キーシン

2016年11月13日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



21世紀のピアノの巨匠として高い評価と人気を誇るエフゲニー・キーシン得意のショパンの人気主要作品をほぼ網羅したアルバム。

キーシンがその名を世界にとどろかせたのは1984年、12歳で弾いたショパンのピアノ協奏曲2曲のソ連メロディアレーベルのレコードであった。

それ以来、ショパン作品はキーシンにとって最重要のレパートリーとして繰り返し演奏し、新しいレパートリーが増える毎に、RCAにその足跡をレコーディングという形で残してきた。

1993年にカーネギー・ホールで行われた「オール・ショパン・リサイタル」のライヴCD2枚を皮切りに、1998年、1999年にスタジオ録音のショパン・アルバムをリリースし、2004年のヴェルビエ音楽祭での伝説的なライヴ演奏も2006年に発売された。

本BOXはピアノ協奏曲を除き、それら5枚を集成し、1994年スタジオ録音と2004年ライヴ録音の2種類の『英雄ポロネーズ』も収録して、ショパン・イヤーに合わせて発売されたものだ。

すなわち、このセットは15歳でサントリー・ホールに登場してから、30代前半までのキーシン青年期のショパン演奏の記録であり、それはまた繰り返し録音をしない彼のポリシーからすれば、貴重なショパンの集大成と言っても良いだろう。

ここでもキーシンは自然に溢れ出るような格調高い音楽性を歌い上げながら、時として突き進むような集中力と華麗なテクニックで圧倒的な表現力の広さを披露している。

爛襦璽咼鵐轡絅織ぅ鵑慮綏兌圻瓩噺討个譴襯ーシンが、鮮やかな技巧と、輝きに満ちた鮮明なタッチ、格調高い音楽性によって、爽やかな情緒を湛えた美しいショパン像を描き出して、楽しませてくれる。

確かに彼の『エチュード』が存在しないのは残念だが、『ノクターン』や『マズルカ』あるいは静謐な『子守唄』で聴かせる洗練された感性とエスプリは、メカニック的な技巧のみに溺れないキーシンの音楽に対するフレキシブルな姿勢を良く示しているし、5枚のうち3枚がライヴ録音であることを考えれば彼の完璧主義が面目躍如たる演奏だ。

特に1997年秋にはサバティカルに身を休め、20代半ばまでの人生をおそらく振り返ったであろうキーシンが、1998年夏に録音した待望の『バラード』全集は、完璧としか言いようのない技術、惚れ惚れとするばかりに美しく、また輝かしい音色を武器に繰り広げられる壮絶なショパンであり、以前にも増して高みへと至ったキーシンの真価を満喫させる。

ショパンへの想い、バラードに対する共感のすべてが音の結晶体となって聴き手に降り注がれる演奏であり、1つ1つの作品の素晴らしさに打ちのめされると同時に、真摯なる演奏家としての道を突き進むキーシンの生き方そのものの足音を聴くかのような感銘を与えられる。

また、成長したキーシンが巨匠への道を歩み始めた証明と言える『プレリュード』は、1音1音のタッチに曲の解釈とその表現(技術的、精神的意味すべてにおいて)への自信が感じられる快心の演奏で、実際、曲によってはこれまでの演奏よりも譜面の読みがいっそう深いと感じさせる部分も多い。

ショパンのピアノ音楽のミクロコスモスであるこの曲集から、キーシンが自らの新たな可能性を切り開いた、唯一無二の至芸と言いたい。

録音年代は1987年から2004年で、ライヴとセッションではいくらか音質にばらつきがあるがいずれも良好だ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:16コメント(0)トラックバック(0) 

2015年11月30日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



エフゲニー・キーシンは少年時代から青年期にかけての殆どの公式録音をRCAとソニーに入れている。

そのためにこの25枚のCDに彼の演奏活動前半期の代表的なレパートリーが収録されていると言えるだろう。

この時期のキーシンは溢れんばかりの閃きを飛びっきり洗練された趣味とテクニックに託して、苦もなく颯爽と弾いているような印象を与えている。

その天性の音楽性の豊かさと表現の容易さには実際恐るべきものがある。

確かにこれまでのキーシンのレパートリーは、彼のピアニズムを最も良く示すヴィルトゥオジティを発揮した作品が多かったが、それは取りも直さずロシア派ピアニストの伝統的な奏法を象徴するような豊かな抒情と精緻なテクニックに支えられている。

