音楽史

2022年10月09日


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イタリアはオペラ界において世界に冠たる地位を占め、著名な声楽家は数多いし、指揮者においても過去はもちろん、現在に至るまで最も充実した陣容を有しているのではないか。

だが不思議とピアニストにおいては久しく不作の国である。

イタリア人ピアニストで思い起こすとすれば、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、最近亡くなったアルド・チッコリーニ、それに現在の世界的ピアニストのひとりマウリツィオ・ポリーニぐらいがせいぜいであろう。

だが実はもうひとり、アルフレッド・コルトーからして”不世出の奇才”と認められたほどのピアニストがいた。

そのピアニストとはディノ・チアーニ(Dino Ciani, 1941〜1974)である。

ポリーニと同世代のチアーニは旧ユーゴスラヴィア北西部リエカの出身で、20歳でブダペストのフランツ・リスト・ピアノ・コンクールで準優勝に輝いた。

古典派、ロマン派を中心に、ベートーヴェンからシューベルト、ブラームス、ドビュッシーに至るまでレパートリーはたいへん広かった。

そのどれもが光り輝き、情熱的で、情感にも溢れていたが、彼は33歳を前にして自動車事故で世を去った。

「彼がもし健在であったなら、ポリーニの地位は危うかったかもしれない」とまで言わせるピアニストであった。

このディスクは、1965年から1973年までの演奏を集めた3枚組。

健在であれば、現在のピアノ界に大きな影響を与えたであろう伝説のピアニストの演奏をじっくりと聴くことができる。

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2022年08月07日


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ベルギーのブリュージュで結成されたイル・ガルデッリーノは、今や老舗とも言えるネーデルランド系を代表するピリオド楽器使用の古楽アンサンブルだ。

指揮者を置かないだけにメンバーの自発的な演奏と協調性に優れている。

彼らは現在では忘れ去られてしまった作曲家の興味深い作品を発掘して録音している。

本盤はヨハン・フリードリッヒ・ファッシュの没後250年に当たる2008年にリリースされた協奏曲集の第1集になる。

ドレスデン及びダルムシュタットの図書館から発見された2曲のソロ協奏曲と4曲の複数の楽器のための協奏曲を収録している。

ちなみに第2集の方は同じアクサン・レーベルから同メンバーによる6曲の合奏協奏曲集がリリースされている。

さすがに音場の広がりや高音部の広がりに無理がなく、それぞれの楽器の音色も磨きをかけたように瑞々しい。

特に複数の楽器が交錯する曲ではこうした鮮明な音質が効果を発揮していて、トラヴェルソやバロック・オーボエなどのピリオド楽器特有の木質系の微妙な感触も良く再現されている。

ファッシュは大バッハとほぼ同じ時代の作曲家で、バッハ自身も彼のスコアを写譜したようだが、彼の音楽は対位法に凝った作法ではなく、より和声的でシンプルな音楽が特徴的だ。

楽章構成もヴィヴァルディ風の急、緩、急の三楽章から成り立っているが、やはり荘重なドイツ音楽の趣があり、どちらかというとテレマンの延長線上にあった作曲家のように思える。

確かにこの曲集を聴く限りではバッハやテレマンに感じられる独創性には欠けているが、むしろ宮廷での洗練された屈託のない娯楽のための音楽として、当時もてはやされたことが想像される。

尚通奏低音にはハーグで学位を取ったイスラエルのチェンバリスト、シャレフ・アデルが参加している。

演奏ピッチはa'=415Hzのスタンダード・バロック・ピッチ。

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2022年08月03日


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マンハイム楽派の1人として広くヨーロッパ各地にその足跡を残した作曲家で、ファゴットの名手でもあったエルンスト・アイヒナー(1740-1477)の6曲のフルート四重奏曲を収めたアルバムになる。

ベルギーの古楽アンサンブル、イル・ガルデッリーノの生気に溢れた、しかし気品のある息の合ったカルテットが美しい。

トラヴェルソ・ソロはこのアンサンブルの創設者で古楽器製作家のヤン・デ・ヴィンネ、それに2人の日本人奏者、ヴァイオリンの寺神戸亮及びヴィオラの秋葉美佳にチェロのクレール・ジャルデッリが加わっている。

中でも寺神戸はヨーロッパでも指折りのバロック・ヴァイオリン奏者として活躍を続けているが、幅広い表現力と正攻法のテクニックで、トラヴェルソと対等に扱われた書法での巧妙な合わせや掛け合いが秀逸だ。

デ・ヴィンネのトラヴェルソはどちらかと言えば素朴だが、非常に良くコントロールされた奏法で実力派の堅実な演奏という印象を受ける。

マンハイム楽派の隆盛とアイヒナーの室内楽がテーマのこのCD。

アイヒナーのフルート四重奏曲はバロック的な荘重さやドラマティックな曲想展開から脱皮した軽快なロココ・スタイルに洗練されている。

通奏低音のチェンバロが姿を消しているだけでなく、しばしば同音連打の上にクレッシェンドしていく典型的なマンハイムの手法が使われている。

また全曲ともこの時代特有の、軽く華やかなワン・キー・トラヴェルソの特徴とその調性を活かした2楽章形式で書かれている。

当時はモーツァルトも含めて、簡潔なふたつの楽章の音楽がインターナショナルなスタイルとして定着していたらしく、特に肩の凝らない室内楽には多用されたようだ。

フリードリッヒ大王の教師だったクヴァンツの時代から、横吹きのフルートはドイツを中心とする宮廷人の趣味の楽器としてもてはやされたのは広く知られたところだ。

マンハイムに宮廷を抱え、その楽団をヨーロッパ随一のオーケストラにした選帝侯カール・テオドール自身もトラヴェルソの愛好家として自分が参加するコンサート用の新曲を常に所望していたとされる。

