シュヴァルツコップ

2016年12月20日


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20世紀を代表する偉大なソプラノ歌手、エリーザベト・シュヴァルツコップ(1915-2006)がEMIに遺した総てのSP音源を集大成した5枚組で、いわゆる板起こしではなくおそらく当時のオリジナル・メタルマスターから製作したマザーからのリマスタリングと思われるが、想像していたよりも音質が良くスクラッチ・ノイズや破綻もない。

特に彼女の声は非常に鮮明でしかも芯のある響きが採音されている。

実際にSP盤を聴いたことがある方なら蓄音機から再生される人の声が驚くほど肉声に近い音響を再現できることをご存知だろう。

これは当時の録音技術とその再生手段が声の周波数をカバーするために偶然にも最適だったからかも知れない。

ただCD1−3の管弦楽伴奏の曲目の中でも初期の録音では、シュヴァルツコップの背後から聞こえてくるオーケストラは寝ぼけた酔っ払いのように再生されるものもある。

このセットではCD4及び5のピアノ伴奏による1950年代の歌曲集がSP盤の録音としては最も優れたものになっている。

シュヴァルツコップの録音記録は、SP時代からおよそ30年以上におよびレパートリーの広さは前人未到で、1979年の引退間際まで見事なトラックレコードを残した点は特筆に値しよう。

彼女のデビュー当時はコロラトゥーラ・ソプラノとしてのレパートリーが多く、若々しく澄み切った声を華やかな超絶技巧で装飾した唱法が1940年代の特徴で、時に可憐な表情に思わず引き込まれるような表現力豊かな魅力も湛えていた。

例えばモーツァルトのオペラ『後宮からの逃走』のコンスタンツェのアリアやカストラートのために作曲されたカンタータ『エクスルターテ、ユビラーテ』、ヨハン・シュトラウスのワルツ『春の声』などがその頃の彼女の典型的な歌唱である。

一般的にコロラトゥーラ・ソプラノは超高音とアジリタが失われる年齢に達すると歌手生命も尽きてしまうものだが、彼女は賢明にも喉の酷使を避けてより高い音楽性と表現のための確実なコントロールが求められる歌曲の世界を開拓していく。

奇しくも時を同じくしてハンス・ホッターやフィッシャー=ディースカウと共に戦後のドイツ・リート黄金期を築くのもこの時代から始まっている。

しかしそれは彼らのオペラ歌手としてのキャリアと並行していることも事実で、その意味で歌曲が数分間に凝縮されたドラマに喩えられるのも尤もなことだろう。

尚最後の2枚はニコライ・メトネル自身の伴奏による彼の歌曲集とジェラルド・ムーアとのドイツ・リート集で、シュヴァルツコップ30代の、しかし既に確立された多彩な歌唱芸術を堪能できるアルバムになっている。

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2016年12月05日


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HQCD化によるフルトヴェングラー・シリーズの1枚で、1953年8月12日のザルツブルク音楽祭における一晩のライヴ録音を、プロデューサーはシュヴァルツコップの夫君ウォルター・レッグが担当している。

モノラル録音で経年によるマスター・テープの劣化は否めないが、リマスタリングの効果でかなり聴きやすくなっていることは確かだ。

ヴォルフ没後50年を追悼する全曲ヴォルフのプログラムで、稀代のヴォルフ歌いシュヴァルツコップの彫りの深い歌唱を巧妙に支え、ある時は積極的に歌を先導するフルトヴェングラーのピアノも聴きどころだ。

もっとも、当時まだ38歳だった彼女が大指揮者からの薫陶を得たというのが事実かも知れない。

ジェラルド・ムーアは一流どころの指揮者やピアニストが歌曲の伴奏をすることを強く推奨していた。

それによって歌と伴奏がどういう関係にあるのか初めて体験し得るし、声楽曲の芸術性をより深く理解できるというのが彼の主張だった。

ちなみにこれに先立つ1949年のエディンバラ音楽祭でブルーノ・ワルターがシューマンの『女の愛と生涯』でキャスリーン・フェリアーの伴奏をした録音が遺されている。

彼らに共通することは、ピアノという楽器を超越したところで伴奏を成り立たせていることで、一見朴訥なようでじっくり鑑賞する人にはオーケストラを髣髴とさせる奥深さを内包しているのが聴き取れるだろう。

女声ではシュヴァルツコップ、男声ではフィッシャー=ディースカウやハンス・ホッターなどの詩に対する感性の鋭さは、ドイツ語のメカニズムや心理描写に至る声の陰翳付けなど、あらゆる発声のテクニックをコントロールして表現するところに表れている。

ドイツ・リートの中でもヴォルフの作品では、文学と音楽とが最高度に洗練された状態で結び付いているために歌手と伴奏者の芸術的レベルとその表現力が拮抗していないと、目まぐるしい転調や神経質とも言える楽想が聴くに堪えないものになってしまう。

その意味で本盤は、若々しく艶のある名花シュヴァルツコップと大指揮者フルトヴェングラーの素晴らしさを満喫できるひとつの理想的なライヴ録音と言える。

尚歌う前と小休憩ごとに拍手が入っているが、客席からの雑音は殆んど聞こえない。

この音源は過去にオルフェオやEMIから出ていたもので、昨年ワーナーからリリースされた『シュヴァルツコップ・ザ・コンプリート・リサイタルス』のCD29にも収録されている。

ヴォルフはテクストとして選択した詩を、恐ろしいほどの洞察力で汲み尽し、その言霊の抑揚ひとつひとつに人間の心理やさがを発見し、嬉々としてそれを楽譜に写し取っていった。

ピアノはもはや伴奏の範疇を抜け出して歌詞と対等な立場で、またある時はそれ以上に語りかけてくる。

その手法は森羅万象を表すだけでなく心理描写にも心血が注がれていて、それは殆んど狂気と紙一重のところで行われた作業であるために、その再現には尋常ならざる機知とアイデア、そしてそれを裏付けるだけの高度な表現力が歌手と伴奏者の双方に要求されることには疑いの余地がない。

