アンチェル

2018年09月20日


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2002年から2009年にかけてチェコ・スプラフォンからアンチェル、チェコ・フィルによる録音集の新規リマスタリング盤がゴールド・エディションとして全42集及び拾遺集の都合46枚のCDがリリースされた。

それらは総て個別売りなので全部揃えるには大枚をはたかなければならない。

いずれバジェット・ボックスで再販されることを期待したいが、中でも聴き逃せない演奏のひとつが第4集の当ディスクで、フランスのクラシック音楽雑誌ディアパゾンからディアパゾン・ドール・ディスク賞を受賞している。

選曲は19世紀の親しみ易いロシアの標題音楽をリカップリングしたもので、一見万人向けのプログラムだが、耳障りの良いだけの甘口で陳腐な演奏とは全く縁のない、アンチェルの非凡な解釈とチェコ・フィルの練り上げられたオーケストラとしての実力を堪能できる1枚としてお薦めしたい。

『展覧会の絵』はアンチェルとチェコ・フィルによる最後の録音で、整いすぎているが、きりりと引き締まった造形の厳しい演奏である。

オーソドックスなラヴェル編で、華麗なオーケストレーションの色彩美を満喫させてくれるだけでなく、ラテン系のオーケストラでは味わえないロシア的情感とスラヴ臭さを残した表現がムソルグスキー特有の朴訥さや力強さを伝えることに成功している。

またそれぞれの曲中にちりばめられたソロやアンサンブルでもチェコ・フィルの首席奏者達が面目躍如の大活躍で聴かせてくれる。

「古城」での渋い音色で奏でられるサクソフォンのうら哀しさや「ポーランドの牛車」でのテューバの醸し出す土の薫り、不気味な「ババヤーガの小屋」などの表現はそれだけで映像的だが、またそれ以上にこれらの音楽的ベクトルが終曲「キエフの大門」に向かって次第に収斂される凄まじさは尋常ならざるものがある。

それはひとつひとつの音画の組み合わせに留まらず、アンチェルによって完璧に読み取られ、構築されたビルディングと言うべきだろう。

最後のリムスキー=コルサコフの『スペイン奇想曲』はスペイン情緒満載というわけにはいかないが、チェコ・フィルのメンバーがここでも水を得た魚のように軽妙なアンサンブルを披露するのが聴きどころだ。

アンチェルはヴァイオリンを始めとするフルート、オーボエ、クラリネットなどの名人芸を惜しみなく発揮させながら、この作品の愉しさと彼らの憧れるエキゾチックな世界を熱っぽく演奏している。

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2018年09月04日


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このセットはアルトゥス・レーベルから同時にリリースされたカレル・アンチェルのコンセルトヘボウ管弦楽団への一連の客演シリーズの第2集で、以前のターラ音源をリマスタリングした都合3枚のCDの完結編だが、最後のハイドンの交響曲第104番のみはオランダ放送フィルハーモニーとの共演になる。

彼はチェコ・フィルハーモニー首席指揮者時代にオーケストラの黄金時代を築いてヨーロッパの名門に復活させただけでなく、幸い膨大な演奏集をスプラフォンに遺した。

一方今回のディスクはアンチェルが当時の西側のオーケストラと行った彼のレパートリーとしてはレアで貴重なライヴ音源で、アンチェル亡命後の精力的な演奏活動を証明するサンプルでもあるだろう。

本来であればトロント交響楽団とのセッションやライヴがもっと遺されていてもいい筈だが、残念ながら彼の晩年は録音に関してはチャンスに恵まれなかったようだ。

オン・マイクで収録されているが、ホールの潤沢な残響も含んだ録音は当時のライヴとしてはマスター・テープの保存状態も合わせて、おそらく最良の部類に属するものだろう。

確かに客席からの咳払いなどの雑音は聞こえるが、彼らのマナーのためか気にならない程度の最小限に留まっているし、また楽器ごとの分離状態も明瞭で臨場感にも不足していない。

コンセルトヘボウの洗練されたストリング・セクションやマイルドな木管やホルンの音色も良く捉えられている。

中でもラフマニノフは最も音質に恵まれていて精緻なオーケストレーションを聴き取ることができ、ワイエンベルクのピアノも華麗なテクニックでライヴ特有の高揚感を醸し出しているし、プロコフィエフも颯爽とした解釈の中にアンチェルの滾るような情熱が感じられる。

快活な活気に満ちた2曲のハイドンだが、オランダ放送フィルは、アンサンブルがやや弱いとしてもアンチェルの指揮に良く応えている。

一方フランクの交響曲は、こけおどし的な演奏に陥りがちだが、重心の低いオーケストラのあざとさのない巨大なスケール感には驚かされる。

ライナー・ノーツは日本語で、2枚目の最後に収録されている6分ほどのCBCのインタビューの内容も総て日本語訳が掲載されている。

アンチェルがカナダに亡命する直前の1968年7月にプラハで行われたもので、この時はまだチェコ・フィルとの関係も大切に保ちつつ欧米のオーケストラに客演していくという旺盛な音楽活動への意欲を示している。

