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<title>クラシック音楽ぶった斬り</title>
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<description>クラシック音楽評論家が言えない真実を語る。
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<title>ようこそ！「クラシック音楽ぶった斬り」へ</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/50908945.html</link>
<description>はじめまして。

このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。

「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットー...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2014-12-31T23:59:09+09:00</dc:date>
<dc:subject></dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[はじめまして。<br>
<br>
このブログでは、クラシック音楽の真髄にどんどん斬り込んでいきます。<br>
<br>
「ぶった斬り」というタイトルにしては、内容は名前負けしている感はありますが、自分が悪いと思うものを人には薦められないし、書きたいことを楽しく書く、ということをモットーにしています。<br>
<br>
どちらかというと、クラシック音楽を聴き込んだ人向けの内容ですが、これからクラシック音楽を聴いてみようかな、と思っている方にも親しんで頂けるように考えながら書いています。<br>
<br>
クラシック音楽に欠かせないのが、演奏家です。演奏家の優劣によって作品の価値が決まるといっても過言ではありません。<br>
<br>
私はそこに焦点をおいています。<br>
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そして作曲家のことや曲の内容説明はそれぞれのディスクの解説にあるので、私は演奏の批評をこのブログで書くことに重きをおいています。<br>
<br>
<a href="http://classicalmusic.8.bbs.fc2.com/">掲示板も設置しましたので、お気軽に投稿下さい。</a>クラシック音楽に関するご質問もわかりうる範囲でお答えします。<br>
<br>
どうぞ、よろしくお願いします。
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=2590936&name=classicalmusic&pid=50908945" width="1" height="1" />
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<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646877.html">
<title>テンシュテット＆ロンドン・フィルのマーラー:交響曲第３番（１９８６年ライヴ）</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646877.html</link>
<description>

凄い超名演だ。

これほどまでに心が揺さぶられる演奏は、他にもほとんど例がないと言っても過言ではあるまい。

テンシュテットは、１９８５年に咽頭がんを患った後は、健康状態を確認しながら一つ一つのコンサートにそれこそ命がけで臨んでいた。

もっとも、本...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2013-06-08T21:20:12+09:00</dc:date>
<dc:subject>マーラー</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B005GOWERM&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
<br>
凄い超名演だ。<br>
<br>
これほどまでに心が揺さぶられる演奏は、他にもほとんど例がないと言っても過言ではあるまい。<br>
<br>
テンシュテットは、１９８５年に咽頭がんを患った後は、健康状態を確認しながら一つ一つのコンサートにそれこそ命がけで臨んでいた。<br>
<br>
もっとも、本演奏が行われた１９８６年は、いまだ病状が深刻化しておらず、コンサートの数も比較的多かったとのことであるが、それでも演奏にかける渾身の情熱には尋常ならざるものがあったと言えるのではないか。<br>
<br>
本盤の演奏についても、楽曲の性格からして第２番や第５番、第６番の豪演ほどの壮絶さはないものの、それでも凄まじいまでの迫力を誇っているというのは、まさにそれをあらわしていると言えるだろう。<br>
<br>
第１楽章冒頭の８本のホルンによる壮麗な咆哮からして、とてつもないエネルギーが充満している。<br>
<br>
その後は、第１楽章及び第２楽章ともに、迫りくる死に追い立てられているような焦燥感さえ感じさせるやや速めのテンポを基調としつつ、変幻自在のテンポの振幅、そして思い切った強弱の変化、猛烈なアッチェレランドやディミヌエンド、そしてゲネラルパウゼなどを大胆に駆使して、ドラマティックの極みとも言うべき劇的な豪演を展開している。<br>
<br>
そして、演奏のどこをとっても切れば血が噴き出てくるような圧倒的な生命力と強靭な気迫に満ち溢れており、加えて、すべての音に尋常ならざる熱き情感が込められるなど、その凄みのある表現は我々聴き手の肺腑を打つのに十分な圧巻の迫力を誇っている。<br>
<br>
第３楽章や第４楽章において、中庸のテンポによって楽想を徹底して心を込めて歌い上げていくのも感動的であると言えるし、第５楽章の合唱も清澄にして崇高な美しさを誇っている。<br>
<br>
また、終楽章の奥行きの深い表現は出色のものがあり、まさにマーラーの全交響曲を貫くテーマの一つである生への憧憬と妄執を見事に音化し尽くしたものとも言えるだろう。<br>
<br>
テンシュテットは、交響曲第３番を本演奏の７年前の１９７９年にもスタジオ録音しており、それも素晴らしい名演であったが、強靭な気迫や渾身の生命力、そして、迫りくる自らの死を予見していたが故に演奏全体に漲っているとも言える心を込め抜いた熱き情感において、本演奏には到底及ばないものと考える。<br>
<br>
また、必ずしも一流とは言い難いロンドン・フィルも、テンシュテットの命がけの渾身の指揮に必死になって喰らいつき、おそらくは持ち得る実力以上のものを発揮した大熱演を繰り広げたことも、本超名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。<br>
<br>
第４楽章のメゾ・ソプラノのヴァルトラウト・マイアーによる独唱や、第５楽章のイートン・カレッジ少年合唱団やロンドン・フィルハーモニー合唱団による合唱も、その実力を十二分に発揮した最高のパフォーマンスを発揮していると言っても過言ではあるまい。<br>
<br>
いずれにしても、マーラーの交響曲第３番の名演としては、同じくライヴ録音でもあるバーンスタイン＆ニューヨーク・フィルによる至高の超名演（１９８８年）が存在しているが、本演奏もそれに肉薄する圧倒的な超名演と高く評価したい。<br>
<br>
音質も、１９８６年のライヴ録音としては、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールの残響を生かした十分に満足できるものであり、テンシュテットによる超名演を良好な音質で味わうことができることを大いに喜びたい。
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</item>
<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646868.html">
<title>スヴェトラーノフ＆ロシア（ソヴィエト）国立響のショスタコーヴィチ:交響曲第１０番/チャイコフスキー:付随音楽「雪娘」組曲より「メロドラマ」 他</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646868.html</link>
<description>

