ミルシテイン
2020年03月11日
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ナタン・ミルシテイン(1903-1992)が円熟期に録音した総てのグラモフォン音源を纏めたセットになり、2度目のバッハの無伴奏を始めとする新録音の協奏曲集と、彼にとっては比較的レアなピアノ伴奏による小品集が収録されている。
バッハはそれまで多くのヴァイオリニストが踏襲していたひと時代前のロマンティックな奏法を捨てた、より原典主義に近付いたミルシテイン独自の解釈が聴きどころだ。
何よりも手アカのついた精神性とは無縁の、それでいてネオロマン風の外面的な美しさとも質の違う、活々とした生命感あふれる音楽の流れが心地よい。
内包した精神のエネルギーの大きさを感じさせる正確でアグレッシヴなリズム、オルガンを思わせるポリフォニックな響きの美しさ、完璧なアーティキュレーション、磨きぬかれたフレージング、そしてそれらのすべてを統一する強靭な形式感。
70歳になろうというヴィルトゥオーゾの到達した音楽世界の豊かさには驚くばかりだ。
チャイコフスキー、メンデルスゾーン、ブラームスの協奏曲では彼らしい飾り気のない、しかし凛とした覇気と気品を感じさせる。
特にチャイコフスキーが名演で、すっきりとした淡白な表現だが、強弱のニュアンスがまことに豊富であり、歌と情感に満ち、節回しの微妙な色合いや個性もよく出ている。
チャイコフスキーのセンチメンタリズムからは程遠いが、およそヴァイオリニスティックな美しさという点では他に比べるものがない。
アバド指揮ウィーン・フィルのリズミカルでキリリと引き締まった伴奏と相俟って、これは最も爽やかでスタイリッシュなチャイコフスキーだ。
メンデルスゾーンも独特の気品ある美しさを発散しており、洗練された技巧と音色が光っている。
ミルシテインの特徴であるこの上ない自発性、曲の形式感に対する知的なアプローチ、清潔で暖かみのある音色、正確無比なアーティキュレーション、ずば抜けたリズム感が生み出す躍動感、そういったものが一体になり、アバド指揮ウィーン・フィルの名伴奏も相俟って、メンデルスゾーンの世界を見事に描き出している。
ミルシテインは切れ味鋭いテクニックの持ち主だが、それを誇示することなくひたすら音楽表現に生かすタイプのヴァイオリニストだった。
ブラームスにもそうした芸風が端的に現れており、毅然として聴衆に媚びず、力強い響きによって弾き進めるブラームスはこの曲の表現のひとつの理想と言えるだろう。
そして何より、ここで共演しているヨッフム指揮のウィーン・フィルが見事と言うほかなく、ブラームスの協奏曲でオーケストラが単なる伴奏役にとどまらないのは言うまでもないが、ここではソロと同等、時によってはそれ以上に発言するオーケストラの芳しいばかりの表現にも心惹かれる。
またアンコール用の小品集がCD1枚を占めているが、ここにも彼の非凡さが良く表れていて、甘美でコケティッシュなクライスラーなどには目もくれず、一捻りした選曲が興味深い。
超絶技巧ものでは『ホラ・スタッカート』ではなく自作の『パガニニアーナ』で彼のヴィルトゥオジティが披露されている。
ところで、ミルシテインの録音は、これだけの名声を勝ち得た大家としては、その数はむしろ少ないと言ってよいだろう。
だが幸いなことに残された録音は皆レベルの高い粒よりの演奏だし、大曲の録音にまじって結構たくさんの小品集も録音され、彼のヴィルトゥオーゾとしての全貌を知る上で貴重なドキュメントとなっている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2017年11月06日
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このディスクはプラガ・ディジタルスのレギュラー・フォーマット盤で、従来のSACDシリーズではないことを断わっておく。
ライナー・ノーツにはフリッツ・ライナーの指揮するブラームスとサン=サーンスが1961年にニューヨークで、シャルル・ミュンシュ指揮のブロッホが1957年にボストンでそれぞれ録音され、エンジェル・レーベル原盤と記載されている。
またケース裏面にはスタジオ・ステレオ・レコーディングからのリマスターと書かれているが、実際鑑賞してみると明らかにモノラル録音の擬似ステレオ化であることが感知される。
EMIでは1958年から正規のステレオLP盤の販売を始めているので、これらのオリジナル・マスター・テープが複数トラックで録音された可能性は考えられるが、このCDがどういう経緯で擬似ステレオ・マスターを使ったのかは知る由もない。
