メシアン

2017年01月18日


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チョン・ミュンフン(1953−)が1989年から94年まで音楽監督を務めたパリ・バスティーユ管弦楽団との初録音で、ドイツ・グラモフォン(DG)へのデビュー盤(1990年10月録音)。

就任から1年半余り経過したミュンフンの実力を世界中に知らしめた記念碑的なアルバムともなった。

このコンビの実力を知るためには恰好の1枚で、ミュンフンは、パリ・オペラ座の音楽監督就任とともにオーケストラの改革に乗り出し、パリ・オペラ座管弦楽団の演奏水準を著しく引き上げ(この頃、オーボエのルールーやフルートのカンタンが首席奏者として活躍)、ほとんど生まれ変わったと言えるほどの変化を遂げ、オペラだけでなく、シンフォニックなレパートリーにも取り組んでいった。

晩年のメシアンが当時準備していた《トゥーランガリラ交響曲》の新ヴァージョンのための種々の修正を考慮に入れた改訂版に基づく演奏で(既に日本でも1994年に大野和士&東京フィルの演奏で用いられた)、作曲者立ち会いのもとの試し刷り的な録音とも言えるが、作曲家自身も絶賛し、大いに満足したと伝えられる名演である。

と言っても、ダイナミクスを細かく変更したり、書き加えた程度で、楽譜を根本的に書き換えたわけではなく、聴いてわかる大きな変更はない。

おそらく作曲家の意図をよく知っているロリオ姉妹以外のソリストに委ねられてもきちんと作品の輪郭が伝えられるよう、指示を増やしたのだろう。

それよりも全体に作曲者指示のやや速めのテンポによりきりっと全体をまとめていくミュンフンの颯爽とした指揮と、俊敏且つ機敏なオーケストラのレスポンスが生きた快演で、着実で強靭、この大曲に正面から取り組み、音楽に内在する劇性を鮮やかに表出し、実に充実した演奏を繰り広げている。

その特質は、この作品を“見えない潜在的なオペラ”として捉え、全10楽章のドラマ性を強調している点にある。

例えば第5楽章は、速めのテンポと明確なリズムによって星たちの喜びの音楽となっており、控え目な第6楽章と見事なコントラストを見せている。

豊麗なオーケストレーションゆえの重厚なヴォリューム感を楯に押しまくるタイプの演奏とは本質的に違い、各声部をバランスよく立ち上がらせ、精妙に響かせる。

楽器間のバランス、テンポ、ダイナミクスも最適で、明るい音色、精妙な響き、鮮明でこまやかな造形、それでいて、感情的なニュアンスのつけ方もきめの細かさが際立っている。

しかし、もっと凄いのは、決して濁った響きにならず、メシアンの幻想的なエロティシズムを大らかに歌い上げているところで、例えば「愛の眠りの園」などは、パリ・バスティーユ管の色彩的な響きを生かした、神秘的で艶めかしい解釈となっている。

独奏のロリオ姉妹は初演から何回となく組んできたコンビであり、初期に比べると、はるかに落ち着いた演奏と言って良いだろう。

情熱的な名演も捨て難いが、これはミュンフンの知的な解釈が光った、作曲者が思い描いた理想的な演奏として銘記すべき代表盤のひとつである。

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2016年12月15日


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第2次大戦後の現代音楽のビッグ・ネームと言えば西側諸国の双璧がフランスのメシアンとアメリカのケージであり、それに東側陣営ではロシアのショスタコーヴィチであった。

メシアンはカトリックの立場から「普遍」の美を求め、数多くの神学的で形而上的なメッセージを持った音楽の他に、時には「音価と強度のモード」のような抽象的なシステマティックな作品も書いた。

しかし最もユニークであったのは、普遍的な音楽の現象、あるいは神の音楽として鳥の歌に素材を得た一連の作品であろう。

メシアンによれば、鳥たちはわれわれの遊星上に存在するおそらく最大の音楽家ということになるが、《鳥のカタログ》はフランス各地の77種の鳥の歌をそれを取り巻く時空間とともに音楽化した約3時間にも及ぼうというメシアンの超大作である。

《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》もそうであったが、決して耳当たりのいい作品ではなく、弾き手はもちろんのこと、聴き手にも相当な緊張を強いる難解な作品である。

