ケルテス
2019年10月07日
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イシュトヴァン・ケルテス(1929-1973)がウィーン・フィルと共演した1961年から73年までのデッカ音源を纏めた21枚セット。
最後の1枚はブルーレイ・オーディオ盤のシューベルトの8曲の交響曲及び序曲集になる。
カルロス・クライバー演奏集では、全曲ブルーレイ・オーディオ・バージョンで収録されていたので、名演の誉れ高いドヴォルザークの『新世界』の高音質化を期待していたが、ここでは結局レギュラー・フォーマット盤で収録されている。
1961年の古い音源なのでマスターの経年劣化でリマスタリングができなかった可能性もある。
若干32歳だったケルテスが、したたかなウィーン・フィルの信頼を勝ち得て、彼らの美感を思う存分発揮させながら、独自の世界を描く演奏には替え難いものがある。
いずれにしてもブルーレイ・オーディオ化されたシューベルトの音質が素晴らしいだけに残念だ。
ブラームスの4曲の交響曲及び『ハイドンの主題による変奏曲』に関しては、1964年に録音された第2番の後、シリーズとしての企画が立ち上げられたのが8年後の72年である。
そのため他の3曲とは隔たりがあるものの一応全曲収録の体裁を整えているが、ケルテスの急死で第2番の再録音は果たせなかった。
また『ハイドンの主題による変奏曲』もセッションが続いていた最中に同様の理由で中断されたため、ウィーン・フィルのメンバーが残された部分を指揮者なしで追悼演奏して完結させたものが収録されている。
声楽曲ではモーツァルトの『レクイエム』、オペラではモーツァルト・オペラ・フェスティバルと題された序曲及びアリア集2枚、『皇帝ティトの慈悲』全曲とドニゼッティの『ドン・パスクワーレ』全曲が収録されている。
中でもドニゼッティはケルテスのコミカルな表現が炸裂した秀演だ。
歌手陣にもタイトルロールがコレナ、ノリーナにシュッティ、エルネストにはオンシーナ、マラテスタがトム・クラウゼという芸達者が揃っている。
ドタバタ劇に陥りかねない作品を芸術の範疇に踏み留めた演奏が面白く爽快だ。
中でも第2幕で歌われるノリーナとエルネストの二重唱は、かつてのダル・モンティ、スキーパのデュエットを髣髴とさせるベル・カントのお手本のような美しさが特筆される。
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2014年08月09日
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ドヴォルザークは薄命の天才指揮者であったケルテスにとって、特に十八番と言えるレパートリーであったが、特に交響曲第8番は注目すべき秀演と言えるだろう。
この第8番は、ケルテスが残した名演として誉れ高いドヴォルザークの交響曲全集の中でも、傑出した出来映えを誇る演奏になっている。
ここに聴くケルテスの表現は、とにかく自然で音楽的な語り口が目を引くものになっている。
まろやかに溶け合ったブレンドのよい響きと、作品の姿に完全に一致した絶妙な感情の起伏は、自然体の表現をきわめたそのアプローチの中に、この交響曲の本来的な魅力をあるがままに浮き彫りにする結果をもたらしているのである。
また説得力も強く、鋭い感受性で曲を着実かつ流麗の表出しており、確信のこもった表情が若々しく、作品に内在する民族性もごく自然に表われている。
ケルテスの数多い録音の中でも、この指揮者の妙技を偲ばせてくれる最高の演奏の1つと言っていいだろう。
一方、「新世界より」はスケールが大きく、緩急のバランスや楽器の統御も正確だが、第8番の演奏に比べると、いくらか精彩に乏しい感じを受ける。
第1楽章ゆっくり目なスタートなのだが比較的「含み」は少ない感じで、あの象徴的なティンパニは、やや残響が強調されストレートな勢いからは脱したようだ。
普通のテンポになった展開部では切れ目のない弦の美しさが少し目立ち気味だが、反復演奏も含めてよく整理され練れた仕上がりになっている。
第2楽章は静かにしつつ管楽器を際立たせ、さらに弦のしっとり感がボヘミア的な郷愁色を煽る。
舞曲風で弦が隠れる程、時折ここでもティンパニの残響と管楽器の動きを強調した面白い第3楽章を経て、最終楽章の出だしはしっかり踏み込んで行く。
全体的にやや音色が平板になった点と、一部ちょっとした節の切り替えに納得が行かない部分もあるが、弦の旋律線に乗りながらのピークでの実に堂々とした運びは素晴らしい。
ケルテス自身かなり意図した事は明白で、少なくとも二番煎じの演奏にはなってないが、筆者には当時30歳過ぎの若きケルテスが、かのウィーン・フィルにあれだけの名演奏をさせ、ウィーン・フィル自体も持ち得る実力を最大限に発揮した1961年盤の方が強烈のように思える。