しかし実際には僅か1ヶ月足らずでチェコ民主化運動『プラハの春』鎮圧のためにソヴィエトが軍事介入して、アメリカに演奏旅行中だった彼はアウシュヴィッツの経験から、再び同じことが繰り返されることを懸念して亡命を決意した。

彼の前任者クーベリックの亡命が1948年なので、チェコ・フィルは全盛期を迎えながらまたしても大黒柱の指揮者を失うことになった。

クーベリックは長いチェコ不在の後1990年にチェコ・フィルとの再演を果たしたが、アンチェルは亡命直後の1969年のプラハの春音楽祭に出演した以降は、再び故郷に戻ることなくカナダで亡くなっている。

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2018年08月29日


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1969年と翌70年にカレル・アンチェルがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演した時の音源の第1集になり、同時に残りの2枚分の第2集もリリースされた。

これらは初出音源ではなく、既に全曲とも仏ターラ・レーベルから出ていたものだが、今回日本のアルトゥスからリマスタリングされてのライセンス・リイシューになったようだ。

いずれも若干客席からの雑音が聞こえるが、良好なステレオ録音で残されていたことは幸いで、カナダ亡命以後1973年に亡くなるまでのアンチェルの精力的な客演の貴重な記録でもある。

一般にチェコ・フィルを離れた後の彼の音楽活動は精彩を欠いたように言われているが、実際には手兵トロント交響楽団とは1972年に病状が悪化するまでに170回ほどの定期演奏会をこなしている。

客演でもこのディスクに収録されたコンセルトヘボウとの16回に及ぶコラボの他にもクリーヴランド管弦楽団やニューヨーク・フィルハーモニックとも成功を収めた。

彼が病に倒れなければその後こうした名門オーケストラの音楽監督に就任したことは間違いないだろう。

それだけに指揮者としてはこれからという65歳で亡くなったことが惜しまれてならない。

このディスクに収録されたレパートリーは、言ってみればスタンダード・ナンバーでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とお国物のドヴォルザークの交響曲第8番である。

これらは確かにスプラフォンへのセッション録音がないが、後者ではプラハ・ライヴのチェコ・フィルのナショナリズムの熱狂にも優るとも劣らない、一瞬の隙も見せない燃焼度の高いドラマティックな演奏に驚かされる。

それは彼のライヴに対する柔軟な姿勢を証明している。

ベートーヴェンの方は当時のコンセルトヘボウのコンサート・マスターだったヘルマン・クレバースのソロで、洗練された美しい音色と気品に満ちた解釈が聴きどころだ。

冒頭のティンパニのモチーフを強調したアンチェルの力強いサポートが、彼の演奏に大きなスケールを与えている。

第1楽章終了後に勇み足した聴衆がすかさず拍手を贈っているが、これは当日ホールに集った人達の演奏への正直な対応だろう。

尚録音データに関しては、リンクしたアマゾンのページに詳しいので参照されたい。

今回のリイシューにも日本語によるライナー・ノーツが掲載されて、コレクターのための便宜が図られている。

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2018年05月07日


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このセッションが録音されたのは1959年だが、先ずその鮮烈な音質に驚かされる。

最近この時代の録音を頻繁に聴いているが、いずれの演奏も当時のオーディオ・エンジニア達が録音に懸けた情熱が私達の想像する以上のものであったことが示されている。

このスプラフォン音源は本家の他にもドイツ・グラモフォンその他からリイシュー盤として繰り返しリリースされている。

しかしグラモフォン盤は余白にそれほど関連性のないイェルク・デムス伴奏、フィッシャー=ディースカウによるドヴォルザーク宗教曲集をカップリングしている。

ちなみに『レクイエム』と双璧をなすもうひとつのドヴォルザークの宗教曲『スターバト・マーテル』の同メンバーによる正規録音はないようで、昨年ライヴ盤がターラからリリースされたが、それは1962年のモノラル録音で、この『レクイエム』より後のものだが音質ではかなり劣っている。

ソロ以外はオーケストラ、コーラス共にチェコ勢で固めているが、アンチェルの指揮から表現されるのはドヴォルザークの国民楽派の作曲家としてのプロフィールよりも、ひとえに死者を悼む気持ちとそれへの共感が深く示されている。

レクイエムはカトリック典礼用の死者のための鎮魂ミサ曲だが、彼がユダヤ教徒であったとしても、死に対する諦観やそれを乗り越えなければならない宿命は共通するものだったに違いない。

この演奏に戦時中強制収容所で家族を失ったアンチェル自身の体験が反映されていることは間違いないだろう。

しかし彼の解釈はそうしたエモーションをダイレクトにぶつけるものではなく、情念が常に音楽的に高度に昇華され、結晶のように収斂されているために、そのサウンドには特有の透明感が醸し出されて更に奥深い印象を与えている。

