ポゴレリチ
2016年02月20日
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1983年にドナルド・フェザーストーンによって制作されたこの短編のドキュメンタリーは2部分から構成されている。
第1部はポゴレリチの師でありまた妻でもあったピアニスト、アリーザ・ケゼラーゼによるポゴレリチへのレッスン風景と両者へのインタビュー、そして第2部は放送用録画の本番で、ラヴェルの『夜のガスパール』全3曲がレッスンの成果を示す形で演奏されている。
シンプルな作りだがポゴレリチの素顔を捉えた作品として評価したい。
レッスン内容はピアノの技術的な問題を一通り解決したピアニストが初めて臨むことができるような高度なもので、作品のインスピレーションになった詩の解釈から表現上のテクニックまでが総合的に試みられている。
ケゼラーゼはポゴレリチの演奏を初めて聴いた時、彼のテクニック上の弱点、つまり手のポジションに硬さがあることを即座に見抜いて「あなたは才能に恵まれているが、これからハードな努力をしなければならない」と忠告した。
彼女の不躾な指摘に面食らったポゴレリチは「誰ですか、あなたは?」と問いただしたという。
ケゼラーゼは、ピアニストの手は他の身体の部分から完全に独立して自由でなければならないと力説している。
だが彼女は彼の個性を損なうような教え方はしなかった。
むしろ個性が活かされる自由な手のポジションとそれが発揮される能力を確実に養ったことが、彼のその後の急速な上達にも証明されている。
1980年の第10回ショパン・コンクールでの、アルゲリッチがテレビ放送のインタビューに答えて「彼こそ天才、審査員でいることは恥だ」と言って辞任したエピソードも短いながら収録されている。
ここでは政治的な背景には一切触れられていないが、ケゼラーゼは「審査員達はポゴレリチの演奏に異質さを発見すると、彼の表現上のミステイクを躍起になって探し、それがないと分かると、今度は彼の服装やステージ・マナーを批判してコンクールの本選から排除した」と証言している。
ポゴレリチ自身も審査の対象が音楽以外のことに及ぶ奇妙さを、真のアーティストに対する致命的な事態だと冷静に話している。
結果的に、審査員達の罪滅ぼしのためか、彼には特別賞が授与されることになる。
その表彰式にチューインガムを噛みながら現われたポゴレリチは聴衆の大喝采を浴びている。
彼の場違いとも思える宅急便の配達人のような服装と、シニカルな笑顔は明らかにこのコンクールに抗議したものだ。
結婚については、一般に言われていることとは多少異なっていて、彼らが結婚したのはポゴレリチが21歳、ケゼラーゼ37歳の時だったようだ。
また電撃的な結婚ではなく、10回から15回ほどのレッスンに通った後、いつものようにコーヒーを一緒に飲んでいる時にポゴレリチが切り出した。
彼はまだ18歳で、ケゼラーゼには子供もいたし当時の生活に不満はなかったので、彼女は申し出を遮り、取り合わなかった。
彼は怒って「どうあっても結婚するよ」と捨て台詞を吐いてドアに八つ当たりして出て行ったと回想している。
しかし後年彼女が亡くなった時、ポゴレリチが総ての演奏会をキャンセルして入院するほど重度の鬱状態に陥ったことは、妻への一途な愛情の証しだろう。
インタビューはスコットランドの彼らの自宅で行われ、彼女の息子ゲオルギとの家族団欒の微笑ましい風景も映し出されている。
尚レッスンはロシア語で、インタビューにはポゴレリチが英語、ケゼラーゼはロシア語で応じているが、英、独、仏語のサブ・タイトルが選択できる。
リージョン・コードはフリー。
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2015年09月22日
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鋭く研ぎ澄まされた感性と斬新な解釈、そして切れの良いテクニック、その上スター性を備えたルックスで皮肉にもショパン・コンクール落選後に一躍ピアノ界の寵児となったイーヴォ・ポゴレリチが、デビュー時から1990年代にかけて録音したグラモフォン音源のCD14枚をまとめたBOX。