録音は、英デッカによるものだけに、従来盤でも鮮明で良好な音質である。
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2014年04月24日
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ケルテス指揮、ウィーン・フィルのドヴォルザークの「新世界より」は今でも非常に人気の高い名盤のひとつで、英デッカの名録音によって今でも瑞々しい鮮度を誇っている。
ケルテスは1973年4月、イスラエルの海岸で海水浴中に高波にさらわれて43歳の若さで命を落としたが、それがクラシック音楽界にとっていかに損失であったのかは、遺された数々の名演でよく理解できるところだ。
かかる名演は、コダーイの管弦楽曲集などのお国ものからブラームスの交響曲全集などに至るまで多岐に渡っているが、それら数々の名演に冠絶するケルテス最大の遺産は、本盤に収められたウィーン・フィルとのドヴォルザークの「第9」であるというのは論を待たないところだろう。
それどころか、古今東西の様々な指揮者による同曲の名演の中でも、トップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。
本演奏で素晴らしいのは何よりも、ウィーン・フィルの美しさの極みとも言うべき名演奏にある。
ホルンをはじめとする金管楽器の朗々たる奥行きのある響きは抗し難い魅力に満ち溢れており、木管楽器の温もりのある響きも極上の美しさを誇っている。
そして弦楽合奏の重厚にして優美な音色が演奏全体に適度の潤いを与えていることを忘れてはならない。
このような美しさの極みとも言うべき名演奏は、ウィーン・フィルとしてもなかなか成し遂げられるのは困難なものと言えるところであり、それだけ本演奏においてはウィーン・フィルが持ち得る実力を最大限に発揮している。
ケルテスはこの時は若干31歳の若さであったが、ウィーン・フィルにこれだけの名演奏をさせたということは、ケルテスの類稀なる才能と同時に、ウィーン・フィルがケルテスの才能を深く敬愛していたことの証左であると考えられる。
ケルテスの指揮は、いささかも奇を衒うことなく、むしろオーソドックスな自然体のものとさえ言えるが、ウィーン・フィルに前述のような最美の演奏をさせることによって、同曲の魅力を最大限に発揮させることに成功している点を高く評価したい。
まさに本演奏は、我々聴き手が同曲に求めるすべての要素を兼ね備えていると言っても過言ではあるまい。
私見では、同曲の最高峰の名演は、本演奏とクーベリック&ベルリン・フィル(1972年)、カラヤン&ウィーン・フィル(1985年)による名演が3強を形成していると考えているが、同曲の魅力を存分に味わうことができるという意味においては、本演奏こそが随一であると考えている。
ケルテスは、後年にロンドン交響楽団とともに同曲を録音(1966年)しており、それも名演に値するとは思うが、とても本演奏のような魅力は備わっていない。
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2013年06月16日
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ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。
1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったであろうことは否定し得ない事実である。
本盤に収められたベートーヴェンの交響曲第2番の演奏は1960年頃のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳という若き日の演奏だ。
それだけに、演奏に奥行きのある彫りの深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、まさに若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっている。
そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。
これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以であると言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。
併録のハイドンの交響曲第45番も素晴らしい名演だ。
