ミトロプーロス

2019年10月01日


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ニューヨーク・フィルが放送録音を集め、自主製作盤で出したマーラーの交響曲全集が、1998年秋、日本に入ってきた時は、思わず色めき立った。

NYPではマーラー自身が指揮台に立っており、それ以来、脈々とマーラー演奏の伝統が受け継がれている。

ワルター、バルビローリからブーレーズ、メータまで、様々な指揮者による、音で聴ける「マーラー演奏史」のなかで、筆者が最も深い感銘を受けたのが、ミトロプーロスによる第6番である。

彼は20世紀の音楽を得意とし、マーラーも好んで演奏し、1947年にはNYPと、第6番の米国初演を行っている。

1960年にミラノで急逝したのも、交響曲第3番の練習中に起きた心臓発作が原因だったから、文字通りマーラー作品に殉じたと言えなくもない。

問題は、彼のそうしたマーラーに示した強い共感を追体験できる良質の録音が、思ったほど多くないことだ。

セッションでは、1940年に当時の手兵・ミネアポリス響と行った第1番の世界初録音(ソニーからCD復刻済み)があるぐらいで、あとは時折り世に出るライヴ盤で、至芸をしのぶしかない。

この第6番でまず強烈な印象を残すのは、異常なまでの高い燃焼度だ。

切迫した気分で低弦がリズムを刻み出す第1楽章冒頭から、指揮者、オケともにテンションの高さは明白。

概してテンポは速めで、「悲劇的」な曲想を深く抉った苛烈なまでの劇的盛り上げや、心の底からの痛切な歌い込みに、ぐいぐい引き込まれる。

渾身の力を振るったフィナーレでは、ライヴならではの凄まじいクライマックスを築き上げる。

もちろん現代音楽の名手らしく、見通しの良い造形にも欠けていない。

最後までパワフルな合奏を聴かせるNYPの威力もさすがで、マーラー作品に潜む独特な音色を見事に表出している。

愛好家がエアチェックしてテープを基に復刻したモノーラル録音ながら、音質も聴きやすい。

ただし反復に一部省略があるうえ、第2、3楽章が通常と入れ替わり、2楽章がアンダンテ、3楽章がスケルツォとなっている。

演奏当時の文献や資料によると、第6番の本番は、聴衆の入りは今ひとつだったものの、演奏が終わると、当時では極めて珍しいことに、楽員までが観客の熱烈な拍手に同調して、ミトロプーロスを称えたという。

また彼は、長大なマーラー作品に慣れていない聴衆のために、第2楽章と第3楽章の間で休憩時間を設け、当時の評論家も新聞記事でそれを支持しているが、マーラーが一般にも浸透した現代では信じがたいことだ。

この曲のオンエアに向けた彼の執念などを読むにつけ、一世一代の熱演の陰には、作品を聴衆に何とか広めたいという真摯な使命感があったと推察され、胸が熱くなる。

弟子のバーンスタインに連なっていく現代のマーラー演奏を考える上でも、まことに忘れ難いドキュメントである。

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2019年08月27日


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ディミトリ・ミトロプーロス(1896-60)のことを、クラシック界の高僧(モンク)と呼ぶ人がいる。

有名な指揮者でありながら、彼の私生活を知る人は非常に少ないこと、彼の演奏は死後20年余り経って初めて録音で世界で知られるようになったなど、指揮していた事実を除けばほとんど隠遁っぽい生活を送っていたという。

快楽を忌み嫌う、生活が質素である、芸術に厳しい、生涯独身である、純粋に音楽的に冷静で完璧な演奏といった点で、彼に太刀打ちできるのは、グレン・グールドぐらいだろうか。

「私はギリシャ人なので、何でも参考になる」という謙虚さなど、ギリシャ正教が音楽に対してもっと寛容であったなら聖職者になっていたに違いない。

ミトロプーロスの実演に接した人たちは、ときおり「神のようなミトロプーロス」という言葉を発していたと聞いたことがあるし、とにかく人間的に魅力的な素晴らしい人だったらしい。

