シエピ
2021年11月25日
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ロジーナをメゾ・ソプラノで歌わせた1950年代の『セヴィリアの理髪師』全曲盤には、この1956年のエレーデ盤と1950年のプレヴィターリ盤があるが、全体の音楽的な水準では後者がやや優っている。
主役ロジーナはどちらもシミオナートで、彼女の才気煥発な表現と鮮やかなコロラトゥーラが素晴らしい。
その音楽性とテクニックは同じロッシーニの『チェネレントラ』でも発揮されている。
一方フィガロはこちらはバスティアニーニがベル・カントを聴かせてくれるが、細かい音符が目まぐるしく動く部分では、いくらか大味な印象を与える。
当代一のヴェルディ・バリトンとしては止むを得ないのだが、その点ジュゼッペ・タッデイはより軽快で、特に早口のレチタティーヴォ・セッコでは巧妙な語り口が面白い。
アルマヴィーヴァ伯爵のミッシャーノは美声で滑稽な役柄を良くこなしているが、やはりコロラトゥーラが回らない。
プレヴィターリ盤のインファンティーノはコロラトゥーラが上手い。
第1幕のフィガロと伯爵のデュエットを聴き比べれば、その差は明瞭だ。
しかしエレーデ盤の捨てがたい点は、ドン・バルトロを喜劇役者としては右に出るものがないと言われたフェルナンド・コレナが、捧腹絶倒の演技をしていることや、ドン・バジリオをチェーザレ・シエピが歌っていることだろう。
喜歌劇を歌うことが想像できないシエピにしてみれば、際物だがその存在感は充分だ。
また初期のステレオ録音であるため、ある程度のステレオ効果が利用されている。
エレーデ指揮、フィレンツェ五月祭管弦楽団の演奏は、喜歌劇の伴奏という点では及第点だろう。
欲を言えば序曲にもう少し緊張感とまとまりが欲しいと思う。
ただし、いかにもイタリアらしい天真爛漫な雰囲気は全曲に亘って良く出ている。
時代相応以上の音質が得られていて、当時のロンドン・レーベルのレコーディングに懸けた意気込みが感じられる。
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2020年10月21日
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以前デッカ・レーベルからリリースされたグランディ・ヴォーチ・シリーズの復刻盤。
オリジナルのアリア集はエレーデ指揮、サンタ・チェチーリア音楽院とのモノラル録音で、その他はオペラ全曲盤からのピックアップになる。
特に彼の舞台での当たり役だったヴェルディのオペラのキャラクターではバス歌手の模範になるような究極的な歌唱芸術を堪能することができる。
一方でマイヤベーヤの『ユグノー教徒』で長く引き伸ばす低いCの音は、シエピにとってはご愛嬌なのかも知れないが、筆者が初めてLPで聴いた学生時代には仰天したものだ。
指揮者アルベルト・エレーデは欧米のオペラ畑を専門に歩んだ人で、歌手の声を生かすことにかけては天下一品の腕を持っていた。
それがイタリア人指揮者の伝統的なスタイルでもあり、オーケストラが歌にぴったりと寄り添うように、しかし決して歌を妨げないように伴奏していくことが要求される。
またこうした技に手慣れたサンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団も秀逸。
指揮者が歌手を将棋の持ち駒のように使いこなし、原典以外は排除する現代の感覚とは一味違った味わいがある。
チェーザレ・シエピ(1923-2010)がフルトヴェングラーに理想的なドン・ジョヴァンニ歌いとして、その美声と演技を認められたことは周知のとおりだ。
彼は典型的なイタリアのバスで、明るく柔軟な発声と深々とした豊かな声量を武器に、磨き上げられた高貴なカンタービレを駆使して、苦悩に苛まれ、また宿命に葛藤する主人公、いわゆるバッソ・セリオの役柄を得意とした。
彼はまたオペラだけでなく、歌曲や宗教曲、更にはミュージカルからポピュラー・ソングにも精通していたために、こうしたレパートリーの録音も少なからず遺している。
1941年デビュー以来89年まで公式の舞台に立ち、そのスタイリッシュで知的な歌唱は晩年まで衰えをみせなかった。
