グリモー

2023年02月06日


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グリモーとシューマンの相性は非常に良いように思われる。

本盤も、そうした相性の良さがプラスに働いた素晴らしい名演と高く評価したい。

ピアノ協奏曲は輝かしい情熱と豊かな詩情を兼ね備えた、最も条件のそろった名演である。

グリモーは、鮮明なタッチと曇りのない歌心の中から誠に美しい詩情と振幅の大きな表現を浮かび上がらせている。

シューマンのピアノ曲の本質は、内面における豊かなファンタジーの飛翔ということになる。

ショパンやリストのような自由奔放とも言える作曲形態をとらず、ドイツ音楽としての一定の形式を重んじている。

演奏によっては、ファンタジーが一向に飛翔せず、やたら理屈だけが先に立つ、重々しい演奏に陥ってしまう危険性がある。

グリモーのピアニズムは、必ずしもシューマンの精神的な内面を覗き込んでいくような深みのあるものではない。

卓越した技量をベースとした透徹したタッチが、むしろ理屈っぽくなることを避け、シューマンのピアノ協奏曲の魅力を何物にも邪魔されることなく、聴き手がそのままに味わうことができるのが素晴らしい。

また、シューマンの作品は、どのような分野のものであれ、病的な部分というか、翳のような部分を抱え込んでしまっているケースが少なくない。

だが、グリモーのアプローチは、そのようないわば負の部分にはあまり拘泥することなく、ピアノの音自体の強靭な存在感でもって、ほとんど直線的になされていく。

ちょっと澄ました軽やかさで、音楽の襞を明晰に追って、あっさりともたれないところがいい。

もちろん細部まで克明に彫琢されているが、ラテン的で明るい歌謡性もが光っている。

それでいて、出来上がった演奏は多面的な魅力をおび、シューマンの本質を鮮やかに掬いあげえているところに、グリモーのすごさがあると言えよう。

サロネン&シュターツカペレ・ドレスデンのバック・アップも十全であり、グリモーのピアノとの間に呼吸の乱れは少しもなく、とにかく中身の濃い演奏内容である。

カップリングされたブラームスのチェロ・ソナタ第1番、C.シューマンの歌曲集も、主役はグリモーで、清澄にしてきらめきのある音質を生かした演奏は、端正ななかにも、華やかな輝きをもっている。

そして、なめらかな躍動感も、演奏に生き生きとした流動感を与えており、全体として快い流れでまとめられている。

いずれ劣らぬ名演であり、ピアニストの個性ではなく、楽曲の素晴らしさだけが聴き手にダイレクトに伝わってくるという意味では、ベストを争う名演と言っても過言ではないと思われる。

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2023年02月05日


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進境著しい才色兼備のピアニスト、グリモーのベートーヴェンは、すべてがそろった名演だ。

シュターツカペレ・ドレスデン(指揮者ユロフスキはミスキャストの感は否めない)は世界最古の歴史を誇る伝統のある楽団だけに、その響きは素晴らしく、ことに弦楽合奏の柔らかく味わいのある音色は申し分ない。

