フェリアー

2022年07月08日


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1951年7月のオランダ音楽祭でのライヴ録音。

乳癌のために早世したキャスリーン・フェリアーは、ブルーノ・ワルターの指揮でDeccaにスタジオ録音した《大地の歌》の独唱者として、不滅の評価を得ている。

この名アルト歌手が、ワルターとならんでマーラーの弟子として知られるクレンペラーと共演したのが、ここに聴ける「復活」交響曲のライヴ録音である。

現今では、マーラーの「復活」は、バーンスタインやテンシュテットなどの激情的な名演、小澤やインバルなどの純音楽的な名演など、数多くの名演が目白押しである。

そのような中で、マーラーの直弟子であるクレンペラーの名演はどのような位置づけになるのであろうか。

同じくマーラーの直弟子であったワルターが、「復活」に関しては録音のせいも多分にあるとは思うが、これぞ!という名演を遺していないだけに、俄然、クレンペラーの演奏の意義は高いとも言える。

この演奏は「復活」のあらゆる録音のなかでも最速のものとして知られているが、ただ速いだけでなく、凄まじい推進力に満ちており、峻厳・激烈でさながら青白い炎の様だ。

没後40周年を迎えた恩師の音楽を、なかなか認めようとしない世間へのクレンペラーの怒りが込められているかのような、怒髪天を突く「復活」だ。

特に、感心させられるのは、終楽章。

ここの中間部は、名演と称されるものでもいささか冗長さを感じさせる箇所であるが、クレンペラーは、ここを幾分テンポを落として、終結部の復活の合唱への布石のように崇高に心をこめて旋律を歌いあげていく。

この「復活」は、楽曲の本質を個性的な見地で捉えるなど奥深い内容をそなえた重厚な名演と高く評価したい。

マーラーの作品が一般に浸透するには、これからなお10年以上の歳月を必要としたのである。

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2022年04月28日


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カラヤンの生誕100周年を契機に、様々なライヴの名演盤が発掘されてきたが、本盤も、カラヤンがライヴの人であることを証明する素晴らしい名演だ。

近年発売された様々な伝記でも明らかにされているが、カラヤンは、スタジオ録音とコンサートを別ものと捉えていた。

そして、コンサートに足を運んでくれる聴者を特別の人と尊重しており、ライヴでこそ真価を発揮する指揮者だったことを忘れてはならない。

本ライヴ盤(1950年)の異常な緊張は、ミサ曲ロ短調の録音史上で空前のものと言え、楽員と一体になっての音楽の高揚は、時に魂が張り裂けんばかりの悲痛さを伴って、恐怖に近い感動を覚える。

カラヤンは若い頃から、バッハに情熱を燃やし続けてきた人で、彼の演奏は、バッハに対する深い敬愛の念が込められている。

この演奏も、曲の核心に鋭く切り込んだもので、ひとつひとつの音に精魂を込めながら、一分の隙もなくまとめあげている。

カラヤンは豪華歌手陣とウィーン交響楽団、ウィーン楽友協会合唱団の実力を充分に発揮させ、精緻を極めた構成力と、じっくりと腰を据え、各部を入念に仕上げている。

この戦後の音楽界に君臨した巨人は、あたかも高度成長時代の申し子のように思われがちだが、この演奏は、いまコロナ禍と戦禍に見舞われている人たちに、第二次世界大戦を生き抜いてきた時代がどれほど苦渋に満ちたものであったかを伝える貴重なドキュメントだ。

戦後やっと5年たっての演奏で、彼がまだナチの後遺症を引きずっていた時期にあたる。

そのせいか、このミサ曲ロ短調を通して自己の魂のありようを検証しようとする、きびしい自己省察が聴きとれる。

当時のカラヤンに戦争への深刻な反省と鎮魂の気持ちがあったのだろう。

このライヴ録音は奥行きの深いひびきに満ち、死と向き合い、生の意味を問うきびしい精神性をベースに、イエス・キリストに思いを馳せる敬虔な祈りとやさしい慰撫をひびかせている。