スヴェトラーノフの若き日の圧倒的な名演の登場だ。

いまだショスタコーヴィチが存命の時代であり、なおかつ旧ソヴィエト連邦が存在していた時代。

しかも、東西冷戦下で、旧ソヴィエト軍を中核としたワルシャワ条約機構軍がチェコの民主化を阻止するために、チェ...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2013-06-07T21:04:10+09:00</dc:date>
<dc:subject>ショスタコーヴィチ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B005GOWERW&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
<br>
スヴェトラーノフの若き日の圧倒的な名演の登場だ。<br>
<br>
いまだショスタコーヴィチが存命の時代であり、なおかつ旧ソヴィエト連邦が存在していた時代。<br>
<br>
しかも、東西冷戦下で、旧ソヴィエト軍を中核としたワルシャワ条約機構軍がチェコの民主化を阻止するために、チェコ全土を占領化に置くといういわゆる「プラハの春」が勃発した日の翌日の演奏である。<br>
<br>
当時の西側諸国からすれば、こうした東側諸国、とりわけ旧ソヴィエト連邦による軍事行動は許し難い暴挙であり、旧ソヴィエト連邦への敵対意識が否応なしに高まっていたことは想像に難くないところだ。<br>
<br>
そのような中で、旧ソヴィエト連邦の指揮者であるスヴェトラーノフとソヴィエト国立交響楽団（現ロシア国立交響楽団）が、当時、旧ソヴィエト連邦政府に忠実な作曲家であると西側諸国では誤解されていたショスタコーヴィチの交響曲第１０番を、ロンドンで演奏するということは、当時の西側諸国の旧ソヴィエト連邦への悪感情を考えると、ある意味では実に無謀な行為であったとも言える。<br>
<br>
実際に、コンサートは抗議の声で騒然となり一時は演奏を中断せざるを得なくなったとのことであり、本盤においても冒頭の何小節かが何人かの聴衆の抗議の声で聴き取れなくなるなど、当時の厳しい状況が生々しく記録されている。<br>
<br>
しかしながら、そうした厳しい状況の中でもめげることなく、最後まで演奏を行ったスヴェトラーノフ、そしてソヴィエト国立交響楽団の不屈の精神力にまずは拍手を送るべきであろう。<br>
<br>
そして演奏も素晴らしい。<br>
<br>
さすがに、本演奏には、後年のスヴェトラーノフの演奏のようなスケールの大きさは存在していないが、前述のような逆境を演奏に最大限に生かしたとも言えるような、圧倒的な生命力や強靭な気迫が演奏全体に漲っている。<br>
<br>
ショスタコーヴィチと同時代を生き、そして例えて言えば現在の北朝鮮のようなとんでもない共産党独裁国家であった旧ソヴィエト連邦下に生きていたスヴェトラーノフとしても、同曲に込められた独裁者スターリンへの怒り、粛清への恐怖と粛清された者への鎮魂などのあらゆるメッセージに深く共感していたはずであり、そうしたものを十分に汲み取った彫りの深い凄みのある表現が、我々聴き手の肺腑を打つのに十分な迫力を誇っていると考えられるところだ。<br>
<br>
もちろん、ムラヴィンスキー＆レニングラード・フィルによる超名演（１９７６年）ほどの深みには達しているとは言い難いが、３９歳の若きスヴェトラーノフが、前述のような逆境を乗り越えて、これだけの凄みのある豪演を成し遂げたことを高く評価したい。<br>
<br>
演奏終了後の圧倒的な熱狂は、冒頭の抗議の罵声を含めて考えると、いかに本演奏が当日の聴衆に深い感銘を与えたのかがよく理解できるところだ。<br>
<br>
併録のチャイコフスキーやＲ・コルサコフの楽曲も、スヴェトラーノフならではの強靭な迫力とメランコリックな抒情が相俟った素晴らしい名演だ。<br>
<br>
音質は、１９６０年代のライヴ録音、しかもモノラル録音ということもあって、音場が今一つ広がらない（特に、交響曲第１０番の第１楽章）のが残念ではあるが、アンビエント・マスタリングによってかなり聴きやすい音質になっている点を評価したい。
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</item>
<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646853.html">
<title>ラトル＆ベルリン・フィルのマーラー:交響曲第５番</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646853.html</link>
<description>