ハイドンの交響曲の演奏様式については、近年では現代楽器を使用した古楽器奏法や、ピリオド楽器を使用した、いわゆる小編成のオーケストラによる軽妙な演奏が主流となっている。
そのような中で、本演奏のような重厚にしてシンフォニックな演奏は稀少なものと言えるが、演奏の持つ力感や内容の濃さには尋常ならざるものがあり、その充実度は近年の演奏など本演奏の足元にも及ばないと言えるだろう。
何よりも凄いのは、このような偉大な演奏を1960年というケルテスが指揮者デビューした若干31歳という若き日に成し遂げたということであり、いかにケルテスが類稀なる才能を有した指揮者であったのかがわかろうというものである。
いずれにしても、本演奏は、若き日のケルテスによる素晴らしい名演であるとともに、軽妙浮薄な演奏が流布している現代においてこそその存在価値が大きい至高の名演と高く評価したい。
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2012年07月13日
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ケルテスは才能のある偉大な指揮者であった。
1973年のイスラエルでの海水浴中の悲劇の事故がなければ、当時43歳の若さであっただけに、その後の指揮者地図が大きく変わったことは否定し得ない事実であろう。
本演奏は1960年のスタジオ録音であり、ケルテスが未だ31歳というデビューしたばかりの時期のものだ。
それだけに、演奏に奥行きのある彫りの深さを求めることは困難ではあるが、各楽章のトゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫や強靭な生命力が演奏全体に漲っており、正に若武者ならではの爽快な演奏に仕上がっている。
そして、ケルテスが素晴らしいのは、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの薄味な演奏には陥っておらず、どこをとっても瑞々しささえ感じさせるような豊かな情感が込められている点である。
これが、本演奏が気鋭の若手指揮者による演奏らしからぬ内容の濃さを有している所以と言えるところであり、ケルテスが死の直前にバンベルク交響楽団の首席指揮者への就任が決定していたことも十分に理解できるところだ。
併録の「レオノーレ」序曲第3番、「コリオラン」序曲、そして「エグモント」序曲も、交響曲第4番と同様のアプローチによる圧倒的な名演に仕上がっている。
そして、本盤で素晴らしいのは、何と言ってもシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD化による極上の高音質である。
本演奏は、いずれも今から50年以上も前の1960年のものであるが、ほぼ最新録音に匹敵するような鮮明な高音質に生まれ変わった。
あらためて、シングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。
いずれにしても、ケルテス&バンベルク交響楽団による名演を、現在望み得る最高の高音質であるシングルレイヤーによるSACD&SHM−CD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。
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2012年03月02日
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インマゼール盤とともに、是非とも揃えておきたいのが、ケルテス&ウィーン・フィルの交響曲全集である。
「クラリネットとオーボエのユニゾンで奏される第1楽章第1主題の音色が、ハンガリーの民族楽器タロガトーの音を模したものであることがもっとも明確に分かる」とは、ケルテス&ウィーン・フィルによる「未完成」への中野雄氏のコメント(『クラシックCDの名盤』)である。
なるほどと感心したものの、未だタロガトーの本物の音は聴いたことがない。
ここに自らの不勉強をお詫びする。
それはそれとして、この全集の素晴らしさは一目瞭然だ。
ケルテスの音楽づくりは、まるで古楽器奏法を先取りしたような鋭いアタック、クライバー顔負けの鞭のようにしなるフレージングをもって、楽曲の構造を浮き彫りにするのを特徴とする。
ウィーン・フィルと共演しながら、ウィーン情緒と訣別した斬新さに秀でており、特に、初期作品でのシューベルトの前衛性が明らかにされていて面白い。
「第1」や「第2」など、滅多に演奏される作品ではないが、若書きゆえの破天荒な魅力があり、当時としてはかなり前衛的な作品だったはずだ。
1963年の第8、9番にケルテスの魅力的な個性が示されている。
