なる巨匠へと変貌する基軸となった年。

実際、ここで聴かれる演奏も、第1楽章から恐ろしく張り詰めたオーケストラの緊張感のなかで始まり、EMIのレコーディングにもまして際立つ木管群とここぞとばかりに叩きつけられるティンパニの強打に打ちのめされた後、クレンペラーでしか到達し得ないであろうあまりにも気高く崇高な第2楽章を経て、怒涛のコーダで終焉を迎える第3楽章で結ばれている(その結果は聴衆の拍手が物語っている)。

このような一点もゆるがせにしない完璧な音楽のフォルムや輝かしい音色、そして何より志の高さを感じさせる高潔な精神性は、まさにクレンペラーの思い描く理想のベートーヴェン像の顕現と言えるだろう。

余白に収録されている「シャコンヌ」は、1967年(あの名演として名高いDGへの全曲録音と同じ年)に、BBCのために行われたスタジオ・ライヴにおける録音で、ここでもシェリングの音楽に対する真摯な姿勢は聴くものの胸を打つ演奏となっている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:47コメント(0)トラックバック(0) 

2014年08月29日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティ―タは、すべてのヴァイオリニストにとっての聖典とも言うべき不朽の名作である。

それ故に、これまで数多くのヴァイオリニストによって多種多様な演奏が繰り広げられてきた。

これまでの各種の演奏の中には、名演と評されるものもあまた存在しているが、それらすべての名演に冠絶する至高の超名演こそは、本盤に収められたシェリングによる2度目の録音であると考える。

録音年が1967年であり、40年以上も前の録音であるにもかかわらず、現在においてもなお、本名演に比肩し得る名演があらわれていないのは殆ど驚異的ですらある。

クレーメル(2001〜2002年)による2度目の録音なども素晴らしい名演ではあるが、それでも本シェリング盤の地位がいささかも揺らぐものではない。

シェリングの演奏が素晴らしいのは、月並みな言い方にはなるが基本に忠実であるということである。

同曲は前述のように聖典とも言うべき特別な作品ではあるが、だからと言って何か特別な演奏をしてやろうという気負いや邪心がないのである。

あくまでも、徹底したスコアリーディングによって真摯に同曲に接するという姿勢が素晴らしい。

これは至極当然のことではあるが、なかなか出来ることではないのだ。その上で、シェリングは、卓越したテクニックをベースとして、格調高く、そして情感豊かに演奏を進めていく。

長大な作品ではあるが全体の造型はきわめて堅固であり、フレージングがいささかも崩れることがなく、あらゆる音階が美しさを失うことなく鳴り切っているのは圧巻の至芸と言える。

まさに、いい意味での非の打ちどころがない演奏であり、その演奏が醸し出す至高・至純の美しさには神々しささえ感じさせるほどだ。

これほどの崇高な超名演を超える演奏は、今後ともおそらくは半永久的にあらわれることはないのではないかとさえ考えられる。

録音は、40年以上も前のスタジオ録音ではあるが、リマスタリングを繰り返してきたこともあって、十分に満足し得る音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:55コメント(0)トラックバック(0) 

2011年12月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングは、バッハのこの名作を初期と円熟期の2度にわたって録音しているが、この初期の録音は、音質は少し古いにもかかわらず、このヴァイオリニストの多くの録音の中でも特別の名演に位置づけられているひとつである。 

シェリングの積極的な意欲が強烈に訴えかけてくる演奏だ。

バッハの楽譜を克明に読み、作品の意思を汲み取ろうとする姿勢が演奏に直接反映されており、それが無伴奏ながら本質的にポリフォニックなこの音楽の構造を、はっきりと際立たせる表現を生む。

確信をもって、しかも力強い説得力を伴って聴かせるシェリングの演奏には、人間の計り知れない力をみる思いがする。

その一点一画をゆるがせにしない音楽のつくりかたは、かつてのシゲティを思わせるものがあるが、それよりもさらに表情の豊かな演奏だ。

厳格一点ばりのバッハではなく、厳格さのなかにヒューマンな感情があり、そこが人々が支持するゆえんだろう。

ここでは、彼独自の清潔さや厳しさが豊かに示されているだけでなく、初々しさやひたむきさが最大限に発揮され、非常に真摯で純度の高い表現が打ち出されている。

《パルティータ第2番》の有名な「シャコンヌ」を聴くと、この人が作品のひとつひとつの音のもつ意味というものを、いかに考えているかがよくわかる。

そして、そこに潤いのあるみずみずしい歌や張り詰めた情熱のほとばしりなどもが随所に示されたこのバッハは、シェリングの最も真剣で気高い演奏を記録した録音なのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:49コメント(0)トラックバック(0) 