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2016年10月28日


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このCDはイタリアHMV音源のLP盤から板起こしした復刻盤で、LPと聴き比べてみたが全く遜色のないほど良好な音質が再現されている。

むしろリマスタリングでは本家EMIからリファレンス・シリーズとしてリリースされているCDを上回っている。

ただし後半の余白に収録されているライヴからのオペラの序曲集及びレスピーギの『ローマの噴水』に関しては音源自体が古く、また経年劣化でかなり消耗しているために音質的には期待はずれだった。

ヴィクトル・デ・サーバタの数少ないスタジオ録音のひとつだが、プッチーニの『トスカ』と並んでスコアから横溢するドラマを引き出す彼の恐ろしいほどの鋭い洞察力と、ソリスト、オーケストラ、コーラスを一瞬の弛緩もなく緊密に統率する非凡な手腕が示された名演。

1954年にミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団を振ったモノラル・セッション録音で、当時こうした大世帯の音響を許容するだけのテクニックがまだ充分でなかったために音質的にはそれほど恵まれていないが、音楽そのものからは強烈なメッセージが伝わってくる演奏だ。

ソリストの中でも驚かされるのはシュヴァルツコップの後年には聴かれないような大胆で奔放とも言える歌唱で、おそらくこれは指揮者デ・サーバタの要求と思われるが、後半の「リベラ・メ」のドラマティックな表現や、「レクイエム・エテルナム」で聴かせる消え入るようなピアニッシモの高音も彼女の並外れたテクニックによって実現されている。

また「アニュス・デイ」でのドミンゲスとの一糸乱れぬオクターヴで重ねられたユニゾンの張り詰めた緊張感の持続が、最後には仄かに明るい期待感を残していて極めて美しい。

テノールのディ・ステファノはライヴ演奏でもしばしば起用された『ヴェルレク』のスペシャリストで、彼の明るく突き抜けるような歌声は宗教曲の演奏としては異例だが、ベルカントの泣き節たるこの曲ではすこぶる相性が良い。

第10曲「インジェミスコ」の輝かしさは教会の内部より劇場空間での演奏が圧倒的な効果を上げる一種のオペラ・アリアであることを端的に示している。

バスのチェーザレ・シエピについて言うならば、バスのパートをこれだけ完璧なカンタービレで歌い切った例も少ないだろう。

その深々として練り上げられた声質は重唱においても音程が正確で、他の歌手と共にヴェルディが書き記した対位法の声部を明瞭に追うことができる。

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2016年01月25日


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2006年に90歳で亡くなったエリーザベト・シュヴァルツコップがEMIに遺した1952年から1974年にかけてのリサイタル盤を集大成した31枚組のボックス。

オペラ全曲盤や彼女がソリストの1人として参加した声楽曲などは組み込まれていないが、CD29にはザルツブルク音楽祭でのフルトヴェングラーのピアノ伴奏によるヴォルフ歌曲集、CD30及び31はジェラルド・ムーアの引退記念コンサートがそれぞれライヴ録音で、また余白にはカラヤン、フィルハーモニア管弦楽団との協演になるベートーヴェンのアリア3曲が収録されている。

ちなみに更に古いSP録音時代のコンプリート・レコーディング集は同じくワーナーから今年リリースされる予定だ。

シュヴァルツコップの歌唱芸術は全く余地を残さないほどの作品への徹底したアナリーゼとそれを実際の演奏に完璧に反映させるだけの声のコントロールを駆使した彫りの深い表現力から成り立っている。

このために彼女の声質からは想像できないほどのドラマティックな歌唱も可能にしていた。

歌詞の一言一句から引き出される屈折した情念や推移する巧みな心理描写は、より率直な作風のモーツァルトやシューベルトでは裏目に出ていくらか厚化粧に感じられ、むしろヴォルフ、マーラー、リヒャルト・シュトラウスなどの作品に傑出した解釈を聴くことができる。

このセットではフルトヴェングラーとのライヴがその例で、1953年のモノラル録音ながら両者の洗練された感性がヴォルフの研ぎ澄まされた言霊への追究を際立たせている。

ヴォルフ歌曲集ではその他CD12−14及び20がジェラルド・ムーアの伴奏で都合4枚のアルバムを収録している。

リヒャルト・シュトラウスはCD3に『4つの最後の歌』が1953年のオットー・アッカーマン指揮、フィルハーモニア管弦楽団で、CD17には同曲とオーケストラを伴う5曲がジョージ・セル指揮、ベルリン放送交響楽団の1968年の録音で入っている。

後者は彼女が50歳を迎えた頃の至芸とセルの精妙なオーケストレーションで評価の高い演奏のひとつである。

一方セルとロンドン交響楽団との協演ではCD18の後半にシュトラウス歌曲集、CD19のマーラーの『子供の不思議な角笛』がどちらも1968年のセッションになる。

シュヴァルツコップはその類稀な才能だけでなく大きな幸運にも恵まれた。

それがHMVのレコーディング・プロデューサーで、後に夫君となるウォルター・レッグとの邂逅だ。

ここに収集された音源もレッグとのコラボなしには考えられない。

これはそれほど知られていない事実だが、彼女は戦前ナチス党員だったためにアメリカでのデビューは1955年まで待たなければならなかったが、多くの優れた録音によってシュヴァルツコップの名声をインターナショナルなものにした功績は、彼女の実力は勿論としてもその一端はレッグに負っていることも無視できないだろう。

ドイツの声楽界ではバリトンのフィッシャー=ディースカウと並ぶ双璧的な歌手だったが、シュヴァルツコップも完璧主義者という点では前者に優るとも劣らない存在だった。

CD1のエトヴィン・フィッシャーのピアノ伴奏によるシューベルト歌曲集が1952年の録音でこのセットの中では最も古いが、音源自体の優秀さに加えディジタル・リマスタリングの効果もあって、ノイズも歪みも殆んど聴き取れないほど良好だ。

