ビーチャム
2018年08月13日
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このセットではディーリアスの代表的なオーケストラル・ワークと管弦楽に声楽が加わる『日没の歌』を作曲家最良の理解者だったサー・トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニーの演奏で収めている。
録音は1956年から63年にかけて行われたものだが、総ての曲に新しいリマスタリングがされているので、初期のステレオ録音のハンディを感じさせない瑞々しい音質が蘇っている。
ディーリアスは英国生まれのドイツ人だが、創作的にはインターナショナルなスタイルをとった。
しかしその作風は同時代の作曲家が実践していた20世紀的な斬新な試みよりも、どちらかというと後期ロマン派の流れを汲んで個人的な語法を洗練させた人だった。
彼がその作品のモチーフにしたものは常に大自然であり、それゆえ完全に癒し系の音楽だが、静寂さや旋律の美しさに留まることなく内面的にも特有の奥深さを持っている。
彼は自然の密やかな営みや、刻々と変化する自然界の神秘に憧憬の念を抱いていたに違いない。
それは彼自身が帰るべき心の故郷だったのだろう。
ディーリアスが10歳ほど年下のヴォーン・ウィリアムズに少なからぬ影響を与えたことは確実だ。
例えば『ブリッグの定期市』では古いイングランド民謡をベースにヴァリエーションの形式で繰り返し、1年に1度開かれるブリッグの町に集う恋人達の出会いを大自然の中に暗示している。
サー・トーマス・ビーチャムの指揮は誇張のない自然体で、ロイヤル・フィルから流麗で甘美な音楽を引き出している。
それぞれの曲の解釈に古めかしさを感じさせないのも、彼の普遍的で卓越した音楽性のあらわれだろう。
尚最後の『日没の歌』のソロはジョン・キャメロンのバリトン、モーリン・フォレスターのコントラルトでビーチャム・コーラル・ソサエティの合唱が加わる。
ライナー・ノーツは11ページほどで、曲目紹介、録音データの他に英、独、仏の解説付だが、歌詞カードは付いていない。
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2018年01月07日
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トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるモーツァルトのジングシュピール『後宮からの誘拐』全曲盤。
音質の良さもさることながら、それぞれのシーンがビーチャム流に洗練され美しく縁取られたメルヘンチックな作品に仕上げられていて、かつて聴いたこのオペラの中でも最もリリカルで優雅な雰囲気を湛えている。
1955年5月のセッション録音で、ジャケットにはMONOの表示があるが何故か完璧なステレオ音源。
この時期EMIでは既にステレオ録音を試験的に開始していたが、ステレオLPの正規リリースはデッカやその他のメーカーに遅れて1958年からになり、当セッションの録音経緯については不明である。
イタリア・ウラニア・レコーズからのリイシュー盤で、ジュエル・ケースに2枚のCDにトラック・リスト及び演奏者名が記載されたリーフレットが付いているが、以前併録されていたレオポルド・シモノーのモーツァルト・アリア集は割愛されている。
この作品はイタリア式のレチタティーヴォではなく、音楽の付かないセリフで劇が進行するジングシュピールの様式を採っているのでセッションでは通常セリフ部分は演劇役者が担当する。
この録音ではコンスタンツェにヒルデ・フォルク、ベルモンテにマンフレート・シュミット、オスミンがフリッツ・オッパー、太守セリムのハンスゲオルク・ラウベンタールが流暢なドイツ語で本格的な会話を聞かせてくれる。
しかしこのオペラにちりばめられた数多くのアリアではそれぞれの歌手の絶品とも言えるほどに磨き上げられた歌唱が聴きどころだ。
ビーチャムは主役の2人にソプラノのロイス・マーシャルとテノールのレオポルド・シモノーを起用することによってこの作品の性格を決定付けている。
どちらもカナダ出身のオペラ歌手だがリリカルな美声というだけでなく、クリアーな声質を端正な歌い回しで表現した典型的なモーツァルトの美学を愉しませてくれる。
マーシャルのコロラトゥーラは低音から超高音までを伸びやかに進展させて、超絶技巧のアリア「あらゆる苦しみが」でも余裕のある歌唱を披露している。
ベルモンテを歌うシモノーの様式に則った品の良い表現もモーツァルト歌いの面目躍如だ。
一方オスミン役のゴットロープ・フリックはあくの強い性格役者としてのバスを得意としていた。
第3幕「ああ、勝利だ」での低音Dはモーツァルトがオペラ・アリアで書いた最も低い音だが、彼はビーチャムのユーモアを良く解して、ぶっきらぼうだが快活かつ滑稽に歌い切っている。