2010年12月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



《ブランデンブルク協奏曲》をマリナーは3度録音したが、これは、1980年に録音された2度目のもの。

1971年録音の旧盤では、故サーストン・ダートの校訂した版を使用していたが、今回は通常の版によっている。

旧盤ほどの新鮮な解釈はみられないにしても、演奏の洗練度やアンサンブルの緻密さなどには1日の長がある。

弦の軽快な流動感、明確な造形感覚、そして生き生きとした情感が演奏の隅々にまで行き渡っている。

シェリング(vn)、ホリガー(ob)、ランパル(fl)などの名手を迎えたことが演奏を充実させ、雰囲気を豊かに、華やかにしている。

マリナーの表現自体は極めてオーソドックスで、バロック・スタイルを際立たせることなく、スコアをあるがままに音化しようとしており、そこに独特な解釈は殆どみられない。

《管弦楽組曲》は全体に現代的感覚にあふれた若々しい表現で、マリナーが緩急起伏の対比をくっきりとつけながら、それぞれの曲を精巧にまとめている。

ことに第2,3番の序曲や「ガヴォット」は、彼の長所がよく現れていて聴かせる。

いずれもバッハの音楽の精神をしっかりとつかんだ秀演で、ソリストたちも立派。

《ヴァイオリン協奏曲集》は、シェリングのバッハの音楽に対する深い傾倒と研鑽が集約的に示された演奏。

旧録音と解釈上に大きな変化はないが、どのフレーズも一段と身についたものになり、表現に深みが加わっている。

例えば第2番の第1楽章の中間部のアダージョの深々とした感情の表し方に、それが出ている。

第1番もよくまとまった演奏で、両曲ともに第2楽章が傑出している。

マリナーの指揮も柔らかで美しく、オケも控えめではあるが見事な演奏。

《2つのヴァイオリンのための協奏曲》では、アッソンも好演。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0) 

2010年07月24日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シェリングとルービンシュタイン共演による1960年代の名全集。パールマンとアシュケナージ盤が新世代を代表する全集なら、こちらは旧世代を代表する全集といえよう。

シェリングを世界の檜舞台に引っ張り出したのはルービンシュタインその人だった。

1954年、ルービンシュタインはメキシコを演奏旅行するが、そのときメキシコに帰化して活動していたシェリングと出会った。

2人は音楽的に認め合えただけでなく、ともにポーランド出身で亡命生活を余儀なくされている者同士だった。

ルービンシュタインはアメリカにシェリングを紹介し、名刺代わりにRCAに一連の録音を行なった。

その中の最も大きな成果がこのブラームスのソナタ集である。

19世紀的なサロンの空気を知るルービンシュタインのロマンティックなピアノに乗って、シェリングがブラームスの旋律美と憂愁を端正に、かつ情熱的に歌い上げている。

録音時、シェリングは42歳だったが、世間的にはまだ新鋭。ルービンシュタインは73歳に手が届く巨匠であった。

そんないきさつから、ここではルービンシュタイン主導の演奏が繰り広げられる。

シェリングは大家ルービンシュタインを前にして、多少引っ込み思案気味。

端正な美音を誇るシェリングだが、この時期の彼は、巨匠を前にしてまだ多少かしこまっている印象を受ける。

例えば第1番第3楽章がそうだ。

しかしシェリングが生み出す端正な表情は、ルービンシュタインの絶妙なサポートのもとで、ブラームスの古典的な気質をクローズアップしている。

そこを評価したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 17:09コメント(2)トラックバック(1) 