ただ、《幼子イエスに注ぐ20のまなざし》が、どちらかと言うと人間の深層心理を抉っていくような峻厳な作品であるのに対して、《鳥のカタログ》は、ひたすら自然を描いて行くという温かい姿勢が窺える。

したがって、わずかな違いではあるが、《鳥のカタログ》の方が、幾分安心して聴くことができると言えるのかもしれない。

ピアノのための記念碑的な大作であり、この作品群に魅せられたウゴルスキの迫真の演奏も前人未踏の域に立つものと言えるところであり、鳥の歌を通して雄大な自然の実相に迫るようなピアノが聴けよう。

ウゴルスキはレニングラード音楽院在学中より、メシアンやウェーベルン、アイスラーなどのソ連初演を行なっていたし、卒業後の最初のリサイタルからシェーンベルクやブーレーズなど、当時としては急進的なプログラムを組むなど、意欲的な演奏活動をしていたのが災いして、当局より「破壊活動分子」のレッテルを貼られ、ドサまわりを余儀なくされた過去がある。

つまり、ウゴルスキは筋金入りの現代物好きで、この《鳥のカタログ》は、そんな彼に「これこそ私そのものだ」と直観させたのだという。

77種にも及ぶ鳥の鳴き声を素材に使ったマニアックな未曾有のピアノ音楽である本曲は、超絶的なテクニックと綿密な“読み”に裏打ちされた正確な表現力が要求されるが、ウゴルスキの演奏はそれらを鮮やかにクリアするばかりか、あたかも音楽の根源的な流れに共鳴するかのごとく、喜々として精緻かつ実にこなれた表現で肉薄している。

現代でも屈指のヴィルトゥオーゾと呼べる資質と明晰な解釈、そして何よりも完全に本曲を消化し自らも感応し得る表現の秀抜さに驚かされる。

この新たな切り口とゾクゾクさせる刺激を与えてくれるところに、彼の魅力があり、唯一無二の個性を持つピアニストと言って良いだろう。

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2016年11月29日


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メシアン(Olivier Messiaen 1908-1992)はフランスの作曲家で、最近まで現代音楽の代名詞のような作曲家であった。

現代では、もう少しロマン派よりの立ち位置を与えられることもあるが、ブーレーズ(Pierre Boulez 1925-)、シュトゥックハウゼン(Karlheinz Stockhausen 1928-2007)とともに第2次大戦後の現代音楽の潮流を作った象徴的音楽家。

本盤は、メシアンの代表作の1つであり、20世紀の記念碑と言うべきトゥーランガリラ交響曲(フランス語: La Turangal'la-Symphonie)を収録している。

リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953 -)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるメシアンが亡くなった年の録音で、ピアノにティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)、オンド・マルトノ奏者を原田節が担当している。

インドの異教的世界観にインスピレーションを得た作曲家は、主として鳥のさえずりのモティーフを奏でるピアノと艶っぽい響きが特徴のオンド・マルトノを独奏楽器として扱い、打楽器と金管を増強した3管編成のオーケストラで、「忘我の喜悦をもたらす愛」を歌い上げる極彩色の音絵巻を作り上げた。

メシアン自身の解説によれば、トゥーランガリラは仏典などに用いられるサンスクリット語(梵語)で、愛の歌を意味すると同時に、歓び・時・リズム・生と死への賛歌でもあるという。

複雑極まるポリ・リズムと想像を絶する多くの音を駆使して書き上げられた全10楽章から成るこの大作は、1980年代半ばから録音される機会が増え、サロネン(85年)、チョン(90年)、ヤノフスキ(92年)、シャイー(同)の各盤が続いていて、若手の優れた指揮者がこの大作に挑んできた。

この曲もついにオーケストラのレパートリーに加えられるときを迎えて、初演の独奏者であるロリオ姉妹以外の演奏家による録音も増え、作品の普遍性を裏付けている。

楽器の中では特にピアノとオンド・マルトノ(Ondes Martenot)が重要な役割を担っていて、ガムラン的な奏法を求められるピアノは、同時にメシアンの諸作品で暗示的に登場する「小鳥のさえずり」を表現している。