ＥＭＩがフルトヴェングラーの一連の歴史的な名演やアルゲリッチの名演のＳＡＣＤ化を相次いで行っているのは、今年のクラシック音楽界における大きな快挙の一つであると言えるが、ＥＭＩはついにラトルの一連の録音のＳＡＣＤ化を開始することになったのは実に素晴らし...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2013-06-06T23:46:30+09:00</dc:date>
<dc:subject>マーラー</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0055UESY4&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
<br>
ＥＭＩがフルトヴェングラーの一連の歴史的な名演やアルゲリッチの名演のＳＡＣＤ化を相次いで行っているのは、今年のクラシック音楽界における大きな快挙の一つであると言えるが、ＥＭＩはついにラトルの一連の録音のＳＡＣＤ化を開始することになったのは実に素晴らしいことである。<br>
<br>
ＳＡＣＤ化を行うにあたって選ばれた演奏については首をかしげざるを得ないものも含まれてはいるが、ネット配信によってパッケージメディアの権威が大きく揺らいでいる中でのＥＭＩのこのような果敢なＳＡＣＤ化への取組は、ＳＡＣＤの生みの親でありながら近年では消極的な姿勢に終始しているソニー・クラシカルの体たらくを考えると、高く評価したいと考える。<br>
<br>
本盤に収められたマーラーの交響曲第５番は、ラトルがベルリン・フィルの芸術監督就任を記念して行ったコンサートのライヴ録音である。<br>
<br>
筆者は、本演奏について、ラトルの他の演奏のレビューを投稿する際に芳しくない評価を記し続けてきたが、今般のＳＡＣＤ盤を聴いてもその印象はさほど変わらなかったと言わざるを得ない。<br>
<br>
そうなった理由はいくつかあるが、やはりラトルの気負いによるところが大きいのではないだろうか。<br>
<br>
ベルリン・フィルの芸術監督という、フルトヴェングラーやカラヤンと言った歴史的な大指揮者が累代に渡ってつとめてきた最高峰の地位についたラトルにしてみれば、肩に力が入るのは当然であるが、それにしてはラトルの意欲だけが空回りしているような気がしてならないのだ。<br>
<br>
ベルリン・フィルの猛者たちも、新芸術監督である若きラトルの指揮に必死でついていこうとしているようにも思われるが、ラトルとの息が今一つ合っていないように思われる。<br>
<br>
そうした指揮者とオーケストラとの微妙なズレが、本演奏にいささか根源的な力強さを欠いていたり、はたまた内容の濃さを欠いていたりすることに繋がっているのだと考えられるところだ。<br>
<br>
もちろん、ベルリン・フィルの芸術監督に就任したばかりの若きラトルに過大なものを要求すること自体が酷であるとも言える。<br>
<br>
ラトルは現在、マーラーイヤーを記念してマーラーチクルスを開始しており、昨年２月に発売された交響曲第２番など圧倒的な名演を成し遂げているところである。<br>
<br>
したがって、現在の円熟のラトルが、ベルリン・フィルを指揮して交響曲第５番を再録音すれば、おそらくは本演奏を凌駕する圧倒的な名演を期待できるのではないかと考えられるところであり、今後はそれを大いに期待したいと考える。<br>
<br>
それにしても、本ＳＡＣＤ盤の音質はとてつもなく鮮明なものだ。<br>
<br>
本盤については、既にＨＱＣＤ盤が発売されているが全く問題にならない。<br>
<br>
あらためて、ＳＡＣＤ盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=2590936&name=classicalmusic&pid=53646853" width="1" height="1" />
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<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646846.html">
<title>ラトル＆ベルリン・フィルのホルスト:組曲「惑星」(冥王星付き)</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646846.html</link>
<description>

