コンドラシン
2022年08月03日
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ルドルフ・ケーラー(Rudolf Kerer)というロシアのピアニストは筆者の恩師から教えていただき、聴いてみて愕き慄き、何故今日まで知らずにいたのか後悔したとともにワクワクしながら聴き通した。
メーカーと癒着した音楽ジャーナリズムが撒き散らす情報の洪水の中で、改めて「自分の耳で聴く」態度を貫徹しなければならないと肝に銘じたところである。
ケーラーは、1923年ティフリスに生まれ、6歳でピアノを始め、12歳でトビリシ音楽院に学び、15歳の時にチャイコフスキーの協奏曲を公に演奏した。
大戦中に家族と共にロシア国外へ強制移住させられたときは、ピアノもなかったためテーブルに白黒を塗って鍵盤に模したという。
非常に厳しい境遇を乗り越えて、雪解け以降は祖国に戻りモスクワ音楽院の教授となったほか、ウィーン国立音楽大学教授も務めた。
晩年はチューリッヒに移り住み、2013年に90歳で世を去った。
このセットではロジェストヴェンスキーやコンドラシンといったロシアの名匠との協奏曲録音やソロによる演奏をたっぷりと収録しており、これだけまとまって聴けるのは貴重だ。
カナダDoremiレーベルは様々な録音を復刻しており、「LEGENDARY TREASURES」というシリーズは時々気になる演奏家の録音を探し出してくる。
今回発売されたケーラーの録音集は全てロシアMelodiya音源であり、過去に発売され話題になった録音をかなり含んでいる。
ただし、録音数はかなり多い割には、CD化は進んでいないらしい。
筆者はこのピアニストのことを今回入手するまで存じ上げなかったが、録音を聴いてみると、こんなピアニストが無名なのかと驚いた。
よくよく調べてみると、ケーラーに師事したというピアニストは大勢出てくるし、コンクールの審査員をやっていたという記述も見かけるので、ピアニストの間では有名な人物だったのだろう。
協奏曲では、伴奏のロジェストヴェンスキー・コンドラシン・ドゥブロフスキーの指揮の素晴らしさもあるだろうが、ライブ録音かと思われるほど、熱気がある演奏である。
ピアノ曲でもその熱気は感じられるので、これはケーラー自身のスタイルなのだろう。
いかにもロシア人ピアニストらしい、確かな技術に意思の力が籠められているのが分かる。
この録音集で特に感銘を受けたのはやはりロシア物で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、プロコフィエフのピアノ協奏曲第1番は圧巻。
その他、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ピアノ・ソナタ第8番、シューマンの交響的練習曲などすべて傾聴に値する。
いずれにせよ他にも多くの録音が残っているなら是非とも発掘していただきたい。
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2022年06月30日
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オーケストラの達人リムスキー=コルサコフの『シェエラザード』は、アラビアン・ナイトの雰囲気を濃厚にたたえた管弦楽の傑作。
この曲の豊麗多彩な魅力をあますところなく表現した精密かつスケールの大きな名演奏・名録音である。
キリル・コンドラシンがコンセルトヘボウを指揮したオーケストラル・ワークはライヴ音源でフィリップスとターラから都合11枚分の録音が残されている。
それらは結果的に両者の緊密なコラボの集大成となって、それぞれのコンサートが彼らの実力を示して余りあるものだ。
一方で正式なセッション録音というとこのディスクの『シェエラザード』が唯一になってしまった。
オランダでのコンドラシンのレコード制作が商業ベースに乗る前に、突然彼が亡くなってしまったからだろう。
名匠コンドラシン会心の名演、シンフォニックの極致、歴史的録音の名に恥じない銘盤としてお薦めしたい。
録音状態は当時のフィリップスが誇ったキレの良い音質で、他のコンセルトヘボウとのライヴより俄然こちらが優っている。
コンドラシンの解釈は、さながらオリエントへの神秘な旅といった印象が残る。
荘重な開始とともにエキゾチックな曲想が優雅に、またきめ細かく再現され全体としてスケールの大きなドラマに仕上げられているのは流石だ。
冒頭と各楽章の始まりにヴァリエーションで繰り返されるヴァイオリンのテーマは、当時のコンサートマスター、ヘルマン・クレバースのソロが心をそそる。
その繊細でいくらか冷ややかな音色が、かえってこの作品に特有の夢幻性を漂わせていて秀逸。
また曲中いたるところに現れるフルート、オーボエ、クラリネットやファゴットなどのソロはコンセルトヘボウの首席奏者達のレベルの高さを証明している。
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2022年05月24日
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オランダ放送協会制作によるコンドラシン、コンセルトヘボウのライヴ集は、地元フィリップスから8枚のCDにリカップリングされた。
このディスクには1973年2月8日のストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』と1980年6月6日のボロディンの交響曲第2番が収録されている。
いずれもコンドラシンの得意とするスラヴ物でも、なかでも『ペトルーシュカ』はコンセルトヘボウのアンサンブルの力量が示された素晴らしいライヴだ。
当時のライヴ音源には客席からの拍手喝采や咳払いなどのノイズも混入していて、この音源も例外ではないが、コンセルトヘボウの豊かなホールの音響と会場の雰囲気は充分捉えられている。
オーケストラも比較的分離状態の良い鮮明なステレオ録音なので、ストラヴィンスキーの精緻なオーケストレーションをまさにライヴ感覚で体験できる。
この時期は既にハイティンクが首席指揮者だったが、彼とは全く異なったレパートリーをコンセルトヘボウに持ち込んで、彼らの視野を広げたのがコンドラシンだったと言えるだろう。
彼に影響を受けた楽団員との最も優れたコラボは『シェエラザード』に象徴されているが、セッションによるフィリップスへのレコーディングがこの一曲に終わってしまったのは惜しまれる。
ボロディンの交響曲第2番ロ短調もやはりコンドラシン十八番のスラヴ物で、ロシア国民楽派の情熱を鼓舞するような劇的なテーマを生き生きと開始している。
一方で第3楽章アンダンテでの『中央アジアの草原にて』をイメージさせるホルン・ソロが導入するスケールの大きい、いかにも大陸的な抒情が美しい。
終楽章では熱狂的な民族舞踏が手際良く颯爽と再現され、スラヴ人指揮者の面目躍如たるものがある。
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2022年04月17日
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本盤のような演奏を歴史的名演と言うのであろう。
アメリカのテキサス生まれのヴァン・クライバーン(1934年7月12日 - 2013年2月27日)が、旧ソヴィエト連邦の威信をかけて行われた記念すべき第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝した直後に行われたスタジオ録音ではあるが、ここでは、コンクールでの優勝の興奮が支配しているように感じられてならない。
当時のクライバーンの超絶的な技巧と、途轍もない生命力が凄まじいまでの迫力を見せ、あたかもライヴ録音であるかのような熱気に満ち溢れているからだ。
このチャイコフスキーに一貫しているのは溌剌とした太陽のような輝きである。
それは単に辣腕の名手が聴かせるドラマティックで、エネルギッシュな熱演というだけではない。
抒情的で詩的なフレーズにも太陽の恵みを受けたかのような誇らしい高揚感があり、それが聴き手をどこか晴れやかな幸福感に誘ってしまうという稀に見る演奏となっている。
停滞せずに常に前に駒を進めていく演奏、しかもそこには即興性があり、それが演奏をさらにスリリングで、緊迫感溢れるものにしていく。
それでいて決して不自然でも作為的でもない、聴き手を紛れもなくチャイコフスキーの世界に誘い、陶酔させていく奇跡的名演なのである。
当時、ソヴィエト連邦の気鋭の指揮者であったコンドラシンの指揮も圧倒的であり、数あるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の名演の中でも、トップの座を争う名演と高く評価したい。
コンクールの審査員には、リヒテルやギレリスなど錚々たる顔ぶれが揃っていたとのことであり、今から思えば政治色が審査に反映されなかったことは奇跡のような気もするが、これらの面々に絶賛されたというのも当然のことのように思われる。
残念なことであるが、クライバーンはこの時が一番凄かった。
その後は、自らの名前を冠するコンクールの名前のみで知られるピアニストに甘んじていたのは、はなはだ残念なこととは思う。
それでも、このような歴史的名演を遺したことは、後世にもクライバーンの名前は不滅であることの証左と言えよう。
録音は金管楽器などに音場の狭さを感じるが、ピアノのリアルな音など、眼前で演奏が行われるかのような鮮明さだ。
コンクールには賛否両論があるが、才能発掘の点で成果を挙げたのは事実であり、この名盤もコンクール直後に生まれたことを銘記しておきたい。
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2022年03月20日
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モスクワ出身の名指揮者キリル・コンドラシンの生誕100周年に当たる2014年にプラガから発売されたディスク。
コンドラシンは1978年のコンセルトヘボウ客演の際にオランダに政治亡命して西側での音楽活動を本格的に始めた矢先の1981年3月8日に突然他界した。
その死には当局がらみの暗殺説も浮上している。
コンドラシンは既に1958年のチャイコフスキー・コンクールで優勝したヴァン・クライバーンの凱旋公演にも随伴していて、冷戦時代の旧ソヴィエトの指揮者の中ではいち早く西側での演奏を実現した人だ。