またこの楽壇に所属していて、モーツァルトからも賞賛を受けた名手ヴェンドリングの影響もあってトラヴェルソが加わる室内楽や協奏曲が多くの作曲家によって作られているが、その1人が現代では存在が殆んど忘れられてしまったアイヒナーだ。

2006年のセッションでピッチはa'=415Hz。

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2022年07月31日


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ヤコブ・ファン・エイク(1590-1657)の名曲集『笛の楽園』から20曲を抜粋したもので、このディスクではイタリアの古楽器奏者ステファノ・ベットがトラヴェルソ・ソロで演奏している。

それぞれの曲がひとつのテーマとそのヴァリエーションから構成されていて、作曲家の豊かなファンタジーと手馴れた職人芸に改めて驚かされる。

同曲集は一般的に縦笛のための作品として解釈されているが、息の吹込みによって感情移入が可能で、ソフトな低音から輝かしい高音に至る表現力を持つトラヴェルソでの演奏がより効果的な曲想も多く含まれている。

それに着目しているのがベットで、ファン・エイクのの多彩な音楽性を更に多面的に再現している。

盲目の音楽家でカリオンや笛の名手でもあったファン・エイクの『笛の楽園』は、フランス・ブリュッヘンのリコーダー演奏による「涙のパヴァーヌ」(ダウラントの『溢れよ我が涙』からのテーマと変奏でこのCDではトラック12)以降一躍ポピュラーなコンサート・レパートリーに加わり、膨大な曲数に及ぶ全曲盤もリリースされるようになった。

しかしその殆んどの録音がリコーダーの演奏で、かつて横笛(トラヴェルソ)による演奏集は皆無に近かったが、その理由はおそらくファン・エイク時代のいわゆるルネサンス・フルートがソロ楽器としての機能を充分に備えていなかったからだろう。

このCDの演奏者ステファノ・ベットの使用楽器は16世紀から17世紀前半にかけて製作されたソプラノ(G管,a'=440Hz)、テノール(D,440)、バス(D,440)のコピー及び軍隊用横笛(D,460)で、これらの楽器の内部構造は円筒形のために澄んだ明るい音色が特徴だ。

また合奏から生じる豊かな倍音を含む響きが美しいので、しばしばアンサンブル用にセットで製作されたようだが、反面その単純なシステムから半音階の演奏や転調には明らかに不向きで音域的にも限界があった。

トラヴェルソに革新的な改良が加えられるのはファン・エイク以降だが、この時代の大らかでシンプルな笛の音色とソロが醸し出す雰囲気には替え難い魅力的な独自の世界がある。

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2022年05月28日


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2010年、生誕300年を迎えたペルゴレージは、後の世に活躍したモーツァルトに匹敵する才能を有した作曲家と評されているが、若くして夭折したため、現存する作品はさほど多いとは言えない。

ただ、その中でもスターバト・マーテルは、ペルゴレージの代表作であるばかりでなく、その後に作曲された、様々な作曲家の手によるスターバト・マーテルの中でも、随一の傑作の誉れ高き名作(ロッシーニの名作との優劣は議論が分かれるところかもしれない)である。

同作品のこれまでの名演としては、アバド盤(2007年)が記憶に新しい。

大病を克服した後、その芸風に深みと鋭さを増したアバドによる滋味溢れる指揮と、若くて才能のある音楽家で構成されたモーツァルト管弦楽団によるフレッシュな息吹を感じさせる清新な演奏が絶妙の魅力を誇っていた。

独唱も秀逸であったが、特に、コントラルトのサラ・ミンガルドの名唱が極めて印象的であったことも忘れてはならない。

これに対して、本盤は、何と言ってもアンナ・ネトレプコの深みのある名唱が売りと言えるだろう。

とてもソプラノとは思えないような重心の低い発声であり、どちらかと言えばオペラ的な発声と言えるもの。

これは宗教音楽初挑戦のご愛嬌と言った側面もあろうかとも思うが、楽曲の核心に切り込んで行くような奥行きの深さにおいては、無類の名唱と評価できるのではないだろうか。

コントラルトの若きマリアンナ・ピッツォラートも、ネトレプコと一体となって、重厚な歌唱を披露しているのも聴き応え十分である。

イタリア指揮界の俊英であるパッパーノの指揮は、さすがに円熟の境地に達したアバドと比較するとどうしても分が悪い。

それでも、演奏全体に顕著なオペラ的な迫力においては(宗教音楽らしくないとの批判も十分に予測はされるが)、本盤の方をより上位に置きたいと考える。

併録の「閉ざされた中心に」におけるネトレプコの思い入れたっぷりの絶唱は我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っているし、「ここは平野、ここは小川」におけるピッツォラートの名唱もネトレプコにいささかも引けを取っていない。