ソロを歌う歌手にはソプラノにマリア・シュターダー、テノールにはエルンスト・へフリガーという当時最高の宗教曲のスペシャリストを布陣している。

彼らはこの時期並行してカール・リヒターとバッハの録音にも抜擢されているだけに、その真摯で飾り気のない歌唱に好感が持てる。

ちなみにアルトにジークリンデ・ヴァーグナー、バスがキム・ボルイ、コーラスはプラハ・フィルハーモニー合唱団というメンバーで、歴としたステレオ録音。

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2018年04月15日


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この音源が1962年と翌63年にプラハで収録されたことを考慮すると、当時としては技術的にも最高水準の録音だったと想像されるが、今回のUHQCD盤はその真価を明らかにしている。

先ず第一印象としては音質の透明度が向上して、よりクリアーなサウンドが得られていることで、これは2002年に本家スプラフォンからリリースされたリマスター盤の音質を上回っている。

結果的に解像度も増して広い音場の中でのオーケストラのそれぞれの楽器の定位も、また音色もより鮮やかに聴き取ることができるし、高音の抜けも良くなって以前のものより刺激的ではなくなっている。

過去の音源に新たに付加価値を付けて、より高い価格に設定する手段のひとつかも知れないが、肯定的に見るならば音質改善という、鑑賞者にとっての本来の目的は達成されていると思う。

この2曲のストラヴィンスキーを聴くと、カレル・アンチェルが20世紀の音楽の指揮者としても巨匠だったことが証明されている。

ここでのストラヴィンスキーは、素朴な雰囲気の中にも、鋭く野性的な力強さを持った、独特の味わいを持つ秀演として、高く評価されている録音だ。

自身作曲家でもあったアンチェルならではの深いスコア・リーディングが光っており、演奏効果を狙うのではなく音符1つ1つの必然性を明確に描いた演奏は限りない迫真力を持っている。

『春の祭典』冒頭のファゴットの官能的な導入が印象的で、それに続くウィンド・セクションの精彩に富んだ巧妙なアンサンブルがこの作品の原初的なパワーを遺憾なく発揮している。

また、弦楽部の不協和音に聴くことができるように野卑で野放図な音響ではなく、あくまでも音楽的な構想で造形されている。

アンチェルの解釈はモダンで冷徹な面もあるが、決して楽理一辺倒ではなく、常に生き生きとした音楽が溢れ出てくるような力強さを持っている。

1960年代前半のチェコ・フィルの渋い名人芸がアンチェルの棒で最大限に生かされた演奏で、現代曲の初演もどしどし取り上げていたこのコンビは、リズム感だけでも独自のものを感じさせる。

『ペトルーシュカ』ではオーケストラが更にカラフルになり、バレエの舞台を髣髴とさせる映像的な効果や物語性の描写も秀逸だ。

彼らの第二の黄金期と言われるだけあってチェコ・フィルのメンバー面目躍如のソロの応酬が聴きどころだ。

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2018年04月09日


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アンチェル、チェコ・フィルのドヴォルザークにはお国物への馴れや安易さというものが皆無で、全く新しい作品に取り組むような新鮮さと厳しさが常に感じられる。

それはアンチェルの手法だったスコアへの徹底した理知的な読み込みとそれを支える強い情熱が表れたものだろう。

それだけに交響曲第6番のフレッシュで明快な解釈と遮られることのない迸るような曲想の展開が心地良いが、全く硬直することなく指揮に呼応するチェコ・フィルのしなやかさと機動力も流石だ。

第3楽章スケルツォはチェコの民族舞踏フリアントだが、アンチェルは自然発生的な熱狂からではなく、あくまでも整然とした理論の裏付けを持った、しかし迫力にも不足しない力強い曲に仕上げている。

カップリングされた2曲の序曲『オセロ』及び『我が家』ではそれぞれが文学的なアプローチによって周到に表現されていて、本物のドヴォルザークを体験できる演奏集としてお薦めしたい。

カレル・アンチェルは1948年に亡命したラファエル・クーベリックの後を継いで1950年からチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任した。

その後1968年の彼自身の亡命に至るまでにコンサートのみならず精力的な録音活動を行って、スプラフォンに膨大な音源を遺している。

幸いそれらの殆んどが良好なステレオ録音で、本家からアンチェル・ゴールド・エディションとして都合42セット計48枚のCDでリリースされた。

その中からの選曲で独自のリマスタリングでリニューアルされた日本盤の1枚がこのディスクになる。

この交響曲第6番は1960年、2曲の序曲は1963年にプラハのルドルフィヌムで収録された音源だが、半世紀も前の録音とは思えないほど音質に恵まれている。

今後はSACD或いはブルーレイ・オーディオでの再発を期待したい。

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2018年03月28日


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このディスクに収録された3曲は、いずれも1961年にプラハ・ルドルフィヌムで録音されたアナログ音源をリマスタリングしたブルー・スペック盤で音質にも非常に恵まれているが、それにも増してアンチェル、チェコ・フィルの情熱的かつ理知的な演奏に強く惹かれる。