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2017年03月22日
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トーマス・ビーチャム指揮、ロイヤル・フィルハーモニー及びロンドン・フィルハーモニーの演奏による7枚のディーリアス・オーケストラル・ワーク集のリイシュー・バジェット・ボックス化になる。
以前EMIからリリースされた『20世紀の音楽』シリーズのディーリアス編では2枚に纏められていたが、このセットではディーリアスが個人的に交流を持ち、最良の理解者でもあったビーチャムが指揮した1929年から57年にかけての総てのセッション録音が復活している。
このうち最初の2枚のみがステレオで、それ以外は擬似ステレオ及びモノラル音源になる。
勿論それぞれがリマスタリングされているが、さすがに古い音源はスクラッチ・ノイズやヒス・ノイズが多くセピア色の時代物の写真でも見ているような印象だ。
それゆえ後半の5枚はアーカイヴ・コレクションとして割り切って聴くべきだろう。
ちなみに2枚分のステレオ音源は来月ワーナーから高音質UHQCDバージョンでもリリース予定だ。
英国生まれのドイツ人、フレデリック・ディーリアス(1892-1934)の作品はともすると飽きっぽいムード音楽の連続に陥りがちだが、ビーチャムの演奏には特有の気品があり、オーソドックスだが筋の通った解釈がひとつひとつの曲に込められた作曲者の思索を明らかにしている。
ディーリアスの作品は、後期ロマン派の流れを継承しながら洗練されたオーケストレーションで自然界に起こる森羅万象を音楽に反映させた。
その意味では彼の作品の殆んどが標題音楽になるが、彼が創造する独自の空気感やその劇的な変化が大自然への強い憧憬を感じさせている。
彼の神秘的かつ映像的なサウンドが10歳年下のヴォーン・ウィリアムズに大きな影響を与えたことは事実だろう。
メランコリックなメロディーの逍遥する静謐感の巧みな描写やエスニカルなエレメントを取り入れたダイナミズムに彼の音楽語法が特徴的だが、そこに枯渇した彼自身のスピリットが追い求める内面的な安らぎと回帰すべき永遠の故郷が表現されているのではないだろうか。
例えば『ブリッグの定期市』は古いイングランド民謡を基にグレインジャーが作曲した声楽曲だが、ディーリアスは変奏曲の形にアレンジして、1年に1度開かれるブリッグの町の市場にやってくる恋人の逢瀬を美しく暗示している。
またオペラ『村のロメオとジュリエット』は現在殆んど演奏されない曲目だけに貴重で、歌手達の演奏水準は理想的でなかったにしても1948年の録音としてはノイズのない良好な音源だ。
尚19ページのライナー・ノーツには収録曲目一覧とリンドン・ジェンキンスによるディーリアスとビーチャムのコラボについて解説されているが、録音データや演奏者の詳細に関してはそれぞれのジャケット裏面にのみ表示してある。
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2015年04月10日
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母国の作曲家ディーリアスと親交を結び、彼の音楽の普及に最も貢献した指揮者トーマス・ビーチャムが遺した、ディーリアスのステレオ録音の全てを収録したアルバム。
このような演奏こそは、まさに英国の詩情極まれりと言ったところであろう。
ディーリアスの管弦楽曲は、いずれもいかにもイギリスの詩情溢れる親しみやすいものであるが、これをビーチャム以上に情感豊かに美しく演奏したことがこれまでにあったのであろうか。
ディーリアスと親交の深かったビーチャムは、手兵ロイヤル・フィルとともに管弦楽曲集の録音を遺しており、それは現在においてもディーリアスの管弦楽曲演奏の規範となるべき至高の超名演である。
生前の作曲者からその作品解釈を託されほどの信頼関係にあったビーチャムは、作曲者の生前から病に倒れて亡くなってからもディーリアスの音楽の普及に努力を惜しまなかった。
晩年エリック・フェンビーがディーリアスの助手として働き始めてからはイギリスでディーリアス作品で固めたディーリアス・フェスティバルを開催するなど、作曲者の最大の擁護者であった。
SPからステレオ時代1950年代後半までディーリアスの作品の多くを熱心に録音に行なっていた。
第2次大戦で時間をロスしてしまったのとモノラル時代からステレオに変り始めていた時代に対応すべくCBSからEMIに移ってディーリアスの作品を録音し直し始めたが、このアルバムの内容を録音したところで病に倒れ、作曲者の生誕100年祭を目前にこの世を去ってしまった。
このステレオ録音の特徴はそれまでビーチャムが録音を残してなかった作品が含まれていることで、その中にはビーチャム自身がこだわってきた初期の作品が含まれている。