その展開が自然でスケールが大きく、しかも全体のバランスは申し分ない。

謙虚でありながら、きわめて気高い姿勢に貫かれ、入魂の業を示し、それは独唱・合唱にも感染している。

特にフェリアーの歌う〈神の子羊〉に漲る宗教的な情感の深さは稀有のものだ。

フェリアーの歌は、最初の数小節を聴いただけで、人間の素晴らしさを感じさせ、人間であることの意味を悟らせてくれる。

人の高貴さ、優しさを、このように歌い出してくる声楽家は、もう私達の前に二度と現われることはないだろう。

いくら讃えても讃え切れないこの演奏が、今後とも、人類のかけがえのない遺産として受け継がれていくよう願わずにはいられない。

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2022年04月04日


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カラヤンの生誕100周年を契機に、様々なライヴの名演盤が発掘されてきたが、本盤も、カラヤンがライヴの人であることを証明する素晴らしい名演だ。

近年発売された様々な伝記でも明らかにされているが、カラヤンは、スタジオ録音とコンサートを別ものと捉えていた。

そして、コンサートに足を運んでくれる聴者を特別の人と尊重しており、ライヴでこそ真価を発揮する指揮者だったことを忘れてはならない。

本ライヴ盤(1950年)の異常な緊張は、マタイ受難曲の録音史上で空前のものと言え、楽員と一体になっての音楽の高揚は、時に魂が張り裂けんばかりの悲痛さを伴って、恐怖に近い感動を覚える。

カラヤンは若い頃から、バッハに情熱を燃やし続けてきた人で、彼の演奏は、バッハに対する深い敬愛の念が込められている。

この演奏も、曲の核心に鋭く切り込んだもので、ひとつひとつの音に精魂を込めながら、一分の隙もなくまとめあげている。

カラヤンは豪華歌手陣とウィーン交響楽団、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン少年合唱団の実力を充分に発揮させ、精緻を極めた構成力と、じっくりと腰を据え、各部を入念に仕上げている。

この戦後の音楽界に君臨した巨人は、あたかも高度成長時代の申し子のように思われがちだが、この演奏は、いまコロナ禍と戦禍に見舞われている人たちに、第二次世界大戦を生き抜いてきた時代がどれほど苦渋に満ちたものであったかを伝える貴重なドキュメントだ。

戦後やっと5年たっての演奏で、彼がまだナチの後遺症を引きずっていた時期にあたる。

そのせいか、このマタイ受難曲を通して自己の魂のありようを検証しようとする、きびしい自己省察が聴きとれる。

当時のカラヤンに戦争への深刻な反省と鎮魂の気持ちがあったのだろう。

このライヴ録音は奥行きの深いひびきに満ち、死と向き合い、生の意味を問うきびしい精神性をベースに、イエス・キリストに思いを馳せる敬虔な祈りとやさしい慰撫をひびかせている。

その展開が自然でスケールが大きく、しかも全体のバランスは申し分ない。

謙虚でありながら、きわめて気高い姿勢に貫かれ、入魂の業を示し、それは独唱・合唱にも感染している。

特にフェリアーの歌う〈懺悔と悔悟は罪の心を押しつぶし〉に漲る宗教的な情感の深さは稀有のものだ。

フェリアーの歌は、最初の数小節を聴いただけで、人間の素晴らしさを感じさせ、人間であることの意味を悟らせてくれる。

人の高貴さ、優しさを、このように歌い出してくる声楽家は、もう私達の前に二度と現われることはないだろう。

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2019年12月18日


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キャスリーン・フェリアーのデッカへの全録音が彼女の生誕100周年を記念して刊行されたばかりだが、ユニバーサルとの音楽市場の争奪戦が熾烈を極めるライバルのワーナーからはすかさず3枚組の全集がリリースされた。

それはフェリアがEMIと契約した短期間に行ったセッション及びライヴで特に新しいレパートリーではないが、ファンには聴き逃せない音源だろう。

枚数も少なく古い録音にも拘らず音質にも比較的恵まれているのが特徴だ。

尚ライナー・ノーツは英語のみで15ページ。

セッションでは1949年のワルター、ウィーン・フィルの『亡き子を偲ぶ歌』が白眉だ。

そしてこれと全く同時期に同じ演奏者によって別途に録音されたこの曲の第1及び第5楽章がCD3枚目にボーナス・トラックとして収められている。

この演奏は12インチ・ワックス盤用のバック・アップ・テープから起こした初出の音源で、このセットのセールス・ポイントにもなっている。

ちなみにデッカへの同曲は1951年のクレンペラー、コンセルトヘボウのライヴが全集に組み込まれたが、演奏を比較するとワルター盤がロマン派爛熟期のリリシズムを余すところなく表現しているのに対して、クレンペラーのそれはよりドラマティックな心理描写を試みている。

