マルティノン

2017年01月16日


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ジャン・マルティノンは60代になってから精力的にフランス物の録音に取り組んだ。

それらはベルリオーズ、ドビュッシー、ラヴェル、オネゲル、デュカスなど枚挙に暇がないくらいだが、このサン=サーンス交響曲全集も同時期、つまり1970年代のセッションで、それら総てが高い水準を維持している。

マルティノン自身、彼の円熟期の総決算として自国の作品に全力を注ぎ込んでいたに違いない。

そして奇しくも彼は1976年に他界している。

彼は高度な音色のブレンド・テクニックを使ってフランス国立放送管弦楽団から暖色系の繊細な音響を引き出している。

ドイツ系の指揮者であればもっと古典的な造形美を強調するだろうが、マルティノンの感性で捉えた解釈でスコアを読み取る柔軟なアプローチが彼らの演奏に特有の軽快さを与え、曲想に推進力を持たせているのも特徴的だ。

第3番『オルガン付』でも彼は決して稀有な大音響を作り上げようとしたのではなく、音楽自体が内包するエネルギーを解放する形で力みのない、しかし華麗な音楽を描き出している。

録音状態についてだが、この時期のEMIの特徴はオフ・マイクで採るホールの残響重視の方法で、当初筆者は中音に乏しく臨場感に欠ける録音上の欠点のように思っていたし、過去のレビューでもそう書いてきた。

しかし最近になってこの執拗とも言える録音方法を採用していたバランス・エンジニア、ポール・ヴァヴァシュールの確固たる哲学であったことが理解できるようになった。

特に音の陰影やその微妙な混交を考慮して作曲されたロマン派以降のフランスの管弦楽曲では、あくまでも鮮明な音質の追究という他のレーベルとは対極的な選択をしていたのではないだろうか。

つまりそれはそれぞれの楽器の音色を鮮明に拾うことではなく、複数の楽器の音色がミックスされた効果をホールの響きとして採りいれるという意味でのことだ。

フランス人の好む趣味を自分なりに想像するならば、一切を明るみに晒してしまうような方法は、むしろ品のないやり方で受け入れられなかったのかも知れない。

少なくとも一概にEMIが技術面で他社に大きく遅れをとっていたと決め付けるわけにはいかないだろう。

サン=サーンスの初期の交響曲を聴いていると、彼がいかに熱心な古典派の信望者だったかが理解できる。

そこにはハイドン、モーツァルトそしてとりわけベートーヴェンからの影響が濃厚に聴き取れる。

しかし曲調はあくまで明るく屈託のないところがいかにもフランスの作曲家らしい。

収録曲は番号付の3曲とイ長調及びヘ長調『ウルブス・ローマ』の5曲で、未完の作品を除く総ての交響曲を網羅している。

録音は1972年〜75年で演奏は総てジャン・マルティノン指揮、フランス国立放送管弦楽団。

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2017年01月14日


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ジャン・マルティノンは晩年自国のフランス音楽の録音に精力的に取り組んだ。

中でも最も評価の高いものがこの8枚のCDに収められたドビュッシーとラヴェルのオーケストラル・ワーク集である。

EMIクラシック・バジェット・シリーズのひとつで、一応今回も限定盤になっているが、既に2002年にリリースされたものと全く同一内容の約10年ぶりのリニューアル盤になる。

またこのうち1974年に録音された4枚のドビュッシーはオランダ・ブリリアントからもライセンス・リイシュー盤としても出ているし、日本盤としては独自のリマスタリング盤やSACD仕様もあり、カスタマーの選択にもバラエティーに富んだ名盤だ。

一方1975年の録音になる4枚のラヴェルのうち、チッコリーニのソロによる『ピアノ協奏曲ト長調』及び『左手のための協奏曲』と、パールマンをソロ・ヴァイオリンに迎えた『ツィガーヌ』の3曲を除いた3枚はEMIから別途にリリースされている。

ドビュッシーとラヴェルの音楽はマルティノンより5歳ほど年上のクリュイタンスの演奏を聴き逃すわけにはいかないが、残念ながら全盛期に亡くなったクリュイタンスはラヴェルはともかくとして、ドビュッシーの作品の録音はごく僅かしか残さなかった。