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2019年10月14日
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既にライバルのワーナーからベートーヴェンとブラームスの交響曲全集が廉価盤でリリースされていたためか、先を越されたユニヴァーサルも遅れ馳せながらグラモフォン及びデッカ音源をようやく纏めてくれた。
35枚というディスクの数からすればこのセットもバジェット価格だが、コレクション仕様のしっかりした箱物で、ライナー・ノーツも76ページと充実している。
巻頭にはふたつの興味深い書き下ろしエッセイ、ノルマン・レブレヒトの『フルトヴェングラーの失脚と栄達』とロブ・コワンの『あどけないディオニュソス』を英、独文で掲載している。
収録曲目、トラック・リスト及び録音データの他に対訳こそないが、巻末には作曲家別の曲目索引が付いているので、ディスクを検索する時に、何年にどのオーケストラを振ったものかが一目で判別できるようになっているのも親切な配慮だ。
フルトヴェングラーの演奏集は既にLP、CD、SACDなどあらゆるメディアで出尽くしているので目新しい音源は期待していなかった。
全体が4部分に分けられていて、CD1-3は1929年から37年までの早期録音集、CD4-16が1942年から45年までの戦時下の録音、CD17-33が1947年から54年までの戦後の録音集で、残りの2枚はボーナス・ディスクになる。
CD34が1926年のベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第 5番と51年のベルリン音楽大学での講演、そして最後のディスクは1954年ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮したモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』全曲のDVDという内訳になっている。
尚戦後の録音は更にピリオド別に初期7枚と後期4枚のラジオ・レコーディング、3枚ずつのドイツ・グラモフォン及びデッカからのリリース盤に別れている。
『ドン・ジョヴァンニ』は比較的良い状態の映像で残されていて、音質も歌手陣の声を良く捉えていて秀逸。
解釈はごくクラシックで平明な勧善懲悪的な演出で統一されていて、現代においては幾らかありきたりかも知れないが、、それを補う実力派キャストの歌唱は当時としてはおそらく最高峰と言って良いだろう。
チェーザレ・シエピのタイトルロールはイタリアのバスの典型でもある、深く凛とした美声を駆使したカンタービレが特徴的だが、また舞台映えのする容姿とおおらかな演技にも説得力がある。
3人の女声、ドラマティックなグリュンマーのドンナ・アンナ、表情豊かなデッラ・カーザのドンナ・エルヴィーラ、軽快なベルガーのツェルリーナもそれぞれ対照的な性格を巧みに描き出している。
男声もコミカルなエーデルマンのレポレッロ、またここでは高貴で真面目な青年に徹するデルモータのドン・オッターヴィオや田舎者マゼットを好演する若き日のヴァルター・ベリーが充実した舞台を創り上げている。
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2019年07月14日
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1985年の5月17日に催されたスイス・ルガーノ音楽祭のコンサートからのテレビ放送用録画で、ライヴの映像としては良くできているし、画質、音質ともに良好だ。
この日はミレッラ・フレーニとチェーザレ・シエピのジョイント・リサイタルで、指揮はブルーノ・アマドゥッチ、スイス・イタリア語圏放送管弦楽団の協演になる。
コンサート開始と後半にそれぞれ置かれた2曲の序曲を含めて正味1時間程度のプログラムが組まれている。
2人の歌う曲目は一晩のコンサートとしては物凄いオペラ・アリアばかりが並んでいて、改めて彼らの実力を窺わせる内容になっている。