まずシュターツカペレ・ドレスデンの出だしのフォルテを聴いてほしい。

これほど威風堂々とした響きは、ほかのオーケストラからはなかなか聴くことのできない、伝統の響きだ。

グリモーもその響きに優るとも劣らない風格をもっており、偉大かつ雄弁に音のひとつひとつを大切に弾いており、音楽が匂い立つようだ。

明るい音色と垢抜けたセンスが快く、タッチは変化に富み、洗練された響きを生み出していて単なる透徹した響きとは違った魅力を発散している。

遅めのテンポが、ソロ、オケ双方に良い効果をあげていて、弦のいぶし銀のような音色と柔らかい響きはグリモーのフレージングに美しい品位を与えている。

第1楽章は音の1粒1粒が大切にされ、ベートーヴェンが何気なく書いた飾りの音型からも新しい意味を掘りおこしてゆく、力強く深々とした表現である。

第2楽章は初めは淡々と弾いてゆくが、途中からにわかに輝きを増し、円熟味のある芸となる。

フィナーレも懐の深い表現で、グリモーとユロフスキの、乗りに乗った白熱的なかけあいが聴きものだ。

《皇帝》はもちろんのこと数多くの演奏家が録音しているが、演奏として心を打つものは意外に少ないように思える。

グリモーの《皇帝》は、様式がそのまま表現になっており、型が崩れないままに、ナイーヴな人間の歌が聴こえてくる。

バックも純ドイツ風で、充実し切った有機的な響きが快く、ふくよかな響きと自然な表現でよくグリモーをサポートしている。

ピアノ・ソナタ第28番は、ピアノのタッチの美しさの光った繊細な演奏であるが、《皇帝》に較べると感銘はやや落ちるようだ。

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2023年02月02日


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本盤に収められたブラームスのピアノ協奏曲第1番、第2番は、グリモーのこれまでの録音の中でも最上の演奏の一つである。

遅めのテンポからブラームスの複雑な音型を丁寧に解きほぐし、それによって作曲者の心が比類なく伝わってくる。

地響きを立てるような凄まじいダイナミズムも決して力まかせにはならず、逆に何気ない部分にも表情がよく出て、カンタービレや情感が生きている。

特に第1番では、演奏スタイルは旧録と変わっていないが、これほど立派な第1楽章の演奏は、そう滅多に聴けるものではない。

グリモーの強靭なタッチは、ブラームスの、若き日の苦悩の時代に書かれたこの作品にぴったりの厳しさをもっている。

ひとつひとつの音からして芯が強く、激しくオーケストラとわたりあう部分になっても、少しの揺るぎもないのが見事だ。

特筆すべきはネルソンスの練り上げられた指揮ぶりで、断然素晴らしい。

バイエルン放送交響楽団を存分に鳴らしながら、これぞブラームスだ!といった重厚な響きをつくりあげている。

特に第1楽章は凄絶さの限りをつくしている。

第2番でも全体に強靭なタッチで、男勝りに弾きあげながらも、抒情的で詩的な"歌心"にあふれているのが魅力だ。

グリモーが成し遂げた最も感動的なブラームスである。

フィナーレのテーマが本当のグラツィオーソで弾かれているのを聴けば、グリモーの到達した奥深い音楽の世界が理解されるだろう。

テンポは全体に遅く、ブラームスの書いた複雑な楽想を、ピアニスト、指揮者が一体になって、丁寧に解きほぐし、そこに新しい光を当てている。

グリモーは若いころから一切の粉飾を排し、音楽の核心に鋭く切り込んでゆくような演奏をしてきた人だけに、円熟期のこの演奏には、そうした特徴のうえに、さらに精神的な厚みが加わっている。

ネルソンスも、ウィーン・フィルを存分に鳴らしながら、構えのしっかりとした音楽をつくりあげている。

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2023年01月14日


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エレーヌ・グリモーの演奏はどこと言って際立った特徴はなく、一見中庸に見える。