それに反してマルティノンはこの2人の作曲家を充分に堪能させてくれるだけの質と量のセッションを積極的にこなした。

フランス国立放送管弦楽団とパリ管弦楽団のふたつのオーケストラも巧みに統制されていて、パリ音楽院管弦楽団のようなスタンド・プレー的な面白みは影を潜めたが、どちらもフランスのオーケストラのお家芸である柔軟で陰影に富んだ暖かい音色と機動力も備えた、現在では殆んど求められなくなってしまった独自の持ち味を残している。

この時期のマルティノンのフランス音楽に対する情熱は、幸いサン=サーンスの交響曲全集を始めとしてベルリオーズ、デュカス、イベール、オネゲルなどのオーケストラル・ワークの録音という形で実を結んだ。

録音時のバランス・エンジニアは殆んどポール・ヴァヴァシュールが担当していて、それが如何にもフランス趣味を象徴していて興味深い。

筆者はつい最近までこの録音方法はEMIの技術陣と録音機器の欠点のように思っていたが、フランスものに関しては考えを変えざるを得なくなった。

特にドビュッシーの音楽ではこうしたオフ・マイクで得られる独特の空間と、透明に醸し出され混交される色彩感にヴァヴァシュールのポリシーが体現されているように思えるからだ。

尚11ページほどのライナー・ノーツにはマルティノンのキャリアが英、独、仏語で掲載されているが、曲目と録音に関するデータはそれぞれの紙ジャケットとボックスの裏面のみに印刷されている。

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2016年01月29日


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今年2016年がジャン・マルティノン没後40周年に当たり、早くも大手メーカーから彼にちなんだCDがバジェット価格でリリースされている。

マルティノンは1964年から1968年にかけてシカゴ交響楽団の音楽監督を務め、その間にシカゴ響とはRCAにCD9枚分のセッション録音を残しているが、その後1969年に彼はカサドシュのピアノ協奏曲をフランス国立放送管弦楽団と作曲者自身のソロで録音した。

これが今回初CD化され、ボーナス盤として10枚目に加わっている。

またCD6のマルティノン作曲、交響曲第4番『至高』はシカゴ交響楽団創立75周年を記念した委嘱作品で、彼自身の指揮とシカゴの初演メンバーで鑑賞できるオリジナリティーに価値がある。

マルティノンの作風は無調だが感性に訴える色彩的でスペクタクルなオーケストレーションに特徴があり、その音響が魅力だ。

カップリングされたもう1曲はイタリア系アメリカ人の作曲家ピーター・メニンの交響曲第7番で、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに象徴されるポリフォニックな書法を精緻に聴かせるマルティノンの腕が冴えている。

またスイングの王ベニー・グッドマンをソロに迎えたウェーバーの2曲のクラリネット協奏曲では、クラシックとは明らかに異なる一風変わったグッドマンの器用なアプローチが面白いが、演奏は軽快かつ臨機応変で彼のジャンルを越えた挑戦に拍手を贈りたい。

マルティノンは古典から現代の作品に至るまで常に明晰な音楽表現を心掛けていた。

ヴァレーズ、マルタン、ヒンデミットやメニンなどの新しい作品でも細部を曖昧にしない几帳面さと、伸びやかにオーケストラを歌わせる手法が統合されている。

このセットには最も世評の高かったドビュッシーこそないが、ラヴェルを始めとするフランス系作曲家のレパートリーも豊富に含まれている。

現在マルティノンのラヴェルが不当に低く評価されているのは残念である。

マルティノン自身にとってシカゴ時代は決して幸福ではなかったにも拘らず、音楽面では図らずも重要な仕事を残す結果になった。

シカゴ響はどのパートもパワフルに良く鳴っているが、天真爛漫過ぎるところがマルティノンとの相性で必ずしもベストだったとは言えないが、音源は極めて良好でオーケストラの持ち味を充分に引き出しながら、前任者フリッツ・ライナーとは全く異なった柔軟でデリケートな指揮法を伝えている。

その意味では後のフランス物への集中的な仕事が既に準備されていた時期とも言えるだろう。

マルティノンのシカゴ時代は彼自身の回想によれば苦渋に満ちたものであった。

その原因はシカゴ交響楽団の音楽監督に就任した時、楽団員達が雇用期間をめぐる就労問題を抱えていたことと、更にマルティノン自身が地元の新聞シカゴ・トリビューン紙の批評家クラウディア・キャシディーの槍玉に挙げられて執拗にこき下ろされたことにあった。