フレーニは当時キャリアの真っ只中にあり、押しも押されもしないプリマ・ドンナだけあって、その美声と声の輝かしさはまさにイタリア・オペラの醍醐味だ。
ただし、筆者は彼女の舞台を何度も観たが、劇場内に響き渡る声は、残念ながらこうした録音ではその真価が分かりにくいというのが実感だ。
一方当時62歳だったシエピはその4年後に公の舞台から引退しているので全盛期の力強さはやや後退したものの、全くフォームを崩さない、揺るぎないカンタービレと深々とした低音、そしてフレージングの巧みさなどはまさに往年のシエピだ。
またエレガントな舞台マナーは流石にフルトヴェングラーに認められたドン・ジョヴァンニ歌いで敬服させられる。
オットー・ニコライの『ウィンザーの陽気な女房達』序曲に続く、グノーの『フィレモンとボーシス』からの「ジュピターの子守唄」は、この頃のシエピほど巧く歌える歌手はいないのではないかと思えるほど気品と慈愛に満ちているし、最後に長く引き伸ばされる低いEの音の素晴らしさも特筆される。
モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』からは彼の十八番だったタイトル・ロールではなく、レポレッロの「カタログの歌」を取り上げているが、この役にしてはあまりに高貴で立派過ぎる歌唱だ。
尚最後には同オペラからのデュエット「手を取り合って」が歌われるが、このコンサート唯一の二重唱になっている。
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2019年05月18日
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どのようなジャンルの曲を歌わせても、常に一流の芸を披露せずにはいなかったチェーザレ・シエピのプロフェッショナルな器用さを示した1枚で、先般復活したコール・ポーター・ミュージカル集に続いてリニューアルされた1961年の懐かしい音源だ。
しかし彼の声の深い響きと品の良い趣味には特有の味わいと説得力があり、またその表現力の幅広さに改めて驚かされる。
シエピがオペラで聴かせた登場人物の威厳や苦悩などはすっかり忘れさせてしまうくらい彼自身もリラックスして歌っているのが感じられる。
それは彼が巷の歌を見下したり侮っていたわけではなく、むしろオペラや芸術歌曲にも通じる共通の歌心を見出して、ひとつひとつの小品に愛情を込めて歌ったからではないだろうか。
それだけにこの音源は貴重で、際物的なレパートリーではあってもシエピを知る世代としてCDでの復活を喜びたい。
当時30代後半のシエピは既に20年の輝かしいキャリアを築いていたが、オペラの全曲演奏でも度々共演していたレナータ・テバルディも回想しているように、愛煙家であったためであろうか、この時点で高音域における僅かな翳りが聴き取れる。
しかし、その声の魅力と歌の巧さは他の誰からも聴く事の出来ないもので、冒頭の2曲から、イタリアの粋な香りに魅了されてしまう。
本当に持ち声の低い人(彼は低いCを豊かに響かせることが出来た)が高く甘い声でこのように歌えると、惚れ惚れとさせられる。
有名な「フニクリ・フニクラ」を、この人は何と色気たっぷりに鮮やかに料理してしまうのだろう。
囁きかけるように、そして情熱的に歌われる「I' te vurria vasa`(あなたのくちづけを)」。
しかしながら、「Nun me sceta`(起こさないで)」の鼻歌の如く消え入る結びはまさに、現代の舞台から消えてしまった漆黒のバスの響きである。
ロシア民謡であればバス歌手独壇場の世界が展開されるが、イタリアのカンツォーネは輝かしいテノールをイメージして作曲されたものが圧倒的に多く、こうしたレパートリーを低い声の歌手に歌わせるという企画自体かなり稀なことだ。
カンツォーネの指揮はディーノ・ディ・ステファノだが、オーケストラ及びコーラスの名称は記載されていない。
歴としたステレオ録音で、12曲目の『ティリトンバ』ではステレオ効果を使った遊びが入っているが、当時はこうしたテクニックが物珍しく、鑑賞者を楽しませたに違いない。