ラトルは今日でこそベルリン・フィルを完全に掌握し、現代を代表する大指揮者の一人として数々の名演を成し遂げつつあるが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから数年間は鳴かず飛ばずの状態が続いていた。

今般、同様にＳＡＣＤ化された、芸術監督お披露目公演...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2013-06-06T21:32:24+09:00</dc:date>
<dc:subject>ホルスト</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0055UET16&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
<br>
ラトルは今日でこそベルリン・フィルを完全に掌握し、現代を代表する大指揮者の一人として数々の名演を成し遂げつつあるが、ベルリン・フィルの芸術監督に就任してから数年間は鳴かず飛ばずの状態が続いていた。<br>
<br>
今般、同様にＳＡＣＤ化された、芸術監督お披露目公演のマーラーの交響曲第５番も、意欲だけが空回りした凡庸な演奏であったし、その後もシューベルトの交響曲第８（９）番「ザ・グレート」、ブルックナーの交響曲第４番、Ｒ・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」など、箸にも棒にもかからない凡演の山を築いていた。<br>
<br>
本盤には、ホルストの組曲「惑星」と、コリン・マシューズによる「冥王星」、そして、国籍の異なる４人の作曲家による宇宙をテーマとした小品が収められているが、このうち、メインの組曲「惑星」が、イマイチの凡庸な演奏に成り下がっていると言えるところだ。<br>
<br>
ラトルも、ベルリン・フィルの芸術監督就任後は、名うての一流奏者たちを掌握するのに相当に苦労したのではないだろうか。<br>
<br>
そして、プライドの高い団員の掌握に多大なる労力を要したため、自らの芸術の方向性を見失っていたのではないかとさえ考えられるところだ。<br>
<br>
それ故に、必然的に意欲だけが空回りした演奏に終始してしまっていると言える。<br>
<br>
本演奏も美しくはあるが根源的な力強さがない。<br>
<br>
同曲を精緻に美しく描き出すことにつとめたのかもしれないが、本演奏を聴く限りにおいては、ラトルが同曲をこのように解釈したいという確固たる信念を見出すことが極めて困難である。<br>
<br>
ラトルは１９８０年にも、フィルハーモニア管弦楽団とともに同曲を録音しているが、当該演奏の方が、若干の荒々しさは感じさせるものの、若武者ならではの気迫溢れる力強い熱演に仕上がっていたと言えるところであり、本演奏よりも数段優れた演奏のように思われるところだ。<br>
<br>
メインの組曲「惑星」と比較して、コリン・マシューズによる「冥王星」や、国籍の異なる４人の作曲家による宇宙をテーマとした小品については、録音自体がそもそも珍しい楽曲であることや、おそらくはベルリン・フィルも演奏した経験を殆ど有していなかったこともあって、ラトルのペースで演奏が行われているように感じられるところである。<br>
<br>
したがって、組曲「惑星」よりもラトルの解釈が演奏にしっかりと刻印されていると言えるところであり、これらの楽曲の演奏に関してはなかなかに優れた演奏ということができるのではないだろうか。<br>
<br>
音質は驚天動地の鮮明な高音質である。<br>
<br>
本盤については、既にＨＱＣＤ盤が発売されているが全く問題にならない。<br>
<br>
あらためて、ＳＡＣＤ盤の潜在能力の高さを思い知った次第だ。
<img src="http://counter2.blog.livedoor.com/c?ro=1&act=rss&output=no&id=2590936&name=classicalmusic&pid=53646846" width="1" height="1" />
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</item>
<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646833.html">
<title>アシュケナージのラフマニノフ:「鐘」「春」「3つのロシアの歌」「6つの合唱曲」</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646833.html</link>
<description>