2010年06月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



技術も素晴らしく、コモンセンスのある名演として万人に薦められるのは今は亡きシェリングの盤。

1975年、独奏者57歳の録音で、我を張ることなく、作品そのものの情緒を聴かせてくれる。

パガニーニのヴァイオリン協奏曲の全曲録音はやっていないシェリングだが、第3番を蘇演したほどパガニーニへの思い入れは深かった。

真摯に音楽と対決し、腕にまかせて弾きとばさず、じっくりと訴えかけるパガニーニだ。

彼が弾くパガニーニの協奏曲は技巧展示曲の域を脱し、音楽作品としての魅力をたたえているのが特色。

美音を駆使、難技巧をそれと感じさせないで鮮やかに克服している。

シェリングは全6曲中の4曲を録音しているが、代表作と言うべき第1番に、彼の持ち味のすべてが集約されている。

併録のヴァイオリン協奏曲第4番でもパガニーニ独特の抒情性を歌い上げる気品ある1枚。

彼には138年ぶりに蘇演をはたした第3番の歴史的名演もあるが、それに劣らずこの演奏はシェリングのパガニーニを強く印象づける。

旋律はもとより技巧的な箇所の隅々まで美音で丹念に弾きまくる。

かくも美しく"音楽的"に聴かせる演奏はあっただろうか。

第1番の終楽章の驚嘆すべき弓の使い方、第4番の第2楽章のフラジオレット奏法の美しさなど、パガニーニをこれだけ流麗にまとめあげる完璧なテクニックと音色を持ったソリストは他にいない。

ギブソン指揮のオケも流麗に鳴っており、大変美しく、イタリア的雰囲気をかもし出している。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:53コメント(0)トラックバック(0) 

2010年04月23日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



待望の正規盤CD化で、放送局音源だけに音質も優秀である。

シューリヒトのハイドンの交響曲第104番「ロンドン」は、星の数ほどあるハイドンのディスク中、間違いなく最上級を狙う演奏である。

少なくとも、私はハイドンと言わず、自分の知る全レコード中でもトップ10に入れたいほど愛好する。

第1楽章から奇跡の連続技である。威厳のある序奏にはすでに儚さも同居し、主部に入ると貴婦人のような優雅さで、聴く者を魅了する。

どんなにロマンティックに歌っても清潔感を失うことがなく、ベートーヴェンの「田園」でも聴かせた「超レガート奏法」は、まったく浮き世を超越している。

第2楽章も、優しく懐かしい歌から迫力ある部分まで、表現に無限の段階があり、テンポ感覚の自在さは誰にも真似できない。

メヌエット主部にも、音楽に根元的な活力、生命力があり、トリオの哀感と好一対をなす。

フィナーレも、速めのテンポの中に様々なニュアンスを湛えた名演中の名演。聴いていて、こんなに幸せを感じるレコードは、それほど多くはない。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、シェリングの熾烈なまでの一途さと禁欲的な真摯さに打たれる。

シューリヒトの指揮は格調の高いもので、ゆとりのある堂々たる進行が素晴らしい。

シューマンの交響曲第2番もあまりに素晴らしい。シューリヒトのロマン性が、自由に羽ばたいているからである。

第1楽章は、睡眠薬による白日夢のような序奏に始まるが、シューリヒトは我々を否応なしにシューマンの錯綜した精神の森へと誘う。

トランペットの調べが遠い叫び声のように響き、音楽は幾重にも重なった心の闇の中を進むのだが、シューリヒトの往く道は常に明るく照らされている。

第2楽章も精神的な闘争だが、まるで妖精たちの森へ迷い込んだような趣があり、第3楽章の歌もシューリヒト一流のロマンの衣裳を纏い、実に陶酔的である。

フィナーレは、心に悩みを抱きながら無理に笑っているような、ベートーヴェン的な勝利とは無縁の音楽であるが、シューリヒトは、シューマンの晦渋さを明快な音楽に翻訳して、我々を愉しませてくれるのである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:26コメント(0)トラックバック(0) 

2009年04月17日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲で、最も抵抗なく音楽の立派さ、美しさに浸れる名演だ。

この曲の録音中、最も癖のない演奏だろう。

音色にも表現にも過不足がなく、それでいて物足りないかといえば、そうではない。他の誰よりも音楽の魅力を堪能させてくれるのだ。

部分的にはもう少し奔放な表情などもほしい気もするが、それはあくまで趣味の問題である。

万人向きで、これだけハイクラスの名演も珍しい。

とにかくシェリングはヴァイオリニストの存在をまったく忘れさせて、われわれを曲自体に結び付けてくれる。

シェリングの3度目の録音で、純粋という言葉がぴったりの、崇高なまでの美しさにあふれた演奏である。

ロイヤル・コンセルトヘボウならではの、ふくよかであたたみのある響きとともに、彫琢された音楽をつくりあげていて立派だ。

ことにがっしりとした風格をもった第1楽章は立派である。

2つのロマンスはハイフェッツのコクのある表現とグリュミオーの美しい音色をあわせもったもので、両曲とも、繊細な感覚で丹念に表現しているところがよい。

たかだか10分にもみたない曲を、これほど気高く演奏できるヴァイオリニストというのも、珍しい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:03コメント(0)トラックバック(0) 