こうした演奏を聴いていると彼の若い頃が如何に順風満帆だったかが一目瞭然だ。

現在43歳の彼の録音活動はめっきり減って、コンサートでの曲目も更に音楽的に深みのあるものに変わりつつあるが、あの頃のように天衣無縫に弾いているかというとそうとも言えない。

しかしまた才能を消耗し尽して彼の音楽的な源泉が枯渇したとも思われない。

少なくとも現時点の彼は自身の芸術家としてのスタンスを模索しているように感じられるし、それは一角の芸術家が多かれ少なかれ通過しなければならないピリオドでもあるだろう。

その意味では正念場に差し掛かっているピアニストの1人で、将来どういう方向に進むか注目したい。

初出音源はないが協奏曲ではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ラフマニノフ及びショスタコーヴィチの6人の作曲家からの9曲が収録されている。

このセットには版権の異なるショパン、チャイコフスキーやプロコフィエフがないのが残念だが、いずれもキーシンの万能でフレッシュな感性と潔癖なまでに磨き抜かれたピアニズムを映し出している。

中でも小沢征爾、ボストン交響楽団とのラフマニノフの第3番は瑞々しい抒情とスケールの大きさ、華麗なロマンティシズムで秀逸だ。

ソロではCD2枚分のリスト作品集は胸のすくようなテクニック、惚れ惚れするほどの集中力を維持しながら決して厚かましくないスマートさが新時代のリストの解釈を率先しているが、またCD12及び19のシューマンの幻想曲ハ長調、ピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調と『謝肉祭』が作曲家特有の文学的センスを感じさせるだけでなく、これからのキーシンの音楽的な方向性を予感させるレパートリーではないだろうか。

パンフレットにはこのセットに収録された総てのアルバムのオリジナル・ジャケット写真と演奏曲目、更にアルファベット順作曲家別作品のインデックスが掲載されている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 03:04コメント(0)トラックバック(0) 

2015年08月04日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



着実に録音活動をこなしている成長著しいキーシンのモーツァルトとシューマンの協奏曲であるが、キーシンの確かな円熟を感じさせる名演だ。

モーツァルトにもシューマンにも言えることであるが、キーシンは、実に精緻で丁寧な表現を心がけているようである。

リリースされてみると、なるほど、と思うほどにキーシンの個性が引き出された演奏であり、それに適した楽曲だったのだと思う。

キーシンの演奏は、例えば、以前弾いていたシューベルトのソナタなどは幾分型にはまりすぎて、単調な物憂さが残ったけれど、このモーツァルトとシューマンは実に素晴らしい。

実際、キーシンのピアニズムはモーツァルトによく符合するのであろう。

きわめて平衡感覚の強い音感と、ピアニスティックな美しさ、そしておそらく常にその音楽性を支えている古典的な教養があると思う。

そうして引き出されるモーツァルトの世界は、なかなかいい意味で辛口で、「大人のモーツァルト」になっている。

ため息がでるような、硬質で粒揃いの音、甘さを抑えたモーツァルトならではの音、その音で弾くスケールの美しさは鳥肌が立ち、端正な中にも優しく、柔らかい旋律が心地よい。

いわゆる「遊戯性」のようなものはほとんど感じられないが、純粋に突き詰められた音楽で、高貴な香りと崇高な気品がある。

ひそやかな中に秘めた情熱を感じるモーツァルトで、音楽に携わっている長いキャリアと超人的なテクニックがあってこそ、ピアノの音に語らせることができるのだろう。

時折見せる力強い打鍵や、モーツァルトの音楽特有の高貴にして優美かつ繊細な抒情の表現にもいささかの不足はなく、要は、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏を行っているのである。

デイヴィスの指揮もそのようなキーシンのピアニズムをサポートしたのだろうか、かつての彼に比べると、いくぶんシックな色合いで、落ち着いた、部分的に固めなサウンドである。