それはボヘミア生まれのアンチェルが首席指揮者時代の手兵チェコ・フィルを振ったお国物という有利な条件を遥かに超越した高い音楽性の上に成り立っているからかも知れない。

つまり彼らは濃厚な民族意識をベースに持ちながらも、アンチェルの高踏的な解釈が偏狭な民族主義の鼓舞に終わることなく、この作品の普遍性を導き出したとも言うべき演奏だ。

それだけに恣意的に強調されたり、大見得を切るような部分は皆無だが、強い説得力を持って迫ってくる。

しかも彼らは冒頭のティンパニに聴かれるようにオーケストラとして独自のカラーを持っていて、素朴だがその力強さと機敏でしなやかな機動力が大きな魅力になっている。

第2楽章のコーラングレ・ソロも巧みだが、シンプルな背景にアンチェルは効果的な抒情性を醸し出して、この交響曲に絶妙なアクセントを与えているし、全体を引き締める緊張感の持続は聴き手を引き付けて離すことがない。

『新世界』はクラシックのスタンダード・ナンバーで、一流どころのオーケストラは殆んど例外なく、しかもさまざまな指揮者と繰り返し録音しているが、この演奏は将来にも聴き継がれるべき数少ないサンプルのひとつとしてお薦めしたい。

スプラフォンは冷戦時代の東側の国々の中でも録音技術に関しては西側に引けを取らないだけの優れた音源を残していて、ステレオ録音も旧東ドイツと並んで逸早く実現化している。

これはまだ大衆的なステレオ再生機器自体が普及していなかった当時の東側では例外的で、むしろ同時代のソヴィエトの録音システムよりも優っている。

来たるべきオーディオ時代を先取りした先見の明とその技術開発には驚かされる。

その後世界初のPCMディジタル録音は東京で行われたが、演奏はスメタナ四重奏団だったことも象徴的だ。

尚このディスクには『新世界』の他に2曲の序曲『自然の王国で』Op.91及び『謝肉祭』Op.92がカップリングされている。

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2018年03月10日


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近年では村上春樹氏の長編小説『1Q84』で印象的に語られたことによって、非常に有名になったヤナーチェク作曲『シンフォニエッタ』古典的名盤の待望の復刻である。

ヤナーチェクの音楽には斬新な力強さや神秘性と共に強烈なローカル色があって、楽理的な追究に偏って洗練され過ぎた演奏や、逆に『シンフォニエッタ』のブラス・アンサンブルをビッグバンドさながらに咆哮させるやり方はかえって興醒めになってしまう。

ここでもアンチェルの作品に対する洞察力の鋭さがチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共に作品の野太さと破天荒な音楽性を、野卑に陥ることなく鮮烈に実現している。

このディスクに収録された『シンフォニエッタ』と『タラス・ブーリバ』での大地から湧き上がるようなサウンドと、土の薫りを立ち昇らせるような音楽で語る手法は彼らならではの特権でもある。

特に後者では伝説の英雄譚をシュールレアリズム的映像絵巻で展開する心理的再現が印象的だ。

ヤナーチェクはモラヴィアの言語から発話旋律を考案して、オペラや声楽曲だけでなく管弦楽作品にも取り入れて、リズムと旋律が力強く一体化した音楽を書いた。

この2曲にもその作法が積極的に応用されているが、それを無視して演奏することは不可能だし、一番身近なチェコ人である彼らによって再現されるのであれば、これほど望ましいことはないだろう。

アンチェルはオーケストラのトレーナーとしても非凡な腕を持っていたようで、チェコ・フィルの持っている無類の機動力も彼によって培われたものだろう。

またメンバーの個人的な水準も非常に高く、彼ら特有のしなやかな弦や管楽器の一種朴訥な音色、そして両曲中いたるところに現れる巧みなソロや精緻なアンサンブルからも当時の彼らが第二の黄金期を迎えていたということに頷ける。

アンチェルがこの時期にチェコ・フィルと精力的な録音活動を行って膨大な音源を遺してくれたことにも感謝したい。

亡命後の彼の音楽活動は病気の悪化のためにこの頃と比較すると精彩を欠いたものになってしまうが、それまでに残された録音はどれをとっても鑑賞者の期待を裏切ることがないのも事実だ。

プラハのルドルフィヌムにおける1961年のセッションで、リマスタリングされた音質は極めて良好。

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2018年02月28日


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1967年にカレル・アンチェルがバーデン=バーデン南西ドイツ放送交響楽団に客演した放送用音源2曲を収録している。

