コーガン
2022年07月26日
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これは知る人ぞ知る名演の代表格であると言える。
マゼールの晩年は、かつてのように聴き手を驚かすような演奏を行うことはすっかりと影を潜めてしまったが、1960年代から1970年代の前半にかけては、当時としては切れ味鋭い先鋭的な解釈を示すことが多かった。
楽曲によっては、いささかやり過ぎの感も否めず、そうした演奏に関してはあざとささえ感じさせるきらいもあったが、ツボにはまった時には、途轍もない超名演を成し遂げることもあった。
1970年代も後半になると、そうしたマゼールの鬼才とも言うべき性格が薄れ、やや面白みのない演奏に終始するようになってしまう。
それでもベルリン・フィルの芸術監督を目指して意欲的な演奏を行っていた1980年代後半には、とてもマゼールとは思えないような円熟の名演を繰り広げた(例えば、ブルックナーの交響曲第7番など)。
これまでの事績を考えると、マゼールこそは、やはり現代を代表する大指揮者の一人と言えるのであろう。
本盤に収められたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、マゼールがいまだ鬼才としての才能を発揮していた1974年に、ロシアの名ヴァイオリニストであるコーガンと組んでスタジオ録音を行ったものである。
当時のマゼールにはおよそ想定し難いような選曲であるが、これが実に素晴らしい演奏なのだ。
聴き手を驚かすような超個性的な演奏の数々を成し遂げていたこの当時のマゼールとは思えないような、徹底して自我を抑えたロマンティックの極みとも言えるような円熟の指揮ぶりであり、マゼールという指揮者がいかに潜在能力の高い指揮者であるのかが窺えるところだ。
おそらく、この演奏を指揮者を伏して聴いた場合、マゼールであると答えられる聴き手は殆どいないのではないだろうか。
両曲ともに美しいメロディ満載の協奏曲であるが、それらの名旋律の数々を、コーガンとともに徹底して歌い抜いている。
それでいて格調の高さを失うことなく、どこをとっても高踏的な美を失うことがない。
まさに、両曲演奏の理想像の具現化とも言えるところだ。
コーガンのヴァイオリン演奏も、鉄壁のテクニックをベースにしつつ、内容の豊かさを失うことがない申し分のないものであり、マゼールの円熟の指揮ぶりと相俟って、珠玉の名演奏と評しても過言ではあるまい。
いずれにしても、本演奏は、両曲の理想的な名演として高く評価したいと考える。
そして、今般、かかる名演がBlu-spec-CD化がなされたということは、本演奏の価値を再認識させるという意味においても大きな意義がある。
いずれにしても、コーガン、そしてマゼール&ベルリン放送交響楽団による素晴らしい名演をBlu-spec-CDで味わうことができるので思う存分堪能したい。
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2022年03月05日
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ダヴィッド・オイストラフとレオニード・コーガンは1950年代に相次いでアメリカ・デビューを飾ったが、このCDには彼らが丁度その時期にボストン交響楽団のサポートで録音した4曲が収められている。
東西冷戦当初、旧ソヴィエト連邦の芸術家たちは国外での活動が著しく制限されていたが、いわゆる「雪溶け」の時代になると、少しずつ世界に紹介されるようになってゆく。
この録音は、そうした時代におけるレオニード・コーガンとダヴィッド・オイストラフというソ連の2大ヴァイオリニストの、初のアメリカ・ツアーの際に収められたものである。
コーガンの驚異のテクニック、オイストラフの懐の深い演奏が聴きものだ。
ハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲ニ短調とサン=サーンスの『ハバネラ』はコーガンのソロ、ピエール・モントゥーの指揮で、1958年のヒス・ノイズも殆んどない鮮明なステレオ録音だ。
ハチャトゥリアンの協奏曲ではモントゥーの創り出す色彩豊かな音響の中に、コーガンのヴァイオリンが冷徹とも言えるリズム感で鋭利に切り込んでいく鮮やかなテクニックが冴え渡っている。