ごく一部に経年劣化と思われる音の揺れが聞かれるが、音質自体は良好で特にソロ楽器はモノラル最後期の鮮明で芯のあるサウンドが甦っている。
いずれもピアティゴルスキー50代円熟期の演奏で、気力の充実した自由闊達な奏法と流暢なテクニックが示されている。
またブラームスの二重協奏曲では同郷出身のミルシテインが巧妙に合わせた力強くもしなやかなデュエットが聴きどころだろう。
ブラームスとサン=サーンスではライナーの厳格な統率と思い切りの良いダイナミズムがサポートするRCAヴィクター交響楽団からも伝わってくる。
一方ブロッホのヘブライ狂詩曲は大規模なオーケストレーションからミュンシュによって引き出されるカラフルなサウンドをバックに浮かび上がるピアティゴルスキーの鮮やかなソロが印象的で、この作品の哲学的というよりはむしろ表現主義的なプロフィールを強調した解釈にも説得力がある。
20世紀前半のアメリカは音楽家も移民系が圧倒的な実力を発揮した時代で、指揮者のトスカニーニ、オーマンディ、ライナー、ヴァイオリニストのハイフェッツ、ミルシテイン、チェリストのフォイアーマン、ピアティゴルスキー、ピアニストではホロヴィッツやゼルキン、オペラではカルーソを始めとするイタリア勢というように枚挙に暇がない。
その殆んどが市民権を得てアメリカに永住している。奇しくもこのディスクの3人の演奏家、ライナー、ピアティゴルスキー及びミルシテインがそれを象徴している。
彼らにしてみれば当初はより開かれた演奏活動の新天地を切り開くための渡米だったに違いないが、結果的に彼らはアメリカ生まれのニュー・ジェネレーションの後継者たちを着実に養成することになり、ヨーロッパに対抗できるだけの楽壇のレベルに導いた貢献者でもあり、現代のアメリカ・クラシック音楽界の基礎を創ったといっても過言ではないだろう。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2015年09月28日
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1曲目のゴールトマルクの『ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調』は、ミルシテインの洗練を極めたヴァイオリンの音色とそのテクニックが驚異的で、この曲の真価を正統的に示した名演と言えるだろう。
ハンガリーの作曲家、カロリー・ゴールトマルクのこの作品は、作曲年代からすれば後期ロマン派の範疇に属しているが、ミルシテインは艶やかで透明な音色をフルに活かしながらも、恣意的な表現や感傷を斥け潔癖とも言える解釈で作品の構造と本来のロマン性を明らかにしている。
この時代において早くも耽美的な演奏から脱却し、よりモダンなヴァイオリン奏法を実践したヴァイオリニストとしてのミルシテインの存在は鮮烈な印象を与えている。
全曲を通じて非常に完成度の高いセッションだが、とりわけ終楽章のポロネーズのリズムに乗った天翔るような自由闊達さとカデンツァの覇気に満ちた推進力は格別だ。
ハリー・ブレック指揮するフィルハーモニア管弦楽団との協演で、筆者が過去に聴いたこの曲の録音の中でも傑出した演奏だと断言できる。
2曲目のブラームスでも切れ味の良いソロが冴え渡っているが、第1楽章のカデンツァはミルシテイン自身の手になるもので、通常多くのヴァイオリニストが弾くヨアヒムやクライスラー版とはまた趣きを異にしたオリジナリティーを感じさせる。
第2楽章のカンタービレでも曲想の流れに任せる古いロマンティシズムの表現とは常に一線を画した、高踏的なスタイルをミルシテインが既に確立していたことが理解できる。
終楽章では歓喜する輝かしいヴァイオリンの動きにぴったり寄り添うフィストゥラーリ指揮によるフィルハーモニア管弦楽団のドラマティックに盛り上がるサポートも聴きどころだ。
ゴールトマルクが1957年、ブラームスが1960年のロンドンにおけるセッション録音で、どちらもエンジェルのオープン・リール・ステレオ・テープからのDSDリマスタリングと記載されている。
オリジナル・マスターの保存状態も良く、SACD化の効果も明瞭に出ている成功例のひとつだ。
尚最後に置かれたバッハの『無伴奏パルティータ第2番』からの「シャコンヌ」は全曲演奏ではなく何故か6分52秒で終わっている。
ライナー・ノーツには1956年8月6日のザルツブルク・ライヴからのプライベートなモノラル音源と表記されているが、不思議にもライヴ特有のノイズは全くない。
この演奏も透徹したミルシテインの緊張感とその音質が素晴らしいだけに中途半端な編集が惜しまれる。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2015年03月15日
