クラウス

2015年10月26日


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1953年のバイロイト祝祭に於けるライヴ録音で、2010年にオルフェオからリリースされた時は値段が高かったのだが、このドキュメンツ盤は半額以下になり、どの程度の音質を再現できているか聴いてみたくなった。

勿論歌詞対訳などは望むべくもないことは承知の上だが、音質に関しては特に歌手達の声がほぼ満足できる状態に再現されていて、劇場の潤沢な残響も声楽に潤いを与えている。

ドキュメンツは版権の切れた過去の名演奏を低コストで提供することに主眼を置いていてリマスタリングには無頓着だが、このセットは正規音源を使ったものらしくモノラルながら鑑賞に全く不都合はない。

あえて弱点を挙げるとすればオーケストラにセッション録音のような迫力と細部の精緻さにやや欠けるところだが、これはバイロイトという特殊なオーケストラ・ピットを構えている劇場のライヴでは止むを得ないし、当時の録音方法と技術を考えれば決して悪いとは言えない。

このライヴの魅力はウィーンの名匠クレメンス・クラウスが亡くなる一年前に遺した、結果的に彼のワーグナーへの総決算的な上演になっていることで、本来クナッパーツブッシュが予定されていたにも拘らず、ヴィーラント・ワーグナーの、舞台セットよりも照明効果を重視する演出との衝突から、クラウスに白羽の矢が立ったという経緯があるようだ。

皮肉にもクラウスの死によりクナがバイロイトに復帰することになるのだが、この時の上演の出来栄えは素晴らしく、クナとは全く異なったアプローチによる、精妙な中にもダイナミズムを湛えたリリカルな仕上がりになっている。

クナほどスケールは大きくないかもしれないが、ワーグナーの楽劇として明快にしっかりとまとめられていて、長時間の作品であることを忘れさせてしまう。

クラウスの音楽を完璧に支えているのが当時全盛期にあった歌手陣で、彼らの輝かしい声によって活性化された若々しい表現が、オール・スター・キャストの名に恥じない舞台を創り上げている。

ちなみに主役級の4人は1956年にクナとのライヴでも再び顔を合わせていて、全曲盤がやはりオルフェオからリリースされている。

稀代のヴォータン歌いホッターは44歳だったが、この役柄では殆んど完成の域に達していたと思えるほど、その歌唱には説得力がある。

歌手にとっても4晩の長丁場を歌い切るには相応の体力と精神力が求められる筈だが、この時期のホッターの声による演技力にその充実ぶりが示されている。

一方ジークフリート役のヴィントガッセンにはいくらか大時代的な歌唱法が残っているとしても、強靭で伸びのある声を無理なく活かした雄大な表現はヘルデン・テノールの面目躍如たるものがある。

ヴィントガッセンも大歌手時代の最後の1人だった。

女声陣もすこぶる強力なキャスティングだが、中でもフラグスタート引退後のブリュンヒルデ歌いヴァルナイ若き日の名唱が光っている。

ニルソンの怜悧で精緻な表現に比べれば、ヴァルナイの声は暗めでより官能的な趣があり、「ブリュンヒルデの自己犠牲」での深みのあるシーンは彼女最良の舞台のひとつだったのではないだろうか。

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2015年06月16日


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ベートーヴェンを演奏して最高の巨匠であったウィルヘルム・バックハウスは、また、ブラームスでも比類のないピアニズムを示して、技巧は豪快、深い精神美とストイックな抒情性で、独特の威厳を感じさせる名演を聴かせた。

ことにブラームスの2曲のピアノ協奏曲は、バックハウスが生涯を通じて愛奏した作品であった。

とりわけピアノ協奏曲第2番は1903年という19歳の時、ハンス・リヒターの指揮で初の公開演奏して以来お得意の曲で、1954年春、初めて(そして最後の)来日した時にも東京交響楽団の定期演奏会(1954年4月12日)に上田仁の指揮により弾いている。

さらに、最後のザルツブルク音楽祭となった1968年夏のベーム指揮、ウィーン・フィル演奏会(1968年8月18日)と、同じ顔合わせによるバックハウス最後の協奏曲録音(1967年4月、ウィーン・ゾフィエンザール)でも、ブラームスの第2番がとりあげられた。

