ハスキル
2020年01月23日
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ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタは、彼が優れたピアニストであっただけに、ピアノ・パートの比重が高く、演奏の成否はピアニストによって左右されることが多い。
その点で、ハスキルを得たことはグリュミオーにとっても幸福であった。
彼女が亡くなる直前まで2人はしばしば共演しており、アンサンブルは緊密というよりその枠を超えた魅力を持っている。
2人とも音色は美しいし、表情は豊かで、それが演奏に奥行きと広がりを与えている。
1956年から57年にかけてのモノラル録音時代末期のセッションだが、比較的芯の太い明瞭な音質のためにグリュミオーのソロ・ヴァイオリンとハスキルのピアノ・パートがどちらもかなり良い状態で鑑賞できる。
グリュミオーの弾くソロは、特に第9番イ長調『クロイツェル』で聴かれるように、潤沢で高貴な音色と甘美で艶やかな表現に魅力がある。
確かにポルタメントを随所にかけたスタイリッシュなカンタービレや惚れ惚れするようなヴィブラートは客観的な演奏とは言いがたいが、彼の一世を風靡した豊かな音楽性と聴き手の感性に訴える巧みな表現は、理屈抜きに強い説得力を持っている。
勿論彼のような奏法は、もはや現代の如何なるヴァイオリニストからも聴くことができない。
一方クララ・ハスキルのドラマティックで奔放とも言えるピアノが、このベートーヴェンのソナタ集を生命力と緊張感に溢れるものにしているのが印象的だ。
彼女のこの作品に対する積極的なアプローチはグリュミオーのソロを引き立てるだけでなく、ベートーヴェン自身が試みた本来の意味でのデュエット、つまり両者の対等な立場の協演を実現しているように思える。
闊達で高く飛翔するハスキルのピアノ、端正な様式と優美な情感が結びついたグリュミオーのヴァイオリンは、ベートーヴェンのソナタが示す変化に富んだ世界を生き生きと再現している。
いずれにしても彼らのコンビ全盛期の記録としても大いに価値のあるセットとして評価したい。
こちらはデッカからのオリジナル・イシューだが、ブリリアント・レーベルのライセンス・リイシュー廉価盤もリリースされている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2019年12月26日
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嬰ハ短調L256が始まると、筆者は無限の暗黒のなかにひとり置かれたような感じに襲われる。
何という孤独感、そして高貴な精神!
ハスキルの音色の多様さ、タッチの微妙さ、テンポの微かな揺れぐあいはまさに絶妙で、もうこの1曲目だけで、この盤はとてつもない名演なのだということが直感できるのである。
次のト長調L388は駆け抜けるようなアレグロだが、注意深く聴くと、テンポがほとんどフレーズごとに変化しているのに気がつく。
普通このようにテンポを揺らされると、恣意的で落ち着かない印象を受けると思うのだが、ハスキルの場合曲想とぴったり一致して何の違和感もなく、感情の綾のひとつひとつが見えるようである。
3曲目のハ長調L457は、長調で書かれているにもかかわらず、何とも吹っ切れない感情がたまらなくいとおしいアンダンテである。
後半は短調でそっと始まるが、さまざまな寂しい感情の明滅の果てに、慰撫するような長調のアラベスク音型で曲は閉じられる。
ただそこに媚びは一切なく、聴き手は畏敬の念をもってその孤独感を味わうのである。
……とこのように11曲について全部書こうとすれば、きりがないくらいに素晴らしい演奏である。
筆者はこの盤でスカルラッティの美しさを知って、もっとたくさんの素敵な曲に接したいという想いでスコット・ロスの全集にたどり着いたわけだ。
スカルラッティのソナタ集で定評のある盤と言えば、ホロヴィッツ盤(ソニークラシカル)があり、以前はよく聴いていたのだが、あまり面白くないと感じるようになった。
重なっている曲はイ長調L483のみであり、ホロヴィッツ盤の選曲が悪いのかとも考えたのだが、やはり曲の問題ではなく、曲を通じて表出される幻想性、さらには弾き手の精神性の格差が表れているのだと思う。