異色の新人として賛否両論の中でかえって話題をさらった稀有の才能は、グールド以来のピアノ界への大きな波紋とも言えるし、尽きることのないオリジナリティーに富んだ音楽的アイデアとそれを実現する強靭な意志とテクニックには実際驚かされる。
このBOXにはポゴレリチの絶頂期の演奏のエッセンスが集約されていると言えるだろう。
ポゴレリチが語られる時には1980年の第10回ショパン・コンクールのエピソードが常につきまとうことになる。
この時の優勝者はダン・タイソンだったが、既にテルニとモントリオールの覇者でもあり有力候補だったポゴレリチは、最終予選での演奏がショパンの様式に則っていないと判断され、本選に残ることができなかった。
審査員だったアルゲリッチが「彼こそ天才」の捨て台詞を残して退席した事件は、当時の審査委員会の旧態依然とした保守的で偏狭な体質を象徴している。
筆者は、ある時偶然ラジオからピアノ界のある重鎮がポゴレリチのどこが様式から逸脱しているかを、ポーランドのショパンの権威、ヤン・エキエルなるピアニストの演奏と聴き比べてアナリーゼしている番組を聞いたことがある。
しかし引き合いに出されたエキエルのピアノは如何にも杓子定規でちっとも面白くなく、これが正しい奏法だと言われても単なる権威を笠に着た演奏としか感じられず理解に苦しんだ思い出がある。
むしろコンクールでのポゴレリチの果敢な挑戦と鮮やかな敗北に快哉を叫んだものだ。
ポゴレリチは夫人が他界した後、演奏から遠ざかり公式な録音も中断していたが、2010年からは以前のペースを取り戻しつつある。
年齢からすればまだ引退するような時期ではないので、今後の活躍に期待したい。
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2015年01月09日
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これは1980年のショパン・コンクールで前代未聞の大胆な解釈で物議を醸し、衝撃的なデビューを飾ったイーヴォ・ポゴレリチの途轍もない超名演だ。
ショパンの前奏曲には、本盤の前には、オーソドックスなルービンシュタインの名演や、フランス風のエスプリを織り交ぜた個性的なフランソワなど、名演が目白押しであり、そうした並みいる名演の中で、存在感を示すのは、並大抵の演奏では困難であった。
ところが、このポゴレリチ盤は、海千山千の難敵を見事に打ち破ってくれた。
ポゴレリチのショパンは、見事にショパンの情念をピアノ音楽として徹底的に生み出すことに成功している。
それは、彼の激しいエモーションが原動力となって可能となっているのである。
それにしても、何という個性的で独特な解釈なのだろう。
唖然とするようなテクニックにも圧倒されるが、一部の人が高く評価するポリーニのように、機械じかけとも評すべき無機的な演奏には決して陥っていない。
深い瞑想から何かを得て紡がれたような音楽が奏でられていて、どの曲をとっても、切れば血が吹き出てくるような力強い生命力に満ち溢れている。
24の前奏曲は、サロン的な優雅で心地よいショパンとは根本的に違うのだと改めて感じさせられる。
また、各楽曲の弾き分けは極端とも言えるぐらいの緩急自在の表現を示しており、例えば、「雨だれ」として有名な第15番と、強靭な打鍵で疾走する第16番の強烈な対比。
それが終わると、今度は第17番で、再び深沈たる味わい深さを表現するといったようなところだ。
ポゴレリチの凄さは、これだけ自由奔放とも言える解釈を示しながら、決してあざとさを感じさせないということだろう。
それは、ポゴレリチが、ショパンの前奏曲の本質をしっかりと鷲掴みにしているからにほかならない。
鮮烈な解釈といい、肺腑を抉るような痛切な抒情といい、このピアニストは尋常ではない。
楽譜を片手に細かいところに目を通せば、異端と言われるようなところもあるかもしれないが、異端児というよりは、真摯に作曲家とその作品に向き合った1人の芸術家なのではないだろうか。
天才の色褪せぬ名盤であり、今後、このポゴレリチ盤を超える名演は果たして現れるのだろうか。
彼の後に続くピアニストにとっても、本盤は相当な難問を提示したと言えるだろう。