音質では古いワルター盤が優れているし、ボーナス・トラックの2曲も意外と質の良い録音だ。

また1950年のカラヤン、シュヴァルツコップ、ウィーン交響楽団との協演になるバッハの『ロ短調ミサ』は、4曲のみしか残されていないようだが貴重なリハーサルを収録したものだ。

それに対してデッカはサー・エイドリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルとの全曲セッションで、2年後の52年のものを入れている。

一方オペラではフェリア唯一のレパートリーだったグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』をこちらEMIでは1951年のアムステルダム・ライヴ全曲をCD2枚めと3枚めに分けて入れているが、デッカの方は1947年のカット版で音質も劣っている。

いずれにしてもこれでデッカ盤では抜け落ちていた、更に幾つかの貴重な録音がその空白を埋めることになる。

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2017年07月08日


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英国のコントラルト、キャスリーン・フェリアーの正規音源は、セッション、ライヴを問わずデッカからのボックス・セット14枚及びEMIからの3枚で出尽くした感があったが、小規模な歌曲に関してはまだメディア化されていない録音が多数存在するようで、このCDでは実に19曲の初出音源が収録されている。

いずれもフェリアーが母国BBC放送とブリティッシュ・ライブラリーに遺したもので、41歳の若さで早世した彼女の貴重な忘れ形見といったところだろう。

フェリアーが演奏活動に専念するためにロンドンに赴いたのが1942年だから、彼女のプロとしてのキャリアは僅か10年余りで、この間にレパートリーこそ多くはないが、信じられないくらい質の高い仕事を成し遂げていて、その一端を垣間見ることのできるアルバムとして高く評価したい。

ライナー・ノーツの最後に書かれたテクニカル・ノートには、このディスクに使われた音源がBBC放送からのエアチェック及びダイレクト・カットされたアセテート盤であることが説明されている。

前者の場合1954年のVHF/FMブロードキャスティングの導入までは不安定な受信しかできなかったし、後者は再生時のスクラッチ・ノイズが避けられない。

このCDのマスター制作にはこうした欠点を最新のテクノロジーでリストレーションしリマスタリングを担当したエンジニア、テッド・ケンダル氏の苦心が窺える。

フェリアーはステレオ録音が一般化する直前の1953年に亡くなっているので、遺された音源は残念ながら総てがモノラルで、曲によって音質もいくらかばらつきがあるが、リマスタリングの効果は上々で、伴奏ピアノとのバランスも比較的良好に保たれ、ノイズに煩わされない輪郭のはっきりした彼女の声質が再現されている。

フェリアーの声には華やかさはなく、むしろ暗めの低い声質だったためにオペラのような劇場作品で活躍するような役柄自体ごく限られたものだったが、彼女には天性の並外れた表現力があって、飾り気のない素朴な声に託された歌曲には、お国物だけでなくドイツ・リートのジャンルでも傑出した歌唱を聴くことができる。

それには彼女の持ち前の才能に加えて早くからブリテンやバルビローリ、ワルターなどの巨匠の薫陶を受け、急速にその芸術を洗練させて解釈に一層の深みを加えることができたことも幸いしているだろう。

外側にアピールしない低い声がしばしばその表現を内面に向かわせるのはある意味では当然のことかもしれないが、フェリアーの歌唱には直感的でありながら類稀な奥深さが感じられる。

ここでの伴奏者も同郷のジェラルド・ムーア、指揮者ブルーノ・ワルター及びフレデリック・ストーンのベテランがサポートしている。

ちなみに伴奏者はトラック8−11がブルーノ・ワルター、26がジェラルド・ムーアでそれ以外の総てがフレデリック・ストーンになり、最後に収録されたムーアとのヒューバート・パリーの『Love is a Bable』 だけが1948年8月26日のエジンバラ・ライヴで拍手が入っている。

この作品では英国的スピリットが2人によって鮮やかに示されたCDの最後を飾るのに相応しい選曲だ。

尚ライナー・ノーツ後半にはこのCDに収録された歌曲の全歌詞が掲載されていて、ドイツ・リートに関しては英語の対訳が付けられた丁寧な編集に好感が持てる。

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2015年11月23日


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プラガ・ディジタルスのSACDシリーズでは初のクーベリック演奏集で、いずれも手兵バイエルン放送交響楽団及び合唱団を指揮したライヴ録音になる。