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バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータは、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異である。
しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。
1つの楽器に可能な限り有効な音を詰め込み、表現の極限に挑戦したバッハの意欲的な創作と、調性による曲の性格の違いを明確に描かなければならない難曲でもある。
そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。
そのような千軍万馬の兵たちの中で、ミルシテイン盤はどのような特徴があるのだろうか。
本盤は、ミルシテインにとって最初の録音であるが、先ず特筆すべきは、超人的な名人芸ということになるだろう。
圧倒的な技巧と表現力で演奏された無伴奏で、実に鮮やかとも言うべき抜群のテクニックである。
肉付きの良い音色が、完全に削ぎ落とされ、ソリッドな表現となって聴き手を突き刺す。
もちろん、卓越した技量を全面に打ち出した演奏としてはハイフェッツ盤が掲げられるが、ミルシテインは、技量だけを追求するのではなく、ロマン的とも言うべき独特の詩情に溢れているのが素晴らしい。
非常に快速なテンポで弾き進められて行くが、卓越した技巧に支えられた音色は美しく格調高い。
非人間的な音は1音たりとも発することはなく、どの箇所をとっても、ニュアンス豊かで、詩情豊かな表情づけがなされているのが見事である。
美音と歌心を主体とする優美な演奏のようにも聴こえるが、現代楽器を使用したシャコンヌの変奏の極めつけ。
現代楽器で30の変奏を完璧に描きわけ、かつ主題、動機の変形、装飾音、バスを見事に弾き分けている。
流麗な和声に溺れる「安いバッハ」とは次元が全く違い、「この部分は精神的に」などと戯けたことを発想するレベルでは全く理解不能な音楽で全く見事。
「美しい」という言葉が見当違いと思えるほどあらゆる要素を厳しく追い込んでおり、音の揺れ1つにすら意味がある。
思い入れたっぷりに弾かれた無伴奏より数段楽しめるし、ケーテン時代の作風やそれまでの無伴奏の伝統を考えればミルシテインの方が本来ではないかと思えるのである。
最近話題になったクレーメルによる先鋭的な名演などに比較すると、いかにも旧スタイルの演奏とも言えるが、このような人間的なぬくもりに満ち溢れた名演は、現代においても、そして現代にこそ十分に存在価値があるものと考える。
比類なき技巧と音色美、精神的な深さが見事に同居した稀有のアルバムと言えよう。
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2014年06月14日
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古くからのファンにとってはミルシテインとボールトの夢の競演と言えよう。
しかもベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲である。
ボールト卿がベートーヴェンの中でもっとも愛したのではないかと思われるのがヴァイオリン協奏曲。
9つのシンフォニーよりもスケールの大きなこの曲を料理するのは容易ではない。
スークとボールトとの共演の名盤があるが、これが緻密すぎると感じる向きにお薦めなのがこのCDだ。
ここでは、珍しく序奏からテンションが高い。
ライヴということもあるのか、ミルシテインの個性からか、いずれにしても白熱しつつも、大変格調の高い名演奏だ。
ミルシテインは引き締まった造形だが、随所にはっとするような、閃きに満ちた清冽な歌がある。
エレガントでスタイリッシュと言うと表層的な演奏という印象を与える心配があるが、ミルシテインの演奏は(特にカップリングされた曲)ほんとうにかっこいい。
そして気品に満ちている。
露ほどのケレン味もなく、くどさや泥臭さとは一切無縁。
しかも、なんと美しい音色なのだろう。
BBCのこのシリーズは実演ならではの白熱した見事なパフォーマンスが楽しめる注目盤が多い。
その中でも録音状態も良好で十分に鑑賞に堪え得る名CDだ。
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バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」は、作曲されてから約300年が経っているにもかかわらず、今なお世界のヴァイオリニストが弾きこなすのを究極の目標とするというのは殆ど驚異であると言える。