尚このCDの余白を埋めるボーナス・トラックは、前回のミュージカル・ソング集の後半に収めた同モノラル音源のアリア集から、入りきらなかった4曲をカップリングしたもので、この2枚のCDで更にLP1枚分のアリア集をカバーしたことになる。
それらとは別に1955年のエレーデ指揮、サンタ・チェチーリアとのセッションになるモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』からの「カタログの歌」が花を添えていて、持ち役ではなかったレポレロのアリアを、優雅な中にもユーモアを込めて見事に歌っている。
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2019年02月02日
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シエピ30代前半の歌唱が堪能できるアリア集。
録音データを見ると1954年8月となっているので、彼は当時弱冠31歳であったにも拘らずその声と唱法が既に成熟しているのに驚かされる。
彼の舞台での当たり役だったヴェルディのオペラの登場人物ではバス歌手の模範になるような究極的なキャラクターを創り上げている。
一方でマイヤーベーヤの『ユグノー教徒』で長く引き伸ばす低いCの音は彼にとってはご愛嬌なのかもしれないが、筆者がLPで初めて聴いた時には仰天したものだ。
指揮者アルベルト・エレーデは欧米のオペラ畑を専門に歩んだ人で、歌手の声を活かすことにかけては天下一品の腕を持っていた。
それはイタリア人指揮者の伝統的なスタイルでもあり、オーケストラが歌にぴったりと寄り添うように、しかし決して歌を妨げないように付いて行くことが要求される。
指揮者が歌手を将棋の駒のように使いこなし、スタンド・プレイを許さない現在のオペラでは得がたい存在だ。
またこうした技に手馴れたローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団の伴奏も秀逸。
チェーザレ・シエピ(1923-2010)がフルトヴェングラーに理想的なドン・ジョヴァンニ歌いとして、その美声と演技を認められたことは周知の通りだ。
彼は典型的なイタリアのバスで、明るく柔軟な発声と深々とした豊かな声を武器に、磨き上げた高貴なカンタービレを駆使して、苦悩に苛まれ、宿命に葛藤する主人公、いわゆるバッソ・セリオの役柄を得意とした。
彼はまたオペラだけではなく、歌曲や宗教曲、さらにはミュージカルからポピュラー・ソングにも精通していた為に、こうしたレパートリーの録音も少なからず残している。
また低い声の性質上オペラ歌手としては非常に長命を保った人で、1941年デビュー以来1989年まで公の舞台に立ち続けたし、そのスタイリッシュで知的な歌唱は晩年まで衰えをみせなかった。
初出時のLPジャケットのデザインと曲目をそのままCD化したもので、収録時間は短いがオリジナル・コレクションとしての趣向を凝らしている。
1954年のモノラル録音だが音質は良好で、特に声の響きは明瞭に採られていて充分鑑賞に堪えるものだ。
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2016年10月28日
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このCDはイタリアHMV音源のLP盤から板起こしした復刻盤で、LPと聴き比べてみたが全く遜色のないほど良好な音質が再現されている。
むしろリマスタリングでは本家EMIからリファレンス・シリーズとしてリリースされているCDを上回っている。
ただし後半の余白に収録されているライヴからのオペラの序曲集及びレスピーギの『ローマの噴水』に関しては音源自体が古く、また経年劣化でかなり消耗しているために音質的には期待はずれだった。
ヴィクトル・デ・サーバタの数少ないスタジオ録音のひとつだが、プッチーニの『トスカ』と並んでスコアから横溢するドラマを引き出す彼の恐ろしいほどの鋭い洞察力と、ソリスト、オーケストラ、コーラスを一瞬の弛緩もなく緊密に統率する非凡な手腕が示された名演。