ブラームスとマーラーに関しては初めてCD化された音源のようだ。

手始めに3曲の中では最も古い1962年のブラームスを聴いてみたが、モノラル録音ながらラジオ放送用に制作されただけあって無理のない柔らかな音質で再現されていて概ね良好だ。

緊張感が漲るクーベリックの指揮でアルト・ソロを歌うヘルタ・テッパーの伸びのある豊かな声が、キャスリーン・フェリアーの寂寥感や謹厳さとは対照的に人間のさがを肯定するようなロマンティックな表現を可能にしている。

特に後半の男声コーラスが加わる祈りの部分からは仄かな希望を感知させる温もりが秀逸で、ここにもゲーテの詩とブラームスの音楽に対するクーベリックの周到な読みと解釈が示されている。

マーラーの『嘆きの歌』は1979年のステレオ録音になり、ややテープ・ヒスが聞こえるが音場に奥行きがあり、音質やバランスの良さもDSDリマスタリングの効果と思われる。

クーベリックは作品のメルヘンチックな情景描写も巧みに描き出しながら、後半部ではシンフォニックなクライマックスを築いている。

ソプラノのユリア・ハマリも物語に沿ったドラマ性を歌い切った好演だ。

この曲はテキストもマーラー自身が手掛け、ソロ及びコーラスに大編成のオーケストラと舞台裏のバンドが加わる作曲家ごく初期の野心作で、やがて『さすらう若人の歌』や『亡き子を偲ぶ歌』あるいは『大地の歌』などの声楽付交響曲群に収斂していく楽想と管弦楽法の萌芽が見られる習作的な作品でもある。

マーラーは数回に亘って改訂を続け、最終稿では思い切って第1部をカットして2部作の形にシェイプアップした。

クーベリックも1899年のウィーン版を演奏しているが、それでも演奏時間36分の大作になる。

このカンタータでは弟を殺害して花嫁を我がものにする兄の策謀が語られる「森の伝説」は省かれていて、辻音楽師が知る由もなく弟の骨から作った笛を吹いて兄の結婚式に呼ばれる「辻音楽師」と「婚礼譚」によって構成されている。

最後のシェーンベルクの『グレの歌』は1965年のライヴで、この音源はドイツ・グラモフォンからリリースされて既に久しい。

選択肢がそれほど多くない曲なのでSACD化で全曲を聴いてみたかったが、ここでは5曲のみの抜粋で、おそらく余白を埋めるために入れたのだろうが、シェーンベルクがマーラーから大きな影響を受けていた時期の作品なので比較鑑賞の便宜を図った企画としては悪くない。

ライナー・ノーツには『アルト・ラプソディー』のみ英語対訳付で、他の2曲に関してはドイツ語の歌詞のみが掲載されている。

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2015年08月21日


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プラガ・ディジタルスでは版権の切れた古い音源を続々とリマスタリング、SACD化しているが、キャスリーン・フェリアーの演奏集は都合2枚がリリース予定で、これはその第2集になる。

第1集の方は現在準備中で、近々マーラーの『大地の歌』と3曲のリュッケルト・リーダーがブルーノ・ワルター指揮、ウィーン・フィルとの1952年の名演で復活することになる。

このSACDではブラームスの『アルトラプソディー』(1947年)、『ふたつの歌』(1949年)及び『四つの厳粛な歌』(1950年)がいずれもデッカへのセッションで、後半のブルーノ・ワルター、ウィーン・フィルとのマーラーの『亡き子を偲ぶ歌』(1949年)と、アムステルダム・ライヴのグルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチェ』からのアリア「澄み切った空」(1951年)はEMI音源になる。

筆者が聴き比べた方のCDはデッカのDVD付センテナリー・エディションとEMIコンプリート・レコーディングス3枚組で、どちらも2012年の生誕100周年を記念してリリースされたものだ。

先ず『アルトラプソディー』はレギュラーCDではヒス・ノイズがかなり入っていて、フェリアーの歌声が高音になるとわずかだが再生しきれない音割れの状態を引き起こしているが、こちらでは声はより潤っていて音割れは回避され、オーケストラの高音の抜けも良い。