第2楽章アンダンテ・ソステヌートの幻想的なカンタービレの美しさにもコーガンらしい媚びのないしめやかさが感じられる。
対照的に終楽章で彼は血の騒ぐような無窮動的な民族舞踏の曲想を漸進的なテンションを維持しながら息をもつかせず弾き切っている。
頻繁に聴かれる変則的なリズムをものともせずに一糸乱れずオーケストラを率いるモントゥーの棒さばきも爽快だ。
サン=サーンスの『ハバネラ』は、ソロにも管弦楽に呼応したエキゾチックな甘美さがもう少しあっても良いと思うが、コーガンの隙を見せないフラジオレットや重音奏法などの妙技が心地良い1曲だ。
一方後半の2曲、ショーソンの『詩曲』及びサン=サーンスの『序奏とロンド・カプリッチョーソ』はオイストラフののソロで、指揮はシャルル・ミュンシュだが、こちらは1955年のモノラル録音になる。
ただ幸いにも録音状態、音質ともに極めて良好な状態で残されていて、今回同シリーズで初CD化されたソナタ集と並んでオイストラフの貴重なアメリカ・デビュー・アルバムが復活したことになる。
またここではミュンシュの得意にしていたフランスのレパートリーということもあって、シカゴ交響楽団から巧みに情緒と陰翳を引き出して、これらの小品にある種の刹那的な魅力を与えている。
オイストラフのソロは磐石で、ショーソンの妖艶さからサン=サーンスの快活さまでを、全く無理のない自然体の奏法と大らかなリリシズムで表現している。
彼としては際物になる曲種だが、こうした作品でも彼の音楽性の豊かさ、優れた表現力とそれを支える万全のテクニックが充分示されている。
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2021年01月05日
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濃厚なコーガンのヴァイオリン、重厚なリヒターのチェンバロ、ねっとりたっぷりと歌うロマン的情緒濃密なバッハ。
これはこれですごくいいんだけども、コーガンのヴァイオリンは時にあまりにソリスティックすぎて、リヒターのチェンバロを覆い隠してしまうほどに主張が前面に出過ぎるときがある。
つまりコーガンのブラームスのような超スタイリッシュな演奏がバッハらしくなく違和感を感じざるを得ない。
それでもバッハの音楽の融通性から考えれば、肯定的なセッションではあるが、ロシア人演奏家はどんなに優れた巨匠でも、ドイツ音楽においてはこのような不適格さを露呈してしまう傾向があり、このCDもその好例である。
この曲集は基本的にヴァイオリン、そしてチェンバロの右手と左手がそれぞれ一声部ずつを受け持つ、トリオの手法で書かれているので、ソロ・ヴァイオリンがあまりに突出すると声部間のバランスが崩れてしまう。
ここでのコーガンはひたすら自己の妥協せざる音楽を堅持しているようで、その点峻厳な印象を与えることに成功している。
しかしリヒターは伴奏に追いやられているようにも聞こえる。
彼はノイぺルトのモダン・チェンバロを使っているが、この楽器のやや金属的で耳障りな音色が録音で助長されているのも好きになれない。
全体的にこうした理由で演奏が鈍重なものになっているのは残念だ。
はっきり言えば2人の間に音楽で一致するところが見えない演奏ということになる。
個人的にはこの6曲のベストはシェリング、ヴァルヒャ盤だが、リヒターがシュナイダーハンと組んだ1966年のセッションも好ましい。
この演奏は最近リリースされたリヒターのコンプリート・レコーディング集に復活している。
またラインホルト・バルヒェット、ロベール・ヴェイロン=ラ・クロワによる60年代初期のヴァイオリン・ソナタ全集もシンプルかつバランスの良い演奏でお薦めだ。
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2019年10月25日
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レオニード・コーガン(1924-82)はその類い稀な才能にも拘らず、57歳で亡くなったためにセッション録音はそれほど多いとは言えない。
しかも彼の活動期間はオーディオ黎明期に当たっていて録音技術も旧ソヴィエトと西側ではまだかなりの開きがあったことも事実だろう。