本盤に収められた音源はいずれも今回が初めてのリリースではないが録音も保存状態も極めて良好で、リマスタリングによって奥行きと立体感の感じられる音響が蘇っている。
『バビ・ヤール』はモノラル・ライヴ、カンタータ『10月』の方はステレオ・セッション録音になる。
交響曲第13番『バビ・ヤール』はユダヤ人虐殺が行われたウクライナの地名をタイトルに持ち、ロシアに受けつがれる反ユダヤ主義を非難する内容となっている。
旧ソ連ではタブーのテーマだったゆえ反体制的とみなされ、1962年12月の初演の際にも演奏者に当局から圧力がかかったとされている。
この録音は世界初演の2日後の再演時のライヴであるが、出演者もほぼ同じで、ショスタコーヴィチも臨席、緊張が生々しく伝わってくる。
当初はショスタコーヴィチの多くの作品の初演を手がけていたムラヴィンスキーが指揮する予定だったらしいが、ソヴィエトのユダヤ人差別政策を仄めかす詩の内容が検閲に引っかかり、ムラヴィンスキー降板の後もこのコンサート以降の音楽活動への影響を恐れて土壇場まで歌手の入れ替わりが続いたようだ。
当時のコンドラシンは当局からの執拗な妨害にあって苦境に立たされていた筈だが、逆に言えばそうした状況にあってこの凄まじいまでの集中力に支えられた初演が可能だったのかも知れない。
コンドラシンは作曲家の抉り出した心理描写と映像のように浮かび上がる情景を音像として驚くほど冷静に、しかしまた劇的に表現し切っているし、モスクワ・フィルも流石に巧い。
バス・ソロを歌うグロマツキーは朴訥として器用な歌手ではないが、詩の表す陰鬱で悲愴な情感は良く出していて、この危険な役回りを引き受けたことを潔しとしたい。
ショスタコーヴィチ本人を始めとする初演遂行側の表現の自由に賭けた熱意と圧迫を受けていた人道的思想の発露が漕ぎ着けた初演は大成功を収めたと伝えられているが、結果的に考えるならば後の政治亡命も起こるべくして起こったと言わざるを得ない。
コンドラシンはこの作品初演成功後、交響曲第4番やオラトリオ『ステンカ・ラージンの処刑』の初演も飾っている。
一方プロコフィエフのカンタータ『10月』は、帝政ロシア崩壊に至る一連の事件から10月革命20周年を記念した曲で、ここでもコンドラシンは冷徹に音楽的バランスを熟慮してそれぞれの部分の強烈な個性を的確に捉えているが、何故かここでは第1、2、4、7、9部のみの尻切れトンボで収録されているのが残念だ。
一般に風変わりなオーケストレーションと合唱、モノローグによるグロテスクな奇曲という評価だが、プロコフィエフの作曲技法はかえって洗練された鋭利さを感じさせる作品だと思う。
プラガのデータについては鵜呑みにできない怪しげなところが無きにしも非ずだが、交響曲第13番については1962年12月18日に初演が行われ、この音源は同年12月20日の同一メンバーによる再演ライヴから収録されたものらしい。
プロコフィエフの方は1966年5月5日のセッションと記載されている。
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2022年02月25日
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キリル・コンドラシンは1965年から75年にかけて手兵モスクワ・フィルハーモニーとショスタコーヴィチ交響曲全集を完成させていた。
このボックスは本家メロディアからの11枚のCDのリイシュー盤で、既に現在入手困難になっているのが惜しまれる。
個別売りではまだマーケティングに流通しているようだが、曲によってはこのセットと同様法外なプレミアム価格がつけられている。
以前のヴェネツィア・レーベルからの12枚組と比較すると選曲、音質ともに優っていて、こちらが全曲ステレオ録音の音源を纏めているのに対してヴェネツィア盤は交響曲第13番を62年のライヴを加えた2種類、コーガンとのヴァイオリン協奏曲第1番を収録している。
メロディア盤はヴァイオリン協奏曲はオイストラフとの第2番のみだが、交響詩『10月革命』、カンタータ『我が祖国に太陽は輝く』及びオラトリオ『ステパン・ラージンの処刑』を加えたよりコンプリートなオーケストラル・ワーク集になっている。
コンドラシンは交響曲第13番の初演以来、ショスタコーヴィチの作品の最良の理解者だったことから、それらの演奏がある意味で理想的な解釈に基いている貴重な遺産でもある。
それは大指揮者ムラヴィンスキーが多くの初演を果たしながら、後年ショスタコーヴィチから離れてしまった事実とは鮮やかな対照を成している。
コンドラシンの亡命はかえって作曲家の精神を受け継いだ選択ではなかっただろうか。
15曲の交響曲の他に幸いドン・コサックの首領の最期を描いた『ステパン・ラージンの処刑』が収録されている。
この作品も極めて政治的な批判精神を扱っているので、コンドラシン面目躍如のレパートリーだったと思われる。
ステパン・ラージンが処刑場に引き出され、民衆から唾を吐きかけられるシーンは、ショスタコーヴィチ一流の情景描写が際立っているし、民衆がこの処刑に矛盾を感じ始めるあたりから、彼の作曲技法は殆んど精緻な心理描写になる。
コンドラシンの指揮はこうした心理的変化を熟知した恐るべき深みをもっている。
また彼が当時音楽監督だったモスクワ・フィルのミリタリー的な機動力も聴きどころで、抒情的な歌心にも不足していないし、決して硬直感もない。
むしろムラヴィンスキー、レニングラード・フィルの方が冷徹に感じられる。
この全集が録音された当時、ソヴィエトでもようやくステレオ録音が一般的になって、音質も西側並みに向上していた。
高音は及第点と言ったところで低音部も良く響いて色彩感にも不足していない。
欲を言えば中音域にもう少し厚みが欲しいところだが、総てが良好なステレオ録音だ。
ただし交響曲第13番『バビ・ヤール』は1967年の歌詞改訂版が使われている。
この作品の初演及び2日後の再演以降、当局からソヴィエトのユダヤ人迫害を仄めかす部分について歌詞を変更しない限り上演禁止の通告を受けた。
この演奏では音楽はオリジナルだが、歌詞の一部は詩人エフトゥシェンコ自身の改作によっている。
バスのエイゼンが美声だけに残念だ。
ちなみにディスコグラフィーを見るとコンドラシンはこの曲を5回録音している。
初演メンバーによる1962年のモノラル録音はプラガからハイブリッドSACD化されているが、最も音質に恵まれているのは80年にバイエルン放送交響楽団を指揮したライヴで、バスは英国人シャーリー・カークがロシア語で健闘している原語録音だ。
レギュラー・フォーマットとSACD盤がタワーレコードからリリースされている。
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2022年02月20日
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ブラームスの交響曲第1番は1980年2月29日、カップリングされたメンデルスゾーンの交響曲第4番『イタリア』が1979年11月17日のそれぞれアムステルダムにおけるライヴ録音になる。
当時のコンドラシンとコンセルトヘボウの強い絆を髣髴とさせる気迫に満ちた演奏である。
どちらも熱演というよりはむしろ様式に則った堅実な解釈が聴きどころだろう。
ブラームスでの冒頭のティンパニの連打も抑制され、ひとつの楽章を突出させることなく全体の均整を取って絶妙なバランスを保つことで、かえって荘重な音楽を築き上げている。
第3楽章のヴァイオリン・ソロはコンサートマスターのヘルマン・クレバースで、同メンバーによる『シェエラザード』同様ここでも高貴な抒情を湛えた奏法が美しい。
終楽章も感情に流されることなく、堅牢な古典的形式感が保たれたスタイリッシュな安定感がある。
メンデルスゾーンでも血気にはやる演奏ではなく、いくらかクールでコンセルトヘボウのアンサンブルの確実さと作品の起承転結をわきまえた再現が生きている。
第2楽章アンダンテのカンタービレも他の楽章との調和を考慮した表現だ。
終楽章でのイタリアの舞踏音楽サルタレッロも疾走することなくコントラストを聴かせる頭脳的な指揮もコンドラシンらしい。
キリル・コンドラシン(1914-1981)はオランダ亡命以前からコンセルトヘボウ管弦楽団に頻繁に客演していた。
この一連のライヴ・レコーディングは当時の国営オランダ放送協会NOSと、民間下請け業者NOBが共同制作したマスターになる。
地元フィリップスがリリースした9枚のLPを1990年代に8枚分のCDに再編集したものだ。
フィリップス・レーベルの消滅後、版権の問題から残念ながら総て製造中止の憂き目に遭っている。
いずれも音楽的に充実した質の高い演奏なので、今後はブルーレイオーディオなどに高音質化されての復活を望みたい。
客席がオーケストラの背後にも設置されているコンセルトヘボウの弱点で、時として聴衆からの咳払いがダイレクトに捉えられているが、音質は鮮明で高度な鑑賞にも充分堪え得るものだ。
尚この8枚に収録されなかった同メンバーによる更にCD3枚分の音源は仏ターラ・レーベルからリリースされている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2021年08月25日
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20世紀を代表するロシアの作曲家ロディオン・シチェドリン(1932-)の作品集になり、最初の2曲は1964年にメロディアによってモスクワでセッション録音されたものだが、比較的鮮明でワイドな音場のステレオ録音であることが特長だ。
オーケストラはコンドラシンの手兵モスクワ・フィルハーモニーで、彼らの代表的なレコーディングといえば、間違いなくショスタコーヴィチの交響曲全集とマーラーの同選集だが、幸いそれ以外にもメロディアには貴重な音源が残っている。
それがこのディスクとスクリャービン及びハチャトゥリアンをカップリングした2枚で、現在いずれも製造中止の憂き目に遭っている。
ただしここに収録された交響的組曲及び管弦楽のための協奏曲第1番『お茶目なチャストゥーシュカ』はヴェニアスからの9枚組のCD8に復活している。
亡命前のコンドラシンのレパートリーを知るための数少ないサンプルでもあり、幸い音質にも恵まれているので、将来SACDなどの高音質化での復活を望みたいところだ。
シチェドリンは自作のオペラ『愛だけでなく』から、交響的組曲として6つの楽章からなるオーケストラル・ワークに編曲している。
