ティーレマン

2015年08月02日


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ポリーニ&ティーレマンのブラームス第2弾で、ポリーニによる3度目のブラームスのピアノ協奏曲第2番の登場だ。

ポリーニは完全主義者として知られているだけに、レコーディングには慎重を期して臨むのが常であるが、そのようなポリーニが同じ曲を3度も録音するというのは異例のことであり、これはポリーニが同曲にいかに深い愛着を有しているのかの証左であると言えるだろう。

最初の録音は、アバド&ウィーン・フィルとともに行ったスタジオ録音(1976年)であり、ポリーニとアバドの激しいぶつかり合いが眼前に浮かぶほどの熱のこもった迫力ある演奏を展開していた。

これに対して2度目の録音は、アバド&ベルリン・フィルとともに行ったライヴ録音(1995年)であり、これはポリーニの個性が全面的に発揮された演奏と言えるところだ。

アバドは、協奏曲の録音を行う際にはソリストの演奏を下支えする役割に徹するのが常であり、そうしたアバド、そしてベルリン・フィルという望み得る当時最高の豪華コンビをバックとして、ポリーニがその個性と実力を十二分に発揮した演奏を展開していると言えるだろう。

もっとも、アバド&ベルリン・フィルによる演奏が無色透明であるだけに、当時のポリーニのピアノ演奏の欠点でもあるいささか無機的な技術偏重ぶりがあらわになっていると言えるところであり、同曲の味わい深さが必ずしも的確に表現し得ていないとも思われるところである。

したがって、一部には高く評価されている当該演奏ではあるが、筆者としてはあまり評価をしていないところだ。

そして、本盤に収められた演奏は、2度目の演奏から18年を経た後のものであるが、これは素晴らしい名演と評価したい。

そもそもポリーニのピアノ演奏が、1995年盤とは段違いの素晴らしさであると言えよう。

1995年盤に顕著であった技巧臭さえ感じさせる無機的な演奏など薬にしたくもなく、もちろん超絶的な技量は健在ではあるが、どこをとっても懐の深い豊かな情感が満ち溢れているのが素晴らしい。

これは、ポリーニの円熟によることは間違いがないところであり、ポリーニが演奏の技術的な正確さ、緻密さを追求するのではなく、このような情感豊かな演奏を行うようになったことに深い感慨を覚えるところだ。

このような演奏を聴いていると、ポリーニこそは名実ともに現代を代表する偉大なピアニストの1人であることを痛感せざるを得ない。

ポリーニとしては3度目の同曲の演奏ということになるが、3度目の正直との諺のとおり、漸く自他ともに満足できる名演を成し遂げることが出来たと言えるだろう。

かかる偉大なポリーニのピアノ演奏を下支えするティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンについては、このコンビならばもう少しハイレベルの演奏を望みたい気もしないでもないところだ。

同曲は、ピアノ伴奏つき交響曲との異名をとるだけに、同曲の分厚いオーケストレーションを活かしたより重厚かつ雄渾なスケールの演奏を望みたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

ティーレマンは、将来を嘱望されている期待の独墺系の指揮者だけに、今後の更なる研鑽を大いに望んでおきたいと考える。

音質は、2013年のライヴ録音であるが、SHM−CD化によっても、特にオーケストラの音が必ずしも鮮明とは言えず、ポリーニのピアノタッチは比較的鮮明に再現されているだけに、実に惜しい気がする。

いずれにしても、本盤全体の評価としては、ポリーニの素晴らしい円熟のピアノ演奏とティーレマンの今後の更なる成長に期待して、本盤を推薦との評価をするのにいささかの躊躇をするものではない。

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2014年10月16日


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オルフの「カルミナ・ブラーナ」については、合唱や独唱などを含む大編成のオーケストラの使用による壮麗な迫力、そしてその旋律や歌詞の親しみやすさなどから、近年においては特に数多くの演奏・録音がなされている人気作である。

中堅・若手指揮者はこぞって録音しているような印象があるが、その中でも本盤のティーレマンによる演奏は、最右翼に掲げられる名演と評価してもいいのではないだろうか。

初演者のヨッフムやケーゲル以降は、独墺系の指揮者による同曲の名演が殆ど皆無であったことを考慮に入れると、本名演は長年の渇きを癒すものとも言っても過言ではあるまい。