EMIがステレオLP盤の正規販売を開始したのは1958年からなので、CD6及び9は例外として10枚目まではモノラル録音になる。

ライナー・ノーツは47ページほどで、総てのオリジナル・ジャケットの写真が印刷されているが、バジェット・ボックスらしく個々の演奏曲目と詳細なデータについてはそれぞれのジャケットの裏面にしか書かれていない。

尚シュヴァルツコップのキャリアとレコーディングに関してのエピソードは数葉のスナップ写真と共に英、独、仏語で掲載されている。

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2015年12月28日


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ヴェルディのオペラに関しては、伝統的な演奏法や言語の問題が加味される分だけある程度甲乙つけやすいが、そういった制約がなく、言わば指揮者の個性がそのまま浮き彫りにされるこの種の音楽に関しては、それぞれがそれぞれに魅力的で、なかなか判定しにくいものがある。

事実トスカニーニ、デ・サーバタ、ショルティ、ジュリーニ、カラヤン、アバド、ムーティの7つの盤は、全てどれを1位に推してもおかしくない程素晴らしい出来ばえを示していると言えよう。

その中からあえて鼻の差で抜きん出ている盤を選ぶとすれば、デ・サーバタの崇高な音楽はなんとも捨て難い。

ヴィクトル・デ・サーバタの数少ないスタジオ録音のひとつだが、プッチーニの『トスカ』と並んで、スコアから横溢するドラマを引き出す彼の恐ろしいほどの鋭い洞察力と、ソリスト、オーケストラ、コーラスを一瞬の弛緩も無く緻密に統率する優れた手腕が示された名演。

この時代の『ヴェル・レク』と言えば、まずトスカニーニの至高の超名演が思い出されるが、このデ・サーバタ盤も作品に注がれる情熱といい愛情の深さといい、彼渾身の熱演が繰り広げられている。

1954年にミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団を振ったモノラル録音で、音質的には恵まれていないが、音楽そのものを鑑賞するには現在でも充分価値がある。

作曲家として音楽活動を始めたデ・サーバタは、のちに指揮者としても活動を開始し、トスカニーニの後任として1953年までスカラ座で音楽監督を務めた。

体調不良のため同年引退し、1967年に死去するまでの14年間のうち、2回だけ指揮した。

1回はこの1954年に録音された『ヴェル・レク』、2回目は1957年の「トスカニーニ追悼コンサート」の時であった。

長い沈黙のはざまの演奏とは思えないほどのエネルギーほとばしる演奏で、単に彼の集中力の強さが衰えていない証拠であるばかりでなく、歴代の名盤としても数えられている。

ソリストの中でも驚かされるのはシュヴァルツコップの後年には聴かれないような大胆で奔放な歌唱で、おそらくこれは指揮者サーバタの要求した音楽と思われるが、後半の『リベラ・メ』のドラマティックな表現や『レクイエム・エテルナム』で聴かせる消え入るようなピアニッシモの繊細さも彼女の並外れたテクニックによって実現されている。

また『アニュス・デイ』でのメッゾ・ソプラノ、ドミンゲスとの一糸乱れぬオクターヴで重ねられたユニゾンの張り詰めた緊張感の持続も強い印象を残す。

テノールのディ・ステファノはライヴ演奏でもしばしば起用されたこの曲のスペシャリストでもあり、彼の明るく突き抜けるような歌声は宗教曲の演奏としては異例だが、ベル・カントの泣き節たる『ヴェル・レク』ではすこぶる相性がいい。

第10曲『インジェミスコ』の輝かしさは教会の中よりもむしろ劇場空間での再現が適している、一種のオペラのアリアであることを端的に物語っている。

チェーザレ・シエピについて言うならば、バスのパートをこれだけ完璧なカンタービレで歌いきった例も少ないだろう。

その深々として良く練り上げられた声質は重唱においても音程が正確で、他の歌手と共にヴェルディが書き記した対位法の各声部を明瞭に追っていくことが可能だ。

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2015年11月03日


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絢爛豪華なメルヘンの世界を堪能できるオペラだ。

主人公ホフマンが失恋する3人の女性にダンジェロ、シュヴァルツコップ、デ=ロス・アンヘレスといった当時のプリマ・ドンナ3人を配し、それに対抗する男声側もタイトル・ロールのゲッダほか強力かつ贅沢な布陣が聴きどころで、さながらJ.シュトラウスの『こうもり』のガラ・コンサートを聴くようなスリルと豪華さにこのオペラの醍醐味がある。

はっきり言ってストーリーの筋書きは殆んど荒唐無稽だが、終幕大詰めのシーンで絶望するホフマンに天の声が語りかけて、彼が感極まる部分でクリュイタンスは見事なクライマックスを創り上げている。

リブレットだけを読むと安っぽい台本にしか思えないが、これを一晩の飛びっきり気の利いた慰みに仕上げてしまうオッフェンバックの職人技と、劇場感覚に精通した勘の良さには改めて驚かざるを得ない。

アンドレ・クリュイタンスはワーグナーのバイロイト・ライヴは別として、彼の全盛期にいくつかのオペラをEMIにセッション録音で遺している。

モノラル時代の代表としてはオペラ・コミークとの『カルメン』やストラヴィンスキーの『うぐいす』、第1回目の『ホフマン物語』そしてドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』、そしてムソルグスキーの『ボリス・ゴドノフ』、グノーの『ファウスト』の最初の録音などがあり、ステレオ時代に入ってからは共に2回目になる『ホフマン』及び『ファウスト』が挙げられる。

しかもそれらの総てが名演の名に恥じないもので、クリュイタンスのオーケストラル・ワークばかりに拘っている方にも是非お薦めしたい演目だ。

この『ホフマン』が1回目のセッションと大きく異なっている点は、入れ替わり立ち代りする多くの登場人物に当時を代表する名歌手を当て、ライヴでは殆んど望めないキャスティングを組んでいることだ。

また物語自体のシュール・レアリズム的な雰囲気に加えて、オッフェンバックのシンプルだが巧妙なオーケストレーションと効果的な歌唱がちりばめられて、オペラが絢爛豪華な一大メルヘンの様相を呈している。