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2014年10月16日
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スカルラッティのソナタ集のピアノ演奏版には、ホロヴィッツの超弩級の名演がある。
それ故に、後に続くピアニストは、なかなかこの超名演の高峰の頂に登ることは出来なかったが、ついにホロヴィッツ盤に匹敵する名盤が登場した。
その名盤こそ、本盤のポゴレリチ盤である。
スカルラッティといえばホロヴィッツの抜きん出た演奏があるので、他の演奏を聴いても心揺さぶられることがなかったが、ポゴレリチには驚いた。
ポゴレリチは、ホロヴィッツと同様に、ラルフ・カークパトリックが付した番号順に演奏するという型どおりなことはしていない。
555曲もあるとされているソナタ集から、15曲をランダムに選んで、ポゴレリチ自身が考えた順番に並べて演奏している。
演奏も、卓越したテクニックをベースとして、力強い打鍵から情感溢れる抒情豊かな歌い方など表現の幅は実に広く、緩急自在のテンポ設定を駆使して、各曲の描き分けを完璧に行っている。
ポゴレリチは、すべての音を旋律のために機能させ、自分の音楽に徹することで難所を克服してみせる。
ホロヴィッツとこの演奏が現代ピアノによる代表的なものだと思うが、ポゴレリチ独特のアーティキュレーションがここではほとんどプラスに作用していて、そこはかとない哀愁まで感じさせるのは大したものだ。
それにしても、各曲の並べ方の何と言うセンスの良さ。
ランダムに選んだ各曲の並べ方には、一見すると一定の法則はないように見えるが、同一調を何曲か続けてみたり、短調と長調を巧みに対比して見せたりするなど、全15曲が有機的に繋がっている。
前述のようなポゴレリチの卓越した演奏内容も相俟って、あたかも一大交響曲を聴くようなスケールの雄大さがある。
音響特性上、現代ピアノで表現不可能なスカルラッティのソナタの要素を完全に再構築した画期的な快演である。
これだけの秀演を聴かされると、他のソナタ集もポゴレリチの演奏で聴きたくなったのは、決して筆者だけではあるまい。
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2013年01月02日
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バッハの管弦楽曲や合唱曲では、ピリオド楽器を使用した小編成での演奏や、古楽器奏法などが主流となりつつあるが、いわゆる器楽曲でも同様の傾向があり、チェンバロ作品として作曲された楽曲を現在のグランドピアノで演奏する機会も、管弦楽曲や合唱曲ほどではないものの、徐々にその数を減らしていると言えるだろう。
そのような時代にあって、バッハのチェンバロ作品を演奏するピアニストには、相当なる自信を持って臨んでいると言えると思われるが、ポゴレリチも、初のバッハ録音とは思えないような、自信に満ち溢れた堂々たるピアニズムを示していると言える。
ここでポゴレリチは、現代ピアノの機能を駆使し、バッハの内なる美を引き出し、それを再現するために全力を尽くしている。
イギリス組曲第2番の冒頭のプレリュードからして、唖然とするようなテクニックと力強い打鍵に圧倒される。
続くアルマンドやサラマンドの情感溢れる抒情豊かさは美しさの限りであり、胸のすくような快速のジークで全曲を締めくくるのである。
ピアノという楽器ゆえに可能な、軽快さと抒情性の大いなるコントラストが、この曲に新しい魅力を与えている。
またプレリュードとサラバンドでの反復を、納得のゆく表現としているところもさすがだ。
第3番も第2番に優るとも劣らないような超名演。
抜群のテクニックの下、各楽章の描き分けが実に巧みであり、抒情的な箇所もなよなよしたところは皆無、常に高踏的な至高の美しさを湛えているのが素晴らしい。
ポゴレリチが奇才を発揮した1枚といえるだろう。
これだけ優れた名演を聴かされると、ポゴレリチの演奏で他のバッハの器楽曲も聴きたくなったのは筆者だけではあるまい(あるのかもしれないが、筆者は聴いていない。)。