曲目はヨセフ・スーク(1874-1935)のアスラエル交響曲Op.27及びイシャ・クレイチーの管弦楽のためのセレナータで、どちらもアンチェルが手中に収めたチェコの作曲家の作品だが、当時の南西ドイツ放送響の恐るべき実力と録音状態の良さに驚かされる。

オーケストラの非常に良く練り上げられた合奏だけでなく、ヴァイオリンを始めとするソロ・パートを演奏するメンバー達のレベルの高さも示されている。

放送用だがセッションと全く変わらない良質なステレオ音源で、アンチェル亡命直前のヨーロッパでの客演としても貴重な1枚だ。

その後彼がクリーヴランドと共演した1971年のライヴ盤も存在するが、音質に関してはこちらが俄然優位に立っている。

アスラエルは死者の霊を導く天使だが、この名称は当初からの命名ではなく、スークは師ドヴォルザークの追悼のために作曲を開始したが、第3楽章まで進んだ時にドヴォルザークの娘でスークの妻だったオティリエの死に見舞われ、第4楽章から作曲への構想が変化したらしい。

それ故第4及び第5楽章は第2部となっている。

また第1楽章には彼の前作『ラドゥースとマフレーナ』から死のモチーフが再利用されていることから、強制収容所で家族を殺され、死と隣り合わせの体験をしたアンチェル自身の心情をオーバーラップさせがちだが、ことさら標題にとらわれて聴く必要はないだろう。

むしろスークの巧妙なオーケストレーションや独特の壮麗なハーモニーを彼らがどのように表現しているかが鑑賞のポイントになると思う。

ちなみにスークはドヴォルザークの弟子だが、チェコの民族主義的なエレメントの使用は皆無に等しい。

ノヴァークの弟子、イシャ・クレイチー(1904-1968)はボヘミアン・ネオクラシシズムに属する作曲家で、ヤナーチェクのようにチェコに根付いたテーマを採り入れることもなければ新ウィーン楽派のような革新的な理論の信望者でもなかったが、マルティヌーと共にチェコの交響曲作家の系譜に名を連ねるユニークな作曲家だった。

ここに収録されたセレナータはモーツァルトのセレナーデにも一脈通じる快活さと諧謔性に富んでいて、また第2楽章アンダンテではアンチェルの弦楽合奏を屈託なく歌わせた軽快なカンタービレが美しい。

スークの神秘性とクレイチーの新時代のプラハの初夏の夜をイメージさせる曲想が好対照をなしたカップリングも面白い。

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2018年02月26日


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このディスクは演奏水準と録音状態で既に高い評価を受けていたものだが、今回のUHQCD化によってその価値を更に高める結果になっている。

また前回のコロムビアからの日本盤では交響曲第5番と祝典序曲のカップリングだったのが、同じメンバーによる交響曲第1番との2曲に入れ替わり、より充実した選曲になったことも評価できる。

肝心の音質だが確実に向上していることが聴き取れる。

より古い1961年録音の第5番は64年の第1番に比べても遜色のない、透明感のある鮮明なサウンドと奥行きを感じさせる音場が得られ、終楽章コーダのティンパニの打ち込みも鮮やかに再生されるし、第1番のソロ楽器の独立性が保たれたカラフルなアンサンブルが印象に残る。

源音をCD化する時に必然的に起こる音質の劣化を最小限に食い止める手段として、個人的には肯定的に受け止めている。

ショスタコーヴィチの交響曲については、とかくこれらの曲の成り立ちに関するエピソードや当時のソヴィエトの社会情勢に対する作曲家の複雑な心境などが云々されて、聴き手もそうした暗澹たる状況を演奏の中に探しがちだ。

アンチェルの演奏にはそのような作品にまつわる澱のようなものを完全に濾過した解釈があり、純粋にスコアに書き記された音楽だけから引き出される音響力学によって再現する姿勢は終生変わらなかった。

それが作品に普遍的な価値を与えているのだろう。

アンチェル自身の強制収容所での悲惨な経験は、活かされているとすればそれは人類愛に向けられていて、彼の演奏を高踏的にしているのだと思わざるを得ない。

第5番は全体にゆとりのあるテンポで作品の悲劇性を素朴に表現しており、そこに西欧やアメリカとは異なるスラヴ的気質が表されているようだ。

アンチェルの演奏には技術的にデリケートな側面とおおらかな気分が同居しているのが興味深い。

終楽章を雄大に表出してクライマックスを盛り上げているのは現代の先駆を成す演奏だ。

チェコ・フィルのオーケストラとしての実力が遺憾なく示されているのもこのCDの特徴で、アンチェルの指揮に敏感に呼応する全体の機動力と結束にも驚かされる。

アンサンブル交響曲とも呼びたくなる第1番の様々な楽器によるソロの大活躍と一糸乱れぬ合わせの巧さも聴きどころだ。

ここにはアンチェル首席時代に迎えたチェコ・フィル第二の黄金期の面目躍如の演奏が記録されている。

彼らはドヴォルザークからスーク、マルティヌーやヤナーチェクに至るチェコの作曲家の作品の演奏では他の追随を許さないが、この2曲のショスタコーヴィチではロシア物との相性もすこぶる良いことを示している。