そしてこのベームとは、遥かSPレコード時代の昔にも、ザクセン国立管弦楽団の共演で《第2》をレコーディングしているのである。

いわば、ブラームスのピアノ協奏曲第2番こそ、大ピアニスト、バックハウスの名刺代わりの名曲に他ならなかった。

バックハウスを古くから聴いてきたファンの1人として思うのだが、SPとモノーラル録音のLP、そしてステレオと、前後3回にわたるブラームスの《第2》のバックハウスを聴くと、どれもベストの出来とは言えないところであり、やはり1953年にウィーンのムジークフェラインザールでライヴ録音された、クレメンス・クラウスと共演した本盤が最上の出来映えである。

歳をとっても技巧の衰えや造型力の弱まりを見せなかったバックハウスだけに、1953年という69歳の時点は全盛期のさなかと言って良かったし、指揮のクラウスもまた、端正で気品と格調の高さを感じさせる表現が円熟の極みに達して、ウィーン・フィルから至高のブラームスの響きを導き出している。

当時のウィーン・フィルに、戦後の立ち直りの早さを聴きとり、第1ヴァイオリンにボスコフスキーとバリリが並び、木管にカメッシュ(Ob)、ウラッハ(Cl)、エールベルガー(Fg)、ホルンにフライベルクといった名人級の奏者が健在だったことを想像するのも、この《第2》でのオーケストラの出来映えが、ウィーン・フィルとしても最高の水準を聴かせてくれることによる。

第1楽章、柔らかいホルンの呼び声に応じて出現するピアノの、穏やかだが精神力の込められた含蓄の深い演奏の何という雰囲気か。

木管につづくピアノのカデンツァで、次第に力感を凝集させる左手の低音、ブラームスの音楽のファンダメンタルは、この低音の雄弁さによって支えられる。

管弦楽の第1、第2主題提示の、どこか明るい響きの陰翳こそ、クラウスの表現のすばらしい聴きどころだろう。

管弦楽のシンフォニックな構成に包まれて、バックハウスのピアノは曲が進むにつれて光彩と迫力を増し、情感のふくよかさ、技巧の切れ味で圧倒的なクライマックスを作り出す。

第2楽章スケルツォをリードするピアノの厳しい表情と弦の優美な主題の見事な対比、スタッカート主題で始まる中間部の管弦楽の彫りの深さに、オクターヴをppで奏するピアノが反応する個所のバックハウス。

第3楽章でチェロ独奏が歌って行くロマンティックな旋律は、ブラームス・ファンの愛惜してやまぬ情緒の美しさだが、それを装飾するかのごとく弾くピアノの控えめな表情、軽やかなタッチ、内省的で、まさに絶妙なピアノとウィーン・フィルの弦が呼応する。

第4楽章では、バックハウスの力量と音楽性がさらに圧倒的な凝集力を見せ、クラウス指揮のきりりと引き締まったリズム感と厳しいダイナミックスは、いっそうの直截さでピアノと手を結ぶ。

1953年という録音年代にしては、管弦楽の自然な響きで捉えられ、バックハウスのピアノも力強さと柔らかいニュアンスももって再生され、古いけれど良好な音質である。

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2011年06月25日


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クレメンス・クラウスはR.シュトラウスと深い親交を結び、作曲者の信頼厚かった。

その3つのオペラの初演を手がけているクラウスの指揮は、いわば「作曲者直伝」といった意味がある。

2人の親交の深さを証明する録音として一連の管弦楽曲集があるが、この指揮者の本領はなんといってもオペラにある。

この《サロメ》は作曲当時のウィーンの退廃的気分を伝えているという意味で、今後も価値を失うことはあるまい。

R.シュトラウスの楽劇ともなれば、もっと新しい録音で聴きたいが、クラウスの持つ官能性と絶妙のニュアンスは、やはり他の追随を許さぬものがある。

過度に刺激的ではなく柔軟で瀟洒な音楽づくりは、メンデルスゾーンのオーケストラ作法も念頭に置いていたというR.シュトラウス自身の作曲観を反映したものと言うことができるかもしれない。