管弦楽のための協奏曲でも現代作曲家らしく鮮烈なオーケストレーションと、この時代のソヴィエトでは珍しくユーモラスな感性が反映されているのが印象的だが、コンドラシンのコミカルな作品に対する軽妙な解釈としても興味深い。
歯切れの良い絶妙なリズム感で手際よく纏める手腕は、彼がボリショイ劇場時代に上演した多くの舞台作品から会得した統率力なのだろう。
モスクワ・フィルはコンドラシンによって鍛えられた楽団だけに両者の間には馴れ合いは感じられず、常に特有の緊張感が保たれている。
それはムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの関係に一脈通じるものがあるが、レパートリーに関してはムラヴィンスキーより遥かに柔軟で、積極的に同時代の作曲家の作品を採り上げている。
尚コンドラシンが参加していないディスク後半の2曲は『ディオニュシオスのフレスコ画』と『ストラダーニヤ』で、前者はフルート、クラリネット、イングリッシュホルン、ファゴット、ホルンにヴィオラ、チェロ、チェレスタとグロッケンシュピールが加わる9つの楽器のための室内楽作品。
アレクサンデル・ラザレフ指揮、ボリショイ劇場ソリスト・アンサンブルによる1984年の録音。
最後は1976年に収録された、オペラ『愛だけでなく』からピアノ伴奏付ソプラノのためのアリアになり、イリーナ・アルキポーヴァのソロ、ピアノはシチェドリン自身が弾いている。
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2021年04月13日
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本作は、1960年以降ようやくスヴャトスラフ・リヒテルが西欧各地で演奏しはじめて間もない時期に録音されたリストの協奏曲集。
1961年にロンドンで録音されたフランツ・リストのピアノ協奏曲2曲は、当時46歳だったリヒテルの圧倒的な音楽性が示された演奏である。
39歳の年にプラハの春音楽祭に出演、“現代のリスト”と激賞されたリヒテル。
この豪放にして詩的、剛毅にして颯爽とした演奏は、同作品における最高の演奏のひとつに数えられている。
ロンドン交響楽団を率いるコンドラシンの堂々たるサポートも相俟って新たな作品の魅力が引き出されている。
いわゆるリスト弾きのピアニスト達は、どうしてもテクニックの披露に走りがちなために、こうした曲の持っている本来の骨太なロマンティシズムを表現することや、スケールの大きさに欠けてしまうことも往々にしてある。
勿論リヒテルも壮年期の覇気を感じさせる超絶技巧を駆使してはいるが、緩徐楽章ではテンポを思いきり落とし、良く歌うことに腐心している。
それはたとえて言うならば中世騎士的な高邁な歌であって、決して情緒過多な脆弱さは感じられない。
リストはこの2曲でオーケストラ・パートにも様々な工夫を試みている。
そして2曲とも華麗なマーチによってクライマックスが築かれているが、コンドラシンの生き生きとして、しかも色彩豊かなオーケストラが効果的でドラマティックなサウンドを創り上げている。
特に第2番は単一楽章の作品の性格上、通常ラプソディー風に流れてしまいがちだが、コンドラシンはがっしりとした、しかし絢爛豪華な額縁を嵌め込んだ絵画のように仕上げている。
確かにリストの作品の中には駄作と思われるものもあるし、それが理由でリスト嫌いの人もいるだろうが、彼らのような演奏は例外で、入門者にもお薦めしたい。
音質は時代相応以上に良好。
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2021年03月11日
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亡命前のキリル・コンドラシンが手兵モスクワ・フィルを振ったレコーディングの纏まった企画としては、ショスタコーヴィチの交響曲全曲集とマーラーの同選集だが、その他にも地元メロディアには良質のステレオ音源がいくつか遺されている。
その2曲がこのディスクに収録されたスクリャービン/ネムティン編の管弦楽、コーラス、オルガンとピアノのための『神秘』から第1部「宇宙」である。
ライナー・ノーツには作曲家によって構想された三部作の最初の部分をアレクサンドル・ネムティンが1936年に復元したと書かれていて、この1973年の彼らの演奏が初録音のようだ。
40分ほどの大曲で、難解なオーケストレーションの巧みな統率とスクリャービン特有のハーモニーから醸し出されるサウンドが鮮烈に再現される。
クライマックスでは確かにデュオニュソス的な陶酔と神秘を感じさせる演奏だが、コンドラシンの解釈は曲趣にのめりこむようなものとは明らかに一線を画した、スコアへの冷徹なまでの緻密な再現が聴きどころだろう。
尚ネムティンは第3部も纏めていて1996年にアシュケナージによってベルリンで演奏されたようだ。
ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲変ニ長調は1963年の少し古いセッションで、ヤコフ・フリエルのソロになる。
ハチャトゥリアンの協奏曲といえばオイストラフに献呈されたヴァイオリン協奏曲が、そのアイデアの独自性と明確な構成で作曲家としての圧倒的な力量を示している。
一方ピアノ協奏曲はその4年ほど前の1936年に作曲され、初演者レフ・オボーリンに献呈されている。
この作品もアルメニアの民族音楽の原初的力強さと、超絶技巧を使った熱狂的な終楽章がドラマティックだ。
例えば第2楽章で使われるフレクサトーンなど、ヴァイオリン協奏曲に比べてやや凝り過ぎた作法という印象がある。
ヴァイオリン協奏曲のほうがよりシンプルで音楽的な効果を高めている。
またフリエルのピアノは強靭なテクニックで聴かせているが、もう少し柔軟性と多様な変化があってもいいと思う。
両曲とも音源はメロディアだが、独BMGが1998年にリマスタリングしたEU盤で、ノイズレスの20Bitディジタル・オーディオ・プロセッシングと記載されている。
確かに音質は想像していたよりも鮮明で、低音から高音までが破綻なくクリアーに再生される。
特にスクリャービンではオーケストラの楽器の分離が良く保たれているのが特長だ。
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2020年10月02日
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コンドラシン、モスクワ・フィルによるショスタコーヴィチ交響曲全集は本家メロディア盤が既に製造中止になっている。
法外なプレミアム価格を覚悟するか、個別売りで見つける以外にコレクションする方法がないのが残念だ。
ウラニアのリイシュー盤も再販の予定はないようで、いずれこのディスクも入手困難になるだろう。
ここに収録された3曲はいずれも当時のソヴィエト当局から睨まれたいわくつきの作品である。
大作の交響曲第4番はショスタコーヴィチ自身が初演撤回をした後、1965年にコンドラシンによって初演されているし、第9番はジダーノフ批判に曝されて汚名を着せられた。
また併録されたバス・ソロとコーラス付のカンタータ風バラード『ステンカ・ラージンの処刑』も隠された体制批判という印象を与える。
全曲音質にも恵まれたステレオ録音なので、コンドラシン・ファンには欠かせないコレクションに違いない。
今後これらのブルーレイ・オーディオ・ディスクなどの高音質盤が企画されることを期待したい。
亡命前のコンドラシンはモスクワ・フィルとショスタコーヴィチ交響曲全集を完成させた。
ムラヴィンスキーが第13番『バビ・ヤール』の初演を辞退してからは、その後の多くの作品の初演を飾った作曲家の最も良き理解者による演奏として価値の高い全集だ。
このディスクではムラヴィンスキー、レニングラード・フィルの恐るべき推進力とは異なった解釈で、ショスタコーヴィチの精緻なオーケストレーションと生々しいサウンドが忠実かつ明瞭に再現されている。
ムラヴィンスキーは反体制的な作品の演奏には消極的だったことが想像されるが、第13番では当局の検閲や初演への圧力で、目まぐるしいメンバーの交代があり、コンドラシンの全集でも歌詞を変更した改訂版での演奏を余儀なくされた。
『ステンカ・ラージンの処刑』もストーリーからすればかなり際どい内容を持っている。
逮捕されたコサックの首領ステパン・ラージン、彼はやはり反体制の象徴でもあるわけだが、その公開処刑の場面を劇的に描いた作品で、民衆は当初曳き回された彼に唾を吐きかけるが、次第にこの処刑に懐疑的になる。
秘密裡に亡命の機会を探っていたコンドラシンの下でタイトルロールを歌っているのが『バビ・ヤール』初演の筋金入りのバス歌手ヴィタリー・グロマツキーというのも決して奇遇とは言えない。
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2020年09月20日
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イタリア・ウラニアからのリニューアルされた廉価盤で、キリル・コンドラシンの演奏集が2セットほどリリースされている。
こちらはチャイコフスキー作品集で、音源は既に知られたものだがリマスタリングによって比較的聴きやすい音質で再生される。
ダニル・シャフランがチェロを弾く『ロココ風の主題によるチェロと管弦楽のための変奏曲』のみが1949年のモスクワ・ライヴで、資料的には貴重だが音質はお世辞にも良いとは言えない。
交響曲第6番『悲愴』及び幻想的序曲『ロメオとジュリエット』は1965年のセッションで、この2曲はコンドラシンによって鍛え上げられた手兵モスクワ・フィルの力量を堪能できる演奏だ。
『悲愴』は、冒頭の第1主題から早くも只ならない緊迫感を漂わせ、展開部では一転して壮絶な表現を聴かせる第1楽章、「慟哭」というほかない、まさに絞りだすような痛切さが凄い第4楽章と、両端楽章がとにかく強烈。
全体を覆う、何かに追われているような緊迫感はコンドラシンならではものだ。
ここに示されたスケールの大きさには全くこけおどしののない緊張感の持続が感じられる。
これは、ショスタコーヴィチの交響曲全集と並ぶ、亡命前の彼の最も優れたサンプルである筈だ。
『ロメオとジュリエット』も、本場のロシア流儀の演奏に西欧風のインターナショナルな味付けを加味した豪演だ。