このCD5枚分のメロディアに遺された音源もモノラルとステレオ録音が半々で音質的にも玉石混淆だ。
幸い彼の夫人エリザヴェータ・ギレリスとのデュエット集やムイトニクのピアノ伴奏によるソナタ及び小品集、コンドラシン指揮、モスクワ・フィルのサポートによるショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、ヴァインベルクのヴァイオリン協奏曲ト短調などはリマスタリングされた良好なステレオ録音で鑑賞できる。
中でもイザイのふたつのヴァイオリンのためのソナタイ短調は採り上げられることが少ない曲目と言うだけでなく、緊張感に溢れる両者のアンサンブルが聴きどころだ。
コーガンのヴァイオリン演奏は、鉄壁のテクニックをベースにしつつ、内容の豊かさを失うことがない申し分のないものと評しても過言ではあるまい。
彼は、テクニックと音楽表現の両面において、筆者個人はハイフェッツやミルシテインにも匹敵する名ヴァイオリニストと考えているが、色々な意味で悲劇的と言える生涯を送った彼は、その真価がなかなか正当には認識されていない傾向があるようだ。
特に日本では、大家と認められながらも、どちらかというと技巧派としての面ばかりに目を向けられてきたきらいがあるが、彼は音楽的な表現力も実に豊かで、もっと高く評価されるべき偉大なヴァイオリニストである。
突然死した彼の死因については、暗殺説もささやかれているが、ここに示された厳しくも彫りの深い表現と輝かしく格調の高い表現の素晴らしさには、この孤高の名手の芸の高さもが如実に映し出されている。
また、理想的なほどに自在で滑らかなボウイングのテクニックも、注目に値するものである。
31ページのライナー・ノーツにはロシア語と英語による彼のキャリアと演奏に関するエピソード、全収録曲目及び録音データが掲載されている。
メロディアでは最近商売気を出してこのセットと同時にやはり5枚組のオイストラフ生誕110周年のアニヴァーサリー・エディションもリリースしている。
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2018年06月02日
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コーガンは58歳という全盛期に他界し、奇しくも時を同じくしてモノラルからステレオ録音への交替期が訪れたこともあってレコーディングにはそれほど恵まれなかったヴァイオリニストだ。
彼のセット物ではこれまでヴェネツィア・レーベルからソヴィエト音源を収集した16枚組とワーナー・コリアからの15枚組がそれぞれリリースされているが、前者は既に廃盤、後者はコスト・パフォーマンスが難点になっている。
このメンブランのマイルストーンズ・オヴ・ア・レジェンド・シリーズではEMIだけでなくRCAなどの音源からコーガンの演奏した協奏曲、ソナタ及び彼がメンバーとして加わった室内楽などが比較的ランダムに選択されているようだ。
例えばモーツァルトとブラームスではセッションとライヴの異なった協演による2種類ずつの協奏曲を比較鑑賞できる趣向になっていて、特にブラームスではコンドラシンとモントゥーでは全く解釈が違うのが興味深い。
コリア盤に比較して単価はほぼ半額になるので、世紀のヴァイオリニストの神々しいばかりの演奏を気軽に体験できるところがセールス・ポイントだろう。
コーガンのヴァイオリン演奏は、鉄壁のテクニックをベースにしつつ、内容の豊かさを失うことがない申し分のないものであり、いずれも珠玉の名演奏と評しても過言ではあるまい。
コーガンは、テクニックと音楽表現の両面において、筆者個人はハイフェッツやミルシテインにも匹敵する名ヴァイオリニストと考えているが、色々な意味で悲劇的と言える生涯を送った彼は、その真価がなかなか正当には認識されていない傾向があるようだ。
特に日本では、コーガンというと大家と認められながらも、どちらかというと技巧派としての面ばかりに目を向けられてきたきらいがあるが、彼は音楽的な表現力も実に豊かで、もっと高く評価されるべき偉大なヴァイオリニストである。
突然死した彼の死因については、暗殺説もささやかれているが、ここに示された厳しくも彫りの深い表現と輝かしく格調の高い表現の素晴らしさには、この孤高の名手の芸の高さもが如実に映し出されている。
また、理想的なほどに自在で滑らかなボウイングのテクニックも、注目に値するものである。