そこには教わって得た知識の応用や、意識的に工夫した演出といったものはあまり顔を出していない。

持って生まれた感性を大切にして、それを自然に育んでゆこうとする姿勢が特徴的だ。

だから背伸びしたところは一切なく、すべて自分の理解し得た範囲で対象と接しようとしている。

一見謙虚な表情の裏に、意外に芯の強さを秘めているのが見てとれもする。

それは自分に正直でありたいという信念のようなものがあるからだろう。

チェーホフは「芸術にとって正直であること、それ以外にはなにも手はない」と言っている。

グリモーはこの言葉を知っているかどうかはともかく、彼女の演奏はつねにそう主張しているように聴こえる。

とは言うものの、それを裏返せば、曲によってはまだまだ掘り下げが足りないということもあるということを意味する。

たとえばシューマンの《クライスレリアーナ》などの晦渋な箇所では、入り口でもたつき、その奥へ手をとどかせられないということになりかねない。

それにもどかしい思いをする聴き手もいるはずだ。

そういった粘りの欠如やベクトルの狭さは否定できない。

しかし、彼女の演奏から伝わってくるのは、自力で曲の意味を発見してゆくよろこびの横溢である。

音楽するよろこびとは本来そのようなものであるはずだ。

その心の躍動がこちらにも伝わり、それが聴き手の共感を呼ぶ。

彼女の演奏のいちばんの魅力は、この発見と共感にある。

この共感なくして生きるよろこびはないとさえ言える。

彼女が演奏を通して伝えてくるものは、自分の生を慈しむことによって、人をも愛する道を見いだし、友愛の絆をもって歩んでゆこうというメッセージだ。

彼女はそれを声高にではなく、自分の音楽体験通してつつましく語りかけてくる。

ブラームスの《インテルメッツォ》は、作曲家が渋面の裏に秘めている、明るい生き方へのかぎりない憧れを的確に描き出して魅力的だ。

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2022年06月26日


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昨今においてますます進境著しいエレーヌ・グリモーであるが、意外にもモーツァルトの楽曲については殆ど録音を行っていない。

ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を2度も録音していることなどに鑑みれば、実に不思議なことである。

本盤に収められたモーツァルトのピアノ協奏曲第19番及び第23番についても、グリモーによるモーツァルトのピアノ協奏曲初の録音であるのみならず、モーツァルトの楽曲としても、ピアノ・ソナタ第8番の演奏(2010年)以来、2度目の録音ということになる。

ピアノ・ソナタ第8番については、モーツァルトを殆ど演奏していないグリモーだけに、他のピアニストによる演奏とはまるで異なる、いわゆる崩した個性的な演奏を繰り広げていた。

グリモーの心の込め方が尋常ならざるレベルに達しているため、非常に説得力のある名演に仕上がっていた。

それだけに、本盤のピアノ協奏曲においても、前述のピアノ・ソナタ第8番の演奏で聴かれたような超個性的な表現を期待したのであるが、見事に肩透かしを喰わされてしまった。

カデンツァにおける即興性溢れる演奏には、そうした個性の片鱗は感じさせるものの、演奏全体の基本的なアプローチとしては、グリモーはオーソドックスな演奏に徹している。

グリモーのピアノ演奏は、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番を得意のレパートリーとしていることからも窺い知ることができるように、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の起伏の幅が桁外れに広いスケールの大きさを特徴としている。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っているとさえ言えるところである。

ところが、本演奏においては、モーツァルトのピアノ協奏曲だけに、むしろ、楽曲の随所に盛り込まれた繊細な抒情に満ち溢れた名旋律の数々を、女流ピアニストならではの清澄な美しさを保ちつつ心を込めて歌い抜くことに主眼を置いているように思われる。

そして、モーツァルトの楽曲に特有の、各旋律の端々から滲み出してくる独特の寂寥感の描出についてもいささかも不足はない。

加えて、グリモーが素晴らしいのは、これは濃厚な表情づけを行ったピアノ・ソナタ第8番の演奏の場合と同様である。

感情移入のあまり感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥るということは薬にしたくもなく、どこをとっても格調の高さを失っていない点である。

このように、本盤の演奏は総じてオーソドックスな様相の演奏であるが、前述のような繊細にして清澄な美しさ、そしていささかも格調の高さを失うことがない心の込め方など、グリモーならではの美質も随所に盛り込まれている。

バイエルン放送室内管弦楽団による好パフォーマンスも相俟って、まさに珠玉の名演に仕上がっていると高く評価したい。

併録のレチタティーヴォ「どうしてあなたが忘れられるでしょうか?」とアリア「心配しなくともよいのです、愛する人よ」については、グリモーの透明感溢れる美しいピアノ演奏と、モイツァ・エルトマンの美声が相俟った美しさの極みとも言うべき素晴らしい名演だ。

音質についても、2011年のライヴ録音であるが、グリモーのピアノタッチがより鮮明に再現されるなど、申し分のないものであると高く評価したい。

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2022年06月13日


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選曲、演奏、録音の3拍子そろった素晴らしい名演集であると高く評価したい。