ティーレマンの指揮が素晴らしく、ルフトパウゼ(殆どの演奏では無視されている)の意味を今回ほど重要と思ったことはなかった。

ともすれば単調な繰り返しのこの曲を最後まで聴かせてしまう指揮者の力量は、従来の鈍い演奏を根底から見直すいい機会となった。

とにかく、全体の造型が堅固で、どこをとっても重厚な音色が支配しているのが素晴らしい。

あらためて、同曲がドイツ音楽であることを認識させてくれるものと言える。

それでいて、各曲のトゥッティに向けて畳み掛けていくようなエネルギッシュな気迫や力強さ、それと対置する繊細な抒情など、同曲の歌詞が含有する中世ヨーロッパの生活や感情に鋭く踏み込んでいくような彫琢の限りを尽くしたドラマティックな表現には際立ったものがあり、これはいかにもオペラの指揮を軸足とする独墺系指揮者の伝統を受け継ぐティーレマンならではの至芸である。

このようなオペラにも比肩し得るようなスケール雄大でドラマティックな名演を聴いていると、あらためてティーレマンが次代を担う独墺系指揮者として将来を嘱望されている理由がよく理解できるところだ。

独唱陣はいずれも素晴らしい歌唱を披露しており、ティーレマンの確かな統率の下、ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団や同合唱団、少年合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

同曲の録音は、大編成による楽曲であるだけに、オーケストラと合唱をバランス良く収録し得たものにはなかなかお目にかからないが、本盤はかなり成功している部類に入ると言えるのではないだろうか。

今後もこの演奏を超える演奏はなかなか現われないだろう。

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2013年12月20日


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近年ではモーツァルトの楽曲の演奏においても、ピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法などが主流になりつつある。

確かに、モーツァルトの時代の演奏様式を再現することは歴史的には意義の大きいことであるが、芸術的な感動を与えてくれる演奏というのは果たしてどの程度あるのであろうか。

著名な音楽評論家が推奨する演奏ですら、浅薄でとても聴くに堪えないものも散見されるところであり、私見では、かかるピリオド楽器の使用や現代楽器を使用した古楽器奏法による芸術的な名演というのはほんの一握りではないかと考えている。

クラシック音楽ファンにとっては、芸術的な感動を与えてくれる演奏であればそれで十分であり、音楽学者の学問的な関心などどうでもいいのである。

本盤に収められたモーツァルトのレクイエムは、ピリオド楽器の使用や古楽器奏法などの近年の演奏様式に一切背を向けた、大編成のオーケストラを活用した壮麗な演奏だ。

近年の古楽器奏法やピリオド楽器による軽妙な演奏に慣れた耳でこのような演奏を聴くと、あたかも故郷に帰省した時のように安定した気持ちになるのは筆者だけではあるまい。

そして演奏内容も素晴らしい。

このような演奏を聴いていると、あらためてティーレマンが次代を担う独墺系指揮者として将来を嘱望されている理由がよく理解できるところだ。

独墺系指揮者ならではの堅固な造型の下、重厚にして壮麗な演奏を行っているところであり、オーケストラと合唱とのバランスも絶妙。

これはオペラ指揮者を軸足とする独墺系指揮者の伝統を受け継ぐティーレマンならではの至芸であろう。

独唱陣はいずれも素晴らしい歌唱を披露しており、ティーレマンの確かな統率の下、ミュンヘン・フィルやバイエルン放送合唱団も最高のパフォーマンスを示している。

録音は、ライヴ録音であるにもかかわらず、従来盤でも十分に満足できる音質を誇っていたが、今般のSHM−CD化によってさらに鮮明さを増すとともに、音場が幅広くなった。

現代を代表するモーツァルトのレクイエムの名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに喜びたい。

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2013年12月10日


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現代の世界の一流オーケストラは、英国系やイタリア系、ロシアを含めた北欧系の指揮者に席巻されていると言っても過言ではあるまい。

ベームやカラヤンが全盛期を迎えた頃の独墺系の指揮者が大活躍をしていた時代とは隔世の感があると言ってもいいのではないだろうか。

昨年、大往生を遂げたザンデルリンクも2002年には指揮活動から引退しており、そのような状況の中で、指揮者として壮年期を迎えつつあるドイツ人指揮者ティーレマンにかけられた期待は極めて大きいものと言わざるを得ない。

歌劇場でキャリアを積んできたという経歴も、独墺系の指揮者の伝統に根差したものであり、ティーレマンの今後の更なる発展を大いに期待したい。

ウィーン・フィルは、ベートーヴェンの交響曲全集をこれまでイッセルシュテット(1965〜1969年)、ベーム(1970〜1972年)、バーンスタイン(1977〜1979年)、アバド(1985〜1988年)、ラトル(2002年)と録音をしてきているが、イッセルシュテット、ベーム、バーンスタインは別格として、アバドやラトルは、ウィーン・フィルとの全集録音後ベルリン・フィルの芸術監督に就任しており、ウィーン・フィルのティーレマンに対する期待を感じさせるとともに、本全集は今後のティーレマンのキャリアアップに繋がる一大エポックメーキングと言えるのではないだろうか。