キャシディー女史の記事は批評と言うよりは、独断と偏見に満ちたヒステリックな毒舌だったが、オーケストラのマネージャーが彼女の友人でもあり、彼女の忠告を聞き入れなければコンサート自体が成り立たなかったことや、シカゴ政財界要人の夫人達を味方に付けたキャシディーが、彼女の意にそぐわない者はシカゴを去るまで攻撃の手を緩めなかったことにあった。

勿論その鉾先が向けられたのはマルティノンだけではなく、クーベリックやショルティ、作曲家ではヤナーチェクやバルトークにも及んだ。

シカゴを去ったクーベリックが彼女に持った怨恨は今や伝説的である。

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2015年10月22日


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ヴァイオリニストにとって必須のレパートリーとなっているフランス・ヴァイオリンの名曲4曲を1枚に収めた魅力的なアルバム。

当代屈指のヴァイオリニスト、イツァーク・パールマンの秀でた音楽性と華麗なテクニックの万能性を示した1枚で、パールマン若き日の最良の記録でもある。

パールマンの明るく艶やかな音色を一瞬たりとも失わない滑らかなボウイングと、圧倒的な余裕で弾き切る華麗なテクニックがひときわ冴え渡る演奏だ。

歌う楽器としてのヴァイオリンの特性を最高度に発揮した演奏は、豊かで美しく生命力に溢れたもの。

パールマンはどんな曲であっても曲想にのめり込まず、常に高踏的な解釈に踏みとどまって、なおかつそれらの曲の本質と個性を的確に把握する。

テクニックの冴えはもちろん、曲によって様々に表情を変える音色の豊かさはパールマンならでは。

またこうしたフランス物では軽妙洒脱さと同時に狡猾とも言える聴き手に対するさりげない媚があって、それぞれの作品がコケティッシュで魅力的なものに仕上がっている。

パールマンを巧妙にサポートしているのがジャン・マルティノン指揮するパリ管弦楽団で、彼ら特有の美的感性を漂わせた色彩豊かで陰影に富んだ音響がソロ・ヴァイオリンを際立たせている。

ショーソンの『詩曲』での直情的で鮮烈なロマンティシズムと陰影の濃い叙情も素晴らしいが、白眉は何と言っても最後に置かれた(後のズービン・メータとの再録音に先立つ)ラヴェルの『ツィガーヌ』だ。

『ツィガーヌ』では前半の長い無伴奏の部分を豊麗なダブル・ストップやフラジオレット、ピチカートで弾き込むパールマンの幅の広い表現と魔術師のようなソロに、妖艶なハープによって導入されるオーケストレーションのコントラストが極めて幻想的な美しさを醸し出していて格別だ。

彼らの応酬は常に緊迫感を持っていて、後半のソロの超絶技巧を駆使したパッセージとマルティノンのたたみこむような追い込みによる音楽の高揚が虹のような色彩感を体験させてくれる。

この音源は1974年に録音されたもので、以前カップリングされていたアンドレ・プレヴィン指揮、ピッツバーグ交響楽団とのサラサーテの『ツィゴイネルワイゼン』を除いて、ジャン・マルティノン指揮、パリ管弦楽団の協演になるフランス物のみの4曲を1枚にまとめたリイシュー盤で収録時間は短いが、音楽的にはよりバランスのとれた編集になった。

24Bitリマスタリング盤で音質は極めて良好。

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2015年09月08日


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このセットの魅力は、ジャン・マルティノンがドイツ・グラモフォンに残したCD3枚分の全音源が網羅されていることである。

ピエール・フルニエをソロに迎えたラロとサン=サーンスのチェロ協奏曲及びブルッフの『コル・ニドライ』をコンセール・ラムルーと、そしてスペインのハープ奏者ニカノル・サバレータとのサン=サーンス、タイユフェル、ヒナステラのハープ協奏曲がフランス国立放送管弦楽団との協演で収録されている。

フルニエの筋の通った手堅い奏法から引き出される凛々しいチェロを支えるマルティノンのラムルーへの克明な采配も秀逸だが、一方知的で精緻なサバレータのハープ・ソロを浮かび上がらせるヒナステラの協奏曲では、オーケストラから極彩色とも言える音響空間を創造していて、彼の同時代の音楽への造詣の深さに驚かされる。