まず、いかにもグリモーならではのセンス満点の選曲の妙が見事だ。

モーツァルトからリスト、ベルク、そしてバルトークに至る作品の変容の系譜を1枚のCDで味わうことができるのは、何と言う素晴らしいことであろうか。

バルトークの選曲に当たって、ピアノ・ソナタではなく、ルーマニア民俗舞曲を採用したのも大変興味深いところだ。

そして、演奏内容も凄い。

モーツァルトなど、他のピアニストによる演奏とはまるで異なる、いわゆる崩した演奏ではある。

それでもグリモーの心の込め方が尋常ならざるレベルに達しているため、非常に説得力のある名演に仕上がっている。

ベルクやリストの、超絶的なテクニックも凄いの一言。

特に、リストは、卓越したテクニックを要するだけでなく、幅広い表現力をも必要とする。

グリモーは、力強い打鍵から天国的な抒情の美しさに至るまで完璧に表現し、実にスケール雄大な名演を成し遂げている。

特に、強靭な打鍵は、女流ピアニストの常識を覆すような圧倒的な迫力に満ち溢れている。

ルーマニア民俗舞曲の各曲の巧みな描き分けも、前3曲のピアノ・ソナタを総括するようなドラマティックなアプローチで巧みに行うことに成功している。

どの曲も唯一無二のグリモー色に染まっており、各曲に嵌っているか否かにつき聴き手の印象が大きく異なるものの、有名曲の新たな解釈の面白さという点で非常に興味深く聴ける1枚だと思う。

録音も鮮明であり、特に、ピアノ曲との相性抜群のSHM−CD化は、本盤の価値を高めるのに大きく貢献していると言える。

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2022年06月08日


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2度に渡ってピアノ・ソナタを録音するなどラフマニノフを十八番としているグリモーであるが、本盤には有名なピアノ協奏曲第2番や前奏曲、練習曲等の小品が収められている。

いずれも、グリモーならではの素晴らしい名演と高く評価したい。

グリモーのピアノは、ピアノ・ソナタでもそうであったが、力強い打鍵から繊細な抒情に至るまで、表現の幅が桁外れに広いと言える。

これは、感情の起伏が激しいラフマニノフの演奏にとっては大きなアドバンテージであると言えるだろう。

とりわけ、力強い打鍵は、男性ピアニスト顔負けの強靭さを誇っており、その圧倒的な迫力は我々聴き手の度肝を抜くのに十分だ。

他方、繊細な抒情は、女流ピアニストならではの清澄な美しさに満ち溢れており、各旋律の端々から湧き上がってくる豊かな情感には抗し難い魅力に満ち溢れている。

そして、ここまでならば、同様のピアニズムを展開する女流ピアニストは他にも存在しているが、グリモーの素晴らしいのは、これだけの表情の起伏の激しい演奏を行っても、いささかも格調の高さを失わない点であると考えられる。

ラフマニノフの楽曲は、甘美な旋律に満ち溢れているが、あまり感情移入し過ぎると、感傷的で陳腐なロマンティシズムに陥ってしまう危険性がある。

しかしながら、グリモーの場合は、前述のように情感の豊かさが演奏全体を支配しているが、同時にどこをとっても気高い気品に満ち溢れているのが素晴らしい。

厚手の衣装をまとったような感傷的で重々しい従来型のラフマニノフ演奏とは一線を画するものである。

その演奏に清新さを与えたという意味では、本演奏は、前述の2度にわたるピアノ・ソナタの演奏も含め、新時代のラフマニノフ演奏像を確立したと言っても過言ではない。

また、ピアノ協奏曲第2番の指揮はアシュケナージであるが、これまた素晴らしい。

アシュケナージは、指揮者としてもピアニストとしてもラフマニノフを得意としている。

ここではグリモーの清新にして気高いピアニズムを引き立て、フィルハーモニア管弦楽団とともに最高のパフォーマンスを発揮している点を高く評価したい。

録音は、2000〜2001年のスタジオ録音であり従来盤でも十分に高音質である。

グリモーによる至高の名演でもあり、今後はSHM−CD化を図るなど、更なる高音質化を大いに望んでおきたいと考える。

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2022年06月04日


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狼とともに暮らすことで知られる人気女性ピアニスト、エレーヌ・グリモーの近年の進境は素晴らしい。