2枚目はレオニード・コーガンをソロに迎えたヴァイオリンと管弦楽のための『憂鬱なセレナード』が聴きどころだろう。
1959年の録音ながら歴としたステレオ音源で、コンドラシン、フィルハーモニアのサポートで、甘美とは言えないがコーガン一流の硬派なロマンティシズムが怜悧な美しさを醸し出している。
最後に収録された管弦楽のための組曲ト長調は、同じくフィルハーモニアとの同年の録音だが、何故かモノラルで音質もかなり劣っている。
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フルトヴェングラーのCDなら、 フルトヴェングラー鑑賞室。
2020年06月13日
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ラテン系作曲家の作品でコンドラシンが殆んど唯一頻繁に採り上げたのがラヴェルであった。
このディスクには1971年1月4日の『スペイン奇想曲』、1980年11月30日の『ラ・ヴァルス』、1979年3月11日の左手のためのピアノ協奏曲、1978年6月17日のソロ・ヴァイオリンとオーケストラのための『ツィガーヌ』及びガーシュウィンの『パリのアメリカ人』が収録されている。
ラヴェルでは流石に滾るようなラテン気質の表出というわけにはいかないが、どちらかと言えばクールながら芯のある演奏で、新古典主義らしい形式感の中に綾模様のように織り込まれたオーケストレーションの妙味を聴かせている。
ここでのソリスト、ピアノのダニエル・ワイエンベルクとヴァイオリンのヘルマン・クレバースはどちらもオランダ人で、前者はフランス物に造詣が深いだけあってラヴェルの音楽的センス、粋なジャズのリズムや陰翳、またスペクタクルな効果を熟知した演奏が冴えている。
一方『ツィガーヌ』では著名なソリストを外部から招聘するのではなく、コンセルトヘボウの当時のコンサート・マスター、ヘルマン・クレバースを起用している。
自前のメンバーで総てのプログラムをカバーできるオーケストラの水準の高さが示されているが、この難曲を鮮やかなボウイングと豊かな表現力で弾き切るクレバースの実力も聴きどころだ。
彼は同メンバーによる唯一のセッション『シェエラザード』でも印象的なソロを披露している。
最後の『パリのアメリカ人』は言ってみればアンコール用の小品で、彼らにとっては際物だ。
コンセルトヘボウ管弦楽団はこうした砕けたレパートリーではやや乗り切れない生真面目さが常にあって、もう少し羽目を外す遊び心が欲しいところだ。
コンドラシンの纏め方もかなりスコアに律儀で、中間部のカンタービレは良く歌わせている。
例えばクラクションの音などは突出しないように抑制され、あくまでもオーケストラのサウンドの一部として扱われている。
このあたりは意見が分かれるところかも知れない。
音質はいずれも良好なステレオ・ライヴで、会場になったコンセルトヘボウの雰囲気を良く伝えている。
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2020年06月12日
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コンドラシン、コンセルトヘボウのライヴ・シリーズの7枚目になるのがショスタコーヴィチの交響曲第6番及びニールセンの交響曲第5番だ。
前者が1968年1月21日、後者が1980年11月20日のライヴ録音なので客席からの雑音が若干混入しているにしても、音質が鮮明なステレオ録音であることが幸いだ。
コンドラシンはオランダ亡命以降、本人が望まなかったにも拘らず、西側でも引く手あまたのかなりハードスケジュールでの演奏活動が開始された。
彼の最後のコンサートもコンセルトヘボウで行われたライヴだが、残念ながら1981年の急死によって、その後の企画は立ち消えになってしまった。
亡命後はリムスキー=コルサコフの『シェエラザード』の他にアルゲリッチなどと協演した協奏曲以外にはセッション録音には恵まれなかった。
それ故この8枚のライヴ集は全盛期のコンドラシンの西側での記録としても貴重な音源に違いない。
このディスクに収録されたショスタコーヴィチのライヴがあった1968年と言えば、コンドラシンが既にモスクワ・フィルとショスタコーヴィチ交響曲全集を完成すべく録音を進めていた時期の客演だ。
当然ながら彼が生涯で最も力を注ぎこんだレパートリーのひとつだ。
モスクワ・フィルとの演奏には遊びを許さない厳格な印象がある。
それに対してここでは第1楽章に聴かれる対位法の神秘的な表現や、終楽章でのコンセルトヘボウのアンサンブルの巧みさと落ち着いた音色の美しさを活かした、より柔軟な姿勢が特長だろう。
一方ニールセンでは忍び寄る戦争への漠然とした予感と、真夜中の大都会が放射状のサーチライトで照らし出されるような映像的な戦慄が感じられる。
またスネアドラムのアドリブ演奏で軍靴の響きをイメージさせる演奏もスペクタクルだが、コンドラシンの統率力はこうした新時代の交響曲の表現では俄然冴えている。
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2020年06月11日
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オランダ放送協会制作によるコンドラシン、コンセルトヘボウのライヴ集は、地元フィリップスから8枚のCDに再編集された。
このディスクには1973年2月8日のストラヴィンスキーのバレエ音楽『ペトルーシュカ』と1980年6月6日のボロディンの交響曲第2番が併録されている。
いずれもコンドラシンの得意とするスラヴ物で、中でも『ペトルーシュカ』はコンセルトヘボウのアンサンブルの力量が示された素晴らしいライヴだ。
当時のライヴ音源には客席からの拍手喝采や咳払いなどの雑音も混入していて、この録音も例外ではない。
それでもコンセルトヘボウの豊かなホールの音響と会場の雰囲気は充分捉えられている。
またオーケストラも比較的分離状態の良い鮮明なステレオ録音なので、ストラヴィンスキーの精緻なオーケストレーションをまさにライヴ感覚で体験できる。
この時期は既にハイティンクが首席を務めていたが、彼とは全く異なったレパートリーをコンセルトヘボウに持ち込んで彼らの視野を広げたのがコンドラシンだったと言えるだろう。
彼に影響を受けた楽員達との最も優れたコラボはリムスキー=コルサコフの『シェエラザード』に象徴されている。
但しセッションによるフィリップスとのレコーディングが1曲に終わってしまったのが惜しまれる。
ボロディンの交響曲第2番ロ短調もやはりコンドラシン十八番のスラヴ物で、ロシア国民楽派の情熱を鼓舞するような劇的なテーマを生き生きと開始している。
一方で第3楽章アンダンテでの『中央アジアの草原にて』を連想させるホルン・ソロが導入するスケールの大きい、如何にも大陸的な抒情表現が美しい。
終楽章では熱狂的な民族舞踏が手際よく颯爽と再現され、スラヴ人指揮者の面目躍如たるものがある。
尚このライヴは同メンバーによる『シェエラザード』にもカップリングされているので幸い入手可能だ。
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2020年06月03日
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コンドラシンのレパートリーの大半はスラヴ及びゲルマン系の作曲家の作品で占められているが、例外的にラヴェルは比較的良く採り上げた。
しかし楽式に則った交響曲を頂点とするオーケストラル・ワークが彼の本領を最も発揮できる曲種とすれば、それ以外はコンサートのプログラムとしてはあくまで際物的な存在だったと言える。
ラヴェルはここに収録された1972年11月30日のライヴ録音、バレエ音楽『ダフニスとクロエ』の他にもモスクワ・フィルとの『スペイン奇想曲』や『ラ・ヴァルス』などの音源が遺されているので、彼の数少ないラテン系作品の解釈としても貴重だ。
バレエ音楽には勿体ないほどのスケールの大きさと、森羅万象を表現する大胆な指揮が冴え渡っている。
またコーラスの表現力を一新した解釈も普段オーケストラ・ピットから聞こえてくる音量からは想像できない迫力を持っている。
アルフレード・カセッラはイタリアの作曲家で、カップリングされた『パガニニアーナ』は1979年11月17日のライヴになる。
こちらはパガニーニ流の無窮動の楽章で両端を挟まれたポロネーズのヴァリエーションとオペラ・アリア風のヴァイオリン・ソロによるロマンスの4楽章から構成されている。
こうした作品はきわものであっても、オーケストラが音楽的にも、またテクニック的にも第一級の腕を持っていないと興醒めになってしまう。
彼らの気の利いた音楽性とヴァイオリンの超絶技巧を髣髴とさせる巧みなアンサンブルによるパフォーマンスは、エンターテイナーとしても一流であることを証明している。
キリル・コンドラシンはヴァン・クライバーンが1958年にチャイコフスキー・コンクールの覇者となった時、彼の伴奏者として当時のソヴィエトの指揮者では逸早くアメリカ公演を果たしたことがきっかけで、欧米のメジャーなオーケストラとのコンタクトを持つことができた。
それは最終的にコンドラシンの西側への亡命を決意させることになるが、政治亡命の手続きに明るく、既に実績のあったコンセルトヘボウの理事長ピエト・ヘウェケメイエル氏が滞在を保証してくれたオランダに落ち着くことになり、同管弦楽団の終身指揮者にも任命された。
彼らとの共演は亡命前の1968年から始まって殆んど毎年定期コンサートに出演し、1982年からはラファエル・クーベリックの後任としてバイエルン放送交響楽団の首席指揮者就任が決まっていた。
しかしその前年に突然他界したために期待されていたその後の活動は実現しなかった。
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2020年06月02日
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フィリップスからリリースされたコンドラシン、コンセルトヘボウ管弦楽団のライヴ・シリーズはCD8枚になる。
このディスクには1975年11月29日のプロコフィエフの交響曲第3番及び1980年3月6日のショスタコーヴィチの交響曲第9番がカップリングされている。
プロコフィエフの方は、自作のオペラ『炎の天使』から多くのモチーフを組み合わせて創作された交響曲だ。