シンフォニアも湧き立つような力感に満ち溢れた素晴らしい名演だ。

俊英パッパーノの指揮の下、最高のパフォーマンスを示している聖チェチーリア音楽院管弦楽団にも大いに拍手を送りたい。

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2022年03月24日


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作曲当時のフランス貴族趣味に応えた、現代人のBGMとしても極上品質のフルート音楽を残したジャック-マルタン・オトテールの笛の為のソロやデュエットを扱ったアンサンブル第2集には、フリュート・ア・ベク、つまりリコーダーと通奏低音の為の作品も含まれている。

当盤の選曲の特徴は、フルート作品だけでなく、更に素朴なリコーダーで演奏された曲も含まれていることだ。

と言っても作曲者自身厳密にトラヴェルシエール(横笛)とフリュート・ア・ベクを区別して作曲していたわけではない。

ここに収録された小品集も音域さえ合えば演奏者の判断で楽器を選択することになり、時として笛に替わってオーボエで演奏することも可能だ。

ここでも第2組曲と第4組曲はリコーダー用にそれぞれホ短調とニ短調に移調されているし、2本のリコーダーの為の組曲Op.4はトラヴェルソで演奏している。

1曲目の通奏低音つきプレリュードト短調は短い曲ながら高度な音楽性を持った味わい深い曲で、技術的にも熟練を必要とする典雅なフランス・バロック趣味が聴き所だ。

2曲目の組曲ト短調はオットテールの作品の中でもトラヴェルソ奏者のレパートリーとして取り上げられる機会が多い名曲で、その哀愁を帯びた華やかさとイネガルを駆使した絶妙なリズム感が魅力的だ。

また、トラック17〜22のような伴奏楽器無しの簡素なフルート・デュエットの作品を書いたのはオトテールが最初と言われている。

演奏者はトラヴェルソ奏者のフィリップ・アラン-デュプレが中心になったアンサンブルでリコーダー・ソロは女流のロランス・ポティエ。

尚このCDでは通奏低音からテオルボを省いている。

第1集と同様1995年の録音でピッチはa'=392。

ヴェルサイユの宮廷で活躍したル・ロマンの愛称でも知られるオトテールは作曲家として、また笛の演奏家、教育者としても当時から名を馳せていた。

同時に著名な楽器製作者のファミリーの一員でもあったことから彼自身の製作した木管楽器が現在でも数多くコピーされている。

彼は初心者の為の笛のメソードを書いた最初の音楽家で、その他にも笛の為の基礎練習曲集『プレリュードの芸術』も出版している。

この録音に使われた楽譜はS.P.E.S.社及びMINKOFF出版のファクシミリ版になる。

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オペラ指揮者アーノンクールの出発点ともなった名盤。

アーノンクールが頭角をあらわした1960年代から70年代にかけては、古楽をとりまく状況は、現在とはまったく異なっていた。

特にモンテヴェルディの作品は、多くが編曲ヴァージョンの分厚い響きで演奏されていたが、アーノンクールは大胆な時代考証により、作曲当時、現代とはまったく異なる社会や文化環境の中で上演されていたそれらの作品がもたらしたであろう人々の興奮と感動を呼び起こすべく、ここでも大いに奮闘しているのである。

1968年から74年にかけておこなわれたこれらオペラ三部作のレコーディングは、録音開始の4年前にすでに始められていたアーノンクールの研究と実践によって、徹底的に音楽表現の可能性が追究されているのが特徴。

オリジナル楽器による初の録音であり、その後に続く一連のオリジナル楽器によるディスクの嚆矢となった記念碑的存在。

古楽器を使用し躍動感に富むオケのサウンドと共に、アーノンクールの意図に沿った歌唱を聴かせる歌手たちが生き生きとしたドラマを表現している。

より一層の原点研究に加えて、独自の考察を試みた画期的な演奏は、多くの音楽家たちに多大な影響を与えた。

そして楽器の象徴的な用法など初演時の形態を模索しながらも、オリジナル楽器による演奏に十分に親しんでいない聴衆にも容易に受け入れられるような工夫をして、モンテヴェルディのオペラの魅力を多くの聴衆に知らしめた、劇的にも音楽的にもコントラストを強調させた演奏はいかにもアーノンクールらしい。

その後、チューリッヒ歌劇場と制作したオペラ映画を経て、四半世紀ののち、21世紀を迎えたアーノンクールは、再びモンテヴェルディ・シリーズに取り組み、今度は人間のダークサイドを浮かび上がらせるような上演をおこなって、かつての演奏とはずいぶん違う傾向のものとなっていた。

そうした演奏を踏まえて改めてこれら最初の録音での自信と活気に満ちた演奏を聴くと、社会全体の雰囲気の差のようなものすら窺えるようで、ずいぶんと率直な魅力に満ちていた時代の音楽の雄弁さを思わずにいられない。

そういえばアーノンクールの名を一躍有名にした過激な『四季』が録音されたのは1977年のことだった。

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音楽家及び楽器製造者として知られた一族オトテール家の1人、通称オトテール・ル・ロマンは、フラウト・トラヴェルソ奏者として名を馳せた。

その音楽は、当時の貴族趣味を反映した、知る人ぞ知る趣味の良さを誇る一級品である。

廉価盤ながらオトテールの笛のためのアンサンブルを2枚のCDに分けて収録した秀演で、これはその1枚目に当たる。

オトテールの室内楽曲のまとまった録音としてはフランス・ブリュッヘンに続く草分け的なもので、1996年のリリースだがその演奏水準の高さは現在でも最も優れたセッションのひとつと言えるだろう。