こうした作曲家のストラテジーを究極的に活かしたクリュイタンスの指揮者としての采配にも感心させられる演奏だ。

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2015年09月24日


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カラヤン没後25周年記念企画でEMI音源を新規にリマスタリングして全13巻計101枚のCDにまとめたセットのひとつになり、2巻ある声楽曲集のうち初期録音が5枚に編集されている。

使用されたオリジナル・マスターが1947年から1958年にかけての製作なので驚くような変化は聴き取れないが、演奏史に残るような貴重なセッションやライヴが鑑賞に充分堪えられる音質に改善されていることは評価できる。

例えばCD4−5のベートーヴェンの『ミサ・ソレムニス』は1958年のステレオ録音で、シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ゲッダ、ザッカリアをソリストに迎え、フィルハーモニア管弦楽団とウィーン楽友協会合唱団を振ったものだが音質及び分離状態も良好で、若き日のカラヤンの颯爽とした推進力と同時にスペクタクルな音響創りも既に示されている。

CD1−2のバッハの『ロ短調ミサ』は1952年の録音で、マスターの保存状態がそれほど良くないのでバックのオーケストラが映えないのが残念だし、またバスのハインツ・レーフスは非力の謗りを免れないだろう。

CD2のトラック13−17は1950年にカラヤン、ウィーン交響楽団との同曲のリハーサルから収録されたもので、5曲のみの抜粋だがコントラルトのキャスリーン・フェリアーの貴重なソロと、シュヴァルツコップとのデュエットが入っている。

このうち4曲は既にフェリアーのEMIコンプリート・レコーディングス3枚組に加わっていた曲目になる。

CD3ブラームスの『ドイツレクイエム』に関しては1947年のモノラル録音でコーラス陣はいまひとつだが、共に30代だったシュヴァルツコップとホッターの絶唱を堪能できるのが嬉しい。

ワーグナー歌手としてのキャリアを着実に歩んでいたホッターの張りのある歌声とその表現力には流石に説得力がある。

このセットのもうひとつのセールス・ポイントはCD5に収められたR.シュトラウスの『四つの最後の歌』で、シュヴァルツコップとしてはアッカーマンとのセッションに続く1956年のライヴ録音になり、第2曲「九月」の短い後奏を当時フィルハーモニア管弦楽団の首席だったデニス・ブレインの絶妙なソロで聴けることだろう。

演奏の前後に拍手の入ったモノラル録音ながらノイズのごく少ない良質の音源だ。

尚ブレインのホルンはこの連作歌曲以外でもオーケストラの第1ホルンとして随所で感知できる。

英、独、仏語による19ページのライナー・ノーツ付だが、歌詞対訳は省略されている。

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2014年12月20日


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不世出の大歌手であったシュヴァルツコップは、様々な楽曲において持ち前の名唱を余すことなく披露したが、最も得意としていたのは、諸説はあると思われるが、その声質からしてもモーツァルトの楽曲であったと言えるのではないだろうか。

例えば、シュヴァルツコップの歴史的な名唱としては、カラヤン&フィルハーモニア管弦楽団ほかをバックにスタジオ録音(1956年)されたR・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」における元帥夫人役が掲げられるが、当該楽劇もモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」の近現代音楽版とも言えるものである。

そして、同じ組み合わせによるモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」などにおいても素晴らしい歌唱を披露しており、シュヴァルツコップとモーツァルトの楽曲の抜群の相性の良さを感じることが可能だ。

そのようなシュヴァルツコップが、同じくモーツァルトを得意中の得意としていたギーゼキングと組んで、モーツァルトの歌曲集をスタジオ録音してくれていたのは何と言う素晴らしいことであろうか。

それにしても、シュヴァルツコップは上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけモーツァルトの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えまい。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

表情づけの巧さも特筆すべきものであり、シュヴァルツコップがいかにモーツァルトの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

ギーゼキングのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

ギーゼキングのピアノ演奏は、例によって一聴すると即物的とも言うべきストレートな表現を旨としているが、よく聴くと随所に絶妙なニュアンスが込められているところであり、噛めば噛むほどに味わいが出てくるスルメのような内容豊かな演奏と言えるだろう。

したがって、モーツァルトの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

音質は、モノラル録音というハンディもあって、従来CD盤の音質は、いささか鮮明さに欠ける音質であり、時として音が歪んだり、はたまた団子のような音になるという欠点が散見されたところであった。

ところが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような、そして1955年のモノラル録音とは到底信じられないような鮮明な音質に生まれ変わった。

シュヴァルツコップの息遣いやギーゼキングのピアノタッチが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、シュヴァルツコップ、そしてギーゼキングによる素晴らしい名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年09月27日


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不世出の大歌手であったシュヴァルツコップは、様々な楽曲において持ち前の名唱を余すことなく披露したが、本盤に収められたシューベルトの歌曲集においても、見事な名唱を披露している。

それにしても、シュヴァルツコップは上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューベルトの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

加えて、シューベルトの歌曲には、常に寂寥感のようなある種の独特の抒情に満ち溢れているのであるが、シュヴァルツコップはそれらの寂寥感溢れる抒情的な旋律における表情づけの巧さも特筆すべきものであり、シュヴァルツコップがいかにシューベルトの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

エドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

当時、一世を風靡する存在であったエドヴィン・フィッシャーのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューベルトの音楽特有の寂寥感を有した旋律の数々を絶妙なニュアンスを持って弾いていると言えるところであり、噛めば噛むほどに味わいが出てくるスルメのような内容豊かな演奏と言えるだろう。

したがって、シューベルトの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

なお、当たり前のことではあるが、某レコード会社のフィッシャー=ディースカウのCDとは異なり、歌詞の対訳が付されているのも、最低限の上限を兼ね備えているものと評価したい。

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2014年09月08日


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本盤には、フルトヴェングラーのレパートリーとしてはきわめて珍しい歌曲集が収められている。