演奏は、まさに独墺系のかつての大指揮者によるベートーヴェンの交響曲の演奏の伝統に根差した重厚にしてシンフォニックなドイツ色の濃い演奏と言えるところだ。

近年では、ピリオド楽器の活用や、現代楽器を使用した古楽器奏法などが、ベートーヴェンの交響曲の演奏様式の主流になりつつあるが、ティーレマンによる本演奏は、そうした軽妙浮薄な演奏への強烈なアンチテーゼとさえ言えるだろう。

楽譜も、定番化しつつあるペンライター版ではなく、旧来のブライトコプフ版を使用するという徹底ぶりであり、将来を嘱望された独墺系の指揮者による意地の名演とさえ言えるところだ。

ウィーン・フィルの各奏者も、ティーレマンの指揮に心から共感して渾身の名演奏を行っているようであり、近年の軽妙浮薄なベートーヴェンの交響曲演奏を苦々しく思っていた聴き手には、まさに一服の清涼剤のように、懐かしき故郷に帰省したような気持ちになると言っても過言ではあるまい。

いずれにしても、本盤に収められた各交響曲の演奏は、決して古色蒼然ではなく、軽妙浮薄な風潮に毒されているが故に存在意義が極めて大きい、そして、むしろ新鮮ささえ感じさせる素晴らしい名演と高く評価したい。

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2013年05月14日


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ティーレマンによるR・シュトラウスと言えば、同じくウィーン・フィルを指揮したアルプス交響曲の名演が記憶に新しいところだ。

その壮麗なスケールと美しさは、極上の高音質録音(既にシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤として発売)も相俟って、素晴らしい名演に仕上がっている。

本盤はティーレマンにとって、アルプス交響曲に続く2枚目のR・シュトラウス管弦楽曲集のアルバムということになる。

交響詩「英雄の生涯」と言えば、どうしてもカラヤンによる名演が念頭に浮かぶ。

スタジオ録音を3度行い、さらに数多くのライヴ録音を遺したカラヤンによる同曲の演奏は、いずれも至高の超名演であり、今もなお強烈な存在感を発揮しているとさえ言える。

このようなカラヤンによる強烈無比な超名演を超える演奏を成し遂げるというのは、至難の業とも考えられるところだ。

まして、同じく独墺系の指揮者であるティーレマンにとっては、カラヤンによる超名演の残像は相当に強いものであったはずだ。

しかしながらティーレマンは、カラヤンによる超名演の呪縛を見事に解き放ち、ウィーン・フィルの美しい音色を存分に生かすことによって、カラヤンによる各種の超名演(カラヤンによる演奏はいずれもベルリン・フィルとのもの)とは違った情感豊かな名演に仕立て上げるのに成功している点を高く評価したい。

カラヤンは、同曲の主人公である英雄と同化したような豪演を披露したが、ティーレマンは一歩引いて、あくまでも同曲の英雄を客観的に捉えた演奏を繰り広げていると言えよう。

それでいて、前述のようにどこをとっても情感の豊かさに満ち溢れており、R・シュトラウスが同曲に盛り込んだ美しい旋律の数々を徹底的に歌い抜くことに腐心しているように思われる。

また、強靭さにおいても不足はないが、どこをとっても格調の高さが支配しており、スケールはきわめて雄大である。

このような堂々たる名演奏を聴いていると、あらためてティーレマンが、ドイツの音楽界を牽引する指揮者として将来を嘱望されていることがよく理解できるところだ。

近年では指揮者に軸足を移したライナー・ホーネックによる美しさの極みとも言うべきヴァイオリン独奏を聴くことができるのも本名演の大きなアドバンテージである。

併録の交響的幻想曲「影のない女」は、R・シュトラウスが歌劇「影のない女」から有名曲を編曲して纏め上げた作品であるが、オペラを得意とするティーレマンならではの演出巧者ぶりが発揮された素晴らしい名演であると評価したい。

録音は、従来盤でも比較的満足できる高音質であったが、今般のSHM−CD化によって音質がさらに鮮明になるとともに、音場が若干にではあるが幅広くなったように感じられる。

ティーレマンによる素晴らしい名演を、SHM−CDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2013年04月28日


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極上の高音質SACDの登場だ。

この演奏には、これまでマルチチャンネル付きのハイブリッドSACD盤が登場していたが、当該盤は、マルチチャンネルの質があまり良くなく、やや焦点のぼけた音質とあいまって、臨場感にいささか欠ける面があった。