また電気楽器の一種であるオンド・マルトノが独特の音色により、全曲に不可思議な効果を与えている。

さて、このディスクを聴いて第一に思うのが、シャイーのこの音楽への素晴らしい「適性」である。

このメシアンも、例えばこの録音以前で評判の高かった小澤の録音と比べると、ややテンポは速めをとることが多いのだが、そうであって、初めて何か音楽を俯瞰できるような感触を得るように思えて、その印象を、一言で「適性」と表現してみた。

シャイーはコンセルトヘボウ管弦楽団のバランスのいい響きによって、ドラマティックな、振幅の大きい音楽づくりをみせている。

ベリオの《シンフォニア》などで現代作品にも快演を聴かせたシャイーだが、ここでも持ち前の研ぎ澄まされた音への執着をあらわにしながら、同時に恰幅のよい音楽を作っている。

オーケストラの個々の楽器が際立ち、雄弁に歌っているのが特徴で、ことに木管の表情の豊かさは古今の演奏のなかでピカ一である。

前半、第1〜5楽章の高揚、第6楽章「愛の眠りの園」で静まるものの、第7〜10楽章で再び盛り上がってゆく。

その間ずっと緊張を持続させたシャイーの力量、そしてこの曲をいわゆる狷饅造文渋絏山抬瓩ら解放した彼の力量は、並外れて大きく、この曲に必要な神秘感も不足していない。

ティボーデと原田の好演もポイントで、演奏至難なピアノであるが、オーケストラの打楽器陣と調和して、適切なスケーリングを維持しており、技巧的にも問題がない。

原田はこの交響曲に欠かせないスペシャリストであり、オンド・マルトノは適度な下品にならない不気味さ、そこにやや悲しい感情が宿されているのが美しい印象につながる。

ソリストが若返って、音の変化がより鋭角になった感があり、特にオンド・マルトノの膨らみのある音色が、かなり明瞭に感じられる。

シャイーの演奏からは情熱の要素は多く感じられないだろうし、韜晦や晦渋とは無縁で、熱狂的な陶酔からはやや距離があるかもしれないが、そのバランス感覚こそ、この人の最大の美点に他ならない。

この作品で、これだけオーケストラの客観的な美しさを確立できる人というのは、そうはいないはずだ。

デッカの素晴らしい録音技術と相俟って、いまなお同曲の代表的録音として推すのをためらわないアルバムだ。

特筆すべきは、ピアノと打楽器系の抜けの良い音質で、ガムラン的効果を狙った複雑な打楽器のテクスチャーが、見事に立体的に浮かび上がってくる。

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2016年11月28日


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『世の終わりのための四重奏曲』はメシアン唯一の室内楽曲で、第2次大戦中の捕虜となった彼は収容所内でこの曲を書きあげた。

ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノという変わった編成は、たまたまそれらの楽器の演奏者達が同じ収容所内にいたからであり、初演は1941年に収容所内で行われ、ピアノパートを受け持ったのはメシアン自身である。

作品の内容については様々な解釈がなされているが、黙示録に題材を得た8楽章からなる大曲は、全篇平和への強い希求に貫かれ、信仰によって浄化された無類に美しい音の粒が聴く者の胸を打つ。

すべての音は限定された時空の枠を越え、無限の広がりの中で永遠の生へと昇華するが、戦争という極限状態が生み出した異常なまでの精神の緊張がキリストの死と復活のドラマにこれほどの普遍性を与えることに成功したのだろう。

本盤は、1970年代前半に、このメシアンの20世紀室内楽の最高傑作を演奏するために、ピーター・ゼルキンを中心とする当時のアメリカの新進気鋭の名手4人によって結成された「タッシ」が1975年に録音した不朽の名盤。

タッシの実質的なデビュー盤で、武満徹の『カトレーン』初演のために来日した折、柏市とニューヨークで録音されたもの。

この曲の録音はおそらく現代作品の中では最も多く、40前後はあるはずで、その中でタッシの盤はごく初期の方の録音に属するのだが、演奏の上ではいまだに第一級の地位にあるのは驚くべきことだ。

4人の演奏家はそれぞれ独立しても演奏しており、特にピアノのピーター・ゼルキン、クラリネットのリチャード・ストルツマンは有名であろう。

当時30代だったアメリカの気鋭の奏者による演奏は、いずれも清新かつ鋭敏な表現に貫かれており、まことに印象鮮烈で、しかも爽やかである。

最近は音楽も音楽家も言ってることのわりに非常に保守的なので、とりあえず違うものを求める雰囲気に満ちているこれは魅力的。

いくらか神経質に思われるほど俊敏なピーター・ゼルキンのピアノ、精細な感性が光るカヴァフィアンのヴァイオリン、ほのぼのとした響きをもつシェリーのチェロ、そして弱音から強音まで柔らかい響きを奏でるストルツマンのクラリネットと、名うての名手が揃ったアンサンブルは絶妙である。