マーラーの「さすらう若人の歌」と、マーラーと同年生まれで、歌曲に劇的で深い要素を導入したことで知られる後期ロマン派の作曲家、ヴォルフの歌曲集の組み合わせだ。

このように、フルトヴェングラーにとって馴染みが薄い楽曲においても、そのスケールの大きい芸術はいささかも揺るぐことはない。

「さすらう若人の歌」はスタジオ録音、ヴォルフの歌曲集はライヴ録音(拍手入り)であるが、荘重なインテンポでいささかも急ぐことなく音楽の歩みを進めていっており、楽曲の心眼を抉り出していくような彫りの深さは、深沈とした情感を湛えていて実に感動的だ。

マーラーの「さすらう若人の歌」については、ワルターやバーンスタインによる名演が、本録音の後に登場してくることになり、本演奏のような演奏様式は時代の波に取り残されていくことになったが、それでもこのような深みのある人間のドラマとも評すべき奥行きのある名演は、人間関係やその絆が希薄になりつつある現代においてこそ、なおその存在意義は高いものと言わざるを得ないだろう。

フィッシャー=ディースカウは、その後も同曲を何度も録音しているが、本盤が随一の名唱と言えるのではないだろうか。

というのも、後年の歌唱では巧さが全面に出てしまいがちであると言えるからである(それでも、十分に堪能させてくれるので、文句がつけようがないのだが)が、本演奏では、巧さよりも人間味や情感の豊かさが全面に出てきており、フルトヴェングラーの人間のドラマの構築に大きく貢献しているのを忘れてはならない。

ヴォルフも素晴らしい名演だ。

ここでのフルトヴェングラーのピアノは、「さすらう若人の歌」における指揮ぶりと何ら変わりがないと言えるところであり、深沈とした奥行きのある演奏は、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な凄みのある音楽の醸成に成功している。

シュヴァルツコップの歌唱も、フルトヴェングラーの凄みのあるピアノ演奏に一歩も引けを取っておらず、このような至高・至純の名演に大きく貢献していると言っても過言ではあるまい。

音質は、今般のSACD化によって、既発CDとは次元が異なる良好な音質に生まれ変わった。

特に、フィッシャー=ディースカウやシュヴァルツコップの息遣いまで聴こえるような声楽の鮮明さには大変驚かされた。

いずれにしても、このような歴史的な名演を、現在望み得る最高の高音質SACDで味わうことができることを大いに歓迎したい。

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2014年09月07日


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4つの最後の歌は、R・シュトラウスの最晩年の傑作であるが、本盤に収められた演奏こそは、ヤノヴィッツとカラヤン&ベルリン・フィルによる演奏(1969年)と並んで、同曲の演奏史上最高の名演と言っても過言ではあるまい。

特に、歌手の個性という意味においては、本盤の演奏の方をより上位に置く聴き手も多いと言えるところだ。

本演奏を名演たらしめているのは、何と言ってもシュヴァルツコップによる圧倒的な名唱にあると言えるのではないだろうか。

確かに、あまりにも上手過ぎるために、とある影響力の大きい某音楽評論家が評しておられるように、音楽そのものの美しさよりも歌手の個性が全面に出てくるきらいがないわけではないが、これだけ堪能させてくれれば文句は言えまい。

各4つの歌曲に込められた、人生の諦観を感じさせるような奥行きのある音楽を、シュヴァルツコップほど巧みに表現し得た歌手はこれまで存在したと言えるだろうか。

シュヴァルツコップは、歌曲やオペラなどにおいて数々の名演を成し遂げた不世出の大歌手と言えるが、そうしたシュヴァルツコップが遺した数々の名演の中でも、本演奏は、その深沈たる深みにおいて最上位の部類に入ると言っても過言ではあるまい。

その他の歌曲についても、シュヴァルツコップの巧さが際立った素晴らしい名演と高く評価したい。

シュヴァルツコップの素晴らしい歌唱を下支えしているのが、セル&ベルリン放送交響楽団、そしてロンドン交響楽団による至高の名演奏である。

セルと言えば、クリーヴランド管弦楽団との鉄壁のアンサンブルを駆使した精緻な演奏の数々が念頭に浮かぶが、1960年代も半ばが過ぎ、そして、ベルリン放送交響楽団やロンドン交響楽団などと成し遂げた演奏においては、むしろ各奏者に自由を与え、より柔軟性のある情感豊かな演奏を行うことが多かったと言えるところだ。

本盤の演奏もその最たるものと言えるところであり、シュヴァルツコップの名唱をしっかりと下支えしつつ、情感豊かな味わい深い名演奏を展開している点を高く評価したい。

音質は、従来CD盤ではやや鮮明さに欠ける音質であったが、今般、ついに待望のSACD化が行われることによって大変驚いた。

従来CD盤とは次元が異なる見違えるような鮮明な音質に生まれ変わった。

シュヴァルツコップの息遣いが鮮明に再現されるのは殆ど驚異的であり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、シュヴァルツコップ、そしてセル&ベルリン放送交響楽団、ロンドン交響楽団による至高の超名演を、SACDによる高音質で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年04月04日


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カラヤンは広範なレパートリーを誇る指揮者であったが、その中でもオペラの分野においては、演奏内容の水準の高さにおいても他の指揮者の追随を許さない存在であった。

このようなカラヤンが最も愛したお気に入りのオペラの一つは、R・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」であったと言うのは論を待たないところだ。

カラヤンは、本盤に収められた演奏のほか、同曲の録音をDVD作品を含め、ウィーン・フィルとともに2度にわたってスタジオ録音を行っており、それらも素晴らしい名演であるとは言えるが、カラヤンによる同曲の演奏の最高峰は、まさしく本演奏である。

それどころか、本演奏は、様々な指揮者による同曲のいかなる名演にも冠絶するとともに、カラヤンが行った数多くのオペラの録音の中でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したい。

本演奏は、まず何と言ってもカラヤンの指揮が素晴らしい。

壮年期のカラヤンならではの颯爽とした音楽性豊かな指揮ぶりが見事であり、第1幕の終結部の元帥夫人がオクタヴィアンに諭す場面の表現の何とも言えない味わい深さや、第3幕の有名な三重唱は至高・至純の美しさを誇っている。