そしてむろん音楽家としても、周知のように20世紀を代表する指揮者の一人に数えられる傑出した存在だった。

コンサート、オペラ、そして現代音楽の演奏に、第2次世界大戦前から戦中、戦後にかけて、大きな業績を残したミトロプーロスだが、残念ながら録音が少ない。

アルバン・ベルクの『ヴォツェック』は、その数少ないCBSの正規録音だが、もともとコンサート形式で行なわれた上演のライヴで、ニューヨーク・フィルの団員たちの年金の基金を得るためのものだったが、ミトロプーロスは全幕暗譜で演奏し、その恐るべき記憶力で語り草になっている。

この『ヴォツェック』の全曲演奏は、すぐに録音レコード化され、一番早い商業録音(LP盤)となった。

『ヴォツェック』は、1930年にベルリンでエーリヒ・クライバーの指揮により初演が行なわれた5年後にアメリカで同じくクライバーの指揮により「ヴォツェックの3つの断章」と題されて部分的に初演されたが、このアメリカ初演をしたのもニューヨーク・フィルであった。

ミトロプーロスの現代音楽の演奏にはいくらかの演奏家や指揮者にありがちな「私は、今難しい現代音楽を演奏している」といったしゃちほこばった構えが全くない。

この自然さは確かに彼がモーツァルトのスコアと同じように現代音楽を振れる(=暗譜できる)こともあるが、それ以上に彼の演奏はその現代作品の内包する(流行であった演奏スタイルではなく)時代の雰囲気を正確に映し出していることにある。

指揮者のアプローチから言えば、このオペラ最初の全曲盤であるミトロプーロス盤の方が、定評あるベーム指揮ベルリン・ドイツ・オペラ盤より遥かに共感は深い。

なぜならベームによる『ヴォツェック』解釈は、基本的には彼が成功したシュトラウスの『サロメ』や『エレクトラ』のドイツ象徴主義ないしは新ロマン派風の青白いペシミズムと沈鬱さの表出に似ていて、ミトロプーロスが生み出す音楽のような途轍もない迫真さ、肝心要の赤裸々な悲しい人間の性(さが)の注視や、社会の汚点を怒りをもって凝視するような人間性に発する眼差しを欠いているからである。

それにアプローチだけでなくミトロプーロスとベームとを比べた場合、20世紀を語るにあたってのその存在の歴史的意義には、雲泥の差があると筆者は思っている。

ミトロプーロスは最後のヴォツェックの死よりもマリーの死の部分を強調する。

第3幕第2場で、血のついたナイフのような赤い月が上り、h音のティンパニの連打の中ヴォツェックがマリーを刺すシーンは、ハインリッヒ・ホルライザー指揮による1963年日本公演のライヴ録音の比ではなく、その後のh音による長いクレッシェンドもブーレーズの1966年の録音以上の緊張感である。

ヴォツェックが「死んだ!」と言う後の最初のh音によるクレッシェンドで一端音楽を切り捨て、2度目のh音の強奏からなだれ込むように居酒屋のシーンにもっていくことで、ミトロプーロスは、作品の大きな盛り上がりをここに作り出している。

前述のように『ヴォツェック』の最初の全曲録音(1951年)だが、同曲演奏史に残る貴重な演奏記録、感動的名演である。

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2014年05月13日


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ミトロプーロスは、大変な実力者で今でも熱烈的なファンのいる孤高の名指揮者であった。