ロマン派の代表的なピアノ協奏曲といえるシューマンでも、キーシンとデイヴィスのアプローチはモーツァルトと共通しており、そこでは自由な華やかさより、拘束のもたらす規律正しい気品に満ちている。

キーシンが体当たりしてくるような若いころのシューマンの演奏もそのけなげさに切なく胸を打たれたが、今回のシューマンは、一流のピアニストの余裕がすみずみに感じられ安心して演奏に浸れる。

特に曲の始めの部分の弾き方に今回の違いが物語られていると感じた。

人をそらさない拍子の確かさや、七色に変化する音は従来通りだが、音の厚み、迫力が増し聴く者の心に絡んでくる。

あたかも曲の途中で席を立つことができないほどの緊張感を持っていて、畏怖を感じるくらいだ。

そして全般を通してライヴ録音とは思えないほどの客観視を感じるのもこの演奏の特徴だろう。

オーケストラのサウンドもそれぞれの楽器がその役割に徹した感があり、禁欲的とも言える響きであるが、それゆえの内省的な美しさが隅々まで満ちている。

キーシンも、40歳を越えて、神童と言われ、どのような弾き方も許される時代はとうに過ぎ去ったと言えるが、本名演を耳にして、キーシンも、更なる芸術家としての高みに向けて、確かな一歩を踏み出していることを大いに確信した次第である。

筆者にとっては、類稀な才能を持つキーシンの新しい領域を感じる1枚となった。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:40コメント(0)トラックバック(0) 

2015年02月16日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、若きキーシン(17歳)が最晩年のカラヤン(80歳)&ベルリン・フィルと組んで行った唯一の演奏であるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が収められているが、至高の超名演と高く評価したい。

それは、何よりも、バックをカラヤン&ベルリン・フィルがつとめたというのが大きいと言える。

本盤の演奏は、カラヤンのベルリンでの最後のコンサートとなったジルヴェスターコンサート(1988年12月31日)の直前に収録されたものとされている(加えて、ベルリン・フィルとのラスト・レコーディングにも相当する)。

もっとも、CDにはライヴ・レコーディングと表記されており、演奏終了後の拍手が収録されていることから、ジルヴェスターコンサートでの実演をベースにしつつ、一部にゲネプロでの演奏が編集されているのではないかとも考えられるところだ。

当時のカラヤンとベルリン・フィルの関係は決裂寸前。

そして、カラヤンの健康も歩行すら困難な最悪の状況であり、コンサートが行われたこと自体が奇跡でもあった。

それだけに、本演奏にかけるカラヤンの凄まじいまでの執念は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を有している。

1960年代や1970年代のカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏のような、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマはもはや本演奏においては殆ど聴くことができない。

そして、カラヤン自身の統率力にも衰えが見られるなど、演奏の完成度という意味においては随所に瑕疵が散見されると言わざるを得ないが、前述のような本演奏にかける凄まじいまでの執念と、そしてキーシンという若き才能のあるピアニストを慈しむような懐の深い指揮が、本演奏をして至高の超名演たらしめているのであると考える。

テンポは極めてゆったりとしたものであるが、これはカラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を、そしてベルリンで行った数々の演奏会を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きもあると言えるところであり、本演奏は、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にあるとも言えるであろう。

キーシンのピアノ演奏も、カラヤンに対していささかも引けを取っておらず、卓越した技量をベースとして、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、いかにもキーシンならではの堂々たるピアニズムを展開していると評価したい。

併録のスクリャービンのピアノ曲も、キーシンならではの豊かな表現力が発揮された素晴らしい名演に仕上がっている。

音質は1988年のデジタル・ライヴ・レコーディングであるが、従来盤でも十分に満足できる高音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 22:37コメント(0)トラックバック(0) 

2013年12月01日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



本盤には、キーシンがピアノ演奏を行ったチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番が収められている。

協奏曲は、ピアニストだけでなく、指揮者があってこそはじめて成り立つことも考慮に入れれば、指揮者が異なるこのような演奏どうしのカップリングについては大いに問題があると言えるところであり、敢えて苦言を呈しておきたい。