このディスクでは、グリモー自身の解説とインタヴューがついており、興味深く読むことができる。

それによると、ショパンとラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番は、「奥深く秘められた教会の、死の祭壇で執り行われる、優しさのミサ」であり、「真実の愛に満たされた魂」を表しているのだという。

そうした詩的な言葉は、聴き手に音楽を捉える新しい霊感を準備してくれるものだ。

誇張やエゴに陥らず、何度聴いても味わい深い、バランス感覚のとれたショパン。

しかも大きさ、豊かさを感じる。

リズムの俊敏さもグリモーらしい。

葬送行進曲も疾風のような第4楽章も、死と隣り合わせの不思議な優しさを湛えた演奏だ。

ラフマニノフはさらに音楽のスケールが大きく濃厚な情感を伝える。

ショパンに挟まれたラフマニノフというのは、ありそうでいてない、効果的な構成だ。

死と愛をテーマにした2つのソナタの後には、ほっとするように静かな2つのショパンの作品が配置される。

午睡にまどろむような「子守歌」は白眉の出来で、「舟歌」も曲に対する慈しむような思いが伝わってくる。

前半の大曲の厳しさとの対照が見事だ。

さらに、グリモーが素晴らしいのは、どこをとっても彼女の美貌を思わせるような気品の高さに貫かれているということであろう。

2004年12月のデジタル録音で、DG独自の4Dオーディオ・レコーディングが素晴らしく、どこまでもクリアな音質だ。

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2022年05月30日


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充実の活動を続けるフランスの中堅ピアニスト、エレーヌ・グリモーが、そのキャリアの初めにDENONに残した協奏曲集。

グリモーのレパートリーは、当初から出身地のフランスもの(たとえばラヴェルなど)の枠を超えて、ドイツ(シューマン、ブラームス)、ロシア(ラフマニノフ)などの演目を積極的にとりあげ、コスモポリタニズムを目指してきた。

その後、所属レーベルが代わり、新盤が出たので、旧盤扱いながら、天才ピアニストとして登場し自身のピアニズムを模索していく過程を知る意味で採り上げた次第である。

詩情溢れるラフマニノフと切れ味の良いラヴェル、若きグリモーの才気が横溢する協奏曲集である。

若さよりもむしろ内向的で音楽そのものを優先する演奏姿勢が、その後の彼女の活躍を約束するかのようだ。

グリモーは超絶的な技巧を全面に打ち出すピアニストではない。

もちろん、高度な技量は持ち合わせているのだろうが、むしろ、女流ピアニストならではの繊細さとか、フランス人のピアニストならではの瀟洒なエスプリに満ち溢れているだとか、高貴な優美さと言った表現がふさわしいピアニストであると考えている。

本盤は、グリモーの23歳の時の録音で、現在のグリモーのような円熟からはほど遠いとは思う。

しかしながら若さ故の勢いで演奏するのではなく、前述のようなグリモーならではの個性の萌芽が垣間見られるのが素晴らしいと思う。

後年の再録音盤(ラヴェルはジンマン&ボルチモア響、ラフマニノフはアシュケナージ&フィルハーモニア管)も所持しているが未だに何故か当盤の方を手に取ってしまう。

確かに当盤では「途上まだしも」の感は否めないが、多少の瑕疵を理由に捨て置くにはあまりに惜しいのではないか。

ソツ無く御行儀の良い演奏もそれなりに良いとは思うが、許容範囲のキズであれば少々荒削りであっても清々しくてイキのいい演奏を筆者は好む。

見方をかえて、卓抜なテクニックはどこから聴いても驚くばかりだが、この煌くような感性は「若手」という一般的な属性ではなく、もっと別の名状しがたい才能を直観させる。

共演者と程良い距離感を保ちながら、自身の感性を自然体で表現している2曲の協奏曲でそれはよく感知できるような気がする。

ロペス=コボスの指揮は、音質によるのかもしれないが、グリモーのピアノとは正反対の荒削りで激しいものである。

しかし、このアンバランスさが、かえってグリモーの演奏の性格を浮き彫りにするのに大きく貢献しているという点については、特筆すべきであろう。

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2013年08月12日


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本盤にはブーレーズが、各曲毎に異なったピアニスト、オーケストラと組んで演奏を行ったバルトークのピアノ協奏曲全集が収められているが、いずれも素晴らしい名演と評価したい。