コンドラシン、コンセルトヘボウの緊張感溢れるサウンドによって感知される緊密な構成感が、この曲の剛直でパワフルなプロフィールを良く表現している。
プロコフィエフが交響曲という伝統的な器を踏襲しつつ、鮮やかな手法でそれを満たしたことは注目される。
後者に関してはモスクワ・フィルとの交響曲全集がメロディアに遺されていて、その厳格な統率力と統一感は全曲盤を鑑賞して初めて実感できるのだが、コンセルトヘボウとの音源はそれとはいくらか異なった趣き、より融通性のある柔軟な響きで、意外なほど軽妙さが執拗に再現されている。
それはコンドラシンがオーケストラの持ち味を活かすことを忘れない指揮者だったからだろう。
その点では大先輩ムラヴィンスキーとは対照的だ。
それはまたこの作品の性質によるものかも知れない。
ソヴィエト当局は第2次世界大戦の勝利を誇示するモニュメンタルな交響曲を望んでいたが、ショスタコーヴィチはその期待を見事に裏切った。
というより彼には政権の意向に沿った作品を書くことは当初から念頭になかったかのように思われる。
第1楽章はおもちゃの兵隊のマーチさながらで、それほど盛り上がらない終楽章は当局にとっておちょくりとしか映らなかっただろう。
早速ジダーノフ批判に曝されてこの交響曲はお蔵入りになってしまう。
しかしその事実は、芸術家は時の政権の下僕にはなり得ないことを端的に示すことにもなり、亡命後のコンドラシンが母国ソヴィエトとの関係を揶揄するようなところにも面白みがあるのではないだろうか。
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2020年05月30日
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コンドラシンは修行時代に劇場指揮者としてのキャリアを積んだので、オペラやバレエなどの舞台用作品には百戦錬磨の手腕を持っていたが、モスクワ・フィルに移って初めて彼の本領が発揮されるオーケストラル・ワークへの研鑽の機会を掴んだと言えるだろう。
ディスコグラフィーを見る限り、彼のベートーヴェンの交響曲はここに収録された第3番『英雄』と第4番及び第8番の3曲しか見当たらない。
しかしここでは大曲としての構造を完全に掌握した明晰な解釈と堂々たる風格を備えた演奏は、ベートーヴェン指揮者としても第一級の腕を持っていたことを証明している。
第1楽章の颯爽とした開始と緻密なオーケストレーションの再現からも、彼の充実した音楽的構想を聴き取ることができる。
また対照的で劇的な変化が印象に残る第2楽章『葬送』は、通常比較的快速で進めるコンドラシンには珍しく15分ほどかけた、じっくりと構えたアプローチが特筆される。
ちなみに全楽章の演奏時間は約50分に及んでいる。
スケルツォのトリオでは特にホルンに聴かれる特徴だが、終楽章でも古色蒼然としたコンセルトヘボウの音色が生かされて、深みのあるスケールの大きなフィナーレを飾っている。
彼らが古い伝統を引っ提げたプライドの高い名門オーケストラだけに、この共演でもアンサンブルの安定感と共に気品を備えた拡張の高さが面目躍如だ。
コンドラシンがコンセルトヘボウ管弦楽団を振った一連のライヴは、当時オランダ国営放送協会によって録音され、音源の権利をフィリップスが買い取って当初9枚のLPでリリースされた後、8枚のCDにリカップリングして再発になったが、残念ながら現在総てが廃盤になっている。
いずれも客席からの雑音が若干混入しているが、音質の良好なステレオ録音なので是非グレードアップしたセットで復活して欲しいシリーズだ。
ちなみにこれらとは別に仏ターラから同メンバーによる3枚のCDが入手可能で、音源も幸い前者とだぶりがない。
尚このベートーヴェンの交響曲第3番『英雄』は、1979年3月11日に彼らの本拠地アムステルダム・コンセルトヘボウで行われたコンサートからのライヴで、コンドラシンが西側で遺した2曲しかないベートーヴェンの交響曲のレコーディングだ。
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2020年05月29日
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前回紹介したプレミア価格で販売されている同じフィリップスのライヴ集で出ているブラームスの交響曲第1番と並ぶ堂々たる演奏だ。
曲想が持つアピール性からすれば前者が圧倒的だが、ここではむしろ充実した音楽性と深みがコンドラシンが創り上げる泰然とした音響の中に表現されている。
それはブラームスが交響曲作家として世に出るための野心作として苦心した第1番に対して、その成功後の安堵とより熟達した作法を示した第2番の違いでもあるだろう。
しかしコンドラシンの作品に対するアプローチは常に明瞭で、地道にスコアを読み込んだ丁寧な仕上げと一貫して失われることのない情熱が感じられる。
また緩徐楽章でも安易な抒情に堕さない緊張感の持続と練り上げられたアンサンブルにコンセルトヘボウ管弦楽団の伝統の重みと音楽性の豊かさが溢れている。
指揮者自身の個性の強調とは縁のない演奏だが、それだけに重厚な終楽章アレグロ・コン・スピリトを聴き終えた時、鑑賞の充実感がひときわ高まる普遍的な解釈に特徴がある。
1975年11月29日のライヴ録音。
カップリングされたシベリウスの交響曲第5番は1976年11月21日のライヴである。
この作品には文学的テーマこそ付けられていないが、森羅万象の変化や北欧の神秘的な大自然の営みを髣髴とさせる作法は明らかに標題音楽の手法で、このジャンルでもコンドラシンは幅広い表現力を披露している。
彼は若い頃ボリショイ劇場で研鑽を積んだ指揮者なので、描写に懲り過ぎると安っぽい音楽に陥り易いことも熟知していた筈だ。
ここではあくまでも交響曲としての構造に注目して主題とその展開など作曲上の技法を感知させる絶対音楽との高踏的バランスが絶妙に保たれている。
第3楽章の清冽なせせらぎや慈雨をイメージさせるパッセージが次第に怒涛のように発展して総奏に至るクライマックスは聴く者に幸福感を与えてくれる。
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2020年05月27日
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ブラームスの交響曲第1番は1980年2月29日、カップリングされたメンデルスゾーンの交響曲第4番『イタリア』が1979年11月17日のそれぞれアムステルダムにおけるライヴ録音。
当時のコンドラシンとコンセルトヘボウ管弦楽団の強い絆を髣髴とさせる気迫に満ちた演奏だが、どちらも熱演というよりむしろ様式に則った堅実な解釈が聴きどころだろう。
ブラームス冒頭のティンパニの連打も抑制され、ひとつの楽章を突出させることなく全体の均整をとるサウンドがかえって荘重な音楽を醸し出している。
第2楽章でのヴァイオリン・ソロはコンサート・マスターのヘルマン・クレバースで、同メンバーによる『シェエラザード』同様ここでも高貴な抒情を湛えた奏法が美しい。
終楽章も上に流されることなく、堅牢な古典的形式感が保たれたスタイリッシュな安定感がある。
メンデルスゾーンでも血気にはやる演奏ではなく、いくらかクールでコンセルトヘボウのアンサンブルの確実さと作品の起承転結をわきまえた再現が特徴的だ。
第2楽章アンダンテのカンタービレも他の楽章との調和を考慮した表現だし、終楽章サルタレッロでも疾走することなくコントラストを聴かせる頭脳的な采配が如何にもコンドラシンらしい。
キリル・コンドラシン(1914-1981)はオランダ亡命以前からコンセルトヘボウ管弦楽団に頻繁に客演していた。
この一連のライヴ録音は当時の国営オランダ放送協会NOS及び民間下請け業者NOBが共同制作した音源で、地元フィリップスがリリースした9枚のLPを90年代に8枚のCDに再編集したものだ。
しかしフィリップス・レーベル消滅後版権の問題からか残念ながら総て製造中止の憂き目に遭っている。
そのため購入にはプレミアム価格を覚悟しなければならない。
演奏の充実度からしても是非復活を望みたいシリーズだ。客席がオーケストラの背後にも設置されているコンセルトヘボウの会場の弱点で、時として客席からの咳払いがダイレクトに捉えられているが、音質は充分鮮明で鑑賞に不都合はない。
尚この8枚に収録されなかった同メンバーによる更にCD3枚分の音源は仏ターラ・レーベルから現在でも入手可能だ。
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2020年03月08日
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キリル・コンドラシンがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したオーケストラル・ワークは、ライヴ録音でフィリップスからの8枚とターラ・レーベル3枚の都合CD11枚分が残されている。
それらは結果的に両者の緊密なコラボの集大成となって、それぞれのコンサートが彼らの実力を示して余りあるものだ。
しかしセッション録音となるとここに収録された1979年のリムスキー=コルサコフの『シェエラザード』が唯一になる。
地元オランダでのコンドラシンのレコード制作販売が商業ベースに乗る前に彼が亡くなってしまったからだろう。
カップリングされたボロディンの交響曲第2番は1980年6月のライヴで、フィリップスからリリースされた8枚のライヴ集から同音源が使われている。
録音状態はフィリップスが誇った切れの良い音質で、俄然この『シェエラザード』が優っている。
さながらオリエントへの神秘な旅といった印象が強く残る演奏で、荘重な開始と共にエキゾチックな曲想が優雅にきめ細かく再現され、全体としてスケールの大きなドラマに発展させているのは流石だ。
冒頭と各楽章の始まりにヴァリエーションで繰り返されるヴァイオリンのテーマはコンサート・マスター、ヘルマン・クレバースのソロだが、繊細でいくらか冷やかな音色がかえってこの作品に特有の夢幻性を開いていて秀逸だ。
また曲中至るところに現れるフルート、オーボエ、クラリネットやファゴットなどの華麗なソロは当時のコンセルトヘボウの首席奏者達の水準の高さとアンサンブルの巧妙さを示している。
これは歴史的録音の名に恥じない名盤としてお薦めしたい。
一方ボロディンは客席からの咳払いや拍手等が混入したライヴなので、その点割り引いて鑑賞しなければならないが、音質自体はホールの響きを良く捉えた良好なものだ。