いずれも当時のフランスのオーケストラ特有の音色と奏法を堪能できるのも興味深い。

やや薄手で低音部も軽い弦楽部、しなやかで明るい管楽器群、そして軽妙洒脱なパーカッションを絶妙なバランスでまとめあげるマルティノンの指揮法は現在聴くことが殆んど望めない独特の空気感を醸し出している。

もうひとつのセールス・ポイントはマルティノンの作曲家としてのプロフィールで、CD4には彼自身の手になるヴァイオリン協奏曲第2番が収録されている。

ただしこの演奏に彼は参加しておらず、シェリングのソロ、クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団とのセッション録音を収めている。

無調作品だが華麗なオーケストレーションとダブル・ストップを多用してソロを歌わせる作法には、ヴァイオリニストでもあったマルティノンの面目躍如たるものがある。

クーベリックの創り上げるスペクタクルなオーケストラを背景に、シェリングがクリスタリックな硬質の音色を駆使してクールな情熱を傾けたソロが冴え渡る秀演だ。

来年がジャン・マルティノンの没後40周年に当たり、幾つかのレーベルからまとまったセット物がバジェット価格でリリース予定だが、オーストラリア・エロクエンスからはフィリップス・レガシー3枚とこのグラモフォン・レガシー4枚が既に入手可能だ。

ふたつの録音を聴き比べてみると、フィリップスがやや年代が古く総てがモノラル録音であるのに対して、グラモフォンの方は1960年から71年にかけての良質なステレオ録音であるため、どちらを選ぶかと言われれば先ずこちらの鑑賞をお薦めしたい。

ただ双方の演奏曲目にはだぶりがないのでコレクターにとってはいずれも貴重なサンプルに違いない。

特にリマスタリングの記載はないが、当時のグラモフォンの録音技術の特徴でもある鮮明だが骨太でバランスの良い音質が再現されている。

またCD3アルベルト・ヒナステラのハープ協奏曲は初CD化というボーナス付だ。

オーソドックスなジュエルケースに入った廉価盤ながら、8ページの英語によるライナー・ノーツ付。

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2015年02月10日


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サン=サーンスは、番号付の交響曲を3曲、そして番号が付かない交響曲を2曲の合計で5曲にわたる交響曲を作曲している。

この中で、交響曲第3番のみが「オルガン付き」という愛称もあるせいか極めて有名であり、その他の交響曲については無名の存在で、演奏すらされることが稀である。

したがって、録音も、その殆どが交響曲第3番のみであり、サン=サーンスの交響曲全集を録音した指揮者は殆ど限定的である。

そのような状況の中にあって、フランス人の超一流の大指揮者マルティノンが、最晩年にサン=サーンスの交響曲全集のスタジオ録音を遺してくれたのは、クラシック音楽ファンにとって実に幸運なことであったと言えるのではないだろうか。

マルティノンは、交響曲第3番については、5年前にも同じフランス国立管弦楽団とともにスタジオ録音(エラート)しており、その再録音を含めて、交響曲全集のスタジオ録音を行ったということは、マルティノンの本全集の録音にかける並々ならぬ意欲と、サン=サーンスという母国の大作曲家への深い愛着と敬意を窺い知ることが可能であると言えるところだ。

それにしても、演奏は素晴らしい。

マルティノンは、持ち味である力強さ、メリハリのついた明快さ、そして繊細な抒情などを全て併せ持つ多種多彩な表現力を駆使した剛柔のバランスのとれた演奏ぶりが際立っており、そうした指揮芸術が、サン=サーンスの各交響曲、とりわけ演奏機会が極めて限定的な交響曲第3番を除く他の交響曲の魅力を引き出すのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、各楽曲の細部における入念な表情づけも抜かりなく行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの浅薄な演奏にはいささかも陥っていない。

そして、それら細やかな表情づけが施された各旋律の端々からほのかに漂ってくる独特の瀟洒な味わいは、これぞフランス風のエスプリと評しうるものであり、その何とも言えない美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

なお、交響曲第3番については、前述のエラート盤も名演であるが、オルガンのマリー=クレール・アランの存在感に際立ったものがあり、マルティノンの指揮芸術をより味わいたいというクラシック音楽ファンには、ベルナール・ガヴォティによるオルガン演奏がより抑制的であることもあり、本演奏の方をおすすめしたいと考える。

いずれにしても、本盤のマルティノン&フランス国立管弦楽団ほかによるサン=サーンスの交響曲全集は、その絶対数が少ないこともあり、究極の決定的な名全集と高く評価したい。