音質面に関してはメンブランは無頓着なところがあって、版権の切れた過去の名演奏を低コストで提供することに主眼を置いていて、当然新しいリマスタリングは期待していなかったが、このセットは正規音源を使ったものらしく、一通り聴いた感じでは概して良好な音質で再生され、鑑賞に全く不都合はない。
また彼のさまざまなジャンルのレパートリーがまんべんなく収められていて、コーガンの至芸を堪能するには充分な質と曲数も提供している。
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2018年05月29日
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1958年、レオニード・コーガン初のアメリカ・ツアーの途上、ニューヨークで録音されたアンコール・アルバムが半世紀を経てようやく世界初CD化。
RCA及びソニーに録音された過去の音源をいわゆる箱物ではなく、単独あるいは2枚組のCDでリイシューするシリーズのひとつでミドル・プライスに留めてあるのが惜しまれる。
先に紹介したピエール・モントゥーとの協演盤で久しぶりにコーガンのハチャトゥリァンを聴いて、改めて彼の類い稀な音楽性と切れ味の良いヴァイオリン・ソロに感動したので、このアンコール・ピース集も聴いてみることにした。
58歳という全盛期に世を去ったヴァイオリニストが遺した、彼としては珍しく際物を集めた録音で、また音質にも優れているのでその意味でも貴重なCDだ。
鋼のようにソリッドな技巧とストイックなほどに真摯な音楽への取り組みから生み出される演奏は、ヴァイオリンという楽器の本質とその多彩な魅力を開示してくれる。
ショスタコーヴィチ、プロコフィエフやハチャトゥリアンなどお得意のロシア物を入れ込みつつ構成されたこのアンコール・アルバムは、そうしたコーガンの芸術に親しむ上で最上のイントロダクションと言えるだろう。
中でも白眉はツィガーノフ編、ショスタコーヴィチの『4つの前奏曲』で、この曲が最もコーガンの音楽的な趣味と奏法が一致した演奏のように思われる。
中には彼の演奏スタイルからは想像できないようなドビュッシーの『月の光』やグラズノフの『間奏曲』などの甘美なレパートリーも組み込まれている。
そこは流石に隙のないテクニックで巧みに洗練して、欠点を見せない完璧主義を堅持しているのもコーガンらしい。
彼のヴァイオリンはグァルネリ・デル・ジェズと思われるが、その磨き上げられた音色の美しさにも魅力がある。
惜しむらくはピアニストのアンドレイ・ミトニクの伴奏がいくらか変化に乏しく、コーガンのソロを充分引き立てていないことだろう。
こうした小品集では粋で遊び心のあるピアニストの起用が望ましいが、当時のソ連では当局の監視もあって自由主義的な演奏がままならなかったのかも知れない。
目の醒めるような超絶技巧で楽しませてくれるのが最後に収録されているサラサーテの『バスク奇想曲』でヴァリエーションの部分ではダブル・ストップ、アルコとピチカートの驚異的な応酬、それにフラジオレットなどが駆使されて爽快なフィナーレになっている。
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2018年05月19日
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旧ソヴィエトを代表するヴァイオリニスト、レオニード・コーガン(1924-1982)の現代ロシア作品集2枚組で、チェコ・プラガ製作によるレギュラー・フォーマット盤のシリーズであることを確認されたい。
ただし保存状態の良いセッション及びライヴ音源が使われていて、新規リマスタリングによって音質はかなり向上しているので鑑賞に全く不都合はない。
ちなみに2曲目のハチャトゥリアンの協奏狂詩曲のみがモノラル録音だが、他の収録曲に遜色のない、ソロを克明に捉えた芯のあるしっかりした音響が再現されている。
これまでにリリースされたコーガンのボックス・セットでは聴くことができない貴重な選曲が特徴で、これらの6曲でコーガンは新時代のロシアのヴァイオリン音楽を告げる先鋭的な意気込みを伝えている。
中でもケレンニコフとヴァイセンベルクの協奏曲はそれぞれがコーガンに献呈され彼自身が初演を飾った作品で、その真似のできないオリジナリティーと彼特有の近寄りがたいような鮮烈な演奏が繰り広げられている。