他ならぬ「未完成交響曲」に於いて、本家ウィーン・フィルを用いながらも、「ウィーン情緒」からはもっとも遠い斬新なシューベルト像を描いたのである。
「グレイト」も瑞々しい感受性をもってシューベルトの抒情的な旋律を格調高く歌わせ、構築も端正・緊密で、ケルテスの純音楽性の高さを思い知らされる演奏。
しかしその後の録音(1970〜71年)は、作品の室内楽的な容姿をよく生かしているものの、いささか情緒の膨らみに乏しく、ウィーン・フィルのアンサンブルも格別優れているとはいえない。
上記データで、録音年が7年も飛んでいるのは、1963年に「未完成」と「グレイト」を録音した時点では、全集化の考えがなかったからだと思われる。
それらの中では、「第5」が、この曲の従来からのイメージに合った温和で優美な音楽で、ウィーン・フィルもじつに魅力的だ。
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2011年05月05日
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イシュトヴァン・ケルテスが残してくれた貴重な遺産。
ケルテスのモーツァルトは、いくら聴いてもすばらしく、飽きることがない。注文をつける余地を残さない。
強制されるのでもなく、説得されるのでもなく、ただモーツァルトはこうなんだよ、と言っているようだ。
聴くほうもしだいに、そう思いはじめ、安堵、幸せの気持ちが流れ込み、やがて満ち足りた思いになる。
どの指揮者よりもモーツァルトへの愛着が強く感じられ、感性豊かに調べを歌い、抜群のテンポとリズム感をもつ。
けっして作られたものではなく、生まれながらに自然に備わって、いつしか体内から湧き出てきたようである。
モーツァルトの音楽に必要なセンスとバランスの良さからくるのだろう。
ケルテスはできあがるであろう全体像を見極め、把握してから、各部分の音づくりを始めているように見える。
第25番は気品高い演奏だ。
ケルテスは音楽的な純粋性と美しい平衡感で、円熟した音楽を聴かせる。
第29番ではロマン的な甘美さを表し、第40番も感情が内部からにじみ出るような陰影に富み、「ハフナー」は内面的な深さに加えて独自の優美な感覚が示されている。
第39番は溌剌と弾む晴朗なモーツァルトで、ケルテスの新鮮な感受性がそのまま表れた好ましい演奏だ。
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2011年01月28日
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ペローのおとぎ話集『マ・メール・ロワ』に出てくる『青ひげ公』の物語を、バルトークの友人バラージュが台本化したものに基づいて作曲されたバルトーク唯一のオペラである。
物語は、理性的で孤独な男、青ひげ公と、その男のすべてを知りたいと考える好奇心の強い若妻ユディットを中心としたもので、城の中の複雑怪奇な部屋の扉を開けるごとに夫の正体がわからなくなる妻が、最後の扉を開けたとき、夫の残忍な姿を知る、という内容。
このディスクは、1973年に事故死したハンガリー出身のケルテスによるもので、歌手たちのハンガリー語の発声法がしっかりしているところが魅力だ。
演奏は、この作品全体を支配する、暗く、幻想的な雰囲気を見事に引き出したもので、ケルテスの棒は終始鋭い。
ケルテスは精緻でたくましい音楽運びで、全体をオペラティックにまとめ上げてゆくが、その明晰極まりないドラマの世界は、強い説得力を持っている。
ケルテスは、精妙な音色的効果を神経質に鋭く描くことにより、大きなドラマティックな起伏の中に神秘的ムードを強調した点で、オペラティックな表情の濃厚な演奏である。
青ひげ公のベリーは、この役の冷たい性格をうまく表現しているし、ユディットのルートヴィヒも、好奇心旺盛な若妻が、恐怖にふるえるありさまを鬼気せまる迫力で演じている。
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2010年02月06日
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クーベリック盤とともに、ドヴォルザーク交響曲全集の基本とするべき盤であるが、私は、クーベリックに取り憑いた暗い情念が苦手なので、本全集を座右としている。
ケルテスの瑞々しいアプローチが本全集の命だ。
1973年に夭逝したケルテスの労作だが、演奏は精力的で若々しく、情熱的な鋭い感受性と色彩的な郷土色の表出が作品の性格を深く掘り下げる。
有名な第7〜9番はもとより、普段聴く機会の少ない初期の作品も実に音楽的に興味深く聴かせる。
第1番「ズロニツェの鐘」のなんと愉しいこと!