カラヤンがその後ウィーン・フィルとともに行った録音では、これらの箇所においてはとても本演奏のような魅力はないと言えるところであり、カラヤンとしてもこれは空前にして絶後の絶妙な表現と言えるのではないだろうか。

歌手陣も豪華極まりないと言えるところであり、元帥夫人のエリーザベト・シュヴァルツコップを筆頭に、オクタヴィアン役のクリスタ・ルートヴィヒ、オックス男爵役のオットー・エーデルマン、そしてゾフィー役のテレサ・シュティヒ=ランダル、ファニナル役のエーベルハルト・ヴェヒター、さらには歌手役のニコライ・ゲッダなど、これ以上は求め得ないキャスティングの素晴らしさ、そしてその歌唱の凄さにただただ圧倒されるのみである。

オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団であるが、本演奏ではウィーン風の実に味わい深い名演奏を繰り広げており、いささかの不満を感じさせるものではない。

録音も、従来盤でも比較的満足できる音質である。

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2013年08月10日


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これはシュヴァルツコップによる傑作とも言える名CDである。

1974年のスタジオ録音ということで、まさにシュヴァルツコップの晩年の演奏ということが言えるが、いささかも歌唱力が衰えるということはなく、むしろ人生の辛酸を舐め尽くした不世出の大歌手だけに可能な圧巻の名唱を披露していると高く評価したい。

それにしても、シューマンの楽曲の演奏は難しい。

交響曲であればそうではないところもあるが、ピアノ曲や歌曲ともなれば、凡庸な演奏ではとても聴いていられないということになる。

シューマンのピアノ曲や歌曲には、いささか俗な言い方になるが、ある種のファンタジーの飛翔のようなものが存在しており、これをいかに的確に表現し得るかに演奏の成否がかかっていると言っても過言ではあるまい。

ドイツ音楽であるからといって、理詰めで演奏したりしてしまうと、ひどく退屈で面白みのない演奏に成り下がってしまう可能性が高い。

しかしながら、シュヴァルツコップによる本演奏については、そのような危険にはいささかも陥っていない。

例によって、本演奏でもシュヴァルツコップの歌唱は上手い。

いや、あまりにも上手過ぎるとも言えなくもないが、これだけシューマンの歌曲の魅力を満喫させてくれれば文句は言えない。

そして、上手過ぎるとは言っても、技巧臭がいささかもしないのがシュヴァルツコップの凄さと言えるだろう。

随所において豊かな情感が込められているが、それでいてセンチメンタルになることはなく、どこをとっても格調の高さを失うことがないのが見事である。

加えて、前述のように、シューマンの歌曲には、ファンタジーの飛翔のようなものが存在しているが、シュヴァルツコップはそれらを見事に描出するのに成功しており、シュヴァルツコップがいかにシューマンの歌曲の神髄を捉えていたのかが理解できるところだ。

ジェフリー・パーソンズのピアノ演奏も素晴らしいものであり、シュヴァルツコップの名唱にいささかも引けを取っていない。

パーソンズのピアノ演奏は、一聴すると淡々した演奏を展開しているように聴こえるが、よく聴くと、前述のようなシューマンの音楽特有のファンタジーの飛翔を見事に表現し得て妙とも言えるところだ。

したがって、シューマンの歌曲に相応しいピアノ演奏と言えるところであり、前述のようなシュヴァルツコップの名唱とも相俟って、珠玉の名演を成し遂げるに至っているものとして高く評価したい。

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2012年02月23日


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R.シュトラウスの音楽が好きになったのは、《ばらの騎士》かこの《4つの最後の歌》ことがきっかけだ、というファンは少なくない。

しかもそのどちらもシュヴァルツコップの歌唱を通じてだ、というのが面白い。

当時のシュヴァルツコップは心技一体というか、テクニックだけでなく、内面も輝き渡っていて、まさにオーラを放射していた。

時代もよかった。希望あふれる時代だった。

誰もが《ばらの騎士》のような世界に浸れる時代が目の前に来ていると実感させられた。

その輝きは今日でも失われず、私たちの夢の原動力はここにあると思わせずにはおかない。

それは《4つの最後の歌》についても言える。

これは死を目前にした老年の諦念を歌い上げた音楽であるにもかかわらず、ある種の明るさが漂っている。

死は生と対極にあるのではない。

カフカは「生を十全に生きた者は死を恐れない」と言ったが、死は十全に生きた者の至る最後の成熟であり実りである。

シュトラウスはその意味を知っているだけでなく、その豊かな実りを絵画的で壮大な響きの饗宴として私たちに呈示し、真にこのような死を迎えたいを思わせる。

その意味に最も深く触れているのが、このシュヴァルツコップ&カラヤンの演奏だ。

死は希望と夢にあふれ、それはこんなに豊かで、心ときめくものなのかと感動させられる。

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2012年01月28日


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これは不朽の名盤だ。

シューベルト歌曲を無心に聴こうとする人にとって、理屈が全く不要な演奏である。

1952年の録音とはいえ、モノーラルゆえに、かえってひとつの風格と呼べるものが、このシューベルトに漂っている。

シューベルトのこの12曲は、まさにかけがえのない、シューベルトの歌曲録音史上に残る最高の1枚といえる。

シュヴァルツコップとエドウィン・フィッシャーという、今でさえも驚嘆すべき奇蹟のコンビが作り出す音楽。

ドイツ・ロマン派の作品を得意とするフィッシャーの深いロマン性と、シュヴァルツコップの格調の高い歌唱が、見事に一体となって、気品のある典雅で優美な音楽となっている。

《いま》という時点からみると、シュヴァルツコップの歌唱はいささか時代がかっているかもしれない。

しかし、これほどの感情移入の強さは、現在の歌い手たちには見られないし、これはひとつの時代様式を完成させた名歌手最大の贈り物だ。

詩の味わいのこまやかさと声の巧みな使い分けを、ここまで究めたソプラノはいない。

その無限の広がりの中に身を浸しているだけでも、シュヴァルツコップの言うように「人生が変わってくる」という考えが絵空事ではなく、それぞれの人たちの中に得難い体験として刻まれてゆく。