その芸術は、「明確な鋭さと慎重な速さを持ち、端正でヒューマンな演奏」であった。

「悲愴」は鋭角的で過激な演奏で、厳しく禁欲的でロマンティックさを排除した演奏だ。

尖っているというか、ハードボイルドというか情緒を排した非情なほど辛口の演奏なのだが、その気品の高さと渋い美しさは無類のもの。

テンポは速めで、特に第1楽章の第1主題のアレグロ・ノン・トロッポは、相当な速さで、後の展開部のアレグロ・ヴィヴォとほとんど同じ。

第2主題が再現するアンダンテでも減速せずにそのまま通りすぎていく。

第2楽章はアクセントを強調した甘さとは無縁の演奏。

第3楽章も明晰で厳しい解釈だが、チャイコフスキーとしては、無味乾燥な印象を与えかねないきわどい演奏かと思う。

第4楽章も思い入れの一切ない解釈ぶりで、いくぶん速めのテンポだ。

あまりドロドロした感じでないのが特徴だ。

ポケットスコアにないことなのだが、第4楽章クライマックスの直前部分で、フルート&オーボエの木管にトランペットらしい音が重なり演奏効果をあげている。

これは初めて聴いたが凄い効果である。

「悲愴」の音源はSPからLP、CD、DVDまで約300種類を超えるらしいが、この演奏は間違いなくベスト10というか横綱級の聴きごたえのあるCDである。

他の曲にしても、表面上は素っ気ないようだが、聴いた後は何か爽快な感じが残る。

この時期の評判は良くないのだが、この演奏で聴くニューヨーク・フィルは実に上手い。

ミトロプーロスの私情を排したストレートな指揮のもと、ニューヨーク・フィルの厳しくも迫力あるソノリティが、高揚するスラヴ・ロシアの音楽魂を再現している。

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2011年02月28日


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ミトロプーロスは20世紀の音楽を得意とし、マーラーも好んだ。1947年にはニューヨーク・フィルと、第6番の米国初演を行っている。

1960年にミラノで急逝したのも、交響曲第3番の練習中に起きた心臓発作が原因だったから、文字通りマーラー作品に殉じたといえなくもない。

問題は、彼のそうしたマーラーに示した強い共感を追体験できる良質の録音が、思ったほど多くないことだ。

セッションでは、1940年に当時の手兵・ミネアポリス響と行った「巨人」の世界初録音があるぐらい。あとは時折世に出るライヴ盤で、至芸をしのぶしかない。

この第6番でまず強烈な印象を残すのは、異常なまでの高い燃焼度だ。

切迫した気分で低弦がリズムを刻み出す第1楽章冒頭から、指揮者、オケともにテンションの高さは明白。

概してテンポは速めで、「悲劇的」な曲想を深く抉った苛烈なまでの劇的な盛り上げや、心の底からの痛切な歌い込みに、ぐいぐい引き込まれる。

渾身の力を振るったフィナーレでは、ライヴならではの凄まじいクライマックスを築き上げる。

もちろん現代音楽の名手らしく、見通しの良い造形にも欠けていない。

ミトロプーロスの熱演の陰には、マーラーが一般に広く浸透していなかった当時(1959年)、作品を聴衆に何とか広めたいという真摯な使命感があったと推察され、胸が熱くなる。

最後までパワフルな合奏を聴かせるケルン放送響の威力もさすがで、マーラー作品に潜む独特な音色をみごとに表出している。

弟子のバーンスタインに連なっていく現代のマーラー演奏を考える上でも、まことに忘れ難いドキュメントである。

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2008年11月30日


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形式と内容のどちらもこの協奏曲は斬新である。

夜想曲、スケルツォ、パッサカリア、ブルレスカの4つの楽章は協奏曲というより交響曲のスタイルに近い。

ヴァイオリンのパートは、至難の技巧が要求されているにもかかわらず、名人芸的な曲になっていないのは、その高度な技巧が、ひたすら内面的なものを表出するために向けられているからにほかならない。

オイストラフは、恐るべき凝縮力でこの曲を演奏している。第1楽章にあたる夜想曲が、オイストラフの求心的な苦悩の声を伝え、指揮のミトロプーロスがそれに悲劇的な陰影を添えている。