フランスのトラヴェルソ奏者で、また自身ピリオド楽器製作者としても知られるフィリップ・アラン=デュプレは、イタリアのアッシジにある聖フランチェスコ修道院の図書館に保管されている作者不詳の3ピース・タイプのトラヴェルソ(a'=392Hz)をコピーしてこの演奏に使っている。

コピーは拓殖材と黒檀の2種類が用いられていて、深みのある豊かな音量とおおらかで優雅な音色は、サンティッポーリト教会の潤沢な残響と相俟って18世紀のヴェルサイユの宮廷音楽を髣髴とさせてくれる。

一方通奏低音を担当するヤスコ・ウヤマ=ブヴァールの弾くチェンバロは1741年製のオリジナルのエムシュになる。

通奏低音には他にヴィオラ・ダ・ガンバとテオルボが加わった4人編成で、当時の演奏習慣を再現している。

この第1集では組曲の第1番ニ長調、第2番ト長調、第3番ト長調及び第4番ホ短調の4曲と2曲の2本のトラヴェルソのための小品が収録されていて、デュエットではジャン=フランソワ・ブジェが相手方を務めている。

さらにトラック22には録音されることが少ない短い作品だが、トラヴェルソ・ソロのための『エコー』が加わっている。

この小ピースは狩の情景を横笛一本でイメージさせる、言ってみれば一種のファンタジーで、フォルテとピアノの指示が交互に繰り返される森の中のエコー効果を狙ったユニークな曲だ。

続く第2集と共に古楽ファン、並びにトラヴェルソ・ファンには是非お薦めしたい1枚だ。

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2021年11月30日


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初期ルネサンスの巨匠で15世紀最大の作曲家ギヨーム・デュファイ(1397頃-1474)の世俗音楽の全てを網羅した画期的全集。

かつてタワーレコードから全94曲の全集として発売されていた名盤だが、よほどの古楽愛好家でなければ、それだけの曲数を聴く機会がないと思われるだけに喜ばしい。

この作曲家はルネサンス時代のミサ曲の形を確立した巨匠として重要だが、同時に、フランス語を歌詞とする多声世俗歌曲の大家としても知られている。

そのフランス語の歌曲だけでなく、イタリア語やラテン語による多声世俗歌曲も含めて、デュファイの多声世俗歌曲のすべてを収録したロンドン中世アンサンブル盤(1980年録音)は今思えば録音史上でも画期的な意義をもつものといえよう。

中世の秋を印象づける最大の音楽が、ロンドン中世アンサンブルの卓越した演奏で耳にすることができるからだ。

しかもその演奏は、基本的に現代附のデュファイ全集で示された形を踏襲し、歌と楽器の組み合わせのひとつの基本を示してもいる。

全音楽史を通してデュファイは、モンテヴェルディ、バッハたちと並ぶ、類いまれな巨人的存在である。

その作品は当時のすべてのジャンルに及び、ミサ曲、モテトゥス、世俗シャンソンなど、それぞれが規模も大きく訴えも深い。

ここにあげたロンドン中世アンサンブルによる全集は、既存するデュファイの世俗音楽作品の全てが収録されている。

演奏も出色もので、バリトンのヒリアー、ジョージらの名歌手が、初期ルネサンスの恋の歌を切々と歌いあげている。

見事に芸術的に練磨され、中庸を得た演奏である。

ある種の遊びの要素を秘めて、古風に洗練された宮廷的な愛の歌が延々と続くが、少しも飽きを感じさせない。

適度なヴァラエティがあり、卓越した演奏によって各曲が現代に甦り、“中世の秋”の作曲家デュファイの抒情感を聴き手に伝えてくれる。

ホイジンガーの『中世の秋』の世界がそのまま音になって再現されたと思われる、名曲の名演奏である。

ここからは、当時の宮廷の人々が愛好した雅びな愛の姿などを、自然と感じとることができる。

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2019年09月11日


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下巻ではイタリア・ルネサンスが生んだ綺羅星のような多くのアーティスト達の活躍が詳述されているにも拘らず、その時代のイタリアの政治的あるいは文化的な凋落がまざまざと明らかにされている。

先ずルネサンス発祥の地とも言えるフィレンツェから次々に有能な職人が離れていく。

高階秀爾氏の『フィレンツェ』によればロレンツォ・デ・メディチの外交政策によって彼らがイタリア各地に派遣されるが、職人たちは祖国に帰らなかった。

条件の良い土地で働くことを望んだのだが、その理由のひとつにサヴォナローラの事実上のフィレンツェ共和国統治にあるだろう。

サヴォナローラについては本書第2章が捧げられている。

『虚栄の焼却』によって貴重な芸術作品の多くがシニョリーア広場で焼き尽くされた。

こうして人間的な自由で開放的な芸術活動は一切否定されることになる。

彼の息の詰まるような行き過ぎた政策は反感を買うが、ついに彼は教皇アレクサンデル六世への痛烈な批判によって『虚栄の焼却』と同じ場所で火炙りの刑で処刑された。

サヴォナローラが登場したのはメディチ家の牽引した高い文化と同時に享楽社会の絶頂期にあった。

その意味ではこのドメニコ派の僧侶も時代の子と言えるのではないか。

第69章はミケランジェロで、彼はルネサンスから次の時代に芸術活動を切り拓いた巨星だが、彼も少年時代にメディチ家の当主ロレンツォ・イル・マニーフィコとの偶然の出逢いがなければその驚異的な才能を開花できただろうか。