そのためかノイズも抑えられて聞こえる。

『ふたつの歌』ではオブリガートのヴィオラがやや厚かましく響いていたのがバランスのとれた状態で再現されている。

これは『四つの厳粛な歌』にも共通していて、バランスの改善でフェリアーの歌唱が一歩前に出たような立体感があり、ニューマークの朴訥としていたピアノの響きにも磨きがかかってその表現力が聴き分けられるようになった。

一方『亡き子を偲ぶ歌』は当時のEMIとしてはかなり良質な録音でノイズも少ないが、CDではやはり平面的になっていた音響に奥行きが出て、フェリアの声も一層瑞々しく蘇っている。

最後のアリアもこの時代のライヴとしては及第点の音質で、SACDでは劇場空間をイメージさせる広がりが感じられる。

キャスリーン・フェリアーは1953年に41歳で、声楽家としてはこれから円熟期を迎えようとする時期に亡くなった。

だから彼女はその直後に訪れるステレオ録音時代の恩恵に預かることができなかったが、比較的良い状態の録音もかなり遺されている。

そうした音源は今までに繰り返しリイシューされて来たが、このSACDが現在聴くことのできる最も良好な音質に改善されていることは確実だ。

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2015年08月08日


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コントラルトという低い声質にはソプラノやメゾ・ソプラノのような華やいだ響きはないにしても、フェリアーはかえってそのナイーヴな声で飾り気のない表現を得意として、本来歌唱芸術が持っているもうひとつの要素、つまり音楽と文学との結び付きという側面を、より深い洞察と同時に鋭いインスピレーションで捉えた演奏を数多く遺している。

フェリアーは基本的に舞台の上で大音声で演じるオペラの世界の人ではなく、むしろ人間の喜怒哀楽や人生観が数分間に凝縮された形で表現される歌曲にその本領を発揮した。

美声ではあっても外面的にあでやかな響きを持たない暗い声質ゆえに、聴く人の注意がその音楽の内面に向けられるのは、ある意味では当然かも知れないが、声の深みがそのまま表現の深みに昇華され、強い説得力を持ち得ているのはフェリアーの類い稀な才能の証しだろう。

特に死をテーマにしたブラームスやマーラーの曲では早世したフェリアーの宿命的な直感さえ窺わせている。

この14枚のCDに収められた曲の中でも、特に印象に残るものを幾つか拾ってみると、先ず1949年のエディンバラ音楽祭からのライヴで、ブルーノ・ワルターのピアノ伴奏によるシューマンの『女の愛と生涯』が筆頭に挙げられる。

お世辞にも良い音質とは言えないが、個人的に言えば筆者がこの曲集の真価を知ったのは、フェリアー&ワルターの演奏を聴いてからであった。

というのもフェリアーの歌には芝居めいた虚飾を感じさせるところが皆無で、一人の女性のドラマが忽然と浮かび上がってくるからだ。

勿論大指揮者ワルターからの薫陶を無視できないにしても、フェリアーの歌唱はそれまでになかったほどの高い音楽性に達し得たと言えないだろうか。

またイギリス民謡集も素朴だが機知に富んでいて限りない愛着がもてるものだ。

無伴奏で歌われる『吹けよ南の風』はボーナスDVDの中でも使われている小曲だが、そのシンプルさゆえに少女の想いが大自然を駆け抜けていくような、メルヘンの世界に誘ってくれる。

その他にも大曲では、クレメンス・クラウス指揮、ロンドン・フィルとのブラームスの『アルト・ラプソディ』、オットー・クレンペラー指揮、コンセルトヘボウとのマーラーの『亡き子を偲ぶ歌』及び『復活』、ベイヌムとのブリテンの『春の交響曲』そしてワルター指揮、ウィーン・フィルによるマーラーの『大地の歌』などは聴き逃せない。

このボックスセットはキャスリーン・フェリアーの生誕百周年記念として、彼女が生前デッカに遺した録音総てを網羅したもので、モノラル録音のCD14枚とDVD1枚で構成されている。

これまでにこれに準ずる全集は既にLP時代からリリースされていたが、完全にひとつのセットに組み込まれたのは初めてで、おそらくこうした企画は将来においても当分期待できないだろう。