勿論スラヴ系以外でもモーツァルトに代表される古典から現代音楽のジャンルにおいても活躍が期待できるオーケストラだ。

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2018年01月20日


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このところ1960年代のアンチェル、チェコ・フィルによる録音を繰り返し鑑賞しているが、新規にリリースされたUHQCDでのストラヴィンスキーの『春の祭典』『 ペトルーシュカ』とショスタコーヴィチの交響曲第5番及び第1番の2枚が素晴らしい仕上がりだったためか、こちらのディスクはいまひとつの印象が否めない。

録音年は1963年なので当時のスプラフォンの録音技術を考えれば西側に匹敵するサウンドが再生される筈だが、鮮明さや楽器ごとの分離状態がややもの足りないというのが正直な感想だ。

シンバルやトライアングルなどのパーカッションの高音の伸びや輝きも他の同時代の録音に比べて精彩を欠いている。

これはバランス・エンジニアのコンセプト云々と言うより、音源自体の持つ弱点かも知れない。

実際レギュラー・フォーマットによる同シリーズのドヴォルザークの交響曲第6番とヤナーチェクの『シンフォニエッタ』及び『タラス・ブーリバ』とも聴き比べたが、やはりこのCDが一番劣っている。

ただリマスタリングによる音質向上の余地は残していると言えるだろう。

本家チェコ・スプラフォンからの40枚を超えるカレル・アンチェル・ゴールド・エディションの第1集を飾った名盤だけに今後に期待したい。

アンチェルによる冒し難いほどの普遍的な高い音楽性と民族的な高揚が止揚された演奏が、多くの人から絶大な支持を得ている理由だろう。

アンチェルの表現は、各曲の持つ標題性よりはむしろ音楽の内面に光を当てているのが特徴で、スラヴ民族の血の躍動を感じさせる。

ことに「シャールカ」と「ブラニーク」の2曲は、その緊迫感と吹きあげるような情熱に圧倒されてしまう。

彼はこうしたお国物でも決して偏狭な民俗主義にのめり込むことなく、作曲家の書き記したスコアから総てを汲み取って音楽に還元する手法を貫いた。

また彼によって鍛え上げられたチェコ・フィルハーモニーの機動力がフルに呼応して、郷土愛を謳歌していることも特筆される。

指揮者と楽員たちとの精神的な結びつきの強さが示された名演奏だ。

彼が亡命直前の『プラハの春音楽祭』のオープニングに彼らと『我が祖国』を演奏した1968年5月12日の映像が残されているが、その三ヵ月後に起こるソヴィエトのチェコへの軍事介入の不吉な前兆が否応なく感じられる緊張感の中で、アンチェルの演奏はひたすら高邁なおおらかさを湛えていて、聴衆の愛国心を一層鼓舞する熱気を帯びたものになっている。

彼は亡命後再び『プラハの春音楽祭』の指揮台に立つことはなかった。

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2017年12月22日


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3枚のいずれを聴いても素晴らしい演奏だが、中でも注目すべきはドヴォルザークの『新世界』とスラヴ舞曲集、スメタナの『モルダウ』、更にはチャイコフスキーの交響曲第4番及び『ロメオとジュリエット』などは後世に残る名演に数えられるだろう。

2曲の交響曲では曲想を故意に誇張したりデフォームを決してしない正統的な解釈の中に描き出す音響が冴え渡っている。

『ロメオとジュリエット』ではアンチェルのオーケストラへの非凡な統率力が示されているし、『モルダウ』での中間部の清澄な美しさは喩えようがない。

一方ウィーン交響楽団もサヴァリッシュ、クリップスやジュリーニなどの指揮者に鍛えられただけあって、彼らの長所でもある巧みなカンタービレや洗練された趣味でアンチェルの要求に良く呼応している。

ナチスの強制収容所に収容された家族の中では唯一の生還者で、1968年には旧ソヴィエトのプラハへの軍事介入に抵抗してカナダに亡命するという波乱万丈の人生を余儀なくされたチェコの指揮者カレル・アンチェルが、全盛期にウィーン交響楽団を振ったフィリップス音源で、幸い鮮明なステレオ録音で遺されている。

1950年にチェコ・フィルの首席指揮者に就任して以来、アンチェルはスプラフォンにかなりのセッション録音を行っていて、その殆んどがCD化されているが、チェコを去ってからはその実力を充分に発揮する機会にはそれほど恵まれず、晩年はむしろ不遇な健康状態での活動の場を強いられてレコーディングも極端に少ない。