こちらもコンドラシンが最も手中に収めたスラヴ物だけあって、ロシア国民楽派の意気込みを象徴するような劇的な開始が特徴的だ。
また第3楽章アンダンテの『中央アジアの平原にて』をイメージさせるホルン・ソロの導入による如何にも大陸的な抒情表現が美しいし、終楽章の熱狂的な民族舞踏にもコンドラシンのスラヴ魂が感じられる。
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2019年09月30日
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バイエルン放送交響楽団創立60周年記念企画でリリースされた自主制作による一連のCDシリーズの1枚。
収録されたリムスキー=コルサコフの序曲『ロシアの復活祭』とフランクの交響曲ニ短調は1980年2月7日及び翌8日のミュンヘン・ヘラクレスザールでのライヴ録音になる。
コンドラシンはその後クーベリックの後を継いでバイエルンの首席指揮者就任が決まっていたが、この客演の僅か1年後に急逝(67歳)したため、期待されていた彼らのコラボは立ち消えになった。
遺された音源はディスコグラフィーを見る限りこのディスクに収録された2曲とショスタコーヴィチの交響曲第13番『バビ・ヤール』のみだ。
ここでは彼の精緻かつ渾身の指揮に総力を挙げて呼応するオーケストラが素晴らしく、また客席からの雑音も殆んど皆無の鮮明な音質で鑑賞できる貴重盤だ。
リムスキー=コルサコフはお国物でもあり、コンドラシンのフィリップスとの唯一のセッション録音『シェエラザード』と共に彼の有無を言わせないほどの説得力が全オーケストラを通じて伝わってくる。
この作品の正式名称は『ロシア正教会聖歌のテーマに基く大オーケストラのための復活祭序曲』で、彼らしいエキゾチックなハーモニーに彩られたオーケストレーションに支えられて聖歌の旋律が自在に展開される。
しかしコンドラシンの解釈は華やかさを狙ったものではなく誠実なスコアの再現を試みたと言えるだろう。
一方彼のスラヴ、ゲルマン系以外のレパートリーはそれほど多くないが、コンサートで好んで採り上げたのがフランクの交響曲で、コンセルトヘボウ管弦楽団ともライヴ録音を遺している。
フランクの交響曲に旧ソ連の指揮者とドイツのオーケストラとは、一見ミスマッチのように思われるかも知れないが、とんでもない。
むしろ西側に出てはじめて本来のキャラクターを生かすことのできたコンドラシンの、最も優れた遺産のひとつだと筆者は思う。
この演奏にはおよそ野暮ったいところがなく、澄んだ叙情がくっきりと全曲を貫いているし、オーケストラの響きも美しい。
この作品は音楽構成と様式で聴かせないと軽佻浮薄でこけおどし的な音楽に陥り易いが、コンドラシンが得意とした曲だけに全楽章を見据えた堅実なオーガナイズと弦楽、ウィンド、ブラス・セクションのバランスが絶妙で、堂々と聳える大伽藍のような印象を受ける。
第3楽章のどこまでも自然な流れが、やがて大きく波打つようにクライマックスに登り詰めてゆく呼吸はとりわけ見事だ。
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2019年08月22日
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キリル・コンドラシンが手兵コンセルトヘボウ管弦楽団を振った音源は、オランダ国立放送協会による8枚分とは別に仏ターラから3枚がリリースされていて、最近リマスタリングされてリイシューになったので幸い入手可能だ。
これらは日本人をターゲットにしているようで、簡易ながら日本語によるライナー・ノーツが付いているのは親切な配慮だ。
このディスクに収録された2曲はフランクの交響曲及びベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』からの抜粋で、1977年及び1974年のそれぞれコンセルトヘボウでのコンサート・ライヴになる。
尚前者にはバイエルン放送交響楽団との1980年の放送用録音がある。
音質はこの時代のライヴ録音としては良好で、オーケストラとホールの響きがかなり鮮明に捉えられているが、客席からの咳払いや雑音がいくらか煩わしい。
フランクはドラマティックな表現を前面に出そうとするとこけ脅しに聞こえ、整然とした形式や作品の深みが伝わらない。
重心を低く保つコンドラシンの指揮は流石にオルガンのような威厳と多彩な音色の変化の中に堂々たる循環形式を描き出している。
名門コンセルトヘボウの音色は、それほど派手でもきらびやかでもないが、こうした音楽には独特の重厚さが滲み出ていて伝統の重みを感じさせずにはおかない。
作品の本質を掴んだ数少ないサンプルとして価値の高い演奏だが、3年後のバイエルンとの共演の方がコンドラシンのより徹底した哲学が示されていると思う。
ベルリオーズは交響曲の体裁で作曲されているが実際にはシェークスピアの同名の戯曲からインスピレーションを得たグランド・オペラ演奏会形式の言ってみればカンタータのような内容を持っている。
ここではソロやコーラスの加わる部分を除いて前半の3部を抜粋し、演奏効果を考慮して曲順を入れ替えてあるが、作曲家の巧妙なオーケストレーションを活かした抒情性の表現が美しい。
衣擦れのようなシックで温かみのある弦楽の静謐さから、ポロネーズの華麗なバレエ・シーンを髣髴とさせる『キャピュレット家の饗宴』までが映像のように展開する。
ボリショイ劇場でオペラ指揮者としてキャリアを積んだコンドラシンの手腕が面目躍如のレパートリーのひとつだが、彼が西側に亡命してからオペラ全曲盤を遺さなかったのが惜しまれる。
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2019年08月02日
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旧ソヴィエトから西側に亡命したアーティストの中でも、アシュケナージは若干26歳で早くも祖国に留まることに音楽家としての限界を感じて英国に亡命を果たした。
そこには彼の已むに已まれない東側への絶望感と、堰を切ったように噴出した新天地への大いなる希望があったに違いない。
このCDに収録された2曲のラフマニノフの協奏曲は奇しくも彼の亡命の年、1963年に録音されている。
第2番は亡命直前の3月、そして第3番はその直後9月及び10月のそれぞれがセッション録音になる。
前者はキリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、後者はアナトール・フィストゥラーリ指揮ロンドン交響楽団のサポートだが、若きアシュケナージのピアノ演奏をしっかりと下支えするとともに、両曲の有するロシア風のメランコリックな抒情を情感豊かに表現しているのが素晴らしい。
後にコンドラシンもオランダに亡命することになるのは偶然だろうか。
何よりもラフマニノフ自身が亡命者だったことも皮肉な事実だ。
作曲家が生涯拭い去ることができなかった憂愁とロマン派の残照を執拗なまでに引き摺った曲想は時代遅れの謗りを免れないが、彼は最高度に洗練されたピアニズムでロマン派の末尾を飾ったとも言える。
近代的なピアノ技法と力強いダイナミズム、さらには豊かな抒情性をも配したラフマニノフの傑作協奏曲を、アシュケナージは若々しい情熱と卓越したテクニックをもって、その音楽的魅力を余すところなく表現し尽くしている。
アシュケナージの演奏には流石に若い頃の磐石なテクニックが縦横無尽に発揮されているが、かと言って決して全面的な名技主義に走ったものではない。
華麗であってもそれを支えるモチベーションの高さが感じられ、迸るような音楽性に溢れていてムード音楽的な雰囲気とはきっぱり決別した高踏派の音楽が聴こえてくる。
チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、飛ぶ鳥落とす勢いであったアシュケナージの好調ぶりを窺い知ることが可能な演奏とも言えるところであり、そのなりふり構わぬ音楽の進め方には、後年の円熟のアシュケナージには考えられないような、凄まじいまでの迫力を感じさせる。
第3番のカデンツァの選択にも彼の作品への注意深い洞察が表れている。
音質については音源の古さのわりには幸い良好なサウンドが再生される。
おそらくこれまでにリリースされた同音源のディスクの中では最も澄んだ音質とピアノの潤沢な音色が鑑賞できるのはブルーレイ・オーディオだろう。
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2019年06月11日
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キリル・コンドラシンがコンセルトヘボウ管弦楽団を振ったCD3枚分のライヴ録音集のターラ盤の1枚。
1979年3月1日のシベリウスの交響曲第2番ニ長調及び翌80年11月20日のシューベルトの劇付随音楽『ロザムンデ』から序曲、間奏曲第3番、バレエ音楽第2番を収録している。
当時の彼はまだフィリップスとの継続的な契約に至っていなかったため、遺された音源はコンセルトヘボウとのセッション録音が僅かに1曲、客演時代のライヴを合わせてもCD11枚分に過ぎないが、コンドラシンの典型的な演奏を堪能することができる上に、音質にも恵まれている。
いずれもテンポ設定は比較的速めだが、細密画のように精妙に仕上げた色彩感とオーケストラの重心の低さが、それぞれの作品の音楽美学を手に取るように再現されている。
このライヴもオーケストラの名門コンセルトヘボウの力量を示す充実したサウンドと、コンドラシンによって導かれる絶妙なダイナミズムの変化が聴きどころだ。
ウィンド・セクションの音色が意外に渋いが、アンサンブルの精緻さではヨーロッパでもトップクラスの余裕と貫禄をみせている。
シベリウスでは決して情熱が自由に迸り出るような即興的な演奏ではないが、輪郭のすっきりした造形美がオーケストレーションの立体的な音像を聴かせている。
勿論フィンランドの民族音楽も垣間見ることができるが、それはあくまでもシベリウスの作法のエレメントとしてだろう。
そこにはコンドラシン一流のスコアへの怜悧な読み込みと構成美が感じられ、またシベリウスが交響詩のジャンルで開拓したような映像的でスペクタクルな効果にも不足していない。
終楽章の後半で徐々にクレッシェンドを重ねて緊張感を高めていくクライマックスも感情的ではなく音楽の必然性を感じさせる。