彼自身が実際に演奏しながら手を加えてきたもので、【フロリダ組曲】【そり乗り】【夏の夕べ】【マルシュ・カプリース】など。
又永年愛奏してきた作品【ブリッグの定期市】【春はじめての郭公を聞いて】【河の上の夏の夜】【丘を越えてはるかに】【イルメリン前奏曲】などの小品も含まれている。
さらに【日没の歌】に関しては、生涯で3回も録音をトライしていたが、最後までその発売を禁止していた。
ビーチャムの演奏が素晴らしいのは、これらの各楽曲のスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味の演奏にはいささかも陥っていないということであろう。
ディーリアスの管弦楽曲の演奏に際しては、その旋律の美しさに気をとられて、音楽に込められた内容への追求をどこかに置き忘れた薄味の演奏も散見されるところである。
しかしながら、ビーチャムによる本演奏は、もちろん前述のように美しさにおいても他の演奏の追随を許さないものがあると言えるが、どこをとっても奥深い情感と独特のニュアンスが込められており、楽曲の細部に至るまで彫琢の限りを尽くした内容の濃い、そして味わい深い演奏を展開している。
いずれにしても、ビーチャムによる本演奏は、その美しさにおいても、内容の濃さにおいても、味わい深さにおいても、まさにディーリアスの管弦楽曲演奏の理想像の具現化と言えるところであり、同じくディーリアスを愛したバルビローリ盤をとともに、ディーリアスの管弦楽曲集の演奏史上でもトップの座を争う至高の超名演と高く評価したいと考える。
各演奏における情感の豊かさ、心を込めた歌い方においては、バルビローリ盤の方に軍配があがるかもしれないが、ディーリアスの音楽が持つ豊かな詩情性をこれだけナチュラルに美しく、しかも淡々と滑らかに表現できるのは、ディーリアスを熟知していたビーチャムならではのものであり、作曲者と、時代と風土を共にした指揮者にのみ可能な名演だろう。
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2014年06月13日
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エジプトのアレキサンドリアでの演奏会で絶賛されたモーツァルトのニ長調、その洗練さと優雅さ。
学究肌のイメージが付きまとうシゲティであるが、実際の演奏はみずみずしく、品格にあふれるものであった。
そしてもう一方のベートーヴェンはワルターが録音した初めてのコンチェルトである。
戦前のSPでベートーヴェンの「ヴァイオリン協奏曲」といえば、クライスラー&ブレッヒかシゲティ&ワルターのいずれかであった。
どちらに与するかは、聴き手次第だったらしいが、特にシゲティ盤に与する人はワルターの指揮も大きな力となっていたと思う。
確かにワルターの表現は今改めて聴き返してみると円熟味に不足するとはいえ、ティンパニを強打して始まる印象的な冒頭や、緩急自在のテンポ感、特に第2主題の大きくテンポを落とす情感と、レガートやポルタメントを多用する歌い方など、まことにチャーミングである。
ダイナミズムも柔らかいかと思えば、再現部冒頭のように厳しい一面も見せる。
しかし当時のワルターの欠点は、テンポの速いところでアンサンブルが雑になったり、リズムがのめりがちになったりすることであろう。
その良い例が終楽章で、ここではスケールがいかにも小さく、音楽が軽くなりすぎてしまった。
シゲティのヴァイオリンは彼の3種のレコードの中では、この第1回目が当然のことながら技術はいちばん充実している。
もちろんシゲティの音はあたかも鋼のごとく固く、強く、きつい。
ムードとか甘さはどこに探しても見当たらないが、しかしヴィブラートが粗すぎたり、音がかすれたりすることがなく、最高の音楽性をもって真摯に弾いてゆく。
ことに第2楽章の出来が良く、透徹しており、深い精神美に満たされている。
速いテンポでリズミックな舞曲調を生かしたフィナーレも個性的で若々しく、これこそ近代ヴァイオリニストが録音に残した演奏の最高峰である。
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2010年12月22日
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ギローによるレチタティーヴォ付きの版による演奏。ADFディスク大賞受賞盤。
今日でもこの《カルメン》の魅力は色褪せていない。
《カルメン》というポピュラー極まりないオペラは、そのポピュラリティゆえに通俗的解釈に陥りやすい危険性も大きい。
毒婦、妖婦としてのカルメン、娼婦としてのカルメンといったイメージは、大衆の多くが持つものであるし、それはメリメの原作でのジプシーに対する強烈な偏見にも由来しているのだろう。
しかし、ビゼーの音楽は、メリメの"毒"とは一線を画した"品格"を持っている。
ジプシーとしての誇りと女性らしい魅力を持ったロス・アンヘレスのカルメンが素晴らしい。