ハスキルのスカルラッティを聴いていて、「こんな風にシューベルトのソナタ第21番変ロ長調を弾いたら空前絶後の名演になるのかな」とふと思い、聴き進めたところ、残念ながらスカルラッティほどのファンタジーはなかった。
やはりこのスカルラッティこそが、ハスキルのベストレコードなのかもしれないと感じた次第である。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2018年02月16日
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典雅な音色とスタイリッシュな演奏で一世を風靡したベルギーのヴァイオリニスト、アルテュール・グリュミオーはかなりの量の音源をフィリップスに遺している。
没後30周年記念として2015年にユニヴァーサル・イタリーからは彼の十八番だったモーツァルト・コンプリート・レコーディング集19枚がリリースされ、今年になってモノラル音源のみの14枚も纏められた。
曲目を見るとモーツァルト作品集とはこのセットでも2枚がだぶっているし、モノラル録音集ともハスキルと組んだベートーヴェンを始めとして7枚が同音源になる。
どちらにも組み込まれていないのが1960年から翌61年にかけて収録されたバッハの無伴奏ソナタとパルティータ全6曲、58年のベイヌム、コンセルトヘボウとのブラームス及びフリッチャイ、ケルン放送交響楽団とのストラヴィンスキーの3枚だけになる。
前述の2セットを持っている方でもバッハの無伴奏の正規盤2枚を買うよりコストパフォーマンスで優っているところがセールス・ポイントだろう。
例によってジャケットは総てボックスと同一のデザインでライナー・ノーツ等は一切省略された完全節約仕様。
ベートーヴェンのソナタ全集はハスキルの素晴らしいサポートもあって、息の合った充実した作品集に仕上がっている。
60歳を超えたハスキル晩年の録音だが、そのみずみずしさはどうだろう。
技術的にも申し分なく、各作品の様式感を深く掘り下げながら晴れ晴れとした音楽を自在に繰り出していくあたり、音楽家としてまさに円熟の極みにあったことがよくわかる。
グリュミオーにとってもかけがえのない音楽的伴侶であったろう。
2人の音楽は完璧に一体化し、全曲ともテンポ感やリズムが快い秀演となった。
後続のモーツァルトの2曲のソナタも含めて総てモノラル録音だがフィリップスの潤いのある柔らかく、しかも立体感が感じられる音質が特徴だ。
バッハの無伴奏はグリュミオー40歳を迎えた典型的な壮年期の演奏で、丁寧に引き込んでいるが覇気に満ちた強い推進力がある。
美しい音色と潤沢な音量に溺れることなく、バッハの対位法の綾を綴るテクニックは流石だ。
ドキュメンツ系の廉価盤では新規のリマスタリングは全く期待できないが、音源自体が非常に良好なステレオ録音なので音質も充分満足のいくものになっている。
それに反して最後の2枚は演奏に関しては文句はつけられないが、録音状態が時代相応以下でやや耳障りなのが惜しまれる。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2015年09月06日
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ケースの裏面にステレオ・ライヴ・アナログ・ブロードキャスト・マスターテープからのDSDマスタリングという表示がある。
いずれも保存状態の極めて良好なオリジナル・オープンリール磁気テープから制作されたSACDで『スペインの庭の夜』が1960年、『はかなき人生』及び『三角帽子』が1961年の録音と記されている。
このディスクもSACD化の成功例と言える分離状態の良い音像とホールの奥行きを感じさせる立体感や低音から高音までのむらのない鮮明な音質で、マヌエル・デ・ファリャの3曲の歴史的名演が蘇っている。
1曲目の『スペインの庭の夜』は愛国心を煽るような熱狂的な作風ではなく、むしろスペイン風の趣味を織り込んだファンタジーに昇華された独奏ピアノと管弦楽のための魅力的な作品で、ドビュッシーの同様の楽器編成による『ファンタジー』に共通するものがある。
ハスキルのレパートリーの中では異色ながら、マルケヴィチの好サポートと相俟ってLP時代から名盤の誉れ高いもの。
指揮者イーゴリ・マルケヴィチはウクライナ生まれだがパリで教育を受け、その後も主としてラテン系のオーケストラで研鑽を積んだ経歴を持っているだけあって、ファリャにおいても決して他人行儀ではない洗練された音楽性と鋭敏な感性を手兵コンセール・ラムルーに託した演奏に高い価値がある。