音質は、1975年のスタジオ録音ではあるが、数年前にリマスタリングされたこともあって比較的良好な音質である。

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2015年02月04日


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本盤に収められたラヴェルの管弦楽曲集は、マルティノンによるドビュッシーの管弦楽曲集と並ぶ最良の遺産である。

マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代にもラヴェルの管弦楽曲集をスタジオ録音(1964〜1968年)しており、不遇とされていた時代にあっては、決して良好な関係にあったとは言い難いこのコンビによる演奏の中では最高の名演と言えるものであった。

しかしながら、本盤の演奏のレベルの高さは、当該演奏の比ではないと言える。

何よりも、不遇であったシカゴ交響楽団の音楽監督を離任し、愛する祖国フランスの最高峰のオーケストラ、パリ管弦楽団を指揮しての演奏だけに、マルティノンも得意のラヴェルの管弦楽曲の演奏に臨んで、気持ちの高揚がないということはあり得ないことである。

当時のパリ管弦楽団は、初代監督のミュンシュが急逝し、その後、カラヤン、ショルティと他国の大指揮者を監督に頂いたが、同国人であるマルティノンの下でこそ、その本領を十二分に発揮し得たと言えるだろう。

指揮者によっては、事なかれ主義的な演奏に終始するパリ管弦楽団ではあるが、本盤の演奏は、マルティノンを指揮者に頂いて、持ち得る実力を最大限に発揮した渾身の名演奏を展開していると言えるところだ。

マルティノンも、持ち味である力強さ、メリハリのついた明快さ、そして繊細な抒情などを全て併せ持つ多種多彩な表現力を駆使した剛柔のバランスのとれた演奏ぶりが際立っており、そうした指揮芸術が、ラヴェルの華麗にして精緻な極上のオーケストレーションの魅力をより引き立てるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。

また、各楽曲の細部における入念な表情づけも抜かりなく行われており、スコアに記された音符の表層だけをなぞっただけの浅薄な演奏にはいささかも陥っていない。

そして、それら細やかな表情づけが施された各旋律の端々からほのかに漂ってくる独特の瀟洒な味わいは、これぞフランス風のエスプリと評し得るものであり、その何とも言えない美しさには抗し難い魅力が満ち溢れている。

いずれにしても、本盤のマルティノン&パリ管弦楽団によるラヴェルの管弦楽曲全集は、クリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による全集と並んで、古今東西の指揮者による多種多様なラヴェルの管弦楽曲全集に冠絶する至高の名全集と高く評価したい。

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2014年12月17日


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フランスの巨匠指揮者の1人であったマルティノンは、例えば、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の名演(1957年)のスタジオ録音を遺しているなど、広範なレパートリーを誇っていたが、それでもそのレパートリーの中軸に位置していたのはフランス音楽であった。

ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲集などは、今なおマルティノンの代表的な遺産の1つとして高く評価されているが、本盤に収められたサン=サーンスの交響曲第3番やフランクの交響曲ニ短調の演奏も、そうしたマルティノンの貴重な遺産である。

マルティノンは、これら両曲のうち、サン=サーンスの交響曲第3番については、本演奏(1970年)の5年後にも、サン=サーンスの交響曲全集の一環としてフランス国立管弦楽団とともにスタジオ録音(1975年、EMI)を行っている。

当該演奏も、サン=サーンスの名声をいささかも貶めることのない名演であるが、エラートにスタジオ録音を行ったフランス国立放送管弦楽団との本演奏こそは、録音面などを総合的に考慮すると、より優れたマルティノンによる代表的名演と評価したい。

それにしても、フランス音楽の粋とも言うべき洒落た味わいと華麗な美しさに溢れた同曲の魅力を、単なる旋律の表層の美しさのみにとどまらず、演奏全体の引き締まった造型美などをいささかも損なうことなく描出し得た演奏は、フランス人指揮者によるものとしては稀少なものと言えるところであり、諸説はあるとは思うが、本演奏こそは、同曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

演奏終結部に向けての畳み掛けていくような気迫や壮麗な迫力は、ライヴ録音を思わせるような迫力を有しているとも言えるところであり、本演奏は、様々な名演を遺してきたマルティノンの最高傑作の1つと称してもいいのではないだろうか。