例えば、ゴールドベルク変奏曲など、ポゴレリチが本盤で示した芸風に鑑みると、相当な名演を成し遂げるのではないだろうか。
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2012年11月26日
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リストのピアノ・ソナタを弾きこなすことは、あらゆるピアニストの一つの大きな目標。
この世のものとは思えない超絶的なテクニックを要するとともに、各場面の変転の激しさ故に、楽曲全体を一つのソナタに纏め上げるのが至難の業であるという点において、海千山千のピアニストに、容易に登頂を許さない厳しさがあると言えよう。
そうした難曲だけに、天才ピアニストであるポゴレリチがどのようなアプローチを見せるのか、聴く前は興味津々であったが、その期待を決して裏切らない超個性的な名演であった。
演奏の特徴を一言で言えば、表現の振幅がきわめて激しいこと。
最弱音から最強音まで、これほどまでにダイナミックレンジの広い演奏は、他の名演でも例はあまりないのではなかろうか。
テンポ設定も自由奔放とも評すべき緩急自在さ。
ただでさえ、各場面の変転が激しいのに、ポゴレリチは、うまく纏めようという姿勢は薬にしたくもなく、強弱やテンポの緩急を極端にまで強調している。
それ故に、全体の演奏時間も、同曲としては遅めの部類に入る33分強もかかっているが、それでいて間延びすることはいささかもなく、常に緊張感を孕んだ音のドラマが展開する。
このソナタは途方もなく底が深いが、それを表出させてしまうポゴレリチの音楽性と技術も凄い。
ともかく、この演奏は、この難曲の演奏の可能性を開拓した素晴らしいもので、激情と繊細が同居している。
これは、まさに天才の至芸であり、ポゴレリチとしても会心の名演と言っても過言ではあるまい。
併録のスクリャービンも、力強さと繊細な抒情を巧みに織り交ぜたポゴレリチならではの名演だ。
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ピアノ協奏曲第2番もポロネーズ第5番も、いずれもそれぞれの楽曲の最高の名演の一つと高く評価したい。
ピアノ協奏曲第2番は、ショパンの若書きの協奏曲故に、演奏がイマイチだと、旋律の美しさという、曲想のうわべだけを取り繕った浅薄な演奏になりがちであるが、ポゴレリチの場合はそのような心配は御無用。
それどころか、あまりの個性的なピアノに完全にノックアウトされてしまった。
意表をつくような緩急自在のテンポ設定を駆使し、ダイナミックレンジの幅広さも尋常ではなく、抒情的な箇所の歌い方も濃厚さの極みである。
ポゴレリチの解釈は一種マニアックであり、演奏は奔放ともいえるほど感情の振幅が大きく、強い意志で推進され、決して停滞することがない。
深沈とした甘美な情感の漂う音や、テンポの設定、強弱の対照などにも独自のものがみられる。
しかしスケールは大きく堂々としており、第3楽章など、秘めやかな感情から烈しい昂まりまでを見事に表現している。
これだけの個性的な解釈を示しつつも、全体的な造型にいささかの揺らぎも見られず、ここに、ポゴレリチの天賦の才能が示されていると言える。
まさに、天才だけに可能な至芸と言える。
このような個性的な天才ピアニストをサポートする指揮者には、相当な寛容さが求められると思うが、アバドの手腕は見事で、ポゴレリチの個性的なピアノを柔軟性を持ってしっかりと支えていて、演奏全体に自由な精神が感じられる点を高く評価したい。
併録のポロネーズ第5番も、ポゴレリチならではの個性的な超名演。
力強い打鍵と、時折見られる情感豊かさのバランスが見事であり、あたかもオーケストラを指揮しているとの錯覚を起こすような重量感溢れるド迫力に、完全に圧倒されてしまった。
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2012年11月24日
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ポゴレリチが、ショパン国際コンクールにセンセーショナルな落選をしたのが1980年秋。