ブックレットは170ページで、全曲歌詞英語対訳付の親切な配慮がされている。

DVDは既出のBBC制作のテレビ放送番組で、フェリアーの生涯を約1時間で綴っている。

フェリアー自身の動画はごく限られたものだが、ベンジャミン・ブリテンを始めとして、家族や知人そして音楽仲間や医師へのインタビューが興味深い。

学校を卒業した後、電話交換手として働いていたことやピアノの才能にも恵まれていたこと、輝かしいキャリアと41歳で癌によって亡くなるエピソードなどが語られている。

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2014年04月27日


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1952年5月17日のライヴ録音で、有名な英デッカの名録音直後のライヴ演奏の強力新譜の登場である。

ワルターは1952年5月15日と16日、英デッカのために《大地の歌》をスタジオ録音、17日と18日にはウィーン音楽祭に出演、同曲と前プログラムのモーツァルト第40番を指揮した。

《大地の歌》の方はスタジオ録音と17日のライヴ録音がCD化されており、両方とも持っていたい。

今回採り上げた17日の演奏の音質は、もちろん英デッカの優秀録音には若干及ばないが、ライヴ特有の熱気に満ち満ちており(ワルターのうなり声も聞こえる)迫力満点だ。

ワルターの英デッカによるスタジオ録音盤における物足りなさは、フェリアーの発音と偶数番号曲のスケールの小ささにあった。

ところが今般、このスタジオ録音の翌日に行なわれたライヴ録音が、仏ターラ社の優れたリマスタリング技術によって復刻されて日の目を見て、そのマイナス面が補われた。

ソロの録音が生々しく、オケにはライヴならではの生命力があり、第4曲と第6曲の2曲に関しては、ややスケールの小ささを感じさせたスタジオ録音の問題が払拭され、このライヴ録音の方が上だ。

他のナンバーもフレッシュな感動を与えられる。

演奏はスタジオ録音と同じく、完璧なまでに古典化され、練れ切っており、熟成した年代物のワインのような香りを湛えている。

作曲家自身、演奏可能かどうかを危惧したほどの難曲だが、ワルターの手にかかると緻密なアンサンブルに一分の隙さえなく、形には無駄がなく、しかも当時のウィーン・フィルの驚くべき魅惑と土くさいまでの音色の個性がその形に花を添えている。

モノラル録音だがマーラーの複雑微妙なオーケストレーションを楽しむのに全く不足はない。

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2014年04月14日


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1947年11月13日 ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールに於けるライヴ(モノラル)録音。

ロンドンでも愛されたワルターの最盛期の名演。

ワルターによるベートーヴェン「第9」は米コロムビアのモノラルとステレオの2種類のセッション録音が広く知られているが、これはそれらに先立つ公演の記録である。

しかしワルターの「第9」の中では、ウィーン・フィルとのORFEO盤も凄かったが、当盤もそれに匹敵する最高の演奏であろう。

ライヴということもあって全曲を一貫した主張に最も筋が通り、曖昧さが見られないからである。

セッション録音での大人しさとは別の激しさももつ演奏で、ことに初めの2つの楽章の緊迫感がすばらしく、トスカニーニ的な迫力と推進力が見事だ。

第1楽章はテンポが速く、一気呵成の進行と意志的なリズムによる語りかけもさることながら、ティンパニの意味深い強打が凄絶であり、再現部冒頭の決め方、それ以上に楽章終結の阿鼻叫喚は身震いがするほどだ。

第2楽章も緊張の持続とティンパニの強打がものを言っている。

第3楽章だけは他盤に比べてもう一つの出来だが、フィナーレは荒れ狂うような大変ドラマティックな演奏で、緊迫感に富んだ表現と言えよう。

温厚なワルターという面ばかりではないということを示したもので、ファンには貴重なものではなかろうか。

それにこの演奏はキャスリーン・フェリアーが参加しているというのが注目点であろう。

これがワルターとの初顔合わせではなかったかと思うが、それにしてもフェリアーの「第9」登場というのがこのCDの売りでもある。

A.ローズとA.Z.スナイダーによる2010年デジタル・リマスタリングによって、随分聴きやすい音質に改善されている。

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2010年01月12日


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電話交換手から美声を認められて、あっという間に世界の檜舞台へ。フェリアーは20世紀のシンデレラだ。

シューマンの《女の愛と生涯》、ブラームスの《4つの厳粛な歌》など、彼女が歌ったものはどれも素晴らしい。

しかし、その頂点に立つのが、このCDである。

わずか41歳で世を去った彼女の最後の録音で、バッハからミサ曲ロ短調の〈神の子羊〉、マタイ受難曲の〈懺悔と悔悟は罪の心を押しつぶし〉、ヘンデルは《サムソン》の〈万軍の主よ、帰りたまえ〉、《メサイア》の〈主ははずかしめられたり〉などの名曲が並ぶ。