この作品は楽章によって独奏や二重奏になる部分も多く、第3楽章でのストルツマンの独奏や第8楽章でゼルキンに伴われたカヴァフィアンの息の長い独奏は忘れ難い。

『カトレーン供戮魯織奪靴琉兢によって書かれ、それは武満徹が狎こΔ離織吋潺牒瓩箸覆辰浸期を映した作品で、全曲のカギとなる四行詩(カトレーン)の部分がほのかに芳香が漂うような響きを持ち、心の奥まで浄化されているような気分になれる。

作曲者が「日本の絵巻のように音楽が流れていく」と語るこの曲には、その後の作品に聴けるような猊靄流のロマン瓩あふれており、現代における類稀なメロディ・メーカーとしての実力を発揮しつつあったのではないかと思えるのだ。

タッシというグループが存在したからこそ、武満は自己の中に眠っていたメシアンへの憧憬(オマージュ)を確認し、彼らのために作曲するという行為で「信仰告白」したのではないか、と思える。

これらの録音は、1970年代半ばという時代そのものの記録であることから、ジャケットや、メンバーたちのポートレートを眺めるまでもなく、その音楽には、当時のアメリカの文化状況の刻印は明らか。

現在は活動を停止してしまっているこのユニークなアンサンブルの超絶的な名演として忘れることのできない貴重な記録と言うべきだろう。

演奏の完成度と合わせ、メシアンと武満の作品の受容史という観点からも重要な1枚である。

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2016年11月27日


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本盤は30代の小澤征爾がRCAへ録音した最も初期の、実質的には小澤のデビュー・レコードであるが、その清新な演奏は今も魅力を失っておらず、80歳を超えた現時点においても、これまでの数多い小澤のディスコグラフィの中でも、トップの座に君臨する至高の超名演と高く評価したい。

とにかく、この当時の小澤の途轍もない力強い生命力と、作品の本質にぐいぐいと切り込んで行く鋭いアプローチは、凄いの一言であり、若き日の小澤のダイナミックで官能的でしかも精緻な音楽的特質がよくあらわれている。

メシアンのトゥーランガリラ交響曲にしても、武満のノヴェンバーステップス等にしても、いずれも難曲であるとともに、本盤の録音当時は、他にも録音が非常に少ないということもあり、演奏をすること自体に大変な困難を伴ったことが大いに予想されるところだ。

そのような厳しい状況の中で、30代の若き小澤が、これほどの自信と確信に満ち溢れた堂々たる名演を繰り広げたというのは、小澤の類稀なる才能とともに、現代の大指揮者小澤を予見させるのに十分な豊かな将来性を感じさせられる。

メシアンにしても、武満にしても、若き小澤を高く評価したのも十分に理解できるところであり、奇を衒うことのない非常にオーソドックスで、しかも優れたこれらの名録音は、いずれもLP発売以来一度もカタログから消えたことがない名盤である。

小澤はトゥーランガリラ交響曲の日本初演を行ったことからもわかるとおり、曲の隅々まで精通して作曲家メシアンの厚い信頼を得ての録音であり、メシアンの官能的な色彩をこれだけ、あられもなく表現した例は他になく、メシアンと小澤の信頼関係が晩年まで続いた事も大いに頷けるところだ。

トロント交響楽団のアンサンブルも優れたもので、実力を出し切っており、第5楽章の〈星の血の歓喜〉の困難なパッセージや、第6楽章の〈愛と眠りの園〉における天国的な旋律の歌い方なども大変秀逸である。

イヴォンヌ・ロリオのピアノが大変瑞々しく、またジャンヌ・ロリオのオンド・マルトゥノの音も存在感が溢れるよう録音されている。

ノヴェンバー・ステップスは、武満徹の名を世界に知らしめ、不動のものとした日本のクラシック音楽界にとって歴史的な録音で、小澤32歳の、初演後まもなくの熱気を感じさせる。