皮肉にも、ポゴレリチは落選によって一躍時の人となったが、その翌年にDGにデビューした際の録音が本盤で、ポゴレリチがまことに大胆な自己主張を聴かせる。
保守的な当時の審査員が拒否反応を示しただけあって、実に個性的なショパンであるが、素晴らしい名演と高く評価したい。
ポゴレリチの特徴を一言で言えば、表現の振幅の極端なまでの幅広さであると言える。
ゆったりとしたテンポの箇所は、他のピアニストよりも更にゆったりと演奏するし、音の強弱も、他に比肩する者がいないようなダイナミックレンジの広さを示している。
アッチェレランドの強調なども凄まじさの限りだし、テクニックにおいても人後に落ちない抜群のものがある。
極端なダイナミクスの対比、大きなテンポの揺さぶりなど、なるほど伝統墨守の立場からいえばとんでもない演奏だが、表現は強固な技術的メカニズムに支えられ、豊かにはばたいている。
このように、超個性的な演奏を行うが、それでいて、あざとさが全く感じられないのが、ポゴレリチの類稀なる才能と至芸と言うことができるだろう。
意気に満ちた表現はそれだけでも気持ちの良いものだが、なによりも説得力のある演奏だ。
選曲も実に個性的。
ピアノソナタ第2番、前奏曲嬰ハ短調、スケルツォ第3番、夜想曲というように、緩急をつけた並べ方をしている点にも、ポゴレリチのこだわりと独特のセンスの良さを感じさせる。
アルゲリッチは、前述のショパン国際コンクールの審査の際(そしてポーランドを去るが)に、「彼こそは天才!」との評価を行ったとのことであるが、さすがは一流は一流を知るということだと思う。
現在ポゴレリチは50歳を越え、自らの芸術を求め、ピアノ界の異端児として大胆且つ奔放な演奏で常に音楽界の話題をさらうアーティストである。
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2012年11月10日
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数多く存在するショパンのスケルツォ全集の中でも、トップの座に君臨する超名演である。
ポゴレリチは、ショパンコンクールの予選で落選し、アルゲリッチがポゴレリチを天才と称して抗議し、その後の審査をボイコットした話は有名であるが、本盤のような超弩級の名演を耳にすると、ポゴレリチがいかに抜群の才能を持った卓越した芸術家であるかということがわかろうというものだ。
第1番の冒頭の力強い一撃からして、他のピア二ストの演奏とはそもそも物が違う。
冒頭の一撃の後、一瞬の間をおいて、胸のすくような快速テンポによる疾風怒濤の快進撃が開始される。
それでいて上滑りする箇所は皆無であり、抒情的な箇所の歌い方も実に感動的だ。
それにしてもなんと劇的で、硬質で、深刻で、繊細で、そして柔らかなピアノであろうか。
有名な第2番も他のピアニストの演奏とはそもそも次元が異なる高みに達している。
強弱のダイナミックレンジの幅広さや緩急自在のテンポ設定も凄いの一言であるが、特に中間部の深沈とした抒情と急進的なスケルツォの対比は、ポゴレリチの真骨頂とも言うべき魔法のような魅力に満ち溢れている。
第3番や第4番も、極端と言ってもいいほどのテンポの緩急と、精妙で抒情的な演奏の美しさによって、ポゴレリチならではの個性的なショパン像を構築しており、その切れば血が出るような生命力溢れる激情的なパッションの爆発が、我々聴き手に深い感動を与えている。
短いアルバム(41分50秒)ではあるが、二度と現れることのないであろうショパンのスケルツォの超名演をたっぷりと堪能できる。
録音も実に鮮明であり、ポゴレリチの超絶的技巧に裏打ちされた芸術的な打鍵を余すことなく味わうことが可能だ。
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2011年06月26日
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世界の音楽コンクールは様々なドラマを生み出す舞台でもある。