いずれも名演であり、キーシンの個性があらわれているのはプロコフィエフの方であろうが、より優れた名演はチャイコフスキーの方である。

それは、何よりも、バックをカラヤン&ベルリン・フィルがつとめたというのが大きい。

本盤の演奏は、カラヤンのベルリンでの最後のコンサートとなったジルヴェスターコンサート(1988年12月31日)の直前に収録されたものとされている(加えて、ベルリン・フィルとのラスト・レコーディングにも相当する)。

もっとも、CDにはライヴ・レコーディングと表記されており、演奏終了後の拍手が収録されていることから、ジルヴェスターコンサートでの実演をベースにしつつ、一部にゲネプロでの演奏が編集されているのではないかとも考えられるところだ。

当時のカラヤンとベルリン・フィルの関係は決裂寸前。

そして、カラヤンの健康も歩行すら困難な最悪の状況であり、コンサートが行われたこと自体が奇跡でもあった。

それだけに、本演奏にかけるカラヤンの凄まじいまでの執念は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を有している。

1960年代や1970年代のカラヤン&ベルリン・フィルの黄金時代の演奏のような、オーケストラ演奏の極致とも言うべき圧倒的な音のドラマはもはや本演奏においては殆ど聴くことができない。

そして、カラヤン自身の統率力にも衰えが見られるなど、演奏の完成度という意味においては随所に瑕疵が散見されると言わざるを得ないが、前述のような本演奏にかける凄まじいまでの執念と、そしてキーシンという若き才能のあるピアニストを慈しむような懐の深い指揮が、本演奏をして至高の超名演たらしめているのである。

テンポは極めてゆったりとしたものであるが、これはカラヤンが自らの波乱に満ちた生涯を、そしてベルリンで行った数々の演奏会を自省の気持ちを込めて振り返るような趣きもあり、本演奏は、カラヤンが最晩年に至って漸く到達し得た至高・至純の境地にある。

他方、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、バックがアバド&ベルリン・フィルだけに、キーシンの個性が全開である。

卓越した技量をベースとして、強靱な打鍵から繊細な抒情に至るまで表現力の幅は桁外れに広く、いかにもキーシンならではの堂々たるピアニズムを展開している。

アバド&ベルリン・フィルの演奏も、前述のカラヤンによる演奏と比較すると、長いトンネルを抜けたような軽妙さであるが、キーシンのピアノの引き立て役としては申し分のない名演奏を繰り広げていると評価したい。

音質は、従来盤でも十分に満足できる高音質である。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:21コメント(0)トラックバック(0) 

2013年11月22日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



キーシン初のピアノ・ソロと指揮者を兼任した録音で、キーシンの確かな円熟を感じさせる名演だ。

ありきたりな表現だが、強靭な打鍵と鍛え上げたテクニックに、演奏家のセンスの良い意思を強く感じさせる緩急、強弱が加わった名演。

第20番にも第27番にも言えることであるが、キーシンは、実に精緻で丁寧な表現を心がけているように思う。

キーシンにとって初となる弾き振りだけに、慎重になったということもあるのだろう。

クレーメルとの競演で名をあげているクレメラータ・バルティカも、キーシンの指揮の下、ある種の静けささえ感じさせるような落ち着いた演奏を行っている。

しかしながら、キーシンは必ずしも安全運転だけに終始はしていない。

彼は力強くも、濁りのない凛とした音色で進んでいく。

決然として迷いのない独白を聴くかのようだ。

時折見せる力強い打鍵や、モーツァルトの音楽特有の高貴にして優美かつ繊細な抒情の表現にもいささかの不足はない。

要は、いい意味での剛柔バランスのとれた演奏を行っていると言える。

キーシンも、40歳に差し掛かろうとしており、神童と言われ、どのような弾き方も許される時代はとうに過ぎ去ったと言えるが、本名演を耳にして、キーシンも、更なる芸術家としての高みに向けて、確かな一歩を踏み出していることを大いに確信した次第である。