伝統音楽にはなかった琵琶と尺八の出会い、和楽器とオーケストラの出会いを演出した戦後の名作で、たっぷりと余韻を楽しみながら演奏されている。

琵琶と尺八をオーケストラと対峙させるというアイディア(これは委嘱してきたニューヨーク・フィルからの注文だったらしいが)もさることながら、ヨーロッパの追従に偏っていた日本の音楽界にわが国の古典音楽を突き付けたショックは今聴いても強烈で、フレーズ1つ1つに力がこもり、音の運動性と存在感が作品に命を与えている。

鶴田錦史(琵琶)・横山勝也(尺八)の両ソリストの名技に全面依存した作品でもあり、その最初の出会いを記録した本演奏はまさに歴史的名盤と呼ぶにふさわしい。

近年の演奏に比べれば粗削りだが、音に生気が漲っているせいか、不思議と、新しいものに出会った演奏家たちの驚きや喜びが伝わってくる。

武満本来の静謐の美学とは少しズレもあるが、特に彼の作風に含まれる西欧的な性質を強調したことによって、海外での受容が促進されたのかもしれない。

図形楽譜による琵琶と尺八だけの長大なカデンツァの部分は、楽譜にいくつかの断片が与えられているだけなので、本来は自由な順に演奏できるのだが、この時期にはまだ、鶴田も横山も試行錯誤で、後のように順番を固定してはいなかった。

トゥーランガリラ交響曲やノヴェンバー・ステップス等には、本盤の後、様々な指揮者の手により相当数の録音が行われたが、未だに本盤を凌駕する名演が登場していないというのは、本盤の演奏の水準の高さに鑑みれば、当然のような気がする。

そしてこの若き日の小澤を永遠に記録する名録音は、新たなリマスタリングとBlu-spec-CD化によって、驚異の高音質に生まれ変わった。

本当は、SACDで発売して欲しいところであるが、それでもこれだけの高音質でこの歴史的な「音の世界遺産」とも言うべき若き小澤の素晴らしい超名演を味わうことができるのだから、文句は言えまい。

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2016年11月21日


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ミシェル・ベロフが19歳でメシアン・コンクールに優勝した直後のデビュー録音で、ベロフの才能を世界の音楽ファンに知らしめ、彼の資質が如実に示された記念すべき名盤。

ベロフのかつての名声が、メシアンによって、特にこの《幼児イエズスに注ぐ20のまなざし》の全曲演奏とレコーディングによって高まったことは間違いない。

1969年に録音されたこの演奏には、もちろん、そのことが当然であったということを裏づけるものがあるし、新しいベロフが、もしもそれを再録音したとしても、同じような感興は得られないであろうということは考えられる。

ベロフの天才は一連のドビュッシーなどで明らかだが、その方法論が最も素直に十全に表われたのがこのメシアンであった。

メシアン初期の傑作で、極めて幾何学的な作で20世紀半ばのピアノ音楽の名品であるが、「移調の限られた施法」やら、「音=色」への執着やら、カトリック神秘主義的内容やら、メシアン固有の世界が2時間以上にもわたって展開される(全20曲)。

人類の救済者として生まれた幼児キリストは、父なる神や天使、星、聖母、あるいは時や沈黙、喜悦の精霊などに見守られ、期待をかけられ、最後に〈愛の教会のまなざし〉に到って神の愛が実現する。

曲はメシアン特有のカトリック的な神秘感に満ちた音楽で、極めて深遠かつ晦渋、カトリックに通じていないとわかりにくいところもあるが、おそらく、これしか残さなかったとしても、メシアンは歴史に名を刻んだだろう。

夫人のイヴォンヌ・ロリオを想定して書かれているため、鋭敏な感覚と技術的にも斬新な奏法を含む超絶的テクニックと色彩が千変万化する音色がこの曲では要求されるが、ベロフは見事にそれに対応しシャープなリズム感と音色を披露している。

その切れ味鋭いピアニズムは現在もなお鮮烈で、その鋭敏なリズムの感覚や、独自のタッチがもたらす類稀なサウンドなど、このピアニストの比類ない独自性を明らかにしている。

もっともこの曲集は同時に、途轍もない水準の統合力と同時に強靭な体力も要求するので、これを完璧なバランスで弾き切るのは、本当にわずかのピアニストのそれもある年代に限られるのではないかという気がする。