ロレンツォはミケランジェロの才能に驚き、彼をメディチ家に招いて食住を共にさせ教育させる。

当時最高の知識人から受けたあらゆる教養がミケランジェロの作品に滲み出ていることは明らかだ。

教皇ユリウス二世とは腐れ縁で、喧嘩ばかりしていたが何故か最も重要な仕事の幾つか成し遂げている。

彼のオーダーで描いたシスティーナ礼拝堂の天井画はミケランジェロ処女作のフレスコ画だった。

完成直後にダ・ヴィンチが法王庁にやってきて二年間の滞在をしているが、この時期ローマはまたラファエッロ全盛期で、膨大な仕事を請け負って代表作を生み出していた。

こうした切磋琢磨ができたのはやはり時代の成せる偶然だったのだろうか。

この頃がヨーロッパにとってもイタリアが最も輝かしい芸術の都であり、しかし一方で斜陽が射し始めていた時期だった。

ドイツ・ルネサンスの担い手、デューラーも二度のイタリア旅行でジョヴァンニ・ベッリーニなどから多くの影響を受けている。

第68章では斜陽のイタリアと題して16世紀末のイタリアがヨーロッパの文化の主導権から離れていった実情が説明されている。

実質上イタリアには宗教改革は及ばなかったために個人の権利義務の意識も稀薄だったとしている。

国内にスペインの覇権が確立しても大きな抵抗はなかった。

著者はローマ教皇庁の反宗教改革が勝利する中で、イタリア人の気骨は失われ、そのために彼らのサーヴィス業に対する適正がこの頃から顕在化したとしている。

現在のイタリア人が世界最良の給仕であり、ドアボーイであり、また世界最良の靴磨きなのは四百年前から始まったと皮肉を込めて書いているが、これは少し言い過ぎかもしれない。

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2019年09月04日


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イタリアのジャーナリスト、モンタネッリとジェルヴァーゾの共著による『ルネサンスの歴史』文庫版の上巻になり、ルネサンス黎明期のイタリア小国家同士の紛争と教皇庁対神聖ローマ帝国、そして領土拡張を狙う近隣諸国の四つ巴の確執やヨーロッパを波状攻撃で襲うペストの流行の中で何故ルネサンスが起こったかが前半に説明されている。

そのひとつの理由として著者はイタリアには国家統一構想の観念も気運もなく、それぞれの領主がそのエネルギーを宮廷文化に注ぐことができたからだとしている。

一見独断と偏見に満ちた解説のようだが、実はそこに事実を見極める冷徹な眼がある。

例えば教皇庁の以夷制夷はお家芸とこき下ろす。

つまり敵対する国には他国を戦わせて自己の保身を図り、常に風見鶏的な政策を取って権威と利権にしがみつくだけの存在に堕していた。

そして歴代のローマ教皇の失態とそれに続くアヴィニョン捕囚への歴史が暴きだされている。

ルネサンス黎明期を担った文豪としてイタリア語という俗語で高度な詩のスタイルを完成させたダンテ、俗語によるヨーロッパ初の小説を書いたボッカチオ、そしてラテン文学の健在を示しながら実はイタリア語の達人だったペトラルカを詳細に解説しているが、ダンテは文人であるより先ず政治家であり、生涯政治闘争に巻き込まれ翻弄された。

そこにはまた大商人の興隆が無視できない。

モンタネッリは近代的商人の鏡としてフィレンツェのフランチェスコ・ダティーニの章を設けている。

彼は如何に多くの利潤を引き出し、損失を出さないかを徹底した記録と統計によって取り引きした。

勿論そこに天才的な勘を働かせていたことも事実だろう。

政治には全く関与しなかったので、相手が見方であろうが敵であろうが武器を売って一大財産を築き上げた完璧な商人気質だった。

彼より更に老獪だったのが銀行家コジモ・デ・メディチだ。

彼は金銭の力を誰よりも信じていたし、世の中に金で動かないものはないという哲学を持っていたが、またそれを使う術も熟知していた。コジモは驚くべき寛容さで画家、彫刻家、建築家を起用してフィレンツェ共和国を飾り、私設のアカデミーを創設してヨーロッパ最高の知識人を集めたサークルを開いた。

潔い性格でも知られていて、ライバルのアルビッツィ家の陰謀で国家反逆罪の逮捕状が出た時、コジモは逃げも隠れもせず死刑を覚悟で出頭した。

ただし裁判官に金を送って死刑は十年の流刑に減刑され、更にそれは一年に短縮された。

彼がフィレンツェに返り咲いた時には庶民から凱旋将軍のように受け入れられたという。

常に庶民を味方に付けるのもメディチ家のストラテジーだ。

ここではまた建築家ブルネッレスキ、彫刻家ドナテッロそして画家マサッチョなどが説明されている。

コジモから直接人生訓を受け継いだのが孫のロレンツォで、彼は教皇領イモラを強引に統合したことで教皇シクトゥス四世の恨みを買い、教皇にそそのかされた宿敵パッツィ家の謀反によって弟ジュリアーノを殺されただけでなく、教皇庁とナポリ王国から宣戦布告を受けるが、果敢にもロレンツォは単身ナポリに乗り込んでフェルディナンド王との直談判によって和平協定を結ぶという離れ技をやってのける。