ギーゼキングのピアノによる『モーツァルト歌曲集』とともに、リート録音の最高作といえよう。

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2012年01月27日


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20世紀最高の名ソプラノのひとりであるシュヴァルツコップが、これまた20世紀を代表するモーツァルト弾き、ギーゼキングを伴奏者として録音したもので、名演奏家同士の共演だけに、そこから生み出される音楽は、神々しいばかりの魅力がある。 

シュヴァルツコップの最絶頂期(1955年)の録音。モノーラル時代のとても古い録音だ。

音が古めかしいだけでなく、声に関しては演奏テクニックも解釈もところどころ頼りなげだ。

しかし、それを超えて訴えてくるものがここにはある。

初心の感動というべきものが、自ら歌をうたうよろこびに満ち、それを人に伝えずにはいられず、聴き手とともによろこびを分かち合おうとする姿勢に貫かれた演奏だ。

1曲1曲に心のときめきがこもり、これほど歌を聴くよろこびを感じさせてくれるディスクも珍しい。

この録音当時からすると、モーツァルトの再現様式もずいぶん変わってきた。

この歌唱も今となってはいくぶん思い入れの強いモーツァルトといえるが、ここにはシュヴァルツコップとギーゼキングという2人の芸術家が、力と心を合わせて作り上げた「真実のモーツァルト」がある。

これはまさに千載一遇の出会いと言ってよいほど、歌曲録音史上指折りの名演に数えられる。

歌唱様式が時代によってその形を変えるのは当然だが、その「歌のこころ」は不変である。

ここでのシュヴァルツコップの歌の彫りの深さは、モーツァルトへの思いの深さそのもので、CDがある限りこの歌の命は消えないだろう。

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2011年05月30日


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クリュイタンス盤は、ゲッダ、ダンジェロ、シュヴァルツコップ、デ=ロス・アンヘレス、ロンドンなどの名歌手たちの持ち味を活かした大時代的、幻想的ロマンを感じさせる名盤である。

クリュイタンスは、この大時代的なシューダン版を用いながらも、少しも鈍重にも冗長にも陥ることなく、全てほれぼれとするばかりの美しく洒落た音楽を生み出している。

そのギャラントな味わいと、洗練された美感は、CDの鮮明な音の中に甦っている。

この成功は一にも二にもクリュイタンスの精妙をきわめた指揮の功績である。

彼の洗練された感覚と素晴らしい劇的な表情が、このオペラの逸楽ムードと美を余すところなくとらえているばかりでなく、作品により大きな風格を与え、オッフェンバックの音楽の脆弱ささえ救っているのは驚くばかりである。

クリュイタンス盤の描き出す夜は官能的で暖かく、怪奇性は減退している。

そのため全体は饗宴のような豪華絢爛とした夜の雰囲気に包まれている。

3人の恋人がそれぞれ声質の異なった歌手に割りふられていることもそれにあずかっていよう。

豪華なキャスティングも素晴らしく、ゲッダのみずみずしいホフマンを始め、各歌手の持ち味も十分に生かされている。

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2009年12月09日


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ジェラルド・ムーア。少しでもリートに関心のある人なら誰でも知っている名伴奏ピアニストだが、このディスクは、つねに脇役にまわって名歌手たちを支え続けてきたムーアが、ただ一度主役にまわったコンサートの記録。

1967年2月20日、長年名歌手たちの伴奏をつとめ、レコード録音も多く、まさに20世紀最大の伴奏ピアニストと言うべきムーアの引退に際してロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われた演奏会のライヴである。

イギリスEMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグの企画により、これまでムーアとともに数々のコンサート出演やレコーディングを行ってきた3人の大歌手、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘルス、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、エリザベート・シュワルツコップの3人が同時に集い、ムーアへの感謝を捧げるというのが、この演奏会の主旨だった。

なにしろこの3人の世紀の大歌手が一堂に会して独唱ばかりか重唱も繰り広げたのであるから、そのライヴとしてこのレコードが発売された当時は、それなりに話題になったそうである。

しかし、この種の特別な機会に制作されたレコードのつねとして、時間が経つとともに忘れられ、再発のチャンスもなかなかやってこない。

これは残念なことである。

記念盤は記念盤として一回限りのリリースのほうが、まさに記念としての意義があるのかもしれないが。

幸いなことにCD化されたディスクは、むろん演奏は素晴らしいし、雰囲気も豊かである。

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2009年11月22日


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クリスマスの時期になると、各地のオペラ団体がとりあげるこの歌劇は、グリム童話を題材に得、ドイツ民謡がふんだんにとりこまれた素朴で親しみやすい作品と言える。

だが、フンパーティンクはバイロイトでワーグナーの仕事を手伝っていたこともあり、彼の作品には、ワーグナー的な劇的緊迫感の要素も含まれている。

このワーグナー的要素を最もうまく表現しているのが、カラヤンが1950年代にフィルハーモニア管およびシュヴァルツコップ、グリュンマー、2人のソプラノと録音したEMI盤。

音はやや冴えないが、若き日のカラヤンのすがすがしい演奏である。

ここでのカラヤンは、晩年にみられたような、巧緻をきわめた音づくりではなく、ごく自然にこの作品のメルヘン的な性格を引き出しており、颯爽とした若々しい表現で聴かせる。

この演奏の中で、特筆すべきは、子供心あふれるシュヴァルツコップ、グリュンマーの魅力的な二重唱。父親役を歌うメーテルニッヒなどの脇を固める歌手の堅実な歌唱と声質の対比も申し分ない。