その意味でこの20歳を前にしたベロフの金字塔的な録音は、音楽という一回性の芸術が残し得た奇跡的な記録として、繰り返し聴かれるべきものであることには間違いない。

大音量の〈全能の言葉〉と妙なる響きの〈聖母の初聖体拝受〉のコントラストが示しているように、ダイナミックスの幅も広い。

こまやかに変化するタッチから生まれる多彩なソノリティが、曲の明暗や層構造を刻銘に描いていく。

〈悦びの精霊のまなざし〉で、土俗的な舞踏から神秘的な部分をへて輝かしい楽想にいたるあたりは圧巻だ。

クライマックスとなる〈愛の教会のまなざし〉も堂々たる風格で、聴き手を圧倒せずにはおかない。

鋭敏なリズム感と音色のヴァラエティも天才的で、ここに聴けるのは極めて硬質な叙情であるが、それがある種の解毒剤として作用し、様々な意味で「過剰」なこの作品に、スッキリとしたたたずまいを与えてくれているように思われる。

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2015年01月03日


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メシアンのトゥーランガリラ交響曲は、近年では録音点数もかなり増えてきており、クラシック音楽ファンの間でもその人気が少しずつ高まりつつある。

前衛的な典型的近現代音楽であるだけに、演奏の方もそうした前衛性に光を当てた切れ味鋭いシャープなアプローチによるものが多いと言えるのでないかと考えられる。

そうした中で、本盤のプレヴィンによる演奏は、複雑で難しい同曲の構造を明瞭に紐解き、できるだけわかりやすい演奏を心がけたと意味において、極めて意義の大きい名演と言えるのではないだろうか。

ポピュラー音楽等の世界からクラシック音楽の世界に進出してきたプレヴィンの演奏は、そうした異色の経歴を反映して、聴かせどころのツボを心得た、まさに聴かせ上手の演奏を行っているが、こうしたアプローチによって、一般的には親しみにくいと評されていた楽曲を、多くのクラシック音楽ファンにわかりやすく、なおかつ親しみを持ってもらうように仕向けてきたという功績には多大なものがあると言っても過言ではあるまい。

本盤のメシアンのトゥーランガリラ交響曲の演奏も、そうした列に連なるものと言えるところであり、複雑で輻輳した同曲の楽想が、プレヴィンによる演奏によって、明瞭に解析され、多くのクラシック音楽ファンに身近な存在するように貢献した点については高く評価しなければならないと考えられるところだ。

もっとも、プレヴィンの演奏が、単なる大衆迎合型の演奏に陥っているわけではない。

多くのクラシック音楽ファンに同曲の魅力を知らしめようという姿勢を持ちつつも、テンポの大胆な振幅や思い切った強弱の変化など、ドラマティックな表現を駆使しており、演奏全体に漂う気迫や緊迫感においても、いささかも不足はないと言えるところである。

クラシック音楽ファンが同曲の演奏に求める様々な期待の全てに応え得るこのような本演奏を成し遂げたということは、プレヴィンが、同曲の本質を深く理解するとともに、愛着を有している証左とも言えるところだ。

いずれにしても、本演奏は、プレヴィン&ロンドン交響楽団が成し遂げた同曲演奏史上でも最も明晰でわかりやすい名演であると高く評価したい。

音質は、1977年のスタジオ録音であるが、もともと録音面で定評があり、従来CD盤でも十分に満足できる音質であった。

しかしながら、今般、ついに待望のシングルレイヤーによるSACD化が行われることによって、見違えるような鮮明な音質に生まれ変わったところだ。

音質の鮮明さ、音場の幅広さ、そして音圧のいずれをとっても一級品の仕上がりであり、あらためてSACDの潜在能力の高さを思い知った次第である。

いずれにしても、このようなプレヴィンによる素晴らしい名演を、現在望み得る超高音質SACD盤で味わうことができるのを大いに歓迎したい。

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2014年11月23日


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メシアンの幼子イエスに注ぐ20のまさざしは、決して親しみやすい曲とは言えず、いかにも難解な現代のピアノ独奏曲だ。

約2時間にも及ぶ長大さが、更にその難解さを助長していると言えるが、児玉桃の手にかかると、その難解さが相当に緩和される。

一見するとバラバラに見える各楽曲が実に有機的に関連性の高いものであることをよく理解することができるのだ。

これは、2002年の演奏会で本曲を絶賛されて以来、メシアンのスペシャリストとの評価を上げ続けてきた児玉桃が、この複雑怪奇な同曲を深く理解しているからにほかならない。