メディチ家の治世に真っ向から反対の説教を繰り返したドメニコ派の僧サヴォナローラには常に寛容の態度を示し、死の床にあってサヴォナローラを呼び寄せ告解をして世を去った。

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2018年08月11日


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ルネサンスと言えば日本では文芸復興と訳されて、フィレンツェ、メディチ家が私財を投じて設立したアカデミアでの当時の最高の知識人達による古典を基礎とした学術の探求に象徴されているが、温故知新に則った忘れ去られた過去の優れた文化の模索は既に12世紀には芽生えていたという著者の見解をかなり詳細な考察で明らかにして、それまでの暗黒の中世という既成概念を覆している。

またその前段階に遡るシャルル・マーニュ大帝フランク王国宮廷でのギリシャ、ラテン語による古代作品の蒐集翻訳が始まる、いわゆるカロリング・ルネサンスの啓蒙活動にも触れていて、その後大学が初めて創設されるのがまさに12世紀だとしているが、いずれにしても中世の7つのリベラル・アーツ、つまり文法、修辞法、論理学、算術、幾何学、天文学及び音楽を習得することができたのは修道僧や聖職者で、著者自身219ページで学問を必要とする公職は総て彼らの独占物だったと述べている。

その後に開花する世俗の人々を巻き込んだ異教を大幅に許容した文芸復興には、大商人の興隆と地方を結ぶネットワークによる経済活動の飛躍的向上やグーテンベルクの活版印刷などが更に拍車をかけたことが想像される。

一方科学や医学の面ではその頃ヨーロッパより遥かに優位だったアラビアを経由した東方の文化の伝播が重要な項目として挙げられている。

サラセン人には地中海全域を荒らしまわった海賊集団というイメージがあるが、実際にはそれを可能にするだけの天文学や航海術の裏付けがあったことは間違いないだろうし、自然科学、医学や数学、特に現在世界中に普及しているアラビア数字や計算法などは彼らからの恩恵だ。

著者は私達が日頃何気なく使っているバザー、タリフ、シュガー、コットンなどの語源がアラビア語であることも指摘している。

12世紀の文芸復興の兆しは明らかだがその歩みは緩慢であくまで文学中心で、しかも地方に点在する文化の興隆は単発的で、後の時代の超人的な天才達も未だその姿を現すには至っていない。

彼らが手本とした古典自体が異教徒によって生み出されたものであることから、それを受け入れる教会との軋轢も必然的に生じる。

知の源泉が教会から俗世界に流れ波及したこととは裏腹に、カトリック教会の異端審判と科学者達との確執が、その後も長く続くことになったのは皮肉な現象だ。

文学についでユスティニアヌスのローマ法の復活とその学習について書かれているが、後の時代に役人や官僚になるための最短コースは法学を学ぶことで、その地盤は12世紀にできつつあったことが理解できる。

本書の前半は12世紀を中心とする、地道な羊皮紙への筆写活動が語られていて、それほど魅力的で読ませる文章とは言えないが、当時まだ印刷機のなかった時代に、こうした古典書物の普及にはひたすら手作業の筆写が欠かせなかったことを思い知らされる。

ここでは実際の作品を多数掲載して、読者の鑑賞にも役立つように構成されている。

勿論訳者2人の非常に念入りで分かり易い日本語訳を通してその薫り高い文学に接することができるが、ラテン語韻文のリズムは併録された原文で検証できる。

また中世は風刺とパロディー全盛期の時代で、主としてカトリック教会が槍玉にあがっている。

これはあからさまな蓄財によって権勢をほしいままにしていたローマ教皇への遊歴書生からの隠れた抵抗として説明されている。

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2017年03月02日


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ルソーが言語の起源と本質を論じた著作。

言語の本質とは情念の表現にあり、もとは言語と音楽の起源は同一であったという。

言語の起源と変遷、諸言語の地理的差異、音楽の起源、旋律、和声の原理と歴史が分析され、南方と北方の言語の抑揚の相違、言語の現状が言語の変遷といかに関係しているかなどが論じられる。

学生時代単行本で初めてこの作品を読んだ時にはギリシャ、ローマの古典に疎かった筆者は引用の多さと原注を調べることに辟易しながらも、ルソーらしい確信に満ちた論法に興味を惹かれ、彼の思考回路と好奇心を刺激する破天荒の人となりに大きな魅力を感じた思い出がある。

増田氏の訳出によるこの文庫本は平明な口語体で、原注と訳者による訳注がそれぞれの短い章ごとに並列されていて、一般読者のためのより良い理解への便宜が図られている。

ただしルソーの他の論文と同様、当然当時の第一級の教養人を読者に想定して書かれたものであるために、その文学的醍醐味を味わうにはある程度の古典の素養が欠かせないことも事実だ。

ここでも彼が有名な『ブフォン論争』で展開した、殆んど独善的だが豪快な論陣が張られている。

また彼は自分に敵対する人々を常に意識していて、そうした陣営への痛烈な揶揄や時として罵倒も辞さない。

気候が温暖で潤沢な食物に恵まれた地方の人々の最初の言葉は最初の歌であり、一方厳しい気候の北方の民族のそれは相手を威嚇するために鋭い発音になったという論法は、現代の言語学の到達点からすれば観念論の謗りを免れない。