アシュケナージは、ハイティンクなどと同様に賛否両論が分かれる指揮者であるが（ピアニストとしても）、アシュケナージに厳しい評価をするクラシック音楽ファンでも、ラフマニノフの演奏に関しては高い評価をする人も多いのではないだろうか。

ベートーヴェンやブラ...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2013-06-05T21:13:24+09:00</dc:date>
<dc:subject>ラフマニノフ</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B00006LF6A&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
<br>
アシュケナージは、ハイティンクなどと同様に賛否両論が分かれる指揮者であるが（ピアニストとしても）、アシュケナージに厳しい評価をするクラシック音楽ファンでも、ラフマニノフの演奏に関しては高い評価をする人も多いのではないだろうか。<br>
<br>
ベートーヴェンやブラームスの交響曲においては、過不足のない演奏を行ってはいるものの、今一つ踏み込み不足の感が否めないアシュケナージではあるが、ラフマニノフの楽曲を指揮する際には（そして、ピアニストとしてピアノ演奏する際には）、まさに大芸術家に変貌すると言っても過言ではあるまい。<br>
<br>
ラフマニノフと同様に旧ソヴィエト連邦から亡命をしたロシア人であり、ピアニストであるという同じような経歴を有するということが、アシュケナージのラフマニノフへの深い愛着とともに畏敬の念に繋がっているとも考えられる。<br>
<br>
アシュケナージが指揮したラフマニノフの交響曲や管弦楽曲、協奏曲、合唱曲、そしてピアニストとして演奏した協奏曲やピアノ曲については、相当数の膨大な録音が存在しているが、いずれも素晴らしい名演であり、それらに優劣を付けるのは困難である。<br>
<br>
本盤には、ラフマニノフが自称最高傑作と評していた合唱交響曲「鐘」を軸に、「６つの合唱曲」、カンタータ「春」、そして「３つのロシアの歌」が収められているが、ラフマニノフに私淑するアシュケナージならではの圧倒的な名演に仕上がっていると高く評価したい。<br>
<br>
アシュケナージは、合唱交響曲「鐘」を、１９８０年代前半にもコンセルトヘボウとともにスタジオ録音を行っており、それも名演ではあったが、筆者としては、後述の音質面をも含めて総合的に勘案すると、本演奏の方をより上位に掲げたい。<br>
<br>
そして、同曲には、デュトワやポリャリンスキーなどによる演奏以外に目ぼしい演奏が乏しいことに鑑みれば、本演奏こそは、同曲演奏史上最高の超名演との評価もあながち言い過ぎではあるまい。<br>
<br>
アシュケナージによる本演奏は、テンポの緩急、表情づけの巧みさ、ロシア風のメランコリックな抒情に満ち溢れた旋律の歌わせ方、壮麗にして重厚な迫力のすべてにおいて、これ以上は求め得ないような見事な演奏を繰り広げている。<br>
<br>
このように述べると、あたかもとある影響力の大きい某音楽評論家がアシュケナージを貶す際に使用する「優等生的な演奏」のように思われるきらいもないわけではないが、アシュケナージの演奏の場合は、アシュケナージがラフマニノフの本質をしっかりと鷲掴みにしているため（というよりも、アシュケナージがラフマニノフ自身と化しているため）、本演奏こそが同曲演奏の理想像の具現化のように思われてならないのだ。<br>
<br>
これは、バーンスタインがマーラーの交響曲や歌曲を演奏する時と同様であるとも言えるだろう。<br>
<br>
まさに、指揮者と作曲家の幸福な出会いというのが、本演奏を超名演たらしめた最大の要因であると考えられる。<br>
<br>
「３つのロシアの歌」、「６つの合唱曲」、そしてカンタータ「春」についても、合唱交響曲「鐘」と同様のことが言えるところであり、ラフマニノフの音楽を自らの血とし肉としたアシュケナージならではの圧倒的な超名演と高く評価したい。<br>
<br>
アシュケナージの指揮の下、豊穣で極上の美を誇る弦楽合奏をベースとした渾身の名演奏を繰り広げたチェコ・フィルにも大きな拍手を送りたい。<br>
<br>
マリーナ・シャーグチ（ソプラノ）、イリヤ・レヴィンスキー（テノール）、そしてセルゲイ・レイフェルクス（バリトン）の各独唱陣や、プラハ・フィルハーモニー合唱団も最高のパフォーマンスを発揮していると高く評価したい。<br>
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「６つの合唱曲」におけるアシュケナージのピアノ演奏の素晴らしさは、もはや言わずもがなである。<br>
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音質は、従来ＣＤ盤でもＤＳＤレコーディングということもあって極めて良好なものと言えるが、ベストの音質は、同時期に発売されたシングルレイヤーによるマルチチャンネル付きのＳＡＣＤ盤である。<br>
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何よりも、マルチチャンネルが付いていることもあって、音質の極上の鮮明さに加えて音場に圧倒的な臨場感があるのが大きなメリットである。
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<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646790.html">
<title>ムター＆オーキスのベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第５番「春」/第９番「クロイツェル」</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646790.html</link>
<description>