またソロ・パートを弾くクララ・ハスキルにはラテン的な感受性と共に神々しいような神秘的な表現が共存していて、この曲でもパワーではなく、特有のカリスマ性を発揮して聴き手を惹きつけてしまう。
同曲のピアノ・パートは難技巧と、ギターなどスペイン音楽のイディオムが盛り込まれているため、弾き手を選ぶ音楽と言えるが、ハスキルは死の直前の演奏ながらタッチは力強く明快で、大編成のオーケストラと真っ向から張りあっている。
ハスキルのピアノは、通常この作品で演じられる濃厚な官能性はなく、端正かつ清明で、まるでモーツァルトのようだが、意外なスペイン気質も感じさせ感動的。
マルケヴィチの充実ぶりも素晴らしく、複雑なオーケストレーションを見事に統率、熱き血のたぎる盛り上がりを見せている。
テープに起因するヒスノイズは感じらるものの、SACD化により各楽器の解像度が格段に向上してぐっと接近し、物凄いエネルギーまで放つようになったのが驚きだ。
一方オペラ『はかなき人生』からの「間奏曲」及び「スパニッシュ・ダンス」とバレエ音楽『三角帽子』はエルネスト・アンセルメ指揮、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏で、アンセルメの民族主義的な曲想の輪郭を際立たせる手腕が冴え渡った秀演。
こちらもLP時代からの名盤で、いにしえのデッカ特有のマイク多用の効果がSACD化でますます発揮され、スコアが見えるほど各楽器が際立っているが、少しも人工的でなく、意外にアンセルメがエネルギーあふれる情熱的演奏をしていたことを証明している。
彼が舞踏場面の緊張感を高める時に、テンポを落としてかえって熱狂的なシーンの演出に成功しているのには驚かされる。
『三角帽子』はバレエ・リュスを率いていたディアギレフの委嘱作品で、指揮はアンセルメ自身が初演し、衣装デザインにはパブロ・ピカソが起用された意欲作だっただけに、初演時の意気込みが伝わってくるような情熱的な演奏だ。
ここでは若かったテレサ・ベルガンサの鮮烈な歌声も聴きどころだが、オーケストラにこれだけ幅広い表現力が引き出せるのかと思えるほど、多彩でスペクタクルな響きを楽しませてくれる。
後半の2曲はスペインの民族色を色濃く反映させた作品だが、その演奏に関してはスペインには名門オーケストラが育たなかったためか、その後ファリャがフランス系のオーケストラの独壇場のレパートリーになっていったのも皮肉な結果だ。
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2014年10月10日
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この2曲のこれだけ神々しい演奏は他に類例を見ない、まさに決定的名盤である。
この演奏にはいわゆる美しいモーツァルトの姿は微塵もなく、まるでモーツァルトの心の内面を抉り出すような、曝け出したしたかのような強い演奏である。
ハスキルはモーツァルト弾きとして通常は知的な演奏を得意としていたが、この録音は明らかに違う。
ハスキルのピアノは、緩徐楽章における人生の諦観とともに、特に、両端楽章にはどこか切羽詰まった気迫のようなものが感じられるのが実に興味深い。
こうした感情の露出が大きい個性の強い表現、芯の強い表現は、他にはギーゼキングとカラヤンが共演したモノラル盤以外に殆ど類例がない。
両曲とも最初の前奏から少々ビックリするような悲劇的表現で曲は開始されるが、ビアノが始まるとさらに内面深く落ち込んでゆく。
しかし聴き込んでいくとそこにモーツァルトの真の姿を見るような思いが湧き出てくるのである。
モーツァルトがハスキルに乗り移り,彼女の指を使って自作自演をしているようでもあり、特にハ短調協奏曲は突然ぶっきらぼうに終演して、悲劇の中に光明を見るような演奏になっている。
本演奏は、ハスキルの死の1か月前の録音であるが、モーツァルトの数少ない短調のピアノ協奏曲を2曲セットにしたカップリングにも、何か運命めいたものを感じさせる。
ハスキルは、自分が譜面から読み取った音楽を、完全に自分の方法で、淡々と、朴訥に、弾いているのだ。
そして、淡々と誠実に弾かれているパッセージのところどころから、ハスキルの決して幸福ではなかった人生から来る孤高の悲しみのようなものが伝わってくる。