しかも、無伴奏のヴァイオリン曲という分野でも、このバッハの曲を超える作品は未だに存在しておらず、おそらくは、今後とも未来永劫、無伴奏のヴァイオリン曲の最高峰に君臨する至高の作品であり続けるものと思われる。
そのような超名曲だけに、古今東西の著名なヴァイオリニストによって、これまで数多くの名演が生み出されてきた。
そのような千軍万馬の兵たちの中で、ミルシテイン盤はどのような特徴があるのだろうか。
本盤は、ミルシテインの1957年ザルツブルク音楽祭に於けるライヴ録音であるが、先ず特筆すべきは、超人的な名人芸ということになるだろう。
実に鮮やかとも言うべき抜群のテクニックであると言える。
もちろん、卓越した技量を全面に打ち出した演奏としてはハイフェッツ盤が掲げられるが、ミルシテインは、技量だけを追求するのではなく、ロマン的とも言うべき独特の詩情に溢れているのが素晴らしい。
非人間的な音は一音たりとも発することはなく、どの箇所をとっても、ニュアンス豊かで、詩情豊かな表情づけがなされているのが見事である。
特に「シャコンヌ」は全ての演奏の中でも頂点を極めていると言えるところであり、聴いていただければお分かりになると思うが、この演奏は信じられない程の緊張感に満ちている。
ミルシテインが如何にライヴで力を発揮するタイプだったのかということを理解できると思う。
最近話題になったクレーメルによる先鋭的な名演などに比較すると、いかにも旧スタイルの演奏とも言えるが、このような人間的なぬくもりに満ち溢れた名演は、現代においても、そして現代にこそ十分に存在価値があるものと考える。
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2014年03月15日
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ホロヴィッツ&ワルターのブラームスは驚くべき名演奏である。
1936年、アムステルダムに於ける実況録音で、若き31歳のホロヴィッツと、59歳のワルターががっぷり四つに組み、火花を散らして闘っているのだ。
それにしてもワルターの気迫は物凄く、凄まじい緊迫感にあふれたリズム、アクセント、速いテンポによる推進力、ティンパニの最強打、特に第1楽章のコーダは阿修羅のようだ。
しかもむきになって造型を崩すことがなく、アンサンブルもぴったりと決まっている。
ワルターはレコード録音と実演との差があまりなかった指揮者らしいが、このブラームスは特別な例なのだろうか。
新鋭の天才ピアニスト、ホロヴィッツとの協演、メンゲルベルクが君臨するアムステルダム・コンセルトヘボウへの客演など、種々の要素が絡み合って、このように火と燃えた演奏が可能になったのであろう。
このブラームスはあたかも鬼神が乗り移ったかのように、エネルギーを完全に音化し切っているのだ。
終楽章の歯切れの良いリズムや、興奮の極と言いたい加速の効果も見事だが、そうした迫力と共に、憧れにせつなく燃えつきる歌や、フルトヴェングラーを思わせるような聴こえないくらいのピアニッシモや、あえかな木管のデリカシーにおいても、ワルターは別人のように思い切った表情を見せるのである。
彼は客演のとき、そのオーケストラの特質を充分に生かす指揮者であった。
全曲にわたって、あのメンゲルベルク節とも言える、濃厚で脂切ったポルタメントやヴィブラートが頻出するのはその表れだが、もちろんワルターには様式ぶった人工的なテンポの動きは見られない。
ホロヴィッツの演奏もまさに言語を絶するすばらしさで、何よりも人間業を超えたテクニックの冴えに舌を巻くし、魔術的とさえ言えよう。
しかも技術に溺れず、音楽を最大限に生かし抜くのだ。
感じ切ったピアニッシモから超人的なフォルティッシモまで、表現の幅は著しく広く、自然なルバートが多用されて音楽を息づかせ、表情の強い歌や情感も決してワルターに負けてはいない。
そしてカデンツァでは猛然たるアクセントと共に、奔放な即興性さえ見せるのである。
第1楽章に100小節ほどのカットがあるが、これは録音盤の破損によるものらしく、残念だが仕方がない。
1950年の録音であるミルシテイン&ホロヴィッツのブラームスは、両者共に壮年期の演奏で、お互いにニュアンスのある表現を生み出しつつも、、細部にこだわらずに全体を通す、といった感が強く、そうした中での個性の生かし方がとても興味深い。
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2012年07月19日