本盤には、ムターとオーキスが１９９８年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音（ライヴ録音）から有名な２曲を抜粋したものである。

かつては巨匠カラヤンの指導の下、１０代でデビューしたムターは、カラヤン＆ベルリン・フィルという土俵の上で...</description>
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<dc:date>2013-06-04T21:18:46+09:00</dc:date>
<dc:subject>ベートーヴェン</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B004MVMLEQ&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
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本盤には、ムターとオーキスが１９９８年に行ったベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲録音（ライヴ録音）から有名な２曲を抜粋したものである。<br>
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かつては巨匠カラヤンの指導の下、１０代でデビューしたムターは、カラヤン＆ベルリン・フィルという土俵の上で懸命な演奏を行っていたところであるが、１９８９年にカラヤンが鬼籍に入った後の１９９０年代に入ってからはその素質や個性を大きく開花させ、個性的な演奏の数々を披露するようになった。<br>
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ムターのヴァイオリン演奏は、他の多くの女流ヴァイオリニストのように抒情的な繊細さや優美さで勝負するものではない。<br>
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一部の女流ヴァイオリニストによる演奏において聴かれるような線の細さなどはいささかも感じさせることはなく、常に骨太で明朗な音楽の構築につとめているようにも感じられる。<br>
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もっとも、かような明朗さを旨とする演奏にはいささか陰影に乏しいと言えなくもないが、ムターの年齢を考えるとあまり贅沢は言えないのではないかとも考えられる。<br>
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本演奏においても、そうした骨太で明朗な音楽づくりは健在であり、加えて、心を込め抜いた熱きロマンティシズムや変幻自在のテンポの変化、思い切った強弱の付加など、自由奔放とも言うべき個性的な演奏を繰り広げている。<br>
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それでいて、お涙頂戴の感傷的な哀嘆調に陥ることは薬にしたくもなく、常に格調の高さをいささかも失うことがないのがムターのヴァイオリン演奏の最良の美質であり、これはムターの類稀なる豊かな音楽性の賜物であると考えられる。<br>
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加えて、卓越した技量においても申し分がないが、ムターの場合は巧さを感じさせることがなく、いわゆる技巧臭よりも音楽そのものの美しさのみが際立っているのが素晴らしい。<br>
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また、ライヴ録音ということもあって、各楽章の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫や切れば血が噴き出てくるような熱い生命力においてもいささかの不足はない。<br>
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このようなムターによる卓越したヴァイオリン演奏の引き立て役として、オーキスによるピアノ演奏も理想的であり、いずれにしても本演奏は、ムターによる円熟の個性的なヴァイオリン演奏を味わうことが可能な素晴らしい名演と高く評価したい。<br>
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音質は１９９８年のライヴ録音ではあるが十分に満足できるものである。
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<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646770.html">
<title>カム＆ラハティ響のシベリウス:テンペスト、吟遊詩人、タピオラ</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646770.html</link>
<description>