しかし常任指揮者に就任したトロント交響楽団とも170回に及ぶ定期演奏会で着実な評価を得ていただけに65歳での死はあまりにも早かったと言うべきだろう。

この3枚は彼が戦後ウィーンに客演した充実した時期の録音で、同じチェコ出身の指揮者でも前任者クーベリックに優るとも劣らない祖国愛と、不屈の闘志や音楽への情熱をこのアルバムからも充分に感じ取ることができる。

勿論彼の解釈は偏狭的なナショナリズムとは縁のない、常に公明正大で高邁な美学が音楽に反映されていて、もっと多くのクラシック・ファンに聴かれるべき大指揮者だと思う。

尚彼のキャリアについてはスプラフォンからのDVD『我が祖国、プラハの春1968』 に詳しい。

オーストラリア・エロクエンスからのリリースで、このレーベルは版権切れになったユニヴァーサル系の古い音源をリマスタリングして廉価盤で再発しているが、初CD化や廃盤の憂き目にあって入手困難だった掘り出し物もあり、興味深い企画が注目される。

ケースのロゴはデッカになっているが、アンチェルが1958年から翌59年にかけてフィリップスに入れた音質が極めて良好なステレオ録音で、それぞれ個別に販売されていたフォンタナ・レーベルの4枚のLPを纏めている。

切れの良い明瞭な音像と臨場感はフィリップス音源に共通する特徴だ。

アンチェルのウィーンへの客演はその後さまざまな事情から途絶えてしまったので曲数は多くはないが、彼の絶頂期のプロフィールを捉えた貴重なセッションとして価値のあるセットだ。

アンチェルのスプラフォン及びそれ以外の音源については本家の他にもヴェニアスから33枚のボックス・セットもでていて、そのうち2枚は当セットとだぶっている。

オーソドックスなジュエルケースがかさばるが廉価盤では多くは望めないだろう。

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2014年09月27日


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スメタナの連作交響詩「わが祖国」は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」と並んで、累代のチェコ出身の指揮者にとっては、最も重要なレパートリーとして位置づけられる名曲中の名曲という存在であり、それらの累代のチェコ出身の指揮者によって優れた名演の数々が生み出されてきた。

チェコ・フィルとの演奏に限ってみても、録音年代については本レビューにおいては省略するが、往年の名指揮者ターリッヒにはじまり、アンチェル、ノイマン、クーベリック、スメターチェクなど、枚挙にいとまがない。

アンチェルによる演奏は1963年のものであるが、ナチスによって家族を虐殺されるという悲劇的な経験をしたアンチェルにとっても、同曲は極めて重要な作品であったと言っても過言ではあるまい。

本盤に収められたアンチェルによる同曲の演奏は、やたらチェコの民族色を振りかざしたものではない。

即物的な解釈で知られたターリッヒほどではないが、後年のクーベリックやノイマンなどと比較すると、華麗さなどは薬にしたくもなく極めて地味な解釈に徹しており、純音楽的なアプローチによる質実剛健さが持ち味の演奏であるとさえ言えるのではないかと考えられる。

しかしながら、一聴すると淡々と流れていく各旋律の端々には、祖国チェコへの深い愛着、そして、自らが悲惨な経験をしたからこそ強く希求する平和への願いが込められていると言えるところであり、端正にして質実剛健な様相の演奏でありつつも、内に秘めた強靭な生命力、そして祖国チェコへの深い愛着に基づいた豊かな情感には尋常ならざるものがあると言えるところだ。

こうした真に味わい深い演奏こそは、まさに悲劇の指揮者アンチェルだけに可能な彫りの深い表現とも言えるところであり、その意味では、累代のチェコ出身の指揮者による同曲の数々の名演と比較しても、いささかも遜色のない素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。

音質については、1963年のスタジオ録音であり、筆者はこれまで1995年に発売された国内CD盤を愛聴してきたが、音場があまり拡がらず、いささかデッドで今一つの音質であったことは否めないところだ。

しかしながら、先般発売された新リマスタリング盤は、音質の鮮明さ、音場の幅広さなど、既発CDを遥かに上回るの仕上がりである。

いずれにしても、アンチェル&チェコ・フィルによる歴史的とも言うべき素晴らしい名演を、高音質の新リマスタリング盤で味わうことができるのを歓迎したい。

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2014年05月02日


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1963年、ザルツブルク音楽祭でのパッション漲る名ライヴで、個人的にはスタジオ録音より、こちらの方を愛聴している。

累代のチェコ・フィルの指揮者はドヴォルザークの交響曲第9番の録音を行っているが、いずれも個性的な名演揃いである。

ターリッヒにはじまり、本盤のアンチェル、そしてクーベリックやノイマン、そして近年のマーツァルなど、これらの大指揮者による同曲の演奏は、現在においても名演としての地位を確立していると言っても過言ではあるまい。