専門分野の資料を欠いていた彼の時代の研究は確たる物的証拠に基いたものではなく、頭脳を駆使して構築されたファンタジーの域を出ない産物だからだ。

しかしながらルソーの思考方法に現代でもその価値を認めるとすれば、むしろそれは彼が古典文学、歴史や地理、文化風俗から哲学、物理、音響学に至るまでの当時の百科全書的な広範囲に亘る知識を総動員して考察しているところである。

すなわちその時代に知り得た総ての知見を総合する術こそ、余りにも細分化され異なった専門分野のミクロ的分析に成り下がってしまった現代の科学に本来の研究方法のあり方を実践してみせている。

そうしたことからもルソーはまさに近代啓蒙思想の元祖的な存在と言えるのではないだろうか。

後半第12章からは話が音楽に移り、彼の論敵である作曲家ラモーへの鋭い攻撃が展開される。

ラモーは既に彼の著書『和声論』で旋律に対する和声の優位を説いているが、ルソーはこれに真っ向から対立し、言葉に源泉を持つ旋律の方に絶対的価値を主張している。

そこで喩えに用いられているのが絵画でのデッサンと色彩で、当然彼はデッサンを音楽の旋律に喩え、色彩を和音に置き換えて論証している。

そして和音が理論化されてしまったために、その進行が逆に旋律を制限し、本来の音声言語の持っている精神的力強さが失われてしまったと説く。

彼の論法では色彩の理論だけでは絵画は成り立たないのだが、それは印象派以後の絵画の傾向を見るなら一概に頷けるものではない。

しかしながら自然界に存在する倍音列とは異なった音律で和声を創り上げた和声法とそれに縛られた旋律は、確かに本来の力強さを失ってしまったのかも知れない。

最後には言語起源論からフランス絶対王政反対に導くルソーならではの強引で飛躍的な帰結も痛快だ。

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2015年07月18日


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1950年代から60年代にかけてイタリア・オペラ界はソプラノからバスに至るまで、あらゆるキャラクターを演じることができた豊富な人材に恵まれていた。

奇しくもそれは2人のプリマ・ドンナ、マリア・カラスとレナータ・テバルディがライヴァル意識に火花を散らした時代でもあったが、一方テノールでもタリアヴィーニ、デル・モナコ、ディ・ステファノの黄金時代に重なっていた。

勿論彼らの背後には二軍とも言える個性的な歌手達が星の数ほど控えていて、このアリア集では4人のテノール、ジュゼッペ・カンポラ、ジャンニ・ポッジ、ジーノ・ペンノ及びジャチント・プランデッリが往年の声を披露している。

4人とも上記の2人のプリマ・ドンナとも共演しているし、それぞれがオペラ全曲録音も残しているが、3人の花形テノールの圧倒的なイメージの影に隠れてしまったのが彼らにとっては不運だったと言えるだろう。

この4人には弱点もあったが立派なはまり役もあって、本人もその当たり役に賭けて舞台に上がったので絶大な支持と喝采を得ることができたし、またそれが許される時代でもあった。

声の質や総合的な表現力ではカンポラが優れているし、超高音を楽に出すことができたポッジは『トロヴァトーレ』の「あの炎を」でハイCを2回歌っているが、ペンノは同アリアを半音下げてごまかしているところが面白い。

現在の歌手に求められる条件は馬鹿の一つ覚えではなく、自分の声質をある程度無視してでも、どの役も起用にこなすオールマイティなそつのなさだ。

ジュリーニがかつて指摘したように昨今の人気歌手は欧米のオペラ劇場を掛け持ちで回るため、常に声帯が疲労した状態で声が荒れてしまっている。

スケジュールが詰まっているのでオーケストラとの練習時間や舞台稽古も満足にできず、以前のような行き届いた上演が不可能になってしまった。

ジュリーニがオペラから手を引いたのは、まさにそうした理由からだった。

このCDに収められた1950年代の歌手達は我儘が通った時代だけにベスト・コンディションで舞台に立とうとしたし、また非常に広い層の歌手がイタリア・オペラ界を支えていたことの証しでもある。

彼らが二軍として片付けられない魅力を持っていたことは確かだ。

1951年から55年にかけての全曲モノラル録音ながら、当時ロンドン・レコードが誇ったffrr(Full Frequency Range Recording)の音質はノイズも極めて少なく鮮明な状態で再現されている。

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2015年07月15日


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筆者の記憶では1989年から始まったニンバスのプリマ・ヴォーチェは、既に135枚のCDをリリースしているが、このシリーズの刊行に当たってニンバスの企画には当初から明確なポリシーがあった。

それは78回転盤から実際に再生されていた音の再現であり、それまでにハイテクを駆使したリマスタリングによってCD化されたものの音質への疑問に対するひとつの解決案でもあった。

それ以前のSP盤CD化で得られた音質は往々にして余韻のない干乾びたもので、歌手の声はもとよりオーケストラに至っては聴くに堪えない惨めな音でしか再現できなかったのが実情だ。