フランクの交響曲ニ短調は、マルティノンの知的かつ洗練されたアプローチが、重厚で重々しさを感じさせる演奏が多い中においては清新さを感じさせる。

もっとも、重厚にして引き締まった造型美におおいてもいささかも不足はないところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

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2014年09月29日


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巨匠マルティノンがシカゴ交響楽団とRCAに遺した、極上のラヴェル管弦楽曲集の復活だ。

マルティノンのアルバムは、フランスのオーケストラを指揮したものが多く取り上げられているに違いないし、シカゴ交響楽団とコンビを組んでいた時代の彼は、必ずしも実力に見合うだけの評価を得ることができず、不遇だったとも伝えられている。

事実マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代を思い出したくない日々だったと回想したと伝えられており、シカゴ交響楽団にとってもマルティノンの時代をライナー時代とショルティ時代に挟まれた低迷期と位置づけているところだ。

このようにお互いに不幸な関係にあったとされている両者ではあるが、この両者が成し遂げた数少ない名演の1つが、本盤に収められたラヴェルの管弦楽曲集であると言えるのではないだろうか。

筆者にとっては、このアルバムは繰り返し聴いてきた思い出深い1枚であり、マルティノンはアメリカのオーケストラからラテン的な輝きを帯びた色彩と余韻のある音色を、巧みに導き出している。

マルティノンは生前のラヴェルと親交があっただけに、ラヴェルの楽曲を十八番としており、特に管弦楽曲集としては、パリ管弦楽団を指揮した演奏(1974年)が名演として誉れ高いが、本演奏も決して遜色がない名演に仕上がっていると高く評価したい。

マルティノンの演奏はオーケストラのテクスチュアの透明さに特徴があり、繊細なリズムやフレージングの感覚によって際立っていた。

なかでも、自家薬篭中とも言えるフランス近代音楽の演奏においては、現代のインターナショナルになりすぎた指揮者では及びもつかない独特のニュアンスがあり、マルティノンの演奏を不滅のものとしている。

本演奏においてもマルティノンは、ラヴェルによる光彩陸離たる華麗なオーケストレーションを精緻に表現しているが、どこをとっても気品あふれる情感に満ち溢れており、随所に聴くことが可能なフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいは、これぞフランス音楽を鑑賞する醍醐味があると言えるだろう。

ミュンシュ&ボストン交響楽団の解釈とは対照的な、クールでしかもデリケートな音色感と、シカゴ交響楽団の底力のある名技性が一体となった名演である。

マルティノンの指揮の下、シカゴ交響楽団も卓越した技量を披露していると言えるところであり、とりわけ管楽器のブリリアントな響きと名技にはほれぼれさせられるほどだ。

それにつけても、もう少し長く活躍してほしかった指揮者である。

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2014年09月01日


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本盤には、ドビュッシーの管弦楽曲全集が収められているが、「夜想曲」、交響詩「海」、「牧神の午後への前奏曲」などの有名曲も含め、いずれの楽曲も素晴らしい名演と高く評価したい。

ラヴェルの管弦楽曲全集の至高の名演としてはクリュイタンス&パリ音楽院管弦楽団による演奏が掲げられるが、それに相当するドビュッシーの管弦楽曲全集の名演こそは、本盤に収められたマルティノン&フランス国立放送局管弦楽団による演奏である。

マルティノンは、シカゴ交響楽団の音楽監督時代が不遇であったため(とは言っても、ラヴェルの管弦楽曲集などの名演を遺している点に留意しておくことが必要である)、過小評価されているきらいがないわけではないが、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの「悲愴」の超名演を成し遂げるなど、その実力は折り紙つきであった。

そして、その実力を如何なく発揮し得た演奏こそが、本盤に収められたドビュッシーの管弦楽曲全集の超名演であると言っても過言ではあるまい。

マルティノンは、例えばブーレーズなどのように曲想を曖昧にせず(もちろん、ブーレーズの演奏も説得力があり名演と評価し得ると考える)、むしろ明瞭に描き出すように努めている。

これによって、ドビュッシーの光彩陸離たる色彩感豊かなオーケストレーションが微塵の曇りもなく表現されているのが見事であると言えるだろう。

また、各フレーズの端々からほのかに漂ってくるフランス風のエスプリ漂う瀟洒な味わいには、抗し難い魅力に満ち溢れていると言えるところであり、これぞフランス音楽を鑑賞する醍醐味が存在している。