2008年10月02日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューベルト、シューマン、ブラームスといったドイツ=オーストリア系ロマン派音楽に関心をもつ3人の大家たちの組み合わせ。

この3人はそれぞれが勝手な自己主張をするというのではなく、ピアノ三重奏という演奏形態のスリルと面白さを合わせて味わわせてくれる。

堂々とした恰幅と美しい音色で叙情性豊かな歌を繰り広げるルービンシュタイン、それにフルニエ独特のニュアンスに満ちた気品の高さとシェリングの真摯で高潔な音楽が加わり、互いの個性を充分に生かしながら見事に調和の取れた世界を形づくる。

また、これらの作品のロマン的な詩情も実によく理解した演奏になっている。

特に、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番第1楽章冒頭のルービンシュタインのピアノを背景にフルニエが主題を歌い始めるところからすでに素晴らしい世界を予感させるが、そこにシェリングが加わったときの共感の輪が大きく広がる室内楽的喜びはまさに至福の境地。

各人がかなり自由に音楽を奏でながら、造形が崩れることなく音楽に緊張感が保たれているのも素晴らしい。

それに加えて、ルービンシュタインはこれらの楽曲における自分の立場というものをわきまえ、バランスを巧みに整理している。

緩徐楽章の詩的な美しさも特筆ものである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 06:30コメント(0)トラックバック(0) 

2008年09月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1988年に世を去ったバッハ演奏の権威シェリングの録音で、彼のバッハの音楽に対する深い傾倒と研鑽が集約的に示された演奏。

骨格のたくましい、線の太い演奏で、表現に深みが加わり、バッハの音楽のもつ構成的な美しさと精神的な深さを、あますところなく表出している。

例えば第1番の第1楽章の中間部のアダージョの深々とした感情の表し方に、それが出ている。

第1番はシェリングの音色の美しさが抜群で、愁いの心や訴えが切々と迫り、オーケストラも毅然として熾烈な響きとリズムをもつ。

第2番は流麗によく歌い、情感とニュアンスにあふれており、柔らかく深く厚いハーモニーで独奏を支えるオーケストラも見事だ。

よくまとまった演奏で、両曲ともに第2楽章が傑出している。両曲ともバッハの音楽を存分に味わわせてくれる。

リバールも好演。コレギウム・ムジクム・ヴィンタートゥールの響きも柔らかで美しい。

現代的な解釈による最もオーソドックスな演奏だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:00コメント(0)トラックバック(0) 

2007年12月19日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



最近はバロック・ヴァイオリンによる演奏も含めて、《無伴奏ソナタとパルティータ》をさまざまな様式で聴くことができる。

それは、バッハの音楽が持つ包容力の大きさを示すものではあるが、多彩な演奏を聴いていると、時として端正で折り目正しい演奏を聴きたくなる。

そのような時に、まず思い出されるのがシェリングの演奏である。

シェリングの弾くバッハは、《無伴奏ソナタとパルティータ》に限らず、常に明確な構成力と豊かな感情に裏付けられている。

それが演奏に安定感をもたらし、ひとつひとつのフレーズに表情を与え、結果として堅固でスケールの大きな演奏を生み出す。

シェリングの演奏は決してヴィルトゥオジティを意識させることはなく、ヴァイオリンの美感を強調することもない。

それはヴィルトゥオジティが音楽の本質と固く結びついているためで、感覚に媚びることがない。

そこから自然に生ずる格調が、聴く人に音楽を高い次元にあると意識させるのである。

バッハの厳しく深い精神と暖かく豊かな人間性がヴァイオリン・ソロという最小限の媒体を介して表現されている音楽を、シェリングは謙虚な姿勢と強い確信をもって演奏している。

シェリングは《無伴奏ソナタとパルティータ》を2度録音しているが、円熟期に録音されたこの再録音を採るべきであろう。

解釈がいっそう深まり、音楽との一体感が強まっているからである。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 19:09コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