こうした演奏を聴いてカルーソを始めとする過去の大歌手への評価を下すこと自体ナンセンスだった。

だが筆者はこのプリマ・ヴォーチェ・シリーズを聴くようになって、初めて彼らの偉大さが理解できるようになったと言っても過言ではない。

CD化のプロセスは至って単純で、保存状態の良いSP盤を当時の手廻し式蓄音機グラモフォンにかけて再生した音を再生空間の音響と共に録音するというもので、逆説的だがそうすることによってSP本来の特質が余すところなく再現されるからだ。

当然ノイズ処理も一切していない。

何故ならノイズをカットすれば可聴域の再生音まである程度除去されてしまうからだ。

レコード産業の黎明期にSP盤の製造販売が隆盛を極めたのにはそれなりの理由がある。

それは肉声に逼迫するほどの再現が可能だったからに他ならない。

特に人間の声域は、当時の録音技術と再生機器のダイナミック・レンジに最も適していたのだろう。

だからこの時代のレコード産業を支えたのは他ならない歌手達だった。

このサンプラー盤に収録されている14人のオペラ歌手達の唱法は伝統的なベル・カントの見本でもあり、彼らの技術が綿々と今日の歌手に受け継がれていることは無視できない。

確かに現代の歌手は指揮者の持ち駒として活用され、往年の人達のような勝手気ままは許されなくなったが、当時の歌い手の天衣無縫とも言える歌声を聴くことによって、本来の歌唱芸術を探ることになるのではないだろうか。

第1曲目がユッシ・ビョルリンクの『誰も寝てはならぬ』で、録音は1944年なので当時33歳の彼の輝かしい歌声を堪能できる。

また5曲目のカルーソがマントヴァ公爵を歌う『リゴレット』の四重唱は1908年の録音でカルーソ最良の記録のひとつだろう。

更に10曲目に入っているマスカーニ自身の指揮する『カヴァレリア・ルスティカーナ』では「おお、ローラ!」を歌うジーリの熱唱を聴くことができる。

これはオペラ初演50周年を記念して行われた全曲録音から採られたもので、マスカーニのスピーチも含まれている。

当時ジーリは既に50歳だったが、その歌唱はドラマティックで、しかも歌い崩しのない端正なものだ。

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2010年09月26日


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1993年にスペインで発売されるや全世界を巻き込む《グレゴリオ聖歌》ブームを引き起こしたその発端となった1枚。

中世の音楽の静かなブームや、グレゴリオ聖歌とダンス・ミュージックをドッキングさせた曲のヒットなどが伏線にあったとはいえ、クラシックの古典(しかも超古典だ!)のアルバムがポップスと肩を並べてヒット・チャートを賑わせたことは、20世紀末クラシック音楽界最大の珍現象として特記されるべき事件。

そういう意味で、一家に1枚おいて損はない「不滅の名盤」である。

ただし演奏自体は何の変哲もないグレゴリオ聖歌であり、ほかの合唱団のではなくこのシロス修道院のものがヒットしたのは単なる偶然。

ヨーロッパ音楽の源流であるグレゴリオ聖歌は、ローマ・カトリック教会の典礼のための音楽である。

遠い時代の音楽。オペラも交響曲もない時代だが、人々の生活は音楽に満ちあふれていたことを実感させてくれる。

ここで聴ける音楽は、博物館的に陳列され、好奇の目を満足させるためにあるのではない。

神に対しても、人に対しても、生活に対しても一生懸命生きていた人間たちの営みの諸相を音楽の窓から見せてくれる。

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2008年08月05日


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この宗教作品はバロック時代の音楽の最大の傑作であるばかりでなく、全ヨーロッパ音楽史を通しても記憶されるべき名曲である。

カトリック教会の「夕べの祈り(晩課、ヴェスプロ)」の中で、特に聖母マリアに捧げられた典礼のための音楽で、いくつもの詩編曲、アンディフォナ(詩編曲への前奏として歌われる聖歌)、賛歌、さらに最後の壮大な『マニフィカト』(キリストを宿したマリアによる神へのたたえ歌。2通りの作曲が用意されている)などから構成された大規模な音楽である。

モンテヴェルディ43歳のおりの1610年に出版され、時のローマの教皇に献呈された。

いくつかの名演奏盤があるなかで、作曲家ゆかりのヴェネツィアの聖マルコ大聖堂で収録されたガーディナー指揮の新録音盤は、特に圧倒的な力をもって迫ってくる。

出だしから残響豊かな広大なスペースを意識した、壮大でモニュメンタルなスタイルで聴き手を押し包む。

手兵モンテヴェルディ合唱団、合奏団を率いて、造形性を適確におさえ、表現意欲あふれたモンテヴェルディを再構築しているのである。

全体にテンポは速めで歯切れがよく、ソロやアンサンブルのパッセージがよく浮かび出てくる。

かなりの長丁場をメリハリ豊かに、変化十分にグイグイと押しきってゆく、その説得力のほどが凄まじい。

ガーディナーの作品に寄せる熱い思いがひしひしと伝わってくる、バロック宗教音楽の最高傑作の優れた演奏だ。

この作曲家の偉大さ、懐の深さを実感させるばかりでなく、これこそバロック音楽と納得させてくれる好演奏である。

なお、DVDもあって、聖マルコ大聖堂の細部や古楽器演奏の有様などを克明に見せてくれる点からも、一見に値する。

晩年のモンテヴェルディが楽長を務めた場所でのライヴという点もこのDVDの見どころだ。

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classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

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