いずれの楽曲の演奏も素晴らしいが、とりわけ有名な「牧神の午後への前奏曲」のアラン・マリオンのフルートソロは、いかにもフランス人奏者だけにしか出し得ない洒落た味わいに満ち溢れている。

いずれにしても、本盤に収められた全集の各演奏は、様々な指揮者による各楽曲の演奏の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

音質は、従来CD盤でもリマスタリングを繰り返してきたこともあって比較的満足し得る音質である。

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2013年09月07日


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フランスの巨匠指揮者の1人であったマルティノンは、例えば、ウィーン・フィルとともにチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の名演(1957年)のスタジオ録音を遺しているなど、広範なレパートリーを誇っていたが、それでもそのレパートリーの中軸に位置していたのはフランス音楽であった。

ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲集などは、今なおマルティノンの代表的な遺産の1つとして高く評価されているが、本盤に収められたサン=サーンスの交響曲全集の演奏も、そうしたマルティノンの貴重な遺産である。

マルティノンは、この全集のうち、交響曲第3番については、本演奏(1975年)の5年前にも、フランス国立放送管弦楽団とともにスタジオ録音(1970年、仏エラート)を行っている。

当該演奏も、サン=サーンスの名声をいささかも貶めることのない名演であったが、EMIにスタジオ録音を行ったフランス国立管弦楽団との本演奏こそは、録音面などを総合的に考慮すると、より優れたマルティノンによる代表的名演と評価したいと考える。

それにしても、フランス音楽の粋とも言うべき洒落た味わいと華麗な美しさに溢れたサン=サーンスの魅力を、単なる旋律の表層の美しさのみにとどまらず、演奏全体の引き締まった造型美などをいささかも損なうことなく描出し得た演奏は、フランス人指揮者によるものとしては稀少なものと言えるところであり、諸説はあるとは思うが、本演奏こそは、サン=サーンスの交響曲演奏の理想像の具現化と評しても過言ではあるまい。

マルティノンは、サン=サーンスの音楽的内容と様式を完全に手中に収めており、演奏は彼の尖鋭な感覚と明晰な造形性の美点が映え、しかも風格豊かだ。

特に交響曲第3番では、マルティノンの知的かつ洗練されたアプローチが、重厚で重々しさを感じさせる演奏が多い中においては清新さを感じさせると言える。

第1楽章第2部の悠揚迫らぬ音楽は見事としか言いようがなく、第2楽章第2部は実に堂々としている。

特における終結部に向けての畳み掛けていくような気迫や壮麗な迫力は、ライヴ録音を思わせるような凄絶な力が漲っているとも言えるところであり、本演奏は、様々な名演を遺してきたマルティノンの最高傑作の1つと称してもいいのではないだろうか。

もっとも、重厚にして引き締まった造型美においてもいささかも不足はないところであり、いい意味での剛柔のバランスのとれた素晴らしい名演と高く評価したい。

マルティノンに率いられたフランス国立管弦楽団も、いかにもフランスのオーケストラならではの洗練された色彩と感覚美をもった演奏を繰り広げている。

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2010年10月07日


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「悲愴」は異色の名演である。

フランスの指揮者マルティノン、オーケストラはウィーン・フィル、曲がロシアのチャイコフスキーの交響曲と、一般的なイメージでいうとチグハグな感じがするかもしれないけれど、この演奏内容がじつに見事。