情感の豊かさも相当なものがあるが、決して哀嘆調には陥らず、高踏的なピアニズムと気品を失っていない点も素晴らしい。
まさに、ハスキルの貴重な遺言とも言える至高・至純の境地に達した名演と高く評価したい。
マルケヴィチの指揮は、実に堂の入った巨匠風の指揮ぶりであり、当時の手兵であるコンセール・ラムルー管弦楽団を見事に統率して、最善のサポートを行っている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2013年07月30日
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1955年12月8日、パリでのライヴ録音。
ハスキルはベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番を好んで弾いたらしく、いくつかの録音が残っている。
彼女の解釈に剛健とか力強いとかいう形容詞はそぐわない。
彼女はそういう外面的な要素とは関係なく、彼女の心にベートーヴェンの音楽が喚起したイメージを現実のものにする。
したがって、その演奏は、精神の純粋さと豊かな自発性を、生き生きした感情で音楽に対する親近感を聴き手の心に喚起する。
ハスキルが好んだ指揮者の1人がクリュイタンスで、音楽に対する純粋な感受性に基づく演奏には清々しさがある。
ピアノとオーケストラの交替で進められる第2楽章は、その点で2人の心の対話とでも呼びたい演奏になっている。
ハスキルは偉大なモーツァルト解釈者で、豊かな自発性と謙虚な姿勢がモーツァルトの音楽をありのままの姿で再現させた。
彼女のこまやかな感情に裏づけられたタッチが、音楽を生き生きと再現する時、聴く人も無私の世界に遊ぶことができる。
このライヴ録音では、彼女の個性が強い臨場感を伴って感じられる。
長調の作品におけるのびやかな飛翔と違って、音楽の悲哀感やドラマティックな性格がこまやかな陰影を伴って示される。
彼女が共演を好んだクリュイタンスの指揮にも品位があり、ハスキルへの共感が演奏を支えている。
マルケヴィチと共演したスタジオ録音も優れた演奏だが、クリュイタンスとの共演も大変貴重である。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2012年06月17日
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1955年6月15日 ストラスブール音楽祭でのモノラル(ライヴ)録音。
シューリヒトは、颯爽としたイン・テンポの下、繊細なニュアンスを随所にちりばめるという、言わば渋くて、枯淡の境地を垣間見せるような名演を繰り広げた指揮者だと思っていた。
しかし、それは、録音状態のいい名演が1960年代の晩年に集中していることによるものであり、1950年代半ばにフランスのオーケストラと繰り広げた前作の3枚のCDで、そのような印象が見事に覆ってしまった。
本CDも、同じく1950年代の演奏であるが、前作と同様に、テンポが目まぐるしく変遷する実に熱い演奏を行っている。
シューマンのピアノ協奏曲は、実に味わい深く、ハスキルもひとつひとつ音を慈しむように弾いていて、まるで、墨絵の世界のように渋い美しさである。
第1楽章のオーボエによるゆったりとした濃厚な表情にびっくりさせられる。
主部に入ると、演奏の歩みを速めることになるが、テンポは緩急自在で、ハスキルとの息もぴったりだ。
第2楽章は、冒頭と終結部の主題を速めに演奏して、中間部をむせ返るような抒情で歌いあげるという、実に効果的な至芸を披露している。
第3楽章も、シューリヒトの魔法のような棒のもと、見事な音のドラマを繰り広げており、演奏終了後の聴衆の熱狂も当然だと思われる。
ベートーヴェンの「第5」は、全体の印象は、晩年の颯爽たるイン・テンポのシューリヒトであるが、隋所に、この時期のシューリヒトならではの踏み外しが見られる。
第1楽章はシューリヒト独特の鋭いアクセントや陰影の付け方も見事だが、展開部や再現部での荒れ狂った様子はフルトヴェングラーの1947年盤を想起させる。
シューリヒトは、この「第5」のような奇数番号を比較的淡白に指揮するものだと思われているが、これを聴けば全くそうではないことがわかる。
例えば、第3楽章の終結部の第4楽章に向けての弦の動きなど、演奏が止まってしまうかと思うようなテンポダウンを見せたり、終楽章は、冒頭主題をゆったりとしたテンポで高らかに歌い上げたかと思うと、突然、テンポが超快速に変遷する。