ちなみに同メンバーのシベリウスは第5番のライヴも残されているが、現在このフィリップス盤は入手困難になっている。
シューベルトの『ロザムンデ』の序曲は劇付随音楽としてはむしろ立派過ぎるくらいのシンフォニックなスケール感の中に描かれていて、さながらシューベルトの交響曲の一楽章のようだ。
また名高い間奏曲に聴かれるあざとくないシンプルな抒情の表出も効果的だ。
6曲のうち3曲のみの抜粋版だが一聴の価値はある。
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2019年06月06日
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キリル・コンドラシン(1914-1981)が晩年にコンセルトヘボウ管弦楽団と演奏したアムステルダム・ライヴ音源がターラ・レーベルから3枚のCDで個別にリリースされているが、いずれも客席からの咳払いが聞こえる以外録音状態は極めて良好で、音質に恵まれたステレオ録音になる。
このディスクは昨年リマスタリングされジャケットのデザインを一新したリイシュー盤で、1979年11月29日のコンサートからマーラーの交響曲第7番が収録されている。
ライナー・ノーツにはコンドラシンと楽曲についての簡易な日本語による解説が掲載されている。
ちなみにこのシリーズはフランクの交響曲とベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』抜粋1枚、シベリウスの交響曲第2番及びシューベルトの劇付随音楽『ロザムンデ』よりの1枚で完結している。
モスクワ生まれのコンドラシンは1978年にオランダに亡命し、コンセルトヘボウ管弦楽団の常任指揮者として西側での目覚しい音楽活動を開始した。
旧ソヴィエト時代から既にショスタコーヴィチの交響曲全集とマーラーの交響曲選集をメロディアにレコーディングしている。
奇しくも彼の最後のコンサートがやはりマーラーの交響曲第1番で、マーラーがコンドラシンにとって極めて重要なレパートリーだったことが証明されている。
第7番は5楽章構成の大曲だが、かろうじて第1楽章が調性の変化が曖昧なソナタ形式の名残りを残している。
第2楽章と第4楽章にナハトムジークの表示がある以外には楽章間の繋がりが稀薄な上に、交響詩のようなストーリー性も欠いているため、凡庸な演奏ではとりとめもない散漫な印象を与えかねない。
コンドラシンは比較的速めのテンポ設定で緊張感を逸することなく、テノール・ホルンやギター、マンドリン、カウベルなど通常のオーケストラでは使われない楽器にも雄弁に語らせる色彩感覚にも優れた手腕を示している。
そこにはダイナミズムの絶妙なバランスも窺わせている。
至るところに現れるヴァイオリン、ウィンド、ブラス及びパーカッション・セクションのソロの部分ではコンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者達の面目躍如で、そのサウンドは決して派手ではないにしても伝統の重みと余裕を感じさせているのは流石だ。
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2019年05月12日
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キリル・コンドラシンはショスタコーヴィチの交響曲第13番『バビ・ヤール』を生涯に5回録音しているので、このライヴが最後のものになる。
1962年の初演時には降板したムラヴィンスキーに替わってその重責を果たして大成功を勝ち得たのだが、それ以降ショスタコーヴィチの作品の最良の理解者として交響曲全集を始めとするオーケストラル・ワークやオラトリオの名演を遺してくれた。
ちょうどコンドラシンが『バビ・ヤール』を初演してから18年後となる1980年12月18&19日のバイエルン放送交響楽団との伝説的なライヴは、偶然と言われているが、全く同日の18年後であるこの演奏は翌年3月にアムステルダムで急逝したコンドラシンの遺言とも言うべき録音であり、『バビ・ヤール』の西側での録音としては、未だ並ぶものがないほどの超絶的な名盤である。
原作になるエフトゥシェンコの詩『バビ・ヤール』には旧ソヴィエト体制化のユダヤ人迫害を仄めかす部分が当局の検閲にかかって、初演の前から演奏家にも圧力が加えられ、ソロを歌うバス歌手も降板が相次いだといういわくつきの作品だ。
初演と2日後の再演はオリジナル版で演奏されたが、それ以降は歌詞を変えない限り上演禁止という措置が強制された。
実際メロディアからリリースされたコンドラシンのショスタコーヴィチ交響曲全集には改訂版が収録されているが、このディスクは幸い初演時に戻されたスコアが採用されている。
初演時のエフトゥシェンコの歌詞は、後のメロディアへの録音時には改訂版の使用を余儀なくされたため、ここで使用されているオリジナルの歌詞による演奏は一層価値がある。
この演奏は5種類の中ではライヴながら最も音質に恵まれ、ショスタコーヴィチによって緻密に仕上げられたオーケストレーションを細部まで聴き取ることが可能だ。
コンドラシンに率いられたバイエルン放送交響楽団も非常に精緻かつドラマティックで、一朝一夕のやっつけ仕事でないことは明らかだ。
彼はどのオーケストラとも徹底的に稽古をする指揮者としても知られていたが、そうした音楽的な厳しさもひしひしと感じられる。
またソロを歌う英国のバス歌手ジョン・シャーリー=カークとコーラスもロシア語に挑戦した原語上演であることも好ましい。
1962年ののっぴきならない逼迫した緊張感には及ばないとしても、作曲家の意志を貫いた鮮烈でスペクタクルな再現であることに違いない。
重々しく始まる冒頭から一貫してコンドラシンの強い主張と一種独特なテンションが持続されており、聴く者の心を鷲掴みにせずにはおかない驚異的な演奏だ。
ライナー・ノーツにはアルファベット表記のロシア語に日本語対訳が掲載されている。
尚リリース元のタワーレコードからはこのレギュラー・フォーマット盤の他にSACDバージョンでも入手可能だ。
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2019年04月10日
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ロシアを代表する巨匠指揮者コンドラシンが1981年に南西ドイツ放送交響楽団を指揮してマーラーの交響曲第6番『悲劇的』を演奏したアルバムは、彼が世を去る2ヶ月ほど前にバーデン=バーデンで行われたライヴの模様を収録したものである。
コンドラシンは旧ソヴィエトのオーケストラとマーラーの第2番及び第8番を除く交響曲集を録音しているが、当時の西側に活動の本拠地を移してからも、機会に応じて頻繁にマーラーを採り上げている。
このディスクは2011年にリリースされたCDのライナー・ノーツの表紙を一新したリイシュー盤で、1981年に制作された放送用音源だったためか、音質では78年のレニングラード・フィルとの録音よりはるかに優っている。
レニングラード・フィル盤も極めて緊張感に満ちた迫真の内容を聴かせていたたが、この南西ドイツ放送交響楽団盤は、前回との比較では、全曲で2分半ほど演奏時間が拡大した結果、細部のより克明な表現が印象的な仕上がりとなっている。
手元にあったハイティンク、コンセルトヘボウ、クーベリック、バイエルン放送交響楽団及びアバド、ベルリン・フィル盤と聴き比べてみたが、コンドラシンが一切の弛緩を許さない、恐るべき緊張感の中に音楽の必然性を感じさせて卓越している。
クーベリックも激情的な演奏だが、オーケストラのやや強引な牽引という印象を否めない。
勿論アバドの極彩色で華麗な音像絵巻のように仕上げた、巨大なスケールのベルリン・フィルの演奏もマーラーの壮大な音楽的構想を映し出していて素晴らしい。
演奏時間をみてもコンドラシンが最も短く、全曲を通して68分ほどだが、第1楽章から立ち上がりの凄まじさを聴かせながら、終楽章は他の指揮者を圧倒して25分と破格に速い。
また多くの指揮者はスケルツォを第3楽章に入れ替えて第4楽章との相乗効果を狙うが、彼はクーベリックと同様に緩徐楽章アンダンテを第3楽章に置いて、フィナーレとの対比を図っている。
アンダンテはマーラー特有の半音階を使った詠嘆調のメロディーが同時期に作曲した『亡き子を偲ぶ歌』の死生観と相通じていることを感知させるが、ここでのコンドラシンは緊張感を保ちながら比較的落ち着いて歌わせている。
この作品のオーケストレーションではシロフォン、銅鑼、ベル、カウベル、ハンマーやスレイベルなどおよそありとあらゆる打楽器を取り入れた多彩なパーカッション群のサウンドも、殆んど狂気と紙一重のマーラーの精神状態を反映していて興味深い。
特に終楽章で波状的に現れる、荒れ狂う疾風怒濤のような曲想では、コンドラシンは南西ドイツ放送交響楽団の機動力をフルに活用して、全く破綻のないクライマックスを築き上げている。
1981年3月7日、コンドラシンは急遽テンシュテットの代役として、アムステルダムのコンセルトヘボウでハンブルク北ドイツ放送交響楽団を指揮し、マーラーの交響曲第1番を演奏したのを最後に、演奏会終了後に心臓発作を起こして帰らぬ人となってしまったが、最後の演奏会のプログラムが他ならぬマーラーであったというのも、この名匠のなんとも象徴的な最期としてあまりに有名だ。
かつては演奏機会も限られていたマーラーの音楽がポスト・スターリン時代になってようやく一般的になり始めたばかりの旧ソビエトで、マーラー受容を牽引する役割を担った第一人者がコンドラシンであった。
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2017年11月16日
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旧ソヴィエトからの亡命指揮者キリル・コンドラシンのオーケストラル・ワークはメロディア・レーベル以外にも西側でのRCAやデッカに貴重な音源が遺されている。
指揮者としてはまだこれからという時期に67歳で突然死した彼の死因についてはソヴィエト当局がらみの暗殺説もあるようだが、それまでの精力的な演奏活動の中には決定的な名演も少なからず存在する。
この9枚は過去にリリースされた複数のレーベルへのセッション、ライヴからピックアップされ、スラヴ物は勿論ラテン系、ゲルマン系の作品への優れた解釈を俯瞰することができる殆んど唯一のセットだ。