サロメ歌いの歴史に名を残すゴルツのサロメ役も貴重。

後年の歌手たちの妖艶ないしは強烈な役づくりとは異なり、品のいい清純さをとどめているところが、よくよく思えばかえって凄い。

作曲者が考えていたサロメ像にも近いのではないか。

パツァーク、デルモータら往年のウィーンの名歌手たちも節度ある表現を保つ。

《イタリアより》もクラウスという指揮者の特徴が最高に発揮された録音のひとつ。

ウィーン・フィルの音色美を百パーセント生かし抜いたこの官能、この魅惑、そしてむせるように陶酔的な歌、しかもそれらを洗練させ、どこまでもノーブルに、貴族的に、洒落た衣裳を着せてわれわれに与えてくれる至芸がここにある。

ほれぼれするような木管ソロの明滅とそのニュアンス、茶目っ気、過去を向いた悲しいまでの美しさ、ロマンティックなムード、第3楽章〈ソレントの海岸にて〉など、夢に聴くようだ。

みずみずしく、悩ましく、こんなに魅力的な音楽が他にあろうか、と思わせるほどで、R.シュトラウスを愛する人の必聴盤といえよう。

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2011年06月06日


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1953年ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音だが、その年代的な古さだけで敬遠してはならない名演。

クレメンス・クラウスはリヒャルト・シュトラウスの友人にして、同時代最高の優れた解釈者だった。

後世に伝えるべき貴重な歴史的遺産である。

音は良好ではないが、この作品の軽妙な「演技オペラ」の側面と、R.シュトラウスの音楽の軽やかで透明な官能性とを結び付けたクラウスの音楽づくりは傾聴に値する。

ここでのクラウスの指揮ぶりは、死の前年にもかかわらず、衰えをまったく感じさせず、生気と創意にあふれている。

ウィーン・フィルも美感が全開して乗りにのってる感じで、チャーミングなソロ楽器の競演、劇中のワルツの悩ましいばかりの艶やかさはまさに最高といえよう。

また第3幕の最後、若い恋人同士が去った後、黒人の少年がゾフィーの落としたハンカチを拾い、舞台から姿を消して幕となるが、このしゃれ切った幕切れの音楽もクラウスの瀟洒さが抜群だ。

ライニングの元帥夫人はまことに魅力的だし、ベーメのオックス男爵もほどよく上品ではまり役。

第3幕でのオクタヴィアン(デラ・カーザ)とオックス男爵(ベーメ)の掛け合いも聴きものだ。

C・クラウスの指揮、ウィーン・フィルの演奏、歌手たちの歌いぶり、そのすべてが最高の境地で一体化しながら、この作品のすばらしさを万全に伝えている。

ここにはR.シュトラウスとウィーンの輝きがある。

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2011年04月22日


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海賊盤ではオケが引っ込み気味の録音だったが、この正規盤ではバランスの良い録音に改善された。

1953年バイロイトに初登場、それが最後となったクラウスの指揮には1960年代のブーレーズの登場を予感させるようなラテン的な明澄さと締まったテンポ感、さらりとした味があった。

クラウスのユニークなワーグナー解釈は、我々に新鮮な美の発見と喜びを与えてくれる。

精緻なオーケストラのテクスチュアの中から生まれるリリシズムと、ゲルマン的心理のうねりと、筋肉質なダイナミズムの融合は、ゲルマンの血を残しつつ、より一歩進化した洗練を、ワーグナーの世界にもたらした。