終結部の一歩手前は、凄まじいアッチェランドをかけており、シューリヒトの熱いパッションの爆発が見られる。
「オイリアンテ」序曲も含め、本CDにおさめられたいずれの曲も、これまでのシューリヒトの印象を覆すのに十分な超名演と評価したい。
ライナーの平林氏の解説も、過去の演奏との比較など実に懇切丁寧であり、いい加減なライナーがはびこる中で、平林氏には深く敬意を表したい。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年03月08日
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いくぶん録音は古くなったが、モーツァルトを弾かせたら当代随一とまでいわれたハスキルの名演である。
モーツァルトの演奏家は数多いが、ハスキルは最高位に置かれよう。
彼女の天衣無縫のような、少しも技術や訓練を意識させない演奏は、自然な流れの中に豊かな感情の起伏を反映させている点で、独特の魅力をもっていた。
特に変ホ長調協奏曲K271《ジュノーム》は、ハスキルがしばしば取り上げた作品である。
ここで彼女のフォルテピアノに匹敵する軽やかで明快なタッチは、旋律から簡素で純粋な美しさを引き出している。
イ長調協奏曲でもハスキルの解釈は本質的には変わらないが、後期の作品のスケールの大きさに見事な対応を示している。
また、陰影に富んだこの曲の美しさを十分に再現していて素晴らしい。
ことに、暗くロマンティックな情緒にあふれた第2楽章は絶品である。
ここで彼女が示した豊かなエネルギーと生命力もまた、モーツァルトの音楽と本質的に対応する。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2009年01月10日
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"モーツァルト弾き"の女流演奏家のトップともいえるハスキルが、亡くなるわずか1ヵ月前に録音した不滅の名盤である。
高雅な詩情と玲瓏な音色をもったハスキルのピアノと、きわめて激しく劇的なマルケヴィチの棒が生み出した、白熱的な名演である。
両者の音楽性はそれぞれ異なっているものの、お互いが十分に理解しあって演奏しているだけに、両者は不思議とよく溶け合っており、寸分の隙もない表現となっている。
ニ短調でのハスキルは、彼女としては比較的表情を大きくつけて弾いている。
カンタービレの優しく温かい味とか緩急の間の美しさとかは彼女ならでは。
高い気品と豊かな"歌"をあわせもちながら、この作品全体にただよう哀感を、これほどまでに纏綿と表出した演奏というのも珍しい。
ハスキル最晩年の孤高の境地といったものが感じられる演奏だ。
ハ短調は他のピアニストのように劇的に構成していないが、ピアノをよく歌わせ、高雅な憂いの情を匂わせながら、すっきりとまとめていく手並みが絶妙である。
ハスキルの彫りの深い表現は感動的だし、また、第1楽章のオーケストラの提示部からして、マルケヴィチの棒は情熱的で、全体にただよう暗鬱な気分を見事に表現している。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2008年02月08日
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いかなるところでも、例えば熱っぽいところでも躍動的なところでも、あくまでも洗練を失わない名演である。
音質もまことに澄んでいる。
しかも、ただ表面的に美しいというだけでなく、作品に即したエスプリも展開する。
しかも、中間楽章では耽美的ともいえるくらいにたっぷりと表情をつけている。
こうした演奏はおそらくハスキル主導型のためだろうが、グリュミオーもよく合わせている。
2人の音楽的呼吸が見事に合い、そこから生まれた音楽は、きわめてなめらかである。
ハスキルのピアノは、端正で、土台がしっかりしていて、柔らかい響きであり、グリュミオーのヴァイオリンは、豊麗で実によく歌わせている。
そこからは、古典的な格式もロマンも漂っている。
そこには哀愁もあれば、軽快さもあり、愛らしささえ感じる。
暖かいモーツァルトで、聴く人の心をなごませる名演奏だ。
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