ただし彼にとって最も重要なショスタコーヴィチが組み込まれていないので交響曲全集についてはヴェネツィア・レーベルの12枚組が必聴盤だろう。
ここでもオーケストラを厳格かつ精妙に扱いながら表出する深い抒情を湛えたリリシズムや漲る高揚感にはコンドラシンならではの手法が横溢していて、ファンであれば聴き逃せないレパートリーがまとめられている。
CD1のラヴェルやドビュッシーでは精緻だがいくらか雰囲気が厳し過ぎて、フランスの音楽特有の遊び心がもう少し欲しいところだが、CD2の2種類のラロのスペイン交響曲では非常に均整のとれた構成感が感じられる。
またトラック1から4の演奏はソリストにコーガンを、CD1のフランクの交響詩『鬼神』ではリヒテルを迎えていて、彼らの貴重な協演も聴きどころだ。
コンドラシンの得意としたミャスコフスキー、カセッラやシチェドリンなどの20世紀の作品も少なからず収録されている。
その中でもモノラルながらカセッラには彼の先鋭的な感性が反映されているし、プロコフィエフの『古典』は機知に富んだ快活さがひときわ心地良い。
CD6はRCAリヴィング・ステレオの1枚としてリリースされたものだけに、1958年のセッションだが鮮明なステレオ録音で、スラヴ系作曲家達の才気煥発のアルバムになっている。
リムスキー=コルサコフの『スペイン奇想曲』フィナーレでRCAヴィクター交響楽団のブラス・セクションを極限まで咆哮させる迫力もアメリカのオーケストラの面目躍如だ。
最後のラフマニノフはスペクタクルな表現にも見事な手腕をみせたコンドラシンの指揮者としての多彩さを示している。
例によってヴェニアスのボックス・セットにはライナー・ノーツもなければ、MADE IN EUの表記の他にはリリース元のサイトや住所も書かれていない。
しかし実際にはヨーロッパ市場には全く出回っていない商品なので日本人向けのレーベルであることが想像される。
特に新しいリマスタリングの表示はなくモノラル、ステレオが混在していてボリューム・レベルも録音によってかなりの差があることは否めないが、音質は良好で興味深い企画とコストパフォーマンス的にもリーズナブルなのが嬉しい。
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2015年01月22日
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世界初のショスタコーヴィチ交響曲全集である。
ハイティンクの全集には、ロシア訛りがなくて物足りない、という人には、最適の全集であろう。
もっとも、コンドラシンの演奏は、ロシア臭だけが売り物のローカルなものでなく、いずれも非常な熱演で、純音楽的にも高い水準である。
全集完成に13年を費やしているため、演奏や録音に多少のムラはあるが、1人の指揮者が同じ楽団で、1人の作曲家の生涯の仕事を追うのは意義深いことだし、コンドラシンが、楽曲を端正・率直に表出して、豊かな音楽を歌い出す指揮者であることも適任だったと言える。
コンドラシンといえば、ショスタコーヴィチ交響曲の2つの問題作、すなわちオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」などに対して始まった当局の批判をかわすために作曲者自らが上演を取りやめた「第4」、ユダヤ人迫害というソ連政府にとって蓋をしておきたい問題提起にムラヴィンスキーが初演指揮を辞退した「第13」の気骨ある初演指揮者として、作曲者と深い心の絆で結ばれていた。
だから、と言えばこじつけのように聞こえるかもしれないが、この2曲に関して、コンドラシンの録音を無視するわけにはいかない。
「第4」は、歴史的な初演直後の録音であるが、それにしても素晴らしい作品だ。
大衆性とは無縁ながら、インスピレーションの豊富さ、斬新さ、奇抜さという点では、次作「第5」をも遥かに上回る。
終楽章の後半、ドロドロと轟くティンパニに続くトランペットの強烈な不協和音では、一瞬、地球が軌道から外れたような衝撃が走る。
コンドラシンはそうした常識で計れない作品の魅力を深部で捉え、見事に音にしており、これ以外の表現が考えられないほど的確な構築の名演だ。
有り余るエネルギーを内に湛えつつ、抑制された語り口に始まりながら、徐々に熱を帯びてくる恐ろしさ、時折、顔をのぞかせる狂気など、一級の演奏芸術作品となっているのである。
余談ながら、ムラヴィンスキーが「《第5》以前の交響曲は指揮しない」として、この傑作を無視し続けたことは、まことに残念だ。
「第13」は、1968年の録音だが、初演者としての自信と使命感に裏打ちされた立派な演奏だ。
凍てつく大地をも揺るがすようなエイゼンの独唱とコーラスは、まさにロシアの男声はかくあるべし、と思わせる。
スタジオ録音とは思えないほど緊張感の持続した演奏であるが、音質がいまひとつなのは惜しまれる。
「第8」の凄絶さも群を抜いているが、ムラヴィンスキーにだけは敵わないようだ。
残る13曲も水準を超える演奏である。
オーケストラの耳を突き刺す大音響が、ときに煙幕となって作品の理知的なフォルムを曇らせてしまうこともあるけれど。
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2013年07月13日
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最近では、SACDとSHM−CDを組み合わせた盤が登場したことから、やや影が薄くなった面もあるが、従来CDということになれば、やはり、このXRCDとSHM−CDを組み合わせたCDがダントツの高音質と言えるだろう。
本盤については、数年前にXRCD盤が出ており、それも高音質であったが、鮮明さや音場の広がりにおいて、本盤の方に一日の長があると言える。
1950年代後半という、ステレオ録音初期の音源を、これほどまでに鮮明に再現されるのには大変驚かされた。
マスターテープの保存状態もかなり良かったものと拝察されるが、この時代の後のCDでも、音質の劣悪なものが出回っているのを見るにつけ、それらのCDも、マスターテープに遡ったリマスタリングを実施して欲しいと願う聴き手は筆者だけではあるまい。
演奏も、超をいくつも付けたくなるような名演だ。
コンドラシンの覇気のある骨太の演奏は選曲のマッチングと相俟って、楽しいアルバムを生み出している。
コンドラシンが、ソヴィエト連邦の国外ではいまだ無名の時代のものであるが、後年の発展を予感させるに十分な圧倒的な指揮ぶりと言えるだろう。
両曲ともに、曲想が目まぐるしく変化するが、各場面毎の描き分けも見事で、終結部に向けての猛烈なアッチェレランドの激しさは、スタジオ録音とはとても思えないほどだ。
最新録音に優るとも劣らない驚異の音質で、まさに時空を越えて蘇った不滅の名演・名盤と言えよう。
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2010年06月25日
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コンクールには賛否両論があるが、才能発掘の点で成果をあげたのは事実。
この名盤もコンクール直後に生まれた。
アメリカのクライバーンなる無名の青年がソ連が推す名うての若手演奏家を出しぬき、それもロシア人の心の調べともいうべきチャイコフスキーの《ピアノ協奏曲》を弾いて、第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝してしまったのである。
今から思えば政治色が審査に反映されなかったことは奇跡のような気もするが、その凱旋公演と同時期に収録されたこのチャイコフスキーに一貫しているのは溌剌とした太陽のような輝きである。
それはただ単に辣腕の名手が聴かせるドラマティックで、エネルギッシュな熱演というだけではない。
抒情的な詩的フレーズにも太陽の恵みを受けたかのような誇らしい高揚感があり、それが聴き手をどこか晴れやかな幸福感に誘ってしまうという稀に見る演奏になっている。
停滞せず常に前に駒を進めていく演奏、しかもそこには即興性があり、それが演奏をさらにスリリングで、緊迫感あふれるものにしていく。
それでいて決して不自然でも作為的でもない、聴き手を紛れもなくチャイコフスキーの世界へと誘い、陶酔させていく奇跡的名演なのである。
ロシア人指揮者コンドラシン(1914-81)はフルシチョフの特別のはからいでアメリカ行きが許されたというが、楽天的開放感に傾きがちの若きピアニストの手綱をしっかりと引き締め、きわめて密度濃い演奏を作り出している。
指揮者の貢献度も大きかったのである。
一方、ラフマニノフも、誠実で屈託のない表現が魅力的な演奏で、憂愁よりも、フレッシュなセンスが表に立った名演。
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2009年01月05日
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1981年3月7日に急逝したコンドラシンとアルゲリッチの唯一の共演盤。
アルゲリッチがコンドラシンと共演したライヴ録音は、アルゲリッチの奔放な情熱が存分に発散された熱っぽい演奏であり、そのライヴならではの生々しい雰囲気と緊張感にあふれた演奏が聴き手を圧倒する。
速めのテンポをとりながら、女性とは思えないような、たくましく力強い表現をおこなっていて、アルゲリッチの即興的な芸風がいっそう鮮明に表れている。
アルゲリッチのピアノは、たんにライヴだからということだけでなく、多彩な表現力をもっており、その生々しいまでの感性の冴えはなんとも素晴らしく、力強さの点でも不足はない。
その閃きに満ちたピアニズムが、聴き手を巻き込んでしまう。
第1楽章序奏部は硬質のタッチが音楽にぴったりで、和音の鳴らし方も素晴らしいが、まことに表現が多彩で、一見気分のままに流れているようにみえて、実はスコアの意味をよく知りつくしている。
第3楽章も目のくらむような表現で、曲の終結では最高のスピード感で全体をしめくくる。
アルゲリッチの持ち味が強く前面に押し出された熱演のひとつである。
コンドラシンの指揮はどっしりとしていて力感あふれるもので、いきり立たず、しっかりとアルゲリッチを支えているところがよく、しかも壮大で力があり、切れもよく申し分ない。
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