緻密で美しい、しかも常に豊かな音楽を見失わないクラウスの指揮の素晴らしさは、今日でも全く変わることなく我々を魅了してくれる。

音楽の豊麗さという点でも傑出しており、ふくよかなロマンティシズムやたくましい流麗さ、そして壮大な詩とドラマがある。

その精緻で雄弁な音の繰り広げる壮大なドラマの面白さと感動はまったく底知れないものだ。

しかも歌手には第2次大戦後の最もすぐれたワーグナー歌手をズラリと揃えている。

歌手として絶頂期にあったヴィントガッセンの輝かしいジークフリートが聴ける。

ブリュンヒルデはこれに負けず劣らずヴァルナイである。

特にホッターの不世出のヴォータンが聴けるのが嬉しい。

こうした名ワーグナー歌手たちが、その全力を傾けつくしたこの演奏が、第2次大戦後のワーグナー歌唱の輝かしいピークを形作っているという思いを改めて強める。

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2011年04月17日


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ウィーン・フィル恒例のニューイヤー・コンサートの創始者として知られるC・クラウス。

それらの曲目を収めたモノーラル録音は今も不朽の名演奏として有名で、今なお、シュトラウスのワルツやポルカの優美な美しさ、粋な愉悦感を、クラウスほど気品をたたえながら表現できた指揮者はいないと思う。

その"古き良き時代のウィーン"としかいいようのない独特の香気やウィーン・フィルの響きも、クラウスの指揮がとくに際立って美しい。

この《こうもり》も例外ではなく、けっして忘れることができない。

LP初期の録音のため台詞はカットされているが、それもシュトラウスの音楽のすばらしさを一層ひきたてていると、いえなくもない。

淀みなく流れるワルツやポルカ、チャルダーシュなどのリズムによって展開される極上のオペレッタの楽しさと美しさを満喫できる。

もしオペレッタの演奏に時代を超えた規範的演奏というものがあるとするならば、まずこの演奏に指を屈するべきだ。

なによりも音楽的純度が高い。

なんと品よくエレガントなのであろう。

しばしばウィーン風演奏の極致と評されてきたが、やはり本物はクサクない。

アイゼンシュタインのパツァーク、アルフレートのデルモータ、ロザリンデのギューデン、アデーレのリップなど、ウィーン国立歌劇場黄金時代の名歌手たちの歌も申し分なく、この演奏で聴けるような優雅な雰囲気や独特の官能性は、もはや時代とともに失われてしまったことを実感させる。

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2009年10月04日


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クレメンス・クラウスは20世紀の中葉を代表する偉大な指揮者の一人である。

第2次世界大戦前、ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場の総監督を歴任し、モーツァルトからワーグナー、R.シュトラウス、ベルクの『ヴォツェック』まで手がけたオペラ指揮者として大きな業績を残した。

またコンサート指揮者としても戦前、ウィーン・フィルを始めヨーロッパの主要オーケストラとの活動を繰り広げ、その足跡はたとえば英HMVのSPに残されたウィーン・フィルとのブラームスの交響曲などにしのぶことができる。

戦後はウィーン・フィルと「ニュー・イヤー・コンサート」を創始し、むしろ余技であるヨハン・シュトラウスはじめシュトラウス・ファミリーのワルツ・ポルカの指揮で話題となったため、その本領が忘れられ、ひと頃とくにわが国で「小粋なウィーンのヨハン・シュトラウス指揮者」とのみ考えられた時期もあったが、最近そのイメージも正されつつあり、クラウス・ファンとしてはホッと胸を撫で下ろしているところだ。

そのクレメンス・クラウスの偉大な芸術を味わえる素材としては、比較的最近になってバイロイトでの『ニーベルングの指環』や『パルジファル』など、名演のライヴも発売されたが、やはり、戦後ウィーン・フィルを指揮して録音したR.シュトラウスの『サロメ』や管弦楽曲を挙げるべきだろう。

これらの演奏記録は、R.シュトラウスとの深い親交を結び、つねにその最良の演奏者であったクラウスであるだけに、R.シュトラウス演奏史上のオーソリティある貴重なドキュメントであるばかりか、その演奏の質の高さから今日でもそれぞれの曲の代表的名盤の地位を失っていない。

ウィーン・フィルから最上の音楽を引き出しつつ、R.シュトラウスの流麗な音楽世界を十全に再現した演奏は見事というしかない。

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2009年03月10日


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第5・第6交響曲と第7交響曲の間、ベートーヴェンの気力が最も充実していた時代に書かれたこの曲は、いかにもこの時代のベートーヴェンらしい雄渾な楽想、有機的で構築的な音楽のつくりで、古今のあらゆるピアノ協奏曲の中で王者の貫録を誇り、まさに《皇帝》のニックネームにふさわしい。