自由奔放な女性としてのカルメン像、その自由に対する誇りを持つ女性としてのカルメン像を、ロス・アンヘレスは見事に打ち出した。
ロス・アンヘレスの名唱は、自然にして自由なスペイン女性としての誇りと魅力を持ったカルメン像を描き出す。
彼女は、この録音当時(1958年)は舞台ではミカエラをうたい、カルメンを劇場でうたったのはかなり後になってからだが、カルメンを妖婦タイプではなく魅力的な女性として見事に表現している。
音楽的なセンスにあふれたブランクのエスカミーリョに、若々しい美声と初々しい歌唱のゲッダのドン・ホセも素晴らしく、主役陣も万全で、ビーチャムの作り出す音楽の中に完全に適合している。
これらの名歌手たちを統率するビーチャムの、軽妙洒脱なセンスに満ちた指揮も魅力的で、全曲を見事にまとめあげている。
ビーチャムの美しい音楽作りも含め、この曲の屈指の名盤だ。
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2009年07月25日
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サー・トーマス・ビーチャムは、その82年の生涯のうち50年間のあいだ、コンサート・ホール、オペラ・ハウスおよびレコーディング・スタジオにおいて、フレデリック・ディーリアスの擁護者あるいは鼓吹者であった。
その上、彼は『ディーリアス伝』(1959年)まで残した。
一人の指揮者が、ある特定の同時代の作曲家を半生以上をかけるという現象は、"指揮者の時代"といわれる20世紀においては稀である。
光を失い、半身麻痺した晩年のディーリアスの、眼となり手となって作曲を助けたエリック・フェンビーは、ビーチャムに「どういうきっかけでディーリアスにひかれたのか?」と訊いたことがある。
「フレデリック・ディーリアスという作曲家がいたのさ。私は彼に会ったこともなかったし、また彼の噂すら耳にしたことがなかった。ところが、彼の音楽は他のどの作曲家のとも違っていた。つまり、当時(1907年のことだよ)書かれたどの曲とも違っていた。どんな悪魔がこんな音楽を仕立てたのか誰も知らなかった。それは気まぐれ女のように私を誘惑したので、ひとつ飼いならしてみようと決心したのだ」と言ってシガーに火をつけてから(サー・トマスは大の葉巻党だった)、いたずらっぽく眼をまばたいて言い添えた。
「だが、一日にして出来たわけではなかったよ」
第1次世界大戦後、強烈でブルータルな音楽が崇拝された時代において、ディーリアスの音楽は"かすみがかっているようだ"とか"無脊椎""形がない""甘く感傷的""デカダンなほどロマンティック"などの言葉で片づけられたろう。
その和声は解決しない。それは感知しがたいほど微妙に新しい形態の中へ溶解してゆく。無能な指揮者の手にかかると、それはロンドンの黄色い濃霧のようになってしまう。
ビーチャムは朝日やそよ風のように消えてゆく朝もやの中にいるような感じに仕上げてゆく。ビーチャムは内声部を縫うように通ってゆく旋律の撚り糸に細心の注意を払い、曲にその形を与える。
ディーリアスの好んで用い、また極めて精巧であったディヴィジ(弦楽の分割書法)や感覚的なオーケストラ・カラーなどの扱い方は、まさに"マジック"というしかない。
ビーチャムが後世に残した遺産のうちディーリアスの録音は最もよくまとまった形で保存されている。ディーリアスを聴くためには"バイブル"のような存在である。
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2008年08月26日
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交響曲ハ長調は1959年のステレオ録音だが、すでに歴史的名盤といってよいだろう。
1930年代に発見されたこのビゼーの若書きを今日のようにポピュラーにしたのはビーチャムだそうだが、それを裏付けるようにこの演奏も大変に素晴らしい。
ビゼーの没後80年目に初演されたビゼーの若書きである交響曲ハ長調は実に愛すべき作品でビーチャムは春を想わせるような、この曲の性格を美しく引き出している。
1879年生まれのこのイギリスの巨匠の最晩年の演奏だが、いま聴いても不思議なほど若々しい香気があり、エレガントで洒落た表現も大変に味わい深い。
オケがフランス国立管であることも、この演奏の色彩を美しく新鮮なものにしている。
手兵ロイヤル・フィルとの「アルルの女」も、ビゼーの音楽を愛したこの大人ならではの巧まざるウィットとエスプリに富み、聴いていてほのぼのと頬が緩んでくる。
「アルルの女」ではビーチャムが育てたロイヤル・フィルの木管および金管(特にホルン)のソロがまろやかで筆舌につくしがたい魅力を放っている。
アンサンブルのまとまりもORTFをしのいでいるのも面白い。
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