どっしりとした構成で、全体が安定感をもっている。

しかも、内容は情感ゆたかで、各表情はたっぷりとして説得力十分。

それでいて情緒過多にもなっていない。

いろいろな点でセンスのよい「悲愴」交響曲の演奏だ。

現代感覚によるチャイコフスキーで、大時代的なところがなく隅々まで明快だ。

フランスの指揮者であるマルティノンのラテン的な感覚といえるかも知れないが、それが純粋かつ率直な音楽をつくっているところは評価すべきであろう。

もともとマルティノンという指揮者は、知性を重んじるフランスの音楽家らしく造型的に筋の通った手法を重視し、あまり情緒的にのめり込むようなことはない。

ところがこの《悲愴》の演奏では、大きな起伏に裏打ちされた感情表現を行なっている。

そこに聴くあきらめ、絶望、哀しみなどという情緒的な表現は、きわめて深くて、大きい。

他のどのような盤と比較しても、その表現の情緒的性格は際立つものである。

どうしたのであろう。

彼の他の盤にはこうした性格のものが、ほとんどないだけに、つい考えてしまう。

ただ情緒的なだけでなく、造型的な太い線が通り、さらにウィーン・フィルがすばらしいことも、忘れずに指摘せねばなるまい。

ボロディンはロシアの代表的な作曲家の一人であり、彼の交響曲はロシアの指揮者とオーケストラで聴くのが筋かもしれない。

ところが、マルティノンの解釈で聴くと、ロ短調交響曲は別の魅力を伴った姿を現す。

それはまずオーケストラの色彩に、次にアプローチの方法に見られる。

彼の明るい色彩への指向は重厚な楽句にも開放感を、軽やかなテンポと明快なリズムは演奏に小気味よい流動感をもたらす。

一方、第3楽章に示されたように感情の移入も充分で、豊かなファンタジーを生み出す。

全体を通じて、マルティノンの解釈は聴き手の想像力をかきたてる。

こういう演奏を聴かせる指揮者が、今日みられないのは淋しい。

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2009年09月26日


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ラヴェルの生誕100年を記念して録音されたアルバムで、マルティノン&パリ管の初レコードでもあった。1975年度の仏ACC&ADFディスク大賞を受賞している。

マルティノン盤は、本場の演奏者の強味が十二分に発揮された極めて本来的な名演である。

クリュイタンス盤と比較すると、官能性やファンタジーには少し乏しい反面、それ以上のラテン的な明晰さとキメ細かさを示しており、パリ管の管楽器の絶妙な音色もたまらなく美しい。

ラヴェルの音楽のもつ、精緻できらりと光るオーケストレーションを、鮮やかに再現したもので、音色の華麗な美しさと、その品のよい表現には魅せられる。

「マ・メール・ロワ」は実に巧妙な棒さばきで、この曲の幻想的な世界を整然とまとめており、そのキメ細やかなセンスのよい音楽のつくり方には強く惹きつけられる。

「亡き王女のためのパヴァーヌ」はこの作品のもつ色彩的で、香り高い音色を、もののみごとに表現した演奏。

「道化師の朝の歌」ではパリ管から実に柔らかく、色彩感のあふれた音色を引き出しており、しかも精緻で品のよい表現でまとめていて素晴らしい。

「ラ・ヴァルス」はマルティノンの、知的で、しかもラテン的な色彩にあふれた演奏ぶりのよくあらわれたもので、ことに終結部にかけての、優美で繊細な表情の美しさは、何とも言えない味わいだ。

「クープランの墓」はマルティノンならではの綿密な演出の光った演奏で、その気品にみちた表現には、心を打たれる。ことに色彩感豊かな弦楽器の響きが素晴らしい。

「高雅にして感傷的なワルツ」でも、知的でありながら、きわめてラテン的な色彩美にあふれた音楽を作り出している。マルティノンならではの、気品のただようその表現は、見事としかいいようがない。

「古風なメヌエット」はフランス的な知性に裏づけられた、しなやかで鋭い棒さばきで、曲の雰囲気を見事に表現したものである。ことにオーケストラから引き出される、多彩な音色の美しさは、格別だ。

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2008年09月27日


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フランスの指揮者とフランスのオーケストラがフランス音楽の最高のスペシャリストとして機能していたころの良き時代の代表的名盤で、マルティノンの実力が最高度に発揮されている。

CD4枚で「牧神」や「夜想曲」などの名曲からカプレ編の「おもちゃ箱」までドビュッシーのオーケストラ作品のほとんどが聴ける。

自身も作曲家であるマルティノンの指揮は、ドイツ的論理とは違ったところにあるフランス的知性の明晰さを見事にドビュッシーに開花させた名演で、知的な品のよさとラテン的な色彩美をほどよく調和しているのが特色だ。

曖昧なサウンドに流されず知性で構築した音楽を感じさせつつ、同時にきわめて色彩的で繊細な感性を堪能させる、という奇跡のような音楽の冴えは、今聴いても現役盤を寄せ付けない魅力を発散している。

「海」の弦と管との音の綾織りの美しさ、「牧神」の幻想的で詩情豊かな表現、「映像」でのデリケートな音の作り方など、細部まで神経のよく行き届いた、いかにもこの人らしい品格のある演奏である。

特に「おもちゃ箱」が素晴らしく、巧みな棒で曲のもつ童話的な雰囲気をあますところなく表出している。

いずれの作品も、マルティノンならではの香り高い表現となっている。

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