これらの名演に優劣を付けることは困難であるが、本盤に収められたアンチェルによる演奏は、ターリッヒによる演奏が録音が古くて今一つ音質が冴えないことを考慮に入れれば、当ライヴはチェコ・フィルの累代の指揮者による同曲演奏の中でも出色の出来映えと言ってもいいのではないだろうか。

アンチェルによる演奏は、どちらかと言うと聴かせどころのツボを心得たサービス精神旺盛な演奏とは言い難いと言える。

もちろん、ターリッヒによる演奏のように即物的に徹した演奏とは言えないが、それでもどちらかと言えば派手さはなく、一切の虚飾を配したストレートなアプローチとさえ言えるだろう。

ティンパニの効果的な使い方や低弦の歌わせ方には出色のものがあるものの、華麗さとは程遠い渋味のある演奏とさえ言えるところだ。

しかしながら、一聴すると淡々と流れている曲想の端々には、両親や妻子をアウシュビッツで虐殺されるなど激動の悲劇的な人生を送ってきたこの指揮者だけが描出可能な底知れぬ奥深い情感が込められていると言えるところであり、その独特の味わい深さには抗し難い魅力に満ち溢れている。

巧言令色とは正反対の飾り気のない演奏であるが、その演奏の深沈たる奥行きの深さは、まさにいぶし銀とも言うべき独特の輝きを放っていると高く評価したい。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲はやはりスークが一番だ。

1つ1つの音が完全に身についており、自分の音楽として表現しているからである。

激しい生命力や訴えかけ、懐かしい愛情のほとばしり、暖かい親しみ、チャーミングな節まわしが、豊かな郷土色と一体化して聴く者の心に涙をにじませるのだ。

アンチェルの指揮は音楽を意味深く語りかけつつ、美感を保持した見事なものだ。

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2011年07月09日


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演奏は、まったく正統的であり、この作品のスタンダードとして強くお薦めできるものである。

さすがに自国作品にみせるアンチェルの指揮は、内側からの表出力を支えとした力強さがあり、他のレパートリーにはない張りと輝きがある。

もちろん、抒情的味わいも豊かだ。

不思議に素朴さといったものはあまり感じられず、ドヴォルザークが残した最高の傑作を感動的に歌いあげた気迫に圧倒される思いだ。

全体に音楽が比較的淡々とした流れを持ち、各楽想の表現が明確で、テンポの大きな揺れといった作為的な表現がなく、いわゆる直截という感じがする。

現在ではこのような演奏が多くなっているが、この演奏はそれでいてこの曲から実に豊かな情感を引き出しているのが改めて感じられ、その辺が他の同様の演奏には見られない特色で、改めて見直されてよい。

オーケストラも積極性溢れる演奏を聴かせており、ライヴ的興奮を湛えている。

この《新世界より》は、1961年の録音であるから、チェコ・フィルが完全にアンチェルの楽器として機能していた黄金時代の記録ということになる。

後年のノイマン時代、さらにはクーベリックの歴史的帰国コンサートと較べても、弦の厚みといい、アンサンブルの精度といい、オーケストラの実力は、断然上であることが分かるだろう。

1939年、ナチスがチェコに介入すると、ユダヤ人だったアンチェルは家族共々アウシュヴィッツに移送され、家族を皆殺しにされてしまった。

この世の地獄を体験しながら、その嘆きや苦しみ、あるいは憤りを微塵も演奏に反映させず、このように健全で逞しい演奏ができたアンチェルに心からの敬意を表したい。

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2011年07月08日


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第1番は1964年4月、第5番は1961年11月の録音。

素の音だ。

なんの飾り気もなく、ただただ作品の本質に迫る音。

これは、どんな能弁よりも、心に強く、深く迫ってくる。

素で勝負できるなら、これほどの強みはない。

アンチェルの現代的感覚の冴えを思い知らされるショスタコーヴィチで、作品がまるで生き物のように再生される臨場感が素晴らしい。

アンチェルの演奏には技術的にデリケートな側面とおおらかな気分が同居しているのが興味深い。

ことに第1番は、作品が自ら動き出すような快い躍動感があり、オーケストラとの絶妙なコンビネーションに驚かされる。

第5番はさらに劇的気迫とスケールの大きい演奏だが、音楽が瞬時として乾いた感じになることがないのはアンチェルならではだ。

全篇を支配しているのは、胸を締め付けられるような寂寥である。

第1楽章では、草木ひとつない荒れ果てた地球に、ただひとり佇むような極限の淋しさがある。

第3楽章の慟哭も、心の奥深くから絞り出される涙のようではないか。

実直に音を重ねていくだけなのに、そこに傷ついた心からの血の滲みが見てとれる。

終楽章も質実剛健な音楽づくりであり、いたずらに興奮を煽る要素は皆無だが、クライマックスを盛り上げているのは現代の先駆を成す演奏だ。

全体にゆとりのあるテンポで作品の悲劇性を素朴に表現しており、そこに西欧やアメリカとは異なるスラヴ的気質が表されているようだ。

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早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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