ラローチャ
2019年08月14日
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この2枚組のアルバムも既に数回に亘ってリイシューを重ねている名盤のひとつで、2008年にはデッカ・ザ・オリジナルス・シリーズに加わって廉価盤化された。
現在日本ではそちらの方が入手困難になっているようだが、輸入盤では入手可能だ。
アルベニスの「白鳥の歌」となった全4曲12集から成る組曲《イベリア》について、デ・ラローチャはかつて「私たちの性格や気質、気候すら反映している」と語っているように、文字通りスペインの多様な音楽が凝縮されているピアノ曲集であり、それらをラローチャほど見事に表現した例もない。
彼女がお国物の強みを最大限に発揮した曲集のひとつで、それぞれの曲のタイトルに示されたローカル色豊かな熱っぽい空気感と、映像的な情景描写は他のスペイン系ピアニストにも追随を許さないものがある。
スペインの色彩、リズムが独自のスタイルを作り上げ、ラローチャの余裕あふれる演奏が素晴らしい。
その洗練されたタッチから生み出される絢爛たる色彩感、舞踏へのリズミカルで決然としたダイナミズムには血の騒ぐような民族性が宿っていることは否定できない。
それが偏狭な民族色に堕することなく、誰からも憧憬の念を促すような高踏性が共存している。
これらの曲集は難曲揃いということでも知られているが、すっかり手の内に収めた表現力と音楽的に磨き抜かれた彼女の感性は賞賛に値する。
スペイン特有の強烈な光と闇、陽気さと悲しみなど、色彩や感情のコントラストを民族舞曲による多彩なリズムで表現したアルベニスの音楽の魅力を生き生きと表現している。
ギター編曲でも親しまれている民族色豊かな《スペイン組曲》、絶筆となったホタのリズムによる《ナバーラ》など、どの曲も鮮やかなリズムと音色が素晴らしい詩情豊かな名演である。
デ・ラローチャの故郷バルセロナを州都とするカタルーニャ州は建築家ガウディを始めとして作曲家アルベニス、グラナドス、モンポウ、チェリストではカザルスやカサド、歌手のデ・ロス・アンへレス、カバリエやカレーラスなど数多くのアーティストを輩出した土地柄というだけでない。
また民族意識の高さと強い郷土愛でもスペインのどの地方にも引けを取らない自治州だ。
そうした環境で育ち、音楽を学んだデ・ラローチャであれば尚更郷土の作曲家の作品を世に問う使命感があったに違いない。
ちなみに彼女はグラナドスの孫弟子に当たり、彼とデ・ファリャの作品集もつい最近3枚のCDにまとめられてデッカから復活している。
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2019年06月02日
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2014年他界した指揮者ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴスの演奏は何回かのコンサートで聴く機会に恵まれた。
中でも彼の生まれ故郷のスペイン物では、やはり血の滾るような情熱でホールを沸かせたが、それはオーケストラを隙なくまとめて曲想を効果的に引き出す手腕に圧倒的な力量があったからだろう。
生前彼の指揮者としての知名度はそれほど高くなかったが、実力にかけては第一級の腕を持っていて、もっと評価されても良い人だと思う。
デ・ブルゴスは父親がドイツ人だったことから、ドイツ物も得意なレパートリーとして手中に収めていたが、一方でこうした民族色豊かな小品やセミ・クラシック的な編曲物でも、器用と言う以上に絶妙な味わいを持った指揮をした。
このCDに収録されたアルベニスの『スペイン組曲』と『スペイン狂詩曲』は元来ピアノのための作品で、こうしたオーケストラ用アレンジではある程度曲の持つイメージが限定されてくるのはやむをえないとしても、その色彩感と迫力は一層豊かになり華麗な音響効果を堪能することができる。
ちなみに前者はデ・ブルゴス自身の編曲で、彼のアレンジャーとしての才能も披露している。
尚『スペイン組曲』では曲順を入れ替え、『クーバ』を除いてアルベニスのもうひとつのピアノのための『スペインの歌』から「コルドバ」を挿入してオーケストラ組曲としての体裁を整えている。
最後に収録されたセビリア出身ホアキン・トゥリーナ作曲の『交響的狂詩曲』は、アンダルシアの抒情詩といった作品だが、アルベニスが曲中に例外なく盛り込んだ民族色には囚われない幻想的なロマンティシズムが特徴だ。
この曲と『スペイン狂詩曲』の2曲にはピアノ・ソロにアリシア・デ・ラローチャを迎えた万全なキャストも特筆される。
彼女とデ・ブルゴスの洗練された感性と情熱が相俟って、決して単なる郷土の祭典に終わらせず、作品への音楽的な価値を提示した演奏として評価したい。
オーストラリア・エロクエンスから廉価盤で復活したもので、この曲集は過去にXRCDでもリリースされ、臨場感と音質に関してはそちらの方が生々しいが、レギュラー盤も入手困難になった現在安価で楽しめる1枚としてお薦めしたい。
『スペイン組曲』がニュー・フィルハーモニア管弦楽団との1967年の録音で、他の2曲はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を振った1983年のいずれも極めて良質な音源だ。
廉価盤だが英語の簡易なライナー・ノーツが付いている。
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2014年08月18日