モーツァルトの大傑作にまた一枚名盤が加わったことを大いに喜びたい。

数年前に発売された第24番も名演であったが、残るナンバーである第21〜23番や第25、第26番も、ぜひとも、本盤で見せた円熟のキーシンの至芸で聴いてみたいと思う。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:40コメント(0)トラックバック(0) 

2013年08月05日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



若きキーシンの最近の円熟ぶりを感じさせるベートーヴェンだ。

演奏全体から受ける印象は、デイヴィス指揮のロンドン交響楽団ともども、馥郁たる柔和なものである。

抒情的な楽章でのゆったりとしたテンポ設定は、決してもたれるようなこともなく、実に内容豊かで聴き手を感動に誘う。

緩徐楽章など、静けささえ感じるほどだ。

では、軟弱なだけの演奏かと言うとそうではなく、ここぞという時のダイナミックにして威風堂々たる重厚な表現は、いかにもベートーヴェンの協奏曲ならではの、獅子の威厳を感じさせる。

いかにもベートーヴェンの音楽に相応しく、自信に満ち溢れた堂々たるアプローチが聴かれるのが素晴らしい。

両端楽章での打鍵の力強さも特筆すべきであり、巨匠への道を一歩一歩着実に歩み続けるキーシンの前途洋々たる未来を大いに予見させてくれる。

このような絶妙なバランスの剛柔併せ持つ名演を成し遂げた点にこそ、キーシンの近年の進境著しさが窺われる。

さすがに「皇帝」は素晴らしく、キーシンの解釈は、決して聴き手を驚かせるような個性的なものではないが、「皇帝」の魅力を心ゆくまで満喫させてくれるオーソドックスなアプローチが信条と言えるだろう。

どこをとっても薄味な箇所はなく、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の最高峰ならではの堂々とした重厚な演奏を成し遂げているのも素晴らしい。

そして、今や押しも押されぬ巨匠の風格を兼ね備えたデイヴィスの好サポートも、ロンドン交響楽団ともども見事であり、ベートーヴェンの音楽の美しさをダイレクトに伝えてくれる点はさすがと言うべきであろう。

また、キーシンの奏でるピアノが実に鮮明に再現されている点は、大いに歓迎したい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 20:52コメント(0)トラックバック(0) 

2012年10月09日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



キーシンの進境には著しいものがあるが、そのことをあらためて思い知らされる1枚だ。

キーシンのソロは、アバドとの旧盤を超える名演。

キーシンのテクニックの切れ味は最高で、粒立ちの良さと音色の美しさを併せ持っている。

プロコフィエフのピアノ協奏曲の演奏に要求される超絶的な技巧を力強い打鍵で弾きぬき、それでいて、決して技術偏重の無機的な演奏に陥ることなく、ロシア的な抒情の表現にいささかの不足もない。

キーシンの完璧なメカニックとそれに優るとも劣らぬほどに横溢するポエジーがよく伝わってくる。

切れ味が鋭く、第3番のリファレンスとなる演奏だろう。

かつて、ピアノ協奏曲全集に名演を残したアシュケナージが指揮し、音が美しくダイナミックで十分な好サポートをしている。

筆者の中でプロコフィエフのピアノ協奏曲といえば、ユンディ&小澤/ベルリン・フィル(第2番)やアルゲリッチ&アバド/ベルリン・フィル(第3番)である。

それは今でも変わらないが、このプロコフィエフはどちらも高水準の演奏だと感じた。

ロシアの空気が漂い、その雄大な風景が目の前に現れたようであった。

前述の2つの演奏とはまた違う雰囲気があり、さらにキーシンの成長ぶりが伺える1枚だと思う。

このCDで驚くのは録音の素晴らしさ。

EMIとは思えない、クリアで広がりがあり、キレのある録音で、いつもの分厚い緞帳越しに聴いているような音とは大違いだ。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 21:36コメント(0)トラックバック(0) 