優勝者に栄光の座が用意されているのは当然としても、ほんのまれには「優勝しなかった」が故に思いがけないような脚光をあびるようになる者もいないわけではない。
ピアニストのポゴレリチは、そのような存在のひとりである。
1958年ベオグラードに生まれた彼は、22歳の折、ショパン・コンクールの予選で落選してしまった。
ところが、そのときの審査員のひとりであったアルゲリッチが、予選の審査に抗議して審査員を辞任するという出来事があったため、逆にポゴレリチの名前が大きくクローズアップされる結果となっていったのである。
それ以降、彼はどこかスキャンダラスで、反逆的なイメージをただよわせるようになっていく。
彼が「衝撃的なデビュー」をしてから30年以上たった今日においても、そのイメージは本質的にはあまり変化していないといえよう。
各種ディスクに、また演奏会にきくポゴレリチの演奏は、じつに大胆不敵な性格だ。
たくましい打鍵、思いきったダイナミクス、思いがけないような濃厚な表情づけなどによって、曲想の奥深くへと、グイグイと突き進んでいく。
その進行のしかたは、ときにスリリングでさえある。
50歳代に入った彼が、今後、これまでの大胆不敵さを堅持しながら、どのような成熟を示していくのか、大いに注目していきたいところだ。
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2011年05月21日
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ポゴレリチの演奏は、ショパンの作品が可能性としてもっていながら、まだ誰も引き出して明らかにすることができなかった世界を、まざまざと開示しているといっても過言ではない。
単に深い味わいがあるというにとどまらず、その世界の雄大さを伝える見事な演奏だ。
しかも作品に真正面から正攻法で取り組み、各曲にミクロコスモスというよりもマクロコスモス的な存在感を主張させるのも立派だ。
ポゴレリチ最大の業績は、第7曲や第24曲などの新しい演奏解釈にある。
そこで、彼は従来のショパン演奏には決して見られなかったような荘厳さを獲得している。
また第13番では、元来のショパンらしい甘い響きも上手に再現している。
第15番(俗に言う「雨だれ」)の中間部には、変わっていて驚くというよりはむしろハッとさせるような厳粛さがある。
正直言って、この作品はポゴレリチに敵う演奏はない。
ありきたりの選択になるが、この人の弾く暗さとドラマトゥルギーにはもう頭が下がるし、音色の豊かさに圧倒される。
短調の曲でのゆっくりした部分では完全に出口のない絶望や孤独の音楽が聴ける。
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2008年02月07日
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チャイコフスキーのコンチェルトは大柄なヴィルトゥオーゾの名演だ。
第1楽章序奏部は堂々とした威容を誇りながらも、テンポは速めで若々しさを失わず、しかもタッチの厚みと迫力は地響きを立てるがごとくで、楽器が完全に鳴り切っている。
また359小節からのソロだけの部分などは、まるでシェーンベルクの音楽を思わせる硬質の和音を響かせる。
第2楽章は逆にクールさがユニーク。
アバドの指揮もポゴレリチ同様、少しも隙がない。
ポゴレリチはこの作品と録音について「私の目標はチャイコフスキーが書いたピアノとオーケストラの心からの対話を示すことである。そこではパートナーシップが必要である」と語り、彼に同意しベストをつくしたアバドとオーケストラの全員に感謝している。
確かにこの演奏を聴くと、ポゴレリチの絶妙なピアニズムが指揮とオーケストラの巧妙なバックアップによって非常に効果を挙げていることがわかる。
ただ技巧を誇示した華麗さだけではなく、チャイコフスキーの情熱や叙情がみずみずしく新鮮に表現されているし、大胆ともいえるテンポやダイナミックスの変化による疾走感もすばらしく、滅多にないスリリングな魅力あふれる名演である。
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