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スペイン生まれの{ピアノの女王}ラローチャの貫禄十分の演奏に聴き惚れてしまうアルバムだ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、ホロヴィッツ盤をきっかけに虜になり、半年くらいかけて、ギレリスやアシュケナージなど、様々な演奏を聴き比べてみた。
女流では、アルゲリッチ盤が、エネルギーの結晶のような演奏内容で、あれほどの演奏は、よほどの気力が充実していなければ難しい。
なぜ、ここでアルゲリッチの話をするのかというと、それは、ラローチャの演奏が、アルゲリッチ盤と対極をなすものと感じたからだ。
ラフマニノフの第3番において、アルゲリッチの演奏は、攻撃的・挑戦的かつスリリングだ。
それは第2楽章から第3楽章へブリッジを架ける部分および、第3楽章のコーダにおいて顕著に表出されている。
展開する直前、鋭い視線で指揮者に突撃の「のろし」をあげ、一気に攻め込む、といった感じであろうか、聴いた後の爽快感は、ほかに類を見ない。
そのようなアルゲリッチの演奏に対し、ラローチャの演奏は、どうだろうか。
最初にこれを聴いてしまうと、恐らく退屈な演奏に感じてしまうだろう。
しかし、これは決して、退屈な演奏ではなく、優雅と解釈するべき演奏内容なのだ。
それと同時に、スペイン女性が持つ気丈さ、芯のある粘り強さを感じさせてくれる。
ところで、ラローチャは、意外と小柄な女性らしいが、威風堂々のジャケット写真はそれを感じさせない。
ジャケットの衣装は、錦鯉を彷彿させる色合いに見えないだろうか。
難解なパッセージを優雅にかわす様子は、たとえるなら優雅に池を泳ぐ錦鯉だろう。
ラローチャは小柄だからラフマニノフを弾く人だとは思われていないが、演奏の端正さと表現力、技法でこれだけ弾ける人は滅多にいない。
フランクの交響的変奏曲も、貫禄十分の名演奏で、ラフマニノフもフランクも凄い勢いで弾きこなしている。
最後に、ラローチャは{ピアノの女王}と呼ばれているが、すでに相当の高齢であり、次のピアノの女王は、果たして誰になるのか、興味がつきないところだ。
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2010年06月24日
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"ピアノの女王"の貴重なシューマン作品録音。ヴェテランらしい華やいだ雰囲気と、巨匠的なスケールの大きさで圧倒する。
ラローチャの安定したテクニックによって整然と彫琢されたシューマンである。
シューマンはおそらく、ラローチャが主要レパートリーの一画として育んでいたロマン派ものの中でも、最もよく気質に合ったものではなかったろうか。
協奏曲、五重奏曲のほか、独奏曲の幾つかにも名演を刻んでいる。
ラローチャのシューマン演奏の特色は、決して奔放さ、激越さには走らない"たしなみ"の中で、充分に表情的であり、しばしば機微に触れたデリカシーを伝えるところにある。
《謝肉祭》はそのような美質がよく発揮されたもので、たとえば「告白」のこまやかさなど、「この人ならでは」の思いを抱かせる。
《謝肉祭》では21曲の小曲が続くが、それらは副題の"4つの音符上の小さな情景たち"が示すように、ファンタジーに満ちた寸劇の連鎖を形成している。
ラテン的な明るさと快い切れ味の中で展開されてゆく21の小品を、ラローチャは思い入れをたっぷり込めながら、シューマンの音楽のサイズぴったりに演じていく。
ラローチャの音楽のすぐれた面と、シューマンの作品がもっている内面的な深みと表面的な華やかさをバランスよく表現する資質が見事に発揮されている演奏だ。
取り立てて大胆でも鋭くもない演奏かもしれないが、格調ある暖かさの内の奥行きに富む表現は人を飽かせない。
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2008年12月05日
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ラローチャは録音時では60代後半になっていたが、年齢はここでは円熟と叡智の深化のためにしか存在しないかのようだ。
ラローチャは年輪を思わせる潤いのある落ち着いた演奏で、常に微笑みと優しさがあり、大きな包容力で聴き手を幸福感で包み込む。
彼女のモーツァルトは必要な清潔さ、虚飾のなさと同時に、言い知れぬリズムの良さと心和む優しさを帯びている。
ラローチャは、非常に自然で衒いのない姿勢でモーツァルトに取り組んでいる。
しかし、彼女のそうしたあり方は、これらの聴き慣れた名作からかえってとても豊かなアピールを引き出すことになった。
自然体でありながらも少しも無愛想にはならず、歌う喜びとゆかしい色香を片時も忘れない。
ラローチャの自然な語り口は、自然であるが故にそこにふくよかでみずみずしい表情を息づかせており、さらに生き生きとした感情の起伏や生命の宿った音楽の流れを生みだすこととなっている。
ラローチャの音色には豊かな張りがあり、誇張のない端麗さの中に気概をたたえた演奏は、端正だが常に微妙なニュアンスをそなえ、刻々と移ろうモーツァルトの感興にぴったりと寄り添ってゆく。
ここに居れば安心ですよ、といった感のある確固としたテンポ。限りないモーツァルトへの慈しみが伝わってくる。
これほど飾らず、しかも滋味豊かなモーツァルトは滅多にあるものではない。ラローチャのモーツァルトの真価を伝える名演の一つといってよいだろう。
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