だがいっぽうで、この曲にも、ことにピアノ曲では深い内面の思いを吐露することをつねとしたベートーヴェンの優しく繊細で多感な心情が秘められている。

雄大で壮麗なだけでは不充分。軽やかさ、繊細さ、優美さをも湛えた演奏でなくてはならない。

録音は古いが、バックハウスの独奏、クレメンス・クラウス指揮のウィーン・フィルの演奏は、こうした点で最高のもののひとつである。

70歳に間近いバックハウスが血気盛んな演奏を行っている。

豪壮雄偉な演奏で骨太に仕上げられており、第1楽章の展開部でのオケとのかけ合いが気迫にあふれていて圧倒される。

第1楽章の溌剌とした生命力溢れる音楽の運び、第2楽章の優美な歌と、堂々たる演奏ながら〈はな〉のある終楽章。

優美で明快、決して重くなったりむやみに大きな構えをつくったりしないクラウスの指揮も絶品というほかない。

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2009年01月10日


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クレメンス・クラウスは、オーストリア帝国のヨハン・サルヴァドール大公と、女優のクレメンティーヌ・クラウスのあいだに生まれた庶子であった。

つまり爛熟のウィーンの申し子のような存在で、彼が振るウィンナ・ワルツには、宮廷舞踏会の雰囲気が感じられると評された。

だがこのCDに聴かれる演奏は、テンポが速く颯爽としていて、むしろ後のボスコフスキーのワルツに近い。

いわゆるノスタルジックなムードは、ロベルト・シュトルツやエドゥアルト・シュトラウスの指揮に、より濃厚に感じられた。

クラウスのワルツは感傷味を排したエレガントそのものの演奏で、どこまでも気品の高い貴族趣味が身上でもあった。

特にヨーゼフ・シュトラウスの《オーストリアの村つばめ》や《わが生涯は愛と喜び》などでの独特のリズムさばきと旋律の歌わせ方には、まさに宮廷趣味を彷彿とさせるものがある。

また同じヨーゼフのポルカ《とんぼ》では、とんぼが羽ばたきながら静止する姿を実に洒落たリアルさであらわしているのも、クラウスならではの芸といえる。

彼のワルツは都会的な洗練味を売り物にしているが、それは崩壊間近なオーストリアの宮廷的なエレガンスだった。

こうした上品で、やや取り澄ましたコケットリーは、戦後生まれの指揮者には望むべくもない資質だろう。

ただ意外にセンティメンタリズムと縁のないのは、クラウスが高貴の出だったからだろうか。

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2007年12月19日


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シュトラウスの原点であり、かつ究極の姿を示す永遠の名盤だ。

ウィンナ・ワルツを愛する人なら是非聴いておきたいディスクである。

「踊る世紀」といわれた19世紀の息吹きを感じさせるような、優雅な雰囲気にあふれている。

その絶妙なリズムと、間の取り方のうまさは決して他の追随を許さない。

どの曲にもこぼれるようなウィーン情緒があり、実にロマンティック。

その反面、感覚はこの上なく洗練されて、外見上は淡白を極める。

それらが相まって、心からいつくしみたくなるような演奏になっている。

どの曲を聴いてもそこにはウィーンの芳酵な香りが漂い、特に「美しく青きドナウ」には、これこそ本物!と思わせるウィンナ・リズムが満ちている。

「オーストリアの村つばめ」は特に抜群で、ことによるとクラウスの最高傑作かもしれない。

その他もすべて素晴らしく、上品で、しかもウィーンの伊達男のような洒落た表現には完全に魅了されてしまう。

いずれもクラウスの本領が遺憾なく発揮された名演奏。

ウィーン・フィル特有の、甘美で艶のある弦の美しさは筆舌に尽くしがたい。

聴いていて現代の喧騒を忘れ、こんな良き時代はもう2度と戻ってこないのだ、という想いが胸をしめつける。

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