20の各楽曲の1つ1つは、全体としては関連し合ってはいるものの、それぞれ大きく性格を異にしているが、児玉桃は、実に繊細にして抒情豊かなタッチで、巧みに各楽曲の描き分けを行っている。

卓越した技量は持ち合わせているのだろうが、決してそれをひけらかすのではなく、表面的な技量よりは、曲の内容を深く掘り下げようという姿勢が窺えるのが素晴らしい。

児玉桃の奏でる美しい音色は、音符1つ1つに、メロディ1つ1つに、生命を宿らせて、音の官能、生の喜びを、丁寧にそして大胆に紡いでいき、児玉桃の大いなるピアニズムを感じずにはいられない。

さらに、本盤で忘れてはならないのは、録音が極上であるということ。

SACDマルチチャンネルによる鮮明な音質が、メシアンが同曲に盛り込んだ多種多様な要素のすべてを再現するのに多大な効果を発揮している。

本盤は、演奏、録音のすべてにおいてハイレベルの仕上がりであり、おそらくは、現在入手できる同曲のCDの中では、最高の名演と言っても過言ではないと思われる。

児玉桃が、その録音直前までレッスンを受け続けた、この曲の初演者であり、メシアンの妻でもあるイヴォンヌ・ロリオがライナー・ノーツを執筆しており、その解説内容も興味深い。

既に高い音楽性を持つ児玉桃の、今後のさらなる発展にも大いに期待したい。

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2014年11月22日


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「鳥のカタログ」は、約3時間にも及ぼうというメシアンの超大作である。

「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」もそうであったが、決して耳当たりのいい作品ではない。

弾き手はもちろんのこと、聴き手にも相当な緊張を強いる難解な作品である。

ただ、「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」が、どちらかと言うと人間の深層心理を抉っていくような峻厳な作品であるのに対して、「鳥のカタログ」は、ひたすら自然を描いて行くという温かい姿勢が窺える。

したがって、わずかな違いではあるが、「鳥のカタログ」の方が、幾分安心して聴くことができると言えるのかもしれない。

児玉桃は、決してテクニックを前面に打ち出すということはしない。

もちろん、非常な技巧を要する難解な曲だけに、卓越したテクニックが不可欠であることは否めない。

しかし、児玉桃は、そうした卓越したテクニックをベースにして、繊細で精緻なタッチで、この複雑怪奇な作品を丁寧に紐解いていく。

各楽曲には様々な鳥の名称が付されているが、それらの描き分けが実に見事である。

おそらくは、これらの各鳥と同化するような気持ちで、丁寧なアプローチを行っているのではないだろうか。

再現された音の1つ1つに、同曲への心を込め抜いた深い愛着が感じられるのも、そのような丁寧なアプローチの証左と言える。

まさに、究極のメシアン演奏と言えるものであり、SACDによる高音質録音ということを加味すれば、現時点において入手できる「鳥のカタログ」の最高の名演と評価しても過言ではあるまい。

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2008年07月04日


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「忘我の喜悦をもたらす愛」を歌いあげた20世紀の記念碑的交響曲である。メシアンはインドの異教的世界観から霊感を得て、極彩色の音楽を書いた。メシアン音楽語法の集大成である。

小澤征爾がRCAへ録音した最も初期のものの一つであるが、奇を衒うこともなく非常にオーソドックスで、しかも優れた名演奏を残している。

このレコードには若き日の小澤のダイナミックで官能的でしかも精緻な音楽的特質がよくあらわされている。

小澤はこの曲の日本初演を行ったことからもわかるとおり、曲の隅々まで精通して作曲者メシアンの厚い信頼を得ての録音である。

トロント交響楽団も実力を出しきっており、第5楽章の<星の血の歓喜>の困難なパッセージや、第6楽章の<愛の眠りの園>における天国的な旋律の歌い方なども大変秀逸である。

イヴォンヌ・ロリオのピアノが大変みずみずしく、またジャンヌ・ロリオのオンド・マルトゥノの音も存在感が溢れるよう録音されている。

メシアンと小澤の信頼関係は、メシアンの晩年まで続いた。

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