1954年にミラノ・スカラ座管弦楽団と合唱団を振ったモノラル・セッション録音で、当時こうした大世帯の音響を許容するだけのテクニックがまだ充分でなかったために音質的にはそれほど恵まれていないが、音楽そのものからは強烈なメッセージが伝わってくる演奏だ。
ソリストの中でも驚かされるのはシュヴァルツコップの後年には聴かれないような大胆で奔放とも言える歌唱で、おそらくこれは指揮者デ・サーバタの要求と思われるが、後半の「リベラ・メ」のドラマティックな表現や、「レクイエム・エテルナム」で聴かせる消え入るようなピアニッシモの高音も彼女の並外れたテクニックによって実現されている。
また「アニュス・デイ」でのドミンゲスとの一糸乱れぬオクターヴで重ねられたユニゾンの張り詰めた緊張感の持続が、最後には仄かに明るい期待感を残していて極めて美しい。
テノールのディ・ステファノはライヴ演奏でもしばしば起用された『ヴェルレク』のスペシャリストで、彼の明るく突き抜けるような歌声は宗教曲の演奏としては異例だが、ベルカントの泣き節たるこの曲ではすこぶる相性が良い。
第10曲「インジェミスコ」の輝かしさは教会の内部より劇場空間での演奏が圧倒的な効果を上げる一種のオペラ・アリアであることを端的に示している。
バスのチェーザレ・シエピについて言うならば、バスのパートをこれだけ完璧なカンタービレで歌い切った例も少ないだろう。
その深々として練り上げられた声質は重唱においても音程が正確で、他の歌手と共にヴェルディが書き記した対位法の声部を明瞭に追うことができる。
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2014年04月26日
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エーリヒ・クライバーの存在を、カルロスの父親というかたちで認識している若い人々は気の毒と言えなくもない。
彼をいわゆるスターの座に置かず、人気の的としなかったとしても、彼が20世紀の偉大な指揮者のひとりであったことは間違いない。
1955年録音のこの《フィガロの結婚》は、モーツァルト生誕200年を前にして、初の完全全曲盤として制作されたものであり、シエピやギューデンをはじめとする歌手たちのバランスもよく、端役に至るまで非常によく揃い、しかもバランスもとれて、アンサンブルも充分に楽しむことができる。
クライバーは、徹底してウィーン・スタイルの表現を一貫し、歌やオーケストラをはじめ、全てをそこに統一して、モーツァルトの最もスタンダードでオーソドックスな演奏を明示している。
しかも、ウィーン・フィルがそこに展開しているモーツァルト演奏における真のウィーン様式が、実に新鮮で衰えのない生命感を思わせている。
クライバーのモーツァルトはよく歌い、よく弾む。
音楽の流れには一分の淀みもない。
若さに満ち溢れたストレートな音作りに徹している。
オーケストラもまた、ウィーン風のしなやかな弦と柔らかな管の音色が、表情豊かな歌を歌い続ける。
指揮者もオーケストラも歌手たちも全員が同じモーツァルトの歌心をもっているからだろう。
実に見事なアンサンブルで、これがウィーンのモーツァルトあり、歌うところは十分に歌い、劇的に盛り上がるところは適度のアクセントをつけ、軽く弾むリズムで快適なテンポ感を保つ。
確かに、今となっては、録音にはいささか古さを感じなくもない。
しかし、ここで聴ける、ウィーンの国立歌劇場でまだアンサンブルの理念が機能していた時代の演奏ならではの生き生きとした表情と小粋な表情はなにものにもかえがたい。
若さを感じさせる、素晴らしい名盤であり、クライバーの光輝あるある偉業として記念すべき録音だ。
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2011年03月12日
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クリップス盤は、モーツァルト生誕200年(1956年)を祝うレコードのひとつとして発売されたものである。