いかにも実直なドヴォルザークらしく、くそ真面目に書かれた作品だけれど、後期作にはない素朴な魅力が何とも言えないのだ。
それを、ケルテスがほんとうにチャーミングに聴かせてくれる。
もちろん、「第6」以降の後期作も魅力満点だ。
特に「第8」は説得力が強く、鋭い感受性で曲を着実かつ流麗に表出しており、確信のこもった表情が若々しく、作品に内在する民族性もごく自然に表われている。
ケルテスの数多い演奏の中でも注目すべき秀演といえる。
音楽の構成的なかたちを内容とともにくっきりと表出した、よく練られた演奏であり、全集としても優れたものと評価したい。
ドヴォルザークの邪気のなさ、素直さを最良の形で聴かせてくれる全集である。
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2009年05月13日
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交響曲第1、3、4番はイシュトヴァン・ケルテスの亡くなる直前の録音。ハイドンの主題による変奏曲はフィナーレ部分のみが未収録のまま残されたが、ウィーン・フィルの団員がケルテスの死を悼んで、特に指揮者なしで録音されたものである。
図抜けた才能と人望から、将来の大成を期待されながら、テルアヴィヴの海岸で遊泳中、波に呑まれて事故死。
ハイドンの「ネルソン・ミサ」の本番を控えていたイスラエル・フィルの楽員、ソリスト、合唱団員たちの多くは号泣し、偉大な才能の損失に嘆いたという。
遺作はどっしりとした安定感があり、聴いた後に確かな手応えが残る演奏で、ひたすら堅実で落ち着きがあり、懐の深さを感じさせる演奏である。
第1番は終始しっかりとした足取りで進められ、第1楽章の主部では、ウィーン・フィルの反応にやや腰の重さを感じさせるものの、要所要所はしっかりと引き締められて、力のこもったクライマックスが築かれている。
ハイドンの主題による変奏曲も楚々としたたたずまいを見せる冒頭の主題提示から、力強い終結の主題再現まで、ストレートに盛り上がってゆく演奏である。
第3番はやや速めのテンポで押し進められる第1楽章や、じわじわと貫録の大きさをみせる終楽章もさることながら、第2楽章のさり気ない表情の中に歌心が満ちた演奏ぶりが感銘深い。
第4番ではさらに歌心があふれ、第1楽章では各フレーズに音楽が脈打っており、終楽章では終盤に入って力強い勢いを示す。
まさに正統派という言葉がふさわしい秀演だ。
1964年録音の第2番は、まるで果汁が染み出るようにジューシーなウィーン・フィルの音色に魅了される(来るべき悲劇の影は微塵もなく、それがいっそうの悲しみを呼ぶ)。
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2008年10月23日
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「新世界より」は若き日のケルテスが初めてウィーン・フィルを振った記念すべき録音。
まさに痛快といっていい演奏だ。
ヴェテラン揃いのオーケストラを自在にあやつり、みずみずしい感興を随所に発散している。
長らく「新世界より」の決定盤とされてきたものだが、改めて聴いても、申し分ない演奏だ。
録音は古くなったが、聴き返すたびに演出のうまさとそれを裏付けるロマンディックな詩情、またマジャールの血が騒ぐとでも言えそうな活気あふれるリズム感などに魅せられる。
後半の乗りに乗った音楽の流れとその勢いは、ちょっと比べるものがないほどだ。
ケルテスの指揮が素晴らしいのは、若々しい推進力を持ちながら、堂々とした大家の片鱗を見せているところである。
32歳の若さでウィーン・フィルをこれだけ御すのだから驚く。
オーケストラを目いっぱい鳴らしつつ、少しの粗さもなく、響きは豊かさの極みであり、旋律は心ゆくまで歌われ、曲想によるテンポの動きはずいぶん大きいのに自然さを失わない。
ウィーン・フィルも、心に絡みついてくるようなヴァイオリン、深々とした低弦、どんなフォルテでも耳に優しい金管群などをもって、若きケルテスの棒に見事に応えている。
ケルテスを語るときには忘れることができない1枚。
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