彼は前者では勇猛果敢な作風をスヴェトラーノフの豪快なサポートで鬼神のように具現し、一方後者ではコンドラシンとのコラボでより精緻で頭脳的な形式感を感知させている。
ハチャトゥリアンの協奏曲はオイストラフに献呈されたものだが、ここではピエール・モントゥー指揮、ボストン交響楽団による1958年の歴史的録音が収録されていて、こちらも彼がエスニカルな熱狂を示した名演のひとつだろう。
最後のデニソフの『パルティータ』はバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番からソロ・ヴァイオリンと室内管弦楽用にシュールレアリズム的なオーケストレーションでアレンジした、ストコフスキーの現代版といったところだ。
しかし、彼の超ポリフォニー手法が幾らか裏目に出て、時折ソロを邪魔してしまうのがやや煩わしい。
また通奏低音にチェンバロも加えて故意にバロック的音響を残しているが、全体的に音楽が中途半端に新しいという印象を与えている。
コーガンが亡くなる前年のライヴで、その気迫のこもった情熱的な演奏からは彼の早世が惜しまれる。
尚この作品の指揮はコーガンの息子であり、ヴァイオリニスト、指揮者のパヴェル・コーガン。
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2016年05月12日
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メロディアからリリースされたレオニード・コーガン(1924−82)生誕90周年記念の協奏曲集である。
ブラームスがピエール・モントゥー指揮、ボストン交響楽団との1958年のモノラル・ライヴ、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲及びソロ・ヴァイオリンとオーケストラのための『瞑想』はコンスタンティン・シルヴェストリ指揮、パリ音楽院管弦楽団との1959年のステレオ・セッション録音になる。
ブラームスでは速めのテンポで疾駆するコーガンのソロが全曲を席捲していて、曲自体の持っている豊かなカンタービレとブラームス特有のうねるような情緒がいくらか萎縮してしまっている印象を受ける。
確かに強靭な精神力で弾き切っているのは事実でその緊張感と集中力は凄まじいが、音楽の流れがせわしくもう少し余裕が欲しいところだ。
モノラル録音で音響もデッドなので尚更そう聴こえるのかも知れない。
モントゥーは同年にシェリングともこの曲を録音しているが、テンポ設定はずっと落ち着いていてダイナミズムもきめ細かいしオーケストラに遥かに多くを語らせていて、シェリングの白熱のソロを見事にサポートしている。
尚このライヴでは何故か楽章ごとに拍手喝采が入っていて多少煩わしく感じられる。
一方チャイコフスキーはコーガンの持ち味が縦横に発揮された秀演で、ロマンティックな歌心と隙のない表現力が相俟って、彼の協奏曲の録音の中でも代表的なもののひとつに数えられるだろう。
第一声のテーマの歌い出しの美しさや第2楽章に湛えられた冷やかな抒情から終楽章のキレの良いテクニックを駆使した追い込みまでが大きなスケールで再現されている。
シルヴェストリ率いるパリ音楽院管弦楽団も良く統制されて巧妙なバックアップでコーガンを支えている。
最後に置かれた同メンバーによる『瞑想』は大曲の後の余韻を味わう贅沢なアンコール・ピースといったところで、こうした小品にもコーガンの技巧一点張りではないデリカシーが表出されている。
メロディア・レーベルのジャケットのデザインや装丁は相変わらず洒落っ気がないが、彼らもデジパック仕様を始めた。
CD化で初出のライヴと書かれてあるが、ライヴはブラームスだけで、チャイコフスキーの2曲は質のよいステレオ録音で、録音データが1959年としか表示されておらず、また客席からの雑音や拍手が全く聞こえないのでセッションだろう。
ブラームスはカナダのドレミ・レーベルから既にCD化されていたが、正規音源を使ったLPからの板起こしと思われる。
挿入されたライナー・ノーツには露、英、仏語の簡易な曲目解説とコーガンへの賛辞が掲載されている。
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