豪華キャストたちの役をよくつかんだ歌唱が面白く、大変聴きごたえのある演奏になっている。

それとワーグナーかと錯覚してしまう程の詩情豊かで力感あふれるカラヤンの指揮も忘れてはならない。

しかも決してグランド・オペラ風歌合戦に陥ることなく、メルヘンとしてのこの作品の領域と限界をカラヤンは見失っていない。

全体に速めのテンポで、曲の夢幻的な雰囲気をすっきりと表し、魔女の場でも過度に物々しくせず、きびきびと運び、フレーズの扱い方にもあたたかみがある。

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2009年04月30日


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シュヴァルツコップのハンナが素敵である。彼女の歌うハンナは、優雅でしかも官能美にあふれており、その上品な色香がたまらない魅力となっている。

モーツァルトやR.シュトラウスのオペラを得意としているシュヴァルツコップが、こうしたオペレッタにも全力を傾けて取り組んでいるのは、実に立派である。

これは、1962年、彼女が47歳のときに録音されたものだが、表情がみずみずしく、声にも艶があり、彼女の至芸をじゅうぶんに堪能することができる。

「メリー・ウィドウ」がシュヴァルツコップにとって最高のレパートリーだったというわけではないが、ここには彼女の類稀な洗練と優美と魅惑の最上のものが結晶している。

一度この「陽気な未亡人」の色香に魅せられると、他のあらゆるハンナは八百屋のおかみさんか、舞踏会にまぎれ込んだ街の女のようにきこえるほどだ。

ことに、第2幕の有名な「ヴィリアの歌」は絶妙だ。

そのほかでは、ゲッダのカミーユとシュテフェクのヴァランシェンヌがそれぞれ、持ち味がよくあらわれていてよい。

またここでは、マタチッチの指揮が大変見事で、彼はレハール固有の美しい旋律をたっぷりと歌わせながら、全体を精妙にまとめていて、素晴らしい。

これは、カラヤン盤と並ぶ名盤で、レハールのオペレッタのもつ流麗な味を満喫することのできるディスクである。

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2009年03月08日


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スッペ、J・シュトラウス2世、ツェラー、レハールらの名作オペレッタからの12曲に、ジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の街」を加えた、大変楽しいディスクで、シュヴァルツコップの歌の比類なき精妙さと豊麗さを心ゆくまで味わえる極上のCDである。

シュヴァルツコップの歌は、品のよさと、ほどのよいお色気とをあわせ持った卓抜なもので、そのウィーン的情緒にあふれた優雅な表現は比類がない。

最後の「ウィーン、わが夢の街」以外はすべてウイーン・オペレッタのさわりばかりだが、彼女の表現はただ単に甘美な逸楽と陶酔だけでなく、ずばぬけた気品と技巧に裏付けられている。

実は彼女はここでのレパートリーを舞台で歌った経験はないのだが、実に見事にウィーンの情緒を歌い込んでいる。

大歌手が歌ったオペレッタの楽しい歌の数々…という程度じゃない。

ホイベルガーのオペレッタからの「別宅へ行きましょう」を聴くだけだって、どんな大芸術にも負けない、しかしオペレッタ独特の甘美な歌の魅力にとらえられるはず。

オペレッタの歌は、確かに歌手次第のところが多い。

シュヴァルツコップはこの上ないソプラノだった。

一代のソプラノの、考えようによっては「ばらの騎士」のマルシャリンにも匹敵する歌が聴ける。

マルシャリンは新しい歌手の新しい歌によって凌がれても、これはどうも凌がれそうにない。

甘く、こぼれんばかりの艶っぽさは、歌という快楽の宝物だ。

"オペレッタの名人"アッカーマンの指揮も実に巧妙だ。

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2008年06月12日


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1968年、シュヴァルツコップとF=ディースカウという2人の名歌手の最盛期の録音である。

数々の名盤が多いこの曲だが、この1枚にかなうものはない。

いくぶん2人の表情のつけ方が濃厚すぎるきらいもあるが、実に絶妙な歌いまわしで、聴いていると思わずひきこまれてしまう。

その熟達した歌唱は比類がない。

マーラーの長大なフレーズ、民謡風の色合い、そして少年時代の記憶の反芻から生まれる音たちの断片を集合し、これらを通して2人のリートの大家の歌い口は、本当に鮮やかに、生き物のように耳にとびこんでくる。

マーラーのエッセンスがすべてぶちこまれたようなこの歌曲集の、マーラーの悲しみ、憧れ、素朴な喜び、皮肉、人間存在への激しい慟哭や冷笑、運命への屈従と反抗、それらあらゆる全ての要素が恐るべき同化力をもって表現されるという結実に至っている。

セルも、あたたかい伴奏をつけており、そのうまさとあいまって圧倒的な名演となっている。

そして、マーラーの中からセンチメンタルな部分を濾過したセルの指揮が全体を引き締めている。

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2008年04月26日


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シュヴァルツコップとセルのこのR.シュトラウスは、真に不朽の名演と呼ぶにふさわしい1枚である。

R.シュトラウスの精緻をきわめたオーケストレーションと声の融け合いは意外に難しいが、シュヴァルツコップ&セル盤では両者の融け合いは自然で絶妙。

オケは人生最後の輝きを深い想いを込め、スケール大きく、繊細かつ色彩豊かに染め上げ、声は気高くしみじみとして説得力に富む。

彼女の場合、なんといっても言葉の表現力の確かさ、豊かさが大きな魅力だ。

たんにソプラノと管弦楽のための4つの歌ではなく、「最後の」であるところの意味の深さと、表面的な歌を超えたところでの人の生の余情を、シュヴァルツコップとセルの精妙な棒は余すところなく表出している。

人間的な温かさと、精神的な重みを感じさせるような見事な歌いぶりで、R.シュトラウスの最晩年の悟りきった心境を淡々とした表情で深ぶかと掘り下げた名唱である。

オペラ《ばらの騎士》の幕切れでのあの彼女得意の元帥夫人の歌から芝居気を取り去って、より痛切に聴かせるシュトラウスの世界である。

音や響きが豊かでありながら、聴こえてくるのは静寂な魂だという点が、何とも素晴らしい。

シュヴァルツコップという歌手が第2次大戦後のある時期を代表する名歌手というだけではなく、永遠に語り継がれるべき大歌手であることを、このディスクは見事に証明している。

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