ところが、今回のSHM−CD仕様のシングルレイヤーSACDはそもそも次元が異なる音質と言える。

同じSACDでもここまで違うとは信じられないほどだ。

マルチチャンネルは付いていないが、音場が拡がる素晴らしい臨場感といい、音質の鮮明さといい、これ以上は求め得ないような究極の高音質CDと言えるだろう。

アルプス交響曲の高音質CDとしては、数年前に発売されたヤンソンスのマルチチャンネル付きSACDがあるが、マルチチャンネルが付いていないことを考慮すれば、本盤と同格の音質と言えよう。

演奏も素晴らしい名演。

ティーレマンは持ち前の技量で、情熱的かつ、劇的な音楽を展開させている。

そして何よりも、ウィーン・フィルの美音を存分に味わうことができるのが本演奏の最大の魅力だ。

ティーレマンも聴かせどころのツボを心得た見事な指揮ぶりであり、最近急増しつつあるアルプス交響曲の名演の中でも、トップの座を争う名演として高く評価すべきものであると考える。

併録の「ばらの騎士」組曲も名演。

これを聴くと、ティーレマンが、オペラハウスから叩き上げてスターダムにのし上がっていくという、独墺系の指揮者の系列に連なる指揮者であることがよく理解できる。

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2013年01月05日


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ティーレマン渾身の名演である。

ティーレマンのブルックナーといえば、ミュンヘン・フィルの芸術監督に就任した際の「第5」が脳裏に浮かぶが、それが名演だっただけに、「第5」に続く続編が長く待たれていたところであった。

そのような中で、本盤の名演の登場は、これまでの渇きを癒すのに十分であると言えるだろう。

そもそもハース版を使用したところに、ティーレマンの同曲への強いこだわりを感じさせる。

ハース版の使用にこだわった指揮者としては、ヴァントや朝比奈が掲げられるが、ティーレマンはヴァントの数々の名演に示唆を受けたのではないかと思われる。

というのも、ヴァントと同様に金管楽器を無機的になる寸前に至るまで最強奏させているからである。

ただ、ヴァントと決定的に異なるのは、いわゆる凝縮型ではなく(ヴァント最晩年のベルリン・フィル盤はスケール雄大であったが)悠然としたスケールの大きさ。

適時適切なゲネラルパウゼの活用も、そのような傾向を助長する結果に繋がっている。

テンポの変化も最小限に抑えており、この辺りは、ブルックナー演奏の王道を行くアプローチであると言える。

もっとも、個性的な解釈も散見される。

例えば第2楽章。主部の強弱のユニークな付け方は、いささか芝居がかった演出のようなきらいもあるが、恣意的な解釈をとっているように感じられないのは、ティーレマンがブルックナーの「第8」の本質をしっかりと掴み取っているからにほかならない。

SACDマルチチャンネルによる高音質録音も、本盤の価値を大いに高めることに貢献している。

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2012年01月08日


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ポリーニによる3度目のブラームスのピアノ協奏曲第1番の登場だ。

ポリーニは完全主義者として知られているだけに、レコーディングには慎重を期して臨むのが常であるが、そのようなポリーニが同じ曲を3度も録音するというのは異例のことであり、これはポリーニが同曲にいかに深い愛着を有しているのかの証左であると言えるだろう。

本盤におさめられた演奏は、2度目の演奏から14年を経た後のものであるが、これは素晴らしい名演と評価したい。

そもそもポリーニのピアノ演奏が、1997年盤とは段違いの素晴らしさであると言える。

1997年盤に顕著であった技巧臭さえ感じさせる無機的な演奏など薬にしたくもなく、もちろん超絶的な技量は健在ではあるが、どこをとっても懐の深い豊かな情感が満ち溢れているのが素晴らしい。

これは、ポリーニの円熟によることは間違いがないところであり、ポリーニが演奏の技術的な正確さ、緻密さを追求するのではなく、このような情感豊かな演奏を行うようになったことに深い感慨を覚えるところだ。

このような演奏を聴いていると、ポリーニこそは名実ともに現代を代表する偉大なピアニストの一人であることを痛感せざるを得ない。

ポリーニとしては3度目の同曲の演奏ということになるが、3度目の正直との諺のとおり、漸く自他ともに満足できる名演を成し遂げることが出来たと言えるだろう。

かかる偉大なポリーニのピアノ演奏を下支えするティーレマン&シュターツカペレ・ドレスデンについては、このコンビならばもう少しハイレベルの演奏を望みたい気もしないでもないところだ。

同曲は、ピアノ伴奏つき交響曲との異名をとるだけに、同曲の分厚いオーケストレーションを活かしたより重厚かつ雄渾なスケールの演奏を望みたいと思った聴き手は筆者だけではあるまい。

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