それどころか、バルトークのピアノ協奏曲の演奏史上でも、フリッチャイがゲーザ・アンダと組んでベルリン放送交響楽団を指揮した歴史的な超名演(1960、1961年)に次ぐ至高の超名演と高く評価したい。

ブーレーズは、1960年代から1970年代にかけては、前衛的で先鋭的なアプローチによって聴き手を驚かすような衝撃的な名演の数々を成し遂げていた。

しかしながら、1990年代に入ってDGと専属契約を締結した後は、すっかりと好々爺となり、かつてと比較すると随分とノーマルな装いの演奏を繰り広げるようになった。

もちろん、ブーレーズの芸風の基本は徹底したスコアの読み込みにあることから、そのスコアに対する追求の度合いはより深まったと言えなくもない。

ただ、それを実際に音化する際には、おそらくは円熟の境地に去来する豊かな情感が付加されるようになってきたのではないだろうか。

かかるブーレーズの円熟のアプローチが今一つしっくりこない楽曲(とりわけ、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル)もあるが、他方、バルトークについては、各楽曲が含有する深遠な世界がより巧みに表現されることになり、むしろ功を奏していると側面もあると考えられる。

とりわけ、ピアノ協奏曲については、バレンボイムと組んで行った演奏(1967年)(ただし、第1番及び第3番のみ)が、指揮者とピアニストの呼吸が今一つであったことからしても、本演奏の圧倒的な優位性にいささかの揺らぎはないものと考えられる。

それにしても、本盤における各曲におけるピアニストやオーケストラの使い分けには抜群のセンスの良さを感じさせる。

第1番は、3作品の中では最も前衛的な装いの楽曲であるが、ツィマーマンの卓越した技量や、トゥッティに向けて畳み掛けていくような気迫と強靭さは、同曲のアプローチの規範となるべきものと言える。

シカゴ交響楽団の超絶的な技量も本名演に華を添えているのを忘れてはならない。

第2番は、気鋭の若手ピアニストであるアンスネスが、強靭で迫力ある演奏を行いつつも、祖国の大作曲家グリーグの抒情小曲集で披露したような繊細なピアニズムを随所に聴かせてくれるのが素晴らしい。

バルトークが「親しみやすく気楽な性格を持っている」と評したわりには、きわめて晦渋な音楽との印象を受ける同曲ではあるが、ベルリン・フィルの圧倒的な技量も相俟って、おそらくは同曲演奏史上最も明瞭で美しい演奏に仕上がっていると言えるのではないだろうか。

第3番は、バルトークの最晩年の作品だけにその内容の奥深さには尋常ならざるものがあるが、グリモーの強靭な打鍵から繊細な抒情に至るまでの桁外れの表現力の幅の広さが、本演奏における彫りの深い表現の醸成に大きく貢献していると言えるだろう。

ロンドン交響楽団も、最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。

いずれにしても、バルトークのピアノ協奏曲各曲の性格を的確に把握し、それぞれに最適のピアニストとオーケストラを配したキャスティングの巧妙さにも大きな拍手を送りたい。

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Profile

classicalmusic

早稲田大学文学部哲学科卒業。元早大フルトヴェングラー研究会幹事長。幹事長時代サークルを大学公認サークルに昇格させた。クラシック音楽CD保有数は数えきれないほど。いわゆる名曲名盤はほとんど所有。秘蔵ディスク、正規のCDから得られぬ一期一会的海賊盤なども多数保有。毎日造詣を深めることに腐心し、このブログを通じていかにクラシック音楽の真髄を多くの方々に広めてゆくかということに使命を感じて活動中。

よろしくお願いします(__)
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