２０１１年秋よりラハティ交響楽団の新しい芸術監督に就任したオッコ・カムが、待望のシベリウスの管弦楽曲集の録音を開始した。

第１弾は、劇付随音楽「テンペスト」や交響詩「タピオラ」を軸とした管弦楽曲集であるが、交響曲が含まれるのかどうかなど今後のシリー...</description>
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<dc:date>2013-06-03T21:51:40+09:00</dc:date>
<dc:subject>シベリウス</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0055ISAFE&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
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２０１１年秋よりラハティ交響楽団の新しい芸術監督に就任したオッコ・カムが、待望のシベリウスの管弦楽曲集の録音を開始した。<br>
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第１弾は、劇付随音楽「テンペスト」や交響詩「タピオラ」を軸とした管弦楽曲集であるが、交響曲が含まれるのかどうかなど今後のシリーズの行方には興味が尽きないところだ。<br>
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いずれにしても、今後のこのシリーズの継続、そして充実をこの場を借りて祈念しておきたい。<br>
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オッコ・カムは若手指揮者の登竜門と言われたカラヤンコンクールで優勝（１９６９年）し、カラヤンによるシベリウスの交響曲全集を録音（ＤＧ）する際に、第１番～第３番の演奏を任されたという輝かしい経歴を有している。<br>
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その後、ヘルシンキ・フィルを率いて１９８２年に来日（当時３５歳）を果たしたが、その際のライヴ録音もＴＤＫより発売されている。<br>
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その演奏は、北欧の新世代を代表するような颯爽としたものであったが、そうした芸風は、若干の円熟味を加えつつも本演奏においてもなお健在と言えるだろう。<br>
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要所においては強靭な迫力も有しているものの、演奏全体としてはいささかも暑苦しくない、北欧の大自然を彷彿とさせるような清涼感に満ち溢れており、このような演奏を聴いていると、これぞ本物のシベリウスという気がしてくるから実に不思議だ。<br>
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全体としては爽快でフレッシュな息吹を感じさせるような演奏と言えるが、それでいてスコアに記された音符のうわべだけをなぞっただけの薄味な演奏にはいささかも陥っておらず、どこをとっても北欧の雄大な大自然を彷彿とさせるような豊かな情感に満ち溢れているのが素晴らしい。<br>
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劇付随音楽「テンペスト」におけるドラマティックで聴かせどころのツボを心得た演出巧者ぶりも心憎いばかりであり、あらためてオッコ・カムの類稀なる才能を感じさせられたところだ。<br>
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いずれにしても、本盤の演奏は、今や北欧を代表する円熟の大指揮者となりつつあるオッコ・カムによる清新さを感じさせる名演であり、今後のシリーズの続編への大きな期待を持てる名演とも言えるだろう。<br>
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そして、本盤で素晴らしいのは、マルチチャンネル付きのＳＡＣＤによる極上の高音質録音である。<br>
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特に、交響詩「タピオラ」や交響詩「吟遊詩人」などにおける弦楽器の最弱音の再現には、かかる臨場感溢れる高音質は大きなアドバンテージであり、本盤の価値を高めるのに大きく貢献しているのを忘れてはならない。
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<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646733.html">
<title>バーンスタインのガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー、パリのアメリカ人</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646733.html</link>
<description>

これは素晴らしい名演だ。

若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。

バーンスタインは、１９８０年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。

マーラーの交響曲・歌曲集な...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2013-06-02T21:23:39+09:00</dc:date>
<dc:subject>バーンスタイン</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B0000025MH&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
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これは素晴らしい名演だ。<br>
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若き日のバーンスタインによる傑作の一つと言っても過言ではあるまい。<br>
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バーンスタインは、１９８０年代に入ると、演奏のテンポが大幅に遅くなるとともに、濃厚でいささか大仰な演奏を行うようになった。<br>
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マーラーの交響曲・歌曲集など、極めて優れた円熟の名演もある一方で、かかる晩年の芸風が大きくマイナスに働き、ウドの大木の誹りを免れないような凡演も多かったというのも否めない事実であった。<br>
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しかしながら、ニューヨーク・フィルの音楽監督（１９５８～１９７０年）をつとめていた時代の若き日のバーンスタインの演奏は、こうした晩年の芸風とは正反対であり、若武者ならではの爽快で溌剌とした快演を数多く行っていた。<br>
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ある意味ではヤンキー気質丸出しの演奏と言えるところであり、オーケストラにも強引とも言うべき最強奏させることも多々あったが、それ故に音楽内容の精神的な深みの追求など薬にしたくもない薄味の演奏も多かったと言えるところだ。<br>
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もっとも、自ら作曲も手がけていたという類稀なる音楽性の豊かさは顕著にあらわれており、自らの芸風と符号した楽曲においては、熱のこもったとてつもない名演を成し遂げることも多かった。<br>
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例えば、この時代に完成されたバーンスタインによる最初のマーラーの交響曲全集（１９６０～１９７５年）は、後年の３つのオーケストラを振り分けた全集（１９６６～１９９０年）とは違った魅力を有している。<br>
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そして、本盤に収められたガーシュウィンの有名な２大名曲についても、当時のバーンスタインの芸風と符号しており、爽快で圧倒的な生命力に満ち溢れたノリノリの指揮ぶりが見事である。<br>
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とりわけ、ラプソディ・イン・ブルーにおいては、バーンスタインが指揮のみならずピアノまで受け持っているが、その才気が迸った情感のこもったピアノ演奏は、本名演の価値をさらに高めることに大きく貢献しているのを忘れてはならない。<br>
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円熟という意味では後年の演奏（１９８２年）を採るべきであるが、圧倒的な熱演という意味においては本演奏もいささかも引けを取っていない。<br>
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また、パリのアメリカ人は、あたかもこれからヨーロッパに進出していくバーンスタインの自画像を描いているような趣きがあり、自らに重ね合わせたかのような大熱演は、我々聴き手の度肝を抜くのに十分な迫力を誇っている。
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<item rdf:about="http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646714.html">
<title>アバド＆ルツェルン祝祭のベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」</title>
<link>http://classicalmusic.livedoor.biz/archives/53646714.html</link>
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近年のアバドは素晴らしい。