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ブラームスは1957年8月17日、ルツェルン、クンストハウスでのライヴ録音。
ナタン・ミルシテインとカラヤンという極めて珍しい組み合わせ(ファンにとってはまさに夢の共演!)のブラームスのヴァイオリン協奏曲の登場だ。
筆者の記憶が正しければ、この後ミルシテインは2度、カラヤンは3度にわたり同曲をスタジオ録音している。
カラヤンは、フェラス、クレーメル、ムターと録音しており、特にムター盤は名演の誉れが高いが、いずれも、若きソロ奏者を引き立てつつも、どちらかと言えば、カラヤンペースでの演奏と言った傾向があったのは否めない事実である。
ところが、本盤では、両者ともにその個性をぶつけあっており、その後の両者の発展を予感させる名演ということが出来るのではなかろうか。
当時、カラヤンはベルリン・フィルを手中におさめ、飛ぶ鳥を落とす勢いだったこともあり、演奏にエネルギッシュな力感が漲っていたことも功を奏しているのかもしれない。
ミルシテインのヴァイオリンも、艶やかで色彩豊かな音色は比類がなく、カラヤンもミルシテインのヴァイオリンを活かしつつ、ルツェルン祝祭管弦楽団を生命力溢れる力強さで統率して、地にしっかりと足がついた力感溢れる重厚な演奏を繰り広げている。
録音は、1950年代のモノラル録音であり、特に、オーケストラの音色がやや荒っぽく聴こえるが、ヴァイオリンの音色は鮮明に捉えられており、欲求不満を感じるほどではない。
シベリウスは、ヨッフムにとっても珍しい選曲であり、ドイツ風の野暮ったさを感じないわけではないが、決して凡演ではなく、ギンぺルのヴァイオリンともどもなかなかの好演を繰り広げていると言えよう。
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2012年03月09日
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ロシア出身の名ヴァイオリニスト、ミルシテイン2度目の『無伴奏』全曲録音。
この曲の演奏では、数多くのすぐれた録音の中でも、ミルシテインの新盤があらゆる面で傑出している。
20世紀に活躍したヴァイオリニストの中でも指折りのテクニシャンとして知られたミルシテインだが、ここでは端正な表現からにじみ出る清新な詩情、あくまで落ち着いた身振りの中にも感じられる厳しく気高い姿勢など、この作品が求める美と精神性をもっともバランス良く実現、名盤中の名盤として高い評価を受けている。
何よりも手アカのついた精神性とは無縁の、それでいてネオロマン風の外面的な美しさとも質の違う、活々とした生命感あふれる音楽の流れが心地よい。
内包した精神のエネルギーの大きさを感じさせる正確でアグレッシヴなリズム、オルガンを思わせるポリフォニックな響きの美しさ、完璧なアーティキュレーション、磨きぬかれたフレージング、そしてそれらのすべてを統一する強靭な形式感。
70歳になろうというヴィルトゥオーゾの到達した音楽世界の豊かさには驚くばかりだ。
技巧的にもまったく衰えを感じさせぬばかりか、音も表現も旧盤に比べて、いちだんと深みを増している。
洗練されたすばらしい技巧により、各舞曲の性格やバッハの対位法を明らかにするなど、長年、真摯に音楽に取り組み円熟期を迎えた名手ならではの至芸と言うにふさわしい格調高い名演である。
美しく張りつめた緊張感にとんだ表現と気品高く澄んだ表現、そして衰えぬ技巧と透明でデリケートなニュアンスをたたえた音色など、バッハの音楽の偉大さとミルシテインが到達した高い境地が見事にひとつになっている。
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2009年03月12日
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チャイコフスキーが名演だ。
すっきりとした淡白な表現だが、強弱のニュアンスがまことに豊富であり、歌と情感に満ち、節回しの微妙な色合いや個性もよく出ている。
チャイコフスキーのセンチメンタリズムからは程遠いが、およそヴァイオリニスティックな美しさという点では他に比べるものがない。
第1楽章の程良いメランコリーの表出とリズミックな展開、第2楽章のソフィスティケートされた抒情、そして第3楽章のまさしく手に汗を握る完璧なヴィルトゥオジティ。
アバドのキリリと引き締まった伴奏と相俟って、これは最もスタイリッシュなチャイコフスキーだ。
特に第2楽章は静けさのうちにも心のこもった表情が豊かで、何より音色が美しい。
アバドの指揮もリズミカルでさわやかだ。第2楽章のウィーン・フィルの夢見るような木管が陶酔的。