そこに漲る宗教的な情感の深さは稀有のものだ。

フェリアーの歌は、最初の数小節を聴いただけで、人間の素晴らしさを感じさせ、人間であることの意味を悟らせてくれる。

人の高貴さ、優しさを、このように歌い出してくる声楽家は、もう私達の前に2度と現われることはないだろう。

いくら讃えても讃え切れないこれらの演奏が、今後とも、人類のかけがえのない遺産として受け継がれていくよう願わずにはいられない。

不世出のアルトが残した文字通りの白鳥の歌である。

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2009年12月14日


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『亡き子をしのぶ歌』は、マーラー直系のワルターによるウィーン・フィルの、侘しげだが、まさしく豊潤そのものの響きがしなやかに漂うなかに、「いま、晴れやかに陽はのぼろうとしている…」と歌い出すフェリアーの声の、なんと印象的なことだろう。

哀しみにむせぶようなオーボエとホルンと絡み合う、深い憂愁をふくんだコントラルトのその声は、第5曲になって、「こんな嵐の日に」と、家から出してやった子供たちに対する自責の思いを歌うとき、言い知れぬ感情の奔流につつまれるが、海のごとく深く、秋の空のように澄んだ清冽の美とともに、度重ねて聴くほどに感動が魂にしみる。

フェリアーだけが歌うことの出来たマーラーの歌の世界。

まさに折紙つきの絶唱と言える。 

交響曲第4番は終戦の年の1945年5月に、ワルターの亡命地アメリカで録音された演奏である。

ワルターはおだやかに、また感興にみちてマーラーの旋律を歌わせた表現で、古き良き時代のあたたかい情感が立ち昇ってくる。

この作品のもつ天国的な気分を、ゆったりと陶酔的に表現したもので、清らかで純粋な美しさにあふれている。

しかも造形的には意外なほど端正で、これもワルターの見識を示している。

ワルターは、どのような苦境にあっても、ほほえみを忘れない人だったというが、ここには、そうした彼のやさしさが、そのまま反映されているかのようだ。

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2008年10月07日


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数あるこの曲の録音のなかで、いまだにこのワルターの演奏を凌駕するものは一つもない。

ワルターが戦前にウィーンを逃れて11年。1949年に戦後初めてウィーンへ戻って演奏したのがこの「大地の歌」だった。

そして歌っているフェリアーは、間もなく41歳の若さで惜しくもガンで死去している。

歴史的に重要ということもあるが、これはフェリアーとワルターの惜別の歌であると同時に、これほど哀切極まりない「大地の歌」は他にはない。

最後の"告別"など凄い。

テノールのパツァークも一世一代の名唱とさえいってもいい。

「大地の歌」は、ワルターの個性をつぶさに生かせる作品であり、その個性を思う存分生かした演奏である。

ワルターはマーラーの直弟子だから、マーラーを演奏するときに最もいい面が出てくる。

本当に耽溺的で陶酔しきった演奏である。

フェリアーのいいところもよく出ており、この曲の理想的なレコードだろう。

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2008年05月13日


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フェリアー(1912-1953)がEMIに残したSP録音から復刻CD化したもの。

「大地の歌」とともに、フェリアーの不朽の名唱として知られているディスクである。

ワルターとウィーン・フィルという最も理想的な背景を得て、不滅の名歌手フェリアーの深々とした歌がよみがえる。

特に「亡き児をしのぶ歌」の女声盤は、いまだにこの歌唱をしのぐ演奏は出ていない。

モノーラル録音なので音質は決してよいとはいえないが、この作品にただよう深々とした哀感を、これほど心をこめてじっくり歌いあげた歌唱というのもめったにない。

フェリアーは、ワルターが発掘し、育て上げた名歌手だったが、この録音を行ってから4年後の1953年、ガンのため惜しくもフェリアーは42歳という短い生涯を閉じる。

それは、まさしく彗星のような命で、いうなれば、これは死を間近にひかえた彼女の《運命の歌》でもあったのである。

グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」からの4曲も彼女ならではのものだし、パーセルやヘンデルも最も得意とするレパートリーだ。

これらの歌唱には、今の歌手たちには聴くことのできない深い味わいがある。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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