ベルリン・フィルの芸術監督に就任した頃は、かつてのロンドン交響楽団の音楽監督時代のような力強さが影を潜め、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始しアバドもこれまでかと思っていたが、大病を克服した後は不死鳥のように生まれ変...</description>
<dc:creator>classicalmusic</dc:creator>
<dc:date>2013-06-01T21:47:49+09:00</dc:date>
<dc:subject>ベートーヴェン</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=19741216-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B004VN7U6Y&ref=tf_til&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe><br>
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近年のアバドは素晴らしい。<br>
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ベルリン・フィルの芸術監督に就任した頃は、かつてのロンドン交響楽団の音楽監督時代のような力強さが影を潜め、借りてきた猫のように大人しい演奏に終始しアバドもこれまでかと思っていたが、大病を克服した後は不死鳥のように生まれ変わった。<br>
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その後の演奏には、かつてのアバドにはなかった凄みと深さが加わり、今や現代最高峰の指揮者と言っても過言ではないほどの偉大な存在になりつつある。<br>
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本盤に収められたベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」も、まさにそのような偉大な指揮者による素晴らしい名演に仕上がっていると高く評価したい。<br>
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アバド＆ベルリン・フィルによるベートーヴェンの交響曲の演奏（特に、最初の全集のうちの第１番～第６番）については、そのあまりの軽妙さにいささか違和感を感じずにはいられなかったが、本演奏では同じベートーヴェンの楽曲であってもそのような違和感など微塵も感じさせない。<br>
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持ち前の豊かな歌謡性と音楽の核心に切り込んでいこうという鋭さ、そして、各場面の頂点に向けて畳み掛けていくような気迫溢れる力強さなど、どこをとってもこれ以上は求め得ないような卓越した表現力で、スケール雄大な音楽を構築しているのが素晴らしい。<br>
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このような素晴らしい名演を聴いていると、アバドこそは現代における世界最高のオペラ指揮者であることをあらためて認識させられるところだ。<br>
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冒頭の序曲の躍動感溢れる演奏の見事さ、第１幕終結部の囚人の合唱のこの世のものとは言えないような美しさ、第２幕冒頭の「神よ」の効果的な強調（これは、ヨナス・カウフマンの名唱を褒めるべきであるが）、そして、第２幕のフィナーレの囚人と人民の合唱等の壮麗さなど、実に感動的であると高く評価したい。<br>
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オーケストラはルツェルン祝祭管弦楽団であるが、アバドが手塩にかけて育て上げている若きマーラー室内管弦楽団のメンバーも多数参加しているということであり、本演奏においても、アバドと息の合った気迫溢れる熱演を展開しているのが素晴らしい。<br>
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歌手陣は、先ずはレオノーレ役のニーナ・ステンメの迫力ある歌唱が我々聴き手の度肝を抜くのに十分であり、フロレスタン役のヨナス・カウフマンやロッコ役のクリストフ・フィシェサー、そしてドン・ピツァロ役のファルク・シュトルックマンの名唱も見事という他はない。<br>
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その他の歌手陣やアルノルト・シェーンベルク合唱団も最高のパフォーマンスを示しており、本名演に大きく貢献しているのを忘れてはならない。<br>
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音質については、ルツェルン音楽祭のオープニングコンサートのライヴ録音であるが、演奏会形式であることもあって音質は極めて鮮明である。
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