2011年01月18日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



シューマンとリストというロマン派の2人の作曲家の代表作が収められている。

録音は1995年8月。

初めてこのディスクを聴いた時、天才少年から成熟した青年音楽家への成長に目を見張った覚えがある。

演奏は自立心と気概に満ち、逞しさを増したキーシンの姿がとらえられている。

キーシンの演奏は技巧的にも音楽的にも非の打ちどころがなく、確信にみちた、スケールの大きな快演が聴かれる。

完璧な技巧と音楽性豊かな楽曲把握に支えられた安定度抜群のキーシンの演奏は、もともと年齢よりはるかに越えた成熟度を誇るものだったが、このリストとシューマンでは、それに人間的成熟が加わって、早くも或る種の円熟味さえ感じさせる。

楽器をたっぷりと美しく鳴らし切ったシューマンの《幻想曲ハ長調》では、つきることのないファンタジーを描き出す。

高度な技巧と音楽の内容が拮抗したリストの《超絶技巧練習曲》からの5曲でも、これら演奏至難な曲をしなやかな感性と非凡な名技性、豊かなスケール感をもって弾き分けている。

シューマンもリストも、キーシンの透明なタッチと卓越した音楽性が一つ一つのフレーズを明快に浮かびあがらせて、見事な名演を生み出している。

聴き終えるころには、キーシンが録音当時すでにグランドマナーを身につけた名ピアニストであったことを実感させる。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 18:33コメント(0)トラックバック(0) 

2010年09月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



1909年、まだロシアに居を構えていたラフマニノフがアメリカに訪問した際に自らのピアノで初演したピアノ協奏曲の大作。

人気のある第2番以上に曲想は一段とラプソディック、ほとばしるような情熱が盛り込まれているし、ロマンティックな美しさも豊かで、作品から与えられる感銘はピアノ協奏曲の女王といいたい衝動にかられるほどだ。

ホロヴィッツをはじめとする名演がならんでいるが、1993年1月、キーシンが22歳の時にボストン響の定期公演でライヴ録音したこの演奏は、奔放さと節度の微妙にして最善のコントロールがはかられた名演であり、若き天才ピアニストの凄さを見せつけられる。

キーシンは遅めのテンポでじっくりと運んで、明快なタッチで持ち前の澄んだ美音をニュアンスこまやかに生かしている。

緩急の変化を大きくつけた演奏はスケール大きく、きわめて幅広い表現力をもっているが、冴えた技巧を存分に発揮した圧倒的なクライマックスから最弱音のひそやかな歌まで、その演奏は常に見事にコントロールされており、共感や情熱故にいたずらに音楽の形を崩すことがない。

ことに第1楽章後半以降の表現は無類で、キーシンのデリカシーと共感に溢れ、ニュアンスに富んだ美音を紡ぎ出すソロを、洗練されたのびやかで美しいオーケストラの響きが柔らかく包みこんでいく。

小澤征爾&ボストン響の熱きバックアップも見事であり、洗練された響きと表現で柔軟に懐深く支えて、キーシンのピアノを巧みに引き立てている。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 00:03コメント(0)トラックバック(0) 

2008年05月06日


この記事をお読みになる前に、人気ブログランキングへワンクリックお願いします。



ロシアの天才ピアニスト、キーシンとカラヤンの初顔合わせだった。

聴衆の歓声や拍手も入っており、ジルヴェスター・コンサートのライヴの要素も兼ねた録音となっている。

キーシンにとっては初のチャイコフスキーのピアノ協奏曲であるが、カラヤンはリヒテル(62年)、ワイセンベルク(70年)、ベルマン(75年)と録音していた。

カラヤンの作り出す豊かな響きとキーシンの確信に満ちた演奏が、少しの違和感もなく結び付いている。

第1楽章冒頭からテンポは遅い。

カラヤンはオケを豊かに響かせ、大きな広がりを生み出すが、表情は実に豊かだ。スケール雄大で輝きに満ち、充実感が立派。

キーシンはカラヤンとの共演に少しももの怖じせず、自分のペースで終始演奏している。

アーティキュレーションは明確で強い意志を反映しており、音楽に没入する真摯な姿勢は実に気持ちがよい。

ところで、クラシック音楽情報ならこちらがオススメです。
人気ブログランキング



フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室



classicalmusic at 07:08コメント(0)トラックバック(0) 
メルマガ登録・解除
 

Profile
Categories
Archives
Recent Comments
記事検索
  • ライブドアブログ