メンデルスゾーンも独特の気品ある美しさを発散しており、洗練された技巧と音色が光っている。
ミルシテインの特徴であるこの上ない自発性、曲の形式感に対する知的なアプローチ、清潔で暖かみのある音色、正確無比なアーティキュレーション、ずば抜けたリズム感が生み出す躍動感、そういったものが一体になってメンデルスゾーンの世界を見事に描き出している。
ミルシテインは切れ味鋭いテクニックの持ち主だが、それを誇示することなくひたすら音楽表現に生かすタイプのヴァイオリニストだった。
このブラームスの演奏にもそうした芸風が端的に現れている。
毅然として聴衆に媚びず、力強い響きによって弾き進めるブラームスはこの曲の表現のひとつの理想と言えるだろう。
しかも、音楽の佇まいはつねに清澄である。
そしてなにより、ここで共演しているヨッフム指揮のウィーン・フィルが見事というほかない。
ブラームスの協奏曲でオーケストラが単なる伴奏役にとどまらないのは言うまでもない。
ここではソロと同等、時によってはそれ以上に発言するオーケストラの芳しいばかりの表現にも心惹かれる。
聴き込めば聴き込むほどに味わいが増す類の名演である。
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2009年01月18日
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ミルシテインが最も得意としていたレパートリーである。
特にドヴォルザークはいかにも彼らしい自由なファンタジーと、豊かな旋律の美しさに彩られた作品だが、その反面造形的な統一感に乏しく、それが演奏の難しさともなっている。
ミルシテインは都合3回もドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲を録音し、特別な愛情を表明しているが、やはり全盛期のスタインバーグとの協演が最も良い。
ミルシテインらしい端正で、気品に満ちた演奏である。
彼はこの両曲をフリューベック・デ・ブルゴスと再録音しているが、美しく研ぎ澄まされた表現と、情緒に溺れることのない端正なロマンと歌が洗練された感覚で織りなされたこの演奏は特にすばらしい。
2曲ともミルシテインの最も得意とするレパートリーだが、特にドヴォルザークはその音楽に充分共感を抱きながらも、センティメントやロマンティックな情感に溺れることなく、実に端麗に曲を再現しているのが見事である。
ドヴォルザークの朴訥な語り口はほとんど無視された格好だが、音色の多様さ、正確無比なアーティキュレーション、どんな難フレーズも軽々と飛び越えていく自在なテクニックは、やはり大家の風格にみちている。
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2007年12月03日
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ミルシテインについては私の友人が「ハイフェッツより断然上。ミルシテインに比べるとハイフェッツなんて下手くそ。」とまで言い切ったので、ここで疑問を呈したい。
筆者はミルシテインというヴァイオリニストがどうも苦手だ。
聴いてる最中はものすごくうまいと思うし、音色も非常に美しく感心することしきりなのだが、聴いてしばらく経つと、もうその感銘が残っていない。
ミルシテインは結局何を主張したかったのだろう?というわけだ。
ミルシテインは一見ザッハリヒなようでいて、実はニュアンス豊か。微妙な表情づけが素晴らしく、何よりテクニックが鮮やかである。
でも心を揺り動かされることがないのだ。同じスタイルでさらに優れたヴァイオリニストがいるような気がする。そう、ハイフェッツである。
ミルシテインはレパートリーの広いヴァイオリニストだったが、なぜか他の名ヴァイオリニストが自らの真価を問うシベリウスのヴァイオリン協奏曲を録音していない。
力強く豪快な表現が必要なシベリウスをレパートリーに入れていないところをこの人の見識とみるか、限界をみるか…。
筆者はそういうわけでミルシテインにあまり関心が湧かない。それでも上記「ナタン・ミルシティンの芸術」は充分に聴き応えがある。
どの協奏曲も磨き上げられた美しい音、冴えた技巧によって、鮮やかに曲想が描き出されている。
愛想の良い性格ではないが、その表情には洗練された豊かさがあり、格調が高い。
いずれも感傷とは距離を置いた爽やかな歌に、ミルシテインの柔軟な感性、時代と共に歩んできた感性を認めることができる。
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