ウィーンでの音楽生活が長い指揮者クリップスと、いつもコンビを組んでいるウィーン・フィル、そして国立歌劇場を主な舞台とする歌手たちと合唱団で構成され、お互いに身も心も通じた仲間たちで作られているのが、特色である。
序曲の出だしからあまり悲劇的な予感はさせず、軽快なリズムとウィーン風のよく歌うオーケストラ、木管楽器の妙なる響きが続く。
人間模様を描くこのオペラでは、心の安らぎ、怒り、嘆き、悲しみ、驚きと、心に映る感情の発露が至るところに出てくる。
そうした場面での木管の果たす役割とその効果は、随所に聴くことができる。
オーケストラは歌の伴奏という観念ではなく、歌手と対等の立場で絶妙な動きを見せ、一心同体で音楽を作り上げる。
これが、ウィーン伝統のモーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》であろう。
チェザーレ・シエピのタイトルロールのドン・ジョヴァンニは押しも押されもしない、ドン中のドン、文句のつけようがない。
シエピは、ドン・ジョヴァンニ像を作り上げた男とさえいわれている。
彼の雄姿を見たさに、劇場に足を運ぶ人(主に女性だが)が多くなった、という話を聞いたことがある。
ドンナ・アンナのスザンヌ・ダンコとドン・オッターヴィオのアントン・デルモータのカップルは、着実に自分の役割を演じる。
ツェルリーナのヒルデ・ギューデンは美貌で美声、そして芝居達者と三拍子揃った当時の新鋭歌手の売れっ子。
マゼットのヴァルター・ベリーも、デビュー間もないころで、マゼット役から後年の成長を約束したような歌、新人離れした落ち着いた歌が聴かれる。
レポレロのフェルナンド・コレナの、有名な「カタログの歌」。こんな立派な歌だったのかと誰もが思うほど、スケールが大きい。
道化役の歌としては、あまりに立派で役柄を壊すとの説もあるが、立派すぎてだめということはないと思う。
大事な役のドンナ・エルヴィラは、リーザ・デラ=カーザ。若くて美人で、線はちょっと細いが勢いがあり、素直な声、よく通る声。いちずにドン・ジョヴァンニを追いかける純情な女を表現して好ましい。
騎士長のクルト・ベーメは超低音域の音に強さがあり、2幕の終焉近く、恐怖感を募らせる雰囲気をかもし出す適役である。
ひとことで言えば、オペラ・ブッファ側に軸を置いた、ウィーン風の《ドン・ジョヴァンニ》なのだ。
録音も細部まできちんととれて、厚みのある豊かな響きが楽しめ、現在でも充分に通じるすばらしい盤である。
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2009年11月07日
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1954年ザルツブルグ音楽祭公演のライヴDVD。
これは、劇的で変化に富んだこの作品の性格を見事にとらえた卓抜な演奏で、フルトヴェングラーならではの悠容迫らぬ芸格の高い表現には、心を打たれる。
ロマン的で、しかもデモーニッシュな素晴らしい「ドン・ジョヴァンニ」だ。
低弦に支えられたコードの厚みと、心臓をえぐるようなタッチの重みなどは、フルトヴェングラー・ファンならずとも、すぐそれとわかるような性質のものだ。
テンポは概して遅めだが、そのことが音のひとつひとつに実質と表情を与えることにつながっている。
このオペラのある部分は、象徴劇や表現派演劇の世界に近づいているが、18世紀のこれ以外のオペラとこの傑作とを隔てるそうした鬼気迫る深い淵を誰よりも実感させるのがフルトヴェングラーの指揮だ。
作品のオペラ・ブッファ的側面を切り捨てて、シーリアスなドラマの追究に徹したロマン派解釈の名演である。
歌手達もそれぞれ強い個性と大きな音楽性の持ち主で、彫りの深い配役だ。
戦後最高のドン・ジョヴァンニとうたわれたシエピのタイトル・ロール、愛と憎しみの狭間に揺れるエルヴィーラを歌わせてはこれまた戦後その右に出る歌手を知らないシュヴァルツコップ、それにグリュンマーのドンナ・アンナ、ベルガーのツェルリーナ、エーデルマンのレポレロと顔を揃えた歌の充実ぶりも、他の録音の追随を許さない。
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