夜想曲の抑制した表現がスケルツォで解き放たれ、まるで悪魔の饗宴のような(オイストラフは邪悪で悪魔的と形容した)ところはミトロプーロスの独壇場である。

しかし、なんと暗く美しい音楽なのだろうか。

他にコーガン盤も注目すべき演奏内容。

カップリングのチェロ協奏曲はロストロポーヴィチに捧げられているだけに、全編に自信と誇りのみなぎった演奏である。

ロストロポーヴィチは実に美しく深みのある音色で、表情豊かに弾きあげていて、聴かせる。

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2008年11月24日


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ギリシャ悲劇中の高名な復讐劇に取材し、激しい不協和音と緊張に満たされたシュトラウスの最もアヴァンギャルドなオペラ。

ミトロプーロス&ウィーン・フィルの1957年、ザルツブルグ・ライヴは、最初の一音から最後の一音まで、異常な緊張と異様な興奮が聴き手を捉えて放さない、凄絶な演奏。

このギリシャ人指揮者がつくりだした蒼き官能の音楽に、百戦錬磨のウィーン・フィルが夢中になってしまい、専属レーベルの枠をこえて(当時、楽団は英デッカ、指揮者は米コロンビアの専属)、彼とレコード録音しようとした。

ついにそれは実現しなかったが、この録音を聴けば、楽員たちの興奮ぶりと、その理由がいやというほどにわかる。

そしてミトロプーロスにとっても、ウィーン・フィルを得たことの利点ははかり知れなかった。

他の楽団との録音はいくつかあるが、こんな凄さと美しさはついに聴くことはできないからだ。

歌手も万全。

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2008年09月07日


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両曲とも傑作で、現代音楽を敬遠している向きにも広く薦めたい名演奏である。

ミトロプーロス(1896-1960)は近代・現代作品を得意にし、シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲は同じクラスナーのソロでNYPと録音していた。

シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲のクラスナーは1940年にストコフスキー&フィラデルフィアo.と同曲の初演を行っている。

まず、プロコフィエフの交響曲第5番が素晴らしい。

ミトロプーロスの音楽からは豊かな人間性が感じられ、明晰な知性と豊かな広がりを兼ね備えたスケールの大きい演奏となっている。

同時にシャープな切れ味もいたる所に見られ、強い緊張感と相まって目が覚めるようだ。

シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲ではクラスナーの音色が美しく、集中力のあるすっきりとした演奏を聴かせる。

ミトロプーロスの指揮はスケールが大きく、今日の指揮者では太刀打ちできないものがある。

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2008年01月04日


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投稿数300件を記念してディミトリ・ミトロプーロス(1896-1960)について書きたい。

私にとってミトロプーロスはとても不思議な指揮者だ。

有名な指揮者でありながら、彼の私生活を知る人は非常に少ないこと。彼の演奏は死後20年余りたって初めて録音で世界に知られるようになったなど、指揮していた事実を除けば、ほとんど隠遁っぽい生活を送っていた現代最高の指揮者である。

快楽を忌み嫌う、生活が質素である、芸術に厳しい、生涯独身である、純粋に音楽的に冷静で完璧な演奏といった点で、彼に太刀打ちできるのは、グレン・グールドぐらいだろう。

「私はギリシャ人なので、何でも参考になる」という謙虚さなど、ギリシャ正教が音楽に対してもっと寛容であったなら聖職者になっていたに違いない。

彼はベルクの「ヴォツェック」を全幕暗譜で演奏し、その恐るべき記憶力で語り草になっている。

正規の録音では上にあげたCDが精緻を極めた名演だ。

特に「浄夜」がよい出来栄えで、ミトロプーロスはニューヨーク・フィルの優れた弦の技量を生かしながら、全体をすこぶる緊密に仕上げている。

冷たいばかりの透明な弦の美しさなど、たまらない魅力だ。

当時の録音(58年)にしては音もよく、ミトロプーロスの卓抜した芸術を知るという意味で貴重なディスクといえよう。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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